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「「表象と真実――ヘイドン・ホワイト批判に寄せて 4節〜6節」を読む」

大谷 通高 20090723 第3回物語と歴史研究会レジュメ


上村忠男 1994『歴史家と母たち――カルロ・ギンズブルグ論』

表象と真実――ヘイドン・ホワイト批判に寄せて pp156-230

4 ホワイトは懐疑家か pp184-189
ギンズブルグは〈表象の歴史学〉の理論家は「懐疑家」としているけど、本当?
シャルティエの論考「表象としての世界」での文化史的研究への認識(つまりは〈表象の歴史学〉)は、ギンズブルグが『ベナンダンテたち』でみせた可能性に着目したものではないか?
ギンズブルグの、テクストを相手にした読解の経験を主軸にすえる歴史記述が「読解の歴史学」であるとすれば、「この〈表象の歴史学〉または「文化の歴史学」は、それ自体が「表象されることによって意味付与されていることがらの、その意味を解こうとする歴史学、つまりは読解の歴史学なのである」(p175)といえるのではないか。

⇒ そうした〈表象の歴史学〉とは、「「表象としての世界」がそれ自体社会的なアイデンティティの形成を目指しての権力的な闘争の場であり、ひいては「表象をめぐる闘い」に焦点を合わせた文化史的研究は同時に「社会的なものへの有益な回帰」を果たすことになるとの認識」(pp184-185)であり、これはギンズブルグの「読解の歴史学」と相反するものではない。

ホワイトも歴史的な現実の認識不可能性を主張する「懐疑家」ではない。なぜなら、ホワイトは「対応性の真理」と「一貫性の真理」のテストに耐えうる叙述であれば、それは何かの「現実」「事実」「真実」を「表象」していることを歴史と小説、両方に認めるからである。
ホワイトにとって事実と歴史家との関係は、「歴史家がかれら(=事実)のために語ってやるのだということ、そして過去の断片をひとつの全体につくりあげるのは歴史家なのであり、その全体が具備している完全性は――それの再−現(representation)のうちにあって――純粋に言述的な性質のもの」(p187の引用から)としている。
 そして過去の断片である資料の読解からひとつの全体を記述する歴史家の作業は、「架空のものであれ、現実のものであれ、もろもろのできごとを表象‐再現の対象としてしようできるようなひとつの包括的な全体に融合する過程は、詩的な過程」(pp187-188)として小説家や詩人と同じものとして捉える。
なぜなら歴史家が過去の資料の読解から得た事実への理解は、喩法によってしか記述されえず、この意味において、歴史書はそれ自体ひとつの物語的散文の形式をとった言述構造体であるとする。ホワイトは、そこから歴史書に用いられる喩法の構造を解明することによって歴史記述の可能性を見いだそうとしている。

5 フィクションとヒストリー pp189-198
ギンズブルグは、ホワイトが「相対主義」―― フィクションとヒストリーの間の差異を無視する視座にいることを断じつつ、それは「歴史叙述の持っている認識力を弱めるものではなくて、かえって強化することにつながるもの」(p190)としている。

マンゾーニの歴史記述の方策に対するギンズブルグの評価
「歴史叙述の場にあって、一方では想像力を駆使して証拠の欠落部分に推測をはたらかせつつも、他方で同時にそれらを証拠づけられた部分と明確に区別することが可能となり、かくては科学性が保持される」(上村談(p192))もので、それを歴史記述の可能性として評価している。
ちなみにその具体的なやり方は、証拠が欠けている部分は論理的な推測を働かせて、その推測による記述の個所を「推測の個所」であることがわかるように記述すること。これによって歴史記述の科学性が担保されるとしている。
具体例としてデイヴィスのマルタン・ゲール事件の歴史的復元作業。
 この歴史叙述の場における想像力の使用と科学性の要請との折り合わせ方は、「フィクションとヒストリーの間の形式の点でも目的の点でもなんら異なるところはないという言い方のものでホワイトがさぐりだそうとしている可能性ではないだろうか」(p194)。

推論は、一つの可能性であって、事実ではない。
しかし、その歴史記述、つまり推測による補てんされた記述箇所は、あくまでも一つの可能性であって、必然的な帰結ではない。ゆえにそれは、確証された事実ではない。
それは、ホワイトの「さきに引いた「事実を表象するフィクション」の一節でも、「歴史とて、もしそれが〈事実が実際にどのようにあったか〉についてのもっともらしい説明として通用しようと思うならば、対応性の基準だけでなく、一貫性の基準にも合致しなければならないだろう」とするとともに、「同様に、フィクションとて、もしそれが世界の人間的現実についての洞察または照明の成果を実現しようとしたものであると主張したいのであれば、対応性のテストに通らなければならないだろう」(p197)という箇所に相当する問題であり、これはギンズブルグも受け入れる主張だろう。

6 展示と引用 pp198-207
「科学自体をもふくめてあらゆる文化的活動の直接的な基盤をなす実践の一様態なのだとういうこと」(p198の引用から)
この詩的表現たる歴史記述の文化的活動性の重要性を、ギンズブルグは、「懐疑主義」ないしは「相対主義」への転落の危険の問題のひっ迫性により、見落としている。

〈真実効果〉問題
ギンズブルクは、〈真実効果〉を生み出す方法の推移を、古典古代の歴史家たちの〈展示〉(現に眼の前にいきいきと存在しているかのごとき印象を与えるやり方)から、近代の歴史家の〈引用〉(証拠を用いて論証するやり方)へと転換したことを指摘。
☆〈展示〉の具体例:ホメロスの詩
  事実の報告――目指されるの〈真実〉
  事実の配列または構成――目指されるのは〈いきいきとした印象をあたえること〉
  全体的な筋立て――目指されるのは〈楽しませたり驚かせたりすること〉
「真実は単に陳述されるだけでなく、なんらかのしかたで展示されるものでなければならない」(p202)
☆〈引用〉の具体例:チェザーレ・バローニオ
  「古人の遺した資料を文体上の優雅さを犠牲にしても可能な限り引用すること」
⇒ 歴史叙述における〈真実効果〉をめぐる古典派と近代派の対立の中にあって、近代派が勝利した。
  ギンズブルクは〈展示〉に目を向けることはなかった。
⇒ しかし、ホワイトは〈展示〉に注目(ヴィーコを参考に)
「ヴィーコが古典古代のレトリック世界を支配していた〈展示〉の背後にさぐりあてた可能性は、それ自体が近代の生みだしつつあったひとつの可能性なのであった。」(p206)

実はギンズブルグも〈展示〉の可能性に目を向けていた。
『夜の歴史』
「物語が、〈現存するもの〉を〈現存しないもの〉としての死との関係のうちにおき、あの世との永続的な交流を可能にしたいという人々の願望から誕生するにさいして、その根底にあって作用しているとみられるメタフォレイン(転移)の作用にことのほか熱い関心を寄せている。」(p207)


*作成:櫻井 悟史
UP:20090830 REV:
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