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朝霧 裕「バリアブレイク!!――利用者/介助者の新たな形と再評価についての模索」

障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学
20090927


◆報告要旨
 朝霧 裕
 「バリアブレイク!!――利用者/介助者の新たな形と再評価についての模索」

  利用者主体を尊重する介助の現場に一部「介助者手足論」と呼ばれる、利用者・介助者の関係性がある。
  「介助者手足論」を介助者の教育の主体とする現場では、介助者たちは、「いかなるときも、利用者の意思決定の元に動くこと」を特に信条とし、「町で共通の知り合いに話しかけられても、『おはよう』などの挨拶なども含め、介助者は、口を聞かなくて良い」「ヘルパー資格を持っていても、仕事以外の場所で友人関係のある場合は、慣れ合いにならぬよう、介助に入ってはいけない」など、事業所ごとのいくつかのルールに基づいて、利用者と関係性を作ってゆくことが多い。
  「介助者手足論」と称される関係性の多くが、夜勤の泊まりを含む、利用者と介助者が1対1制の、利用者と介助者が接する時間の多い滞在型の介助の現場で求められる。   また、1対1制の介助とは逆の介助の仕組みとして、一人の介助者が短時間に幾人もの利用者の家を回る巡回型の介助もある。こちらの場合にも、利用者と接する時間が短時間のため、「介助者が利用者の指示に沿って立ち動く」という以外の、対個人としての会話は生まれにくい。介助者手足論を否定をしない上で、「利用者と介助者が、外出や社会参加を含む日常生活の場と時間を共有する中で、それぞれの立場から、ともに考え、ともに感じ、『人としての声』を、社会に発することができるような、利用者/介助者であり、障害者/健常者、という呼称に捉われない、利用者と介助者の新たな関係性が<あっても良い>のではないか。」という疑問から、介助者/利用者の新たな関係性、社会的な役割を模索します。
  介助という職業は、物理的な抱き抱えなどの動作以上に、多くの時間を「人と向き合い、接する職業」という意味で、「11年連続で国内自殺者3万人」「国内にうつ病の患者数は250万人から600万人(人口の3〜5%)」など、人と人との向き合いの場が深刻に不足している現代において、<人と人との心のつながりの大切さ>を見つめ直すヒントを確かに内包していると考えます。『この国になくてはならない職業』として、『介助』という職業の特色である<人と接する仕事>という本質の価値が社会の中で再評価されることを願い、24時間介助を受けて生活をする当事者の立場から、生活の様子他、スライド写真なども用いて、「これからの時代の利用者/介助者の関係性」、また、「人として、心豊かに生きること」への考察を、介助者の立場からの意見を取り入れながら発表します。

◆報告原稿

<バリアブレイク!!〜利用者/介助者の新たな形と再評価についての模索〜>

 皆様こんにちは。私の名前は、朝霧 裕と申します。今日はお話を、4つにわけて話します。
では、どうぞよろしくお願い致します。

1・自己紹介をします。
 私は、さいたま市に住む女性で、生まれつき、ウエルドニッヒ・ホフマン症という難病を持っています。進行性の筋肉の難病で、立つこと、歩くこと、重いものを持ち上げるなどができず、筋肉が発育してゆかないというものです。そのため、生活には24時間、介助を必要とします。具体的にはどういうことかというと、着替え、トイレ、お風呂、食事の支度、洗濯、外出、夜にベッドで寝返りを打つ、などなど。一日の動作に介助が必要で、その生活を一年365日続けます。ですから、私の物理的な動作の一挙一動、指示を出す私の声と、介助者の実際の立ち動きとは、「あ・うんの呼吸」で、連動しています。
 そして、その上で、日頃は何をやっているかというと、全国の学校や、街をまわって、講演活動をしたり、歌を歌うので、コンサートに出演したり、表現を通じて、目に見えるもの、心に感じるものを伝える役目をしています。後ろの、白いワンピースで舞台で歌っている写真は、コンサートの時のものです。紫の帽子にミニスカートの黒いワンピース、コーラスを取っている女性は親友の円ちゃん。介助者でもあり、音楽仲間でもあります。
 ですが、今日は、音楽コンサートのお話しが主ではありません。
 私生活の中で、今、ひとりの女性として思うことをお話します。
まず、私生活の場面では、生活の様子を公に話すと、
「365日、他人が隣の部屋に寝泊まりする生活は、気を使って疲れませんか」とよく言われます。
 それはもちろん、そんな日もあります。が、疲れる日もあることは、介助者もまた同じですから、介助者か利用者「どちらか一方だけが常に他方に気を使い続けている」とか「どちらか一方だけが、自分の感情を押し殺して、嫌々、その場を共有している」ということでは、少なくとも我が家では、介助者と利用者一対一制ですから、精神衛生上、もう生活が成り立ちません。
 また、私は、公私ともに、今日も然り、本当に外へ出るのが好きなのです。ならば、せっかく、介助者も、色々な場所へ、常々共に行くのですから、利用者/介助者、それぞれの経験から見た、「世の中まだまだバリアフルだと思うこと」を、一緒に打ち壊してゆけるような、<同じ時代を生きる仲間同士>になれたらいいね?というのが、私と介助者との関わりの根底にある思いです。

2・今日、まず、ここで伝えたいこと。
 さて、みなさまにお聞きします。この現代、世の中はバリアフリーになったでしょうか。
 たくさんのことが、20年、30年前の昔と比べれば、素晴らしく良く変わりました。街のアクセスも、介助保障も、「病院や施設へ行くのが当たり前」とされていた障害を持つ人の生き方も、1980年〜90年代に比べれば、各時代の当事者運動の先駆者達の尽力で、年を追うごとに、多様化をしてきました。
 けれども、だからと言って、当事者やそのオーディエンスが主張をせず、「昔よりは、はるかに生活をしやすくなったのだから、ある程度はガマンや妥協の範囲。良い時代になったね。」と、「喜んでいても、もう大丈夫」な時代が果たして今でしょうか。
 いつの世も、その時代、時代に頭をもたげてくる問題があります。そして、時代ごとの問題の根本が、実は、“根は同じ”というところから少しも脱却していないのではないか、とふと思う時、私は、恐怖を感じます。
 ALSをはじめとする、知的な障害はないけれども、発声や指さしなどの「意志表示」が不可能となる難病の当事者をめぐる“尊厳死”の問題、。母親の体内にいるうちに、障害を持って生まれてくることが解る筋疾患や、自閉症などの子供たちをめぐる出生前治療の問題。
 私の難病も、出生前治療の対象になります。
 尊厳死も、出生前治療も、どちらもが、「重度の障害を持っているが故に死を選ぶ(出生前治療の場合は、自己選択ではなく、親御さんの意思によってのみ選ばされる)」という、障害当事者から見たら、とんでもなく受け入れ難い問題を孕んでいます。
 「障害が重度化したら、死んだほうが幸せ」でしょうか。
 「障害を持つ子は、生まれてこないほうが幸せ」でしょうか。
 身体・知的などの種類を問わず、多くの人が<障害を持つこと>に対してネガティブイメージを未だに持つのは、
 「人の手を借りてまで生きるなんて申し訳ない」
 「介助料を賄っているのは公費であり、働ける人々の税金で生かされているなんて申し訳ない」
 という、物理的な不自由さと、医療費や介護料が自分以外の労働者の税金で賄われていることへの負い目。人にも、モノにも、制度にも、
 「できる限りは、世話にならないで、生活できるほうが良い」
 とする、この国に何故か非常に根強い、<差別意識と美徳意識>が絶妙に絡み合ったような、日本人特有の意識的背景があるからではないかと私は思っています。
 「介助者に頼るよりも、できる限りは、何ごとも自力でできたほう良い」
 「電動車いすに乗るよりも、手動の車いすをこげるほうが良い」
 など、<障害のない人の身体的な状態が、精神性までを含めた、人間の優劣の基準>であるかのような、過度のリハビリ思想も、少しずつ変化をしてはいても、私の親世代の方々にはまだとても強いものです。
 また、 私を含めて、重度障害を持つ人の多くは、「労働者として、障害のない人と同じだけの社会的な生産性があるのか」という「社会全体の合理化」の視点から見たら、数や速さの勝負では、社会的生産性の乏しい、もしくは無い人が大多数です。
 ですから、
 「これでも昔に比べたら、はるかに生活がしやすくなった<だけでもありがたい>」というところで、伝えることを止めてしまうと、先達の方々が、必要とあらば厚生労働省へ座り込みをしたり、階段しかない全国の駅や、路線バスのルートに車いすで飛び出していって、
 「私たちも、病院や施設を出て地域で暮らす権利があるんだ!!
 公共の電車や路線バスに乗る権利があるんだー!!」
 と日々声を上げ、生きる権利を勝ち取ってきた歴史の上に、現在の私の暮らしもあるというのに、速さやお金、合理性、利便性に重きを置く現代社会だからこそ、
 「障害者は、健常者と同じように働けないのにもかかわらず公費を使って生きている、国にとって世話のかかるやっかい者」
 として、<排除される側の命>に回されてしまう一抹の可能性があるわけです。
 しかし、
「なぜ、障害のない状態を<良い状態>、障害のある状態を<悪い状態>と思わされなければならないのか?」
ということを、障害当事者としての私は紐解かなくてはいけないし、障害当事者にとってもっとも身近な健常者である、介助者や友人たちなどのオーディエンスが、間違っても、
 「障害のある赤ちゃんだったら、手もかかるしお金もかかるから、生まれてこないほうがいいよね?」
 なんて言わないでも大丈夫な、世の中を呼び寄せる使命があります。
 私はウエルドニッヒ・ホフマン症を持っていますが、生まれてきて、生きることができて、とてもよかった。
 とても幸せで、生きていることが楽しい。もちろん、物理的な不自由もあるけれども、家族、介助スタッフ、友人達と、必要時に知恵と力を合わせれば、困難は解決できることのほうが多いのです。
 ですから、だれもが、年老いて自力のみで身動きが取れなくなったときにこそ、
 「尊厳付きで死にましょう?!」
 と言われるのではなく、
 「最後のひと日まで生きましょう!!」
 と、最期まで、あるがままを肯定された中で、人生を全うできるような社会を呼び寄せたい。
 今後、自分の障害が進行を続けていっても、精神的にはアクティブに生きていたいし、死にたくはないし、まして、殺されたくはない。
 そしてまた、もしも、自分が母親で、赤ちゃんが私と同じ障害を持っていることが解ったら、
 「残念ですが、お子様には、重い障害が… …」
 と、生まれる前から世も末のような暗―い声で、「残念」と言われるのではなく、
 「ラッキーですね!!個性際立つ人物に育ちますよ!」
 くらいのことは、お医者さまが言ってくれるような、社会づくりに寄与したい。これが、私の人生の中でずっと考えてきたことです。

3・歴史をちょっとだけ紐解きます。
 そもそも「障害=不幸」という考え方は非常に古く、障害者運動の歴史などを扱う本では、外国では第二次世界大戦下の、かのナチスドイツの事例が度々取り上げられます。第二次世界大戦の折、ヒトラー総統率いるナチスドイツ軍は、自分たちドイツ人こそ他の民族よりも優れた民族であるとの偏った思想の元、ユダヤ人をはじめとする異民族を大量虐殺しました。が、そのときの、大量虐殺のための毒ガスの使用実験などを、他民族に対して行うよりも前に、自国の身体障害者や知的障害者に対して行ったと言われています。その数は実に30万人にも達し、そのきっかけとなったのは、我が子に障害児を持つひとりの母親が、政府の要人に宛てて書いた一通の手紙であったと言います。
 そこにはこんな文章がありました。
 『私の子供は、足も立たず両手とも利かず、長年寝たきりの生活です。この子にとって、生きていることが何になるんでしょう。この子のために、私たち夫婦の将来は、まっくらです』
 これは、「障害者は殺しても良い存在である」と、歴史的に肯定をされてしまった、あまりにも悲しい事例です。
 そして、結果、30万人の障害を持つ人々と、100万人を超える、ドイツ人ではない民族の人々が大量虐殺の犠牲になるのですが、こんな語るも酷いような出来事の「きっかけ」を、たった一人の人間の書いた1通の手紙、その中に書かれた『間違ったメッセージ』が、担った、ということは、着目すべき事実です。
 日本では、昭和45年(西暦1970年)に、脳性麻痺の娘を持つ母親が、介助制度も皆無の中、家族介護を苦にし、エプロンの紐で首を絞めて殺したとする「袴田美保子ちゃん殺害事件」が、当時の介護制度や介護人の圧倒的不足、また、障害者をめぐる周囲の人々の「意識の問題」を浮き彫りにする事件として、障害者運動史の転機となっています。
 この事件では、「娘を殺害した」という事実以上に、マスコミなどを通じ「介護を苦にして」という母親の心理的背景に対する世論の同情が集まり、本来の事件性よりも、罪が軽減されたという事態が起こりました。
 私は当時をリアルタイムでは知りませんが、この事件を、「他人事」ではなく「障害当事者としての、自分のこと」として捉えた、脳性麻痺をもつ当事者の方々が<青い芝の会>を結成、後に、同事件をきっかけにして、障害者運動と共に歩んだ半生を綴り『母よ!殺すな』という名著を残された横塚晃一さんや、全国各地へと広がってゆく障害者運動の先駆け的な人々を排出しています。
 また、昭和20年代(西暦1940年代)から昭和50年代(西暦1980年代)には、障害を持つ人は、筋疾患などの専門病棟がある病院に長期入院をするか、施設に入所するしか暮らす場所がないような時代を背景にして、身体や知的に障害を持つ女性の子宮摘出手術なども、入所施設の独断で行われていました。
 1979年生まれの私には、目も耳も疑うようなことですが、日本には、1948年から1996年まで、前述のドイツの思想のような『優生保護法』という法律が存在しました。
 『優生保護法』には、「遺伝性疾患、ハンセン氏病、遺伝性疾患以外の精神薄弱、精神病をもつ患者に対する断種」が定められ、1996年に、障害当事者への強制的な優生手術に関する条文が削除されるまで、「強制的な優生手術」は1万6千件、その7割が女性の中絶や子宮摘出手術でした。書類上、同意の上とされる手術は80万件以上とされています。
 生まれてくることを否定された子供たちの中に、ウエルドニッヒ・ホフマン症の子はいたのか。筋ジストロフィーの子、脳性麻痺の子、自閉症の子は、、、。
 どんなにか、生まれたかったに違いない。
 この世に生まれて、お父さんとお母さんの腕に抱きしめてもらいたかったに違いない。
 私は、心からそう信じています。

 4・未来へ希望を伝えます。
 「障害者運動の歴史を語る本を読んでいると、やっと、ほんとうにやっと、『優生保護法』が廃止になって、障害を持つ女性が強制的に子宮を摘出されたり、赤ちゃんを中絶させられたり、、、という時代から、人間として生き方を選ぶことが可能な、現代になったことが解る。なのに、どうして今また『障害が重度化したら死にますか/死にませんか』とか、『赤ちゃんが障害を持っていたら生みますか/生みませんか』ということを、やっているんだろう。これでは、『優生保護法』はなくなっても、障害がないほうが「良い」/障害があるほうが「悪い・もしくは、ハッキリと悪いとは言わないまでも、良くはない」という、『優生思想』が、人々の意識の中には残っていて、根本が何も変わっていない。『障害=不幸ではありませんよ?』ということへの周知だけが、なぜこんなにも遅れているんだろう?」
 本発表用に、私は、できるだけ現代っ子の介助スタッフ達に聞いてみました。介助者は、18歳のトモちゃん、21歳のアサミちゃん、本日の介助者のミワちゃんら、非常に若い仲間です。
 以下に、介助スタッフとの座談を抜粋します。
 「まず、私の経験では、小学から大学まで、クラスメイトには車いすの友達がだれもいなかった。だから、学生時代に、『学校の友達』になれる機会がなかった。たとえば、30人のクラスで、10人は車いすの生徒だったとか、せめて、2,3人はいたとか、毎日、日常的に、いれば、(共に)いることが当たり前になる。とにかく、学校に居てほしい。」
 「私は地方出身で、ふるさとのほうでは、車いすの人を、本当に、一人も、町の中で見たことが無い。いるのかな?いないのかな?施設にいるのかな?という感じ。バリアフリーになったと言うけど、それは、東京や、各地の都市部、都会だけ、という感じがする。地方に住む人も、障害が重くても、ひとり暮らしができるの?」
 「朝霧さんは、『エスカレーターや階段しかいない時代に比べたら、地元の駅にエレベーターがついただけでも良い時代になったよ』と言うけれど、私は、10年前の様子を知らない。だから、私の感覚では、
 『え?これのどこが便利なの?!』という思いがある。とても大きな駅で、エレベーターはあるけれども、例えば、北口だけ、とか、特定の1か所にしかなくて、15分以上も歩いたり、一旦、駅の構内から出て、外を遠回りしなければならなかったり… …。階段だけの駅だって地方にはまだまだある。朝霧さんと歩くと、『階段しかない時代よりはマシと言っても、車いすで電車に乗るというだけで、なんでこんなにも遠回りの道しかないんだー!!』と思う。『障害=不幸』ではなくても、物理的なことで、『ああ、やっぱり、車いすってこんなにも大変なんだ』と思うことは、外出のたびに、たくさんある。」
 … …今、後ろに出ているスライドは、駅の中を歩いていて、駅員さんと介助者に補助をしてもらい、車いすを斜めにし、エスカレーターに乗っているもの。日々、私の歩く様子は、こんな感じです。
 これは、駅員さんの補助で、電車に渡り板のような、スロープをかけて、乗りこむところです。
 さて、座談に戻ります。
 「電動車いすやクラッチ(杖)のビジュアルイメージは強いから、<物理的な不自由さ>と、<だから障害者って生きるのが大変なんでしょう?>という精神論とが、『ごちゃまぜ』になっていると思う」
 「でも、少なくとも自分の世代では、障害者=大変とか不幸とか、<勝手に決めつけること>は、自分たちにとっても、抵抗感があることで、『障害者のためにやってあげる』『助けてあげる』とか『私たちボランティアをやっているから偉いでしょ?』みたいな、福祉分野に関わっていることを『ひけらかすことは、カッコ悪いこと』という感覚がある。『俺たちいいことやってます〜』と、口に出してアピールするようなこと?
障害を持つ人に対しても、『自分達とは違うから』と、分け隔てる姿勢は、『ダサイこと』という意識が、今の若い世代にはあると思う。」
 「障害を持つ人が先入観で見られることがあるように、介助者も、『介助をやっているなんて、すごいねー』『偉いねー。そんな大変な仕事、よくできるねえ、私には、とてもできないよー』と同世代の友達に言われる。<白衣の天使>、<献身的>、みたいなイメージがあるのか?でも、私は介助の仕事を、自分がやりたくて、やっている。多くの人に、介助の仕事を、知ってほしい。」
 介助動作のみを考えれば、
 「私の言ったことだけをサポートして、あとは待機で、口を聞かないでください」という指示の仕方もできますし、もしもそうであっても、介助者達は、<介助という職業のプロ>として従ってくれるでしょう。ですが、
 「人として、この世に生まれ、生きていることの喜び」とは、「人と出会い、心を通わせること」にあるのではないかと、私個人は、日々、感じます。
 この現代、健常者であっても、何かの受難に追いつめられて、自ら命を絶ってしまう国内自殺者は3万人を超えています。そんな中で、
 人が、人として、ありのままの、お互いの存在を、「肯定」しあうこと。また、それができる社会づくりのこと。それらについて考え、伝えてゆくための核となり得る精神性を、<人間同士、人間に接する>という特性を持った、身体障害者である私の日々と、介助職に従事する仲間たち、双方が、確かに持っていると、私は確信をしています。
 本日介助のミワちゃんは、来月で、介助職4年目になります。彼女は、
「利用者も介助者も別に誰でもいい、介助者は手だけ動かせばいいんだ、あなたの代わりなんか誰だっているんだから、というやりかたではなく、『介助者として、自分が、この人の人生の一端に、今、必要とされているんだ』と感じられることで、私は、介助者というこの職業に、誇りを持っています」
 と、私に話してくれたことがあります。
 この社会を、だれもが「生きてきてよかった!生まれてきてよかった!!」
 と、感じられる場へと、変えてゆくこと。介助という職業を、多くの方々へ知ってもらうこと。 
 「どんな身体、どんな心に生まれても、だれもが、心豊かに生きる」
 そんな未来のために、利用者/介助者のこんな関係性があっても良いのではないかと思い、お話をさせていただきました。
 また、今回、介助者たちとも話す中で、障害当事者の手記は多数出版をされていますが、「現役の若手介助者が書いた本」が、世の中に非常に少なく、介助者側からの声を、リアルタイムに書いている本がもっとあればいいな、と、感じたことを最後に加えます。
 皆様のおひとりずつもまた、同じ時代を生きる仲間として、私のそばに、いてくだされば、とても幸せです。
 ご清聴、どうもありがとうございました。


*作成:
UP:20090906 REV:20090920
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