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杉村 直美「発達障害理解のための自記入式質問紙の有用性の検討――学校文化と特別支援教育」

障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学
20090927


◆報告要旨
 杉村 直美(愛知県立日進西高等学校)
 「発達障害理解のための自記入式質問紙の有用性の検討――学校文化と特別支援教育」

 近年、発達障害も視野にふくめた特別支援教育の必要性がさけばれるようになってきている。しかし、学校、とくに高等学校においてその実現は困難である。その背景には、発達障害概念が浸透しておらず、かつ学校が「生徒に対して平等にひらかれている」ことを建前としており、成績の付け方、評価の仕方など細部にわたって制度化されていることがある。特別支援教育とは、これらに変化をせまるものである。しかし現場の教員は、そうした変化を「平等」をつきくずす「特別扱い」とみなすケースが多い。したがって、特別支援教育を推進するためには、教職員が発達障害概念を理解するとともに、現行の制度にどのような変更を加えうるのかを考えるための基礎が必要になる。そのための方策として、報告者は「発達障害傾向をもつ生徒のための自記入式質問紙」を試作した。特別支援教育に関心はなくても、生徒自身が記入したものを無視できる教員はすくないからである。この質問紙のねらいは二つである。教員が学校生活上困難をもつ生徒の特徴を理解し、その支援方法を考案するきっかけとなること、もう一つは、生徒が自己の特徴をつかみ、学校生活で困難な点への支援をうけやすくする土壌をつくることである。
 質問紙作成のための基礎研究として、既存のチェックリスト(学校現場で、多用されている平成14年度文科省が学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(ADHD)、高機能自閉症など、通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査を行う際に作成された「児童生徒理解に関するチェックリスト」をはじめ、診断基準や、評価シートなども含む)を網羅的に蒐集・比較検討した。その結果、既存のシートが、観察者用にできている、当事者の視点に欠けるなど、「医療モデル」にそって作成されていることが明らかになった。

◆報告原稿

2009/9/26                                 
発達障害理解のための自記入式質問紙の有用性の検討
-学校文化と特別支援教育
杉村 直美(愛知県立日進西高等学校)
naomi0814@hotmail.com(@→@)

0. 個人的な問題意識
・社会背景→2006年に発達障害児支援をふくむ特別支援教育法が制定。学校現場においては「特別支援教育」講習や「特別支援コーディネーター」の設置が義務づけに。
・学校現場における現実→養護教諭である報告者の特別視点の提案に「特別扱いはできない」「生徒を甘やかすことになる」「診断書があれば、考える」と却下されるケース多発。「義務教育ではないのだから、勉強の苦手な生徒が、わざわざ『ふつう』の高校にこなくても」と言われることも。
・打開策として→有志の養護教諭を組織し、自記入式チェックシートの開発
・その理由
  →「特別支援教育の意義」といった「正論」を戦わすことは、職場における人間関係の悪化をまねきこそすれ、生徒にとって利はない。
  →特別支援教育に否定的な教員であっても、個々の生徒に関心のない教員はいない。
  →管見のかぎり、包括的に発達障害をとらえ当事者を対象とした自記入式チェックシートは存在しない。
・報告主旨→自記入式シートの作成指針の明確化とその意義の検証

1. 「障害学」の知見をいかす
・検証における分析枠組→「個人モデル」「社会モデル」という構図を用い、既存のチェックシートを比較検討。
・その理由→「社会モデル」に適合する自記入式シートの作成指針の具体化のため
・本報告でもちいる定義
  個人モデル:基準は「健常者」であり、「機能障害」が「個人に内在」するものを「障害」とよぶ。「文化」は健常者 中心に構成される。
  社会モデル:基準は「個々人」であり、「障害」は「個人の外部」にある。よって、「構造障害」とよびうる。ある「機能障害」はある「文化」の発生源である。

2. 既存のチェックシートの構成要素の抽出
・学校現場で使用頻度の高いチェックシート→文科省のチェックリスト( 2002年に文科省が「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」のために作成したもの)
・文科省チェックリストの特徴→既存の評価シート、スクリーニング質問紙を参考に作成。その参照したものは、DSM-W(米国精神疾患診断基準)、ICD?10(国際疾患分類)といった診断基準をもとに作成されている。その他のチェックシートも同様。
・DSM-W、ICD-10におけるアスペルガー、ADHDといった診断基準の特徴
   ☆「健常者」を母集団として想定している。
   ☆ 母集団から「逸脱」する行動の集積として「発達障害」と判定される。
   ☆ 判定者は、他者(医療関係者、教師、保護者など)である。(被判定者は、治療/適応訓練を義務づけられる)。
   (たとえば、「操作的診断基準」「明示的に記述された症状項目に何項目該当するかで診断」(生地2002p.16) する尺度であり、「発達段階に応じて不適応的であるかどうか」(同、p.17)といった「専門家」らの説明を参考にまとめた)
・結論→診断基準は「個人モデル」に適合的である。

3. 「学校文化」と「個人モデル」の親和性
・学校文化の特色
 @学校とは、「『子ども人格発達』を目的とする社会機関である」(久富1996p.11)
  →「教えられる存在である生徒という位置づけ」「教える教師の権威化」
  教師の側にうまれるこどもを「守る」「育てる」という使命感と関係性における序列化の発生
 A「区別しない」という平等観
 →苅谷(1995)によれば1950年代以降、形成された学校的価値観。それまでの学習困難者に対する「特別扱い」がかえ  って差別を増長するという危惧や、当時いわれはじめた「学歴志向」批判などが関与しあい形成された。現在の学校では区別しないことが、差別しないことである」という価値観が当然視されている。
「生徒のタイプにかかわりなく好感をもとうとする」(山崎1996p.132)教員の規範意識と校則、内規にみられるような「同化志向」「一斉共同体主義」(恒吉1996p.231)
 B隠れたカリキュラムの存在
教師の言説としての「『競争否定』・『共同関係』強調」(久富1996p.14)と、成績評価にみられるような競争・序列思考、部活動の表象にみられるような勝利至上主義、生徒指導にみられるような「逸脱者」への制裁といった側面がある。
*これらの特徴が「特別扱い」を忌避し、「診断書があれば」とする「医師の権威による例外化」の正当性の根拠となっている。

・「個人モデル」との親和性-パターナリズムと序列化-
「発達障害」の「専門家」のかたることば
 「教育の失敗がAD/HDの障害を増幅させたり長期に固定させてしまったりし、さらには二次障害を生じさせること」(清水ほか2002p.189)があるとし、学校教育現場における心理社会的治療の重要性を説いている。そして、学校においては、「教育が主役、医療が脇役」(同p.191)としながらも、医療者の協力のもと、「担当教師が障害に関する専門知識を習得し、精神科的治療やカウンセリングの技術を学習する必要がある」(同p.197)とする。この論文中で事例にあらわれる「こども」は、あくまで「客体」として扱われており、治療・療育の主体は、医師の支援をうけて行動する教師と保護者であり、そのブレーンは医師という構図ができている。
 「本人の困っていることを最優先に、ADHD児・高機能自閉症によく見られる社会的な問題を分析し、より効果的な支援プランを立てるためのヒントと、具体的な療育方法を提示することとする」(落合・東條2003p.4)とし、「早期発見・早期療育」の必要性をうったえ、「障害に対する正しい知識をもち、一丸になって療育にあたる体制づくり」のため「指導者の養成・カリキュラムの作成など、制度面での充実を図る」ことが重要だとしている。これは、「本人の困っていることを最優先する」とあるものの、後続する文章からは主導権が「支援プラン」を立てる側にあることがうかがわれる。
 村瀬は「多くの文献は発達障害をいわば三人称的に対象化して観察し、考察する視点で記述されている」しかし、「対象とされている人に身を添わせようとする、これがカウンセリング・マインドの基本であろう」(村瀬2006p.10)とかく。ここで村瀬の紹介する二つの事例は、まさに当事者に気持ちをきき、周囲のこどもたちのなかに居場所をつくろうとする当事者本意の実践である。こうした視点をもつ他の論文には、「障害の特性に視点を置いた個別支援にとどまらず、一人ひとりの子どもとしての人格発達また集団の中、あるいは集団そのものが育っていくことについて考慮していくことが求められている」とする別府・加藤ほか(2007p.48)のものがある。それでも、別府らの掲載する事例には、周囲が困る行動への支援計画がかたられ、発達障害当事者がなにに困っているのか、困っていないのかは、不明のままである。さらに、そこには「障害の文化」概念、つまり、彼らの生活世界にこちらが歩み寄りまではするものの、それを学ぼうとする姿勢がみられないことが「当事者主体」の支援にいたらない大きな要因となっていると考えられる。
 *例外的な知見として、LD学会が編纂した特別支援教育史養成用教科書に、米国の一部の教育学者が推進しようとしているLD概念の考え方が紹介されていた。LDは通常、医学ではlearning disordersの略として、文科省の定義ではlearning disabilitiesの略として使用されている(上野2007p.6)が、それを「learning differences(学び方の相異)」(上野・竹田ほか2007p.30)と捉える、つまり、LDは障害ではなく、学び方の特異性として理解し、「われわれの教え方で学べない子がいるのであれば、彼らの学び方で教えるべきである」という態度で支援にあたるという発想である。まさに「社会モデル」に即した発想であるが、この教科書には「今後の検討課題」としてしめされているだけで、内容にくみこまれてはいない。

4.「社会モデル」の導入の契機としての「学校文化」
・利用できる教師の「たてまえ」→こどもを「排除しない」「まもらなければ」という規範意識
               →「『まじめさ』と『公正さ』というハビトゥス」(山崎1996p.146)
               →教師の言説としての「『競争否定』・『共同関係』強調」(久富1996p.14)
・「たてまえ」の実用化に必要な「認知転換」→契機としての自記入式シート

5.新たな視点の導入?ナラティブ・アプローチの援用
・認知転換をうながしたい点?「特別扱い」から「必要扱い」へ
 @「健常者」「好ましい生徒像」を軸とした「逸脱/不適応」視から、個々人の「特徴」という見方へ
 A「教員」(観察者)主体の支援から、「生徒」(当事者)主体の支援へ
 B個人の「機能障害」に着目する「障害観」から、周囲の「構造障害」に着目する「障害観」へ
・シート作成における具体策
@については、「個人モデル」にたって「治療方針」を考える「専門家」のなかでも、着目されている観点であり、導入は比較的容易だと考えられる。シートでは、以下に示すイロハの順にしたがい、認知転換をうながす。
 イこれまで「不適応」「逸脱」視されてきた行動群を場面を限定して提示する
 ロ「「逸脱」不適応」として注意されたときの気持ちをたずねる
 ハ同じその特徴が異なる場面では「長所」としてとらえられることを提示する。
Aロに着目することの利点
→生徒の「問題行動」の発露原因が、異なる思考形態、行動パターンによるもの、つまり自らとは「異なる他者」としての認知へと導く。(「正当な教師と問題の生徒」「教える教師と教えられる生徒」といった序列関係から、ナラティブ・セラピーが提唱するような「対等な関係性」-「解決策は当事者のなかにある」と考え「無知のスタンス」にたつ「支援者」という立場(ガーゲン2004、野口2002 )?への移行へ)
B「不適応行動症候群」としての「発達障害」
  →マジョリティとしての「専門家」からの「ラベリング」
  例:「現在の症状を基準とし、原因や理論は排除して策定されたのが、米国精神医学会の診断分類である」(上野・竹田ほか2007p.54)
「ICDとDSMは厳密には診断『分類』基準である。ある状態像を、典型例と比較する一定の基準を設けて、その症状が一致するなら診断するという約束事である」(同p.55)
「原因の如何にかかわらずその症状を一定の基準以上に示せばその障害といえるとしている」(同p.57)
  →診断基準としては「症状」のみが判断のよりどころ
    cf.脳の機能障害という原因論(現実には、脳のある部分の機能障害をしらべることによる診断は不可)
  →観察者にとってある生徒に発達障害的な行動がみられたら、診断の有無にかかわらず、困っていることをききとる、集団内での居場所のあり方を考えるといった行動が必要

6.「機能障害」から「構造障害」へ
 ・第4の発達障害(杉山2007)、第5の発達障害という考え方
  →第4の発達障害として、被虐待児を考慮できるという専門家の知見は、発達障害と原因論のきりはなしの契機となる。
 →外国で生まれ育ち日本語や日本文化に不慣れな子どもが「よみかき障害」や「ADHD的傾向」を示すケースや、不登校などで学校文化になれていない子どもたちが「自閉傾向」や学校不適応行動をおこすケースも、「発達障害」ととらえることを可能にする。
→社会の構造がひきおこす不適応状態を「発達障害」と考えることで、発達障害は、「機能障害」という枠からで、「構造障害」というおおきな枠組でとらえられる。
 この視点から、シートデザインは、「ユニバーサル・デザイン」を採用した。

<参考文献>
上野一彦・竹田契一・下司昌一監修2007『S.E.N.S養成セミナー 特別支援教育の理論と実践 T概論・アセスメント』金剛出版
生地新2002「AD/HDの診断」『精神科治療学』Vol,17、No.1、pp.15-26
落合みどり・東條吉邦2003 「ADHD児・高機能自閉症児における社会的困難性の特徴と教育」東條吉邦編『自閉症とADHDの子どもたちの教育支援とアセスメント』国立特殊教育総合研究所、pp.1-23
K.J.ガーゲン 東村知子訳2004『あなたへの社会構成主義』ナカニシヤ出版
苅谷剛彦1995『大衆教育社会のゆくえ?学歴主義と平等神話の戦後史』中央公論
清水康夫・本田秀夫・日戸由刈2002「AD/HDの心理社会的治療:教育との連携、教師への支援」『精神科治療学』vol.17、 no.2、pp.189-197
出版UD研究会編2006『出版のユニバーサルデザインを考える?だれでも読める・楽しめる読書環境をめざして』読書工房
杉野昭博2007『障害学−理論形成と射程』東京大学出版会
杉山登志郎2007『子ども虐待という第四の発達障害』学習研究社
大六一志・千住淳ほか2004「自閉症スクリーニング質問紙(ASQ)日本語版の開発」『国立特殊教育総合研究所分室一般研究報告書?自閉性障害のある児童生徒の教育に関する研究』Vol.7、pp.19-34)
高橋脩2004「アスペルガー症候群・高機能自閉症:思春期以降における問題行動と対応」『精神科治療学』vol.19,no.9 pp.1077-1083
田中耕一郎2005『障害者運動と価値形成?日英の比較から』現代書館
ニキリンコ2002「所属変更あるいは汚名返上としての中途診断」石川准、倉本智明編『障害学の主張』明石書店
野口裕二2002『物語としてのケア?ナラティブ・アプローチの世界へ』医学書院
久冨善之・堀尾輝久1996 『学校文化という磁場』柏書房
福本修2004「アスペルガー症候群とWittgenstein」『精神科治療学』vol.19、no.10、pp.1179-1187
藤沢和子・服部敦司編2009『LLブックを届ける?やさしく読める本を知的障害・自閉症のある読者へ』読書工房
別府悦子・加藤豊弘・清水章子2007「アスペルガー症候群と特別支援教育」『精神療法』vol.33、no.4、pp48-54
星加良司2007『障害とは何か?ディスアビリティの社会理論に向けて』生活書院
村瀬嘉代子2006「特別支援教育におけるカウンセリング・マインド?軽度発達障害児への理解と対応」『精神療法』vol.32、no.1、pp.10-17
横塚晃一2007『母よ!殺すな』生活書院

*作成:
UP:20090905 REV:20090920, 0921
全文掲載  ◇障害学会第6回大会  ◇障害学会第6回大会・報告要旨

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