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<病い>を抱える人が社会で生きていく戦略――障害者の生活史から

吉田 幸恵(立命館大学大学院先端総合学術研究科) 20090926-27
障害学会第6回大会 於:立命館大学


◆報告要旨
◆報告原稿

■報告要旨

本報告は筆者が出会った、地域で暮らす精神障害者の生活史聞き取りの中で明らかになる、精神障害者が生活する上での問題点を指摘し、その問題点とどのように対峙し、生きるためにとった戦略を明らかにして今後考えうる援助の在り方を考察することを目的としている。
  地域生活を送る、ある精神障害者の生活史を聞き取った。統合失調症をはじめとする精神病は、長期化そして慢性化する傾向がある。その中で、当事者の病状の変化や、家族、周りを取り巻く他人の変化、出来事を経験する事になる。時間の経過の中で、変化や出来事を経験しつつ、当事者(や家族)が自分の障害をどう捉え、おかれた状況をどう意味付けし、そしてそれがまたどのように変化していくのかといった過程が明らかになる。当事者本人がライフヒストリーを語る事によって、経験してきた多様な営みを抽出することが可能になり、変化や問題が起きた時、それにどう対峙し、回避または受容したのかを明らかにする。対象者が自分の経験を語ることで現在の問題点などが明らかとなっていった。
  対象者自身にとっては、例えば「統合失調症」という言葉は単にその病気の名前を意味するだけでなく、偏見や差別に用いられるメタファーとなっているのは残念ながら事実である。そのため、精神障害のある人はスティグマのために、自分の疾患情報をどのように周囲に伝えるかということも課題のひとつである。それを秘密裏にして生活していくのは、もっとも容易なスティグマの回避法かもしれないがそれには限界がある。だからといって、周囲に自分の病気をひとつひとつ説明し、受け入れてもらうのも困難である。そしてそれは自然ではない。しかし当事者は病者という名を武器にしていることも事実である。これは社会で生活するための戦略といえる。拒絶されない信頼できる人間を選択し、人間関係を構築していくことが、地域で生活するうえで一番重要な事柄であると考えられる。
  精神保健福祉士法制定以降、精神障害者への援助法はそれまであった身体・知的障害者のケースワーク論がそのままあてがわれ、歪な形をなしていた。そして現在の精神障害領域の福祉サービスも、既存の知的・身体障害福祉に当てはめるだけで、精神障害の持つ背景に目を向けていないことが当事者の語りからも明らかになった。その障害に対する押し付けのサービスだけではなく、個人個人の生活問題として包括的に今後も考えなければならない。精神障害は特異性があることから定型に当てはめることが困難であり、その援助法をリアルに実感できる場は少ない。実感する為には個別具体的に、その人にフィットした援助が必要となるが、実際には困難である。そのような援助が不可能だからこそ、当事者はあらゆる<戦略>をとった。それを紹介し、何故そのような戦略が必要になるのか考察したい。

■報告原稿

<病い>を抱える人が社会で生きていく戦略-障害者の生活史から
吉田 幸恵(立命館大学大学院 先端総合学術研究科)

1・目的
 障害者自立支援法(以下・自立支援法)が成立し、それまで障害のかやの外にあった「精神障害」も含まれることになった。それ自体は評価に値すべき事項ではあるが果たしてその支援法は地域生活を送る精神障害者にとって有益に働いているのであろうか。
 本報告は筆者が出会った、地域で暮らす精神障害者の生活史聞き取りの中で明らかになる、精神障害者が生活する上での問題点を指摘し、その問題点とどのように対峙し、生きるためにとった戦略を明らかにして今後考えうる援助の在り方を考察することを目的としている。

2・ライフヒストリーより
対象者…Nさん・50歳(2008年現在)K市営住宅にて一人暮らし
★<家族構成>精神疾患(詳細不明)により8年間入院生活を送った父親(既に死去)、母親(既に死去)、一つ下の弟(そう遠くはない場所で一人暮らし)
★28歳の時から幻聴が聞こえだす。それをあまり不思議だと思わずに生活するが、30歳の時に「殺すぞ」と脅迫するような幻聴が聞こえ始めパニックになる。自ら当時勤めていた会社の上司に「刑務所に入れてくれ、もしくは精神病院に連れて行ってくれ。そうでないと殺されてしまう」と頼み、精神科病院に入院(半年間)。そこで統合失調症という病名を付けられる。薬漬けの日々を過ごし、半年後退院。以後両親と自宅にて生活するが、すぐに生活保護をもらいながら市営住宅にて一人暮らし(現在に至る)。後にも先にもこれ以外の入院経験はない。

1) 普段の生活
 現在は生活保護費だけで生活しており、加算金などを含めて月11万円ほどになる。そこから生活費全般を支払っている。治療などにかかわる金額は障害年金から支出されている。生活保護費は銀行口座に毎月振り込まれる。そこから自分で引き出して必要なものを買う。特に不自由はしていない様子である。
 両親が残してくれた市営住宅に一人暮らし。家賃は月2万円で、この費用は生活保護費より捻出している。驚くほど部屋は散らかっている。主に洗濯物やゴミが目立ち、山積みにされている。そして台所には最小限のものしかない。冷蔵庫は古いものと新しいものが2台ある。その理由は新しいものを購入した時に古いものをどうしたらいいのかわからなかったからである。
 毎週水曜日の午後に2時間だけホームのヘルパーTさんがやってくる。名目は「家事援助」である。ヘルパーへの支払いは月2万円程。保護費からなのか保険から捻出しているのか、その仕組みはよくわからないと言う。Tさんが来るのをNさんはとても楽しみにしている。Tさんと一緒にスーパーへ買い物に行き、昼食を作ってもらう。作ってもらった昼食を食べながら1時間ほど談笑する。自立支援法成立により、以前は2人で来ていたのが現在は1人になってしまったのが残念だとNさんは言う(詳細については後述)。

■病気についての本人の認識
 現在Nさんは、統合失調症(20年前入院した際につけられた)、躁うつ病(自己判断→自発的)、パニック障害(自己判断→自発的)の3つの病名が付けられている。躁うつ病とパニック障害については、自分に起こる細かい症状に合わせ「これは躁うつではないのか?これはパニック障害ではないのか?」と自分で判断し、医者に迫り、他の病名を「勝ちとった」。つまり、統合失調症以外は自己申告したものなのである。
 「パニック障害やうつはだいぶ治った。今はそうがひどい」などと言う。これも医者に診断されたわけでなく自己診断である。「自分の症状は自分が一番わかっている」と語る。このようにNさんは自分が病気であると確認し、安心するのだそうだ。そして「自分は気が狂っている」とよく言う。テレビで見る所謂「精神障害者がおこす犯罪事件」に関して「あの人たちは自分のことがわかってないんだよ」と笑う。
 しかし、作業所やデイケアに通うことは拒否している。以前通ったことはあるものの「あそこのいる奴らとは話はできない」。
 
3・障害者自立支援法とNさん
 2006年10月より本格導入された障害者自立支援法は、施行当初から様々な問題点が指摘されていた。特に精神障害領域においては、その特異性から理解されるのに長い年月が費やされている。症状に加えて「疲れがすぐに出る」「対人関係がうまくいかない」「一人だと不安」など様々な生活の困難も強いられることになる。そういった精神障害者に対して、医療政策は入院中心に展開することになる。そのため、他の障害者福祉施策から更なる遅れをとり、今現在においても殆ど改善されていない。しかし少しずつ精神障害者への福祉的支援が広がろうとした中で、「3障害を一元化」という謳い文句の自立支援法が登場した。当初、他障害の福祉的支援から立ち遅れていた精神障害領域の関係者は賛意を示したというが、内容が明らかになるにつれ、障害特性をふまえた支援が難しいという事もわかってきた。
 ひとつに、応能負担から応益負担への移行による経済的負担の増加が挙げられる。「公平に」をスローガンとしているが、原則1割自己負担は障害者(そしてその家族)にとっては、最も頭を悩ませる事態である。Nさんは、今まで支払っていた金額で、今後も賄おうとし、当初2人だったヘルパーを1人にし、更に週2回だった訪問を1回に減らさざるをえなくなったと言う。ヘルパーとの時間を何より楽しみにしていたNさんは「しょうがないよね、お金ないもん」と諦め気味である。
 ヘルパーとの関係の中で、Nさんは信頼できる人間を自ら選択し、自分の生活に必要な「信頼」を得ていたと言える。一人で市営住宅で生活する上で、毎週来てくれて家事援助を行い、話し相手になってくれる人の存在は大きいことは会話の中からもわかる。自立支援法成立によって、ヘルパーの時間と人数を削減しなければならなかったと考えているNさんであるが、今では仕方がないので納得して受け入れている。自立支援法は障害者にとって支えではあるかもしれないが、Nさんにとっては今までの生活を変えざるをえない、制約された法律となってしまったように思える。
 ところがNさんの場合、実はこの影響はない。本人は「増加した」「大変だ」と言ってはいるものの、生活保護世帯であるので自立支援法に切り替わって特段出費が増加したとは考えにくい。生活保護世帯であるNさんは自立支援法に切り替わっても、医療費は無料なのである。
 にもかかわらず、「大変」「お金がかかる」と実感しているのは、その手続きの煩雑さにあるだろう。必要な書類が増え、自分では管理不能なのでかかりつけのクリニックに預けている。生きるために必要な日常的な手続きが今までより煩雑で複雑になったことは手続き的侵害にも等しく、「自分のことを自分が管理できない不安」「今後はどうなるのだろうという不安」に陥れる結果となってしまっているのだろう。経済的な負担の変化はないが、心理的な負・精神的な負担はかなり増加していることがNさんの語りから窺うことができる。彼自身の「大変さ感」はどんどん高まる一方である。わからないことが増加する中で、一番気にしているのは「ヘルパーが減ってしまった」ということから、彼にとって会話は生活の中でかなりのウエイトを占めていることがわかった。
4・考察
4-1 受け入れる
 小さな人間関係と生活保護でNさんの生活は成り立っていた。保護費に関しては、月にいくらくらい振り込まれているかはわかっていてもその内訳が生活保護、障害年金がどのような割合で占められているかということまでは把握していない。だからと言って金銭感覚がないかと言えばそうではなく、毎月気にしながら生活しているし、誰よりも「生活保護の打ち切り」に敏感に反応する。彼自身が「打ち切られない方法」として、無駄なものを購入しなかったり、市役所職員の訪問に丁寧に応じたり、<戦略>をとっている。自分に今の生活を維持するためには絶対に必要である生活保護を受給するために彼は障害を受容している。
 当初は「生活保護は恥ずかしい」「働きたくない(働けない)ということを口に出してはいけない」という思いもあったが、それを全て受け入れたとき、この<戦略>を使うことが可能になった。最後のセーフティネットである生活保護に守られ、Nさんは一人暮らしを可能にしているし、週1回派遣されてくるヘルパーやPSWなどのさりげない支えも要因のひとつである。Nさん自身がもっている生活能力の高さと、公的支援のカバーで現在の生活は維持されている。

4-2 本当に必要な援助とはなにか
 しかしながら、現行のサービスは精神障害者にとって非常に使いにくいものになっている。知的・身体障害者のような使い方とは明らかに違うにもかかわらず、判定基準となっている項目は共通である。彼の場合、直接的に何かを介助しないと「生きていけない」というわけでなく、求めているのは「他人との会話」であり、そこには「なあなあのライン」が存在している。名目上は家事援助として来ているヘルパーだが、彼にとっての主目的はあくまで「会話」である。
 生活保護を受給し続けていくために、毎月生活の様子を見に来る担当職員を丁寧にもてなし、家の中の様子を全て見せる。そうすることによって、余計な買い物はしていない、生活保護だけで質素に暮らしているという印象を担当職員に与えるのだと彼は言う。その時にはどんなに体調が良くなくてもしっかりと対応するのだとも言っていた。このような態度のNさんであるから「しっかりしているじゃないか」「公的支援はこの人には必要ない」と判断されてしまう可能性もある。実際には生活保護もヘルパー派遣も必要なことなのに、どちらかを重視するとどちらかが切られてしまうかもしれないという「危険な状態」に陥ることにもなってしまう。このように地域で暮らす精神障害者は「必要ない」と判断されてしまう要素を多く抱えてしまうことがあり、ニーズに合わせたサービスを提供することが困難になっていると考えられる。
 Nさんの生活の中で重要なものは「金」(生活保護費)と「他人とのちょっとした会話」(ヘルパー派遣)であることは確かだ。しかし今まで「ちょっとした人間関係の必要性」がケースワークの中では軽んじられてきたのではないだろうか。現在の支援法での認定度ではNさんのような地域生活を送る精神障害者にとって本当に必要な支援が提供できるとは考えにくい。身体障害のように、決定的に機能しない部分があり、そこを補完するという認定をすれば「生きやすく」なる、それでOKというわけにも精神障害の場合はいかない。また、現在はこれで「うまく」まわっているが、もしヘルパーが変更になり「会話は家事援助に含まれていないので出来ない」などといった状況になると、Nさんの今の生活はすぐに崩壊してしまうだろう。
 精神障害者のニーズに合わせたサービスを今後提供していかなければならないが、偶然性に任せず公的な支え・制度として必要最小限の充たされた「人間関係の構築」を位置づけることがまずは今後の大きな課題であろう。人間関係も生活していく上で重要な事柄であり、これを軽んじていては真のサービスの提供は不可能であろう。見えにくい障害であるがゆえ、課題はまだ山積みである。

UP:20090624 REV:20090921
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