自立生活センター(Center for Independent Living 以下「CIL」と表記)が行う自立支援は多くの実績をあげている。重度身体障害者が自立生活を実現させるには、様々な問題を自らの力で乗り越えていかなければならない。自立のための親・兄弟などの説得、社会的責任を負うことの自覚、それら困難を越えていくための自己信頼と自信の獲得など、様々な問題を超えていかなければいけない。このような点において、ピアカウンセリングや自立生活プログラム(Independent Living Program 以下「ILP」と表記)など、CILが行っているプログラムは自立支援においてとても重要である。
しかし、居宅介護派遣事業の収益優先となり自己決定・自己実現の尊重といった自立生活の理念が欠落してしまっている状況も一方では見られる。障害者自立支援法の施行により、定率負担の導入による自己負担金の発生、国庫負担基準額の縮小、福祉離れによる介助者不足など、障害者の自立生活は厳しい状況になっており、N市のようにホームヘルプサービス支給量を抑制する動き1)も実際に各地で起こっている。
本来、障害者の自立生活運動と、当事者による当事者支援が目的であるはずのCILが収益最優先で自己実現、自己決定が影になっている傾向があり、一部のCILでは不正行為を行っていたケースもある。近年では、居宅介護派遣事業に集中し、権利擁護を含む運動体としての役割が実践できていなかったり、ピアカウンセリングやILPの実施など、当事者による支援が形だけのものになりつつある傾向にある。この流れは障害者自立支援法の施行により収益最優先の傾向が更に加速している。
CILが入ってきた1980年代に比べて、障害に対する意識が変化してきていることや、障害者職員と健常者職員の関係の変化、制度の複雑化などにより、全判断を障害者職員が行えず、居宅介護派遣事業のすべてを健常者職員が行っているCILも出てきている。こうしたは傾向は、首都圏や関西圏などの都市部に比べ地方においてより強い。このような社会環境の変化により、CILの性格も変化してきていると考える。現在、CILが居宅介護派遣事業などを中心とした収益を最優先にする傾向にあり、CIL自体の運営も健常者職員が中心となっている状況がある。そこで、さらに弱体化しつつある運動体としての機能を再び高めるために、今後求められる運営体系を検討する。そして、CILでの権利擁護活動など、運動体の側面から見た重度身体障害者の自立支援におけるCILの支援の在り方についても検討する。
(2)設立の経緯
あるるを設立する契機となったのは、1996年から始まった市町村障害者地域生活支援事業(現在の相談支援事業)について行政がCILへの委託を前向きに考えたことが大きい。そもそも、行政がCILへの委託を認めた背景には、市内のCILなど当事者組織を統括する障害者の完全参加と平等を求める大阪連絡会(以下、「障大連」と表記)による行政交渉によって実現した。元々、1996年以前から大阪頸椎損傷者連絡会の集まり(以下、「頚損連」と表記)が定期的に開かれており、「頚損連にいた2人と、時々、(頚損連に)遊びに来ていた私でCILの設立を目指して、自立やCILの理念とかについての勉強会をやっていた。まあ、勉強会といっても図書館とか、(3人のうち)誰かの家とか、ファミレスとかでの勉強会だったけど。(代表証言)」「それと同時に自分たちの思いに賛同してくれる仲間を集めて2000年に設立準備会を発足させた。○○(現在、あるる健常者職員)を誘ったのもそのころだったと思う。その後も勉強会を継続してやって、(勉強会で使う)レジメの作成と司会役は毎回、持ち回りでやった。(担当を持ち回りで行った理由は)運動や会議などで、みんなが先頭に立つことができる力をつけるため。(理事長証言)」「市町村障害者地域生活支援事業の受託を目指して、JIL(全国自立生活センター協議会=Japan Council on Independent Living Centers 以下、「JIL」と表記)や障大連が行う研修会とか、ピアカン講座やILP講座やリーダー養成研修なんかにも少しでも多くの実績をつくるため多くの研修に自費で参加した。(代表証言)」2001年、特定非営利活動法人を設立、その後、市内の主要駅周辺で全職員でカンパ活動を行うことで資金を集め2002年に事務所を設立、同時に市町村障害者地域生活支援事業を受託した。2003年には、支援費支給制度開始に伴い居宅介護指定事業所指定を受託、2006年には、作業所を設立し活動の幅を広げている。