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「なぜ「障害者アート」は知的障害者の作品を想起させるのか――カテゴリ成立をめぐる言説から」

報告要旨
渡邉 あい子
20091206 アートミーツケア学会2009年度大会
於:慶応義塾大学三田キャンパス


◆要旨

□ 日本には「障害者アート」と呼ばれるジャンルが存在している。この名称はおもに知的障害者たちの創造物に対して使われている。しかし、この「障害者アート」というジャンルは日本独特の呼称である。「アウトサイダー・アート」、「アール・ブリュット」も使用されているものの、一般的には同じものを指す用語としての理解のみに留まっている印象は拭えない。「アウトサイダー・アート」、その源流となった「アール・ブリュット」は、障害者のアートのみを指すのではない。「文化的芸術よりも生の芸術を」とアール・ブリュットを提唱したジャン・デュビュッフェのコレクションにはあらゆる属性の人々の作品がある。日本において、知的障害者の芸術に注目が集まったのは山下清においてだった。山下が属した千葉・八幡学園の顧問医師であった精神科医であり文筆家の式場隆三郎、早稲田大学心理学教室の戸川行男が展覧会などのプロデュースを行った。1930年代の式場の態度は山下の作品の芸術性を「天才白痴」とし高く評価したものであったのに対し、1950年代の大キャンペーン時には教育の所産であることを強調して変更がみられる。合わせたかのように美術界も教育・福祉の問題として評価をすることはなくなった。この態度変更についていくつかの指摘がなされている。ひとつめに、知的障害者の福祉が遅れていた状況下、医師の使命感からジャーナリズムの路線をとったこと(服部2003)。ふたつめに、大戦中のナチス近代芸術政策が近代芸術(シュルレアリスム、ダダなど)を低能なもとし、精神障害者の作品と併置し「頽廃芸術」化したことが日本の美術界でも受容され、シュルレアリスム批判が起こり、絵画の病理学化があったことが挙げられる(大内2008)。そこには、知的障害者が「白痴」「低能」「特異」「精薄」と呼ばれていたことと、欧州で言われた精神障害者の「狂気」との結びつきがある。かねてからあった「天才と狂気は紙一重」の図式に当てはめられることを怖れ、時代の要請もあり、教育・福祉文脈に寄り添ったのではないか。その後の式場の啓蒙運動とも呼べるキャンペーンは、マスコミを巻き込んで「裸の大将」のイメージを大衆に定着させることになり、現在の障害者アート=知的障害者の図式、さらには知的障害者の性質のイメージをも決定づけたのではないかと推察する。さらには、50年代以降、知的障害者施設や教育現場に関係した芸術家らの発信により「障害者アート」というジャンルが成り立っていくことになったのではないか。 本報告では、戦前の欧州における精神障害者の絵画に対する扱いは精神医学の分析対象であり、新たな芸術を求めた近代芸術家の参照先であったこと、翻って芸術政策に利用されるツールとなったことに触れ1930年〜1950年代の山下清に関する言説を中心に分析・考察を行う。次いで、これを以て精神障害者の芸術が表面化してこなかった理由について考察する一助としたい。


*作成:渡邉 あい子
UP: 20091217 REV:
全文掲載  ◇障害者とアート  ◇Ard and Margins研究会
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