注目の好著、『顔面漂流記 アザをもつジャーナリスト』(http://www.kamogawa.co.jp)を昨年、出版されたライターの石井政之さんに7月上旬にお会いした。今年から非常勤で教えている法政大学第2文学部の「ボランティア論」という講義にゲストとしてお呼びしたのである。シラバスに記載した通りで、講義内容は実質的に障害学としている。これまでに車イスの建築家の川内美彦さん、精神障害の広田和子さんをお招きしてきた。
石井さんは生まれつき右顔面に赤あざ(単純性血管腫)がある。昨年、『顔面漂流記』の刊行を受けて、TBS、日本テレビに石井さんは出演されていたので、あざのある顔はテレビでは見ていた。しかし、実際に初めてお会いして、自分が石井さんのあざに驚いているのが分かった。考えてみると、あざのある人としっかりと会うのは初めてだった。
石井さんたちは「ユニークフェイス」(http://www.geocities.co.jp/Colosseum-Athene/3085)*という名称の、顔にあざや傷がある人のグループを昨年から始めている。本の出版以来、ほとんど毎日のように、顔の悩みをもつ人からの連絡があるという。顔にあざがあり、2年間も引きこもっていという女性もいる。私たちの文化の中で、顔をはじめとして「美しいこと」を特に期待されている女性の方が、異形のダメージを強く受けているようだ。日常的な好奇の視線、侮辱、無遠慮な質問、孤独そして就職、結婚での差別といった異形の人の状況を変えるために「当事者」グループを結成したのだ。
「健常者でもなく障害者でもない周辺的な存在」だと、石井さんは語る。機能面での障害がないため、障害者年金、雇用率の対象にもならない。しかし、現実には就職にしても、面接で差別的な扱いを受けてしまう。明らかに容貌を理由として採用されない。
特に就職面での差別がひどいため、一部の会員からは「容貌差別禁止法」を求める声があるという。そこで、思い起こしたのが、米国で90年に成立した米国障害者法(Americans with Disabilities Act: ADA)である。ADAは障害者差別を禁止する法律で、その対象となるのは、第3条の定義で、(a)個人の主たる生活活動の一つ以上を著しく制限する身体的・精神的・知的損傷(インペアメント)があること、(b)そのようなインペアメントを過去にもっていたこと、(c)そのようなインペアメントをもっていると見なされること、とされている。
(c)の「見なし規定」に注目してほしい。実際にインペアメントの有無を問わないのである。「周囲からそう見なされて不利益をこうむった場合」には、障害者差別に対する保護が受けられるのである。
これは「障害」を個人の身体的・精神的・知的問題から<社会、環境の問題>として革命的に転換させた社会モデルの視点である。
この見なし規定は、米国ではADAに先行する73年のリハビリテーション法に盛り込まれているし、ADAの影響を受けた92年のオーストラリアの障害差別法においても、障害が(1)現存する、(2)過去に存在したが、現在は存在していない、(3)未来において存在するかもしれない、(4)その人がもっていると見なされている、それぞれの場合に、障害差別保護規定が適用される。
95年に成立した英国の障害差別法(Disability Discrimination Act: DDA)**成立過程では、実効性ある障害禁止差別法を求める障害者運動側と当時の保守党政権で激しい対立が起こった。その一つの争点がこの「見なし規定」にあった。
「障害」は個人の属性の問題なのではなく、社会、環境がもたらしている抑圧、制約こそが問題であるという「社会モデル」の主張からは、「見なし規定」は非常に重要な意味をもっているからである。運動側の主張は入れられず、結局、見なし規定は結局盛り込まれずに法律は成立した。
しかし、社会モデル的視点からの運動は、"disfigurement" すなわち「形が変わっていること」をもインペアメントとして盛り込むことに成功した。付則1(第1条第1項)の第3項である。これは全体としては、社会モデル的性格が弱いDDAの中で、運動側からも評価されている。あざなど「形が変わっていること」自体は、本来、インペアメントではない。しかし、周囲の人間からの反応によって本人が明らかに不利益をこうむっているからである。
このように考えると、日本で障害者差別禁止法を考える際には、是非、このような「見なし規定」を盛り込む必要がある。つまり、障害差別に関しては、異形の人も保護対象となるような法律にしなければならない。
「少数派以前の孤立者」という表現がまさに当てはまる現状がある。ユニークフェイスというセルフヘルプグループの活動が、孤立している異形の人の結集、そして異形の人への偏見、差別に満ちた私たちの社会を変えるために成長していくことを願う。
そして、私自身の異形の人への視線、態度がどのようなものか、もう一度、考え直してみたい。
==================障害学研究会関東部会 第9回研究会