3月11日(土)午後に開催された日英シンポジウム「障害のある人の社会参加」について触れたい。ブリテッィシュ・カウンシル(BC:http://www.uknow.or.jp)と日本障害者協議会(JD:http://www.jdnet.gr.jp/)の主催で行われたものだ。私はJDの国際委員を昨年秋から務めているが、その時点では既に企画が固まっていた。
主催者の一人としては自画自賛になってしまうが、正直、非常に興味深い企画だった。 英国側3人の講演者は全員が養護学校卒業だが、この3人の人選、コンビネーションがとてもよかった。昨年夏に人選を行ったBCのモリス・ジェンキンズ社会科学部門代表の炯眼に感謝したい。同氏は本年3月で定年退職された。
以下、英国の講演者3名を簡単に紹介する。リチャード・ウッド氏は英国障害者協議会(BCODP)の総局長という肩書きで、以前は自立生活センターの所長を務めた経験がある。BCODPは障害者インターナショナル(DPI)の英国の加盟組織であり、81年に結成され、英国の障害者運動を代表する存在である。
デヴィッド・ルーベーン氏は障害者の権利を推進するために活動している弁護士である。英国の障害学研究誌 "Disability & Society"の編集委員にも名を連ねている。
シャーン・ベイシー氏は以前、BBCの障害番組ユニット・プロデューサーを務め、現在はフリーランスでプロデューサー、ライターとして活動している。
このシンポジウムの記録、報告書はJD(メール office@jdnet.gr.jp)から今夏にも刊行が予定されているし、JD刊行の月刊『JDジャーナル』4月号にも一部は紹介される予定なので、詳細はそちらをご覧頂きたい。
ここでは印象に残った英国の講演者の発言を中心に紹介したい。まず、英国では1995年のDDAと呼ばれる障害差別禁止法の導入にともなって、雇用率が廃止されたが、それは雇用率が日本とは異なり、実質的に機能していなかったこと、罰金(納付金)の支払いもほとんどなかったという背景があったという。日本側の参加者からは、DDAと雇用率の廃止に関心が集まったが、雇用率の強化を求めこそすれ、廃止など考えられない日本の運動、日本の現状との対比が明らかになった。
また英国や米国での障害分野での造詣が深いベイシー氏が、日本のマスコミが障害者問題を非常に積極的に取り上げることに驚いていた。これは日頃から私も感じている。日本のマスコミが障害者に対して示す関心の度合いは、例えば欧米のメディアと比べても非常に高い。日本の問題は、量ではなく、質すなわち取り上げ方である。
シンポジウムの最後にベイシー氏が述べた、権利を中心とするアプローチに対する疑問符を紹介する。「私たち英国にいる者は、アメリカそしてADAを目標としてきました。いつも法律が目標でした。その獲得のために多くのエネルギーを注ぎました。しかし、その結果はアメリカでもイギリスでも失望させられるものでした。日本の皆様には、本当に、この目的にどれだけエネルギーを注ぐべきなのか、慎重に検討して頂きたいものです。法律の他にも、もっと直接的な方法があります。例えば、社会サービスの充実やニーズへの効果的な対処です。一つの総合的な法律で全てを解決することはできません。少なくとも英国では、解決していないのです。私たちは多くの時間を費やしましたが、得たのは空虚な勝利だったのです」。
米国でも英国でも、ともすれば自国の権利中心の取り組みが優れているという前提で話す人が多い。実際にそうなのだろう。しかし、例えば米国の障害文化研究所のスティーブン・ブラウン氏など少数の人からは自国の運動の主流とは別の考え方が示されてきた。ベイシー氏も、ある意味で英国の運動の中心と距離があるからこその発言かと受けとめられた。
日本でも米国のADAの直後には「JDAを」などという不適切な言い方があった。なぜ、わざわざ"Japanese with Disabilities Act"すなわち「日本人障害者法」という在日韓国・朝鮮人などを排除する表現を使うのか怒りを覚えたものだ。
そうした表現を使わずとも、差別禁止法、権利法への指向は現在も続いているし、必要だと思わせる現状がまさにある。前々回で取り上げた国際的な差別禁止、障害差別撤廃の取り組みも同じである。
しかし、ベイシー氏がADAそしてDDAを「空虚な勝利」と言わざるを得ないのは何故か。これからの日本そして世界の取り組みへの教訓や示唆がそこにこめられているかも知れない。