健康権は、深刻で複雑な具体的な健康関連の問題に対応できる、正確で実用的で建設的な側面を有している。そうかといって、健康権は魔法の杖ではなく、なかなか解決につながらないことも多い。しかし、解決を求める努力は必要である。また、政策の中には、健康権に全く関連しないものもあるだろうが、健康権は関連する政策を特定するのに役立ち、またもしすでに健康権に関連する政策があるなら、健康権はそれを強化することができる。
ここ数年で、健康権は国際レベル及び国内レベルでの政策決定に大きな影響を及ぼすものになった。もし健康権が政策決定に統合されれば、健康権は貧困に苦しむ人々にとって、とても意味のある強靭で持続可能でかつ公平な政策を打ち立てることを可能にするであろう。
今、健康権は新しい段階に入ろうとしている。さらに今後その段階を超えてどのように発展するかは、時間をかけて見守らねばならない。
長年にわたり人権の分野で用いられてきたやり方、たとえば名指しで個人や国を非難(“Naming and Shaming”)したり、手紙によるキャンペーンを展開したり、裁判例を作ることなどがあるが、それだけでは健康権が国内及び国際レベルでの政策に統合されるためには不十分である。保健医療分野の専門知識はもちろんのこと、さらなるテクニックやスキルが必要である。たとえば、最重要課題の選択や、折り合いをつけること(トレードオフ)などは政策決定の際に絶対必要であろう。人権擁護者は、どのように健康権を尊重する形で最重要課題を選択するかを明確にする必要があるだろう。また、どのような折り合い(トレードオフ)が人権の観点から許容され、あるいはされないのかを明確にすることも必要である。そして、人権への影響評価(human rights impact assessments)や、人権指標、人権目標値のような新しいツール(道具)を発展させ利用することも必要である。
もちろん、伝統的な人権のテクニック、たとえば名指しで個人や国を非難することなども重要ではあるが、もはやそれだけでは不十分である。他の新たなテクニックやスキルが必要な時代になったのである。
重要なのは、これらの新しいテクニックやスキルを発展させるためには、保健医療従事者との緊密な協力関係が必要だということである。到達可能な最高水準の健康に対する権利を実現するためには、医療従事者の積極的な参加が不可欠である。人権がさらに成熟するためには、世界規模の人権運動において保健医療従事者が絶対に欠かすことのできない存在になっていくだろう。
◆註
1)本稿は、国際シンポジウムにおけるポール・ハント氏の基調講演の読み上げ原稿をもとに、シンポジウム当日のハント氏の発言を付け加え、編集・日本語訳したものである。
2)この権利の正式名称は、'right of everyone to the enjoyment of the highest attainable standard of physical and mental health'(「すべての人々の到達可能な最高水準の身体的及び精神的健康を享受する権利」)である。便宜上、しばしば'right to the highest attainable standard of health' (「到達可能な最高水準の健康に対する権利」)や'right to health'(「健康権」)のように短縮した形で表現される。
3)Gunilla Backman, Paul Hunt, Rajat Khosla, Camila Jaramillo-Strouss, Belachew Mekuria Fikre, Caroline Rumble and others, Health systems and the right to health: an assessment of 194 countries, The Lancet, Vol. 372, No. 9655, pp 2047-2085, Dec 13 2008.
(ハント) ありがとうございます。私は人権に関わる法律家で、市民的及び政治的権利に関するケースもずいぶん扱ってまいりました。そして健康権に関わってきたわけですが、人権の分野においては、保健医療従事者が人々の健康権の保護に関して非常に重要な役割を果たすということが、なかなか尊重されておりません。私が今取り組んでいることは、保健医療分野の専門家なしには健康権は実現できないということを主張していくことです。プライマリーヘルスケアの診療所や病院の医療従事者や、公衆衛生の専門家、健康当局の行政官など、こういう人たちがいなければ、法律家がいくら努力をしても時間の無駄です。公衆衛生の専門家、行政担当者、健康経済学者、医師や看護師や精神科医もすべて含め、このような専門家の参加なしに、健康権を実際に運用することは困難です。法律家はいくら頑張っても実際に具体的に運用することはできないわけです。保健医療分野の専門家が関わることが不可欠です。保健医療従事者の通常の仕事自体が人権の仕事なのです。彼らは到達しうる最高水準の健康を提供することを仕事としていると思っています。
質問に対してですが、保健医療従事者の間で自分たちが健康権に関して重要な役割を担っているという認識が高まっている国があります。私の講演の中でも触れましたが、英国におきましては、人権ベースのアプローチを保健医療において実施する5つの試験的なプロジェクトが行われました。その後、独立評価をそれぞれ受けたのですが、その中で、人権ベースのアプローチはソーシャルサービスやヘルスサービスの提供に非常に有効だという評価を受けました。すなわち、人権ベースのアプローチを用いることにより、実際に良質のヘルスサービスを提供できる能力が高まるということが認められています。
また、健康権に関する教育をすることが義務になっている国もあります。スウェーデンが最近、法改正をいたしまして、法律の規定により医学生は人権について学ばなくてはならないとなりました。これは新しく実施されるようになった変更点です。
さらに、International Federation of Health and Human Rights Organizationという保健医療分野の専門家のネットワークがありまして、健康権や人権の向上を図るための保健医療分野の専門家のネットワークも新しくできています。
また、保健医療従事者が他の分野の人たちに対して、保健医療分野で問題が起きていることを知らせ、警告を発するということも、保健医療従事者がするべき仕事の一つであろうと思います。しかしながら、保健医療従事者は、人権侵害があると警告をならすだけではなく、保健医療従事者の仕事自体が人権の仕事なのだという意識をもって仕事をすることにより、自分たちの専門家としての目標達成にもなるということを認識していただければと思っております。