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「アメリカにおける脱入院化――ケネディ教書以前とその後」

三野 宏治 2009/06/07 第7回社会福祉学会報告原稿 於:日本福祉大学名古屋キャンパス


「アメリカにおける脱入院化――ケネディ教書以前とその後」
20090607/ 第7回福祉社会学会
立命館大学大学院 三野宏治



【はじめに】
アメリカの精神医療における脱入院化の大きな転機は、1963年の「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書」(Special Message to the Congress on Mental Illness and Mental Retardationいわゆる「ケネディ教書」)である。精神障害者の置かれている現状を批判し、地域でのケアを謳ったことが評価されているが、その教書を転機に始まった「脱入院化」にたいしては、退院後の地域支援策のなさへの批判が主である。
地域ケアへの移行に関していうと、教書の出された1963年以前に、精神衛生運動などの動きがすでにある。また、脱入院政策後の地域ケアの無さを原因とした問題は指摘されてはいるが、その対応についての言及は多くはない。
本発表では、1963年以前の出来事に関して少しふれ、「ケネディ教書」の成立過程と問題点を、教書を受けての「脱入院」施策後から1980年『精神保健体系法』までの状況を、政治的あるいは経済的要因を含めのべる。


【20世紀初頭から第2次大戦直後までの精神障害者を取り巻く動き】
1817年、アメリカで最初の「道徳療法」を行う精神病院が開設される。1)1830年代に「アメリカのピネル」と呼ばれたドロシア・ディックス(Dorothea Dix)は「道徳療法」を特徴とする人道的および治療的観点に基づく精神医療の改革運動を行う。(Committee on Psychiatry the Community [1978:37])。2)その結果、治療の主たる場が地域から州立病院へと移るが、次第に州立病院への入院数の増加、予算の減少などの要因で処遇は劣悪なものになる。3)
 20世紀初頭には、精神障害者やその受けている処遇について調査研究あるいは運動が起こる。4)この時期の重要なものとして、クリフォード・ビアーズ(Clifford Beers)の活動と彼の自伝的書物『わが魂に逢うまで』(A Mind That Found Itself 1909)があげられる。5)
20世紀に入ってからの調査や運動は、病院外での生活に関心を持ち、直接退院を促すものであったことから人道的な措置として脱入院が構想されており、脱入院化の萌芽はすでに見ることができる。
 第2次世界大戦をきっかけに1946年、全国精神衛生法(National Mental Health Act)が制定される。この法律の主な目的は、予防的な衛生施策を発展させることであった。6)

【ケネディ教書とそれに至る調査】
1955年の公的な病院(連邦立、州立および群立)の数は352、入院者数は56万人に及ぶ。同年、精神衛生研究条例(Mental Health Study Act)が議会を通過し、同条例に基づき、「精神疾患の人間的、経済的問題と精神病者に対する診断、治療、看護、リハビリテーションに利用される、資金、方法、技術の国家的分析と再評価」という目的をもった「精神疾患と精神衛生に関する合同委員会」7)が設立される。(Committee on Psychiatry the Community [1978 =1980: 40-1])
1961年、ケネディ大統領は就任後すぐ、精神発達遅滞者のための「大統領パネル」を 置し、重要ポストを姉のユーニスに与えた。
合同委員会は1961年のレポート7)(Final Report of the Joint Commission on Mental Illness and Health)で「精神病院の規模を減少させ、その財源を増大させ、地域へサービスを拡充させることにより精神病院を改革する」(Joint Commission on Mental Illness and Health [1961])旨を記述している。8) この合同委員会の勧告をうけケネディは教書で以下ように述べる。

精神病および精神薄弱は直面する保健問題のうちで最も火急のものであり、きわめて大量の人的資源を浪費し、国家財政および個々の家族の大きな経済的負担となっている。納税者である国民に課せられたこの税金の総額は、年間24億ドルをこえ、これが直接公的経費にあてられているのであって、約18億ドルが精神病、6億ドルが精神薄弱の対策にあてられている。これに福祉対策費や人的資源の浪費という間接的な公的支出を加えれば、さらに莫大なものになる。しかも患者自身と家族の苦悩は、こういう財政的な数字を超えたものである。ことに精神病と精神薄弱はいずれも幼児期に発病することが多く、一生患者にとって障害となり、その家族には生涯の苦労となるのである。……
1 精神衛生に関する国策
  私は精神病者の医療にまったく新たな重点施策と方針を打ち出すために、国家的精神衛生対策を提案
する。……
州によっては、五千、一万、時には一万五千人の患者を、職員不足の巨大な施設に詰め込まざるを得ない状態である。その多くが経済的理由のためとされているが、こういうやり方は、人的にも損失であり、真の経済的見地からみれば高価につく。このことは次の統計が明らかに物語っている。……
  もし医学的知識と社会の理解が十分に活用されるなら、精神障害者はごく少数を除いてほとんどすべてが、健全で建設的な社会適応をかちとることができる。精神病のなかでも最も多い精神分裂病が、3人のうち2人までは治療可能であり、6カ月以内に退院させることができることが実証されている。だが現在のような状況では精神分裂病の入院期間は平均11年に及んでいる。11の州では近代的な技術によって、精神分裂病の入院患者は、10人のうち7人までが9カ月以内に退院している。さらに一例として、ある州では要入院の患者に対してあえて入院に代わる方法を計画した結果、患者の50パーセントを在宅のままで治療するのに成功した。精神障害に対する一致した国策が今こそ可能であり、意義あるものとなった。
 広汎な新しい精神衛生対策を押し進めるならば、10年か20年のうちに、現在監置的医療を受けている患者の50パーセント以上を減らすことができよう。多くの患者が自分自身にも、家族に対しても、苦しみを与えずに家庭で生活させられるようになり。入院患者の社会復帰も促進されるだろう。患者はほとんど例外なしに、有益な人生をとりもどすことができ、精神病にともなう家族の不幸をなくすことができる。そしてわれわれは公的資金を節約し、人的資源を保存することができるのである
(野田[2002])

また、地域ケアへの移行について1978年の分析9)では次のようにある。

当局の分析には"ある地域の外来診療所とリハビリテーションセンターの経験からすると、多くの精神患者は、外来通院ベースで病院より安い費用で、より良い治療ができるだろう"という見方が含まれていた。連邦政府がつきあげ始めた頃から、立法者らは病院医療より良いばかりではなく、安上がりであるという考えに魅せられていた。このように地域医療に対して合同委員会は、立法するに際し経済的な面を強調しているが、効果的な地域プログラムには金がかかると認めている。……政府は立法化に際して委員会のレポートについて多くを受け入れたが、基金を増加させることが必要であるという決定的な勧告には留意することがなかった(Committee on Psychiatry the Community [1978 =1980: 41-2])
合同委員会の勧告は「ケネディ教書」は地域でのケアを十分することは、多くの精神障害者の退院と社会復帰につながり公的資金の節約になると述べる。後年の評価も「地域移行することによって、不必要な入院を防ぎ医療費を抑制するものであったが、起草時より地域移行には金がかかった」というものである。

【脱入院化】
教書の後、「脱入院化」によって地域に出た精神障害者を取り巻く環境は、後年の指摘にあるようにように悪い。その原因として急激な患者の退院とそれをケアする地域資源の無さ、中でも地域におけるケアの拠点である地域保健センター(Community Mental Health Center 以下CMHC)10)の不足であるとされる。
当初計画では、収容施設化した公立病院から、その他の精神病院に代わるべきリハビリテーションを行う地域資源(alternative of mental hospitals)に移し、そこでケアを受けることが提言されていた。その基幹となるのがCMHCであった。ケネディの計画では、人口20〜40万の地域を担当するCMHC を1500作る予定だったが、1970年代後半でもCMHCの数は600ほどである。これは当時ベトナム戦争の戦費拡大にともなって地域の精神疾患ケア予算の削減という経済的原因があるとされる。
しかし、CMHCやそのたの地域ケアに対する資源の量的不足だけではなく、地域生活を支援するといった視点の不足でもあったとする考えもある。
CMHCの基本機能として考えられたものは以下の5つである。
1:入院治療 2:救急サービス 3:部分的入院 4:外来治療 5:コンサルテーション、教育。 そして、医師、看護、心理、ソーシャル・ワーカーなどの他職種から構成されており、人的配置からは社会的、心理的ケアを提供できるものであった。しかし、実際には慢性患者のケアよりも危機介入に重点を置いたため、慢性患者に対応することが少なかった。(松下 [1999:26])また、当時の精神保健の専門家(医師、心理士、PSW)に対する訓練は診断と治療に焦点を当てたもので社会的能力の回復のため訓練はほとんどなかった。(Ciardiello:[1988:16-7])
また、メニンガーは結果として患者のホームレス化を生んだ脱入院であるが、現代では統合失調症の陰性症状として挙げられる無気力、依存、自発性の欠如などを、施設症として捉え、退院させるとそれらの症状が軽減されると考えた。つまり、地域の新しい施設が障害の慢性化を予防するという大きな期待があったとされる。(松下 [1999:27])
また、州立精神病院での処遇改善を求めた裁判が患者から起こされた。結果的に患者側が勝訴し、処遇改善が病院に言い渡される。しかし、戦費の拡大による財政難の状況下おいて、この病院改革は「脱入院化」を一気に進めることとなる。11)

【地域での暮らし】
1978 年に調査を行ったバサック(Bassuk)次のように述べている。

1973年のアメリカの精神障害者の総数は520万人とされ、そのうちの320万人が地域で生活していたことになる。これらの人たちのなかには社会参加が可能で自立している人もいたが、引き続きケアの必要な重い障害を持っている人が大部分である。しかし、入院加療中の28%を除く精神障害者のうち、CMHCによってケアされているのは23%に過ぎず残りの49%は公的な精神保健サービスを受けていない。巨大精神病院の入院患者は20年間に1/3に減った代わりに、思い症状を持つ慢性患者が何らの支援も受けることなしに、敵意に満ちた地域社会の孤独な生活の中に投げ出されている・・・…
また、1979年4月2日号のタイム紙は「ニューヨーク、マンハッタン上流の偏見の少ない地域の市民でさえも、精神病院を退院した元患者をたくさん抱え込んで悲鳴を上げている。革新の立場に立つマンハッタン選出のニューヨーク市会議員アントニオ・オリヴィエは、精神病患者のやみくものダンピング(放出)によって、いまアメリカのいたるところの都市に精神病者の居住区・無法地帯が作り出されている。脱施設化(deinstitutionalization)などいう政策は理不尽だ」という趣旨の記事をトップに載せている(秋元[1991:90-1])。
さらに、脱施設政策を理論として支持してきた精神医学の有力な専門家からの脱入院批判からも地域での精神障害者の様子がうかがえる。

ニューヨーク市福祉局精神保健部長のロバート・リーチは「慢性精神病病者のケア- 国家的恥辱」という論文で「ニューヨーク市には5千を超すナーシングホームのベットがあるが、その半分は精神病院を退院させられた慢性精神病者で占められている。これらの多くは失敗したモーテルか、古びた旧式ホテルの転業者によって経営され、ただ、部屋と賄いを提供するだけである。……元患者の多くは、場末の簡易旅館に集まってくる。そこには売春婦、出獄者、麻薬常習者たちのねぐらである。元患者たちは最も弱いグループに属するから、彼らは容易に現代社会の掠奪者の餌食にされ、暴力の犠牲者、身体的侵害の被害者にされてしまう。…… 孤立無援の精神障害者を敵意に満ちた地域社会に放り出そうとする現在の政策は道義に反し、非人道的である。それは、中世の精神病者が街をさまよい、悪童たちが彼らに投石する情景の再現にほかならない。これこそまさに国家的恥辱 (national disgrace)である。  
また、アメリカ精神医学会の前会長ジョン・A・タルボットは脱施設化政策の蹉跌を正し、修正するために活動を行っており、この問題に対する多くの論文をかいている。そのひとつアメリカ精神医学会の機関誌の巻頭論文「慢性精神病者のケア-それは依然として国家の恥辱である」(1975年)で次のように述べている。
ロバート・リーチは精神病者の置かれている状況を国家的恥辱であると警告したが、その後事態は改善されていないばかりか、かえって一層悪化している。その原因は脱施設化12)の強行にもかかわらず、地域サービスに対する連邦政府及び州政府の財政処遇が伴っていないこと、それどころか財政引き締めの的を精神保健サービスに絞っているからである……地域で自立しようとする精神障害者が必要としているのは医療サービスだけではない。就職、住居、教育、職業的、社会的リハビリテーションなどの幅広い援助サービスである(秋元[1991:93-94])

リーチの論文では、退院後多くの患者が暮らしたナーシングホームの実態13)を知ることがでる。また、タルボットは医療や保健ではなく福祉サービスが必要であると言及している。
これらの状況から、1977年国立精神衛生研究所(NIMH)は、CMHCが取り組むべき課題として、慢性精神障害者に対する地域支援システムの開発奨励であるとし、資金援助を始める。14)

【カーター大統領政権の政策】
このような状況のもと、1977年カーター大統領の政権下大統領の諮問機関として「精神衛生調査委員会」(The Commission on Mental and Health)15)が発足する。委員会は、「ケネディ教書」以降の状況を調査し、最終報告15)を1978年4月27日ホワイトハウスで正式にカーター大統領に提出する。内容は「CMHCの整備、増設と共にそれ以外の多様な精神保健サービスが計画され、具体化されなければならない。地域の現状に見合う創意と工夫に富んだボランティアの活動が必要である。政府はそれぞれのレベルにおいて、これらのボランティアに資金援助を行わなくてはならない。地域に自然発生的に生まれた障害者家族、牧師、ボランティア、セルフヘルプグループなどの民間活動は精神障害者の地域生活の役に立っているにもかかわらず、正当に評価されていない。その助成を図ることが必要である。地域で自立しようとする精神障害者のための職業リハビリテーション及び雇用の拡大のための具体的施策が連邦、州、地方自治体に講じられなければならない。
……いまなお、ほとんどの精神病者が未治療のまま社会の片隅に打ち捨てられている。アメリカはもっと多くの資金と人を彼らのために投じなければならない」(秋元1991:95−97)16)といったものである。
その後、 1980年10月7日、報告書の提言を骨子とした新しい法律「精神保健体系法 Mental Health Systems Act」が成立する。1981年から1984年の会計年度までに精神保健についての予算7億1950万ドルが計上され、その大部分が大統領委員会の報告書の勧告に基づいて地域精神保健サービスに用いられることになった。

【おわりに】
 ケネディ教書を軸に本発表を行うと起草したのは、脱入院という事態を経て地域に精神障害者があふれたことに疑問を感じたからである。 
発表者は精神障害者の社会倫理リハビリテーションの一つであるクラブハウスモデル研究を行っている。クラブハウスは退院後の苛烈な状況の下孤立と孤独を克服するために、「我々は一人ではない」を合言葉に集まったのが最初である。
 退院後の行き先のなさについては日本でも少なくないのだが、アメリカにおいての行き先が住居を含むという点においては、我が国と状況が違う。しかも、1960年代後からは地域の一部がゲットー化するほど多くの精神障害者が過酷な状況に置かれていた。日本ではそのような事態は考えにくい。
 現在日本において、精神科病院の社会的入院が問題になっている。それは退院しても地域社会に、物理的あるいは人的サポートといった受け皿がないことが一つの大きな問題だとされ、条件整備を行政の音頭取りで医療や福祉が行おうとしている。「条件さえ整えば退院はできるが、現状では退院しても地域ではすむ所もケアも受けることが出来ないから退院させられない。」と行政や医療、福祉はいう。   
社会的入院が問題として顕在化してきたのは近年であるが、社会的入院という概念ができるまではそのような事実がなかったかというそうではない。それに対して退院を促す動きや条件の整備が地域でなかったわけでもない。病院や保健所、地域の医師や保健師、PSWが退院後の住み家としてアパートを探し、グループホームのようなものを作りしてきた歴史がある。ただ、全国規模で行われなかったため歴史的には目立たない。
 19世紀ディック女史は良質の医療を行う拠点としての州立病院が求めた。20世紀初頭にはビアーズが病院での処遇改善を求めた。この精神障害者に対する処遇改善は脱入院政策のきっかけとなった「ケネディ教書」でも謳われている。教書では入院医療より地域ケアが精神病/障害者にとって良質の生活をもたらすと述べられている。対して、その後地域ケアがうまくいかなかった。今回、脱入院が突然起こったことではないこと、そこに至るまでのさまざまな出来事があったことがわかった。しかし、その歴史的にはあまり大きくない出来事、あるいは時間の経過によって「政治的要因」であるとか「経済的要因」というように総括されてしまう事象について明らかでない点も多い。これは報告者の今後の課題でもある。
 前述したように、わが国においても社会的入院解消のための退院促進は現在事業化され全国で行われており、それは突然退院促進の取組がおこったわけではない。各地域の地道の取組が、行政の施策という経済的や法的な根拠をもつことによって全国規模になっている。もちろんこれら「脱入院化」のアイデアと蹉跌を現代日本の状況になぞらえて考えることが出来ない。ただ、社会的入院患者に対する退院促進を政策として掲げられる一方で、その政策のもと地道な実践を行う人達がいる。将来これらの取り組みを、「日本における退院促進についての様々な取り組み」とせず、政策がその理念や実践からの由来であることについて確認の一助となることを願う。



*作成:三野 宏治
UP:20090623
全文掲載  ◇アメリカの脱入院化
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