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「フーコー」

小泉尚樹、嵯峨一郎、長友敬一、村松茂美編著
『はじめて学ぶ西洋思想』ミネルヴァ書房、pp. 255-261 2005/03 
堀田 義太郎


フーコー(Michel Foucault:1926−84)

生涯と思想

 「ミシェル・フーコーの伝記」を書くことほど、フーコーの実践に反する試みはない。フーコーはしばしば、「私が何者であるかを尋ねてはいけない」と述べている。フーコーの仕事は、つねに自分自身から逃れるための試みであり、彼にとって身元証明や自己同一性(アイデンティティ)とは、人間の生の自由をしばるための制度でしかない。自己同一性からの離脱を信条とする「フーコー」の人生の一貫した伝記を書くことは、フーコー自身のいわば「一貫した非一貫性」を裏切ることになる。しかしすでにお気づきだろうが、この一貫した非一貫性は、ある程度一貫したフーコーの伝記を通してはじめて見えてくる。そして、まさにこうした逆説と循環が、フーコーの実践と仕事を特徴づけているのである。
 ミシェル・フーコーは、1926年フランスの伝統ある地方都市のポワチエに、外科医であり医学部教授でもあるポール・フーコーとその妻アンヌの長男として生まれた。父ポールの家業は代々医者であり、母アンヌの父(つまりフーコーの祖父)もまた医者だった。一家は医業の収入に加えて父母双方の祖父の遺産もあって、使用人を雇い、別荘を持つほど裕福だった。だが、後に彼自身が振り返っているように、文学と歴史を志すフーコーと、家業を継いで医者になることを強く望んだ父との葛藤は激しかったようである。1946年、父を説得してフーコーは、パリのエリート養成機関である高等師範学校(エコール・ノルマル)に入学する。高等師範学校での集団生活は、人間関係に敏感で孤独を好むフーコーにとっては、つらい時期だった。この時期フーコーは何度か自殺未遂を起こし、その様子を心配した父親の取り計らいで、1948年、制度としての「精神医学」に初めて出会う。
 フーコーが青少年期に経験した第二次世界大戦の脅威は、人間が否応なく巻き込まれる「歴史」と「個人的経験」の関係に対する彼の関心を醸成する大きなきっかけとなった。フーコーが学生時代を送った戦後直後の時期にフランスで影響力をもったのは、ヘーゲル哲学である。「戦争」という現実世界の歴史の力を説明も予測もできなかった従来の観念論哲学に対して、「歴史」を「闘争の過程」として捉えることで、哲学と歴史の統合を試みたヘーゲルは、時代の雰囲気に合致していた。フーコー自身も、フランスのヘーゲル主義の創始者の一人であるジャン・イポリット(1907−68)に師事したことがある。フーコーにとってヘーゲルの重要性は、歴史=闘争の「主体」として中心に据えられた「人間」をめぐる解釈にある。ヘーゲルは、「歴史」を、歴史の主体である人間の「理性」の完成(真理)に向けた諸力の闘争の過程として捉えたが、フーコーは、この「理性」と「主体」、そして「真理」を、再び「歴史の闘争」の中に置きなおす。つまりフーコーは、「歴史」とは、ある特定の知識が「真理」と見なされてゆく様々な力(権力*)の闘争の過程である、と捉えるのである。
 フーコーは1951年に教授の資格を取り、精神病院での研修医、心理学の助手、フランスを離れて各国で教師をしながら、精神医学の「科学性」を問う『精神疾患と人格』などを執筆し、1960年にフランスに帰国する。1961年に「狂気」と理性が区別されてきた歴史を明らかにした最初の大著『狂気の歴史』によって博士号を取得した後、死と病に対する医学の眼差しの歴史に関する『臨床医学の誕生』(1963)、西欧において「人間」を対象にする人文科学と「人間主義」が生成する歴史を追った『言葉と物』(1966)、監視と処罰の技術と機構を分析した『監獄の誕生』(1975)といった著作を発表する。そして、「性」を私秘的なもの(個人的秘密)とする言説の歴史を明らかにする『性の歴史』第一巻(1976)を書いた後、1983年にその第二巻、84年に第三巻を出版した。1984年6月フーコーは、57年という短い人生をエイズによる破血症で終えた。「フーコー」とはまた、これらの著作の集合でもある。
 フーコーの仕事のモチーフは、西欧近代の制度と認識(ものの見方)の成り立ちを、その近代の制度や認識が「排除」してきたものに注目して分析するということである。それによって、私たちが現在、当たり前だと思っている事柄、自明だと思っている価値観や制度が、いかに歴史の闘争の過程における偶然の産物であるかを明らかにするのである。フーコーの著作は一見歴史学に似ている。だが、歴史学者が「史料から見えてくるもの」だけを扱うのに対して、フーコーは「史料が見えなくさせているもの(空白)」に眼を向ける。たとえば『狂気の歴史』では、「狂気」について書かれた文書や記録を分析し、そのなかで「狂気」が「いかに語られていないか」が明らかにされる。つまり、「狂気」について「語られたもの=史料」を通して、そこに「語られていないこと」すなわち「狂気そのもの」を浮き彫りにしようとするのである。歴史学によっては、こうした、史料に書かれていない「空白」を明らかにすることはできない。また、ただ闇雲に史料を集めて読めば、そこにある「空白」がおのずから見えてくるわけではない。「空白」を見ようとするフーコーの視角を定めているのは、歴史によって形成された「現在性(actualite)*」への問いである。フーコーは、歴史を研究し分析すると同時に、そもそも「われわれが自分自身の歴史を認識する」とはどういうことか、と問うのである。フーコーは、私たちが生きている現在の社会で「正しい」とされ、「科学的根拠」を持つ「真理」とされている事柄がどのような歴史的・思想的背景をもち、様々な権力関係と結びついているかを明らかにすることを通して、私たちの「現在」の自明性を問いに付す。この「真理」の歴史性を問う視点、そして歴史を見る視点そのものが歴史的に形成されているという認識を、フーコーはニーチェの言葉を借りて「系譜学」と呼んでいる。
 近代は、人間とその「理性」を歴史の主体とし、「歴史」を理性の完成(真理)への過程と見なした。だが、フーコーは、この「人間」や「理性」そして「主体」それ自体が、ある特定の人々や行為を「非理性的」あるいは「狂気」として、暴力的に排除する歴史の闘争、そして権力関係のなかで作り上げられてきた、と論ずる。近代的な自由な「主体」それ自体が、特定の社会の権力関係によって形成され、同時にその権力の担い手である、と指摘するのだ。
 最初に述べた循環はここにある。第一に、歴史的に形成された「現在」の偶然性を明らかにするために、当の現在を形成した「歴史」を分析するという点だ。歴史を分析する者自身が、当の歴史によって形成されているとすれば、分析される「歴史」は現在に結びつく歴史でしかなくなってしまうのではないか。つまり、「現在」に至る「歴史」の偶然性を明らかにするという試みの困難さという問題である。第二の問題は、「主体」がつねに「権力関係」の中にあるというフーコー自身は、どこにいるのかという点である。「権力」から自由な立場が存在しないとすれば、そう述べているフーコーも権力から自由ではないことになる。「権力の外部が存在しない」というフーコーの権力論は、「権力」とは何かに答えておらず、権力論として破綻していると批判されることになる。だが、フーコーの特徴はこうした逆説の提示にある。自己から離脱する試み自体が、自己によってしかなされ得ないように、たとえば「権力」の外部とは、その作動様式の分析の実践においてのみ示されるのである。こうした、空間的にイメージされる「外部性(exteriorite)」とは異なる外部を表現するために、フーコーは「外(dehors)*」という語を使っている。

フーコーとの対話

● 自由な「主体」と「権力」はどのような関係にあるのか?

 人間主体は生産関係や象徴関係の中に置かれる一方、複雑きわまる権力関係の中に等しくおかれてもいる……
 主体という語には二つの意味がある――支配と従属という形で他者に依存していることと、良心や自己認識によって自らのアイデンティティと結びついていると言うことである、どちらの意味も、従属させ、服従させる権力形式につながる。
 権力関係を規定するものは、他者に対して直接的・無媒介的に作用することのない行動様式なのである。権力は他者に作用する代わりに、行動に対して、現実の行動に対して、現在あるいは未来に起こりうる行動に作用を及ぼす。暴力の関係性は身体やものに及ぶ……他方で権力関係は、もしそれが真の権力の関係性であるならば互いに切り離すことのできない二つの要素を基盤としてしか分節化されえない――「他者」(権力が行使されるひと)すなわち、行為する人格として見なされその認識が最後まで維持される他者の要素と、権力関係に直面して動き始めるであろう対応・反動・結果と起こりうべき行動の領域すべての要素。
 権力の行使は、それ自身では暴力ではないし、更改すべき同意でもない。権力は行動可能性へと高められた行動そのものの全体構造である。……いつも権力は、行為や行為可能性に基づいて行動する単数・複数の行為主体に作用する手段・方法である。
 他者の行為に作用する行動様式としての権力の行使を規定するとき、……もっとも重要な要素――自由――を人は包含している、権力は自由な主体、つまり人が自由であるときに限って行使される。
 社会に生きることは、他者の行為に作用する行為がありうるというかたちで生きることなのだ。権力関係なき社会とは抽象にすぎない。……権力関係なき社会は存在しえないと言うことは、確立された権力関係が必要だとか、権力は社会の核心における宿命であるとか、その基盤を掘り崩すことはできないとか、ということではないからだ。そうではなく、権力関係の分析、練成、再検討、権力関係と自由の自動詞性との「戦い」(agonism)などは恒常的な政治的任務であり、まさにそれこそがどんな社会の存続にも結びつく政治的任務にほかならないのだ。
(「主体と権力」『ミシェル・フーコー思考集成』第9巻,渥海和久訳、筑摩書房、11−28頁)

 可視性の領域を押しつけられ、その自体を承知する者は、みずから権力による強制に責任をもち、自発的にその強制を自分自身へ働かせる。しかもそこでは自分が同時に二役を演じる権力的関係を自分に組み込んで、自分がみずからの強制の源になる。
(『監獄の誕生』田村俶訳、新潮社、1977年、204−5頁)

● 人間がつねに「主体」であるならば、「権力」からは逃れられないのか?

 外と内との二者択一を脱して、境界に立つべきなのだ。批判とは、まさしく限界の分析であり、限界についての反省なのだ。……今日における批判の問題は、積極的な問いへと反転させられるべきだと、私には思われる。私たちにとって、普遍的、必然的、義務的な所与として与えられているものの間で、単独で、偶然的、そして、ある種の恣意性にゆだねられているものの占める部分とはどのようなものなのか、と問うべきなのだ。要するに、必然的な制限の形で行使される批判を、可能的な乗り越えの形で行使される実践的批判へと、変えることが問題なのだ。……この批判は……私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることが出来る可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになる。
 しかし、単なる断言や自由の空疎な夢にそれがならないためには、この〈歴史的-批判的〉態度は、同時にまた〈実験的〉な態度であるべきだ、と私には思える。私が言いたいのは、私たち自身の限界に立つことで実行されるこの仕事が、一方では、歴史的調査の領域を開くものであるべきだと言うこと、他方では、変化が可能であり、また望ましくもある場所を把握し、また、その変化がどのようなものであるべきかを決定するために、現実と同時代の試練を自ら進んで受けるべきだと言うことなのだ。
(「啓蒙とは何か」『ミシェル・フーコー思想集成』第10巻、筑摩書房、2002年,19−20頁)

 「自明なことは実際に自明でなければならないだろうか? 明証性は、それがどんなにあからさまなものであろうと、取り除く必要は在りはしないか?」と。それは、物事の親近性と格闘することなのです。人が自国において違和感を覚えていることを示すためではなくて、あなた自身の国があなたにとってどれほど異質なものであるかを、そしてあなたを取り巻き、許容できる風景を醸し出しているようにみえるすべてのものが、実際はどれほどありとあらゆる一連の闘争、衝突、支配、公準などの所産であるかを示すために……
(「知識人と権力」『ミシェル・フーコー思考集成』第10巻、筑摩書房、2002年,273頁)

 私の役割――これは大変大仰な言い方ですが――は、人々に、彼らが自分たちで思っているよりはずっと自由であるということ、彼らが本当であり自明であると思っていることがらが、実は歴史のある時点で作り出されたものであること、そしてこのいわゆる「自明性」が批判され、破壊され得るものであることを示すということです。人々の精神において何かを変化させるということ……
(「真理、権力、自己」『ミシェル・フーコー思考集成』第10巻、筑摩書房、2002年,309頁)

用語解説

(1)権力 [pouvoir] フーコーの「権力」概念は、「国家権力」といった表現に代表される従来の「権力」概念とは、まったく異なっている。従来の「権力」概念は、権力を所有する支配者(人間や組織)の存在を想定する。この権力観は、「支配する者−される者」の二項対立図式を前提にしている。だが、フーコーによれば、こうした関係は「権力関係」のなかの一形態である「支配関係」でしかない。フーコーの「権力」概念は、より広い範囲、人間相互の関係に働いている「力」一般をさす。フーコーによれば、「権力」は、誰か特定の個人や組織に所有されるものではなく、あらゆる社会現象においてつねに生じている。「権力」を行使する側/行使される側の反転が不可能になっている場合が「支配」と呼ばれるのである。そして、私たちが「コミュニケーション」と呼ぶのは、この両者が反転可能な権力関係である。

(2)現在性[actualite] フーコーはI・カントの「啓蒙とは何か」を論ずる中で、「現在性」への問いとして、自らの仕事を説明している。「現在性」とは、単なる時間的な意味での「現在」や「現代」を指すわけではない。「現在性」とは、現に存在する社会制度や規範あるいは常識が、人々の生き方の自由を制限しているとき、それが歴史的偶然の産物であり、変更可能であるということを、分析し指摘する行為と実践を形容する。

(3)外[dehors] フーコーは、空間的にイメージされる「外部性(exteriorite)」とは区別される「外部」を考察するために、「外」という表現を使った。「外」は、「私」という第一人称代名詞に即して説明される(「外の思考」)。「私は……」と語るとき、「私」という第一人称代名詞は、その「発話者」自身を指示し、その都度それを語る個々の発話者と合致している。だが他方で、「私=発話者」が成立するということは、「私」とは「誰であれ発話者自身を指す」という一般的な文法規則の存在を示してもいる。ここには循環がある。「私」という語が、「誰であれ発話者を指す」という規則は、具体的個別的な「私は……」という発話がなければ存在しないからだ。このとき「私」と発話する発話者は、主語としての「私」に同一化すると同時に、まさにその同一化するということにおいて、「誰であれ発話者を指す」という「私」の文法規則にとっては、一つの「例外」となる。「私」と語る瞬間、私は、発話者としての自分自身を指し示すと同時に、「私」という語が「発話者一般」を指すという規則を――その「例外」となることで――、示してもいるのである。ここで、発話者個人としての「私」は、文法的な主語としての「私」と一致しつつ、その例外に置かれていることになる。このように、ある規則や法(以上で言えば文法)や制度と「人間の生」が接触しつつ分離するすなわち「衝突」する瞬間(ドゥルーズ)を、フーコーは「外」と呼ぶ。規則や制度そして権力と「人間の生」が衝突し、その生が排除されようとする瞬間に、当の規則や制度そして権力の脆弱さ・不安定さと偶然性が、明らかになる。フーコーは、現在の制度と社会を成り立たせる歴史のなかに、この「外」(力の衝突)の契機を探し出し、その不安定さと偶然性を明らかにし、それによって、磐石に見える既存の社会と制度の中に、自由な空間が出現する可能性を切り開こうとするのである。

より深く学ぶために
〈基本文献〉
『ミシェル・フーコー思考集成』全10巻,蓮見重彦・渡辺守章監修,筑摩書房,1998−2002
『言葉と物』渡辺一民・佐々木明訳,新潮社,1974
『監獄の誕生』田村俶訳,新潮社,1977
『性の歴史』全3巻,渡辺守章(第1巻)・田村俶(第2・3巻)訳,新潮社

〈入門・解説書〉
『フーコー』ジル・ドゥルーズ,宇野邦一訳,河出書房新社,1987
『ミシェル・フーコー――構造主義と解釈学を超えて』H. ドレイファス+P. ラビノウ,山形頼洋+鷲田清一監訳,筑摩書房,1982
『ミシェル・フーコー』内田隆三,講談社現代新書,1990
『フーコー』C. ホロックス/Z. ジェヴティック,白仁高志訳,現代書館,1998

*作成:堀田 義太郎
UP: 20090702
全文掲載  ◇ミシェル・フーコー Foucault, Michel
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