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湯澤 直美「ジェンダーの視角から読み解く現代の貧困」

障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学
20090927
[Korean]


◆2009年9月27日 障害学会第6回大会シンポジウム 報告要旨

報告者:湯澤直美(立教大学コミュニティ福祉学部)
報告タイトル:ジェンダーの視角から読み解く現代の貧困

■自己紹介
・社会福祉制度,政策,実践をめぐって,家族とジェンダーが交錯する領域に関心をもって研究をしています。とくに,母子世帯,ひとり親世帯,ドメスティック・バイオレンス,子どもの貧困,女性の貧困などに焦点をあて,調査・研究をしてきました。
・障害学会への参加は今回がはじめてです。よろしく御願いいたします。

■はじめに
・本日の報告では,ジェンダーの視角から現代の貧困問題を読み解く作業の一端を,試みたいと思います。
・その際,意識したいのは,「日本的な土壌」ということです。貧困問題をめぐっては,「1日1ドル以下で生きる」といった絶対的貧困の深刻さに加え,先進国における現代的な貧困が国際的課題として注目されています。当然のことながら,貧困問題がどのように現象化しているかは,国や地域の経済・政治・労働・文化等々に規定されます。また,人々が貧困問題をどのように「まなざしているのか」ということも重要な視点です。そこで,
本報告では,あえて日本社会ということを意識して考えていきたいと思います。言い換えれば,貧困という現実からいかなる日本社会が照射されるのか,という枠組みをもって報告をしたいということです。
また,ジェンダーの視点とともに,私の関心から,また次の報告につなげる意味でも,「女性の貧困」という視座から問題提起したいと思います。
 
■1.日本における「貧困」の再発見
・長引く経済不況,雇用流動化のなかでの経済的格差の拡大などを背景に,日本においても「格差」「貧困」が社会問題とみなされるようになってきました。ここでいう社会問題とは,何らかの社会的対応のもとで解決すべき問題として措定されることによって,「社会問題」として認識されるものです。日本においても,かつてから貧困は存在してきたわけですが,「一部の人」の「特殊な問題」とみなされてきた感が強く,社会問題としてみなされてこなかった−そのような意味で,ようやく貧困が「再発見」されたということができます。
・貧困の再発見として,多くの人々にその現実をみえるものとした一例が,昨年末から取り組まれた「派遣村」でしょう。日比谷公園に出来た長蛇の列―ニュースとして送信される画像は,茶の間において貧困が可視化される契機となりました。
その背後には,「ルールなき雇用」と言われるような雇用破壊,非正規労働者の増加の一方で一気に敢行された派遣切りという,かつてない現実が進行しています。若者の貧困化という現象も,現代的な課題となっています。
・そこで,マスコミでも,頻繁に「格差」「貧困」の特集が組まれるようになりました。「ワーキング・プア」という言葉も一般的に使われるようになったことは,社会の大きな変化です。たしかに,貧困化,あるいは経済の二極化が進行していることは事実です。しかし,さきほどもふれた通り,これまでも貧困がなかったわけではありません。その典型が,「ホームレス」と呼称されてきた路上生活者の存在でしょう。街中で日々行き違っているはずのその存在は,「われわれの貧困」としては認識されずに,まさに「行き違ってきた」といえます。そこには,「女性・家族を扶養しない位置にある男性」としてまなざす社会がたちはだかってきたのではないでしょうか。貧困という「社会において容認できない状態」が,「女性・家族を扶養する位置にある男性」に及ぶ事態が進行すると,「ワーキング・プア」という社会的名前をもった社会問題としてみなされるようになったと捉えられます。
このことは,父子世帯の貧困・低所得問題への社会の無関心にも共通しているものといえるでしょう。父子世帯のある父親はこう語っています。「世の中には父子家庭がいることをまず知ってほしい」と。「女性・家族を扶養する位置」にあるかないか,そのことによって変わる社会の「まなざし」と「対応」―貧困の再発見過程にもジェンダーが関わっていることがわかります。

・しかし,貧困の再発見過程におけるジェンダーは,それだけに留まりません。いまだ「発見されない貧困」,あるいは十分に社会問題として認知されない貧困があるからです。
それが「女性の貧困」です。
かつてより,非正規雇用の大半は女性であり,いまだ男女の賃金格差は諸外国と比較しても大きい日本。男女雇用機会均等法の施行と並行して進行した女性労働者の非正規雇用化のなかで,まさに女性はずっとワーキング・プアであり続け,いまもなお,その状態が続いています。母子世帯の固定的ともいえる貧困問題は,まさにその典型でもあります。しかし,女性の生きる現実からは貧困は社会問題化しない−ここに,貧困とジェンダーを問う出発点があります。
・さらに,一言付け加えておきたいことがあります。「いや,最近は母子世帯の貧困問題も随分マスコミでとりあげるようになったじゃないか」と言う見方もあると思います。たしかに,そうも言えます。しかし,そこには「子どもの貧困」という視角の登場が大きく影響しているのです。「子どもの貧困」の社会問題化も,日本では極めて遅滞し,2008年頃からようやく,このことに注目が集まるようになってきました。そのなかで,「子どもには責任はない」「子どもは家族を選べない」−だから支援が必要という論調が生まれ,母子世帯への支援も取り上げられるようになってきたとも感じられます。言い換えれば,女性問題としては社会の目が注がれなかったものが,子どもの問題としては社会の合意形成に向かっていく,と読み解けます。ここにも,ジェンダーが絡んでいるのです。

■2.ジェンダー主流化と日本社会
・これまで述べてきたことを別の言い方をすれば,日本におけるジェンダー主流化gender mainstreamingの遅滞ということができるでしょう。北京行動綱領では,政府やその他の行為者は,決定がなされる前に,それが女性および男性それぞれに与える影響の分析がなされるよう,すべての政策・計画にジェンダーの視点を据える,積極的で目に見える政策を促進するべきできあるとして,ジェンダー主流化を取り上げています。
・ジェンダー主流化の遅滞,あるいは曖昧さは,セクシズムの強化と表裏一体です。セクシズムsexismは,法的な次元だけでなく,政治,教育,宗教などあらゆる社会制度や慣習に浸透し,それらが相互補完的に機能して制度化される性差別の表す概念です。「相互補完的に機能する」からこそ性差別が「みえにくい」問題であるという点は,「貧困がみえにくい」問題である点と同様です。
みえにくい女性の貧困をいかにみえるものにするか。そこには,「国家―家族―個人」の緊張関係や相互補完関係を読み解く視点が必要とされます。

■3.ドメスティック・バイオレンスが照射した日本社会:暴力と貧困
・その点について,ドメスティック・バイオレンス(DV)という事象を取り上げて解読していきましょう。DVは,「ジェンダー関係に内包される権力構造と、家族という私的生活問題の隠蔽装置の交錯するところに生じる、極めて深刻な人権侵害」です。しかも,「安全でない家族というパラドクスが国境を越えて普遍化」しているのです。このことは,ジェンダー平等の視点の必要性を強く指し示しています。
・また,DVは,「暴力が親密圏と公共圏に通底することを明らかにし、その両者に関わる存在として、国家の暴力主体性と同時に、国家の暴力に対する“不作為責任”を照射する問題」[戒能:2005]でもあります。
・このような視点から日本の取組みをみると,DV防止立法の制定が21世紀をまたねばならなかったほどに遅滞したこと,DV罪や加害者処罰規定がなく保護命令制度も精緻さを欠くといった立法内容の脆弱さなどが特徴的です。
国家は様々な形で家族に介入する政策をとっていますが,DVについては,「夫婦喧嘩」として人権侵害とはみなされないなかで,長い間,放置されてきました。「DVの放置=不介入は、男性支配の家族秩序を守ることを目的に“不介入”という国家の介入を行うことを意味する。そこで守られるべき“プライバシー”とは男性支配の家族秩序であり、“プライバシー”の保護を謳うことでDVを私的領域に隠蔽する役割を果たしてきた」[戒能:2005]という指摘にもあるように,「不介入」という「国家の介入」のなかで,家族というシステムがDVを隠蔽してきたともいえます。
・DVは「女性の貧困」の原因とも,結果であるともいえます。女性が男性に比して経済力をもたないなかでの関係性―「扶養―被扶養」の関係は,容易に「支配―被支配」の関係に転嫁します。そして,力によるコントロールが日常生活に組み込まれるなかで暴力が発現―暴力ゆえの発言権・決定権の一層の停滞―力によるコントロールの恒常化・強化―といった悪循環が生まれていきます(原因の側面)。
・暴力を断ち切る社会的仕組みがないなかで,家を出ることになった女性を待ち受けているのは,「貧困」です(結果の側面)。
・日本の家族制度は,ある意味で驚異的な威力を発揮しています。戦前の家制度的遺制を戸籍制度に残しつつ、選択肢の制約された形態での親密性の制度化と規範化を推進しています。ジェンダーの非対称性は,そのような家族制度に補強されながら,社会のあらゆるところに根をはり,女性の貧困を不可視化させています。

■4.構造的暴力としての女性の貧困
・貧困のなかで暮らす人々の大多数が女性であることに鑑みて、貧困との闘いを目的とするすべての政策・計画の主流にジェンダーの視点を取り入れることが重要であることは国際的な戦略目標となっています。しかし、日本における女性の貧困への政策主体の無関心は、女性の貧困をみえなくするばかりか、女性の貧困化を加速させています。
・日本社会において、女性たちは幾重もの「力によるコントロールと支配」のただなかに置かれ、共生の絆を裁断され、分断させられてきたといえます。
DVは、「力によるコントロールと支配」を本質としますが、それは私的領域のみならず公的領域にも通底してきたといえるでしょう。
すなわち、労働市場への参入と平等な雇用保障の阻害ばかりでなく、税制・年金制度等による女性の経済的自立への介入、夫婦別姓の実現阻止等による女性のアイデンティティと独立した地位・選択の自由への介入、堕胎罪の存置等によるセクシュアリティへの介入など、幾重にも覆いかぶさる介入のなかで複合的なコントロールによる支配が行使されてきたといっても過言ではありません。
伝統的家族秩序と家父長的な男性優位の社会システムを確固として保持する力は、男性稼ぎ主モデルに依拠しつつ,女性の独立・自立を阻む積極的な介入を家族制度・労働市場を通して推進する一方、DVや性暴力については「不介入という放置=積極的介入」によって女性の尊厳を侵食してきたと捉えられます。
女性の貧困を「構造的暴力」と捉え,日本社会の特質を踏まえた女性の貧困根絶への複合的・多元的なアプローチが必要とされています。

※本稿の引用の際には,「障害学会第6回大会シンポジウム −障害と貧困」湯澤直美報告要旨との明記を御願い致します。


【参考文献】
・戒能民江「DV法制定から改正へ―その意義と課題―」社会政策学会第110回大会ジェンダー部会報告レジュメ,2005
・庄司洋子・波田あい子・原ひろ子編著『ドメスティック・バイオレンス日本・韓国比較研究』,明石書店,2003
・湯澤直美「“女性の貧困”研究への視座」『女たちの21世紀 特集女性の貧困 何が見えなくしてきたのか?』No57,2009.p38-40.
・湯澤直美「親密圏における女性への暴力と平和―日本・韓国・台湾におけるドメスティック・バイオレンス対策を通じて」『平和とコミュニティ−平和研究のフロンティア』明石書店,2007.p216−241
・湯澤直美「親密圏における暴力―ドメスティック・バイオレンス政策の対抗軸―」『福祉政策理論の検証と展望』中央法規,2008.
・Moser, Caroline O.N.1993, Gender Planning and Development Theory: Practice and Training Rutledge,1993.(=久保田賢一・久保田真弓訳,1996,『ジェンダー・開発・NGO』新評論)


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