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飯野 由里子「障害と貧困――ジェンダーの視点からみえてくるもの コメント」

障害学会第6回大会・コメント 於:立命館大学
20090926


2009/9/26@立命館大学

障害学会第6回大会シンポジウム
「障害と貧困――ジェンダーの視点からみえてくるもの」
コメント

飯野 由里子

1. 「フェミニズム」の哲学的基礎
・今日のわたしの役割は、シンポジストからの発題や報告に対して、フェミニズム研究者の立場から、何らかのコメントを行うことだと思う。
・そこで、報告者へのコメントに入る前に、「フェミニズム」という概念について、少し説明しておきたい。「フェミニズム」とは、女性という性別に属していることを理由に、女性が様々な形で被る不利益の克服を目指す実践。
・その出発点には、「性別にかかわらず、すべての個人が同等に尊重されるべきだ」という主張がある。別言すれば、「もしわたしたちが、然るべき理由もなく、自分で自由に決定することが妨げられるのだとしたら、それはわたしたちに対する侵害である」という主張。=「『人』として扱われる」ことを強く要求。
・こうした要求の根っこの部分には、「女性であれ男性であれ、人はみな決定し行為する能力をもつ」という信念が置かれている。それは、「自己の目的を自ら設定する能力」とも言える。(→現代フェミニズムの限界?)
・さて、こうした能力について、近代哲学者の一人であるイマヌエル・カントは、次のように定式化している。
・「君自身の人格並びに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し、決して単なる手段として使用してはならない」。(『道徳形而上学原論』より)
・=人は、自らの「目的」を自身で決められるべきで、単なる「手段」として扱われてはならない、自分の意志に反して手段にされてはならない、という法則。
・カントの男性中心主義的傾向に対する批判はあるにせよ、この法則自体は、フェミニズムにとっても重要な意義を持つ。なぜなら、女性はあまりにもしばしば自分の意志に反して他者の「目的」を達成するための「手段」として扱われてきたからだ。たとえば、子どもを産む者として、ケアを提供する者として、性的なはけ口として、家族(=イエ)の繁栄のために働く者として・・・・・・。
・こうした状況に対して、女性が単なる「手段」として扱われることに異議申し立てを行い、自己の「目的」を規定できるようにしていくことを求める立場に立つのがフェミニズム(であると、とりあえず位置づけよう)。
・今日は、以上のような立場から、「貧困」について考えてみたい。それは、われわれが自己の「目的」を規定しようとする際、その実現を困難にしているような状況と「貧困」が、どのように結びついているかを考えることであり、部分的には、そこに女性という性別に属していることを理由にした差別がどのように関わっているのかを考えることでもある。

2各報告者へのコメント

3.ジェンダーの視点から「貧困」を見るとはどのようなことか? あるいは、フェミニズムにとってなぜ「貧困」が問題となるのか?


*作成:
UP:20090921 REV:
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