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臼井 久実子「「ともに働く」の追求――大阪エリアの障害者運動(1980−90年代)を中心に」

障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学
20090927


◆報告要旨
臼井 久実子(東京大学大学院経済学研究科)
 「「ともに働く」の追求――大阪エリアの障害者運動(1980−90年代)を中心に」

  障害者が社会のあらゆる分野に参画することは、いまも残された大きな課題である。とくに「働く」ことをめぐる問題は、記録も運動史上の整理も十分になく、ミッシングリンクと言える。「障害者がこの社会で働くこと/働くうえで必要な援助をうけ、まともな所得をえるありかた」をめざして、過去にどんな問題意識と取り組みがあったかを見ることは、今後につながる問題でもある。
  障害者に関わる国の政策は、「身辺自立」と「職業的自立」をめざし可能な限り働くことを大前提とし、「訓練して就職」することや「福祉的就労」を進める一方、事業所に「一般雇用」を促してきた。生存と就労が強く結び付いている社会構造は前提とされ、「身辺自立」や「職業的自立」をめざせない人やめざさない人は、存在しないことにされてきた。そうしたなかで、障害当事者の運動は、それとは異なるありかたを構想してきた。つまり、<働く・働けない・働かない>のいずれにも優劣順位をつけずに、誰でも最低限の所得保障と介助・援助を得て生活していけるありかたである。そして「働く」課題に取り組んだ運動のなかには、障害ゆえの労働市場からの排除を問題にし、「ともに働く」ことを追及していく流れがあった。
  その流れのなかには、受験拒否や採用拒否、職場での虐待などの直接的な差別に対する個々の取り組みがあり、大企業や官公庁に率先した雇用を求め、雇用率を満たさない事業所名を公表させようとする運動があった。また、「失業者にもなれない障害者」を掲げて職業安定所への求職登録を進めるキャンペーンや、援助者をつけて働くありかたを地域に根付かせるためのさまざまな取り組みも進められた。
  このポスター展示では、無認可作業所などを拠点に、活動が積極的に行われてきた1980年代から90年代の大阪エリアで、「ともに働く」を目指した障害当事者の運動がどのように展開されてきたのかを年表に沿って見ていきたい。また、当時の冊子やチラシなどの発行物も手にとれる形で展示する。


◆報告原稿

「ともに働く」の追求
−大阪エリアの障害者運動(1980−1990年代)を中心に

この展示について

 1970年代以降、障害者差別に対してさまざまな運動が行われてきた。しかし、障害を理由とした教育と雇用からの基本的な排除は、移動交通や住宅のバリア、日常生活ケアの恒常的な不足、情報アクセス保障の大きな遅れもあいまって、現在もなお続いている、切実な課題である。1980年代以降、急速に全国に広がっていった自立生活運動も、親元や施設から出て地域で自立生活を始めてからの「自立後の生活ビジョン」を、仕事の持ち方や経済的な自立のあり方も含めたイメージを、社会のあらゆる分野に広がるものとしては、未だ、描ききれていないと言える。
 障害者権利条約が成立し、今後その国内履行・批准をしていくにあたり、合理的配慮をあたりまえのものとしていく取り組みは不可欠だ。そうした課題意識から、この展示を企画した。
 大阪エリアは、1970年代から'重度'とされる障害者の幼稚園、学童保育、小・中学校から高校・大学の修学にも取り組んできた特色をもつ。そうした実践のなかから、ともに学び育ってきたからこそ、成人後も社会のなかで平等にともに働きたいという本人や関係者の強い気持ちも生まれ、障害者を職場に迎えいれる人のつながりもできた。
 大阪エリアで早い時期から「ともに働く」を追及する活動の拠点となったのは、無認可作業所や一部の法人授産施設である。'労働能力なし'と判定された人も適切なサポートがあれば働けるという実践の積み重ねを通して、「援助者をつけて働く」という発想を確立してきた。
 それらの拠点からは、'最低賃金適用除外をするような事業所には障害者を送り出さない'というスタンスで、地域の会社やお店、幼稚園、官公庁に障害者雇用を働きかける活動が進められた。そのなかで、自治体の公務員採用に見られる障害者欠格条項=「自力で通勤し、介助者なしに職務遂行できること」という受験資格も撤廃し、点字試験の導入を進めるなど試験のありかたを変更させる取組も行われた。
 とくに知的障害者については、「求職から就労後まで本人のニーズに応じて継続的なサポートの確立を」ということを、運動の最初から打ち出していた。また、求職中の人や失業中の人をふくめたピアサポート活動も存在し、統合教育で障害者と同級生だったことから後に就労支援者になった人もいた。こうした取り組みが素地となって、大阪市では各エリアに地域就労支援センターも設立された。一方、すでに一般事業所等で働いてきていた身体障害がある人たちは「単独で(人の手をかりずに)全部できて一人前」という伝統的な見方と扱いの壁にぶつかっており、その壁をなかなか崩せないという課題も残してきた。
 1980-90年代は、作成者が大阪エリアの障害者団体連絡会事務局で活動した時期と重なる。その立場からかかわりのあった、全国的な運動・政策制度にも触れている。
 1970年代からの取り組みを直接知る人は少なくなり、文書資料も相当な量が散逸してしまっている。そのような状況のもとで、現在もなお「ともに働くの追及」が、大きな課題であることを受けて、この展示をひとつの区切りに、散逸している資料をできるかぎり集め、年表のかたちで編みなおした。こうした作業が、今後も続く「ともに働くの追及」にとって、なんらかの寄与となることを願っている。      (臼井久実子)


年表

縦軸 時系列 1970年代から2000年代まで
横軸 (1)政策・制度(2)全国的な運動・事件(3)大阪エリアの運動

(注)このテキストデータでは横軸の項目ごとに時系列で記述します。



(1)政策・制度

1975,雇用率「非協力」企業の公表
1976,障害者雇用促進法改定施行(納付金の導入)
1977,「重度障害者」ダブルカウント制度の開始
1979,神戸市が別枠で障害者採用試験を開始
1979,養護学校義務化
1980,公営住宅法改定、高齢者と身体障害者の単身入居枠を設ける
 →要介助者について2000年に制限緩和
 →2006年に知的・精神障害者の制限緩和
1981,「国際障害者年」
1981,大阪市と堺市、障害者別枠採用試験を開始。大阪市毎年5名採用を計画、点字試験も開始
1981,納付金会計 収支マイナス111億円。累積剰余金13億円 過去最低水準に
1986,施設利用費の徴収実施
1988,法律名変更、「障害者の雇用の促進等に関する法律」施行。知的障害者を算入してカウント
1990,米国「ADA」制定
1990,総務省が労働省に雇用率達成を勧告
1991,納付金会計 剰余金400億円 過去最高額に
1991,労働省、初の「未達成企業」四社を公表
[新聞記事]身障者の雇用進んでいない4企業 労働省が社名公表
1992,大阪府、知的障害者を非常勤で採用(同年に神奈川県も採用)
1992,日本政府、「ILO159号条約」を批准
1992, 兵庫県・大阪府「福祉のまちづくり条例」制定、全国に波及へ
1993,障害者基本法制定、「新長期計画」スタート
1993,大阪市知的障害者ガイドヘルパー制度開始
1994,ハートビル法制定
1995,「ノーマライゼーションプラン」開始
1996,市町村生活支援事業開始
1996,納付金収支マイナス122億円←過去最大の赤字
1996,「大阪市障害者就労支援検討会」設置。議論を経て就労支援センター制度創設。
 ←複数の障害当事者、作業所等の就労支援者も検討委員として参画
 →大阪市障害者就業・生活支援センターは、2009年現在、市内7か所。@中央(東部)、A淀川、B北部、C西部、D中部、E南西部、F南部が活動している。
[図]大阪市区分図と各障害者就業・生活支援センターのフィールド
1997,雇用促進法改定 民間企業の法定雇用率を1.6%から1.8%に引き上げる
1997,大阪市、障害者職員採用試験の受験資格から「自力通勤・勤務」を削除
1998,大阪市障害者就労支援センター制度発足
 ←中央就労支援センターと地域就労支援センター3ヶ所からスタート。
 →後に「障害者就業・生活支援センター」と改称
1999,「大阪市知的障害者の採用を検討する検討会」が開始、知的障害当事者1名が委員として参画
1999,欠格条項見直しについて初の政府方針
2000,「交通バリアフリー法」制定
2001,欠格条項を一括的に見直す法律が成立
2001,大阪市、知的障害者を1年契約更新の嘱託職員で採用、採用試験のありかたも問題となる
2002,大阪府「ジョブ・サポーター養成・派遣モデル事業」この年から3か年実施
2002,大阪府、障害者職員採用試験の受験資格から「自力通勤・勤務」外す
2002,雇用促進法改定、特例子会社設置要件緩和、ジョブコーチ創設、「除外率」段階的縮小等
2003,厚生労働省東京労働局が、東京都内に本社をもつ雇用未達成企業9012社名や実雇用率を公開
2005,納付金会計剰余金 最高額を更新、464億円
2008,「障害者権利条約」発効



(2)全国的な運動・事件

1974,国民春闘←スローガンは「弱者救済春闘」
1974,国民春闘の結果を受けて「障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」発足
1975,「大久保製壜」社で障害労働者に対する搾取虐待→1984年に東京地労委が不正を認める
1976,「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」結成
1977,「共同作業所全国連絡会(きょうされん)」結成
1981,第1回「障害者と労働者の連帯集会」開催。「全国障害者職よこせ集会」を同時開催。
 ←1981年国際障害者年を迎え、総評を中心に「国際障害者年対策会議」がもたれ、労働組合と障害者団体の結集の中で障害者問題の解決に向けた討論と共同行動の展開がはかられた。その後この会議は「障害者と労働者の連絡会議」として1981年から活動し、毎年1回開催の連帯集会「障害者と労働者の連帯集会」を軸に共同行動を積み重ねた。当時から、障害者の最低賃金の適用除外、「重度障害者」ダブルカウント制度、地方公共団体の別枠のみの障害者採用制度について、問題とみなしていた。
 ←職よこせ集会は、「全国障害者解放運動連絡会議」、「障害者の生活保障を要求する連絡会議」、「視覚障害者労働問題協議会」が中心となった。
 →1989年の総評解散まで、毎年、「自治労障害者労働者連絡会総会」とも同時期に開催しながら、省庁と交渉し、東京都心でデモ行動をした。
1981,「自治労障害労働者全国連絡会」結成
 ←「障害児・者が社会の一員として、共に生活し、共に学び、共に労働する共同社会の実現に向けた運動を進める。その一環として、まず何よりも自治体雇用の推進が重要であるとの認識に立脚しこの運動を進めます」(1986年総会議案より)
1983,「全障連」障害者解放基本要求要綱まとめる(労働の4つの意義と3つの原則)
1984,「差別とたたかう共同体全国連合(共同連)」結成
 ←大阪では印刷業の「セルフ社」や、「生活できる給料の出る仕事をしたい」とたちあげた無添加パン製造販売「ポッポ」や、リサイクル業「マッサク」などが中心となった。1986,「DPI日本会議」発足
1986,「DPI女性障害者ネットワーク」発足
1986,「八王子ヒューマンケア協会」発足 ←日本初の自立生活センター
1988,「共同連事業組合」結成
1990,「障害者の雇用拡大を求める行動実行委(準)」呼びかけ「今、行動する時!」
1991,「全国自立生活センター協議会(JIL)」発足
 ←「未達成企業」四社に、障害者団体3団体が抗議と交渉「未達成巨大企業こそ責任重大!雇用率さえ上がればいいのか?/何を指導してきたのか、労働省/差別に無自覚なままの企業」(障害者の雇用拡大を求める実行委員会の会見報告より)
1992,職安一斉求職登録 全国化する
[新聞記事]全国で一斉求職登録 障害者雇用が伸びないのは「職安の対応にも一因」 「職業能力判定」を指示・拒否や低い判定の場合「治してから来なさい」
1992,「障害者を納税者に」掲げ「プロップ・ステーション」設立準備
1994,「ピープルファースト」結成、第一回全国大会
1995,水戸・「アカス紙器」事件
1995,滋賀・「サン・グループ」事件
[新聞記事]滋賀・横領容疑者の工場 障害者が栄養失調死 社員寮 食事ずさん 衰弱の3人を保護 他にも2人死亡
1995,第一回「障害者政策研究集会」
1998,聴覚障害女性、薬剤師国家試験に合格し、欠格条項ゆえに免許交付を拒否される
1999,「障害者欠格条項をなくす会」発足
2001,日本航空障害者雇用株主代表訴訟の和解成立 ←原告「株主オンブズマン」
2001,東京・大阪・名古屋で未達成企業等の情報開示請求 →2003年に東京労働局による公表
2005,「障害者自立支援法」強行採決
2005,千葉県で市民が「障害者差別をなくすためのミニタウンミーティング」各地で開催、「障害者差別をなくすための研究会」で差別事例の集約
2007,「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」施行
2009,「北海道障がい者及び障がい児の権利擁護並びに障がい者及び障がい児が暮らしやすい地域づくりの推進に関する条例」を可決



(3)大阪エリアの運動

1974, 「大阪障害者教育研究会」結成
1974-1976,「大阪府立堺養護」非常勤職員(脳性まひ)の片平さん解雇撤回闘争
1974,大阪市旭区で「地域で共に生きる教育と生活をすすめる会」発足
 →高校進学などに取り組む
1975,「電電公社」筒井さんが試験に合格して採用を拒否される
1975,「豊中市」西岡さん正職採用
[図]「ほな、たたかいまひょか−西岡務ものがたり」表紙より 2008年発行、りぼん社
1975,「豊中市」三上さんたち三人が職員採用を求めた。
 ←当初「障害者の無試験・優先採用」を掲げた
 →三上さんは1980年に嘱託として採用され、1985年に正職員となった
1976,「大阪AZ福祉工場」建設運動
1979,大阪市生野区で「出発(たびだち)のなかまの会」設立 生活と雇用を支援
1981,「国障年大阪連絡会」発足
当時の正式名称「国際障害者年を機に障害者の自立と完全参加を求める大阪連絡会議」
 →1995年から「障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議」略して「障大連」
1981,「豊能障害者労働センター」設立→2009年現在、8店舗を運営
1981,「枚方障害者労働センター」設立→2009年現在、NPO法人
1982,「NHK大阪放送局」堀田さん就労
1983,大阪で「障害者職よこせ要求者組合」結成
←70年代からの個別就労運動の担い手が役員になった。準備期には労組を約30か所回り障害者雇用を働きかけ、同時に、超賃金と長時間労働に悩み苦しんでいる障害者の仲間たちに、労働条件の改善を一緒に取り組もう」とよびかけた。
 ←大阪市民のみなさん。そして障害をもった仲間のみなさん。今、行政改革の名の下に福祉切り捨て、失業者の増大など、私たちの日々の生活は苦しくなる一方です。
私達「障害者職よこせ要求者組合」は、こういった社会のなかで、働きたいという意欲をもちながら就職の機会がない、職場での厳しい労働条件、低賃金などで悩んでいる障害者の労働権を獲得しようと結成されました。「要求者組合」では、働きたい障害者を募集すると同時に、行政、職安や各企業に対して、障害者雇用を拡大させるよう活動しています。「要求者組合」にあなたも加入して、障害者として職場に入る道を拓いていきませんか。 (職よこせ要求者組合準備会ちらしより)
[図]組合員手帳 障害者職よこせ要求者組合
[図]ステッカー 障害者職よこせ要求者組合(準)労働組合づくりや生活保護等の相談も
1984,「豊中市」初の障害者採用試験を実施 3名採用(受験者47名)
1985,りぼん社「針路をひとびとの只中に 障害者の進路保障と就労」刊行
1986,「障害者労働問題交流会」障害者の労働情報パンフ「OUT労」発行
1986,東大阪市で「自立の家つばさ」設立→知的障害者当事者活動、雇用支援
1987,自立セミナー「障害者の自立と労働を考える」
1987,大阪市旭区で「手の花の家」開設
 →1998年から「大阪市北部地域就労支援センター」受託運営
1988,障害者・就職と職場のこんだん会・リーフレット「働きたい 働き続けたい 障害者のあなたに−共に働く職場を!−」
1989,ぷくぷくの会「すいた共働作業所」設立→製菓工場も運営、雇用支援
1989,国障年大阪セミナー「職場から地域から考えよう 重度障害者の労働」
1990,「箕面市障害者事業団」設立
 ←「どうして障害者は、学校を卒業しても、働く場がほとんど無いんだろう」そんな疑問から始まった働く場づくりの取り組み、市民と障害者団体と市行政が力を合わせて、5年の歳月を費やした。そして「ベストは一般企業への就労、でもまずは自分たちの手で実践してみよう」と思いを一つに、事業団をつくった。
1990,国障年大阪セミナー労働分科会「重度障害者の雇用をどう切りひらくか」
1991,職安求職登録、職安点検活動 大阪などいくつかのエリアで始まる
←「障害者に しごとができるの?」「無理して はたらかなくても 福祉のおせわになればいい。」こういう人が、よくいます。けれど、わたしたちは はたらきたい。設備はよいけれど、障害者ばかりが集められた工場。交通費と弁当もちで毎日通って、月五千円の福祉作業所。会社なみに働いていて一生、訓練生のままの授産施設。正社員になれない、残業しても手当が出ない会社。わたしたちは、こんな、はたらく場をのぞんでいません。職安は もっと はたらきたい人の身になって。ひとりの はたらく人間として あたりまえに はたらきたい。あなたといっしょにはたらきたい。 職安求職登録行動・街頭宣伝チラシより
1991,「企業は障害者を雇え!」大阪中之島センタービル付近で街頭宣伝、関西経済連合会・関西経済同友会に申し入れ、記者会見(全障連関西ブロック)
1991,国障年大阪セミナー労働分科会「なぜ雇用が進まないか」
1992,「国障年大阪連絡会」労働部会、「障害者の雇用就労拡大のため、交流、学習、共同行動を進めよう」との趣旨で発足。その前から「作業所部会」にて、作業所からも地域の障害者雇用就労を広げることが課題になり、前年から準備会を開いていた。
1992,大阪府労働部が法定雇用率未達成大企業を集めた懇談会の資料、情報公開請求と報道
[新聞記事]障害者に大企業冷たく 雇用率未達成16社が府に文書「お茶くみで雇用」「ビルの構造上無理」大阪府情報公開で判明
1992,国障年大阪セミナー労働分科会「障害者の賃金-企業・作業所・最低賃金除外」
1993,大阪府労働部との勉強会 連続開催
 →記録は1996「障害者の働く暮らしを支えるために」に編集
1993,国障年大阪セミナー労働分科会「就労支援」
1994,「大阪府・全市町村 障害者採用と雇用就労支援策に関するアンケート報告書」
1994,国障年大阪セミナー労働分科会「どうつくる、働きたい障害者を支えるシステム」
1995,障大連セミナー労働分科会「地域で働くシステムをつくる−障害者運動による就労支援」
1996,障害者就労支援シンポジウム「もう待てない!地域からつくりだそう、障害者就労支援システム」
1996,「大阪障害者雇用支援ネットワーク」結成
 ←「大阪を障害者雇用日本一のまちに!」を掲げ、連合大阪・関西経営者協会・特例子会社等事業主・職業リハビリテーション等関係者と労働行政とが連携。
 →2001年に「特定非営利活動法人 大阪障害者雇用支援ネットワーク」となる。"
1996,「障害者の働く暮らしを支えるために 講演記録集」
1996,障大連セミナー労働分科会 「地域就労支援見聞報告 カリフォルニア・横浜」
1997,障大連公開学習会「早く市職員になりたい−どう使える、雇用促進法改正」
1998,「障害者の人権白書」障害者の人権白書づくり実行委員会が調査報告書刊行
←1550人に聴き取り調査。「21歳の時、石けん工場に行きました。工場の2階で住みました。社長の親戚の職人が暴力をふるったりしました。偉そうに言われて20年間働きました。みんなより給料が安かったので、僕は値打ちがないと思いました。こき使われたと思っています」(知的障害 55歳 男性)
[図]「障害者の人権白書」冊子の表紙
1997,障大連セミナー労働分科会「作業所からのチャレンジ〜一般就労へのアプローチ」
1998,障大連セミナー労働分科会「自治体の障害者雇用」
1999,障大連セミナー労働分科会「国は「厚生労働省」へ。今、自治体の政策展望は? 〜働き暮らす地域づくりにむけて〜」
2000,障大連セミナー労働分科会「就労支援の人づくり 制度づくり」
2002,「NPO法人大阪障害者自立生活協会」設立
2002,「支援があれば働ける」ジョブサポーター事業の立ち上げに向けた集会
 ←主催「NPO法人大阪障害者自立生活協会」
2002,障大連セミナー労働分科会「民間企業でふつうに働く〜企業、支援センターの立場から」
2003,障大連セミナー労働分科会「この町で働きたい〜大東・施設からの雇用支援」

参考書籍
杉本章「障害者はどう生きてきたか 戦前・戦後障害者運動史 増補改訂版」2008,現代書館 ほか多数


*作成:
UP:20090905 REV:20090920
全文掲載  ◇障害学会第6回大会  ◇障害学会第6回大会・報告要旨

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