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「続 裁判員元年5 死者また生くべからず」

『朝日新聞』2010.1.21朝刊,3面

laat update:20100121

「続 裁判員元年5 死者また生くべからず」

 日本には、死刑が行われなかった時期がある。
 奈良時代の724年、聖武天皇は死刑中止の詔書を出した。「死者また生くべからず」。命は一度奪ったらよみがえらない、という意味だ。嵯峨天皇が818年に正式に廃止して以来、3世紀半にわたって死刑がなかった。
 理由については、仏教の地獄思想の影響や「怨霊を恐れた」といった諸説がある。帝銀事件の平沢貞通元死刑囚を長く支援してきた森川哲郎氏は、著書「日本死刑史」(1970年刊)で《全く奇跡のように見えるが、日本史の中のまぎれもない事実》と評した。その後、武家政治の始まりとともに死刑は復活し、現在に至る。
 昨年10月。立命館大学大学院の櫻井悟史さん(27)は、日本犯罪社会学会で「なぜ死刑は刑務官が執行することになっているのか」というテーマの発表をした。
 江戸時代、死刑執行の一つだった斬首を担っていたのは牢役人ではなく、町奉行所の同心や刀の試し切りを生業とする人ら、牢屋の外から雇った者だったという。だが、1882(明治15)年の旧刑法施行により死刑執行の方法が現在の形の絞首刑に一本化されて以来、いくつかの経緯を経て、法律上明記されないままに刑務官の職務とされるようになった。
 「結果として死刑という刑罰がどういうものか、という根本的な議論が封じられ、ベールに包まれてしまった」と櫻井さんは指摘する。死刑は市民からは縁遠いひとごととなってきたゆえんだ。
 市民が死刑執行の役割を担う社会を描いた小説「クロカミ」(2008年刊)。主人公がある朝、郵便ポストに届いた1通の茶封筒を開けてみると、それは「死刑執行員候補者」の呼び出し状だった――。裁判員がくじで選ばれるのと同じように、選挙人名簿から無作為に選ばれた市民が死刑にかかわる。
 作者はジャーナリストの今井恭平さん(60)だ。事件や裁判の報道に触れて「こんなヤツは早く死刑にしてしまえばいい」と簡単に口にする人も、裁判員として死刑判決に直面すれば、「国ではなく、自分たちが死刑を執行しているのだ、ということを突きつけられるのではないか」と考え、執筆したという。
 青森県で劇団を主宰する高校教師の畑澤聖悟さん(45)が脚本・演出を手がけた劇「どんとゆけ」は、犯罪被害者の遺族が望めば加害者の死刑を執行できる社会がテーマだ。
 劇中、執行の場面で「ドーン」という音響とともに客席が振動する演出をしたのは、市民に「覚悟」を問いたかったからだ。「裁判員制度のもとでは、被害者ではなく、事件に直接関係のない市民が、裁判員として加害者の首にロープをかける責任の一端を担う。一人ひとりが『自分にどれだけの覚悟があるのか』を考えなければならない」
 いま、死刑制度を維持することを望む世論は8割にのぼる。法定刑に死刑を定めた罪は18種類。実際に適用されているのはほとんどが強盗殺人や殺人で、1年間に一審で宣告される死刑判決は、数件から十数件で推移している。
 犠牲者が多く、検察側が被告に死刑を求刑するとみられる事件の裁判員裁判もすでに予定されている。市民が、究極の刑を選択するかどうかを迫られる。 =おわり
 (この連載は市川美亜子、岩田清隆、河原田慎一が担当しました)


*作成:櫻井 悟史
UP:20100121 REV:
全文掲載  ◇櫻井 悟史
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