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「脳死カフェ――脳死って移植の問題なの?」

高橋 さきの 20091018
於:品川区大井第二区民集会所 第2集会室


「脳死カフェ」のイベント情報は下記のとおりです。

日時 :2009年10月18日(日)13:30〜16:00
場所 :品川区大井第二区民集会所 第2集会室
 東京都品川区大井2-27-20(大井町駅から徒歩10分)
テーマ:脳死カフェ――脳死って移植の問題なの?
ゲスト:高橋さきのさん(翻訳家)
主催 :科学ひろばサイエンスカフェ

【1】-------------------------------------------------------------------

2009年10月18日

脳死カフェ

〜脳死って移植の問題なの?

高橋さきの


【2】-------------------------------------------------------------------

私と脳死とのかかわり

o 80年代からのつかずはなれず
o 母のくも膜下出血と脳死状態
o 父のとき、祖母のときと比べて

【3】-------------------------------------------------------------------

■大半のケースは下記の経緯をたどる。
  (参照先:島崎図1など)

================================
「生きている状態」

「どっちともいえない状態」
(←呼吸が止まってから、脳がやられるまでとか、心臓がとまるまでのタイムラグとか。せいぜいが数分以内。)

「死んでいる状態」 (←判定でも、心臓が止まってるだけでなく、目に光をあてて、反射とかも見ている。これは、脳の機能をみているということ。)

【4】-------------------------------------------------------------------

この局面に関しては、人工呼吸器の登場によって、人工呼吸器を使用した場合には、 「どっちともいえない状態」が、すごーく長くなった。これは、ここ数十年のことで、人類の歴史からすると、ごくごく最近のことである。

(ここでは、いわゆる「脳死」にかかわるようなケースでの人工呼吸器の使用、たとえば、くも膜下出血やバイクの事故で頭部を損傷したといったようなケースにはなしを限定しています。)

【5】-------------------------------------------------------------------

■つまり、くも膜下出血とかバイクの事故で頭に損傷を受けたとかいうケースでは、↓のような状況が生じるようになった。

========================
 「生きている状態」
  ↓
 「どっちともいえない状態」
  (長〜く続く。母のときは10日間。島崎&若杉参照。アカンボとかだともっと長い。妊婦からは子どもがうまれ、アカンボは成長するらしい。)
  ↓
 「死んでいる状態」

【6】-------------------------------------------------------------------

そうすると、いろいろ、そのすごーく長くなった期間について問題がでてくる。

o その間の治療はどうする? 本人はどんなふうな死に方を希望していたのだろうか? 医療者は、その間どう対応し、患者家族のメンバーたちとどう向き合う? 患者家族は、おたがいにどんなことをはなしあう? → これが基本の問題。なのに、ここが基本だということがふまえられていない!!! 


【7】-------------------------------------------------------------------

o その間の治療にかかるお金を健康保険システムから拠出する余裕があるか? その間の医療機関や医療マンパワーの余裕があるか

 → 新生児のケースなどは、 すでに余裕がなくなっているようでもあります。これから高齢者人口が増えてきたら、向きあうことを避けては通れないときが必ずくる はずです。 ひとりひとりが、たくさん悩み、考える必要があると思います。

【8】-------------------------------------------------------------------

 ・でもって、移植の問題がもちろんあります。

  →救急や脳外のお医者さんは、移植側のチームとは別で、移植には利害関係が直接ないので、(へんないいかたですが、)移植に関しては、親身になってくれる存在であることが多いと思います。 
 (医師・看護士等による医療の内容についてなら、むつかしい作業をしているのだし、人間なのだし、判断ミスやら失敗 やら、トンデモなことをやってしまう等、いろいろあるでしょう。しかし、それは、移植とは別ということ。)

他にも、さまざまな問題が生じているものと、もちろん思います

【9】-------------------------------------------------------------------

■でもって、こういう、いろんな問題(特に、一番最初に挙げた基本の状況)に対処するうえでは、少なくとも、脳の出血等の事由によって、「人工呼吸器をつ けていて、外したら呼吸がとまっちゃう状態」にたちいたってしまっているというのが、どういう状態なのかを、きちんと確認しておく必要がある と思います。

【10】-------------------------------------------------------------------

ワタシの《理解》
=========================
 ・ これは、「生きている状態か?」
   →少なくとも途中からはそうではないだろう。

・ これは、「死んでいる状態か?」 
   →いや、ちがう。

  ・ 人工呼吸器をつけ、輸液管理が行われている段階では、個体(機械・輸液系こみですが)ホメオスタシスは維持されている。
 ・ 外科的に介入すると、脊髄反射では説明できないような反応が生じる(麻酔してから臓器摘出など)

  ※ ある種のサイボーグ状態と考えるとわかりやすい。

【11】-------------------------------------------------------------------

ワタシの個人的見解
=============================
だったら、「生きている状態」か「死んでる状態」かで議論しても、しょうがない。

  ましてや、法律に関して、心臓死と脳死(※)の綱引きをするなんてナンセンス。人の死は基本的なことがらなので、他の法律上の条項との整合性のはなしを持ち出すのもナンセンス。

(※: ここでは、島崎の整理による2種類、つまり、「(1)全中枢神経死:大脳、小脳、脳幹、脊髄まで、あらゆる中枢神経系の不可逆的な機能停止、(2)全脳死:大脳、小脳、脳幹を含む全脳髄の不可逆的な機能停止」の2種類が議論の対象となりうる)

グレーゾーンと考えてよいのでは?


【12】-------------------------------------------------------------------

 人間の何パーセントかは、この長い「どっちともいえない状態」(以下、グレーゾーンと称する)を経て死ぬ。だったら、このグレーゾーンについては、グレーゾーンの状態をもとに、議論すればいいし、そうした議論は必須だろう。

つまり、議論は、実際にグレーゾーンに立ち会っている当事者たちの見解をベースにするということになる。

 【1】 本人:どんな死に方を望んでいたのだろうか
 【2】 家族:実際に真摯につきそっている家族の思い。家族は、本人の希望も理解しているかもしれないし。
 【3】 実際に看護にあたっている救急や脳外科の医療者たち:先達としての判断

★移植については、今回通った法案は【1】に抵触するので基本のところでナンセンス。

【13】-------------------------------------------------------------------

とっても個人的な見解

本人が、ホメオスタシスが保たれている状態の移植という事態について理解したうえで(←とりあえず、マックスどういうことがありうるかを知っていることまでは必須。全然むつかしいことではないと思います)、自分の臓器を「どうぞお使いください」と判断し(←これは、それなりの葛 藤があるでしょう)、家族を説得してある、というのでない限り、どのみち移植の数は増えないとおもいます。

なんというか、ちょっとびっくりしているのですが、現に、2月8日以降、脳死状態での移植はストップしてしまっているそうです。そんなくらいな状況なわ けですから、救急や脳外のドクターに、家族を説得しろというのは、メチャクチャだと思います。(たとえば産経2009年10月14日:臓器移植8カ月ゼロ更新中 法改正で議論高まる影響? http://sankei.jp.msn.com/life/body/091014/bdy091014215600...、こういう数はもともと波があるんだという見解も紹介されていますけれども)

【14】-------------------------------------------------------------------

(とっても個人的な見解のつづき)
増やすための施策(そして、やるのであれば、心臓死後の提供も増やせるような施策でなくてはならない)は、《本人の決断&家族の説得》を手助けするようなものでなくてはならないはずです。つまり、「死ぬこと」と向き合う手助けをして、自分の死に方に関心を持ってもらうものでなくてはならないはずです。

【15】-------------------------------------------------------------------

足りない(生物学的)研究

o ホメオスタシスが(物理的&化学的補助装置&機器コミ)維持されている状態についての生物学的研究って、足りないのではないでしょうか?

o 特に神経学的?研究: ラザロ徴候とかに関して、断定的に「脊髄反射」等といいきってしまうのは、不誠実だと思います。こういう 現象は、この分野の基礎研究として も、 とても大事 だとも思います。

【16】-------------------------------------------------------------------

o 神経系の細胞は再生不能って、ムカシは習ったと思いますが、こういう分野は、最近は日進月歩 の段階に入っているのではないでしょうか。このあたりの研究成果と、脳幹とか延髄とかの損傷とかって、関係がありそうに思えます。

o アカンボの長期生存例などについて、このあたりがどうなっているかがわからないと、子どもからの臓器提供といった議論は、とてもむつかしいはずだと思います。なぜ、今回の法案の 議論の過程で、このはなしが出てこなかったのか、とても不思議です。
  回復可能かどうか(救命できるかどうか)ではなく、知覚の可能性(患者が何を感じているか)が問題なわけですから、このあたりの議論は重要だと思います。

  別に、こういう研究が終わるまで移植医療を全面ストップすべき、という発想は、私個人はありません。ただし、上記【1】(本人の考え)が前提なわけで、こんなに、わかん ないことだらけのもの(つまり、今後、生物学的な説明のされ方が変わってくるかもしれないというか、確実に変わるもの)について、家族に判断をゆだねるというのは、 メチャクチャだと思います。
o ………といったあたりが、私の基本理解 です

【17】-------------------------------------------------------------------

図1 「脳死」と「植物状態」

図2 脳死の自然経過(心停止に至る日数とその割合)


救急医学からみた脳死 (島崎修次 )
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_3/3_1.html#TC_41_00

【18】-------------------------------------------------------------------

図1 呼吸停止後の各臓器・組織が壊死に至るまでの時間


法医学から見た脳死 (若杉)
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_3/3_2.html#TC_42_00

【19】-------------------------------------------------------------------

脳死の脳の状態

写真、脳死する脳


o 左から右に時間が経過

 なお、画像は、小さくしてあります。
直接↓で詳しい説明とともに読んでください。
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_3/3_2.html#TC_42_00
法医学から見た脳死 (若杉長英)

【20】-------------------------------------------------------------------

アイバンク協会の移植数のデータ
■年度別 登録者数・献眼者数・移植者数(利用個数)・待機患者数
http://www.j-eyebank.or.jp/bank.htm
表 アイバンク協会移植数データ

【21】-------------------------------------------------------------------

産経 2009/10/14 臓器移植8ヶ月ゼロ更新中
http://sankei.jp.msn.com/life/body/091014/bdy091014215600...

臓器移植8カ月ゼロ更新中 法改正で議論高まる影響?
 2009.10.14 21:55

 臓器移植法改正A案が衆院本会議で可決され、傍聴席で感極まった表情を見せた中沢啓一郎さん(右)、奈美枝さん夫妻=6月18日午後(滝口亜希撮影) 脳死臓器移植の実施が2月を最後にパッタリと途絶えている。ゼロの更新はすでに8カ月を超えた。7月に国会で臓器移植法が改正されるにあたり、脳死に関する議論が高まりを見せたことが、かえって移植実施を慎重にさせているとみられている。おりしも10月は臓器移植普及推進月間。移植への理解を求める関係者らの努力が続く。

 最後となる脳死移植が行われたのは、2月8日に名古屋市の病院で行われた事例。空白期間は8カ月を超えた。
 国内で初の脳死臓器移植が行われたのは平成11年。以後11年間で81例の移植が行われてきた。脳死移植が1例も行われなかった最長の空白期間は、14年12月30日から15年9月12日までの9カ月2週間。今回はそれに迫る勢いで空白期間が続いている。
 脳死移植のペースにはもともと緩急が繰り返されてきた経緯がある。空白期間が始まる前の、昨年から今年2月までは、ほぼ月に1件以上のペースで実施されており、関係者らの間からは脳死移植の定着を指摘する声も出ていた。今年1月には4件もの脳死移植が行われている。
 それが一転しての長期空白。関係者の間で指摘されているのが、7月の臓器移植法改正をめぐる議論の影響だ。脳死を人の死とする法案から、それに慎重な法案までが出され、意見が割れた。
 移植のコーディネートを担う日本臓器移植ネットワークでは「脳死に対する誤解も含めてさまざまな議論があることが明らかになったことで、家族や病院などに、移植に対して慎重な雰囲気を作り出しているのかもしれない」とみる。
 移植の意思を示す移植カードは累計で1億2400万枚が配られており、実際に日常的にカードを所持するなど意思表示をしている人は1千万人程度に達しているとみられている。
 臓器移植者やその家族らで作る特定非営利活動法人(NPO法人)「日本移植者協議会」の大久保通方理事長は、「普通では考えられない事態」と空白の長期化に危機感を募らせる。大久保理事長は「臓器提供の意思を示したカードを持っていた脳死者もいたはず。法改正にあたり『いまは積極的にかかわるべきではない』という考えが広がったのではないか」と懸念する。
 一方、脳死移植に慎重な立場をとる「『脳死』・臓器移植を許さない市民の会」の清水昭美代表は「審議不十分のまま採決された改正法への不信感が国民の間に広がり、人々が慎重になっているのではないか。もう一度議論をする機会だと思う」と話している。
 空白期間の裏で、国内では多くの人が貴重な善意にもとづく臓器提供を待っている事実がある。10月は移植医療に対する理解を呼びかける「移植推進月間」。移植ネットワークでは「移植について関心を持ってもらうとともに、家族などと移植について語り合ってほしい」と、ミニコンサートなど各地で啓発活動を行うことにしている。

     ◇

 ■改正臓器移植法 今年7月に可決、成立した。施行は来年7月。成立した法律(いわゆる「A案」)は、脳死=人の死と位置付ける▽本人が拒否していない場合は家族の同意で提供できる▽提供は15歳以上との年齢制限を撤廃−など、現行法に比べ臓器提供をしやすい内容になっている。国会審議には、子供の脳死判定が難しいことなどを理由に、移植に慎重な立場を取る法案などが出された。日本移植学会では改正法の施行で、年10件程度の脳死移植が、年70件程度までに増加すると見込んでいる。

【22】-------------------------------------------------------------------

ここからは、今回を振り返っての高橋のメモです

【23】-------------------------------------------------------------------

手順:

◆主催者の方で、新聞記事を2つ用意してくださる。一つは、簡単に法改定の経緯をまとめたもの。もう一つは、具体的なケースや問題点の紹介。
◆これを全員が読んで、自己紹介と法案への賛否や理由をはなしました。
◆その後で、私が、生物学的な事項をかいつまんで説明。このスライドの、個人的な見解以外の部分を、かいつまんで説明。
◆途中で、主催者の方が、(打ち合わせ通り)脳死の判定も含め、移植に至るケースの具体的なフローを説明してくださいました。
◆でもってディスカッション。
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・私が配ったのは、このPPTの印刷物と、山陰中央日報の井藤氏の記事。回覧したのが、法医学から見た脳死(若杉)と救急医学からみた脳死(島崎)。

【24】-------------------------------------------------------------------

私の感想(1)

o 主催者が経験をふまえて進行をデザインしておられること、参加者も経験を積んでおられる方が多いということがまず前提かもしれない。

o そのうえで、脳死についても、立場のちがう人が集ったうえで、ディスカッションが可能だと感じた。ただし、今回は、原理的に絶対反対であると表明する人はいなかった(賛否表明を避けた方は複数おられる)。

o 高橋が途中でまとめて時間をいただいて提示した内容は、特に新しいことではなく、いろいろなところで特定の立場とコミで書かれて内容を、高橋の立ち位置でまとめたもの。その過程で、複数科の医師も含め、いろいろな方に見てもらっており、生物学的な内容に関するかぎり、すごく違和感があるという人はいないところまでの摺り合わせはできていると思う(生物学的部分以外では、もちろん、いろいろご意見はあると思います。)それを提示して、ディスカッションのベースとしていただいた。

o なお、PPTに関しては、個人的見解の部分は、とばして提示し、その部分は、なるべく、あとのディスカッションの時間に述べるようにした。

o 脳死というのは、n人にひとりという確率で遭遇する状況である。その周辺には、植物状態といった状況もある。家族として、親族として、友人として、遭遇する確率は、その何倍にもなる。そうした状況をカフェという場でディスカッションすることは当然だろう。現在、脳死は、移植がどうこうという以前に身近な状況なのであり、まずは、そうしたものとして、ディスカッションしておくべきことがらである。臓器移植の問題は、その後からついてくる。また、脳死という状況を議論しておくことで、臓器移植についての冷静な議論が可能になるとも思う。

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ここまでは一般的なことです。

【25】-------------------------------------------------------------------

私の感想(2)その1

ここからは、もう少し個人的な感想です。

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o 今回の参加者はもともとよく状況を理解されていて、私も教わるところが多かったと思います。同じ本を読まれた方が、同じ本から何を読み取られたのか等、実際にディスカッションしてみてなるほど、と思うことが多々ありました。

o 複数でディスカッションしていると、自分がしゃべっていないときのAさんとBさんのやりとりを通じて、いろいろと考える余裕があって、整理ができるのがいいなぁ、と思いました。

o 生物学系の研究者&予備軍の方たちがいらして、その方たちは、自分と発想が似ているところがあるなぁ、と感じました。たとえば、「わからないことは徹底的に究めるべきだけれども、だからといってその間に開発(この場合は移植)をストップするというはなしにはならない」というのは、私も、スライドには書いてあって、でも時間がないのと、ここは個人的見解とことわって書いたことでもあるしということで読み上げなかったのですが、同じことが、参加者の意見で出てきて、あぁ、似ていると思ったわけです。(もちろん、「まだ、わかっていない」というのが何についてなのか、また、誰(本人か家族か)が当該なのかによって、いろんな議論が必須ではあるのですが。)

【26】-------------------------------------------------------------------

私の感想(2)その2

o また、「要するに、80年代以降の生物学の進捗が今回の法改定では審議も反映されもしなかった」点が、これは、私も、そこまではっきりと整理できていなかった点ですが、いきなりスパっと指摘されてしまいました。わぁ、この分野の研究者の方が複数おられてよかったぁ、と思いました。喉まで出かかっていて出てこなかった整理が出てきて、すごくうれしかったです。迷わず、「はい、そういうことだと思います」とレスポンスさせていただきました(たぶん、ココは声が大きかったはず)。私は、これまで、医師の方たちとディスカッションしていたのですが、やはり見え方って分野によって違うんだ、と思いました。

o 考えてみれば、神経科学だって、脳科学だって、この20年にすごい進歩があったわけです。そうした進捗内容は、臨床分野に限っていえば、確かに、生きている人の治療はともかく診断技術には結びついたんだろうと思いますが(そもそも、生物学的事象の解明と臨床技術としてそれが利用可能になるのとの間には、相当のタイムラグがあるわけですが)、脳死状態とはどういうことなのか、というところには、ほとんどつながっていなかったのだろうな、と思います。特に、日本の場合は、脳死での臓器摘出の事例が少ないですから、そうした介入的行為を通して得られる知見というのも少ないわけで、逆に、脳死状態についての生物学的解明がすごく遅れているし(輸液の管理等は別として)、20年分の生物学の進捗がヒトの脳死状態の解明と切断されていることも、まったく気づかれていない……。

o あぁ、そういうことだったのか、と思いました。このあたり、患者(場合によっては臓器の提供者)の回復可能性とは直接関係ないかもしれませんが、何を知覚しているかという側面では、必須のことがらですね。

【27】-------------------------------------------------------------------

私の感想(2)その3

o 私は、技術の開発側で仕事をしてきましたから、今回、はじめて、広い意味で自分が普段一緒に仕事をするような職種の人たち(バイオ系の研究者の方たちもですが、他に製造業の方もおられましたよね)も交えて、「脳死」という状態について、しかも「移植」とちょっと切り離すかたちでディスカッションしてみて、すごくほっとしたというのが素直な感想です。

o むろん、ほっとしてはいけなくって、いろいろな立ち位置の方とのディスカッションが必要なわけではあります。実は、今回はそのお立場を直接表明された方はおられませんでしたが、今年のはじめに、「そもそも、からだにメスを入れることは」という立場の方とおはなしをしたことがあります。あぁ、こういう方のお立場も尊重せねばならないのだなぁ、とは思いましたが、正直言って疲れました。そのときに感じた、「脳死よりも前に移植ありき」という立論への、移植なき脳死に立ち会った者としての強烈な違和感が、今回の立論の契機です。

  (そもそも、実母の場合、開頭手術の打ち合わせ中に再出血し、その後脳死状態になっていったわけですから、切ってほしい(それでなおるなら)という要望が先にありました。切る場所はちがうわけですが、 「そもそも、からだにメスを入れることは」といった発想は、何かヘンだと思います。これは、たぶん一般化できて、そもそも、切ってなんとかなるなら切ってでも直ってほしい、という状態の延長線上に脳死状態というものはあるのだと思います(←いっそのこと、宗教観とかいうなら、わかるんですが。)今回は、幸か不幸か、こういう議論にはなりませんでした。)

【28】-------------------------------------------------------------------

私の感想(2)その4

o なんというか、ほんと、知識って状況性があるのだなぁ、とハラウェイのSituated Knowledgeの翻訳者なものですから、思わず、その用語を介して感じてしまうのが「脳死」や「移植」といったことがらです。世間的にみて同じプロフェッションの中でも、「科学的」理解の内容にビミョーに差があるというのが、なんとも興味深いです。

o (近頃は、AIを提唱なさる病理医の方もおられますが、AIは、その意味で、必要だと思います。病理というのは、ある意味、臨床に近いところにありながら、ちょっとちがう性格を持っているわけです。「治療」という立ち位置では見逃されがちなことがいろいろ拾われるなかで、生物学との橋渡しとなるような知見が、多々得られるのではないかという期待があります。もちろん、 AIといわず、解剖をゆとりをもって行う余裕があると、もっと、生物学分野と臨床分野の風通しがずっとよくなると思うのですが。)

o まとまりませんが、内容面で気づいたことというところにフィーチャーするとこのような感想になります。

---------------------------------------------------------------以上です。


*作成:
UP:20091104 REV:
全文掲載  ◇Word版(doc)  ◇臓器移植・脳死2009
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