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「福間良明氏の仕事を/から学ぶ――歴史社会学の論文の一つの書き方」

櫻井 悟史 20090704 第7回歴史社会学研究会レジュメ


◇書誌情報:福間良明, 2002, 「ラフカディオ・ハーン研究言説における「西洋」「日本」「辺境」の表象とナショナリティ」『社会学評論』53(3):329-346

◆問い:「「西洋」を嫌い、日本を愛した西洋人作家」(329)ラフカディオ・ハーン
→「しかし、ハーン神話は当初からそのようなものだったのだろうか」(329)

◆目的:「ラフカディオ・ハーン研究=「ハーン学」の言説を英学・英語学・英文学の言説とも対比しながら分析し、ハーン神話の構築や変容過程を浮き彫りにする。そうすることで、「西洋」「日本」、そして「松江」といった「辺境」の三者が交錯するところで紡ぎ出されるナショナリティの変容や融解の一端を提示したい」(329)

◆射程:「ハーンの言説そのものを主題とするのではなく、あくまで日本人研究者がハーンをいかに解釈し、流用したのか、その時系列的な変容を考察することにある」(330)

◆先行研究:
○「日本」のナショナリティ(小熊1995、1998; イ1996; 安田1997)
→限界「「日本」-「西洋」、あるいは「日本」-「辺境」の関係性を軸に論じられており、「日本」が語られる中で「西洋」と「辺境」がそれぞれいかに「日本」に関係し、「日本」がそこから逆照射されていったのかが、必ずしも明瞭ではない」(330)
○ハーン学の歴史を扱った研究(森1980; 平河1992; 太田1994)
→限界「文学研究史的にハーン研究の系譜に言及するものはあるが、そこにおけるナショナリズムやオリエンタリズムについて社会学的な視点から論じられたものは皆無に近い。唯一、太田雄三は、ハーン研究の中でどのようにハーン神話が創られたかに言及しているが、そこでもハーン学における「西洋」「日本」「辺境」の表象とその相互関係の時系列的な変容は十分論じられていない」(330)

◆方法、守備範囲:「本稿は、ハーン学研究が扱っていないこれらの点を考察するのであるが、ハーン没後の1904年から今日に至るまで、多大な研究業績のあるハーン学の言説のうち、西洋列強との不平等条約撤廃が模索された時期から、実質的な植民地(「外地」、「南洋」、「満州国」)を有するようになり、敗戦に至るまでの一連の時期、すなわち1904年から1945年の議論に限定して考察を進め、「日本」の版図の変遷とハーン学言説、およびナショナリティの変容を検討する」

◆内容1:1894年〜1910年頃(2節)
○分析対象1:齋藤信策
 「「世界の人」であるハーンが愛した、「英国」とは異なる「日本」を言うことで、「西洋」「世界」にとって異質なものとして「日本」が表象されつつ、それは普遍的な「世界」「西洋」に認識・肯定されることが求められたのであった」(331)
○分析対象2:雨森信成
 ハーンの思想=「進化の思想」
→「進化論とは言いながらも、雨森は進化論につきもののはずの自然淘汰や優勝劣敗などには言及せず、それを科学一般に置き換えている」(332)
→「「日本」という特殊は、「西洋」という普遍に憧れ、それに自己同一化することを希求していたのであり、換言すれば、その普遍性の欠如に対する強いコンプレックスがあった」(333)

◆内容2:1910年頃〜1920年代後半(3節)
「西洋」と「日本」の関係の変化→「「西洋」/「英語」にあい対するものとしての「日本」/「国語」がより明瞭に意識されるようになる」(334)
○分析対象3:田部隆次
・田部の特徴→ハーンの「マルチニック」滞在中の作品に注目
・田部の発話の位置(「西洋」/「白人」の位置)→1項
・田部の「日本」を語る際の発話の位置(ある種のオリエンタリズムを内面化)→2項
→「だが、「日本」は「西洋」との関係性でのみ扱われるのではない。むしろ、「西洋」のそのようなオリエンタリズムの視線でもって「辺境」を眺め、そしてその「辺境」に自己同一化しようとする」(336)→「辺境」:「旧日本」としての「松江」

 「田部=「日本」は「西洋」「辺境」ともにその双方に向き合いながら、アンビバレントな位置に置かれ、「日本」の定義や根拠を定立することが難しくなる。「西洋」の視線を内面化させ、「西洋」の他者として「西洋」に予期/期待されるような「辺境」に自己同一化しようとするほど、「日本」の根拠のなさが明らかにされ、「日本」の非決定性や残余が浮かび上がってくる。そこでは、ナショナリティはゆらぎ、融解しかねないものとされるのであった」(337)

◆内容3:1930年代前半〜1940年代前半(4節)
○分析対象4:丸山学
・丸山のハーン論の特徴:ハーンの文学者としての評価の相対的な低下
→文学者ハーンから民俗学者ハーンへ(それ以前のハーン研究の言説とは全く異なるもの)
・この時期の英語・英文学、そしてハーン学:「西洋」という他者に「日本」という自己を呈示するためのもの
・雨森とは異なる進化論:「西洋」を「日本」が淘汰することの根拠

 「ハーン学においては、「日本」の特殊性とともに「普遍性」を承認するのは、「西洋」であって「辺境」ではなかったのである。「日本」が「西洋」をいかに拒否・否認しようと、それは「日本」という自己を承認する超越的・絶対的な他者であった。「日本」は「西洋」がたとえ否定の対象であったとしても、それに承認されなければ存立し得ないもの、「西洋」の視線に投影されることによってしか表象され得ないものであり、それゆえに、つねに「西洋」の承認を欲してきたのである」(340)

◆結論
○「日本」「西洋」「辺境」の相互関係
 「その三者の相互関係を典型的、かつ明瞭に示す学問がハーン学にほかならない。その意味で、ハーン学は、学問としては英学・英文学の位置領域であったが、同時に「日本」の語りの縮図であったとも言えよう」(343)
○西洋による承認の希求
→「「日本」は、「西洋」に抗いつつも、その承認を欲し、永遠に同一化できないにもかかわらず同一化を求めるエディプス・コンプレックスを、常に抱いていたのである」(344)

→「「西洋」に対する羨望と承認の欲求は、「辺境」の語りを生産/再生産し、それを「日本」との位階構造に埋め込んでいった。そして、「日本」はその「辺境」を流用しながら、「西洋」に承認され、またそれに代わり得る自己を希求した。「日本」は「西洋」の視線のもと、「日本」という自己だけではなく「辺境」を表象し、それとの対照で自己を構築していった。「日本」は一貫して「西洋」から眼差される「他者」としての役割を演じつつ、「西洋」-「日本」、「西洋」-「辺境」、「日本」-「辺境」という二重、三重のオリエンタリズムと、そこにおける力学の中で自己を表象したのであった」(344)

○日本の自己像が揺らぐ可能性
→「田部も含め、ハーン学では、このようなゆらぎを注視することなく、展開していった。だが、ナショナルなものを語ろうとする中で、そのゆらぎを直視し、ナショナリティの融解に向き合うことができていたならば、「西洋」と「辺境」という二つの境界上にあった「日本」のハーン学はさらに豊かで実り多いものとなっていただろう」(345)


*作成:櫻井 悟史
UP:20090705 REV:
全文掲載  ◇歴史社会学研究会
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