日本の「ゆりかご」の先例として、ドイツのBabyklappeがしばしば比較対象に挙げられる。ドイツに「捨て子ポスト」「捨て子箱」が存在することは、2007年に「ゆりかご」が運用開始する前から注目されていた(『朝日新聞』2002.1.30、『読売新聞』2003.7.15)。Babyklappeの研究を続けている阪本恭子(2008)によると、ドイツで初めて設置されたのは1999年で、バイエルン州の小さな町アンベルグにあるカトリック系の女性支援団体(Donum Vitae in Bayern e. V.)によるものであった。社会的に弱く、困難な立場にある非婚の妊娠女性やシングルマザーとその子どもを救済する「モーゼのプロジェクト」の一環であったが、利用者ゼロの年が続いて現在は閉鎖されている。しかし、翌2000年にハンブルグのシュテルニ・パーク(SterniPark e. V.)がBabyklappeを開設して、メディアを利用したキャンペーンを行うなど活発な運動を現在も展開しているという。現在ではドイツ国内に80近くのBabyklappeが設置され、年間約40人が預けられている。
Babyklappeと関連づけて論じられるものに匿名出産がある。どちらも子どもは「捨て子」として扱われる点では同じだが、匿名出産は女性が専門家の支援を受けないで出産する危険を回避するための制度という側面が加わる。フランスでは中絶規制と子捨て・子殺し問題を背景に、女性が匿名で出産できるように1941年に創設され現在まで存続している(西 2001)。阪本(2008)によると、Babyklappeを有するドイツでも北東の連邦州には匿名出産が可能な病院が多く、出産はすべて総合病院または大学病院で行われているという。匿名出産やBabyklappeは子の出自を知る権利をめぐる問題性などをめぐって、「ゆりかご」創設以前から法学等の分野で注目されていた(床谷 2003など)。現在、日本における「ゆりかご」の議論の際に登場するのはBabyklappeと匿名出産である。
Babyklappeの目的は子どもの生命を保護することであり、また殺害や遺棄といった女性の犯罪行為を防ぐことである。この目的は「ゆりかご」と同じであるが、両者のもつ社会的背景は異なっている。ハンブルグ州の調査では、ドイツで子どもを遺棄せざるを得ない苦境にあるのは、不法滞在の外国人女性、麻薬常習者、性犯罪やDVの被害者、10代の若い女性であるという(佐藤 2004)。つまりBabyklappeは、不法移民や麻薬常習者などの公的なサービスを何らかの事情で受けられない状況にある女性、また性犯罪被害者やDV被害者、10代の若い女性など、妊娠出産の事実を近親者にさえ秘匿したい事情のある女性たちに対する緊急の救済システムという位置づけができる。
落美都里(2008)はBabyklappeについて、ドイツにおける移民問題の深刻化をその社会的背景に挙げている。ドイツは欧州屈指の移民大国である。2005年の小規模国勢調査によれば、ドイツ国内の移民系住民は約1530万人で、全人口の約18.6%を占める。そのうち8.9%の約730万人が外国籍、9.7%の約800万人がドイツ国籍である。移民系住民は2?25歳の人口の27.2%、600万人を占め、6歳以下に限れば全体の3割を占める。ちなみに出身国はトルコが最多で、旧ユーゴスラヴィア、旧ソ連、ポーランド、イタリアが高い割合を占めている。ハンブルグ州の調査でも、移民系住民のうち不法滞在者である場合は、無保険状態であったり強制退去措置を恐れたりして、当局との接触を避けるために匿名出産制度やBabyklappeを利用してしまうことが指摘されている。
ドイツにおける子どもの遺棄の理由に「未婚」はなく、それは婚外子が社会的に社会福祉の対象とされているからだという(佐藤 2004)。現在ドイツでは全出生数の3割近くが婚外子である。これは事実婚の増加など婚姻法にかかわることや、相続などに関して法律上に「摘出概念」が存在しないこと、未婚で子どもを育てるシングルマザーへの公的援助が充実していることが要因となっている。確かに婚外子が生まれやすい社会ということは、婚外子を育てるシングルマザーが生きやすい社会といえる。しかし、これはシングルマザーにならずに子どもを手放そうとする女性が嬰児の殺害や遺棄をしないという十分な理由ではない。ドイツにはBabyklappeの他に、女性が思わぬ妊娠をした際に利用可能な社会制度があるということである。
「ゆりかご」に関する従来の議論においては、ドイツではBabyklappeや匿名出産のようなシステムの前に「養子縁組」が選択肢として用意されていることはあまり論じられていない。ドイツでは刑法第218条と第219条によって、中絶には非医師である専門家との相談義務がある。ドイツの中絶相談所は希望があれば匿名で相談を受け付け、夫婦・家族問題の相談所、青少年やシングルマザーを支援する福祉団体の紹介、そして養子斡旋所への仲介を行う(阪本 2008)。ドイツでは女性の思わぬ妊娠に際して、養子縁組という出産と養育を切り離した選択肢が、中絶とシングルマザーと同列に提示されるのである。
高橋由紀子(2001, 2007)の報告によると、ドイツではピルによる避妊の浸透や事実婚の一般化、民法上の婚外子差別の撤廃、一人親家庭への支援拡大にともなって養子となる子どもの数は減っているという。しかし、2005年には継親子養子を除いて2,170人の子どもが養子となっており、771人の子どもが養子縁組のために仮登録されている。養子候補と養親希望者は1:12の比率と計算され、養子大国といわれるアメリカやフランスと同様にドイツでも国内の養子候補が不足しており、近年は国外に養子をもとめる国際養子縁組が増加している。養子縁組の斡旋ができるのは公的少年援助機関と州によって認可された民間の養子縁組サービス機関で、望まない妊娠をした女性の相談などの支援も行っており、養子縁組で子どもを手放す親は10代の未婚女性が圧倒的に多いという。ドイツでは養子縁組は児童福祉の重要な一領域であると同時に、思わぬ妊娠をした女性にたいする社会福祉としての機能が定着していると考えられる。このように、女性の妊娠に際して養子縁組などいくつかの選択肢が用意されたうえで、移民問題を背景としたBabyklappeの必要性と出自を知る権利などに関わる問題性の緊張関係がドイツでは議論されている。
この法律はより大きな政治的文化おいて適切に理解されている。その文化とは、胎児の生命保護をめぐって構築されつつある、「いのちの文化(culture of life)」と自称するものである。子どもの生命を胎児の生命と、嬰児殺を中絶と結びつけることで、Safe Haven lawsは「いのちの文化」の政治的な目的、すなわちロウ・ウェイド判決の逆転を巧妙に促進している。同法が成し遂げた重要なことは、犯罪学的なものではなく文化的なものであったのかもしれない。
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