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横浜市立大学国際総合科学部国際総合科学科政策経営コース卒業論文


飢餓人口削減に向けた活動における組織の連携のあり方
―ケニアの事例を横浜国際フェスタの事例から考える―


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last update: 20170824


田坂 歩

※ MSワードのファイルはこちらからダウンロードできます。ワード・ファイル「飢餓人口削減に向けた活動における組織の連携のあり方」

目次

序論 テーマ設定にあたり

本論

1章 横浜国際フェスタにおける組織連携
1. 横浜国際フェスタ概要
2. 沿革
3. 連携の概観
4. 各組織の目的とその評価
(1)主催組織
(2)出展団体
(3)企画協力団体
5. 連携の分析、その課題、あり方

2章 ケニアの事例
1. ケニア概要
(1)社会全般
(2)経済
(3)ケニアの経済、農業に関する背景―部族と土地と政治―
2. 農業生産に関わる問題
3. ケニア農業と政策の関係性
4. 農村開発に関わる活動を行う組織

3章 2つの事例を結びつける
1. 農村開発に向けた連携のあり方
2. 連携に向けた世界の動き

結論

参考資料・文献、情報提供元一覧

序論 テーマ設定にあたり

FAOによると、2010年10月現在、世界の飢餓人口は約9億2500万人である。これは、世界人口の約14.5%に当たり、約7人に1人が慢性的な飢餓状態にあるということになる。飢餓人口は2009年にピークに達し、10億2000万人を記録した。これは2007年、2008年に発生した食料価格の高騰が1つの大きな要因であると考えられる。2010年に入り、飢餓人口の推移はピークを過ぎたと言うことができるが、それでもなお高水準での推移が続いており、2000年に採択され、2015年達成期限としたミレニアム開発目標(1)で第一に掲げられた、「2015年までの飢餓人口半減」(2)は、達成を悲観視されている。私はそうした現実がいち早く改善されるべきと考え、本稿では、飢餓人口削減のための方法を考えることを最終的な目標とする。

飢餓人口が集中している地域はアジア、アフリカであり、世界の栄養不足人口の3分の2はバングラデシュ、中国、コンゴ、エチオピア、インド、インドネシア、パキスタンの7カ国に集中しているという。また、もっとも栄養不足人口が多いのはアジア・太平洋地域で5億7800万人である。割合ではアフリカのサブ=サハラ地域が最も多く人口の30%に達し、2億3900万人としている。

その地域により政治、経済状況や地理的な条件や気候などの背景が異なることから、飢餓の程度やその要因は異なる。そこで本稿では、対象を最も飢餓が深刻であるサブ=サハラ地域に位置するケニアに絞り、ケニアの飢餓人口を削減するための方法を探ることにする。 ケニアはサブ=サハラ地域に位置する国で、首都はナイロビである。ナイロビはアフリカ有数の都市であり、人、モノの流れの中心地となっている。東アフリカ、あるいは広くサハラ以南のアフリカ(サブサハラ)の中心的都市として、多くの国際機関が本部あるいはアフリカの代表部などを置く。2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、ビジネス活動、人的資源、情報量、文化、政治の5項目から評価された結果、世界第56位のグローバル都市に選ばれており、サブサハラではヨハネスブルグに次ぐ第2位である。そのような評価を得ているナイロビであるが、その大都市にはキベラという世界最大級のスラムが存在し、約60〜120万人が生活している。また、2007年現在、飢餓人口比率は30%前後を推移しており、サブ=サハラアフリカの平均値と同レベル、あるいは上回っているという事実がある。このギャップはどこに原因があるのか疑問を持ち、本稿ではケニアを事例に取り上げることとした。

私は大学4年間において、インターンシップやボランティア等での活動を通じて、国連や各国政府、企業、NGO等様々な組織が途上国の経済発展や、持続可能な開発を目指し活動を行っていることを度々実感した。様々な組織が類似した目的や問題意識を持って活動をしているのであれば、そうした組織が連携することで、互いの活動の長所を高めあったり、欠点を補填しあったりすることでよりよい成果を得ることができるのではないだろうか。飢餓人口削減に向けた活動も同様に、様々な組織が連携することでより効果を発揮できるのではないだろうか。逆に、連携することで互いの長所を打ち消しあう結果になるかもしれない。そのような結果にならないためにはどのような連携をすべきなのか。そう考えたことが、「組織の連携のあり方」を考えることを本稿のテーマとした理由である。

毎年秋に、国際協力・国際交流・在住外国人支援・環境保全に関する活動を行っているNGO・NPO、国際機関、行政機関、学校、企業等が一同に会し、それぞれの活動を広く市民に紹介するとともに、出展団体同士が連携・ネットワークを図ることを目的に「横浜国際フェスタ」というイベントが開催されている。私はそのイベントの運営にボランティアスタッフとして5年間携わってきた。このイベントでは出展団体同士の連携・ネットワークを図ることを目的にしているほか、イベントの運営自体において、NGO、行政が連携を取っている。

ケニアの事例のみを本稿のテーマに考えていたが、もっと自分の身近なところに"連携"の事例が存在することに気づいた。それが横浜国際フェスタの事例だった。そこで、横浜国際フェスタの事例を本稿に取り入れ分析することで、1つのプロジェクトを策定、実行していく際に複数の組織がどのように連携しているのか、連携すべきなのかを考察こととする。そして、ケニアの飢餓人口削減に向けた活動をマクロでの動きとして捉えることで単純化し、横浜国際フェスタの事例を投影してそのあり方を考える。それぞれの事例において、どのような組織がどのような目的を持ってプロジェクトに関わっているのかを明らかにする。

第1章では横浜国際フェスタについて、概要、沿革を網羅し、運営の状態や変化について把握する。NGO、国際機関、行政機関、企業等がどのような活動の目的を持っているか、このフェスタについてどのような評価をしているのかを把握し、どのようにしてフェスタを作り上げているのかを明らかにする。そして、連携のあり方について考えることとする。

第2章では、ケニアの飢餓人口削減に向けた活動を事例とする。まずケニアの概要、経済状況、農業生産に関わる現状、歴史的な背景など、現在のケニアの食糧事情にまつわる情報を把握する。そしてそのような状況の中でどのような組織がどのような活動をしているのかを把握し、それらの活動にどのような長所、短所があるのかを示す。

第3章では、今までの横浜国際フェスタとケニアの事例を比較し、ケニアの飢餓人口削減のためにどのような活動を行なっていくべきかを考察する。それぞれの組織が連携をとるべきなのか、とるべきであるとするならばどのようにとっていくべきなのか、考察を行い、最終的に提案を行うことを本稿の最終目標とする。

本論

1章 横浜国際フェスタにおける組織連携

1.横浜国際フェスタ概要

横浜国際フェスタは、横浜および周辺地域に活動拠点を置いている、国際協力、国際交流、在住外国人支援に取り組むNGO/NPO、行政機関、国際機関、学校、企業等の活動を市民に紹介することと、出展団体同士が連携・ネットワークを図ることを大きな目的として、年に1回、2日間開催されているイベントである。名称には変化があるが、その母体である「横浜国際協力NGO祭」が1997年に開催されてから14回開催されている。沿革については次項目で詳しく見ていくこととする。主催組織や規模についても、その開催年によって変化がある。

イベント企画の中心は横浜市内及びその周辺地域に活動拠点を置いているNGO/NPO、行政機関、国際機関、学校、企業の出展ブースであり、各団体が来場者に対し活動を直接PRする場である。その他、セミナーやワークショップの開催や、民族楽器の演奏・民族舞踊が披露されるステージ企画、フェアトレード商品や世界の料理の販売など、老若男女、幅広い関心に対応できるような様々な企画が行われ、来場者の国際協力や国際交流への関心を深めることを目指している。

2.沿革

1997年に「横浜国際協力NGO祭」が開催されてから今年までの間に、毎年、計14回イベント開催されている。その名称は主催組織、開催場所が変化すると共に変化しているものの、その母体は同じものとして変化を続けている。このイベントは大きく分けて4つの時期に分けられる。

第一期は、1997年に「横浜国際協力NGO祭」として、このイベントの母体ができた時期である。イベント開催は、横浜市国際交流協会(YOKE)(3)の活動の一環として、「NGOネットワーク事業」という事業が打ち上げられ、地域(横浜市内)の国際協力団体のネットワーク化を図ることで、それらの団体の育成が図られたことがきっかけで始まった。そうした事業の一環として開催されたのが、「横浜国際協力NGO祭」である。そのため、横浜市国際交流協会(以下YOKE)単独での主催となっており、規模も小さいものであった。また、その年は、アジア太平洋地域の都市・NGOが協力して活気あふれる都市環境づくりを推進することを目指しているアジア太平洋都市間協力ネットワーク(CITYNET)の総会が開催されることもあり、イベント開催への動きがより高まった。横浜国際協力NGO祭の他にも、CITYNET総会に関連したシンポジウム等イベントが開催され、横浜の国際協力系NGOが本格的に前面で活動をし始めた年であるということができる。

イベントの継続開催にあたり、1998年に「横浜国際協力まつり」と名称が変わり、主催組織の形態が変化したのが第二期であり、2004年まで続く。イベント会場もクイーンズスクエアから、当時YOKEが事務所を構えていた産業貿易ホールへと移し、イベント自体の規模も2001年には来場者が1万人を超えるなど、拡大をしていった時期である。

第三期は、「横浜国際フェスタ」とし、会場をパシフィコ横浜に移し、規模が著しく拡大した時期である。主催組織の規模も拡大し、イベントを運営する組織の複雑化が見られる時期である。また、他イベントとの併催により、併催イベントとの連携も見られる時期である。2002年から2009年にかけての時期である。 第四期は、「よこはま国際フェスタ」とし、2010年に始まった。イベントの規模自体は大きく変わらないものの、主催組織は1つのイベントを越えた枠組みとして再編成され、より継続的な活動を担うようになった。会場を象の鼻パークへと移し、1つの独立したイベントとして体制が整ってくる時期の幕開けと捉えることができる。また、第三期では併催という形で他イベントとの連携が見られたが、今期は単独での開催となった。来場者は5万4000人で、単独での開催では今までで最も多い来場者数を記録した。

イベント沿革

年号

名称

主催

事務局

来場者数

団体数

ボランティア

会場

1997

横浜国際協力NGO祭

YOKE

YOKE

 

37団体

YOKE

クイーンズ

スクエア

1998

横浜国際協力

まつり

YOKE

まつり実行委員会

YOKE

 

 

YOKE

産業貿易

ホール

1999

YOKE

 

 

YOKE

2000

YOKE

10,000人超

 

YOKE

2001

YOKE

11,000人

 

YOKE

2002

YOKE

 

112団体

YOKE

2003

YOKE

 

 

YOKE

2004

YOKE

 

 

YOKE

2005

横浜国際

フェスタ

フェスタ

組織委員会

YOKE

25,000人

238団体

フェスタネット

パシフィコ

横浜

2006

全体:YOKE

NGO:YNN

65,000人

254団体

フェスタネット

2007

全体:YOKE

NGO:YNN

73,000人

260団体

YNN

2008

全体:YOKE

NGO:YNN

63,000人

267団体

YNN

2009

全体:YOKE

NGO:YNN

66,000人

279団体

e-vo

2010

よこはま国際

フェスタ

Yokohama C Plat

運営委員会

YNN

54,000人

106団体

e-vo

象の鼻

パーク

横浜NGO連絡会提供の情報より作成

3.連携の概観

それぞれの4つ時期にどのような連携の中でイベントが開催されていたのか、主催組織の体制の変化などを中心に見ていくこととする。

第一期である「横浜国際協力NGO祭」は、当時横浜市行政の中で国際協力団体のネットワーク化を図ろうという動きが起こったことから開催された。その国際協力団体のネットワーク化推進の役割を担っていたのがYOKEであり、その関係からYOKEが主催という形での開催であった。YOKE単独での主催は1997年のみである。そこに、市内で活動しているNGOが出展するという形でイベントに関わっていた。NGOがこの規模で一同に会するのは横浜市内では初めての出来事であった。また、市民がボランティアとしてイベント開催に携わった。市民ボランティアの受け入れは現在まで継続していることであり、その管理は時期ごとに変化した。第一期では、NGO/NPOの活動を促進しようとする動きが行政の中であり、その動きに対してNGO/NPOが少しずつ活動の幅を広げていった。行政が国際協力団体の活動を評価し始めた時期であるというところが、この時期の注目すべき点である。

「横浜国際協力NGO祭」におけるアクター相互の関係

第二期である、「よこはま国際協力まつり」は、YOKEでの単独開催ではなく、「まつり実行委員会」という形で実行委員会が組織され、実行委員会とYOKEの共催として開催された。委員会は前年にイベントに関わったNGOなどのスタッフが団体から派遣される形で構成された。このイベントの特徴は、YOKEとNGOスタッフの共催という形をとっていたが、実質的な実行力はYOKEにあるという点であった。例えば、全体の事務局はYOKEが全て担っており、市民ボランティアスタッフの受け入れ、管理もYOKEが担っていた。それは、前年のYOKE単独開催と比較し、主催組織の中にNGOのメンバーが加わったのは大きな変化ではあったが、当時のNGOには現在に比べ社会に対する影響力がまだまだ弱く、行政の力がイベント開催に大きな力を持っていたということである。この「まつり実行委員会」による開催が2004年まで続くが、その間も実行委員会の体制は変化を続けた。

その中での大きな変化として、2001年に、非営利法人である(特活)横浜NGO連絡会(YNN)が結成された点である。横浜NGO連絡会(以下YNN)の活動目的は、これまでのイベントなどを通して交流のあった横浜や神奈川県内の国際協力・国際交流・在住外国人支援に関する活動を行なっているNGOのネットワーク化を推進、その調整を行うことである。YNNはその後、現在に至るまでこのイベント運営の中心で活動をしている。また、イベントの運営だけでなく、NGOを立ち上げたい人、スタッフとしてNGOに所属したい人、NGOの活動に関する相談や、フォーラムなどの開催によりNGO/NPOの情報交換の場の提供などを行うことで、NGO/NPO活動の促進や、ネットワーク化の促進に寄与している。

もう1つの大きな変化として、2003年から実行委員会の中に、前年までイベントに参加していた市民ボランティアが加わるようになった。これにより、YOKEをはじめとする行政、YNNなどのNGO、加えて市民ボランティアの連携がイベントの開催を支える体制が構築された。「横浜国際協力まつり」期は、「横浜国際協力NGO祭」期のYOKEの単独での開催から、NGOスタッフや市民ボランティアが運営に加わり、さらにその連携の中でNGOのネットワーク化を目指した横浜NGO連絡会(以下YNN)が誕生するなど、組織の複雑化が進んだ期間であると位置づけることができる。ここで特筆すべき点は、YNNの誕生により、国際協力団体のネットワーク化の推進を、そのきっかけを作った行政が担い続けるのではなく、NGOが自らその役割を果たすようになったということである。このことは、NGO活動が行政からの自立を始め、社会の中での活動を自分達の手で切り開けるようになってきたことを意味する。また、行政とNGOの活動の中に市民が主体的な参加をするようになったことも大きな変化である。

「よこはま国際協力まつり」におけるアクター相互の関係

2005年になってからの5年間は、「横浜国際フェスタ」と名を改め、主催も「横浜国際フェスタ組織委員会」となり体制が変化した。「まつり実行委員会」はYOKEと各NGOのスタッフ、市民ボランティアと個人単位での所属となっていたが、組織委員会へと変化した後は、フェスタ開催に関わる組織が委員会への所属をするようになり、委員会自体の規模も拡大した。ここでの注目すべき点は、今までの市の行政とNGO、市民との連携に、JICA横浜をはじめとする国の行政、民間企業であるパシフィコ横浜が加わり、さらにその連携が複雑化したことである。また、これまでYOKEがイベント開催に当たり事務局を担ってきたが、2006年より、NGO/NPO担当の事務局をYNNが担うようになったのも大きな変化の1つである。もう1点、市民ボランティアの管理にもこの時期に変化が見られる。1997年から続けてきた市民ボランティアスタッフの受け入れはYOKEが管理してきたが、この年に「フェスタネット」という名称で、イベントのためのボランティア組織が誕生し、実行委員会にも所属した。フェスタネットはNGOメンバーと市民ボランティアで構成されており、今までYOKEが担っていた、市民ボランティアスタッフの受け入れや管理を引き継ぎ、他にもイベント内での企画提案やその運営を担った。しかしその後フェスタネットは活動を縮小させ、2007年には事実上の解散、2008年には実行委員会から脱退をした。その後、市民ボランティアスタッフの受け入れ、管理などは一手にYNNが引き継いだ。そして、2009年に、「横浜国際フェスタ(2005年〜2009年における名称)」のイベントを中心に活動を行なうボランティアの組織、「e-vo」が誕生した。フェスタネットとe-voの誕生は、新たな組織としてボランティア受け入れの枠組みができたことで、ボランティアの活動がよりイベント内で独立したものとなり、その活動はイベント開催の手伝いといったものではなく、イベント開催に積極的に関わっていくような体制へと変化をしていった。

「横浜国際フェスタ」におけるアクター相互の関係

「よこはま国際フェスタ2010」の開催により幕を開けた第四期では、主催組織が「よこはま国際協力・国際交流プラットフォーム(Yokohama C plat)運営委員会(以下Cプラット)」となり、再び変化が見られる。横浜国際フェスタ組織委員会とCプラットの大きな違いは、組織委員会は年に2日行われるイベントの運営のために活動を行なってきたが、Cプラットは、イベントの運営を活動の中心とはするものの、セミナー企画をイベントから切り離して別の機会に開催することや、国際協力・国際交流系団体のポータルサイトの運営、市民ボランティアの活動促進のためのセミナーの実施など、活動の幅を広げ、年間を通じた継続的な活動を行なうようになったところにある。また、今までYOKEがその役割を担ってきた事務局を、YNNが担うようになったことも大きく変化した点として挙げることができる。継続的な活動を行なうことで組織としての安定性が増すと共に、YNNが事務局を担うようになることにより、行政による開催から、NGOによるイベント運営へと変化してきたのが今年からの特徴である。また、今まで予算は市から大部分が捻出されていたが、今年からはイベント開催のために組織が市から独立した形で助成金の交付を受け、開催に踏み切ったことである。名実共に行政からの独立を進めたということができる。もう1つの変化は、前述の通り、第三期は併催という形で他イベントとの連携がみられたが、今年はそういった連携ではなく、イベント内の企画の中で、地元の企業や市民活動団体との連携が見られた。

「よこはま国際フェスタ2010」におけるアクター相互の関係

ここまでのところで、各時期においてどのような連携の変化が見られたかということに着目したが、ここでわかることは、年を重ねるに連れ、1つのイベントを母体に組織間の関係性が変わるということ、また、NGOが行政から独立をし、自分達の活動の幅を広げているという事例として取り上げることができる。

4.各組織の目的とその評価

イベント開催に携わっている諸団体のイベント開催、参加の目的やその評価を把握し、連携関係がそれぞれの団体の間でどのように成り立っているのかの考察を行う。

(1)主催組織

主催組織の目的はイベントの開催に限るが、そのイベント開催の目的にも変化がある。

上記の通り、当初は横浜市が市内で活動を行なっている国際協力団体のネットワーク化を図ることが目的でこのイベントが企画された。ネットワークが進むことで、団体間での情報交換や協力関係の強化が進み、互いの団体の育成に結びつき、そうした団体の活動が活発化されることでより世界に開かれたまちづくりへとつながっていくと考えられたからである。その目的はイベントの中である程度の団体通しのつながりができていく中で変化した。YNNが作られたのがその証であると考えている。今までネットワーク化の推進を図るものであったが、現在ではさらにそのネットワークがよりよく機能することがYNNの活動目的の重要な部分を占めるようになったからである。

イベント自体の現在の目的は、横浜および周辺地域に活動拠点を置いている、国際協力、国際交流、在住外国人支援に取り組むNGO/NPO、行政機関、国際機関、学校、企業等の活動を市民に紹介することである。NGOなどの国際協力を行う側の体制を整えるという目的から、そういった団体が一般の市民に投げかけるような目的へと進化をしている。これは、国際協力を行う側の体制がある程度整ってきて、次の段階へと進んだことを意味する。今まで内部でのやりとりに重点が置かれていたものが、外部への発信へと変化したことで、イベント開催の意義が、社会の中でより大きなものへと進化したということができる。また、主催組織を構成しているそれぞれの団体の存在や活動をより多くの市民に知ってもらうことで、市民の国際協力・国際交流への興味を引き出させるとともに、問題提起を行うことで、より国際的な活動が活発化することも大きな目的の1つとしている。

主催組織はイベント開催の評価をいくつかの方法で行っている。1つは、アンケート調査である。来場者に対するアンケートで、イベントの企画自体の直接的な評価を得る。また、出展団体、市民ボランティアへのアンケートを実施することで、イベント運営に関する評価を得る。もう1つ、来場者数のカウントを行い、どれだけ多くの市民に国際協力についての活動を広められているかということの指標としている。また、収支を見て経済的な面での評価を行っている。重要視しているのは来場者へのアンケートと出展団体へのアンケートであり、イベント開催へのニーズをここから把握し、次回への課題として毎年イベントを進化させてきた。

(2)出展団体

いくつかの出展団体へのヒアリングを行い、イベント参加が活動にどう影響をしているのかの把握をする。

以上のことから、出展団体には大きく2つの目的があり、このイベントへ出展している。その1つ目が活動資金や会員を得ることである。各団体の活動に直接結びつく点であり、売り上げとして成果が目に見える形で現れる。出展料を支払ってイベントに出展をしているため、現地での活動を支えるためには、その出展料以上の売り上げが必要になる。そのためには、各団体がそれぞれで販売活動を促進させる必要がある。2つ目は、活動地の現状などの情報提供や、団体の活動PRを行なうことである。興味を引き出し、直接活動に加わるメンバーの確保も大きな目的の1つであるが、同時に、市民の問題意識の向上を目的とし、そこから世界中に存在する課題や問題を改善の方向へと導くことも目的の1つである。イベントの主催組織にとって、出展団体の活動促進がイベント開催の大きな目的であり、多くの団体が出展することで様々な国や分野に関する情報が集まり、イベントの魅力が増すため、団体が出展し、活動をより多くの市民にPRできる場を作ることが重要である。そこで、出展団体の活動にイベント出展が負担になるようなことがないように、それぞれの活動が十分に行なえるように売り上げが出るような工夫が必要になってくる。

「よこはま国際フェスタ2010」出展者と主催団体

(3)企画協力団体(2010年)

前述の通り、よこはま国際フェスタ2010では行政、企業など様々な組織が出展とは違う部分での企画に対し協力を行い、イベントを形成していた。それらの団体とイベントの関係性を把握し、イベントと外部との連携についての考察を行う。

以上の点から、主に地元企業が企画への協力を行い、イベントとの連携をとっていることがわかる。その協力には、イベント成功を願うものと、それぞれの組織にとってなんらかの意図やプラスに転じる要素があり、連携関係が成り立っていることが分かる。今後も継続的に連携を続けていくのであれば、その都度ある程度の成果を出し、相互にプラスとなるような側面を持ち続ける必要がある。

「よこはま国際フェスタ2010」企画協力団体と主催団体

ここまで様々な団体がイベントに対しどのようなニーズを持っているのかを見てきたが、ここで共通していえることは、イベントを成立させている各団体の間の関係は、一方的な協力関係というより、双方にとってなんらかのプラス要素があり、その実現がイベントでなされているということである。

「よこはま国際フェスタ2010」に関わる団体相互の関係

それぞれのイベント内での関係性をまとめると上のような図になる。新たにスポンサー、一般来場者の存在を加えた。2010年の開催では今までの市の予算での開催から、外部機関の助成金からの調達へと変化した。来年度からの助成金の交付を受けるには、イベントとしての一定の成果を挙げ、助成金を受けるだけの価値があることを示す必要がある。また、このイベントの最も大きな目的は市民による国際協力活動の促進である。彼らに、国際協力や国際交流に関する情報や、外国製品や料理、ステージなどによる文化交流の場を提供することで、より多くの市民が国際協力への興味や理解を深め、そういった活動に携わるようになることを目指している。よって、この連携の中の諸組織にとって一番重要な存在なのは来場者である一般市民なのである。一般市民は、このイベントに参加し、興味を持ったり、何らかの活動に携わるようになることでこの連携の中での役割を果たすことになる。

5.連携の分析、そのあり方、課題

前項目で、それぞれの組織がどのような目的でどのような形でイベントに関わってきているのかということを把握してきた。そこでわかったことは、イベント内でのそれぞれの組織の目的や活動は、行政、NGO、国際機関、企業といった組織の法人格や性質の違いではなく、主催なのか、出展している団体なのか、企画協力なのかといったイベント内での立場の違いによって異なってくるということである。主催組織、出展団体にはそれぞれNGOや行政の組織が存在しているが、イベントに対する目的は異なったものであり、イベントに対する評価方法やその内容も異なる。そして、主催、出展、企画協力の順でイベントに対して外部の存在となり、その連携はより成果を求められる関係になっていくということも見て取れる。それぞれの組織はなにかの目的があってイベントに関わってきていて、そのそれぞれの目的がなんらかの形で達成されるからこそ継続的な連携が成り立ってきているのである。主催組織の存在はもちろんのこと、出展団体や協力団体の存在やそれぞれの連携があるからこそ、このイベントは14年に渡り開催され、評価を得ている。

個々の目的は異なるが、共通して1つの目標があるから連携が成り立っていると捉えることもできる。このイベントの場合は、横浜市から国際協力を推進していく、互いの活動を活発化させることで世界中の人々が満足に生活していけるような世界を作っていくという、最終的な、共通の目標がある。だからこそこのイベントの枠組みに参加しようというインセンティブが生まれるし、ある程度自分達の目的が完全に達成されなくとも継続した参加が見られるのである。また、イベントを開催する以上は、より多くの市民に国際協力や国際交流についての理解を深めてもらいたい、興味を持ってもらい、あわよくば自分達の活動に参加してもらいたい、結局はそれが世界につながっていくという思いもある。共通した、イベント開催の目的、イベント参加への目的の二重の目的が存在する。そしてそれぞれの目的にはなんらかのつながりや相関関係が存在し、イベント開催の意義を高める。

「よこはま国際フェスタ2010」に関わる団体相互の関係

ここからわかる、このケースでの連携にとって重要なことは、まずは共通した、最終的な目標を連携の中の各主体が認識し、それに共感することが必要である。自分達はこの目的のために一緒に活動をしている、活動したいと思っていると認識をすることで、自分達の活動の意義を自覚し、互いに協力関係を築こうというインセンティブが生まれる。もう1つ重要なことは、共通したものだけではなく、それぞれの個々が持っている目的をそれぞれが認識し、それぞれの目的にとってよい成果が現れるような状況を可能な限り目指すことである。いくら共通の目標を持っていても、自分達の目標達成は困難、あるいはむしろ達成に対しマイナスであるなら、その連携の枠組みの中には参加することができない。また、参加していたとしてもうまく協力関係を築くことはできない。

この2点を実現し、連携をうまく構築していくためには、中心となる組織が枠組みの中のすみずみに情報提供を行い、また、情報交換の場を提供し、それぞれの団体に対する調整を行うことで連携が円滑に進むよう各組織の間のつなぎ役を担う必要がある。このイベントの場合には、その役割を果たしているのが主催組織であり、現在のCプラットである。各団体の出展の目的を把握し、その目的達成のためにイベント運営や企画を工夫し、団体が出展することに魅力を感じるイベント作りを目指すことが重要である。それがイベント開催の意義につながると同時に、出展団体の確保が最終的にはイベントの存続に大きく貢献することになるからだ。

その役割を担うには、連携に参加している団体のイベント参加への目的や、その思い、イベントに対する評価を把握する必要がある。現在、このイベントを運営する上で、それらの情報を把握するために最も重要視されているのが、イベント開催後に行われる、参加団体対象のアンケート調査である。イベント開催自体に関する評価、企画に対する評価、イベント運営に対する評価、参加による成果などをアンケートにより把握している。その結果を集計、分析を行い次年度以降のイベント開催に活かすかたちで、参加団体のニーズを把握、イベントを継続していく中でそれに応えている。また、イベント開催前やイベントとイベントの間の時期に、参加団体への説明会や意見交換会を開催している。直接参加団体のメンバーとのやりとりを行うことで、アンケートのように設問に縛られないより率直な意見を引き出すことができる。それら内容を主催組織の中で共有、議論を行うことで、今後のイベント開催の方向性を決めていく。それが主催組織の参加団体に対する責任であり、イベントの成果を大きくしていく要素となりうる。

ここでもう1つ重要なことは、参加団体の側にも、情報を提供する責任があるということである。イベントに参加する以上、自分達の目的を達成したい。そのためには、自分達のイベント参加の目的やその思い、イベントに対する評価を、主催組織に率直に、且つきちんと伝える必要がある。そのため参加団体には、実施されたアンケートに対し真摯に答えること、与えられた情報交換の場に参加し、自分達の思いを発信するが重要である。

主催組織と参加団体が連携を行うことで、自分達の目的のためにもさらなる成果を生み出そうと、相手の目的にも協力する形になる、互いに互いの目的に向かっていい方向へと進めようと活動する、そのことがより大きな成果へと結びついてくる。と同時に、そのためには互いには互いに対する責任を負い、互いのことを意識して活動する義務も生じる。このことは出展をしている参加団体に限らず、市民ボランティアにおいても同様のことを言うことができる。

この連携がうまく機能しているかどうかは、参加団体、市民ボランティアへのアンケートのほかに、来場者のアンケートを指標と取ることもできる。イベントの成果を来場者の評価で判断し、成果がでているということはイベント開催が成功だったということ、それは、イベント運営において連携がうまく機能しているということにつながってくるからだ、と捉える。主催組織は来場者へのアンケートの結果を次年度以降のイベントの運営、企画などの内容に活かし、市民にとっても魅力的なイベント作りを目指す。また主催組織は、これらのアンケート結果を報告書として公開し、参加団体へフィードバックを行う責任がある。参加団体は来場者が回答したアンケートの結果を見ることで、自分達のイベント参加の成果を、来場者の側からの視点で把握し、自分達の出展の内容や方法などを見直すときの材料にすることができる。また、参加団体のアンケート結果を見ることで、自分達の周りの団体がイベントに対してどのような評価をしているのか把握し、再度イベントに対する評価を行うことができる。


ここまでのところで、横浜国際フェスタにはどのような連携の変化があり、それぞれの団体がどのような目的でイベントに参加しているかということを把握、考察し、連携がどのように成り立っているのか、うまく連携を機能させるにはどうすればいいのかということについての分析を行った。1つわかったことは、複数の組織が連携をとって1つのプロジェクトを実施していくに当たって重要なのは、組織間の情報共有を密にとることである。プロジェクトを実施するに当たって、その目的を共有することがまず重要であり、実施していくうちに、プロジェクトに対してどのような評価がなされているのか、内部、外部の双方からの視点での評価を、連携を構成している組織が把握することで、プロジェクトの進捗や成果などを知ることができ、互いに次のアクションを起こす際の手がかりとなる。また、それぞれの団体がプロジェクトに対しどのような評価をしているかを互いに知ることで、プロジェクト実施に対する意見交換や意思疎通を図ることができる。前述の通り、このイベントには、主催組織と参加団体双方に、双方に対し果たすべき責任があり、その責任を果たしていくことがイベントでの成果に結びついてくる。しかし、互いが責任をしっかりと果たしていくためには、互いに対する信頼や協力関係が重要となってくる。その信頼を構築するためには、情報共有を密に行い、常に互いの状況などを把握できるような体制作りが不可欠となってくる。

この信頼や協力関係に関する考え方は、ソーシャルキャピタルの考え方にもつながってくる。ソーシャルキャピタルとは、Putnam(1993)によれば、「人々の協調行動を促すことにより社会の効率性を高める働きをする信頼(trust)、規範(norm)、ネットワーク(network)といった社会組織の特徴」と定義されている。今回のケースでは、連携の中での信頼関係を構築することでイベントとしての大きな成果をあげていることを確認することが出来る。ソーシャルキャピタルは近年、途上国における開発や援助をする際に、その開発や援助がきちんと現地で機能するか、成果を出すのかといった議論を行う際に重要視されている。このイベントの事例を考える際にも、最終的には、このソーシャルキャピタルについての考え方に基づく結果となった。

2章 ケニアの事例

前の章では、自分の身近な連携の例である、横浜国際フェスタの事例を把握、分析を行い、1つのプロジェクトを行う際に連携を行うことの有用性や、そのためのあり方や課題についての考察を行ってきた。この章では、本稿の問題意識の中心である、ケニアの飢餓人口削減のためのあり方について探る。まずはケニアの概要や、食糧、農業事情とその課題について見ていくことで問題点を整理し、その解決策の糸口を模索する。

ケニアにおける飢餓人口比率推移

ケニアの飢餓人口比率は1996年以降2005年まで30%を保っている。1996年時点では、アフリカ、サブサハラ以南アフリカ地域の平均値とほぼ等しい水準にまで比率を下げたが、その後アフリカ、サブサハラ以南アフリカは比率を下げているのに対し、ケニアは下がっていないのが現状である。3人に1人が飢餓状態である状態が続いているのである。

この事実を問題意識の出発点とし、ケニアの飢餓人口削減を目的に本稿を構成していく。

1.ケニア概要

(1)社会全般

ケニアは2009年現在、人口3,861万人である。人口成長率は1990年代に入ってからは1〜2%を推移しており、発展途上国のなかではそれほど高くない。それにはHIV/AIDSの蔓延による平均寿命の低下と、劣悪な衛生状況による5歳未満児死亡率の高さといった原因が挙げられる。これらの原因によって、平均寿命は女性46.2歳、男性47.9歳と、いずれも192カ国の対象のうち、160位を下回っている。また、5歳未満児死亡率は11.8%である。これは、世界の平均である3.9%にくらべ非常に高い水準になっている。

また、治安の悪化・貧困・失業が大きな問題となっている。都市部にはホームレスが激増し、犯罪は頻発している。また、道路の状態が劣悪で交通事故が多発している。

世界銀行の定義である、1人当たり年間所得370ドル以下の所得で生活している貧困層の割合は、1990年に48.8%、2003年に56%と年々増加し、歯止めのかかる兆しは見られない。その上、労働貧困者の多くは、自給自足の生活、あるいは家事労働に従事しており、失業者には含まれていないため、生産活動に関与していない労働者の割合は統計からわかる数値よりあきらかに高くなる。

労働者の教育の基本となる、基礎教育の現状は、現在のケニアでは小学校8年、中等学校4年、大学4年の制度を採用しており、義務教育制は取っていない。しかし小学校の就学率は2005年現在79%と、中央・東アフリカの平均値である62.5%に比べ高い水準である。それは小学校の8年間は学費が無料であるというのが大きな理由である。これは、政府が公共財政の多くを教育分野に当てているということになり、2004年現在、公共財政に占める教育支出の割合は34.8%にも上る。公用語は英語、スワヒリ語で、15歳以上男女の識字率は2004年現在、73.4%である。

独裁政権期の政治の腐敗により、治安の悪化と共に、国中で汚職や賄賂の授受が頻繁に行なわれている。それは一般市民も例外ではない。ケニア都市部賄賂指数によると、ケニアの平均的な都市生活者は1ヵ月に16回の賄賂を支払っているということが明らかになった。2003年において1ヶ月における平均賄賂支払額は、市民の平均月給の約3分の1にも上る。公務員が最も多くの賄賂を受け取っており、賄賂総額の99%を手にしている。特に、警察が最悪の常習犯で、都市生活者の10 人のうち6 人が警察に対して賄賂を支払っているという。この傾向は個人には留まらず、企業などの組織においてはさらに大規模な賄賂の授受が行なわれている現状がある。

衛生・医療については、前述の通り、衛生状態の悪さが国民の平均寿命を低下させ、乳幼児の死亡率を上昇させている。現状では、ナイロビでは下水道、水洗便所が完備され、衛生状態は悪くはなく、また、公立・私立の病院や診療所が設けられており、国立病院は外来患者の治療費は無料である。しかし、スラムや農村部の衛生状態は劣悪である。また、農村部においては小規模な診療所があるのみで、十分な設備や技術を持った医師をもつ病院は存在しない。2008年現在、15〜49歳男女のHIV/AIDSの有病率が7.8%と高い水準であるケニアは、衛生状態・医療技術の向上が求められている。

(2)経済

ケニアの実質GDP成長推移

独立後のケニアには、大きく4つの時期に分けることができる。第一期は、初代大統領ケニヤッタが政権を担っていた時期である。1964年から1983年までの期間で、その期間の実質GDP成長率の平均は6.2%を示している。特に1970年代は平均11.6%と高い水準を示している。ケニアが独立後、「アフリカの優等生」と呼ばれていたのは、この時期に高水準での経済成長を安定的に記録していたことが理由である。この経済成長には、ケニヤッタが採った政策が経済に対して機能し、ケニアの農業をはじめとする産業が軌道に乗ったためである。後の項目でその詳細についての把握をする。第二期は、ケニヤッタが1983年に逝去し、当時副大統領だったモイが第二代大統領に就任し、その政権を終える2004年までの期間である。上下の変動が激しく、高いときには約30%の成長を記録しているが、この期間の平均GDP成長率は1.6%と低迷している。その理由としてまず、世界的な不況による影響がある。1978年、1979年の第二次石油危機、レーガノミクスに単を欲する1980年代前半の世界不況が、交易条件や国際収支を悪化させることとなった。さらに、1980年と1984年に干ばつが襲い、深刻な食糧危機が発生した。そうした世界規模での不況が国内経済に影響を与え、ケニヤッタ期に確立した政策による資源の好循環が崩れ、国内経済や農業は伸び悩むこととなった。

第三期は、モイに代わり、キバキが政権を担うようになった時期である。この時期はモイ期の低迷から脱し、10%以上の高い水準で成長を遂げている。

第四期は、2007年、2008年に起きた金融危機、石油価格高騰、それを発端にした食料価格の高騰により世界経済全体が不況に陥った時期である。ケニアも例外ではなくその影響を受け、2007年には約20%の成長率を記録していたものの、2009年にはマイナス成長にまで落ち込んでいる。それには、世界的な不況の波のほかに、国内の政情不安が重なった。大統領選挙をめぐる民族間での対立が暴動を発生させ、2008年の暴動では約1500万人が死亡した。また、国内有数の穀倉地域で暴動が発生し、農業生産が滞ったケースもあり、国内の経済活動が阻害される状態が続いている。そのうえ、天候不順による災害も続いており、2008年、2009年には2度に渡る干ばつを受け、2010年には洪水に見舞われている。

食料価格の高騰により世界的な飢餓人口が増加したが、現在は少しずつ回復してきている。しかし、ケニアについては以上の点から他国以上に複雑且つ深刻な経済ダメージを受けたことから未だに経済を立て直すことに成功しておらず、飢餓人口も減少していない。 これらの4つの時期は主に政権ごとに分けているが、それぞれの時期で経済成長の状況も異なることがわかる。また、第二期、第四期に見られるような天候不順による影響が作用していることもわかる。ここから、国内の経済成長には、政府がどのような政策を取るかで大きく異なってくるということが分かる。後の項目で、時代的な流れでは直接的につながりがあるにもかかわらず、経済成長に著しい差が生じている、ケニヤッタ政権とモイ政権の政策の違いを把握し、現在のケニア経済を改善していくためにはどのような政策が有用であるかを考察する。

また、天候が国内経済に大きな影響を与えていることがわかる。これにはまず、ケニア経済において農業が大きな比重を占めているということ、そして、その農業は気候や世界的な情勢の影響を受けやすく不安定であることを仮説として挙げる。 ケニア経済において農業がどれだけの比重を占めているかということを全人口に対する農業人口の比率と、各産業のGDP構成比率を把握することで検証する。

2010年現在、労働力人口の約7割は第一次産業に属する農業に従事しており、産業の中心は第一次産業にあるといえる。しかし、産業別GDP構成比率をみると、第三次産業、第一次産業、第二次産業の順で高い割合を示している。

産業別に見ていくと、第二次産業は安定して20%前後を推移している。第三次産業は独立当時から40〜50%以上と最も大きな割合を占めており、その割合は徐々に増えている。一時1977年に40%をきったが、再び勢いを取り戻した。第一次産業は独立当時40%を推移していたが、徐々に割合は低下し、2004年現在30%をきっている。

第三次産業が大幅に低下している1977年においては、第一次産業の比率が観光業を抜いて大きく上昇している。GDP成長率のグラフをみると、1977年は22%と高い水準を示している。逆に、第一次産業が28%と低い比率である1991年のGDP成長率はマイナスを示している。すなわち、ケニアのGDPにおいて第一次産業が大きな影響を与えているということになる。農業人口比率の推移を見ても、アフリカ平均値に対し20%以上高い水準で推移をしていることがわかる。ここから、ケニアにおいて農業は多くの国民の生活を支える、重要な産業であると捉えることができる。

ケニア農業人口比率推移 ケニア産業別GDP構成比の推移

労働力人口の大半を占めている第一次産業がGDPにおいて大きな割合を占めず、第三次産業が最も割合を占めているのは、政府関係の組織や公共セクターにおける生産活動は第三次産業に含まれ、ケニアの生産活動は寡頭政治期の名残もあり、現状として大部分の組織はいまだに政府が関わっているという理由が1つあげられる。また、農業に従事する人の大部分は自給自足の生活を送っており、生産したものを自分で消費しているため、付加価値が生じることはなく、GDPには表われてこない。よって、実際には、数値に出ている国民の70%を超える人々が農業に携わっていることが窺える。

また、第二次産業の中心となっているのは食品加工、繊維、金属加工と、付加価値が低いものが多い。農業が産業の中心となっているケニアでは、特に食品加工は重要な産業となっている。そこからも、食品加工の原料供給を行う農業は、ケニア経済において重要な役割を果たしている。


ケニア経済において第一次産業が大きな影響力を持っており、また、農業を活発化、安定かさせることは食糧生産を増加させ、安定した食糧供給に貢献することから、ケニアの農業部門の改善を目指し、食糧安全保障の改善につなげていくことを提案する。次の項目では、ケニアの食糧事情と農業の現状やその背景、課題を把握することで、ケニアの食糧安全保障の改善策を模索することへとつなげる。

(3)ケニアの経済、農業に関する背景―部族と土地と政治―

ケニアには約40の部族が存在するが、中でもキクユ、ルイヤ、ルオ、カレンジンの4つの民族が人口の約91%を占めている。これらの勢力構造がケニア国内の政治経済に大きな影響を与えているため、4つの民族の概要と勢力構造についてここで整理を行う。

4つの部族の中でも人口が最も多く、勢力が強いのはキクユで、早くから政治的権力を握り、国内エリート層を形成している。初代ケニヤッタもキクユの出身である。また、農業好適地(4)が集まっているセントラル州やリフトバレー州を中心に居住している。人口第2位のルイヤは南西部高知西側の公的地に居住している。人口は多いものの、本来十数の言語集団に分かれていたため結束に時間がかかり、独立後政治的な進出に出遅れた。人口第3位のルオが政治的な勢力では2番目の強さを誇っている。ビクトリア湖沿岸のニャンザ州に居住し、定住農耕と漁業を営んでいる。キクユと共にKANU(ケニア、アフリカ人国民同盟)を率いるエリート層を形成していたが、ケニヤッタ政権後期にはケニヤッタと対立する勢力となり、その後、キクユ中心の勢力から政治経済的な礼遇を受けることとなった。4番目の勢力であるカレンジンはキクユと同じくリフトバレー州を中心に居住しているが、キクユと異なる点は、農業好適地に居住しているキクユに対し、カレンジンはリフトバレー州の中の半乾燥地に居住しているという点である。気候の条件により農業のみの生活ではなく、農業と共に遊牧を営んで生活をしている。そのため民族が定住をせず散住しており、植民地支配期にはその傘下に大きくは組み込まれなかった。この4つの部族の中でもっとも自然の作用を受けやすく、安定した経済活動が困難であり、貧困や飢餓にさらされやすい状態である。なお、ケニアヤッタに続き国内に大きな影響を与えた第2代大統領であるモイはカレンジンの出身である。

国内で大きな勢力を占める4つの部族の概要を見て行ったが、この4つの部族の中だけでも民族の政治的な勢力に大きな差がある。その理由は、ケニアの地理的な性質と、植民地支配期の支配の方法、独立後の土地分配に要因の1つがある。

ケニアの地理的な性質として、土地ごとに降水量に大きな差があるという点が上げられる。南西部、沿岸部では降水量が多く、その他の地域の大部分は半砂漠、砂漠状態である。また、リフトバレー州のように高度が低く乾燥した土地と、半乾燥地と農業好適地が併存した地域もある。こうした、その土地によって気候をはじめとする自然環境が様々であり、そういった様々な環境が併存していることが、ケニアの農業、ひいては政治経済を考える上で重要であり、前提条件である。

人々はより安定した生産を求めることから農業好適地での居住を好む。それは、地域ごとの人口密度を比較することで明らかになる。

州・地域

全面積(km2)

構成比

農牧地/全面積(%)

好適農地/農牧地(%)

人口(人)

構成比(%)

人口密度(%)

セントラル州

13,220

2.3

73.0

94.2

3,724,159

13.0

281.7

ニャンザ州

12,546

2.2

99.8

97.3

4,392,196

15.3

350.1

ウエスタン州

8,263

1.4

89.7

100.0

3,358,776

11.7

406.5

リフトバレー州

182,538

31.4

84.2

19.7

6,987,036

24.4

38.3

 

好適地域

13,662

2.3

84.1

100.0

2,945,287

10.3

215.6

 

中間地域

57,458

9.9

82.4

35.9

3,041,288

10.6

52.9

 

乾燥地域

111,418

19.2

85.1

1.8

1,000,461

3.5

9.0

イースタン州

153,472

264.0

92.2

3.6

4,631,779

16.1

30.2

 

中間地域

12,409

2.1

72.8

34.0

1,858,522

6.5

149.8

 

乾燥地域

141,063

24.3

93.9

1.5

2,779,257

9.7

19.7

コースト州

82,816

14.2

82.5

5.5

2,487,264

8.7

30.0

ノースイースタン州

128,124

22.0

99.0

0.0

962,143

3.4

7.5

ナイロビ特別市

696

0.1

77.6

29.6

2,143,254

7.5

3,079.4

ケニア総計

581,675

100.0

89.5

13.0

28,686,607

100.0

49.3

高橋 基樹著『開発と国家』参照

人口密度は1999年時にアフリカ平均で27.8人/km2、ケニア平均で49.3人/km2であるが、南西部では164.3人/km2、その中でも農業に適しているとされる地域では、平均302.4人km2にも達している。人口密度と農業好適地の比率には一定の相関関係が見られる。上の表から、農牧地に占める好適農地の比率と人口密度の相関を見ると、その値は0.94と強い相関があることが確認できる。これは、植民地時代以前にさかのぼるが、人々は居住と農耕に適した土地を選び取り、生活をしてきたということになる。

しかし、植民地支配の時代に突入すると、近代西欧に特有である排他的な土地所有権が導入され、登記制度が導入された。そして、独立後のケニアもその制度を引き継ぐことになる。今まで自由に土地の移動を行ってきたそれぞれの民族が、土地所有権の導入と統治の効率化のために居住地の移動を制限されるようになった。現在も民族ごとに固まって居住する傾向があるのは植民地支配時の名残である。

1964年にケニア共和国として独立を果たした。建国の父として初代大統領に就任したのは、キクユ出身のケニヤッタであった。彼はその後自らの手で政策を推し進めていくのだが、まず行ったのが土地の再分配である。ヨーロッパ入植者が所有していた土地を買い上げ、有償での配分を行った。これは、当時からエリート層を確立していたキクユに有利な製作であった。すなわち、すでに植民地支配の段階で、キクユは他民族を圧倒するほどの権力を握っていた。キクユがそこまで勢力を強めた理由に触れる。植民地支配が始まったとき、前述のようにキクユは好適地を中心に居住していた。植民地支配は好適地を中心に行われたため、植民地支配の影響を最も被った民族である。しかし一方で、ヨーロッパ人のコミュニティーに接する機会も多く、居住地区にはキリスト教学校も設立されたため、教育水上が他民族に比べ格段に高くなった。その結果、国内エリート層を形成、政治的勢力を握るに至ったのである。すなわち、植民地支配が始まったときにどこに住んでいたか、好適地かそうでないかによって、支配期の民族の扱いやヨーロッパ人コミュニティーとの関わり方も異なった。その結果、独立時には民族ごとに勢力の格差が広がり、さらにケニヤッタの土地再分配政策によって、その格差はより広がることとなったのである。

土地の再配分をめぐり、民族間の関係は緊張状態が現在まで続いている。特に他民族はキクユに対して強い反感を持っており、政治史の中でも度々キクユ出身の政治家に対し反発する他民族の政治家が度々現れる。しかし、キクユ出身の政治家らによる一党独裁政権期には、そうした政治家が暗殺される事件などが生じており、民族間の関係はより悪化したものになった。2002年より複数の政党が連合をとる形での政権運営が選挙によって決まり、憲法の改正なども通じて、民主化が進んでいるが、民族間の対立による暴動は現在でも起こり続けている。その源流は、植民地支配独立直後の政策、ひいては植民地支配期の支配の仕方にある。

2.農業生産に関わる問題

前述のように、農業はケニア経済を構成する大きな要素の1つである。食料生産を行う産業が大きな比率で国内産業を占めている一方で、飢餓人口はアフリカ諸国平均と同水準、むしろアフリカ平均は減少傾向にあるが、ケニアは減少していない。そこで、ケニア農業の課題についてここでは整理を行い、改善の方法を模索する。

前項目で示したように、ケニアには地理、気候の条件、特に地域ごとに降水量の差があり、乾燥地域、半乾燥地域の比率も高いことから、農業に適しているとされる農業好適地は限られている。しかし、グラフを見ると、国土面積に対する農業面積の比率は他のアフリカ諸国に比べ高いということが分かる。ケニアは農業人口の比率が高いことにより、農業に使用する面積が多いということと、好適地以外での農業を余儀なくされている人々が存在するということが要因として挙げることができる。

ケニア農業用地面積比率の推移

ケニアは降水が不安定であり、度々干ばつに襲われている。また、乾燥地、半乾燥地では農業用水の確保が困難である。安定して農業用水を確保するには灌漑設備が有用である。しかしケニアは、他のアフリカ諸国、サブサハラ以南の国々の平均と比較しても、農業面積に占める灌漑面積の比率が低いことが分かる。アフリカ平均は6〜7%代、サブサハラ以南平均は2〜3%代を推移しているのに対し、ケニアは0〜2%代と非常に低い水準での推移である。

ケニアにおける農業用地潅漑比率の推移

この事は穀物生産量の増加率に結果となって現れている。下のグラフを見てみると、ケニアの増加率の推移の幅が明らかに大きいことが分かる。特に大きな干ばつに見舞われた1984年には−36.2%と大きな現象となっている。これは、同じように干ばつの被害を受けたサブサハラ地域の国々の平均である−9.2%を大きく下回っている。そして、その次の年である1985年には前年大きく減少した分大きな回復を見せている。

ケニアにおける穀物生産増加率の推移

このように、灌漑設備整備の遅れによって、気候変動の影響を受けやすく、安定した農業生産を行えていないことがケニア農業の大きな課題である。2008年、2009年とケニアは再び干ばつの被害を受け、さらに2010年には洪水の被害を受けており、データとしての確認は現在できていないが、既存の灌漑をはじめとするインフラの荒廃、農業生産の減少、飢餓人口比率の増加は避けられない事態として予想することができる。

もう1つ大きな課題として挙げることができるのは、民族間の対立による政情不安である。2008年、上述の通り、ケニアは干ばつの被害を受けたが、同じように被害を受けたはずの周辺国の平均値は減少していない。ケニアには干ばつのほかに穀物生産量を現象させる要因があったということである。それは、大統領選挙に伴う民族間闘争により、本来農業好適地であるリフトバレー州での農業生産が不可能になったということである。リフトバレー州は、"パンのバスケット"と呼ばれるほど多くの穀物収穫量を誇る地域で、長い雨とともに到来する収穫期には、国内生産の80%以上の穀物や豆類が生産されている。その地域の人々は、生計を立てるのに、前述のような商品作物を生産すること、自分たちが食べる分の食料を小規模に生産すること、畜産をすることに依存してきた。しかしそこは複数民族の地域であるため、大統領選挙時に暴動の矛先となり、約162000世帯が強制退去を余儀なくされ、人々は家畜とともに難民キャンプに移動した。その結果、農業生産は不可能、国内生産されるはずだった穀物の多くが失われたことになり、国内穀物市場は混乱状態に陥った。

ここからケニア農業の問題点として、本稿では大きく以下の3点を挙げる。

これらの問題点から、好適地以外の地域での灌漑など農業設備の整備を進めることにより気候の変動による影響を受けにくい安定的な農業生産を目指すこと、民族対立の早期解決を目指すこと、民族対立が農業を滞らせることがないようガイドラインを策定するなど農業部門を保護するような制度を確立することを第一に取組み、農業環境を整えることがケニア農業には必要であると主張する。

3.ケニア農業と政策の関係性

ケニア農業には上記のような問題点があることがわかった。これらの問題点はケニア独立後、あるいはその以前から続くものであり、農業に関わる環境は基本的に大きい変化はない。そこで、ケニア独立後から現在に至るまでの農業の状況と、そのとき政府がどのような政策を採っていたかを把握し、政府の動きが国内の農業と経済にどのような影響を与えるかということを考察する。前述で、政府の政策がGDPを指標とする国内経済に大きな影響を与えるということと、農業がケニア経済において大きな比重を占めているということを示した。そこから、政府がどのような政策を採るかが農業に大きな影響を及ぼし、ケニア経済を大きく左右すると考えられる。過去のGDP推移を見てみると、前述のとおり、1964年から1983年までのケニヤッタ政権期は実質GDP成長率の平均は6.2%を示している。一方で、1983年から2004年までのモイ政権期は、平均GDP成長率は1.6%と低迷している。対照的なこの2つの期間においてどのような政策が採られ、農業にどのような成果があったのかを見ていくこととする。

1968年から1980年までの農業部門の年平均成長率は4.2%である。アフリカ諸国平均は2%代と低迷していたことから、世界的な好況や良好な交易条件によるものではないことがわかる。

ケニアにおける穀物生産量と収穫面積の推移

上のグラフは穀物生産量と収穫面積の推移を表したものである。1970年代後半までの生産量の急速な伸びが見て取れる。その期間でのピークは1976年で、1961年から1976年までの生産量の増加率は、年平均で5.9%と、同期間のサブサハラ以南地域平均が2.2%であることから大きく平均を上回っている。同様に、1970年までの穀物収穫面積の拡大も急速であり、1961年から1969年までの収穫面積拡大率は平均約6.2%と高い水準を示している。同期間の年平均人口増加率は3.0%であることから、この収穫面積の増加は、単に労働投入量の増加や需要の増加によるもののみではないことがわかる。

1962年から1970年にかけて「100万エーカー計画」という、旧ヨーロッパ系大農場を小農に配分し、入植させる政策が採られたのをはじめ、アフリカ系農民の土地所有権の取得が進んだ。そのことは、入植者の増産意欲を高めたと考えることができ、生産量が急速に伸びた理由付けの1つとすることができる。それは他のアフリカ諸国の独立時にもこのような理由により農業生産が増加している例は多くあるが、ケニヤッタ期の成長のもう1つの理由として、市場向け農業生産を促すための投資、インフラ整備が進められたことを挙げることができる。

ケニアの農業の特徴は、植民地時代にヨーロッパ系入植者によって形作られた市場指向型の農業が継承されたために、生産の構成において商品作物の比率が比較的高いこと、および食料生産の市場化がケニヤッタ期においてかなり進んでいたことである。その商品作物の例としてコーヒーや茶の生産を挙げることができる。ケニヤッタは独立後、インフラの整備や小農の支援を行ったが、その好例が茶の生産である。茶の生産は、茶葉の摘み取りが年間を通じて可能であるという利点があるが、その一方で、茶樹の栽培や、摘み取り後の流通・加工に高い技術と組織性を必要とすることから、植民地時代には困難であると考えられていた。しかし、植民地時代末期から独立後にかけて、小農の茶生産促進のための背策が進められた。独立直後の1964年には、それまでの組織を再編して、「ケニア茶開発公社(以下、KTDA)」が設立された。ケニヤッタの意思を反映し、KTDAは世界銀行の巨額の融資を用いて、小農生産の振興を行った。政府の茶精算振興政策において柱となったのは、高い品質を守るための農民への技術指導、生産物・投入物の流通等に関わる支援に加えて、加工施設及び同施設までの道路網の整備である。茶の特性上、摘み取り後の茶葉の集荷や加工を迅速化しなければならないが、そのために小農の茶生産地区に加工施設が作られると共に「茶道路」と呼ばれる輸送路が建設された。キクユなど、ヨーロッパ居住地区周辺に居住していた人々は植民地時代の早い時期からそうした商品作物に触れ、生産のための知識を身につけていたため、市場向け生産への高い意欲を持っていた。政府はそうした意欲に対し、小農向けのインフラ投資を通じて応えることが重要な課題であり、ケニヤッタ政権はその課題を政策に反映させた。そして小農もまた、そうした政府の積極的な支援に応えて茶をはじめとする生産を急速に増やしていった。そして、そうした商品作物を中心とする農業部門の成長は、ケニア経済全体に好影響を与えた。まず製造業製品に対する需要が伸び、輸入代替工業化が推進された。1968年から1980年にかけての家計最終消費支出は年平均約6.6%の増加を示した。また、農家の子どもたちの教育への投資が進み、学校教育を受けた人々がナイロビなどの年に移動し、都市・工業部門での労働需要の拡大に応えた。別の面から見れば、都市部に職を求めた人たちの多くは失業せずに都市の産業部門に雇用された。

そのような都市部門での成長は、法人税などの増収からケニヤッタ政権の財源確保に寄与し、政府の歳入の拡大と安定をもたらした。1970年代、ケニア政府の経常予算は黒字であった。このことが、農村・農業部門へのインフラ投資をはじめとする農業環境の整備を容易にした。ようするに、当時のケニアでは、農業部門の発展が工業部門の成長を支え、工業部門の成長は政府歳入の拡大に貢献し、それが政府の農業部門へのインフラ投資を促すという、資源の好循環が成り立っていたのである。そしてその循環の源は政府のインフラ投資の成果による農業部門の発展であることを心に留めておく必要がある。

ケニヤッタ期の政策には以上のような優れた成果をもたらしたという事実があるが、その一方で、前述で、独立時の土地配分の方法に一定の民族に優位に働くような要素があると示したが、同様に、インフラ整備を中心とする投資には地域による格差が存在した。

 

1978

1993

増加率(%)

舗装道路

全道路

舗装率(%)

舗装道路

全道路

舗装率(%)

舗装道路

全道路

セントラル州

1,125

5,862

19

1,944

7,736

25

73

32

コースト州

312

3,106

10

653

5,246

12

109

69

イースタン州

501

10,081

5

1,097

12,991

8

119

29

ノースイースタン州

3,694

25,973

14

ニャンザ州

508

5,461

9

747

7,200

10

47

32

リフトバレー州

1,332

10,102

13

3,169

18,668

17

138

85

ウエスタン州

269

2,951

9

405

4,049

10

51

37

高橋 基樹著『開発と国家』参照

上の表は、ナイロビとモンバサという2大都市を除いた、ケニアの各州における全道路、舗装道路の総延長を示したものである。1978年におけるセントラル州の優位が見て取れる。この2つの州はキクユが居住している地域で、道路の整備は1つの例に過ぎないが、ケニヤッタ政権において財政資源配分に偏りがあったことを示唆している。このことが、後に民族間の格差から民族間の対立へと発展し、現在の政情不安へと続いている。

1978年にケニヤッタが死去すると、続いて当時副大統領であったモイが大統領に就任した。2004年までのモイ政権期のGDPは前述の通り、平均1.6%と低迷している。農業はどうだろうか。構造調整が開始された1980年から、複数政党制が採用される1992年までの期間、農業部門の年平均成長率は2.7%と、ケニヤッタ期の4.2%から大きく下降している。また、穀物生産量の伸びはケニヤッタ期に比べ0.4%の伸びに留まっており、同時期のサブサハラ以南地域の平均値が2.1%であることからその平均を大きく下回っている。また、ケニヤッタ期の穀物生産の最大量は1977年の約318万トンであるが、その後2002年までの間に上回ったのは5つの年のみである。商品作物の売上高については、1977年が同じくケニヤッタ期の最高値であるが、その後2002年までこの値を上回る売上高は記録されていない。その理由は、工業部門と農業部門の双方にある。まず、石油危機やレーガノミクスに端を欲する世界的な不況と、さらに製品の仕向け先ともなってきた近隣諸国との東アフリカ共同体が、タンザニアとの外交的な軋轢により崩壊が重なり製造業部門が低迷した。農業部門は前述のように、1980年と1984年に干ばつの被害を受け、食糧危機も深刻なものであった。農業部門の停滞が国内需要を抑制することとなり、製造業部門の低迷が決定的なものになった。そしてそのことが政府の財政収支の悪化につながった。このように、ケニヤッタ期に作り上げられた資源の好循環が大きく崩れたことがモイ期の経済成長低迷の大きな要因である。しかし、このような世界的な状況の中で、1990年代前半から多くのアフリカ諸国は少しずつ回復基調に入っていく。しかしケニアの低迷は21世紀に入ってからも続いていることから、これらの要因のみでは説明がつかない。そこで、同時期の農業の状態とそこで採られた政策を追うことで、ケニア農業が置かれた状況を把握し、低迷の要因について考察を行う。モイ期の政治と農業、経済の関係性を見るためには、まず土地の問題について把握していく必要がある。

ケニアにおける穀物収穫面積の推移

上のグラフを見ると、穀物収穫面積は1977年を1つのピークに迎え、その後モイ政権末期の2001年までこれを上回ることはなかった。この間も農業人口は増え続けていることから、人口の増加に対応する土地の拡大が限界に近づいたとも見られる。この現象はアフリカ全体で見られるものだが、同時に、農地のかなりの部分が休閑状態や非効率な遊休状態にある(5)ということを留保する必要がある。遊休状態の最も重要視しなければならない点は、その大部分が大土地所有の下にあり、その土地が必ずしも人口増加に対応して極限まで効率的に利用されるに至っていないということである。

耕作可能な土地の拡大限界の直面は、人口稠密な地域から始まり、前述のような人口の移動に伴って他の地域に及んだと推測することができる。前述の通り、植民地自体の名残で同じ地域に同じ民族が集まって居住していることから、人口の移動の際に、外の地域を故地とする民族集団が、人口密度の低い地域に流入することになる。その際に「よそ者」が侵入してきたとみなされやすく、従来居住してきた者と、流入してきた者の間には軋轢や摩擦が起きる可能性が高くなる。実際に、ニャンザ州からリフトバレー州へと進入したキクユ、ルイヤ、ルオと、先住者であるカレンジンやマサイの間では、土地についての考え方に大きな食い違いがみられ、リフトバレー州では、前者と後者との間に暴力を伴う紛争がみられた。そうした紛争が政治へと影響し、大規模化したのが、2008年に起きた暴動である。そこには、アフリカ人が本来繰り返してきた移動の論理と、植民地支配によってもたらされた近代ヨーロッパの考え方である、排他的な土地所有権制度との間に生じた軋轢が深く根付いている。

そうした民族間の土地をめぐる軋轢が深まる中で、モイ政権は統治を変質させていった。前述の通り、ケニヤッタはキクユへと資源を集中させ、政治エリート層を築き、寡頭支配を行っていったが、一転してもモイは、自分の出身であるカレンジンをはじめとする「忘れられた人々」の利益擁護を打ち出した。また、大臣等政府要職にはキクユ人に代わって徐々にカレンジンの人々が就き、ケニヤッタ期の部族主義的な性格は、モイ期により強化されたと見ることができる。また、農業関連の開発の例として、穀物集荷施設の増設を挙げることができる。穀物流通に関わる後者を統合再編し、カレンジンの居住地であるリフトバレー州に穀物集荷施設を急激に増加させ、同時に雇用を3倍に拡大させた。

また、カレンジン擁護の政策はインフラ整備の点からも確認することができる。

 

1978

1993

増加率(%)

舗装道路

全道路

舗装率(%)

舗装道路

全道路

舗装率(%)

舗装道路

全道路

セントラル州

1,125

5,862

19

1,944

7,736

25

73

32

コースト州

312

3,106

10

653

5,246

12

109

69

イースタン州

501

10,081

5

1,097

12,991

8

119

29

ノースイースタン州

3,694

25,973

14

ニャンザ州

508

5,461

9

747

7,200

10

47

32

リフトバレー州

1,332

10,102

13

3,169

18,668

17

138

85

ウエスタン州

269

2,951

9

405

4,049

10

51

37

高橋 基樹著『開発と国家』参照

表を見ると、ケニヤッタ期の1978年からモイ期の1993年にかけて、セントラルの優位は変わらないものの、リフトバレー州における舗装道路および全道路の総延長の伸びの著しさが目立つ。これはモイ政権が自らの民族集団に利益誘導的な財政支出配分をした結果ということができる。

もう1つ注目すべきなのは、農業部門への開発支出はケニヤッタ期に比べ低水準且つ不安定になっていることである。これは、世界的な不況により財政状況が悪化したことが上げられるが、不況もう1つの原因として、一般行政向け開発支出というあいまいな項目の拡大を挙げることができる。基本的にこの項目は大刀慮以下の政権中枢の最良に任されている部分が多く、政治的配慮によって非生産的に費消されている場合がしばしばだと思われる。いずれにせよ、モイ政権の下では、ケニヤッタ政権に見られるような、目覚しい生産拡大効果を持った政府開発支出やインフラ向け投資は行われなかったと考えられる。


ケニヤッタ期とモイ期の経済・農業状況と、そのとき採られた政策をここまで見てきて明らかになったことは、まず政策が農業に大きな影響を与えるということ、そしてケニアにおいては農業部門の発展と安定が直接国内経済の発展と安定につなげるということである。ケニヤッタ期においては独立後の国づくりの時期ということもあり農家のインセンティブも高かったことが成功の要因の1つとして考えられるが、同時に、民族間の格差など、現在にまで残る問題が、政策の採られ方によって生じてしまうということも明らかになった。モイ期では、世界的な不況の影響を受ける中で、本来であるならば国内経済の状況を正確に把握し、政府が対策を講じるべきであったが、政治的な意図が政策に大きな影響を与え、その判断に歪みが生じた。政策の重要性が改めて明らかになった。

また、ケニヤッタ政権とモイ政権に共通して言えることは、自分の民族集団への優遇政策が横行しているということである。そうした政策が一部の民族に恩恵を与え格差を生み出すと共に、政権が代わるたびに政策の方向性が大きく変わることから、国内経済の安定性を期待することはできない。

ケニア政府は、国内経済において大きな比重を占めている農業部門への投資を積極的に行う必要がある。特に、限られた農業用地を効率的に利用するための灌漑や流通の効率化を促す道路設備や制度などのインフラ整備が重要で、それも投資を行う際には、その対象を、民族の違いではなく、投資を行うことによって得られる成果やその必要性により優先順位をつけ行うべきであると主張する。

4.農村開発に関わる活動を行なう組織

今までのところで、ケニア農業の課題と、過去にどのような政策が採られてきたかを見てきた。そして、ケニアにおいて、農業と経済と政治が深く関わっていることが明らかになった。ここでは、現在実際に農業分野の根本的な単位である農村の開発に携わる活動を行なっている組織の活動の内容の例や組織の特徴を把握することで、ケニア農業分野発展を目指した連携の枠組みの中でプレーヤーになりうる組織の特徴を知り、連携のあり方について考える要素の1つとする。

当たり前のことではあるが、もっとも国内の状況に精通しており、現状を把握しているのはケニア政府である。農務省という農業専門の省庁が存在し、国内農業の発展を目指した活動を行なっている。2008年6月に、「ケニア・ビジョン2030」という長期開発戦略を打ち立て、a)経済:年間10%平均の経済成長率の達成とその2030年までの維持 b)社会:清潔で安全な環境における構成且つ公平な社会開発 c)政治:課題達成型、人々が中心、結果重視且つ説明責任のある民主システムの実現を目指している。政府による活動の長所は、まず権力性があり、国内で大規模な活動を行うことができる点である。また、企業と異なり、利益の追求をしないために、長期間にわたったビジョンに基づきプロジェクトを策定できる点も挙げることができる。しかし同時に、プロジェクト策定から実施までにかなりの時間を有する短所がある。時間がかかることで、支援活動の必要なタイミングや効果的なタイミングを逃すケースが考えられるということ、軌道を修正するのにもまた時間がかかることが挙げられる。また、利益を追求しないがために生じる隙、現場への対応力の弱さ、コストパフォーマンスの悪さも指摘できる。

国連の活動は、国を越えた世界規模での活動を行なえること、専門家やプロジェクトに関わる人材を、国を越えて優れた人材を集めることができること、そういった体制が整っていることを長所として挙げることができる。同時に、ある一定の国での活動は、その国の政府の要請が必要であること、また、国家間の中立的な立場である必要があり、1つの国に偏った活動を行なえないといった短所を挙げることができる。

企業は、利潤の追求を行うことで経済的に持続可能な活動のノウハウを持ち、より効率的な活動を常に目指している性質を長所として捉えることができる。しかし一方でその性質が、利潤の追求が最大の目的であるがために、必ずしもその活動が公の福祉につながるとは限らない、時には経済的なリスクを負う立場が生じる可能性があるという短所につながる。

現地で活動しているNGOの長所として、その団体の活動内容やその方法、規模により差異はあるが、草の根的な活動を行なっている団体については、現地住民のニーズに対し、よりきめ細やかな支援が可能ということ、より住民に近い組織であり、顔と顔が見える関係である場合が多いため、信頼関係を築きやすいことが大きな長所である。しかし一方で、経済的に活動を持続させるのが困難である場合が多かったり、そういった経済的な面から大規模なプロジェクトの実施は困難であるという短所を挙げることができる。また、住民に近いがゆえに客観性に欠ける可能性があるといった点も考えることができる。

以上のように、それぞれの組織の活動には長所がある一方で、短所も存在する。これらの組織が互いの短所を補うと同時に、長所を相乗的に伸ばすことを連携による活動を行なうことで期待する。

3章 2つの事例を結びつける

1.農村開発に向けた連携のあり方

前項目で、ケニアにおいて諸団体がケニア農業及び飢餓人口削減に関連した課題を改善すべく、どのような活動をしているのかを見てきた。それぞれの活動には長所があり、同時に弱点もある。そのような弱点を上手く補い合うような連携をどのような形で組み立てていくべきか、その枠組みを単純化した形で考える。その際に、横浜国際フェスタにおける連携のケースを参考に、各組織がどのような目的でその枠組みに参加し、どのような役割を果たしていくべきかということについてここでは言及する。

下の図は前述でも用いた、横浜国際フェスタにおける連携の概念をまとめた図である。この連携において重要なことは、行政、NGO、企業など様々な組織が1つのプロジェクトに携わり、それを作り上げていること、もう1つは、それぞれの組織が存在することで1つのイベントが成り立っているという点である。

よこはま国際フェスタにおける連携の概念図

横浜国際フェスタでの連携をケニアの農業部門改善に向けた連携に投影するとき、前者でのそれぞれの組織を後者の場合はどういった組織がどのような立場で担っていくことになるかということをまず考える。そこで、このイベントにおける連携の中で活動している組織と、それぞれの活動の役割について整理を行なう。

主催組織は、連携全体のコーディネートや、それぞれのニーズの把握、イベントに対する評価を把握し、次年度以降のイベント運営に反映させる。連携に携わる諸組織への情報提供を行い、諸組織が連携に関する活動を適切に行えるよう促す役割も果たす。主催組織の裁量が1つのプロジェクトの成果を大きく変える。出展団体は、イベントになくてはならないプレーヤーである。それぞれの団体の活動次第でプロジェクトの成果が変わってくる。そのため、それぞれはこのプロジェクトの目的をよく理解し活動することが重要である。ボランティアスタッフは、もっとも実務的な、イベント開催に伴う直接的な作業を行う立場である。1つ1つの作業は大きくなくとも、1つ1つの活動の成果がプロジェクト全体に作用してくる。企画協力団体は外部からの協力を行う。技術や情報の提供により、課題の解決や改善に寄与する。スポンサーは資金面での協力を担う。プロジェクトを始めるにはまとまった資金が必要となる。そうなった場合不可欠な存在である。一般来場者は、最終的な受益者であり、この受益者のためにプロジェクトを実施しているということになる。よって、プロジェクトを行う際はその受益者のニーズを正確に捉え、真摯にそれに応えることが最優先である。そのニーズをどのようにとらえるかが1つの大きなポイントとなってくる。

立場

役割

よこはま国際フェスタ2010では

主催組織

連携全体のコーディネート、調整

Yokohama C Plat

出展団体

連携の中で活動を行なうプレーヤー

NGO、国連、行政、学校、企業

ボランティアスタッフ

もっとも直接的な、具体的な作業をこなす

e-vo(=市民)

企画協力団体

技術、情報提供、外部からの協力

企業、行政、市民活動団体

スポンサー

資金提供、投資

外部機関

一般来場者

最終的な受益者

市民

それぞれの役割をケニアにおける連携を考えた場合、どのような組織に当てはまるか、当てはめていくべきかを考える。

横浜国際フェスタ

 

ケニア

主催組織

連携全体のコーディネート、調整

政府(+国連)

出展団体

連携の中で活動を行なうプレーヤー

政府、国連、企業、NGO

ボランティアスタッフ

もっとも直接的な、具体的な作業をこなす

市民、それぞれの組織のメンバー

企画協力団体

技術、情報提供、外部からの協力

企業、海外政府、国連、研究機関

スポンサー

資金提供、投資

先進国政府、国連、海外企業

一般来場者

最終的な受益者

国民

まず、横浜国際フェスタにおいては主催組織の役回り、連携の目的を定め、その方向性を決めていく役割を果たし、連携全体のコーディネートを行い、それぞれの活動の調整を行うことで連携が成果をあげるよう活動を行なうべきなのは、ケニア政府である。国全体を統括し、国民の生活を国という大きな存在で支えるべき組織であり、その権利と義務を有する唯一の組織だからである。しかし、前述の通り、ケニア政府には課題が残されている。1つは民族の問題である。過去には、大統領が自分の出身の民族に有利なような政策を採り、民族間の格差へと発展している。現在は複数政党制を採用し、以前のような寡頭状態は緩和されたが、以前民族間の政治的権力の差は存在している。複数の民族が居住している国家の政府であるからには、政府内部における民族の差異はなくしていかなければならない。また、汚職が横行しているが、その温床は行政にある。莫大な不正な資金の流れがある限り、生産的な投資は行われにくい。そういった政府に対し、助言や監督を行うのが国連の役割である。各国政府の連携機関である国連は、政府に対してある程度の介入を行うことができる。国内の農業部門発展に向けたプロジェクトを立ち上げる際に国連も携わり、公平性のある計画なのか、実現可能なのか、客観的な立場からの監督が必要であると考える。

出展団体の役回りであり、連携の中でそれぞれ目的達成に向けた活動を行なうのは、政府、国連、国内企業、NGOである。前項目のように、それぞれの組織にはそれぞれ活動に対する長所や短所を持ち合わせている。それぞれがどのような活動を連携の中で行なっていくことが有効的か、それぞれの組織間での合意や協調をする必要がある。また、連携を行い実施するプロジェクトの目的などの情報を共有しあう必要がある。その合意形成や情報共有の場を連携内でコーディネートするのは、政府の役割である。もっとも直接的で具体的な作業を行う役割を荷っている、ボランティアスタッフに当たる役割を果たすのは、それぞれの組織に所属するメンバーと、国民自身である。そうした組織に所属しているメンバーは国民である可能性が高いので、結局は国民が国民のためのプロジェクト実施に尽力を注ぐのが理想的である。そうした考え方が、海外からの支援に依存しない、自立した開発、自発可能な開発を行う上でなくてはならない。よって、彼らはそれぞれの組織から与えられた作業を坦々とこなすのではなく、プロジェクトの目的を理解し、自らがどのような活動をすれば成果が上がるのかを考え、行動すべきである。

外部からの協力を行うのは、企業、海外政府、国連、研究機関である。企業は、専門的なノウハウを提供することで、持続可能な開発を目指す。海外政府、国連、研究機関、特に先進国のそうした機関には最先端の技術が集まる可能性が高い。そうした技術を提供することで、連携内の活動の促進を可能にする。資金的な支援は先進国政府、国連、海外企業が中心となって行うことになる。途上国政府は財政に余裕がなく、大規模なプロジェクトを行う際には外部からの資金提供に頼らざる得ない部分がある。しかし、それはプロジェクトの序盤のみとし、終始外部からの資金に依存することは避けなくてはならない。経済的に持続可能な開発を実現する必要がある。また、特に海外企業による投資を期待する場合、投資先としての魅力が必要である。投資先としての魅力とは、将来性である。将来国内市場が発展し、新たな市場として評価できるようになると思えるような状況でないと、投資先としてのリスクが高い。そのため、国内の市場環境や効率性を高めることが政府の役割になってくる。また、そういった点でも、国内の汚職など、不透明な資金の動きはなくしていかなければならない。投資した資金が効率的に利用されないところに投資先としての期待をすることは出来ないからである。最後に、最終的な受益者は国民である。国民は受益者であり、同時にプレーヤーでもある。彼らには、ニーズを伝えたり、自分達の状況を改善するにはどうすればいいのか自ら考え提案したりする責任がある。最終的なプロジェクトの目的の先には国民が存在することから、最も重要な存在なのは受益者である国民である。

ここまで、それぞれの組織がどのような役割をどのように果たすべきか考えてきた。それらをまとめたのが下の図である。

国内での連携のフレームワーク

新たに、農村、地域コミュニティーと、地方行政の存在を加えた。農村は農業部門で市民が活動を行なう最小の単位であり、その管理は地方行政が担当する。地方行政は市民の生活にもっとも近い行政機関であり、市民のニーズを把握しやすい長所を持つ。

ケニアの農村部門発展のための農村開発プロジェクトを策定することを仮定し、プロジェクト策定から実行、その評価など流れに沿って、この連携の図を参考に、それぞれの組織の活動とその連携のあり方を考える。

まず、プロジェクトの立ち上げから考える。政府が立ち上げたプロジェクトであることを仮定する。策定にあたり、その対象地域を定める必要がある。その際に留意することは、前述のように、過去のケニアの各政権は、政治勢力の強い民族が居住している地域に、インフラ整備などの投資が行われる傾向にあった。しかし、その地域が必ずしもインフラ整備が最も必要な地域、整備をすることで成果をあげる地域であるとはいえない。そこで、統計局が作成している統計資料の利用はもちろん、地域研究家などによる各地域の現状の分析を行い、優先的に改善すべき地域、あるいは改善することでより大きな成果をあげ、国内全体の活性化につながるような地域を対象地域に定めるべきである。その際に、政府をはじめ、国連の専門機関や国内外の研究機関が連携して活動することが望ましい。対象地域の選定が住んだところで、さらにその地域の置かれている状況や問題点を把握する必要がある。その際には、前述のような統計データのような客観的な数値に基づいた分析も必要であるが、同時に、その地域の住人のニーズをまず把握する必要がある。その地域によって人々の生活は異なり、全て数値で判断することは困難であるからである。その作業で活躍するのが、地方行政や現地で活動しているNGOである。地方行政は前述の通り、国民の生活により近い行政という性質があり、国民との距離が近い。その点を活かし、普段の業務で国民が抱えている問題の内容やその状況を把握することができる。また、その団体の活動方法や規模により差異はあるが、草の根的な支援活動を行なっている団体はその地域の住民と直接的なやりとりのなかで活動を行なっており、彼らが日々どのような生活を送り、問題点を抱えているか把握しやすい立場にある。特に、普段表に出ることのない、社会的に弱い立場である女性や子どもの状況やニーズを把握することが可能な立場であり、農村での開発に当たり、そういった立場の人々のニーズは重要視すべきであるため、貴重な存在である。そのため、政府はそのような組織とのやり取りを行い、その地域でどのようなプロジェクトを実施すべきか決めることが望ましい。また、その際に直接住民にアンケート調査を行い、プロジェクトの方向性を決めることも望ましい。プロジェクトを実際に進めていく際に、定期的な会議を開き、そこにはなるべく多くの立場のメンバーを出席対象にすべきである。プロジェクトの目的や、実施状況の把握、その成果を共有する場とし、それぞれが意見交換を行うことで、より成果が上がると思われる方法を模索していくことができる。度々さまざまな組織が意見交換をし、意思決定を行っていくことは時間がかかる上、困難である。しかし、その会議には必ず地域住民の代表が参加することとし、最終的な決定は住民が行うことが望ましいと考える。プロジェクトの最終的な受益者は住民であり、彼らの生活にそのプロジェクトが必要なのか、どうすれば有効的なのかを判断すべきなのは住民である。具体的なプロジェクト実施に当たり、技術的な支援、その運営方法、資金繰りなど、行政だけではなく民間企業や研究機関などが協力を行うことで、行政の短所である、作業効率の悪さや経済的な持続力の面での問題が緩和される。その際に注意すべき点は、官と民ではプロジェクト行うスピードが異なるという点である。国の事業となれば支払い面でのリスクはないが、行政の短所の1つとして、実施に時間がかかるという点がある。企業はある程度の段階で成果を出さなければ採算が合わない。また、経済的に持続可能な開発をしようと試みるのであれば、コストの回収は不可欠である。行政はより柔軟な対応を可能とするような体制作りを心がけ、スピードアップを図ることが必要だ。

プロジェクトを進めていく中で、定期的にプロジェクトに対する評価を出す必要がある。そうすることでプロジェクトの現状やその成果をより具体的に把握することができ、その後の活動に活かすことができるからである。その評価は、前述と同様、なるべく多くの立場からの評価を見ていく必要があるが、やはり一番重視すべきなのは住民の評価である。政府はじめプロジェクト実施側には、その評価を真摯に受け止め、それに応える責任があり、一方で住人には、公平で具体的な評価をし、伝え、どうすべきか、どうしたいかの提案をする責任がある。

最終的にプロジェクト完了時には、その成果を客観的に分析することが必要であると同時に、そのアフターケアの方法を定めておく必要がある。アフターケアに努める必要があるのはその住民である。そして、その住民の活動に対して地方行政や地元企業やNGO団体が協力し、プロジェクト完了後も連携体制が構築され、住民の生活が成り立っていくことが望ましい。

ケニアの場合には、干ばつや洪水によって灌漑設備などが崩壊し、農業生産が不可能になっている農業好適地を優先的にその対象とし、インフラ整備を中心としたプロジェクト策定が有効であると考える。灌漑整備だけでなく、農業生産物の輸送に必要な道路の整備、市場環境の整備、情報通信設備の整備、加工場の整備など、大規模なハードの面での実施が予想される。その他、住民への技術支援や公共サービスの充実などソフトの面では行政やNGOなどがきめ細やかな支援を行うことが望ましい。


このモデルはケニアの現状や世界の動きをかなり単純化したもので、実際の現場での実現をするには本稿では取り上げていない数多くの要素が関わってくることが容易に予想される。しかし、ケニアの農業部門の発展を目的とした活動への大きな考え方の1つとしてこの概念を提案する。また、地域によっておかれた状況や抱える問題は様々であり、その改善策も様々である。よって、その地域にあわせたプロジェクト策定が必要であり、そのためには現状の分析だけではなく、その地域の文化的、歴史的背景も含めた理解が必要である。

2.連携に向けた世界の動き

今までのところで、それぞれの組織がケニアの農業部門に関わる活動を行なっており、本稿ではリフトバレー州における農村開発を目的とした連携の枠組みのモデルを、横浜国際フェスタにおける連携を参考にし、組み立てた。実際に現在、世界ではこうした連携の動きが注目され始めている。例えば、2010年の世界食料デーは、「United Against Hunger(飢餓に結束する)」をテーマとして掲げられており、FAOを中心として国連、各国政府が活動を始めている。2002年に開催された世界食料サミット五年後会合においては、飢餓を失くすための世界的な連携の必要性が指摘され、これを受けて、2003年に国際的な枠組みであるInternational Alliance Against Hunger(IAAH)が設立された。それに伴い、国内の連携のフレームワークであるAlliance Against Hunger and Malnutrition(AAHM)が設立され、世界26ヶ国においてその活動が行なわれている。このIAAHとAAHMが双方での連携を行うことで、世界の国々が飢餓人口削減に向けた包括的な活動を行なうことが可能になる。しかし、ケニアも日本もその動きに遅れており、AAHMの立ち上げに至っていないのが現状である。

 AAHMの日本での立ち上げは今年の3月に予定されている。現在予定されている活動の内容としては、ウェブサイトの立ち上げを行い、NGO/NPO、その他市民組織、農業組織、民間企業、農業関連研究機関、開発援助機関、国際機関、政府関係機関等のメンバー団体間の情報共有や一般市民への情報発信をすること、開発途上国支援、セミナー、国内啓発活動などの共同イベントの実施、学校等と連携した開発教育への参画、飢餓・栄養不良問題に関連する国内活動、FAO世界食料安全保障委員会への参加などが挙げられる。いずれも従来からFAO日本事務所の業務内容と重なる部分があるが、様々な組織が共通した活動を行なうことで、より多角的で幅広い情報提供や、状況にあった融通の聞く途上国支援が可能になる。飢餓人口削減に向けた活動において先進国がすべきことは、途上国のそうした飢餓人口削減に向けた活動に協力すること、そうした枠組みに参加し、技術や資金などの面からの支援を行うことと、国内において一般市民に対し情報提供を行い、より多くの市民がそうした現状を知る機会を提供することである。そうした役割を、様々な組織が果たすことを促進するのがこのAAHMという枠組みである。

一方、ケニアでのAAHMの立ち上げの情報は入ってきていない。国内での課題を抱える国でこそ、そうした枠組みを築き、状況の改善を目指すメカニズムを構築していくことを期待する。連携の枠組みを築いていくには大きな労力と時間、資金が必要になることが考えられる。そこで、その枠組みを作る課程で、国連や先進国をはじめとする各国政府、企業等が協力していくような動きが起こることが望ましい。今後そういった動きを作り出していくのが、途上国政府であることが望ましいが、困難である場合は国連、あるいは先進国政府が先頭を切ってそういった枠組みが作られていくような流れを作っていくことが必要である。そうした動きが世界では起こりつつある。

また、FAOのほかに、UNDPをはじめとして、官民連携の活動が注目されはじめている。JICAの活動もその1つであり、その例の1つとして、ソニー、JICA,UNDPが共同プロジェクトとして、ガーナやカメルーンでのHIV/AIDSの蔓延の対策を目的とした活動を行なっている。 今後さらに官民連携をはじめとした、諸組織の連携が注目を高めていくと予想する。

結論

【横浜国際フェスタにおける組織連携】

横浜および周辺地域に活動拠点を置いている、国際協力、国際交流、在住外国人支援に取り組むNGO/NPO、行政機関、国際機関、学校、企業等の活動を市民に紹介することと、出展団体同士が連携・ネットワークを図ることを大きな目的として、年に1回、2日間開催されているイベントが横浜国際フェスタである。このイベントはその母体である国際協力NGO祭が開催されてからよこはま国際フェスタ2010が14回目の開催である。当初は横浜市の行政が市内の国際協力団体のネットワーク化を目的に開催したイベントであったが、主催組織にNGOのスタッフや市民ボランティア、イベント開催の中で誕生した横浜NGO連絡会などが加わるようになり、徐々に行政の手から自立し、市民によるイベント開催が行われるようになってきた。また、イベント開催を重ねるにつれ、当初の目的であった国際協力団体のネットワークが進み、イベントの目的は市民に対する情報発信の場の提供へと変化していった。イベントの沿革を見ていくことで、1つのプロジェクトの中で時が経つにつれその目的は変化すること、そうした変化によりそれぞれの組織の関係性も変化するということが明らかになった。

それぞれの組織にはイベント内での立ち位置によってイベント参加への目的が異なっている。主催組織には、出展団体の活動PRの場の提供、市民への情報提供という目的があり、出展団体には団体により差異はあるが共通するところは、自分達の団体の活動PR、活動資金を得るための活動の場、活動支援者の獲得などの目的、企画協力団体には、イベント協力を通じた活動PRなどの目的がそれぞれにある。主催組織はそれらの組織がどれだけイベントで目的を達成しているのか、イベントを評価しているのかをアンケートを中心に評価し、次年度以降のイベント開催へと役立てている。主催組織に必要なことは、それらの組織の目的を把握し、それらを達成するためにはどのようなイベント開催を行うべきなのかを考え、実現していくことである。そして出展団体には、自分達の目的、イベントに対しどのような評価をしているのかを主催組織に伝える義務がある。 そして1つのプロジェクトを実現させていくために重要なことは、それぞれの組織が、そのプロジェクトに対する共通した1つの目標を持ち、それを共有することと、それぞれがそのプロジェクトに持っている目的をそれぞれが認識し、互いの目的を達成するための方法をそのプロジェクトの中で模索することである。そのためには中心となる組織、このイベントでいう主催組織がその連携の枠組みの中の隅々にまで情報を提供し、常に情報共有、情報交換できる場を提供するということが重要である。情報共有が互いの信頼へと結びつき、1つのプロジェクトの成功へとつながる。そうした考え方は、近年、途上国における開発や援助をする際に、その開発や援助がきちんと現地で機能するか、成果を出すのかといった議論を行う際に重要視されている、ソーシャルキャピタルの考え方に共通する。


【ケニアの飢餓人口削減に向けた連携のあり方】

ケニアは20年間、飢餓人口比率は30%前後の水準を保っており、他のアフリカ諸国では飢餓人口減少の傾向があるが、ケニアはその減少に至っていない。植民地支配独立後のケニアは年平均経済成長率が10%を越え、「アフリカの優等生」と呼ばれていた。しかし1980年代に突入して現在まで、経済成長率は2%を割るほど低迷を続けている。前者の時期はケニヤッタが政権を担い、独立後の土地分割や、それに伴う小農への支援、商品作物生産の効率性を高めるインフラをはじめとする環境整備により、農業部門での大きな成長が見られる。農業部門の成長が国内需要を牽引し、同時に製造業部門も発展、そのことによる税収により政府の財政は安定した。ここから、ケニア経済において農業部門の発展が重要であることが明らかになった。一方でモイ政権期は、世界的な不況と、2度に渡る干ばつの被害を受け、農業部門と製造業部門の双方の成長が低迷した。また、ケニヤッタ期のような大きな成果を上げるような開発支援、インフラ整備は行われず、穀物生産量成長率はわずか0.4%に留まった。ここから、農業部門において、政策が大きな影響力を持っていることが明らかになった。また、前者と後者の政権期双方において、大統領の出身の民族集団に優位な政策を採ることにより、民族間に格差が生じ、大きな軋轢となっている。その軋轢が現在にまで残り、民族間の暴力を伴う衝突が生じている。このことは農業部門にも負の影響を与えており、農業部門の安定した成長のためにはそうした政情不安も早期に解決する必要がある。また、ケニア農業にはそうした民族間の問題と、土地による制約の問題がある。まず、気候の条件により農業好適地が限られる。また、干ばつなどの気候変動の影響を受けやすく、農業生産は不安定である。そこで、灌漑などのインフラを整備することで土地を有効的に使うこと、気候による影響を受けにくくし、安定した農業生産を可能にすることが重要である。

現在、ケニアにおいて様々な組織が農業環境整備に関する活動を行なっているが、その連携の枠組みは存在しない。連携の枠組みを作り、より効果的な整備活動を行なうことを提案する。

その枠組みは常に政府が中心となり、コーディネートしていくことが望ましい。そして、各組織の長所を活かし、同時に短所を補う連携を目指すべきだ。その連携を考える際に、横浜国際フェスタの事例を挙げた。同じイベント内でもそれぞれの組織には共通の目標と、異なった目的があった。その共通点、相違点を互いに認識し、協調しあうことが1つのプロジェクトを行う際の連携に最も必要なことである。そのためには、連携の中心である主催組織、すなわちケニアの場合、政府がいかに舵を取り、連携をいい方向に進めるかが重要である。また、それぞれの長所をプロジェクトの要所で活かし、最終的には現地住民のニーズや評価を重要視することが必要である。現在世界では、飢餓など、世界が直面している深刻な問題に対し、結束しようという動きが活発化している。2010年の世界食料デーは「United Against Hunger(飢餓に結束する)」をテーマとして掲げられており、その一環としてFAOにおいて飢餓人口削減に向けた世界的な連携の枠組みが立ち上げられたのが大きな例の1つである。今後、そのような枠組みが構築されていく中で、1つモデルとなるケースが誕生し、そのケースを参考に連携が活発化していくことを期待する。

本稿で組んだモデルはかなり単純化されたもので、現実化するにはより複雑で規模の大きなプロジェクトになることは容易に予想される。しかし、ケニアの飢餓人口削減を目的とする、農業部門発展に向けた活動における大きな考え方の1つとして、本稿での連携のケースを提案し、最終的には世界の飢餓人口の削減につながっていくことを期待する。

参考資料・文献、情報提供元一覧

高橋基樹著『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』 勁草書房 2010年

FAOプレスリリース No.177 2010/10/6

国際協力マガジン 2008年4月号

百嶋徹(2009.8)『CSRの実践を促すソーシャル・キャピタル〜経済的リターンと社会的リターンの好循環を促す触媒機能〜』ニッセイ基礎研究所

Henri Carsalade(2003.4)『FIELD PROGRAMME CIRCULAR』FAO

FAO(1998.1)『Evaluation Mission Brief』

FAO(2009.8)『Country Brief Kenya』

CBS,THE WORLD BANK,SIDA,SID『Geographic Dimensions of Well-being in Kenya』

http://www.kenyarep-jp.com/ 駐日ケニア共和国大使館

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/kenya/data.html 外務省:ケニア共和国

http://dataranking.com/table.cgi?LG=j&TP=po06-2 経済・社会ランキング/ ケニア

http://africa-rikai.net/edudata/KENYA.html ケニア共和国:アフリカ教育情報

http://pwt.econ.upenn.edu/ World Penn Table

http://www.imfstatistics.org/imf/ International Monetary Fund International Financial Statistics Brower

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THE WORLD BANK An Online Atlas of the Millennium Development Goals

http://unstats.un.org/unsd/default.htm United Nations Statistics Division

http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/DATASTATISTICS/0,,contentMDK: 21725423~pagePK:64133150~piPK:64133175~theSitePK:239419,00.html
THE WORLD BANK World Development Indicator 2008

http://www.ilo.org/global/lang--en/index.htm International Labour Organization -Home-

http://www.wfp.or.jp/index.php WFP国連世界食糧計画

http://www.jica.go.jp/ JICA―国際協力機構

国連世界食糧農業機関(FAO)日本事務所

駐日ケニア大使館

非営利活動法人 横浜NGO連絡会

バオバブの会

ピース・オブ・ケニア

非営利活動法人 アフリカ日本協議会


(1) ミレニアム開発目標 Millennium Development Goals, MDGs
2000年に189の国連加盟国代表により採択された「国連ミレニアム宣言」を契機に作成された、途上国の開発課題解決に向けた国際社会共通の開発目標であり、2015年を達成期限とした8つの目標、18のターゲット、48の指標が定められている。8つの目標は以下の通りである。(1)極端な貧困を解消 (2)初等教育の普及 (3)男女平等と女性のエンパワーメントを図る (4)幼児死亡率の低下 (5)妊産婦の健康状態の回復 (6)HIV/AIDS、マラリア等の病気と闘う (7)環境の持続可能性を確保 (8)開発のためのグローバルパートナーシップの構築 > 本文へ

(2) 2015年まで飢餓人口半減
2000年当時、世界の飢餓人口は8億3000〜4000万人に達しており、2015年までに4億人まで減らすという目標が立てられた。 > 本文へ

(3) 公益財団法人 横浜国際交流協会(YOKE)
市民の国際交流、国際協力活動支援を目的に1981年に設立した法人。現在は、市内在住の外国人向けの相談コーナーの運営や、市内国際交流ラウンジの支援、日本語教室の実施などの事業を展開し、国際化が進む横浜において「多文化共生のまちづくり」を目指している。 > 本文へ

(4) 農業好適地
ここでは、ケニア政府により農業ポテンシャルが高いとされた、平均年間降水量857.5mm以上の農牧地を指す。 > 本文へ

(5) 遊休状態
CSB/SA[1977]によれば、大規模農場の総面積のうち、約74.9%が未耕作の牧草地となっている。また、耕作済みの農地もその約26.1%が休閑地とされている。 > 本文へ






*このファイルは文部科学省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)の成果/のための資料の一部でもあります。
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htm

UP: 2011 REV: 20170824
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