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「ワークフェアを巡る国際研究調査:アメリカ×キューバ×カナダ」

小林 勇人 20091106「国際研究調査報告」


はじめに

 筆者は、これまでワークフェアを研究テーマとし、アメリカをフィールドに選び研究を行ってきた。ワークフェアとは、所得保障の条件として労働を義務付けるものであるが、福祉国家再編の方向性を示すものでもあり、世界的な趨勢となっている。他方で、パクス・アメリカーナの考え方に触れる機会もあって、ワークフェアは資本主義国のみの政策動向なのかどうか、あるいは社会主義国での所得保障政策がどうなっているのかにも関心を持つようになっていた。
 このようななかで今年はアメリカ政治学会(the American Political Science Association: APSA http://www.apsanet.org/)の年次大会が初めて国外のトロントで開催されるということだった。そこで、APSAに参加するとともに、アメリカの隣国であるカナダとキューバの所得保障政策についても調べてみようというのが、今回の調査の主旨だった。
 日本からキューバに行く場合、メキシコかカナダを経由することになる。筆者は既に昨年のフィールドワークで少しだけメキシコを経験していたので、カナダ経由に絞る。まず、2009年8月18日に日本を発ち、カナダのトロントに二泊し、次に8月20日(現地日付、以下同)から27日までキューバに滞在し、再びトロントに戻って9月10日まで滞在した後に、11日に日本に帰国した。
 残念なことにキューバの調査で体調を崩し、トロントでのフィールドワークは計画通りに実行できなかった。そこで主に、キューバでの調査と、APSAへの参加について、報告する。なお本調査は、2009年度生存学若手研究者グローバル活動支援助成金から支援を受けて実現したものであり、ここに記して感謝したい。

キューバ

 宿は、首都ハバナ市の旧市街近く。基本的に老朽化した建物が並ぶ。スパニッシュ・コロニアルの建物だ。通りには、夜昼問わず、人が群れている。通りに面している建物も窓や戸が開け放たれ、部屋の中がさらされている場合が多い。部屋の中にも複数の人がいて、たいていはテレビを見てくつろいでいる。みんな夏休み、といった雰囲気。
 昼間はともて暑く、舗装されていない路地は、車が行き来することもあって、土埃がすごい。ところどころにあるゴミ収集所には大量のゴミがあふれ、傍を通るときなどには、ぷ〜んとする。みたところ野宿者は存在せず、物乞いもほとんどない。しいていえば商売をしている人が、たまに観光客に声をかけ、チップめいたものを期待するぐらいだ。インドのような死活問題ぎりぎりのギラギラ感はない。しかし、慣れてくると、どうも暮らしぶりのよさそうな人たちがいることが分かる。こざっぱりした服を着て、アディダスの靴をはき、携帯電話を持っている人とか、綺麗な部屋のなかに最新の電化製品を揃えている人、といった具合だ。
 現在、キューバには二種類の通貨が存在する。外貨と交換可能な通貨(CUC)と交換不可能な通貨(CUP)だ。暮らしぶりのよさそうな人たちはCUCの世界にいる。一方で、おそらくCUPしか使わない人たちの世界がある。ブロックの合間に小さな市場があって、肉や野菜、果物など一通り揃っているが、そこではCUPでやりとりが行われていて驚くほど安い。
 社会主義国であるキューバでは、食料配給があり、無料の医療・教育サービスを受けられ、住居に関しても低負担で済むらしい。だがソ連崩壊後、ソ連からの経済的援助がなくなり経済危機のなかで限定的に経済開放政策が導入され、所得格差が拡大するようになった。このようななか貧困問題とともに、低所得層を対象にした現物扶助や現金扶助ならびにサービス扶助が注目されている。キューバでの扶助は、政府と深い繋がりがありながらも非政府の組織が、扶助の実施に関わっていることなどから、公的扶助もより広い概念として「社会扶助」と呼ばれているようだ。社会扶助では基本的に、シングルマザーなど就労可能な者に対して受給条件として就労が義務付けられている(山岡2005)。
 社会扶助を監督・実施する中央政府の労働・社会保障省(http://www.mtss.cu/)の社会保障局に赴き、慣れない英語スペイン語の変換を通して、担当者の人に話をきいた。そこで州と郡の社会保障局を紹介してもらい見学に行ってみた。シングルマザーなどの扶助受給者に会えて話ができればと思っていたのだが、事務所の雰囲気が分かる程度で、うまくいかない。もう一度中央の社会保障局に行くと、英語を話せる人がいて、調査が進展するかにみえたのだが、キューバに住んでいるとか留学しているとかでない限り、いっさい情報は伝えることができないし、見学も絶対にだめだ、と言われて、道は閉ざされてしまった…。
 その後は、宿のオーナーやいろいろ出会った人たちから話を聞くことになる。オーナーは、大学医学部の教授なのだが給料が安いため、副業として宿の経営をし観光の手配もやっている。出会った人たちの多くは、給料が低いことや様々なことにぶつぶつ言ってたり、高価なモノが欲しいという人もいたが、国の大枠には納得しているようだった。
 貧困問題といっても、食料や住居、医療、教育などの社会サービスが充実している国とそうではない国とで意味合いが大きく異なる、また所得保障が持つ意義も異なってくる。他方で担い手が少ない職業や効率の悪い職業で労働インセンティブが問題になる、あるいは社会扶助の条件に就労が義務付けられているように、労働と所得保障を巡る問題は存在する。資本主義の国で普遍主義的な方向に社会政策を実施していくにせよ、 社会主義の国で開放的な方向に経済政策を実施していくにせよ、どこか労働と所得保障を巡って適切なポイントがあるのではないか、今ある1つの枠に限定されて考えなくてもよいのではないか、資本主義はコントロール可能なんだ。一週間で知り得ることは限られているけれども、そういうことを実感させられた一週間でもあった。

カナダ

 カナダでもワークフェアは展開されているが、これに対してWorkfare Watch Projectをはじめ様々なコミュニティ組織や権利擁護団体が反対運動を行っている。そのこともあってカナダには社会運動が強いイメージがあったが、滞在中labor dayのパレードを見ることができた。通り沿いの芝に座って眺めていたのだが、最近できたものから歴史のあるものまで様々な労働組合があり、一行が通り過ぎるまで二時間かかった。
 トロントは、人種毎に住む地区が分かれていて、ちょっとニューヨーク市を思わせるところがある。しかし、でっかい高層ビルがあるのは一部のエリアで、あとは繁華街とかでも少し歩けば大きな公園があるなど、スペースに余裕がある。また人もニューヨーク市のようにせかせかはしてない感じだ。
 APSAの大会は、その高層ビルが並ぶエリアにある大きなホテルを貸しきって行われた。トロントのランドマークであるCNタワーの近くだ。大会は、9月3日から6日にかけての4日間行われ、とにかく規模が大きく、全体を見渡すことは到底無理だ。知っている範囲でたとえると、日本の社会政策学会と社会学会をたして2で割ったような雰囲気だ。
 プログラムの詳細はHP(http://www.apsanet.org/_pdf/2009program.pdf)から見ることができるが、筆者が参加したのは、福祉政策系と歴史系だった。福祉政策系は、だいたい1つのパネルに、1人の司会、3〜4人の報告、討論者が1人で、聴衆は4〜5人といった感じだった。規模が大きいので、1つ1つのパネルの人数は少なく、そのせいかフレンドリー、アットホームな感じのものが多かった。ちなみに歴史系で、ニクソンと医療などのパネルは、オバマ政権下の皆保険への動きが注目されてか、大人気で20人越えの聴衆で、聴衆からの質疑応答も白熱していた。
 事前に提出を求められるペーパーをもとに、当日の報告では、何も配らず使わず話すだけとか、紙の資料のみを配るなど様々だったが、パワーポイントを使うのが主流のように思えた。報告後、討論者がくれるコメントや、フロアーからの質問があればそれに応えて、終わるという流れだ。他方で、ポスター発表は、これも数が多かったが、なかには手書きのアニメを用いている人もいて、結構自由なんだなと思った。
 なかでも偶然なのだけどBryn Mawr CollegeのSanford F. Schram(http://www.brynmawr.edu/Acads/GSSW/schram/)さんの話をきけたのは良かった。彼はアメリカの福祉と人種を考える際に外せない研究者だけれども、ワークフェアの本質を考えるのに、フーコーなどを援用していて、本を読んで刺激を受けていた。
 Schramさんは"Policy Focus on Fat Poor Minorities: From Welfare Reform to Fresh Fruits and Vegetables"というパネルで報告をしていた。アメリカの福祉改革が映し出しているのは、貧困の統治のなかで新自由主義的でパターナリスティックな方法が優勢になっているということであり、これは福祉依存の医療化や道徳化の動きと同時に促進されるものであり、薬物依存の場合と似ている、と。そして、この福祉依存に対する新しい動向を「回復モデル」と呼び、TANFの再承認の際1つのモデルになったフロリダ州で、福祉受給者からケースマネージャーになった人へのインタビューを分析していた。
 ニューヨーク市の事例にあるようにワークフェアは懲罰的であると批判されることは多いのだが、「懲罰的」ということが何を意味するのか、筆者はずっと気になっていた。彼の議論を手がかりに、研究が進展しそうだったので、嬉しくなってしまった。

むすび

 ちなみにフロリダ州はキューバに一番近い州であり、キューバからの移民や難民が多い。移民で失業問題・貧困問題を抱える者は福祉を受けることになるが、キューバからの移民はその時のアメリカとキューバの関係に左右されて福祉の受給条件が様々に変わってくるらしい。またアメリカとキューバの間には「ウエットフット・ドライフット」政策の取り決めがある。キューバからの難民が、アメリカの陸地にたどりついた場合は、受入れて厚遇するが、海上で保護された場合は、キューバに強制送還されるというものだ。
 あまり乾かない足で帰国してみると、日本では政権が交代していた。


文献
山岡加奈子「第8章 キューバにおける社会扶助――崩壊する平等社会への施策」宇佐見耕一編『新興工業国の社会福祉』アジア経済研究所.


<ハバナ市の旧市街近くの路地>
ハバナ市の旧市街近くの路地

<労働・社会保障省のハバナ州の社会保障局>
労働・社会保障省のハバナ州の社会保障局

<革命博物館の展示物>障害者のアート
革命博物館の展示物

<壁の落書き>いたるところにゲバラの落書きがある。
壁の落書き

<ハバナ市近郊の農村>革命後、都市部よりも農村部の住環境の整備が優先された。そのため住宅はかなり整備されていた。宿は、増築する際に庭にあった神木をとり囲んだため、ユニークなつくりになっていた。
ハバナ市近郊の農村

<トロント市におけるレーバー・デイのパレード>
トロント市におけるレーバー・デイのパレード

<トロント市の福祉事務所>
トロント市の福祉事務所



UP:20091106 REV:1111
全文掲載  ◇「生存学」若手研究者グローバル活動支援助成金小林 勇人
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