「野家啓一『物語の哲学』第七章「物語り行為による世界制作」 読解」
西嶋 一泰 20090709
野家啓一『物語の哲学』、岩波書店(岩波現代文庫)、2005年
第七章「物語り行為による世界制作」p.299-p.332
■論文情報
『物語の哲学――柳田國男と歴史の発見』、1996年の新編集版
T部・U部・V部構成 V部は新編集版で収録
「物語り行為による世界制作」初出:『思想』2003年10月号
→「物語」と「物語り」の区別をしっかりとつける 鹿島徹の指摘
※著者は旧版に収録された論文執筆中、一九八〇年代には歴史学における「言語論的展開」論争には知らなかった。旧版には、多くの反響や批判があった。歴史の分野では歴史修正主義批判の文脈から、上村忠男『歴史的理性の批判のために』岩波書店、2002年、高橋哲哉『記憶のエチカ』岩波書店、1995年、同『歴史/修正主義』、2001年など。本著の6章と7章はこれらの批判への応答だろう。詳しくは「増補新版へのあとがき」参照。
■はじめに[299]
物語narrative
物語り論narratology
・「語られたもの、物語」the which is narrated, a story →物語 実体的概念
・「語る行為または実践」the act or practice of narrating →物語り 機能的概念
→野家:「物語り」を扱う 「物語り」の2側面
・機能概念:われわれの経験を時間的に分節化する言語行為
・方法概念:その存立構造を解明する一つの分析装置
※事実(実体)概念としての「物語」のカテゴライズである「真/偽」「善い/悪い」「事実/フィクション」などを、機能的概念である「物語り」にあてはめてはならない
■1 物語り論の系譜[302]
文学理論家カーモード 1950年「突飛」、1968年「前衛的」、1975年「歴史哲学の最前線」
→1960年代後半から1970年代前半 歴史哲学における物語り論の議論が進む
◇(1)フランス構造主義
C.レヴィストロース「歴史と弁証法」『野生の思考』1962年
歴史的事実は構成され、選択されるもの。「真に全体的な歴史」は混沌→サルトル批判
R.バルト「歴史の言説」1967年
「歴史の言説とは(中略)ひとつのイデオロギー的な変形作業である」
◇(2)ドイツの「歴史理論」
J.ドロイゼン『歴史理論』1857年 ←ガタマー『真理と方法』1960年
A.ダントー『歴史の分析哲学』 ←ハーバーマス『社会科学の論理によせて』1970年
→H.バウムガルトナー 独自の超越論的歴史理論
↑新田義弘「歴史科学における物語り行為について」『思想』1983年10月
◇(3)英米圏の歴史の分析哲学
論理実証主義運動による「統一科学」 ウィーン学団ら
ヘンペル「歴史における一般法則の機能」1942年
科学的説明も歴史的説明も、それが妥当である限りある形式をとらねばならない
「一般法則(L)と初期条件(C)とから個別的出来事(E)を演繹するという形式」
→初期条件(原因)→個別的出来事(結果)の因果的説明
→歴史記述は「説明」ではなく、「説明のスケッチ」にすぎず、歴史学は「三流の科学」
→A.ダントー『歴史の分析哲学』1965年
「歴史と科学との相違は(中略)それぞれが用いる組織化の図式の種類に関わっているのである。歴史は物語を語るのだ」
→W.B.ギャリー『哲学と歴史理解』1964年
「すべての歴史は、(中略)基本的には人間の思考や行為が支配的な役割を果たす出来事についての物語りである。」
※哲学におけるクーン『科学革命の構造』1962年に匹敵 影響もうける
→ヘンペル流科学哲学者「あんな忌まわしい本をクーンが書かなければよかったのに」
◇H.ホワイト『メタヒストリー』1973年・P.リクール『時間と物語』1983−85年
■2 物語り論の基本構図
・物語り論的「世界」
事物thingの総体ではなく、出来事eventのネットワークである
・物語り論的「出来事」
・名前をもつ
・個別化が可能 出来事の言語論的指示、同一性・関係性を語ること可能
・タイプを問題にできる ⇔物理的事物のみに存在者の資格を与える立場
・分割可能
→出来事:「原因→結果」 時間的広がりを持つ
→「原因→結果」のネットワーク 入れ子構造 [E→[[A→B]→[C]]→D]→F・・・
※ここでいう「原因→結果」は、法則性ではなく、物語的因果性(日常的因果了解)
出来事は物理的事物のように路傍にころがっているものではなく、一つの出来事を同定しようとすれば、何を原因とし何を結果とするか文脈を与えるものこそ、われわれの言う「物語り(narrative)」にほかならない。とりあえず、ここでは、簡単に「物語り」を複数の出来事を時間的に組織化する言語行為として特徴づけておこう。[313]
・物語り論的「経験」
「偶然的なものを何らかの因果連関の中で「関係了解」することによって、それは受容可能の経験となる」[316] ex.日食→神の怒り 地震→鯰の大暴れ
「現実との和解」(ヘーゲル的) →アーレント『過去と未来の間』1977年
「現実の構成」(カント的):
「物語りは直接的体験を受容可能かつ理解可能な経験へと組織化するという意味で「経験の可能性の条件」を形作っているのであり、まさにカントの用語法に即して「超越論的機能」を持つのである。」[317]
■3 物語りの内部と外部
◇ハイ・ナラティヴィスト/ロウ・ナラティヴィスト レイモン=ピカールの分類
ハイ・ナラティヴィスト ex.R.バルト、H.ホワイト 構造主義と親和性
「すべての文化は言語の内部にあるのだから、テクストと世界の間の相関関係を規定することは不可能である」[318]
→「物語りに外部はない」、歴史における「客観的真理」はない
ロウ・ナラティヴィスト ex.P.リクール、D.カー 現象学と親和性
「世界とテクストの関係は複雑であることは認めるが、なおも物語りの中で生起することと世界の中で生起しるうことの間の結びつきを主張する」[318−319]
→「「生きられた経験」という物語りの外部を認めながらも、それが物語り形式と相同的な時間構造を持っている点に、物語り論の成立根拠を求める」[320]
◇野家の立場
「私自身の立場はロウ・ナラティヴィストのそれに近いものとなる。つまり、物語りの外部をもたない自己完結した「テクストの織物」と見るハイ・ナラティヴィストの見解を退け、物語りを直接的体験(生きられた経験)を境界条件としてもつ外部に開かれたネットワークと見る立場である。」[320]
→物語りが外部をもたないと、歴史の物語りを再記述する動機はなく、ダイナミズム失う
◇ロウ・ナラティヴィストが想定する物語りの外部
求めているのは「実在への対応なき真理」(ローティ)であり、その意味で物語り論は歴史的真理に関して真理の対応説を放棄し、通時的整合性と共時的整合性を軸にした広義の整合説に就くのである。あるいはそれを「保証された主張可能性」(デューイ)とも「合理的受容可能性」(パトナム)とも言い換えることができる。それゆえ、物語りの外部とは「過去自体」や「歴史そのもの」ではありえず、あえて言えば「歴史以外の何ものか」あるいは端的に「物語りえないもの」にほかならない。[322]
※物語りえないもの:「出来事」として分節化されていない「生きられた経験」
・物語り行為=世界制作の行為 →物語りの限界が世界の限界
物語り行為の世界制作を通じて物語りと世界の外部を「示す」ことができる
■4 物語りと「人称的哲学」
◇物語り行為:複数の出来事を時間的に組織化する言語行為
↑ダントー:物語り文の定義(歴史を想定) →科学へ適用するため現在も対象に
E.M.フォースター『小説の諸相』
・ストーリー:複数の出来事を時間的順序で記述 ×「なぜ」
・プロット :複数の出来事の間の因果関係を時間的順序に即して説明 ○「なぜ」
→「物語り的因果性」
→物語行為:時間的に離れた複数の出来事を指示し、それらを<始め‐中間‐終わり>という時間的秩序に沿って筋立てる(plotting)言語行為[326]
◇科学と物語り
科学的説明 :二つの出来事を因果的に「直線(一般法則を中間におく)」で結び説明する
→非人称的科学(人間的視点の排除) リアリティの把握 ストーリー
物語り的説明:二つの出来事を因果的に「曲線(一般法則はない)」で結び説明する
→人称的科学(各人に受容可能にする) アクチュアリティの把握 プロット
→「誰が誰に向って何を語るのか」という発話のポジショナリティが問題に
話し手と聞き手の相互作用
→1960年代文学理論・歴史哲学の「物語り論」が、科学・文化の基礎理論まで広がる
■物語的権力?と民俗学と偽史
◇民俗芸能の物語(=由来)
とりわけ近代以後の民俗芸能をとりまく環境は、伝承者に対して由来について語ることを求めてきたということができよう。各事例でみたように、伝承の中断、そこからの復活、文化財の指定といった出来事や、帰郷者や研究者の存在といった要因が、民俗芸能を「するもの」だけでなく「語るもの」として存在せしめたことは明らかである。これらの出来事や存在は、民俗芸能を行うことを当たり前のことと考えさせてはくれない。「どうして」「いつから」と問われることによって、それに対する回答としての由来が必要とされるのである。
→日本の「民俗」として、国民にとって、理解可能なものにされていく
◇私のフィールド、大川平荒馬踊り:1969年に出場した芸能大会で由来が求められる
由来探すのは、浪岡の大会[筆者注:大川平の荒馬が数回の出場した青年大会のひとつ]おわったあとだな。そのときさ、由来さで落とされたんだ。そいで、その大会はやめたけども、由来てそれほんと大事なもんだなぁ、つうことがはじめて気づいた。そいで、そのルーツを捜し歩いたのさ。いずれにしてもここの地域は、むこうから渡ってきた開拓民だっつこと、だいたい話に聞いて。そいで向こうの町役場だとか、青年団の団体とか、保存会もあった、そういうこといって話とか聞いて。いっしょに合同で参加してみたり。そいから相内って町に東日流三郡誌とか、弘前物語とかさ、それからなんだっけな、なんとかっつうほんもあったな。それの本を読み漁って、ほいで、それをこうあわせてみれば、だいたいの形がでてきたんだ。
→地元では重要でなかった「由来」が、民俗芸能としての価値判断の基準となる
→青森の田舎で資料が残っておらず、そこで参照されるのは偽史『東日流外三郡誌』
『東日流外三郡誌』:1970年に「発見」 古代津軽地方に朝廷から弾圧された民族文明?
→古代史の資料があまりない東北に歓迎された のち明らかな偽史とわかり微妙な位置
◇大塚英志『偽史としての民俗学』、角川書店、2005年
しかし、今日、偽史と呼ばれるに至った言説と柳田の民俗学は戦前のある時期まで思いの外、近しい位置にあった、少なくとも民俗学と偽史としてそれぞれ結実していく思考の起源は相応に近しいものであったのではないか、とぼくは考える。[47]
「民俗学が偽史である」ということは民俗学が扱う事象がオカルトや偽史のように信用ならない、という意味ではなく、人が偽史に求める欲望や動機と思いの他近いものによって民俗学もまた支えられている、という意味[266−267]
→柳田が偽史的欲望で立ち上げた「民俗学」が覇権を持ち、
地方の人びとが偽史的欲望のもと「民俗」として編成されていくのではないか?
・「民俗」を検証しようとする人文科学的試みが、「民俗」を生む? →フォークロリズム
「受容可能」な物語りへ再編され、また自ら進んで組み込まれていく人々
*作成:櫻井 悟史