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本多 創史「明治期における不良少年の矯正・知的障害児の教育と「国民」矯風事業」

障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学
20090926


◆報告要旨
 本多 創史(東日本国際大学福祉環境学部)
 「明治期における不良少年の矯正・知的障害児の教育と「国民」矯風事業」

  本報告では、明治期日本の不良少年感化事業と地方改良事業とを取り上げ、不良少年に対する感化訓育が「国民」一般にまで向けられていく過程を考察する。一般に、感化事業は、社会福祉史において取り上げられ、地方改良事業は政治史や政治思想史、民衆思想史において取り上げられる。本報告では、人々の生の規律という観点から両者を関連づけて取り上げようとするものであり、その意味で従来の如何なる研究とも異なっている。
  ミッシェル・フーコーが述べているように、近代以降の権力は、主権に一元的に帰属させ得るようなものではなく、むしろ、いたるところに出現し、人々の生のありようを方向づけている。このような権力観に立つならば、障害者の教育と訓練といい、貧困者の自立支援プログラムといい、不良少年の感化といい、いずれも、人々の生のありようを変え、ある一定の方向へ向かわせようとするものであるから、近代的な権力の問題として理解できよう。本報告では、こうした視点から明治期における不良少年の感化事業を整理していくこととするが、その際、不良少年の感化方法と同一の方法が知的障害児教育の分野に適用され、また、不良少年は知的障害児であるとされたりしているなどといった興味深い事実についても言及したいと思う。
  その後、感化事業は、不良少年になる以前の段階に介入しようとする。具体的には「善良なる」家庭と社会環境の創出へと突き進む。この「善良なる」家庭と社会環境の整備は、感化救済事業の発展であると同時に地方改良事業の一部でもあった。不良少年が出現しないよう、各町村では有力者が善き家庭作りを推奨し、自治体は、禁酒を勧め、勤労を勧め、「健全なる」社会環境を整えていくのである。それは、不良少年の出現防止策が、そのまま善き町村の内容を構成する事態の出現であり、善き「国民」とは不良ではないということを意味していた。
  以上のように、本報告は、不良少年の感化事業を原型としながら「国民」育成と地域振興が語られていくという点を中心に考察するものである。

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UP:20090905 REV:
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