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「尊厳死・安楽死問題への生存学的アプローチ」

安部 彰 HP寄稿文 20091116

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  立命館大学グローバルCOE「生存学」創成拠点(以下、「生存学」)の理念は、「障老病異がともに生きる社会のデザイン」である。そのために、この「社会」にはいかなる「技法」とそれを支える価値やしかけ(政策・制度)が必要となるかを学際的な観点から研究している。私もその理念を共有しつつ、またじっさい、さまざまに「当事者」でもある人々(院生)とともに学び、教えるよりはむしろ教えられつつ、問題意識を深めてきた。
  ところで、〈あなた〉には、「生存学」が構想する万華鏡のように多彩ではあるが必ずしも統一感を有しているとはいえないこうした社会像は、アナーキーでカオティックに映るだろうか。よくわからないけれど、この私はまず無条件で、そのような「豊かな社会」を肯定したいと思う。「豊かさ」とは多様であること、〈わたし〉にとって望ましいことだけでなく、あまり好ましくないことがらも含めて、いろいろであることだからだ。また、いろいろありえること、あってよいこと、つまり変容や到来の可能性に開かれているということでもあるからだ。画一的で同質的な「世界」を生きることは、たしかにさまざまに面倒なことを省いてくれるから楽ではある。しかし精神は――すくなくとも、この私の精神は――反復を嫌う。
  他方、とはいえ、その異なりにおいて「ある」、生あるこの私たちは、すべからく死ぬことを運命づけられているものたちでもある。その意味では、「死」こそ「共同性なき共同性」であるといえないだろうか。あるいはお好みなら、「死」は私たちの生の可能性の条件だといってもいい。
 重要なことは――多くの場合、重要と知りつつもそれから目を背けたい私たちは、しばしばそれが重要であることさえ忘れがちなのだが――、そうして生の可能性の条件でもある「死」を自ら選ぶ、あるいは選ぶように誘引される人たちが、この「豊かな」社会にはいるという「現実」である。生死をめぐる価値と決定はふつう個人的なものと考えられているが、それさえもじつは個人が生きる社会関係や社会的諸条件の影響下にあるのだ。そしてその象徴的なケースが「尊厳死・安楽死」の問題にほかならない。
  日本では、尊厳死・安楽死の法整備がほとんど進んでおらず、当事者・家族・医療の現場に混乱を招く事態が生じている。また海外でも、尊厳死・安楽死の法制化をめぐり、研究者、障害当事者、医療・司法関係者、一般市民を巻きこんでの喧々諤々の議論がなされている状況にある。
  こうした社会状況に着目した私たちは、共同研究プロジェクトを立ちあげた。これまでの成果としてはまず、堀田ほか2009(以下文献の詳細は文末を参照のこと)がある。そこでは、「生きる権利」をもとめて、いったんは勝訴しながらも、最終的には斥けられた画期的な訴訟である英国レスリー・バーク裁判に世界でもいちはやく注目し、その内実を検討した。裁判の過程と司法の論理を詳細に分析し、それにたいする法学・倫理学の言説と論理を精査した。とりわけ、尊厳死・安楽死の評価に大きな影響力をもつ生命倫理(学)の諸原則を批判的に吟味することで、「自己決定権」を中心とする生命倫理の諸原則をベースにした議論には限界があることを詳らかにした。
  また、Hotta et al.2009では、「グローバル」COEに課せられた使命として、尊厳死・安楽死問題と密接に関連する日本の難病(ALS)患者の「豊かな」生活状況を世界に発信した。
  以上の共同研究をつうじて私たちは、一定の成果をえられたと考えてはいる。だが、歩みを先に進めるにつれ、暗闇に目がなれるにつれあ視界が開けてくるように、課題はより明瞭に、いや「豊かさ」を増してあわわれてきた。究明されるべき問題はいくつか(も)かあるが、とりわけ医療における自己決定が原則となりつつある昨今において、「尊厳死・安楽死においても「自己」による決定であれば認められるのか」、「何故「死ぬ権利」は容認される傾向にあるのに「生きる権利」は認められないのか」といった基本的であるがゆえに重要な問いがなお未決のままである。そして、このことは先行研究においても同様である。すくなくとも私たちはそう考えているし、すこし譲歩するなら、これまで出されてきた解に満足してはいない。
  かくして私たちの共同研究プロジェクトは、まだまだ発展的に継続される。そのプロジェクトは、このたびファイザーヘルスリサーチ財団の助成のもと、装いもあらたに「尊厳死・安楽死の規範理論に関する学際的研究」として今秋リスタートする。それは、いまも「生存学」の一員である堀田義太郎と、所属こそ変われどいまなお「生存学」の主要メンバーである有馬斉坂本徳仁という(専門分野の)「異なる」人たちとの共同性のもとで推進される――もちろん私たちにとって、その「異なり」はここでも「快」である。
  私たちの研究目的は、具体的には大きく以下の二点として定位される。論理的にも第一にあげたものがまずは中心となる。
 第一に、尊厳死・安楽死にかかわる国内外における諸思想・法制度、および裁判記録における倫理的・法的概念を子細に分類・整理したうえで、その背後にある規範的理念の構造と論理の整合性を検討すること。第二に、第一の点をふまえつつ、日本の終末期医療にかんするガイドライン策定および法整備に役立つ知見を蓄積し、尊厳死・安楽死の規範理論の整備や拡充をおこなうこと。
  また、その意義と独創性、および予想される結果としては、次の三点があげられる。
@尊厳死・安楽死をめぐる議論の共通基盤の形成
A国内外における基礎的情報の収集・整理に基づく世界最高水準のデータベースの構築
B尊厳死・安楽死の制度的対応のあり方にかんする実践的・具体的な課題の明確化

  さらには、海外の動向でも、とくに私たちが注目しているのは英国におけるそれである。英国では、2004年に自殺幇助法案が、2006年に緩和ケア法案が議会に提出されるなど、尊厳死・安楽死をめぐって近年大きな動きがみられる。にもかかわらず、その実情は国内ではほとんど知られていない。だからそうした最新の動向を精査・公表していくことによっても、私たちの研究の意義はいや増すはずだ。
  以上の私たちの研究成果の一部は、すでに「生存学」のホームページにて公開しているが、今後さらに漸次拡充される(http://www.arsvi.com/d/et.htm)。


【文献】
◆堀田 義太郎・有馬 斉・安部 彰 ・的場 和子「英国レスリー・バーク裁判から学べること――生命・医療倫理の諸原則の再検討」、『生存学』、生活書院、vol.1、pp.131-164、2009年2月.
◆Hotta, Yoshitaro, Abe, Akira, Matoba, Kazuko & Arima, Hitoshi “The Importance of Social Support in Decision Making regarding Terminal Care: What ALS Patients in Japan can Teach us,”Poster Presentation at 11th Congress of the EAPC, Vienna, Austria, May 9, 2009.


UP:20091116 REV:20091221
安楽死・尊厳死  ◇ケア研究会  ◇全文掲載
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