HOME >

「重度障害新生児におけるケアの担い手――親子の権利義務関係からのアプローチを中心に」(予稿)

福祉社会学会第7回大会
テーマセッション<ケアを再考する――家族・労働・規範>
於:日本福祉大学名古屋キャンパス 20090607 09:30〜11:30
櫻井 浩子(立命館大学大学院先端総合学術研究科博士後期課程、生命倫理学)


重度障害新生児におけるケアの担い手――親子の権利義務関係からのアプローチを中心に

○櫻井 浩子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)


1. 問題の所在
現在、重度障害新生児の治療方針については基本的に親(母親)の決定が優先されており、その問題点も指摘されている。だが、合理的な決定基準はない。親の決定内容は様々な要素により複合的に規定されているが、特に決定者である母親に子どものケア責任が課されている状況である。
そこで本報告では、新生児医療における親の決定権の限界に触れ、次いで親子の権利義務関係の観点から子どものケアを誰が担うべきかに関して検討を行う。なお本報告における「子ども」は、重度障害新生児を意味する。

2. 重度障害新生児のケアの状況とその担い手
日本では、重度障害新生児に対する治療方針について国や学会レベルで統一された見解はなく、各施設の責任者が主に決定を下してきた。そのような状況の中で作成された指針のひとつに「東京女子医科大学新生児集中治療室における医療方針決定のクラス分け」(1986年)がある。「東京女子医科大学新生児集中治療室における倫理的観点からの医療方針決定のポリシー」では、治療方針の最終判断は新生児集中治療室の責任者が家族および医療者の意見を総合して行い、家族には最終判断を迫らないとし、最後の決定をしたという重荷を家族に課せないようにしていた。現在では、医療者と家族の関係性の変化から、「重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの話し合いのガイドライン」(2003年)が作成され、医療者が最終決定を行うのではなく、医療者と親が話し合いによって決定している。この話し合いのガイドラインの条項には、「父母はこどもの養育に責任を負うものとして、こどもの治療方針を決定する権利と義務を有する」ことが規定されている。つまり、このことは治療方針決定における親の関与が重視されたと同時に子どもの養育義務を一層課しているとも言えよう。
さて、重度障害新生児の母親は、子どもを健康に産んであげることができなかったという自責の念や罪責感からケアの負担を一人で引き受けようとする。さらに病院によるケアの手技習得のための退院指導は主に母親が受けており、この段階から「介護を担うのは母親である」という医療者の性別役割意識が、母親の罪責感を一層深刻なものとしている。他方、家族側の状況として、2003年日本産婦人科医会によって行われた調査では、退院の見込みがあるにもかかわらず家族が子どもの在宅移行を拒んでいる原因として、循環・呼吸管理が困難であること、経済的困難、家族の精神的支援不足などが挙げられた。
2005年、報告者は医療的ケアを必要とする子どもの在宅介護を担っている母親(106名)を対象とした調査を行なった(櫻井・西脇 2008)。介護による疲弊状況をバーンアウト・インデックス尺度日本語版(健全群・警戒兆候群・バーンアウト群・臨床的うつ群)を用いたところ、バーンアウト(BI)得点の平均3.2、母親の健全群は50.9%に過ぎず、半数の母親に身体的心理的精神的疲弊が認められた。先行研究で報告された入院児(BI得点の平均 3.1)や慢性疾患児(BI得点の平均 2.7)を持つ介護者より一層深刻であった。臨床的うつ群では睡眠時間が平均4.8時間であり、慢性的な睡眠障害に陥っていることがわかった。   
このような状況に対する支援は、暗黙の了解のうちに介護する母親を前提として機能するものであり,母親の介護を他者が代替する制度はごくわずかしかなく(土屋 2002)、訪問看護なども余り活用されていない。本来ならば在宅支援の利用により母親は休息できるはずだが、重度障害新生児は予後不良であること、ケア自体が子どもの生死にかかわることから母親は子どもから一時も離れることができず、いわゆる囲い込みをする。このような現象は他者から見れば、親の権利を行使しているようでもあり、親の義務的行為とも成りうるのであろう。

3. ケアにおける「子どもの最善の利益」
以上のように、主に母親が子どものケアを担っている状況を、親子の権利義務関係の観点から検討を加えたい。
新生児は自らの権利を主張し行使する能力を持たないため、親が子どもの代行者となり、医療者は子どもの治療を行う際には、親の同意が必要である。親は、子どもの治療方針決定に参加することで同時に子どもの最善の利益に基づいた決定を行う義務と責任を負う。そして、社会的合意のもと親子という親密な関係性にケアが義務として位置付けされ、子育てという概念のなかにケアが吸収されていく。故に、現在の重度障害新生児の在宅支援が不足している状況において、在宅移行を拒否する親も、ある意味、納得のいく合理的な選択であるとも言える。
囲い込みという母子一体化した空間において、母親は自らの疲弊を自覚しつつも、ケアの苦痛を周囲に訴えることは、子どもの存在否定、ひいては自身のアイデンティティ喪失になることを恐れ、限界まで耐えている。このような状況は、あたかも子どもと母親の利益を満たしているように見える。しかしながら、母親の疲弊は明らかな不利益であり、子どもの利益が必ずしも母親の利益になるとは限らない。重度障害新生児と母親の分離が困難であるならば、各々の利益を分けて考慮する必要がある。親は必ずしも子どもの最善の利益を最優先しているとは言えず、支援不足からそのように決定せざるを得ない状況が作られている。仮に、ケアの場面における「子どもの最善の利益」がアーチャードのいう「可能な限り最良の養育を受ける権利」であるとすれば、この権利を実現できない状況に親を置いている要因が問われるべきだろう。

4. まとめ
 子どもの治療方針決定および在宅移行後のケアのあり方を親の権利義務(養育)という観点からみてきた。家族という親密な人間関係によってケアが担われている点は成人(高齢者、障害者)と同様であるが、重度障害新生児では、母親の自責の念という心理的側面にケアを委ねている点が特徴である。子どもの障害が重度化するに伴い、親子を分離することは一層困難なものとなる。このような状況下にある、親(特に母親)の介護労働に対する有効かつ実用的な公的支援を確立することが急務である。

〔参考文献〕 藤原里佐,2006,『重度障害児家族の生活 ケアする母親とジェンダー』明石書店./ 大江洋,2004,『関係的権利論 子どもの権利から権利の再構築へ』勁草書房./ 櫻井浩子・西脇由枝,2008,「医療的ケアを必要とする子どもの在宅介護を担う母親の状況」『立命館人間科学研究』17:35-46./ 田村正徳・玉井真理子,2005,『新生児医療現場の生命倫理 話し合いのガイドラインをめぐって』メディカ出版./ 土屋葉,2002,『障害者家族を生きる』勁草書房.

*作成:岡田 清鷹
UP: 200904220 REV:
新生児/障害新生児の治療停止/選択的治療停止
TOP HOME (http://www.arsvi.com)