「福間良明「「大東亜」空間の生産(T)(U)―地政学における空間認識の動態性とナショナリティの再構築―」を読む」
岩田 京子 20090821 第8回
歴史社会学研究会レジュメ
テキスト: 福間良明「「大東亜」空間の生産(T)(U)―地政学における空間認識の動態性とナショナリティの再構築―」(『政治経済史学』440-441、2003)
1.はじめに
2.地政学の発見
(1)自然地理中心の地理学界
(2)地政学導入の試み
(3)西洋地政学の成立
(4)1920年代の日本における地政学の受容状況
3.地政学の隆盛と日本地政学協会の成立
(1)「大東亜共栄圏建設の科学的根拠」としての地政学
(2)「大東亜」空間の発明
(3)東亜民族論・東亜協同体論と地政学の相違
(4)空間の動態性
4.皇道主義との空間認識の差異
(1)「京都学派」の地政学
(2)京都学派への批判
(3)空間認識の相違
5.アウタルキーによる空間の編成と統合
(1)国土計画によるアウタルキーの確立
(2)アウタルキー実現の方途
(3)動員する主体と客体の位階構造とそのゆらぎ
6.まとめ〜「大東亜」空間の生産・統合・融解
論点
地政学の空間認識(+その受容経緯,その磁場におけるナショナリティ再生産の様相),「大東亜」を包摂する動態的空間認識(=国粋的ナショナリティとは異なる)がなぜ戦時期に必要だったか
飯本信之:日本にドイツ地政学を紹介,地理学者,日本地政学協会の実質的設立者
江澤譲璽:戦時期地政学会最大のイデオローグ,東京商科大で経済地理学,ドイツ地政学継承
小牧実繁:皇道主義に依拠した地理学・地政学(=京都学派地理学)の中心
●近代地理学
目的論的認識にたった、「地人相関」の体系的記述(19C前半、カール・リッター)
→比較解剖学をモデルとした実証的方法論、人的要素排した自然地理学(1870年代、オスカー・ペシェルら)
→地質や地形の自然地理学的体系確立(1890年代、アルブレヒト・ペンクら)
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自然地理学全盛時代のドイツ地理学、日本に導入(山崎直方、小川琢治※地質学出身)
※⇒地学(地質学、地震学、鉱物学等も含めた自然科学の範疇)から近代地理学が分化
1907小川の地理学講座@京都帝大文科史学科…歴史学研究の一環、制度的には人文地理
1919山崎の地理学科@東京帝大理科大学…自然地理(=学界の主流)
飯田(山崎の弟子):自然地理中心の学界動向に批判的→ドイツ政治地理学,地政学を紹介
・政治地理学…自然に対する国家の因果関係をさぐる
主たる着眼点は「国家的存在の形態であって、成生ではない」
・地政学…国家の変化・動態を動的に捉える(国家生活の状態ではなく、その歴史的事象を観察)
国家を所与・不変・均質なものととらえる認識とは異なる
→国家と地的空間との相互関係を対象とする2者のうち、後者に有効性
●地政学@独・大陸国家系地政学 1897フリードリヒ・ラッツェル
:ペシェルらの自然地理学を乗り越え、リッターの地人相関を目的論的傾向を除きながら継承。
生物学的進化論を参照→「生活空間/生存圏」確保の必然視,自由競争・優勝劣敗原則
⇒植民地獲得競争に乗り遅れていたドイツが植民地拡大政策強行する時期に打ち出され、帝国主義的領土拡張、植民地争奪戦を地理学から正当化
地政学A米・海洋国家系地政学(シーパワー理論) 1890アルフレッド・セイヤー・マハン
地政学B英・ 〃 (ランドパワー理論) ハルフォード・ジョン・マッキンダー
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カール・ハウスホーファー(WWT〜)
:ヴェルサイユ体制下のドイツが、「正当な生活空間」獲得を主張する理論に(「地政学は、地球上の生活空間を求める国家間の生存競争にまつわる政治行動に科学的根拠を与える」)
:@を受け継ぎ、ABを参照 =飯田により1920年代後半に日本で紹介される
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「排日移民法や人種差別撤廃条項の廃案と結びつけて論じられたとしても、当時の日本には、地政学に飛びつくほどの土壌は生み出されていなかった」
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1940年代 第二次近衛内閣「大東亜新秩序構想」の正当化,「大東亜共栄圏」の科学的根拠付け
日中戦争の膠着状態、アメリカ等による経済封鎖⇒生活空間/生存圏を早急に拡張していくことの必要性(南太平洋への戦線拡大)⇒言語や民族のみに依らず地理的空間的単位として大東亜共栄圏を提示、それをひとつの「生活空間」として理論付ける知に関心
●生活空間として「大東亜」を根拠付ける理論
江澤:・紐帯としての海(海の「結合作用」(?「隔離作用」))
←ハウスホーファー(太平洋の空間的統一性)
・気候の統一性⇒経済地理的統一性(米作),集約的労働・共棲関係・共存共栄関係⇒縁
海を通じた関係拡大
=共通の特質としての地理的・空間的特色の「発明」による、「太平洋民族」の想像
※「海」の発見により、「東亜」の境界が越境可能に
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東亜協同体論、東亜民族論(1940年以前)
:日本の大陸への進出を正当化すると同時に、それを「東亜」の域内に留めおこうとするもの
→1940年以降の政治状況の中から、「東亜協同体」「東亜民族」の範疇を超え、海によって媒介される生活空間としての「大東亜共栄圏」を科学的に根拠付ける地政学が見出された。
●生活空間の動態性の主張
江澤:「民族は個性として類型化し得ないものを含む。空間、そして民族は、動態的な変化を常に有する固定化し得ないものであり、その内部に時間を未来性として含んでいる」?
飯本:国境=条・帯・圏(≠線) 1942
生活空間の拡大を正当視する、地政学に支えられた空間認識
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所与の本質的・ナショナルな領域を設定しようとする論理
●日本地政学、皇国地政学 …京都学派
小牧:「皇道の理念」(=八紘一宇の精神)を掲げているがゆえ、「自国を主体とする、自国を中心とする学問自体が、直ちに世界の全体に通ずる」…ナショナリズム→普遍主義
・東亜協同体制論(=「東亜」に限定された共同体原理)、日本地政学協会派(=生活空間を太平洋圏に限定)を批判
=「日本」を「世界」すべてに適用(←八紘一宇の理念)することで本質的・固定的・純粋なナショナリティを保持する空間認識
→地理学者:「単なる時局的宣言」「内容のない神懸り的表現」
国家の行動に科学的指針を与えるべき地政学は経験科学でなければならない
・総力戦下で不可欠な自給自足を実現すべく「大東亜」空間内部の物的・人的資源の再編成を図るというような空間編成志向(=南方地域での偏倚生産、原糸経済の是正)⇒再編成・動員する主体(日本)の客体(大東亜)に対する優位性が脅かされる可能性
「地政学は、最大限の資源動員を可能ならしめるドラスティックな空間の配置換えとそのシステマティックな統合を科学的に構想した学問であった。」
*作成:櫻井 悟史