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「1920年代から30年代の連続性または断絶」

岩田 京子 20090918 「歴史社会学の方法論――福間良明氏の仕事を/から学ぶ」 指定質問 於:立命館大学衣笠キャンパス諒友館842教室


 福間先生は、『辺境に映る日本』において、大正から昭和戦前期における「日本」のナショナリティの様相を、時々の政治状況及び学問状況に則して、以下のように説明されています。
 近代化をある程度達成したとしても、「日本」が「西洋」から排除される事態(アメリカの排日移民法や国連での人種差別撤廃条項廃案)を受けて、逆に「日本」の特殊性を呈示し、「西洋」とは異なる自己の正当化をはかろうとした1920年代。そして、「東亜」の範疇を超えた「大東亜共栄圏」を科学的に根拠付ける地政学が見出されたように、「西洋」に相対しながらも「日本」の枠を超えて適用されるべき「普遍性」を呈示しようとした時期が1930年代から40年代であった、と。
 これらの理論は日本の対外政策の推移を考える上では非常に的を射たものであると考えます。その上で、ではこのような「日本」のナショナリティは、当時の国内政策においてはどのように作用(具体化)されていたと言えるのでしょうか。
 福間先生は、ナショナリティの面で1920年代と30年代には差異がみとめられると指摘しておられます。しかし、たとえばハリー・ハルトゥーニアン『近代による超克』といった研究や、あるいは「戦間期」というような言葉もあるように、1920年代から30年代を――先生がご指摘されるような「差異」をはらみつつも――ひとまとまりの時代として捉える見方が少なくありません。実際、1920年に始まる戦後恐慌や1927年の金融恐慌による経済不安、1923年の関東大震災以降の都市計画事業の振興がもたらした都市の拡大・整備と工業化及び資本主義進展と、それに伴う矛盾の発生といった社会状況は、20年代から30年代を通じたものといえるでしょう。
 ただしその一方で、20年代と30年代の間に一定の線引きをする見方が比較的妥当性を帯びる事例は存在します。明治期から行われてきた史蹟保存がこの時期に至って民間にまで浸透する等による、愛郷運動の興隆、観光行政の発足、1927年に開始される明治天皇聖跡調査などの現象は、30年代に特徴的(すなわち独自)な現象と看做すことができるでしょう。
 福間先生が理論化された「日本」のナショナリティ形成のプロセス及び結果と、このような一連の国内における(ナショナリティ形成と密接に関わっていた)動向は、果たして相関関係がある(ほぼ全て説明可能)といえるのか、つまり福間先生のナショナリティ理論によって20年代と30年代における国内の状況をもほぼすべて説明可能なのか。あるいは「日本」のナショナリティ形成と、ある意味では方向性を異にする、「例外的」な動向が同時期に存在したのか。この点につきまして、福間先生のご見解をお聞かせいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。


*作成:櫻井 悟史
UP:20090922 REV:
全文掲載  ◇歴史社会学研究会
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