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「1990年代以降の高齢者医療政策の変容―「入院期間の短縮」から「早期退院」へ―」

第7回福祉社会学会報告要旨
於:日本福祉大学 2009/06/06
仲口 路子有吉 玲子野崎 泰伸


1990年代以降の高齢者医療政策の変容
−「入院期間の短縮」から「早期退院」へ−
○仲口 路子(立命館大学大学院/京都橘大学)・有吉 玲子(立命館大学大学院) 野崎 泰伸(立命館大学非常勤講師)

1. 報告の目的
1990年代から2000年代は,日本の(高齢者)医療の政策的展開においてさまざまな意味で大きく舵取りがなされたといえる.その中から本報告では特に,「入院」と「退院」をめぐる政策的展開に照準して考察する.医療現場では古くから「早期離床」や「入院期間の短縮」ということは言われ,それが目指されてもきた.しかしそれはここで政策的課題(用語)として明示されている「早期退院」に端的に収斂される問題ではなかった.そこで,ここに関わる政策展開と影響について,具体的な政策の変遷と言説を参照しつつ,ここで指摘しうる一種のパラダイムシフトにかかわる問題を整理する.

2. 1990年代の変遷:バブル崩壊から「自立」へ
1990年代から2000年代における高齢者,とりわけ「寝たきり老人」をめぐる言説と日本の医療/福祉制度の転換について,われわれは先の「第6回福祉社会学会」で報告した [1].その詳細はここでは触れないが,おおまかな流れとして概観するならば,それは「財源の不足」と「財政」の問題が顕在視され,ひとつにはそれがしだいに「自立」(あるいは自律)といったタームに収斂されていった過程としてみることができるだろう. 90年のバブル経済崩壊による財政の急激な悪化を背景として,とくに政策立案者側からは「租税以外の財源として保険料,とりわけ高齢者自身の保険料負担導入が注目されるよう」〔和田勝2008〕[2] になってくるなか、この時期すでに医療の必要のない老人の長期入院が,医療費削減のための介入対象として「社会的入院」という表現を通して注目されており,1990年代の高齢者福祉をめぐる制度の変遷は,本来は対立し合うはずの利害と 意図をもつ様々な立場から出された言説が,高齢者の「自立」というキーワードに収斂して(あるいは回収されて)いったといえるだろう.

3. 2000年代の変遷:医療制度改革と専門職集団の順応
 続く2000年代は,小泉政権(2001年3月〜2006年9月)の医療制度改革が行われ,それには2つの側面があった.1つは歴代政府で初めて医療分野への市場原理導入(新自由主義改革)方針を閣議決定したこと,もう1つは伝統的な医療費抑制政策を一層強めたことである.2000年といえば「介護保険法施行」ではあるが,さらに,とりわけここではその両輪とされる「後期高齢者医療制度」に注目する必要があるだろう.「後期高齢者医療制度」は医療制度改革の一環として、第3次小泉改造内閣が提出し成立した「健康保険法等の一部を改正する法律」(2006年6月21日公布, 2008年4月1日施行)により,法律名を従来の「老人保健法」から「高齢者の医療の確保に関する法律」に変更し,その内容を全面改正するとともに,制度名を「老人保健制度」から「後期高齢者医療制度」に改められ,またその目的も変更されている.それは老人保健法第1条にあった「健康の保持」から「医療費の適正化の推進」の文言というふうに変更されているものである.またこの流れを受けて2000年代で注目しておかなければならないことは「平成20年度診療報酬改定」である.診療報酬改定はおよそ2年ごとに行われているが,「後期高齢者」の入院に関連して概観するととりわけ今回の改訂には特筆すべき事柄が多いように思われる.その改定ではいわゆる入院から在宅、介護への誘導,ともいわれるような改定がなされている.
このような変遷を受けての医療専門職集団,とりわけ医師・看護師らの動きはどのようなものがあったのだろうか.ここでは特に「クリティカルパス」に着目してみる.「クリティカルパス」は1997年ごろから日本に導入されてきたとされ,その後の医療制度改革の動きと相俟って多くの病院に浸透した,とされている〔坂本2007:2-3〕[3] .

4. 「入院期間の短縮」から「早期退院」へ:問題のすり替え?
 歴史的に概観してくると,とくに1973年の老人医療費無料化から,1982年の老人保健法制定,すなわちそれは「高齢者の医療費の負担の公平化と壮年期からの総合的な保健対策による高齢者の健康の確保を目指して」いた[4] のであるが,これに至る契機として「悪徳病院批判」〔和田1982:187〕[5] あるいは「病院のサロン化」や「スパゲッティ症候群」のような言説や用語が一定の効力を有し,そのために「医療費の負担の公平化」が図られたのであるが,これは端的にその「悪用する(できる)システム」が問題化(視)される必要があったのにもかかわらず,そうではなくて,医療の権力と不当な金儲けや悲惨な状況の発生がときに親和性を持つことに立脚した批判となって,そしてその解決策としての「公平な負担」の導入ということにつながっていた.ここにひとつの問題の転換の仕掛けがあるだろう.さらに言及するならば,これは「採算の合わない患者」は「在宅へ」〔立岩2004:295〕[6] といったことをそのまま正当化し,そういった言説の再生産にも寄与してしまっている,といった指摘も可能なのではないだろうか.
 さらに,90年代から2000年代の変遷を概観しつつ,ここではとくに「早期離床」や「入院期間の短縮」から「早期退院」への流れを確認しておく.そこでの流れはすでに見たとおり,端的に「予防」に力点を置きつつかつ,入院加療が必要となった場合には「早期退院」を目指す,そのためにはその「工程」を明確化し,それにのっとり「計画的に」診療・治療・看護ケアを整備する,ということである.また一方で受け皿としての「在宅」(地域支援)を整備し,「社会的入院」の問題をも解決していこうとするものである.そこで,われわれは先に見た80年代の問題のすり替え,ないしは「問題の転換の仕掛け」に再び陥ることのないよう,ここに十分注意し考察することが必要なのではないか,と考える.医療と福祉の線引き(綱引き)の問題を背景に,あるいは前提としながら,「財源の不足」といった根拠付けの言説が強化されてきた.入院期間は短いほうがよい,あるいは「不必要な入院」はないほうがよい,といったことはあるだろう.しかし,その解決策としての「早期退院」に飼いならされる以前に,「質を保ちながら同時に開放的なやり方を見つけていくこと」〔立岩 2004:316〕[7] が重要なのではないだろうか.そしてそれはもちろん,『「基本的ニーズは無条件に保障されるべきだ」という規範が、「資源の有限性」に優先されるということ』[8] と符合している.


[1]2008.06. 仲口他「1990年代〜2000年代における「寝たきり老人」言説と制度−死ぬことをめぐる問題−」http://www.arsvi.com/2000/0806nm1.htmなど参照
[2]2008.02.20. 和田 勝 編「介護保険制度の政策過程―日本・ドイツ・ルクセンブルク国際共同研究」東洋経済新報社
[3] 2007.07.30. 坂本すが監修「ナースのためのつくれる・使えるクリティカルパス」学習研究社.
[4]厚生白書 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz200001/b0038.html参照
[5]1982.08. 和田 努 老人で儲ける悪徳病院」エール出版社.など
[6]2004.11.15. 立岩真也「ALS不動の身体と息する機械」医学書院.p295
. [7]2004.11.15. 立岩真也「ALS不動の身体と息する機械」医学書院.p316.
[8]2007.09.16-17. 仲口他『1990年代の「寝たきり老人」をめぐる諸制度と言説』http://www.arsvi.com/2000/0709nm1.htm参照.


*作成:仲口 路子・有吉 玲子・野崎 泰伸
UP: 20090602
全文掲載  ◇第7回日本福祉学会
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