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「「女性の貧困」の問題化における諸問題と展望」

村上 潔 20091213 社会文化学会第12回全国大会 於:大阪大学箕面キャンパス
http://japansocio-culture.com/taikai/12.htm


■報告予稿集原稿

 近年、「反貧困」運動の高まりによって、これまで明確に焦点化されてこなかった「女性の貧困」という課題対象の設定がようやくなされ、メディア的にも運動的にも「問題」として引き上げられてきた。これは、女性労働・構造的貧困・社会的排除といった問題の地平において、現在が重要な転機であることを示しており、そしてこの「好機」にいかに、何を変革しようと動くべきなのかが問われなければならない状況にある。こうした土壌が現出したこと自体はひとまず積極的に捉えるべきである。
 とはいえ、当面の「獲得目標」を立てることと同時に、問題にする「女性の貧困」の相貌の全体的把握が不可欠であることも指摘せねばなるまい。というのも、現状においては、この問題が、母子家庭/シングル・マザーの困窮問題に収斂されてしまっている傾向を否定できないからである。
 もちろん、重層的な「排除」状況がもっとも可視化されやすいこの対象を、戦略的に問題解決の優先順位として先に置くことは、運動的に間違った方針ではないだろう。声を上げる「貧困」当事者の女性の中にシングル・マザーが多いことも確かである。しかし、そうした現実的な戦略・状況とはまた別に、この問題をより継続・拡張して掘り下げていくために、また現行の政策・行政モデルの枠内における対処療法的発想の限界を乗り越えてゆくためにも、さらに巨視的でパラダイム・シフトを見越した問題提起のプログラムを構想しておく必要がある。
 「女性の貧困」がいまに始まった問題でないことは自明のことであり、しかしなお繰り返し強調されるべきことではある。高度成長期に常態化した主婦のパート労働が女性労働搾取の典型であることが言われる(当然その前段階には「出稼ぎ」女子労働力の問題もある)。あらかじめ周縁化された女性労働市場においては、一部の「男並み」キャリア女性以外は構造的に差別的待遇に置かれ――これは「均等法」によっては解決されない――、したがって結婚=「扶養者」を確保することに「失敗」した女性たちは必然的に貧困状況に置かれるシステムであったことは、いまや誰もが知るところである。これはもちろん重要な押さえておくべき基本事項である。しかしそれだけでは十分ではない。以下に論点とすべきことを挙げてみる。
 @「扶養者」がいる=「主婦」である/働かなくてよい状態であっても、それは「貧困」要因を本質的に回避できる条件ではない。A子どものいない中高年独身女性の存在と彼女らが抱える問題の見えにくさ。B親・子へのケアという「労働」のみならず、自己の維持管理において必要とされる水準の上昇。
 このように、本報告では、「生活が苦しい」という実態的な貧困状況を問題にするだけでなく、実態として認識されない潜在的な貧困状況をその奥行きに常に担保しておく認識の枠組みを作っておく必要性を指摘したい。それは、一見「いま困っている人たち」の利害と対立するように見えるかのような立場性が、実はそれと地続きであることを示し、真に志向されるべき「女性の貧困」問題の――「解決」・「解消」とは異なる――「展開」過程の姿を例示する作業となるだろう。


UP:20090905 REV:
生存学創成拠点・成果  ◇女性の労働・家事労働・性別分業
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