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渋谷 光美「家庭奉仕員制度の国家政策化の背景に関する考察」
障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学
20090927
◆報告要旨
渋谷 光美(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
「家庭奉仕員制度の国家政策化の背景に関する考察」
家庭奉仕員制度は、1950年代後半に上田市をはじめとする長野県の家庭養護婦派遣事業や大阪市の家庭奉仕員制度等で先行的に始められた自治体での事業成果が著しいことから、1962年には国庫補助事業となり、1963年の老人福祉法制定時に国家政策となった。
その背景として、老人問題が社会問題化していたことが考えられる。老人層の貧困による生活問題や、私的扶養の困難性の顕在化などによる。当時の低所得者層の老人世帯、特に独居老人世帯で生活に支障が生じた際、近隣の相互扶助を含めた私的扶養が困難であれば、社会的扶養が必要となったが、対象老人の施設保護を保障できるだけの施設数はなく、できる限り居宅での生活を継続させる施策として創設された。すでに海外には、ホームヘルパー制度が存在していたことも鑑み、老人家庭奉仕員制度として国策化されたのである。
家庭奉仕員制定当初は、大都市を中心とした事業展開で、家庭奉仕員の人数も限られていたが、在宅におけるいわゆる寝たきり老人対策として位置づけられてから、家庭奉仕員の大幅な増員と事業の全国展開がなされていった。
国策化の過程で、そのような家庭内における奉仕員は障害者こそ必要としているから、障害者施策としても立案要求をしたいとする意見が出されたという。老人と障害者との両方の施策化では、共倒れになる可能性があるから、まずは老人に対して成立させてからという折衝がなされたとされる。障害者家庭奉仕員派遣事業は1967年に創設され、 1970年には心身障害児家庭奉仕員事業が実施されている。それらの事業実態は、よくわかっていないが、そもそも、長野県における家庭養護婦事業では、障害者世帯に対しても養護婦が派遣されていたのである。長野県の事業には、派遣対象世帯を限定していない事業展開を行っていた点での先進性もあったといえる。
さらに、家庭奉仕員制度の供給側として、誰に家庭奉仕員の仕事を担わせるのかの問題があった。当時、戦争未亡人など寡婦問題がその背景にあり、家庭奉仕員制度の供給側の対象者として位置付けられ、政策化された側面もあったことがわかる。
本報告においては、以上のような家庭奉仕員制度国策化の背景を中心として、今後さらに検討を重ねていくための考察を行いたいと考える。
◆報告原稿 パワーポイント
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