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ここをクリックするとページにひらがなのルビがつきます。 障害学会第6回大会・発言内容 於:立命館大学 20090926 ◆発言内容 パワーポイント シンポジウムT 障害学生支援を語る 精神障害と障害学生支援 桐 原 尚 之 1.自己紹介 私は12歳で初めて精神科の門をくぐった。中学校1年生の6月だった。当時、バタフライナイフ事件などがあり、持ち物検査が異常なまでに厳格化し、教員が「学校と関係ないもの」を定義し、それを理由に生徒の私物を没収し破棄するなどしていた。同級生の多くは、文句を言いながらも取り返すには至らず、私だけがしつこく返還を要求し、実力行使に及んだ。それらの学生運動ならぬ生徒運動もあって、養護教諭から精神科の通院を勧められる。その頃、過大なストレスからか、首を絞めるようになり、やがて回数が頻繁になり、常に首を絞めている状態になった。7月になると、関係妄想から神話妄想へと発展し、幻聴や幻覚も現れるようになった。2年生の7月には、中学校から「責任もてないから来るな」と言われ、親が他の学校を探して若葉養護学校(病弱校)に入学することになった。養護学校中学部から私がいける高校は、浪岡養護学校の高等部だけだった。そこは自宅から40キロほど離れている。投薬治療の副作用で真っ直ぐ歩くことができず、通学は困難だった。そのため、若葉養護学校に高等部をつくる運動を展開したが、高等部が設置されたのは、浪岡養護学校高等部入学後、1年経た後であった。学校には母が車で1時間かけて、送り迎えすることになった。浪岡養護学校は、進学コースと就職コースがあり、私はなぜか就職コースに入れられた。就職とは、授産施設への就職である。もちろん、充分な勉強をする場所ではなかった。小学校をやり直すか、それ以下の水準の教育であり、学校に通うのも一苦労、学校でもある意味一苦労で、家に帰ってから人並の学力をと劣等感を頼りに必死で勉強した。浪岡養護学校高等部卒業後、医師とのやり取りや、施設とのやり取りの中、どうしても進学ができず、2008年4月にようやく大学入学を果たした。浪岡養護学校の就職コースで大学入学を果たしたものは、私が初めてであったらしい。そういう世界の話しなのだ。 2.現状と前提 2−1.強制入院法制下の障害学生支援 予め述べておきたいことは、精神障害者にとっては教育こそ障害(disability)であるということだ。精神病は、教育の場で発症することが多い。その理由として、人間を精神医学の対象化するシステムと社会的攻撃(Psychosocial disability : 以下、「サイコソーシャルディスアビリティー」と表記)が、教育の場で最も顕著に現われているのだと思う。久富善之は、「教育は競争問題の中心にある」、「学校の競争が社会の競争に連動する」として、新自由主義を前提とした教育の私事化は、経済活動に影響を及ぼし、市場原理主義とフォーディズムの基盤にすらなっていることを指摘している(久富,1993)。サイコソーシャルディスアビリティーによって、人間としての気力を失い、それを病気とされることで精神医学の介入や排除による障害(disability)をうける。 統合教育、ろう学校、盲ろう教育、特別支援教育、障害学生支援など、障害者と教育については様々な議論がされている。しかし、「精神病」者からすれば、統合教育とは教育機構を障害に基づき分離しないだけで、強制入院という形で教育の場から分けられることには変わりないのだ。「精神病」者の最大の障害(disability)は、強制入院及び保安処分である。強制的収容や強制的な治療は、最も激しい苦痛と打撃を与えるものである。時には、これで生命を失ったり、失う危機に直面したりもする。教育の障害(disability)は、教育や知識に内在する暴力だけではなく、教育制度と精神医療及び保安処分とが、複雑に絡みながら障害(disability)を形成している一面もある。それは、障害学生支援においても同じで、「精神病」者を医学化して支援よりも治療の傾向を高めている。精神保健、強制、制限行為能力がある限り、支援もそれに合わせた障害の一端を担うことになるだろう。我々にとっては、精神保健、強制、制限行為能力が廃絶されて、初めて支援の話しに移るような感覚を覚える。 2−2.障害学生支援の現状 日本学生支援機構では、障害学生修学支援のためのFAQを作成しているが、ここには視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、病弱・身体虚弱(内部障害)、発達障害についてしか、書かれていない。病弱は内部障害又は一部の難病の身を意識したものであり、発達障害は学習障害(Learning Disabilities)、注意欠陥・多動性障害(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)、高機能自閉症若しくはアスペルガー症候群を意識している。日本学生支援機構では、精神障害の学生は対象として意識さえしていない。 幾つかの大学に電話で「精神障害の学生だけど、支援のある大学に転学したいので、精神障害の学生支援について問合せました。」と、支援の可能性について問合せたものを以下の表にまとめた。
2−3.障害、学生、そして支援 障害学生支援という言葉を聞くと、ジグソーパズルのピースを、形が合わないのに無理やりつなげて、最終的にいびつな四角形が出来上がったような感覚を連想する。障害も、学生も、支援も、まったく異なる概念であるように思う。 まず、障害学生と学生はどう違うのか。これまでは、あまり考えられることはなく、障害者の学生が障害学生とされてきた。では、学生支援と障害学生支援はどう違うのか。また、障害学生を障害者の学生として、障害者の学生支援と、そうでない学生支援では、違いが必要なのか。精神障害者という立場からして、この疑問は大きい。 精神障害者に限定される特別な支援は、恐らく存在しないし、してはならない。精神保健の領域では、精神障害者の特殊性を売りにしているが、そもそもそれらが我々への介入の根拠とされていく。また、後に述べる、実際に求めた支援についても、誰もが、当たり前に受けて然るべき支援であることと思う。 最後に、学生と大学の立場について基本的認識を示すが、大学は、学術の中心として、知的、道徳的適応能力の発展と、研究を行い提供し社会を発展させる場である(学校教育法83条)。学生は、知的、道徳的適応能力の発展を目的として大学に入学する者で、金を払っている消費者でもある。知的道徳的適応能力の発展には、場合によっては必要な支援もあるし、金を払っている以上、目的達成のために大学は学生に義務として提供すべきものがある。 3.実際に求めた支援と大学の対応 3−1.生命科学の講義 事前に、障害学生支援室について問合せたら、「精神障害は対象外。発達障害のコミュニケーション支援なら別の部署で受けられる。精神障害は、基本的に医務室が所轄している」との回答があった。コミュニケーション支援は必要ないし、どうしても医務室は上述の理由から嫌だったので、特に支援要請を出さなかった。そもそも、講義中にPCを使用してメモをとる、疲れた時に椅子の上で横になるなど、予め大学が特別になにかを用意するわけではない。申請する必然性はないと判断し、講義中にPCを使用してメモをとり、疲れた時に椅子の上で横になっていたら、担当教員に怒鳴られた。 3−2.医学の講義 (1)支援の申請書
(2)大学の対応 PC使用は認められたが、最前列席に着席することが義務付けられた。 (3)対応への疑問 コセントは至る個所にあり、最前列である必然性はない。弱視の学生が隣に座っていたが、聾の学生は最前列ではなかった。最前列の義務が科せられた決定的な理由はやはり不明である。また、他の学生は自由に席を選び着席しているのに対して、私だけ席を指定されたことについても、差別と考える。 3−3.スポーツ (1)支援の申請書
(2)大学の対応 障害学生支援の申請書に医師の診断書を添付すること。 (3)対応への疑問 診断書が必要な理由が見えないし、診断書と支援の直接関係性も認められない。また、私が診断書料を負担することも不服があった。 3−4.歴史の抗議 (1)支援の要請書
(2)大学の対応 記載に不足箇所(SR科目名、受講日、開催地の未記入)があるため、補足するように。また、精神病の診断書を提出するように。 (3)対応への返答
(4)その後の大学の態度と私の考え 教室に入ると「桐原さん予約」と書かれた紙が前の席にあった。どうやら、ここしか座ってはいけないらしい。ただ、コンセントが前方にしかないため合理的ではある。診断書の件は「@障害学生支援を受ける者は全員提出する義務がある、A障害学生支援の申請書の下部に診断書の添付義務についての記述がある」とのことであった。「学習の手引」という大学に関する説明書が存するのだが、そこからは診断書提出義務規定は見つからず、また、障害学生支援の申請書(様式17号)にも診断書提出に関する記述は見当たらなかった。一方で私は「診断書の必要性と使途を明確にせよ」と問うた。大学は「大学の規定にあるから」との返答であり、必要性・使途についての説明はされなかった。他の事務職員が対応し、「PC使用はイレギュラーな支援申請だから、必要か否かの診断が欲しいのだと思う」との話しをしてきたが、自分のPCで学内の無線LANを使用する申請書様式が「学習の手引」にあり、レアケースだとしても、イレギュラーとは言えないだろうと思った。また、隣にいた肢体不自由の学生に、「診断書提出した?」と聞くと、「していない」と返答、彼もPCを使用していた。どうにも、騙されているように思えてならないのだ。 4.障害学生支援の障害 4−1.復学 精神障害の学生への支援として「復学支援」がある(福田,2005)。復学とは、一度は大学から排除し、やがて再び大学に戻すということである。すわなち、排除を前提としながら支援を名乗るものである。これも、強制入院と教育が形成する障害(disability)である。 4−2.支援のカテゴリ化 サンフランシスコ州立大学の障害学生支援では、精神障害と発達障害を、「コミュニケーションに障害を抱える」という障害の特質性から、両障害を同列に取り扱っている(宮山,2006)。大阪大学では、2009年1月14日に障害を有する学生の支援に関する要項で、障害学生の定義に、精神障害者等を追記した。よって、精神障害の学生支援も対象とはしているが、発達障害と同カテゴリにした理由が、同じコミュニケーション障害であるかららしい。富山大学についても、精神障害をコミュニケーション障害としている。 しかし、精神障害=コミュニケーション障害との認識は、精神医学、精神保健領域で浸透しているわけではなく、障害学生支援の領域でのみ取り扱われている印象を受ける。また、私が求める障害学生支援は、学習をしながら休息することであり、コミュニケーション支援とは言えない。精神障害と障害学生支援のイメージを掴むために、あえてカテゴリ化している風潮がある。 4−3.医務室の所管化 一般的に障害学生支援とは、学内での情報保障である。故に、原則として身体障害を対象としている。発達障害の学生支援が行われている大学も多いが、身体障害の支援室と別に設置されている場合がある。精神障害の学生支援は医務室や保健室が対応する場合が多く、学生支援ではなく応急治療として行われている。東北福祉大学と富山大学は、医務室と提携して精神障害の学生支援をしている。また、入院を支援(治療)方法のひとつとして提示する大学もあり、障害者援助というよりは医学的治療の対象として、学習の場の外で対応されているのが現状である。 障害学生支援は、厳密には医学モデルを採用している。多くの障害学生支援室が「特別なニーズをもった人の支援」と記載された広告を出している。学校教育法83条の目的達成に向けて、消費者の知識的満足を得られるような知識習得の個別化が必須との認識はない。とりわけ精神障害の場合は、支援と称して医学化する傾向がある。これは、排除を促すだけに過ぎず、精神医学的介入へと繋げる入口として機能する。 私が大学に通う中、最も困ったのは講義中の体調管理である。大学には、障害等の理由に基づく特別な配慮として、精神障害を理由とした「持参のPC使用」「室内での休息」を出したが、室内休息ではなく、医務室及び保健管理室に行くように言われた。精神障害であることを説明せずに堂々と寝ると、「気分が悪い!体調が悪いなら外で寝ろ!!」と、これもまた外に行くように言われた。どうやら、学習の場で学習を継続しながら適度な休息を取ると言う発想には至らないらしい。そこで障害学生支援室に連絡すると、担当の方から「精神障害の学生支援は、医務室が担当なので・・」と断られた。ところが、私にとっては医者や専門家ほどの障害はない。冒頭でも触れたが、精神保健、強制、制限行為能力が一番の障害(disability)である。彼らにはその権限があるのだ。怖くて近づくことさえできない。諦めて、無理をして、体調を崩すしかないのだ。 5.まとめ 障害学生支援とは、学習をするにあたって必要な支援を受けることであり、学習の現場の外で行われてはならない。また、医学的治療の対象とされるが、それは「患者」としてのニーズであり、「障害者」としてのニーズは別である。 逆に医療の対象とされることは、向精神薬治療、電気痙攣療法、無期限入院などの障害(Psychosocial disability)となるわけで、支援とは言えない。また、これらの治療は国際法で拷問とされている(自由権規約第7条)(拷問等禁止条約)(Nowak,2008 ; No.63 )(Acosta v. Uruguay ; 1983)。 大学は、商法502条2項8号の場屋取引、民法第555条の売買など適用され、サービス業としての合理的配慮義務が求められる。 《参考文献》 久富善之,1993,「競争の教育」労働旬報社 宮山千恵子,2006,「サンフランシスコ州立大学におけるADD/ADHDや精神障害学生への支援」独立行政法人メディア教育開発センター 福田真也,2004,「心の病気を抱えた学生への就学支援」大学と学生479号 : p42-48, 独立行政法人日本学生支援機構 福田真也,2005,「統合失調症の学生への復学支援」精神医学479号 : p42-48, 医学書院 Manfred Nowak, 2008, “Interim report of the Special Rapporteur on torture and other cruel, inhuman or degrading treatment or punishment” Antonio Viana Acosta v. Uruguay, Communication No. 110/1981 (31 March 1983), U.N. Doc. Supp. No. 40 (A/39/40) at 169 (1984). *作成: UP:20090920 REV:20090925, 0930 ◇全文掲載 ◇障害学会第6回大会 ◇障害学会第6回大会・報告要旨 |