以下では、選別をむしろ推奨する議論の検討を通して、生殖選別批判の射程を再確認する。選別推奨論としてとりあげるのは、2001年のJournal of Medical Ethics(JME)の第27号に掲載されたジョン・ハリス(John Harris)の論考である(Harris 2001)。JMEの同号370?392頁は、「平等と障害」と題されたシンポジウムにあてられている。冒頭の「導入」でボイドが述べるように、この特集の争点はハリスの主張にある。そして、この特集の直後にも、JME誌上では、ハリスとコッホとのあいだで短いやり取りが行われている(JME 2002: 203-4)。また、コッホはその後も、Journal of Medicine and Philosophyの2004年(26巻6号)と2006年(31巻)などに、障害学の観点から生命倫理学の議論を批判的に検討する論考を発表しており(Koch 2004, 2006)、エドワーズは、2004年にJMEに「障害、アイデンティティ、表現主義的反論」と題した論考を発表している(Edwards 2004)。以下ではこれらの議論も踏まえてハリスの議論を少し詳細に紹介検討した上で、出生前選別批判の射程を再確認する。
これは、出生前段階での選別は、既に存在する人びとに評価を下しているわけではない、という主張の論拠にもなっている。
とはいえここで、誰を実在させるべきかの選択は、その選択がどんなものであれ誰にも害を与えていないというハリスの議論は、障害をもつ人は産まない方が「良い」という自説を掘り崩す可能性をもつ。障害をもつ人は産まない方が「良い」と言いたいハリスにとって、クリアしなければならないのは「非同一性問題」である。
上の議論は、もし生まれたとしたら「良い」人生を送ったかもしれないとしても、その人を産まないことは「良くない」とか、生まれた方が「良い」とは言えない、ということである。生まれないことで、その人が「良さ」を失うことは──生まれないのだから──あり得ないからである。とすれば、他方、生まれたとしたらどんなに「悪い」人生を送る人であっても、生まれない方が「良い」とも言えなくなる。生まれないことで、その人が「悪を回避する」という「良さ」を享受することは──生まれないのだから──あり得ないからである。
つまり、物事の良し悪しはその影響を受ける個体に即してしか意味をもたないとすれば、出生前の選択肢の先に存在するのは、別人である以上、出生前選別について「良し悪し」は言えない、ということになる。
しかしハリスは、《障害をもつ人を産まない方がよい》と言いたいのだから、この問題をクリアする必要がある。
この点に対応するのが、次の論点である。それは、エドワーズによるハリス批判に対する応答として展開されている。ハリスによれば、エドワーズの批判は誤解に基づくものである。エドワーズは、ハリスが〈障害者を生むことは「悪を為す」ことだ〉と主張しているかのように理解している。だが、ハリスによればこれは誤解である。ハリスによれば、このような誤解が生ずる原因は、エドワーズが「何か悪いことを行うこと」と「悪を為すこと」の区別を看過している点にある。エドワーズの批判に対して、ハリスは、自分は障害をもつ胎児を中絶しないことが「悪を為すこと」だなどとは論じていないと述べる。そこで導入されるのが「何か悪いことを行うこと(doing what’s wrong)」と「悪を為すこと(doing a wrong)」という区別である。
「『何か悪いことを行うこと(doing what’s wrong)』と『悪を為すこと(doing a wrong)』とのあいだには違いがある。後者は、誰かが悪を被るということを含意している。だから明確に言うならば私は、『もし母親が少し後の時期に、もっと健康な胚を妊娠できるとしても、現に障害のある子を妊娠し続けることは一つの道徳的な悪(a moral wrong)である』とは、考えていない。とはいえ、妊娠を続けることは悪い(wrong)とは考えている。しかし、その結果として生まれた子供が生きるに値する生を営むかぎり、その子供はそれによって不当な扱いを受けているわけではないし、それは『悪』を為していることにはならないだろう」(387)
◆文献
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