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「こうのとりのゆりかご」と未婚母・婚外子──ドイツのBabyklappe, アメリカのSafe Haven Lawsとの比較から

吉田 一史美 2009/12/04
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20091204
櫻井 浩子堀田 義太郎 『出生をめぐる倫理――「生存」への選択』
立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告10,194p. ISSN 1882-6539 pp.34-61br>


「こうのとりのゆりかご」と未婚母・婚外子
 ──ドイツのBabyklappe, アメリカのSafe Haven Lawsとの比較から

吉田一史美

はじめに──「こうのとりのゆりかご」をめぐる諸問題

 新生児が公衆トイレやゴミ捨て場などに遺棄され、死亡するという痛ましい事件はなくならない。発覚するのは全体のごく一部であるともいわれ、思わぬ妊娠をした女性とその子どもが陥る最悪のケースを回避するための対策が必要である。熊本県の慈恵病院が運営する「こうのとりゆりかご」(以下「ゆりかご」)は、このような今も絶えない子捨て・子殺し事件を受けて創設された。
 「ゆりかご」に類似するシステムは、「ゆりかご」がモデルにしたというドイツのBabyklappeをはじめ、イタリアのCulla per la vita、フランスの匿名出産制度、アメリカのSafe Haven lawsなど欧米を中心に存在する。親が新生児を匿名で手放すことを可能にしたシステムは、育児放棄を助長するという懸念や出自を知る権利などの人権的な観点から批判されている。どの国でも物議を呼んでいるシステムであり、賛否両論である。しかし、それでもなお欧米諸国でこのようなシステムが存続あるいは採用されているのは、それが各々の社会で安全網としての役割を持つと考えられているからである。
 では、「ゆりかご」のようなシステムが利用される状況とはどのようなものなのか考えてみる。女性が思わぬ妊娠をしたとき、まず産むか/産まないかの選択があり、産まない場合は人工妊娠中絶(以下、中絶)の手術を受ける。産む場合は、育てるか/育てないかの選択がある。育てる場合の環境は法的婚姻・事実婚・シングルマザー・シングルファーザーがありうる。産むけれども育てない場合の選択肢として養子縁組がある。そして、それらのいずれも選択しない場合に、匿名出産制度やBabyklappeなど匿名で親権を手放せるシステムが用意されている。このように匿名で親権を放棄できるシステムは、社会制度が何重にも機能しているなかで嬰児殺を防止する最後の安全網としての機能を果たす。
 「ゆりかご」はBabyklappeをモデルにつくられたというが、避妊の方法を含めて妊娠から「ゆりかご」へと足を向けるまでの過程を考えてみると、諸外国と日本では妊娠した女性やカップルが選べるライフスタイルや諸制度の整備に違いがある。子捨て・子殺し事件を発端にする点では同じシステムといえるが、それぞれの社会が持つ背景が異なることに注意しなくてはならない。そこで本稿では、ドイツのBabyklappeとアメリカSafe Haven Lawとの比較を通して、日本の社会で「ゆりかご」が提起する問題は何なのかを考える。「ゆりかご」の是非を論ずるのではなく、日本では「ゆりかご」のオータナティブとなるはずの選択肢がどのようなもので、どのように機能している/いないのかを検討する。

1.「こうのとりのゆりかご」の創設と利用

 「ゆりかご」はどのような背景、意図のもとで設立されたのか。慈恵病院のホームページによると、モデルになったのはドイツのBabyklappeである。Babyklappeはドイツ国内で70ヶ所以上あり、年間約40人の子どもが預けられている。慈恵病院理事長の蓮田太二は2004年にドイツへ視察に赴き、それを同病院でも採用したのだという。蓮田は「ゆりかご」の設立にあたって日本の社会情勢について述べており、とくに熊本県内で嬰児が遺棄されて死体で発見されたという事件が年間で3件あったことや、「18才の無職の少女が産み落としたばかりの女児を殺して庭に埋める事件や、21才の専門学校生が汲み取り式トイレで女児を産み落とし窒息させ6年の実刑判決を受けるといった痛ましい事件」に触れている。さらに、親子間の殺人事件や児童虐待に関する相談件数および児童の虐待死件数なども、今後の子捨ての増加を懸念させると指摘している。この若い女性たちが起こす「痛ましい事件」への言及に続いて、蓮田は以下のように設立の趣旨を述べている。

神様から授かった尊い生命を、何とかして助けることができなかったのか?赤ちゃんを生んだ母親もまた救うことができたのではなかろうか? という悔しい思いをし、そしてどうしても赤ちゃんを育てられないと悩む女性が、最終的な問題解決としてドイツと同じように赤ちゃんを預けるところがあれば、母子共に救われると考え、今回当院にそのような設備を整えることとしました。

 こうして2007年の5月10日に運用を開始した「ゆりかご」であったが、初日に預けられたのは3歳児だったというニュースに驚いたのは記憶に新しい。この事実は、育児放棄を助長するという「ゆりかご」への批判を高めるには十分であった。読売新聞は以下のように報じている。

病院は10日正午、ゆりかごの運用を開始。関係者によると、男児が預けられたのはその2、3時間後らしい。男児は名前を名乗り、「父親から(ゆりかごに)入れられた」と話している。話の内容から、熊本県外から連れて来られたとみられる。健康状態は良好で、身元を示すものはないという。県警は男児の身元を特定し、保護者から事情を聞く方針。蓮田太二副院長は15日、「もし事実だとしても、そうでないとしても、医療人としてコメントできない」との談話を出した。4月5日にゆりかご設置を許可した熊本市も「児童福祉法や市情報公開条例に基づき、子どもの人権を守る立場にある。事案の有無を含めてコメントできない」としている。(『読売新聞』2007.5.15)

 病院も熊本市も公表していないにもかかわらず、その後もメディアはそれまで預けられた人数や性別を明らかにしていった。報道内容の多くは、預けられた時間帯や健康状態を公開し、親の刑事責任の有無を判断している。「ゆりかご」は「赤ちゃんポスト」と呼ばれ、育児放棄を助長し、子捨てを増加させるなどと批判された。
 過熱する報道のなか、「ゆりかご」の利用状況が公式に発表されたのは、運営開始から1年4ヶ月後であった。慈恵病院の「ゆりかご」について検証する「こうのとりのゆりかご検証会議」(柏女霊峰淑徳大教授ほか)が熊本県庁でひらかれ、2008年9月8日に中間報告が熊本市に提出された。2007年5月10日から2008年3月31日までの期間に合計17人の子ども(男児13・女児4、新生児14・乳児2・幼児1)の預け入れがあり、うち親の居住地が判明している10件について親の状況が報告された(熊本県少子化対策課 2008)。それによると、判明した居住地はすべて熊本県外で、母親の年齢は10代1割、20代3割、30代と40代で6割であった。母親の状況は、未婚者の事例は確認されておらず、既婚事例6割、ひとり親家庭4割であった。預け入れられた子どもにきょうだいがいる事例は9割を占めた。子どもを預け入れに来た者は、母親一人で来た事例、男女で預け入れに来た事例、祖父母が預け入れに来た事例などさまざまであった。既にきょうだいが養育困難として乳児院に入所措置されているなど、親の居住地の児童相談所が関わっていた事例があり、また預け入れる前の段階で親が居住地の児童相談所に相談している事例が複数あった。報告書では外国人の子どもや障がいのある子どもが預け入れられたケースがあったことも明らかにされている。
 この報告に関する記事の見出しは「赤ちゃんポストに子ども預けた母親、6割30?40歳代」(『読売新聞』2008.9.9)と書かれ、「ゆりかご」の設立当初の想定と利用者の現実との差異を報じている。しかし、17件のうち親の居住地が判明している10件の状況が全体を反映しているわけではなく、残りの7件における10?20代、未婚者の割合については明らかではない。「ゆりかご」が救おうとした「痛ましい事件」の女性と子どもは、報告書では明らかでない7件にどれくらいあったのだろうか。
 この報告書の公表により、「ゆりかご」設置の衝撃と報道の過熱は落ち着いた。そして運営開始から2年が経過した2009年5月25日、熊本市は2008年度に「ゆりかご」が受け入れた子どもが25人に上ることを明らかにした。2007年5月?昨年3月末の初年度に比べて8人増えて、運用開始から2年間の累計は42人となった。性別は男児13人で、女児12人、年齢は子どもとともに残された手紙や医師の診断によると、生後1か月未満の新生児が21人、生後1歳未満が3人、就学前の幼児が1人であった。このうち2人は治療が必要な状況だったが、虐待の痕跡はなかったという。現在、ゆりかごの日常的な運用については、同市が設置する専門部会が約3カ月ごとに状況をチェックしており、これまでの運用では違法性や子どもの安全確保に問題はなかったとしている。また、県の有識者会議が社会的な問題や課題を検証しており、この秋に最終報告書をまとめるという。

2.Babyklappeと移民問題

 日本の「ゆりかご」の先例として、ドイツのBabyklappeがしばしば比較対象に挙げられる。ドイツに「捨て子ポスト」「捨て子箱」が存在することは、2007年に「ゆりかご」が運用開始する前から注目されていた(『朝日新聞』2002.1.30、『読売新聞』2003.7.15)。Babyklappeの研究を続けている阪本恭子(2008)によると、ドイツで初めて設置されたのは1999年で、バイエルン州の小さな町アンベルグにあるカトリック系の女性支援団体(Donum Vitae in Bayern e. V.)によるものであった。社会的に弱く、困難な立場にある非婚の妊娠女性やシングルマザーとその子どもを救済する「モーゼのプロジェクト」の一環であったが、利用者ゼロの年が続いて現在は閉鎖されている。しかし、翌2000年にハンブルグのシュテルニ・パーク(SterniPark e. V.)がBabyklappeを開設して、メディアを利用したキャンペーンを行うなど活発な運動を現在も展開しているという。現在ではドイツ国内に80近くのBabyklappeが設置され、年間約40人が預けられている。
 Babyklappeと関連づけて論じられるものに匿名出産がある。どちらも子どもは「捨て子」として扱われる点では同じだが、匿名出産は女性が専門家の支援を受けないで出産する危険を回避するための制度という側面が加わる。フランスでは中絶規制と子捨て・子殺し問題を背景に、女性が匿名で出産できるように1941年に創設され現在まで存続している(西 2001)。阪本(2008)によると、Babyklappeを有するドイツでも北東の連邦州には匿名出産が可能な病院が多く、出産はすべて総合病院または大学病院で行われているという。匿名出産やBabyklappeは子の出自を知る権利をめぐる問題性などをめぐって、「ゆりかご」創設以前から法学等の分野で注目されていた(床谷 2003など)。現在、日本における「ゆりかご」の議論の際に登場するのはBabyklappeと匿名出産である。
 Babyklappeの目的は子どもの生命を保護することであり、また殺害や遺棄といった女性の犯罪行為を防ぐことである。この目的は「ゆりかご」と同じであるが、両者のもつ社会的背景は異なっている。ハンブルグ州の調査では、ドイツで子どもを遺棄せざるを得ない苦境にあるのは、不法滞在の外国人女性、麻薬常習者、性犯罪やDVの被害者、10代の若い女性であるという(佐藤 2004)。つまりBabyklappeは、不法移民や麻薬常習者などの公的なサービスを何らかの事情で受けられない状況にある女性、また性犯罪被害者やDV被害者、10代の若い女性など、妊娠出産の事実を近親者にさえ秘匿したい事情のある女性たちに対する緊急の救済システムという位置づけができる。
 落美都里(2008)はBabyklappeについて、ドイツにおける移民問題の深刻化をその社会的背景に挙げている。ドイツは欧州屈指の移民大国である。2005年の小規模国勢調査によれば、ドイツ国内の移民系住民は約1530万人で、全人口の約18.6%を占める。そのうち8.9%の約730万人が外国籍、9.7%の約800万人がドイツ国籍である。移民系住民は2?25歳の人口の27.2%、600万人を占め、6歳以下に限れば全体の3割を占める。ちなみに出身国はトルコが最多で、旧ユーゴスラヴィア、旧ソ連、ポーランド、イタリアが高い割合を占めている。ハンブルグ州の調査でも、移民系住民のうち不法滞在者である場合は、無保険状態であったり強制退去措置を恐れたりして、当局との接触を避けるために匿名出産制度やBabyklappeを利用してしまうことが指摘されている。
 ドイツにおける子どもの遺棄の理由に「未婚」はなく、それは婚外子が社会的に社会福祉の対象とされているからだという(佐藤 2004)。現在ドイツでは全出生数の3割近くが婚外子である。これは事実婚の増加など婚姻法にかかわることや、相続などに関して法律上に「摘出概念」が存在しないこと、未婚で子どもを育てるシングルマザーへの公的援助が充実していることが要因となっている。確かに婚外子が生まれやすい社会ということは、婚外子を育てるシングルマザーが生きやすい社会といえる。しかし、これはシングルマザーにならずに子どもを手放そうとする女性が嬰児の殺害や遺棄をしないという十分な理由ではない。ドイツにはBabyklappeの他に、女性が思わぬ妊娠をした際に利用可能な社会制度があるということである。
 「ゆりかご」に関する従来の議論においては、ドイツではBabyklappeや匿名出産のようなシステムの前に「養子縁組」が選択肢として用意されていることはあまり論じられていない。ドイツでは刑法第218条と第219条によって、中絶には非医師である専門家との相談義務がある。ドイツの中絶相談所は希望があれば匿名で相談を受け付け、夫婦・家族問題の相談所、青少年やシングルマザーを支援する福祉団体の紹介、そして養子斡旋所への仲介を行う(阪本 2008)。ドイツでは女性の思わぬ妊娠に際して、養子縁組という出産と養育を切り離した選択肢が、中絶とシングルマザーと同列に提示されるのである。
 高橋由紀子(2001, 2007)の報告によると、ドイツではピルによる避妊の浸透や事実婚の一般化、民法上の婚外子差別の撤廃、一人親家庭への支援拡大にともなって養子となる子どもの数は減っているという。しかし、2005年には継親子養子を除いて2,170人の子どもが養子となっており、771人の子どもが養子縁組のために仮登録されている。養子候補と養親希望者は1:12の比率と計算され、養子大国といわれるアメリカやフランスと同様にドイツでも国内の養子候補が不足しており、近年は国外に養子をもとめる国際養子縁組が増加している。養子縁組の斡旋ができるのは公的少年援助機関と州によって認可された民間の養子縁組サービス機関で、望まない妊娠をした女性の相談などの支援も行っており、養子縁組で子どもを手放す親は10代の未婚女性が圧倒的に多いという。ドイツでは養子縁組は児童福祉の重要な一領域であると同時に、思わぬ妊娠をした女性にたいする社会福祉としての機能が定着していると考えられる。このように、女性の妊娠に際して養子縁組などいくつかの選択肢が用意されたうえで、移民問題を背景としたBabyklappeの必要性と出自を知る権利などに関わる問題性の緊張関係がドイツでは議論されている。

3.Safe Haven Law と中絶問題

 未婚のシングルマザーが増加しており、また養子縁組大国といわれるアメリカでも、新生児を匿名で手放すことができるシステムが存在する。Safe Haven lawsである。新生児の遺棄事件の増加を受けて、1999年にテキサス州がBaby Moses lawsを成立させた。この法律によってテキサスでは、生後60日以内の子どもであれば親は匿名で親権を放棄できるようになった。このシステムの特徴は特定のボックスを設置していない点であり、任意の病院や救急救命センター、認可された児童保護団体の職員に子どもを託すことが可能である。新生児を受け入れる側は、子どもに虐待やニグレクトの形跡がない限り、親に対する拘束や追跡は義務付けられていない。また、親は個人情報の提供を求められることはないが、子どもに関する医学的な情報などを残すための書類への記入が勧められる。子どもは養親候補が一時的に里親となり、実親の親権が自動的に終了する期限を待ってから養子縁組の手続きがすすめられる。
 テキサスのBaby Moses laws は、その後Safe Haven lawsとしてアメリカ国内で拡大していった。翌2000年には、カリフォルニア・フロリダ・ミシガン・カンザスなど14州が、2001年にはさらに17州がSafe Haven lawsを採用した。2002年にはブッシュ大統領(当時)がSafe Haven のプログラムに対する資金・広報・訓練・援助を許可する法案に署名した。こうして2006年までにアメリカの47州およびプエルトリコがSafe Havenのプログラムを創設し、同年までにSafe Haven lawsを採用しなかったのはハワイ・アラスカ・ネブラスカとコロンビア特別区となった。
 ハワイ州知事リンダ・リングルは2003年にSafe Haven Billに拒否権を行使している。その根拠は、ハワイでは拡大家族も核家族の一部だと一般に認識されており、また「ハナイ」と呼ばれるハワイにおけるオープンアダプション(1)の慣行も健在であることから、この法案が女性の思わぬ妊娠に対する既存のサポートシステムにとって好ましくない影響を持ちうるというものであった(Lingle 2003)。またリングルは、国内の専門家たちがSafe Haven lawsに批判的になりつつあると指摘した。
 現在では、ハワイを含めた50州すべてがSafe Haven lawsを採用している。各州でSafe Haven lawsの内容は異なる。2007年時点で各州の法令をまとめた資料によると、受け入れる新生児の年齢に関しては、15州が生後72時間以内、 14州が生後1ヶ月以内と定めており、その他の州では、生後5日、7日、14日、45日、60日、90日、1年以内といった年齢制限を設定している。Safe Havenとして機能を果たしうるのは、8州が病院のみと規定しており、他の州は病院に加えて救急救命サービス、警察署、消防署をSafe Havenとして指定している。また4州で通報を受けて駆けつけた救急救命士も子どもを引き受けることが可能であり、プエルトリコでは教会もSafe Havenとして機能することが認められている。
 ネブラスカ州は2008年にSafe Haven lawsを採用したが、受け入れる子どもの年齢を制限していなかったことで、10代の子どもを含む年長児の置き去りを同法の下で容認せざるをえない事態に陥った。2008年に30人以上の子どもがネブラスカのSafe Havenで保護されたが、乳児はおらず、約半数が10代で、さらに数名が州外から連れて来られていた。これを受けてネブラスカは年齢制限を新設して「30日以内」と規定している(USA today, November 14, 2008; New York Times, November 23, 2008)。
 ネブラスカの件にかぎらず、Safe Haven lawsに対する批判的な見解がある。とくに養子縁組について研究をしているアダム・パートマンらは、Safe Haven lawsの創設によって新生児の遺棄や殺害の件数が減少したとはいえないと報告しており、また同法の利用者へのカウンセリングがなされないために同法の効果を確認することができていないとして、Safe Haven lawsの影響力について懐疑的である(Pertman and Deoudes 2008)。
 ドイツのBabyklappeや日本の「ゆりかご」には法的な裏づけがなく、賛否両論のなかで行政の対応が後手に回る状況で、民間で運営と活動が続けられている。しかし、アメリカでは同様のシステムを州が法律で規定している。しかもこのSafe Havenプログラムがわずか数年のあいだにアメリカ全土へ拡大したというのは驚異的といえる。その背景にはアメリカ社会に根強い中絶問題があると考えられる。
 キャロル・サンガー(2006)は、Safe Haven lawsについて以下のように述べている。

この法律はより大きな政治的文化おいて適切に理解されている。その文化とは、胎児の生命保護をめぐって構築されつつある、「いのちの文化(culture of life)」と自称するものである。子どもの生命を胎児の生命と、嬰児殺を中絶と結びつけることで、Safe Haven lawsは「いのちの文化」の政治的な目的、すなわちロウ・ウェイド判決の逆転を巧妙に促進している。同法が成し遂げた重要なことは、犯罪学的なものではなく文化的なものであったのかもしれない。

 サンガーは州におけるSafe Haven lawの立法化過程を調査し、中絶問題をめぐるレトリックとポリティクスが全米における同法の短期間での立法化を膳立てたことを示唆している。さらに、立法上および社会的なメカニズムが未婚女性の妊娠と中絶を議論から除外しており、そしてそれが若い女性を心理的な危機に陥れ、不幸にも生まれたばかりのわが子を遺棄させることになっているということも指摘している。
 アメリカにおける中絶めぐる論争や中絶反対派による過激な闘争については、荻野美穂(2001)が詳細に研究している。1971年と72年に連邦最高裁で公判が開かれたロウ対ウェイド訴訟は、プライバシー権を根拠に、1875年以来母体の生命救済以外の理由での中絶を禁じてきたテキサス州法の違憲性を問うものであった。判決は、判事9人のうち7対2の大差で女性が中絶を選ぶ権利を憲法に保証されたプライバシー権として認めるという、誰も予想しなかったリベラルなものであった。この1973年のロウ・ウェイド判決以来、中絶は激しい論争のテーマになっており、大統領選挙をはじめとする政治の場面においても重要な争点となっている。この中絶反対派と中絶擁護派の対立は、言論上だけでなく反対派による中絶クリニックへのテロ、中絶を求める女性へのいやがらせ、さらには中絶を行う医師の殺害という暴力行為を伴っており、アメリカ社会で「25年戦争」「新しい内戦」と呼ばれるまでに深刻化している。
 最近でも2009年5月31日にカンザス州ウィチタ市内の教会で、中絶手術を行う産婦人科医が銃撃されて死亡するという事件が起きた。死亡したジョージ・ティラー医師は妊娠後期の中絶手術を行う数少ない医師の1人で、16年前にも自身の診療所付近で銃撃されている。カンザス州では妊娠第3期(28週以降)の中絶について、「母体に回復できない障害を残す」などの場合に限り認めている。そのため、中絶手術をもとめる妊婦たちが全米から同医師のクリニックを訪れていた。ティラー医師射殺事件後、遺族はクリニックを閉鎖したという(『毎日新聞』2009.7.16)。
 アメリカでは中絶手術を受けるのも施すのも「命がけ」と表現されることもあるように、容易に中絶手術を受けられない。そもそも中絶を行っている医師・病院が少なく、Planned Parenthoodなどの家族計画団体によるボランティア活動に支えられている面もある。こうした中絶をめぐる社会的および政治的な背景が、アメリカのSafe Haven lawsの成立にはある。

4.日本の未婚母・婚外子をめぐる問題

 ドイツのBabyklappeには移民問題が、アメリカのSafe Haven laws には中絶問題が背景にあった。日本の「ゆりかご」にはどのような社会的背景があるだろうか。日本における新生児の遺棄や殺害においては、「未婚」という要素がいまだ中核を成していると考えられる。ここでは日本における婚外子および未婚母をめぐる問題を取り上げる。
 現在、ドイツやアメリカをはじめ多くの国では法律上の婚外子差別は撤廃されている。キリスト教文化圏では性を抑圧する規範があり、また婚姻契約は神聖なものと考えられていたため、未婚母や婚外子への法的・社会的制裁は強力であった。「未婚の母の家(unmarried mothers'home)」の存在は、未婚の妊娠女性の保護を要請するほどに厳しい差別の実態を伝えるものとしてとらえることもできる。そして、婚外に生まれた子どもは「罪の果実」として「親の罪を贖罪させるべき」存在として冷遇されていた。しかし、20世紀になって子どもの権利が重視されると、欧州人権条約、婚外子の法的地位に関する欧州条約、子どもの権利条約において子ども出生による差別が禁止された。これらの条約に基づき、欧州を中心に世界の国々が婚外子差別の撤廃を行っていった。現在、婚外子相続差別を法律で規定している国は、フィリピンと日本だけだといわれている。
 民法改正運動に携わる坂本洋子(2008)は、日本における嫡出推定規定、国籍法の婚外子差別規定、そして民法の婚外子相続差別規定のそれぞれの問題性は通底していると指摘する。日本の民法や諸制度には「嫡出概念」が存在し、「嫡出子」であるか否かでさまざまな差別がある。民法の「第5編 相続」には「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の2分の1」という規定(900条4号但し書き)があり、法律婚をしていないカップルの子どもは、法律婚をしているカップルの子どもの半分しか相続できない。この規定について、1993年には東京地裁で婚外子相続差別は憲法違反であると判断されたものの、1995年の最高裁判決では違憲判断はなされなかった。しかし、この地裁の判決は婚外子について相続差別だけでなく社会的差別にも言及した画期的なものであった。
 かつて明治民法では、夫が妻以外の女性との間に子どもをもうけた場合、認知すれば「庶子」、認知しなければ「私生子」として区別していた。妻との間に子どもがいなければその子どもが家督を相続し、また「嫡出の女子」より「庶子の男子」が相続上は優遇された。相続における妻の地位は低く、夫の財産に対する権利も法律上保証されていなかったため、現行民法の婚外子差別規定は「妻の座を守るもの」と考えられることが少なくないという。この規定は、戦後の民法改正で「法律婚の尊重」と「嫡出でない子の保護」との調整を図ったものとされている。しかし、生まれる前の両親の行為で子が不利益を被るべきではないと坂本は指摘している。
 婚外子に対する差別は相続問題だけでない。佐藤文明(1984)などによる婚外子差別撤廃運動が訴えてきたように、戸籍や住民票などの日常で利用する諸制度の細部にまで及んでいた。これまで戸籍の続柄記載では婚内子は「長男」「長女」、婚外子は「男」「女」と記載されていた。また住民票では婚内子は「長男」「長女」、婚外子は「子」とのみ記載された。住民票や戸籍の記載における差別撤廃運動や提訴は主に事実婚をしているカップルによって続けられた。その結果、1994年に旧自治省が住民票の親子関係の記載はすべて「子」と統一するよう通達を出した。そして住民票記載の改正から遅れること10年、2004年に地裁判決が「婚外子と判別できる記載はプライバシーの権利を侵害する」と判断したことを受けて、同年に法務省は戸籍法施行規則の改正を行って婚外子も「長男」「長女」という記載に統一した。
 婚外子の親は事実婚実践者とシングルマザー・シングルファーザーであるが、日本における婚外子差別撤廃運動は事実婚実践者が担っている。1980年代の終わり頃から夫婦別姓を求める運動が広がり、名字を変えないために事実婚をする夫婦の子どもが婚外子として扱われることに疑問の声があがったのが、婚外子差別撤廃運動のはじまりである。事実婚の実践者はさまざまな事情や信念からそのライフスタイルを選択するのだが、「事実婚の婚外子の親たちは、不当な差別に立ち向かい、行政を相手どって闘う気力を持ちうるほどに、日常生活の中では差別に打ちのめされる経験をしてこなかったともいえる」と自己分析している(大田2004)。日常生活における婚外子差別は、事実婚家庭に対するものより一人親家庭に対するものが強く、なかでも離婚や死別ではなく非婚のシングルマザーの家庭がもっとも厳しい差別の現実を知る。彼女らは「未婚の母」として妊娠し、出産するときから、偏見と差別にさらされながら選択を迫られている。
 婚外子差別が相続問題や諸行政手続きにもあらわれているように、未婚母への差別もまたさまざまな場面でみられる。ここではその一例として、日本における子の認知をめぐる制度の問題性を取り上げる。善積京子(2004)は日本とスウェーデンの父親確定制度を比較している。日本の認知制度では、子どもの人権よりも父親の意思が優先されている。子どもが未成年であれば子どもや母親の承諾なしに、いつでも役所の窓口で簡単に受理される。しかし、母親や子どもの側から父親に認知させようとすると、裁判所に強制認知の訴えを起こさねばならず、DNA鑑定の費用も自己負担となる。このように、日本では母親の意志の尊重や子どもの父親を知る権利の保証が十分になされていない状況である。
 一方、スウェーデンでは、父親確認については母親の同意が必要であり、社会福祉委員会という公的機関が関与している。子どもの人権の観点から、できるだけ早く父親を見つけ出して確定することが地方自治体の任務とされており、社会福祉委員会が父親確定のために父親の捜索・調査(情報収集、DNA鑑定)する義務を負い、子の出生から原則1年以内に調査を行われなければならない。男性が父親確認に応じない場合は、子を原告として社会福祉委員会および母親、あるいは社会福祉委員会だけで訴訟を起こす。原告の子どもは無収入であることから、DNA鑑定や裁判の費用などの諸経費すべて公費でまかなわれる。父親の捜索・調査が中止されるのは、父親に関して必要な情報の取得が不可能な場合、裁判所において訴えの維持が不可能とみなされる場合、また子どもの父親が犯罪者や母親の近親者である場合などで、母親の同意を得て中止する。
 また、父親確定ののちの養育費の問題についても善積(1992)が紹介している。スウェーデンでは父親の子の扶養責任は子どもが成人するまで存在すると法律で定められている。一方の親が子どもを育てている場合、他方の親は法によって定められた額の養育費を仕送ることが義務付けられ、義務の履行が徹底的に追求される。養育費の送金が遅滞すると、養育費立替制度に基づいて行政から同額がただちに支払われると同時に、送金遅滞者へ厳しく返済を請求する。ただし、養育費の支払いが困難なほど経済状況が悪い場合は、政府が養育費を肩代わりする。
 日本では父親から認知や養育費を得ることが容易でないだけでなく、家族や親類、友人から出産に反対されるなど私的な問題もあって未婚母は孤立しがちである。また、未婚での妊娠に対する偏見から産休明けに解雇されたり、その後の再就職が困難だったりと雇用における問題もある。さらに子育てにおいては、児童扶養手当制度の運用で離婚・死別のシングルマザーとの差別化が生じていることも指摘されている(松村 2004)。日本における未婚母をめぐる社会的、経済的、法制度的な問題は深刻であり、妊娠をした未婚女性が子どもを産んで育てることを選択したとき、さまざまな困難に直面することになる。
 しかし、日本の未婚女性はシングルマザーとして生きにくい一方で、中絶手術を受けることに社会的・制度的な障害はない。日本では妊娠満22週まで中絶ができ、ほとんどの病院やクリニックで中絶手術は可能で、手術前にカウンセリングを受ける義務もない。このような中絶手術が容易に受けられるという環境で、児童扶養手当制度などの運用において未婚のシングルマザー家庭が積極的に援助されないということは、未婚女性の妊娠に際しては自力で養育できる者だけが産むということが前提されているのかもしれない。日本では思わぬ妊娠をした未婚女性は、多くが中絶を選択せざるをえない仕組みになっているといえる。
 中絶した女性が妊娠に際してどのように選択をしたのかということについて、2002年に日本産婦人科医が中絶を受けた10 代の女性を対象に実施したアンケート(施設数91,回答数565)が参考になる。妊娠が分かったときの気持ちについて「嬉しかった」が32.6%で、「困った」が68.1%であった。「嬉しかった」の割合は年齢が上昇するにつれて増加し、19歳女性では34.5%であった。産みたいと思ったかという質問に対しては「産みたかった」が39.3%、「産みたくない」が18.1%で、「産みたかった」の割合は年齢の上昇と共に増加して19歳女性では41.8%に上り、「産みたくない」の割合は減少して19歳女性では14.7%に過ぎなかった。中絶を選択した理由に関しては、経済的な理由が67.7%と最多で、次いで「若すぎる」63.7%、「未婚のため」46.3%、「子育てに自信がない」44.2%、「学業に差し支える」38.7%、「親の反対」27.3%が上位を占めた。このアンケートでは「産みたかった」と回答した人が4割近くに上っており、婚外子の出生や未婚母らによる養子縁組の利用を考える上で注目すべきデータである。
 法制度的な問題から明らかであるように、日本は婚外子が生きにくい社会であるが、それは同時に日本は未婚母が子どもを産めない、婚外子が生まれにくい社会であるということでもある。婚外子差別を撤廃した国では出生数に占める婚外子の割合が高く、たとえば早期に撤廃したスウェーデンでは56.6%(2006年)と生まれる子どもの半数以上が婚外子である(坂本2008)。2005年に婚外子差別を完全に撤廃したフランスでは50.5%(2007年)と初めて過半数となった。アメリカは38.5%(2006年)、ドイツは29.3%(2006年)である。この数値はこれらの国々おけるシングルマザーの増加と事実婚の一般化を示している。一方、日本の出生数に占める婚外子の割合は2.1%(2006年)と極めて低い。1980年代は0.8%であり、依然として婚外子とその母親に対する社会的差別や偏見が根強いことがうかがわれる。
 婚外子・未婚母をめぐる問題が根強く残る社会とその問題と向き合ってきた社会においては、「ゆりかご」のようなシステムに期待されていることも大きく異なるだろう。日本では、「ゆりかご」の設置のまえに、女性が非婚のシングルマザーとして子どもとともに生きていける社会を実現する必要がある。

5.特別養子制度の成立と利用

 未婚母らの中絶に関して問題なのは、多くの場合に「産みたい/産みたくない」にかかわらず「育てられない」という理由で中絶が選択されていることである。さまざまな事情から「産みたい、あるいは産むしかない、産んでしまった。でも育てたくない、あるいは育てられない」という場合は、やはり「ゆりかご」へ子どもを連れて行くしかないのだろうか。日本における「ゆりかご」の問題を考えるには、シングルマザーや中絶に加えて、もう一つの重要なオータナティブとして養子制度を検討する必要がある。
 「ゆりかご」に関する議論では、特別養子縁組(2)は「ゆりかご」のあとに控える児童福祉制度として紹介されることが多い。ドイツのBabyklappeおよび匿名出産では、8週間の猶予期間に実親が名乗り出なければ、自動的に養子縁組の手続きが開始される。アメリカのSafe Haven lawsのもとで保護された新生児もまた同様のプロセスを経て養子縁組の手続きが進められる。しかし、湯沢雍彦(2007)によれば、日本の「ゆりかご」に預け入れられた子どもは、通告を受けた児童相談所によって乳児院に委託され、2年前後で児童養護施設へ移るコースを辿ることになるという。そして湯沢らが取材した限りの多くの出産女性はその道を望んでおらず、なるべく早く適切な夫婦の養子になることを希望しているという。確かに、「ゆりかご」の後に控える特別養子制度が十分に活用されていないことは問題である。しかし、「ゆりかご」を利用する前の段階において特別養子制度が思わぬ妊娠をした女性を対象とした社会福祉の制度として機能していないことが、まず重要な課題として議論される必要がある。
 1970?80年代、日本で子捨て・子殺し事件がメディアを騒がした。「コインロッカーベビー」や母子心中などの事件の報道が相次ぎ、「母性崩壊」が嘆かれた。1986年には匿名で子どもを預けることができる「天使の宿」が群馬県大胡町に設置され、6年間で約10人が預け入れられた。「ゆりかご」の先駆けである。特別養子制度もこの時期に「望まれずして出生する子」と「子育てを熱望する夫婦」の出会いの場の提供を目的として新設が検討され、1987年に成立した(大森 1983)。しかし、その件数は制度導入直後から減少し続け、現在は年間300件程度が認容されている(最高裁判所事務局)。その大部分は同制度の成立以前から同数程度存在した里親と里子による養子縁組のケースが占めており、同制度は潜在していると考えられた養子縁組希望者に利用されていない。なぜ特別養子制度は「ゆりかご」のオータナティブとして十分に機能していないのだろうか。
 同制度の利用実態についてグッドマン(2000=2006)は、日本の戸籍制度では未婚母等の出産・縁組に関する記録が公開されるために養子縁組が中絶に対抗する選択肢となりえていないこと、そして実母の親族が縁組を妨げるために養子縁組への実母の同意を得られないケースが多いことを指摘している。また菊池(1998)によれば、女性の出産・縁組に関するプライバシーが守られていない現状では、母親によって出生届がなされない無戸籍児が施設におり、そのような子どもたちの養子縁組は手続きが難しいという。さらに、特別養子をめぐる問題として、特別養子縁組の手続きを踏まずに高額の金銭の授受を伴って海外の養親に斡旋されるケースが一定数存在することも報告されている(高倉 2006)。
 従来の特別養子制度の研究は比較法学を中心になされてきた。そこでは特別養子制度は児童福祉型の養子制度として捉えられ、その視点から同制度の具体的な改善点が論じられている。具体的には、養子斡旋に関する法規の整備や専門の斡旋機関の設置、実母のプライバシー保護、縁組における無戸籍児問題や実親の同意をめぐる問題への対策などの必要性が指摘されている(湯沢 2001, 2007; 菊池 1998; 鈴木 1998)。
 欧米における養子法は、中絶が規制されるなかで婚外子や孤児の救済を目的として作られたことから、人身売買の防止や実母のプライバシー保護への配慮がある。とくに養子の出自を知る権利やオープンアダプションの試みは、つねに実母のプライバシー保護の必要性との緊張関係のなかで追求されてきた。特別養子制度が実母の戸籍に出産・縁組記録を残す根拠として養子の出自を知る権利の保証が強調されたが、それは欧米の養子制度における実母のプライバシー保護の必要性を前提とした議論と異なるものであった。欧米の養子制度と日本の特別養子制度のこの違いはどのようにして生まれたのか。特別養子制度の成立過程を概観する(3)。
 「特別養子」の構想はまず、1959年に法制審議会によって発表された(法務省民事局 1959)。以下がその抜粋である。

 第二十七 通常の養子のほかに、おおむね次のような内容の「特別養子」の制度を設けることの可否について、なお検討する。
(イ)特別養子となるべき者は一定の年齢に達しない幼児に限る。
(ロ)特別養子はすべての関係において養親の実子として取り扱うものとし、戸籍上も実子として記載する。
(ハ)養親の側からの離縁を認めない。


 法制審議会の部会長であった我妻(1959)は、「この制度に対する要望として、虚偽の出生届の慣行の存在と養親による身勝手な離縁という不合理から、養子を戸籍記載と法律関係の両方で実子として扱う必要性と合理性が挙げられている」と述べている。つまり59年の構想の目的は、福祉ではなく戸籍をめぐる違法な届出の抑制であった。この時点での法案の内容は養子をめぐる戸籍記載と法律関係を実子と同様にするというシンプルなものであり、斡旋機関や斡旋に関する法規、また実母のプライバシー保護などは備えていなかった。しかし、この59年の構想は保留となったまま20年以上が経過する。
 日本における特別養子制度の立法化の契機となったのが、1973年に起きた実子斡旋事件、いわゆる菊田事件であった。菊田事件とは、産婦人科医の菊田昇が、養育できない子どもを妊娠した妊娠後期の妊婦に対して中絶ではなく出産をすすめ、生まれた子を不妊夫婦へ実子として斡旋し、それを制度化する「実子特例法」を提唱した事件である。菊田はその個人的体験から、女性は出産・縁組に関するプライバシーが守られれば中絶を思い留まることができると確信し、実子斡旋の事実を公表したという(菊田 1979)。菊田は、中絶を選択する女性や子捨て・子殺しの危機にある未婚女性らの利用を念頭に、実母の出産・縁組記録を縁組当事者を除いて非公開にする養子制度を提唱した。この菊田事件はコインロッカーベビーなどの子捨て・子殺し事件とともにメディアや世論の関心を集め、自治体レベルでは「実子特例法立法化に関する意見書」が各地で採択された。同事件によって、養子制度の議論にはじめて養親による虚偽の出生届を望む実母の存在が取り上げられたが、これは59年にはなかった視点である。しかし、70年代と80年代を通して、多くの法学者は実母のプライバシー保護の必要性を重要視せず、未婚母の妊娠・中絶にかかわる倫理的問題は民法学の議論では論外とされた。
 実子特例法を支持するメディアや市民運動の高まりを受けて、1982年に法制審議会の審議が再開し、59年以来の新しい養子制度の構想が本格化する。この頃に、法学者の米倉明(1986a)が「家庭に恵まれない子に対して家庭を提供し、そのことを通じて子の養育──成長を促進、保障する」ことこそが特別養子制度の目的であると定義した。この児童養護問題という児童福祉の視点の導入によって、菊田が提起した望まない妊娠や中絶をめぐる倫理的な問題が見えにくくなり、制度設計が容易になって立法化が加速したと考えられる。さらに子どもの健全な成長には養親と養子の心理的安定が重要だという観点から、59年の審議会が提示した法案の必要性が再認され、その正統性が強化された。その結果、制度の設計において実母のプライバシー保護の要請は受け入れられず、また人身売買を防止する斡旋に関する法規などは組み込まれず、59年に設計されたものが新制度として実現した。
 87年の特別養子制度成立においては、新しい養子制度への期待と、この制度の目的と構造の三つが一致しない状態で、特別養子制度が成立してしまったといえる。特別養子制度は児童福祉を目的に掲げているが、虚偽の出生届の抑制を目的に設計された59年案を雛型にしており、実母となる女性を対象に含めた社会福祉をその射程に入れた養子制度とはいえない設計になっている。この結果はいくつかの偶然が重なったものなのかもしれない。しかし、特別養子制度の成立過程における専門家らの議論には、未婚母の妊娠・出産を「不始末」として非難する発言がみられ、「非婚アレルギー」(米倉1986b)と表現される未婚母差別があった。

6.特別養子制度と未婚母差別

 1959年の特別養子法案は、虚偽の出生届による法律関係の矛盾解消という「戸籍の信頼性」に力点をおくため、実母の出産・縁組の戸籍への記載は必須であった。1970?80年代に入っても、養子縁組をした実母、すなわち出産と養育を切り離した選択をした女性たちが、現実に生きていくための配慮の重要性はなかなか認識されなかった。特別養子制度の成立期には、未婚女性の妊娠と実母のプライバシー保護に関してどのような議論がなされたのか。
 菊田の立場を不利にしたのは、日本母性保護医協会と産婦人科学会が彼の実子斡旋行為を公式に非難したことである。これらの団体は新しい養子制度そのものにも反対した。諸外国においては、特別養子に類する制度に賛成した人びとは縁組の第一線にいるケースワーカーや産婦人科医であり、日本の産科婦人医の団体が同制度に反対したことは極めて異質であった。「実子特例法について」という座談会に出席した松山栄吉(当時の東京厚生年金病院産婦人科部長・東京大学講師)は、「我々産婦人科医の立場としては、とにかく自分の子供は親が望んで産むべきだというそういう根本原則があるわけですね。初めから要らない子供を産んで始末するというような考え自身がおかしいと思う」(中川・野田・松山ほか 1973)と述べている。
 また、医師の高世幸弘は、実母のプライバシー保護について「国家が戸籍で出産していないと保証して将来の善良な夫をだます手伝いをすることになる」と強く反対した(『朝日新聞』1985.12.3)。これへの反論として菊田医師(1986)は、女性を妊娠させた男性の戸籍には何も記載が残っていないという非対称性を指摘している。これは女性の身体の経歴を戸籍によって保証、公示することには、「子どもは産んだ母親が育てるべきであり、育てられない子どもを産むべきではない」という規範とは別の次元の問題があることを示している。例えば、菊田を擁護した法学者の中川高男の私案でさえ、実母に出生届を出させて出産・縁組記録を戸籍に載せたあとに、プライバシー保護のための戸籍の特別再製を縁組手続きのオプションとして提示することが限界であった。その根拠は、「子を育てることは、人間として当然の義務であり、またそれが社会に対する義務や権利でもあるから」というものにくわえて、「子を産んだという厳粛な事実は人間として否定されるべきではないから」女性の戸籍に記載するというものである(中川 1986)。しかし、こうして女性の生殖が戸籍によって厳格に管理される一方で、非配偶者間人工授精(AID)児(4)の父親であるドナーが戸籍に記載されないことは実質不問にされており、戸籍をめぐるダブル・スタンダードとなっていた。
 実母の戸籍の特別措置については、立法過程で多くの法学者、立案者が論外としたが、中川以外にも関心を示した何人かは私見を述べている。米倉(1987)は、同措置は将来的に未成年者や性犯罪被害者に適用の必要があると示唆したが、未婚母一般を対象とすることに関してはなお調査、検討を要するとした。特別措置の具体的な方法として、オリジナルの帳簿に出産の事実を記載して表向きの帳簿には記載せず、しかし両者をしかるべく連結させた二重帳簿制を米倉は支持した。また、児童福祉司の鈴木政夫(1987)からは、思わぬ妊娠をした女性への支援は戸籍の問題ではなく、社会福祉の機能に期待されるべきという見解が示された。そのなかで鈴木は、子どもの出自を知る権利を実母がもつ戸籍特別措置の希望に優先させ、「妊娠に到る経過の中で、他の道を選択できる可能性があった場合に、「未婚の母として戸籍をよごしたくない」という希望をそのまま社会的制度としていいかどうかは疑問」であると述べ、また戸籍の特別措置は実母の「混乱した精神状態下での即自的願望」であると解釈した。
 実母の戸籍特別措置に反対する根拠としてしばしば「子の出自を知る権利」が持ち出されていたが、山本正憲(1986)は「養子のルーツ探しという避けて通れない厄介な問題は、戸籍にではなく、出生届、殊に出生証明書にしかるべき記載をすることにしておけばよい」と言明した。実母のプライバシー保護を論点として注目しつつも懐疑的あるいは慎重な見解が多くみられたなかで、山本は菊田の立場にもっとも近い法学者であった。菊田は実子特例法の私案のなかで、実母の出産事実が記載された出生証明書の保管と養親の名が記載された出生届の受理という「入籍前の養子縁組」が認められるよう求めていた(菊田 1979)。山本のいうように、子どもが出自を知りたい際のアクセスが戸籍で公示される必要はなく、出生証明書の保管で十分であった。現在でも出生証明書の添付された届出は、受理後27年間保存されており(戸籍法施行規則49条2項)、必要であればこれの期間を伸長するだけでよいのだが、この案が制度成立時に検討、採用されることはなかった。
 特別養子制度をめぐる現在の議論では、実母のプライバシーの必要性は十分認識されており、重要な課題として挙げられている。しかしながら、「ゆりかご」をめぐる議論において特別養子制度に期待されることは、「ゆりかご」に預けられる子どもを対象にした児童福祉しての機能にとどまることが多い。現在の日本では、特別養子制度に残る未婚母差別をなくし、思わぬ妊娠をした女性が「ゆりかご」のオータナティブとして現実的に利用可能な養子制度を作ることが先決である。

おわりに──「こうのとりのゆりかご」のまえにできること

 親が匿名で子どもの親権を放棄できる制度は、嬰児殺の防止のための最後の手段である。しかし、妊産婦の身体的な危険および精神的な負担が大きく、そして子どもの出自を知る権利は保証されないという問題がある。それでもなおこのようなシステムが必要になる状況が生じているのであれば、それが利用されないように対策を講じていく必要がある。本稿では、「ゆりかご」を手がかりに、日本における婚外子・未婚母をめぐる問題を検討した。それは「ゆりかご」とドイツのBabyklappe、 アメリカのSafe Haven lawsがもつ社会的背景と比較することでより明確になった。Babyklappeを抱えるドイツ社会が移民問題を認識し、Safe Haven lawsを有するアメリカ社会が中絶問題と向き合うように、日本社会も未婚母・婚外子をめぐる問題を女性の身体や子どもの生命というレベルから真剣に考えていかなければならない。
 「ゆりかご」の周辺にある諸制度が改善、整備されることによって回避できる子捨て・子殺しがある。「ゆりかご」の是非を論じる前にできることは、まず、シングルマザー・シングルファーザーという生き方を社会のなかで確立させ、支援することである。そして、思わぬ妊娠をした女性たちが中絶かシングルマザーかという二択にせまられることなく、養子縁組を利用できるように養子制度を改善することである。養子縁組は、「ゆりかご」や匿名出産では保証できない、子どもが自分のルーツを辿る方法を残すことができる。またオープンアダプションの試みは、養子の苦悩だけでなく子を手放した後の女性たちが抱える不安を和らげることにもつながるため、実母のプライバシー保護とともに今後の日本の養子制度の課題となるだろう。
 また、日本でも不法滞在者や麻薬常習者、DVや犯罪の被害者などさまざまな事情を抱えた人がおり、女性の身体は妊娠をしてしまう。どのように法制度を整備しても、窮地の母子が陥る痛ましい事件がなくなることはないかもしれない。そのときは、「ゆりかご」ではなくて、年長児の育児放棄の受け皿とならずかつ安全な出産を提供することができる「匿名出産」の発想が先にあってもよいとおもわれる。
 本稿では論じなかったが、女性にとってもっとも確実な避妊法である「低用量避妊ピル」の利用が事実上制限されている日本の現状は問題である。どのような事情があったとしても、中絶や「ゆりかご」はその利用者が心から望んだ選択とはいえない。欧米における避妊はピルが主流であり、また「中絶天国」と称されるほどに日本の中絶件数が多いことは知られている。この問題は現在ノーグレン(2001=2008)などによって論じられており、今後ますます重要な課題となるだろう。ピルの入手を容易にすることも「ゆりかご」を設置するまえにできることの一つであり、ピルの安全性に関する情報提供や入手方法の簡易化を行うことによって、女性が思わぬ妊娠をして窮地に陥ることをいくらか回避することができるはずだ。
 未婚母や婚外子をめぐる問題は、避妊・中絶・シングルマザー・養子縁組などに関して日本社会がまだ多くの課題を抱えていることを示している。こういった「ゆりかご」の周辺にある諸問題を考えたうえで、「ゆりかご」を要請した社会的課題が何なのか確認してはじめて「ゆりかご」の是非に関する議論ができるだろう。

◆註
(1)オープンアダプションとは実父母と養親家庭の間に何らかのコミュニケーションがあり、その関係を維持する養子縁組のタイプを目指す。仲介者なしで実父母と養親家庭が直接会う、または電話をするなどオープン度の高いケースから、ソーシャル・ワーカーを通して手紙や写真の交換をするなどの比較的オープン度の低いケースがある。オープンアダプションは子どもの利益のために推奨され、現在ではカリフォルニア州などで法律化されている(桐野 2000)。
(2)特別養子縁組では実親子の法的関係が終了し、養親子の離縁は原則認められず、戸籍の記載が実親子とほぼ同様になる。家庭裁判所の審判で成立し、斡旋手続きは児童相談所を通じて行われる。
(3)特別養子制度成立過程や法学者の議論の詳細に関しては、吉田(2009)で論じている。
(4)AIDは体外受精と異なって技術的に容易であるため、不妊治療の一つとして国内で60年近い歴史があり、1万人以上が誕生しているとされる。また、1978年には世界初の「試験管ベビー」ルイーズ・ブラウンが英国で生まれ、日本でも1983年に東北大付属病院で初の体外受精児が誕生しており、生殖補助技術への関心は高まっていたと考えられる。山本(1986)ではAID児をめぐる法的な問題も言及されている。

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