「ヘレン・ケラー=奇跡の人」という構図ができあがったのはいつ頃だったのだろうか。この構図が成立したことで、いつしかケラーは普通の生身の人間、ひいては「普通の障害者」からもかけ離れた聖人、聖女と見なされるようになったと言える。
「奇跡の人」というイメージを決定づけたのは62年のアーサー・ペン監督の映画『奇跡の人』だったにちがいない。ウィリアム・ギブソンの戯曲 "Miracle Worker"に基づいたこの映画を通じてヘレン・ケラーとアニー・サリバンを知っている人が多い。この映画の原題は「奇跡を起こした人」という意味でサリバンを指しているが、「奇跡の人」という邦題をつけたことで、ケラー自身のことを指すという誤解が生じた。
それは「見えない、聴こえない、話せないという三重苦をのりこえた奇跡の人」*というイメージに元々ケラーがぴったりだったからにちがいない。その意味で映画の邦題を『奇跡の人』としたのは名訳ともいえる。
この映画で弱視のサリバン役のバンクロフトは62年度アカデミー主演賞、ケラー役のデュークはアカデミー助演賞をそれぞれ獲得している。ヘレン・ケラーはやはり主役ではなかったのである。
私自身もヘレン・ケラーについては漠然と映画『奇跡の人』で見た印象しかなかった。それが新たな関心を持つようになったのは、"Ragged Edge: The Disability Experience in America"という米国で刊行されている雑誌の99年1月・2月号読書欄で、ドロシー・ハーマンという作家による "Helen Keller: A Life"(ヘレン・ケラー:ある生涯)という新しい伝記が出版されたと読んだからである。読書欄には、新たなヘレン・ケラー像が描かれている、「今さらヘレン・ケラーでもあるまい」という気持ちでこの本を見捨てないでほしいとあった。
そのすすめに従ってハーマンによるヘレン・ケラーの新たな伝記を読んでみた。確かに今まで抱いていたイメージとは異なるヘレン・ケラーがそこには見いだされた。英文は必要がない限り読まないし、読む場合でも必要最小限なのだが、この本は珍しく最後まで読み通した(ぜひ、翻訳してほしいもの。いやすでに翻訳作業は始められているかもしれない)。
本全体に関しては、紹介の文章の訳を最後に添付してあるので、参照してほしい。ここでは本の一部だけ少し、内容を紹介したい。1916年に当時36歳のヘレン・ケラーは自分の助手をしていたピーター・フェイガンという青年と恋をして結婚しようとする。しかし、家族の反対にあい、駆け落ちまでしようとするのだが、結局断念してしまう。
その事件から6年後に、ある男性から結婚を申し込まれた42歳のヘレン・ケラーが書いた返事が掲載されている。一部を試訳してみた。以下、少し長いがご覧頂きたい。(メイシー先生とはアニー・サリバンである)。
「身体的障害、抑圧が鎮めることができない原始的本能、心の願い全てが、貴方様の願いに応えたいと弾けんばかりです。若い時から男性の愛情を望んできております。運命はどうしてこれほど奇妙な形で私をもてあそんだのか、どうして自分では満たすことができない身体的能力を持たされ、身が焦がされるのか、思い悩んだ時もありました。しかし、偉大な教師である「時」はその役割を果たしました。不可能なことを求めても仕方ないことが分かりました。女盛りが空しく失われてしまうことを嘆いても仕方ないことも。夫婦生活のない一生を送ることが私の運命であると感じるようになり、この運命を受け入れるようになったのです。
人間とはどういうものかご存知でしょう。普通の心の機微はご承知でしょう。しかし、見えない、聞こえない、きちんと話せないという三重苦の重さをお分かりになってらっしゃるでしょうか。私の本を読まれたに違いありませんが、誤った印象をお持ちになったかもしれません。不平不満を活字にはしないものです。自分の傷をさらけ出して、無遠慮な連中にジロジロ見られるようにはしないものです。素晴らしい思想、笑顔の裏に自分のぶざまさ、無力さをできるだけ隠すものなのです。活字にしたものから私の実生活を知ることはできません。貴方は見ること、聞くことができます。だから、どこに行くのも連れて行ってもらい、単純なことすらも手伝ってもらわねばならない暮らしが大変やっかいなことがお分かりにならないでしょう。お手紙を拝読して、私のおかれた状況、不便さを痛感しました。お分かり頂けないかも知れませんが、貴方の人生と私の人生とのほとんど想像を絶する違いが私には分かるのです。
普通の男性の充実した人生を送っていらっしゃる御様子です。私は内向きに生きて参りました。全ての女には子供っぽいところがあると申します。実際、私には子供っぽいところがたくさんあります。実世界を私は知らないと親友たちは申します。ある意味で、私の人生は非常に孤独なものでした。本が最も親密な仲間ですから。家事についても私は物思いに沈んだ傍観者に過ぎません・・・こういった事情にある私と結婚したいという貴方のお気持ちには驚かされます。私が夫にとってどれほどの逃れようのない重荷になるかを考えただけで、私の心は震えます。
・・・時はその役割を果たした、女盛りが空しく失われてしまうことを嘆かなくなったと申し上げました。しかし、強いられた、暗い諦めの心境をほのめかしているのではありません。メイシー先生は、私にとって子供時代から暗闇の中で明かりでいらっしゃいました。そのメイシー先生の賢明で愛情あふれるご指導で、天性の強い性的衝動に私は立ち向かい、このエネルギーを共感、仕事に向けて参りました。神から授かった生殖的衝動を抑え込もうとすることなど夢にも思ったことはありません。私の心のエネルギーを、困難な課題の達成、私よりも恵まれない人たちへの奉仕に、全部注いだのです。その結果として、幸せな人生を送ってきています。そして願わくんば、人の役に立つ人生を」
(Herrmann, D. 1998, "Helen Keller: A Life")
ヘレン・ケラーの自伝は日本でも『わたしの生涯』(岩橋武夫訳、角川文庫)など出されているが、「不平不満を活字にはしないものです」の下りにはギクッとさせられる。そして何より、自らのセクシャリティーを昇華させようとしているという率直で生々しい心情が吐露されているのに心打たれる。
ヘレン・ケラーに結婚生活を送らせなかったものは何か。それは見えなかったことでも、聴こえなかったことでもない。家族をはじめとする周囲の思惑だったのである。ヘレン・ケラーには全く別の人生もありえたことが同書からは読み取れる。
しかし、なぜ死後30年以上経過したこの時期になってヘレン・ケラーへの関心の盛り上がりが見られているのだろうか。
ヘレン・ケラーが主要な活動の拠点としたアメリカ盲人協会(AFB)にはヘレン・ケラーの資料が保管されている。AFBには90年代末からヘレン・ケラーに関する問い合わせが急増したとAFBの情報担当副会長は述べている。20世紀を振り返る時期になり、20世紀の偉大な女性としてのヘレン・ケラーが注目されているだろうというのである。
これは興味深いことに日本の現象とも重なっている。日本でのヘレン・ケラーへの新たな関心の先陣を切ったのは、「100人の20世紀」という朝日新聞の日曜版の連載企画だからである。同企画は99年10月31日に「ヘレン・ケラー 一度だけの恋実らず」を掲載した。ハーマンへのインタビューも行われていて、記事はハーマンの伝記もしっかりと踏まえている。この記事は後に『100人の20世紀(下)』(朝日新聞社、2000年2月)に収録されている。この記事に基づいたテレビ朝日の番組は2000年2月13日に放映された。
また、『奇跡の人』の作者であるウィリアム・ギブソンが82年に創作し、ブロードウェーで上演された "Monday After the Miracle" が98年に米国でテレビドラマ化され、日本では2000年1月3日にNHKで『奇跡の翌日・その後のヘレン・ケラーとアニー・サリバン』というタイトルで初放映され、好評だったため7月20日に再放映されている。
ハーマンによる伝記と『奇跡の翌日』が共に98年に世に出ているため、相互の関係が注目されるが、結論からいうと、相互の影響はない模様である。『奇跡の翌日』の米国初放映は98年11月15日だが、同年1月にはすでに、サリバン役を演じたローマ・ダウニーからAFBへの問い合わせがあった。伝記が出版されたのは98年半ばであり、大部の伝記執筆作業は遅くとも97年初頭には始まっていたに違いないからである。また、内容においても、「恋愛事件」の解釈が両者では異なっているなど相互の影響をうかがわせるものはない。
ヘレン・ケラーの見直しについては、セクシャリティーという視点に加えて、政治という視点が必要である。「障害と政治」に関して、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の場合は、障害が消され、ヘレン・ケラーについては後者(政治)が消されていると、英国の障害学者であるマイケル・オリバーが記している("Understanding Disability", 1996, MacMillan)。ルーズベルト大統領が車イス生活を送っていたことが隠されていたことは『障害学への招待』第1章で触れたが、FDR記念館では現在、車イスを使っている同大統領の像が建設中である。これは米国の障害者運動の成果である。ヘレン・ケラーについてはロシア革命、労働運動支持など社会主義者としての部分が意図的に消されてきたというのである。あなたは自分がよく知っている盲ろうのことや、障害者のことをしていればいいのとヘレン・ケラーはよく言われていたと、ハーマンの伝記は記している。
ヘレン・ケラーへの新たな関心の盛り上がりはさらに続く模様だ。ピーター・フェイガンの娘アン・フェイガン・ジンジャーはフェイガン側から見た「駆け落ち未遂事件」を執筆中と朝日新聞の記事は報じている。出版されれば、現在のヘレン・ケラーを見直す機運にさらに別の視点が加えられるかもしれない。また、ディズニーとABCは新たにテレビ用の『奇跡の人』を製作中である。アン・バンクロスフトとパティ・デュークの名演を越すものは期待できないだろうが、どのような新たな視点が加えられているのか楽しみである。