社会権規約委員会は、日本の裁判所が社会権規約を参照していないということが問題である。それは無知によるものであって裁判官の教育をする必要がある、と勧告しました。もう1点は、立法及び行政上の政策、意思決定において社会権規約を参照するべきである、と勧告しました。
司法と立法、行政は、現れる場面が違うわけですが、どの場面においても健康権を含む社会権規約が日本で活用されていない現状を変えていくことが課題です。
(3)「健康権」の認識
皮肉なことですが、社会権規約12条、健康権に関する条項の定めは、「到達可能な最高水準の健康を享受すること」英語で、The state parties to the present Covenant recognize the right of everyone to the enjoyment of the highest attainable standard of health.です。対するに日本国憲25条は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、英語では、All people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living.となっています。
最高水準と最低限度では、違いが出て当たり前と云いましょうか? これが日本国内と国際水準の違いを生んでいるのかと言いたくなります。
日弁連では1980年11月8日に、「健康権」の確立に関する宣言を発表しました。そこでは、「健康権は憲法の基本的人権に由来し、……国、地方公共団体、医師、医療機関に対して積極的にその保障を主張することのできる権利である。……われわれは、医療現場はもとより、立法・行政・司法の国政の各分野においても「健康権」が真に確立され、患者のための医療が実現されて国民の健康が確保されることを期待し、その実現に努力する。」
と述べました。
しかし、日本の裁判所は「健康権」という言葉を、使いません。棟居報告にありました残留性農薬の基準設定についての判例(食品残留農薬基準の設定告示処分取消請求事件、東京地裁平成9年4月23日判決判時1651号39頁)でも「健康権という言葉を独立した具体的権利と言うことができるか疑問である」と言っています。そのような程度の認識しか持っていないことが問題です。
但し、
●煙草の輸入・販売事業禁止請求事件(名古屋地裁平成14年1月31日)では、
「人の生命、身体及び健康についての利益は、人格権としての保護を受け……、損害賠償、将来の加害行為を予防するための侵害行為の差し止めを求めることが出来る。」