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「ヘレン・ケラーの再評価――20世紀の終りとセクシャリティー」

長瀬 修 200008 『障害・障害学の散歩道』No.7(2000年8月号)

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last update:20200513


Contents

■ヘレン・ケラーの再評価―20世紀の終りとセクシャリティー

「ヘレン・ケラー=奇跡の人」という構図ができあがったのはいつ頃だったのだろうか。この構図が成立したことで、いつしかケラーは普通の生身の人間、ひいては「普通の障害者」からもかけ離れた聖人、聖女と見なされるようになったと言える。

「奇跡の人」というイメージを決定づけたのは62年のアーサー・ペン監督の映画『奇跡の人』だったにちがいない。ウィリアム・ギブソンの戯曲 "Miracle Worker"に基づいたこの映画を通じてヘレン・ケラーとアニー・サリバンを知っている人が多い。この映画の原題は「奇跡を起こした人」という意味でサリバンを指しているが、「奇跡の人」という邦題をつけたことで、ケラー自身のことを指すという誤解が生じた。

それは「見えない、聴こえない、話せないという三重苦をのりこえた奇跡の人」というイメージに元々ケラーがぴったりだったからにちがいない。その意味で映画の邦題を『奇跡の人』としたのは名訳ともいえる。

この映画で弱視のサリバン役のバンクロフトは62年度アカデミー主演賞、ケラー役のデュークはアカデミー助演賞をそれぞれ獲得している。ヘレン・ケラーはやはり主役ではなかったのである。

私自身もヘレン・ケラーについては漠然と映画『奇跡の人』で見た印象しかなかった。それが新たな関心を持つようになったのは、"Ragged Edge: The Disability Experience in America"という米国で刊行されている雑誌の99年1月・2月号読書欄で、ドロシー・ハーマンという作家による "Helen Keller: A Life"(ヘレン・ケラー:ある生涯)という新しい伝記が出版されたと読んだからである。読書欄には、新たなヘレン・ケラー像が描かれている、「今さらヘレン・ケラーでもあるまい」という気持ちでこの本を見捨てないでほしいとあった。

そのすすめに従ってハーマンによるヘレン・ケラーの新たな伝記を読んでみた。確かに今まで抱いていたイメージとは異なるヘレン・ケラーがそこには見いだされた。英文は必要がない限り読まないし、読む場合でも必要最小限なのだが、この本は珍しく最後まで読み通した(ぜひ、翻訳してほしいもの。いやすでに翻訳作業は始められているかもしれない)。

本全体に関しては、紹介の文章の訳を最後に添付してあるので、参照してほしい。ここでは本の一部だけ少し、内容を紹介したい。1916年に当時36歳のヘレン・ケラーは自分の助手をしていたピーター・フェイガンという青年と恋をして結婚しようとする。しかし、家族の反対にあい、駆け落ちまでしようとするのだが、結局断念してしまう。

その事件から6年後に、ある男性から結婚を申し込まれた42歳のヘレン・ケラーが書いた返事が掲載されている。一部を試訳してみた。以下、少し長いがご覧頂きたい。(メイシー先生とはアニー・サリバンである)。

「身体的障害、抑圧が鎮めることができない原始的本能、心の願い全てが、貴方様の願いに応えたいと弾けんばかりです。若い時から男性の愛情を望んできております。運命はどうしてこれほど奇妙な形で私をもてあそんだのか、どうして自分では満たすことができない身体的能力を持たされ、身が焦がされるのか、思い悩んだ時もありました。しかし、偉大な教師である「時」はその役割を果たしました。不可能なことを求めても仕方ないことが分かりました。女盛りが空しく失われてしまうことを嘆いても仕方ないことも。夫婦生活のない一生を送ることが私の運命であると感じるようになり、この運命を受け入れるようになったのです。
人間とはどういうものかご存知でしょう。普通の心の機微はご承知でしょう。しかし、見えない、聞こえない、きちんと話せないという三重苦の重さをお分かりになってらっしゃるでしょうか。私の本を読まれたに違いありませんが、誤った印象をお持ちになったかもしれません。不平不満を活字にはしないものです。自分の傷をさらけ出して、無遠慮な連中にジロジロ見られるようにはしないものです。素晴らしい思想、笑顔の裏に自分のぶざまさ、無力さをできるだけ隠すものなのです。活字にしたものから私の実生活を知ることはできません。貴方は見ること、聞くことができます。だから、どこに行くのも連れて行ってもらい、単純なことすらも手伝ってもらわねばならない暮らしが大変やっかいなことがお分かりにならないでしょう。お手紙を拝読して、私のおかれた状況、不便さを痛感しました。お分かり頂けないかも知れませんが、貴方の人生と私の人生とのほとんど想像を絶する違いが私には分かるのです。
普通の男性の充実した人生を送っていらっしゃる御様子です。私は内向きに生きて参りました。全ての女には子供っぽいところがあると申します。実際、私には子供っぽいところがたくさんあります。実世界を私は知らないと親友たちは申します。ある意味で、私の人生は非常に孤独なものでした。本が最も親密な仲間ですから。家事についても私は物思いに沈んだ傍観者に過ぎません・・・こういった事情にある私と結婚したいという貴方のお気持ちには驚かされます。私が夫にとってどれほどの逃れようのない重荷になるかを考えただけで、私の心は震えます。
 ・・・時はその役割を果たした、女盛りが空しく失われてしまうことを嘆かなくなったと申し上げました。しかし、強いられた、暗い諦めの心境をほのめかしているのではありません。メイシー先生は、私にとって子供時代から暗闇の中で明かりでいらっしゃいました。そのメイシー先生の賢明で愛情あふれるご指導で、天性の強い性的衝動に私は立ち向かい、このエネルギーを共感、仕事に向けて参りました。神から授かった生殖的衝動を抑え込もうとすることなど夢にも思ったことはありません。私の心のエネルギーを、困難な課題の達成、私よりも恵まれない人たちへの奉仕に、全部注いだのです。その結果として、幸せな人生を送ってきています。そして願わくんば、人の役に立つ人生を」
(Herrmann, D. 1998, "Helen Keller: A Life")

ヘレン・ケラーの自伝は日本でも『わたしの生涯』(岩橋武夫訳、角川文庫)など出されているが、「不平不満を活字にはしないものです」の下りにはギクッとさせられる。そして何より、自らのセクシャリティーを昇華させようとしているという率直で生々しい心情が吐露されているのに心打たれる。

ヘレン・ケラーに結婚生活を送らせなかったものは何か。それは見えなかったことでも、聴こえなかったことでもない。家族をはじめとする周囲の思惑だったのである。ヘレン・ケラーには全く別の人生もありえたことが同書からは読み取れる。

しかし、なぜ死後30年以上経過したこの時期になってヘレン・ケラーへの関心の盛り上がりが見られているのだろうか。

ヘレン・ケラーが主要な活動の拠点としたアメリカ盲人協会(AFB)にはヘレン・ケラーの資料が保管されている。AFBには90年代末からヘレン・ケラーに関する問い合わせが急増したとAFBの情報担当副会長は述べている。20世紀を振り返る時期になり、20世紀の偉大な女性としてのヘレン・ケラーが注目されているだろうというのである。

これは興味深いことに日本の現象とも重なっている。日本でのヘレン・ケラーへの新たな関心の先陣を切ったのは、「100人の20世紀」という朝日新聞の日曜版の連載企画だからである。同企画は99年10月31日に「ヘレン・ケラー 一度だけの恋実らず」を掲載した。ハーマンへのインタビューも行われていて、記事はハーマンの伝記もしっかりと踏まえている。この記事は後に『100人の20世紀(下)』(朝日新聞社、2000年2月)に収録されている。この記事に基づいたテレビ朝日の番組は2000年2月13日に放映された。

また、『奇跡の人』の作者であるウィリアム・ギブソンが82年に創作し、ブロードウェーで上演された "Monday After the Miracle" が98年に米国でテレビドラマ化され、日本では2000年1月3日にNHKで『奇跡の翌日・その後のヘレン・ケラーとアニー・サリバン』というタイトルで初放映され、好評だったため7月20日に再放映されている。

ハーマンによる伝記と『奇跡の翌日』が共に98年に世に出ているため、相互の関係が注目されるが、結論からいうと、相互の影響はない模様である。『奇跡の翌日』の米国初放映は98年11月15日だが、同年1月にはすでに、サリバン役を演じたローマ・ダウニーからAFBへの問い合わせがあった。伝記が出版されたのは98年半ばであり、大部の伝記執筆作業は遅くとも97年初頭には始まっていたに違いないからである。また、内容においても、「恋愛事件」の解釈が両者では異なっているなど相互の影響をうかがわせるものはない。

ヘレン・ケラーの見直しについては、セクシャリティーという視点に加えて、政治という視点が必要である。「障害と政治」に関して、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の場合は、障害が消され、ヘレン・ケラーについては後者(政治)が消されていると、英国の障害学者であるマイケル・オリバーが記している("Understanding Disability", 1996, MacMillan)。ルーズベルト大統領が車イス生活を送っていたことが隠されていたことは『障害学への招待』第1章で触れたが、FDR記念館では現在、車イスを使っている同大統領の像が建設中である。これは米国の障害者運動の成果である。ヘレン・ケラーについてはロシア革命、労働運動支持など社会主義者としての部分が意図的に消されてきたというのである。あなたは自分がよく知っている盲ろうのことや、障害者のことをしていればいいのとヘレン・ケラーはよく言われていたと、ハーマンの伝記は記している。

ヘレン・ケラーへの新たな関心の盛り上がりはさらに続く模様だ。ピーター・フェイガンの娘アン・フェイガン・ジンジャーはフェイガン側から見た「駆け落ち未遂事件」を執筆中と朝日新聞の記事は報じている。出版されれば、現在のヘレン・ケラーを見直す機運にさらに別の視点が加えられるかもしれない。また、ディズニーとABCは新たにテレビ用の『奇跡の人』を製作中である。アン・バンクロスフトとパティ・デュークの名演を越すものは期待できないだろうが、どのような新たな視点が加えられているのか楽しみである。


【注】
*ヘレン・ケラーについては森壮也「手話の言語学に向けて もうひとりのヘレン・ケラー」『現代思想』1995年3月号、が参考になる。


(付記)
 参考までにハーマンの伝記のカバーにある同書の簡潔な内容紹介の試訳を付す。

 「ヘレン・ケラーは耳が聞こえず、目が見えず、そしてはじめは口をきくこともできなかった。1968年に亡くなってから三十年が経ったが、決して屈服しない人間の精神を象徴し、伝説中の人物であり続けている。生きること、学ぶことを必死で求め、たくましさと勇気をもって自らの重い障害を乗り越えたのである。限界と生のはかなさへの恐れに満ちた現代社会の中で、ヘレン・ケラーは永遠の偶像であり、障害は恐れるに価しないと身をもって示した女性である。
 ウィリアム・ギブソンの戯曲『奇跡の人』は幼いヘレン・ケラーのアニー・サリバンとの関係を描き、圧倒的な迫力を持っている。そのため、ヘレンの人生の始めの部分だけを知っている人がほとんどである。しかし、本物のヘレン・ケラーは成長し、その成人してからの生活は感動的な子ども時代よりも、困難だった。複雑な性格で、弱視のアニー・サリバンとの暮らしは波乱に満ちていた。陰謀、破局に終わる結婚、恋愛事件、身体的・知的障害、生活費を稼ぐための絶え間ない苦労があった。
 ドロシー・ハーマンが著したヘレン・ケラーの伝記はヘレンの長く、波乱万丈の生涯を読者にも歩ませてくれる。もし禁欲的でなく、適応能力に富んでいなかったら、もし充分に守られていなかったら、ヘレンを押しつぶしてしまったであろう生涯である。聖女としてほめ讃えられるか、インチキとして批判されるかのどちらかでしかなかった。
 ヘレンに関して議論が絶えないのは、劇的なほど献身的なアニーとの関係だった。ヘレンは多くの場合、アニーを通じて自分を表していた。『アニー・サリバンは本当に「奇跡の人」だったのか。いや、普通の知能を持つ盲ろうの女の子を天才に見せかけることが、自分の成功と富への道だと抜け目なく気づいていた、精神的に問題を持った、支配欲に満ちた女性だったのか。アニーはヘレンの「才能」が顔をのぞかせるための単なる道具だったのか。それとも、アニー自身が非常に優秀で、天賦の才に特に恵まれ、感受性に満ちた存在だったのか』といった疑問にドロシー・ハーマンは本書で考えを巡らす。
 ヘレンの奇妙で、感覚を奪われた世界とはどういったものか(その世界は暗く、シーンとした墓のようだろうか)。ヘレンが自分自身の障害についてどれほど明るい態度だったか、社会的な場面で華があり、他人への愛を示す存在だったかを著者は描く。(七才の時に現れたのは、本来のヘレンだったのだろうか。言葉の力で野蛮人、動物のような生き物から人間になった、アニー・サリバンが造りだした偽の仮面だったのだろうか)
 ロマンチックな関係があったのにもかかわらず、ヘレンはなぜ結婚が許されなかったのかを著者は説明してくれる。外の世界と意志を通わせるためには、指文字を知っている人間に完全に依存せざるを得なかった女性を描き出している。生涯のほとんどで、指文字ができる人たちがヘレンの世界への鍵だった。そして、指文字ができる人には、ヘレンに嫉妬した人もいれば、独善的な人もいたのである。
 読者の心をわしづかみにする本書を通じて、生身のヘレン・ケラーが浮かび上がる。複雑で、謎の多い人だった。美人で、知性にあふれ、ピンと張り詰め、情熱に満ちた女性だった。障害がなければ全く別の人生だったかもしれない。甘やかされ、わがままで、セックスアピールに満ちた南部美人として生きたのかもしれないのである」


「障害者の権利条約」

4月号で取上げた障害者の権利条約関係の新しい動きは以下を参照してほしい。

@アジア・ディスアビリティ・インスティチュートの中西由起子さん
「社会開発サミット特別総会と障害者問題」
http://www.din.or.jp/~yukin/index.html
@全日本ろうあ連盟のサイトに掲載されているディスアビリティトリビューン(Disability Tribune)誌による「国連人権委員会での障害者の権利条約関係の動き」(長瀬修)
http://www.jfd.or.jp/jfddata/data2000/info20000725.html

@2000年7月26日、長瀬修「実現しよう 障害者の権利条約」『朝日新聞』論壇

障害学研究会関西部会第8回研究会のご案内

 と き:9月2日(土) 1:30pm〜5:00pm
 ところ:大阪市立大学文化交流センター 大セミナー室
     (大阪駅前第3ビル 16F)
     *JR大阪駅/阪急・阪神梅田駅/地下鉄梅田・東梅田
      ・西梅田駅下車,御堂筋沿い・梅田新道交差点北西角
[ご注意!]会場は、大阪駅前第3ビル16階です。大阪市立大のキャンパスとはまったく別の場所ですのでお間違えなきよう。
  a.メイン報告
  「知的障害者と社会教育」
  報告者=津田英二(神戸大学発達科学部教員)
   コメンテイター= (依頼中)
  b.資料紹介
報告者= (依頼中)
 参加費:200円
☆手話通訳があります。
☆要約筆記を希望される方は事前にお申し出ください(当日参加できなくなっても結構ですので、お気軽にどうぞ)。お申し出がない場合でも、当日要望があれば参加者で対応いたします。
*手話通訳と要約筆記で対応が異なっていますが、これは、通訳者/筆記者の派遣元の対応のちがいによるところのものです。誠に申しわけございませんがご理解くださいますようお願い申しあげます。
☆点字レジュメ(自動点訳)の用意があります。
*遺憾ながら、報告者からのレジュメ提出が遅れるなどして、点訳が間に合わないことがあるかもしれません。その場合は、Eメールまたはフロッピィ・ディスクで墨字テキスト・データをお渡しするなどの対応を行いたいと思います。
☆視覚障害その他の理由で誘導が必要な方は、事前にお申し出ください。会場最寄り駅からご案内いたします(当日来られなくなってもかまいませんので、お気軽にどうぞ)。
[お問い合わせ] QZI11641@arsvivendi.comnifty.ne.jp (倉本智明)




*作成:安田 智博
UP: 202000512 REV: 20200513
障害学(Disability Studies)  ◇全文掲載  ◇全文掲載・2000
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