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「1950-60年代のトランキライザーの隆盛」

第7回福祉社会学会報告要旨
於:日本福祉大学 2009/06/07
松枝 亜希子
  


1950-60年代のトランキライザーの隆盛

松枝 亜希子(立命館大学大学院)


【1.問題の所在】
現在、保険薬として処方されている向精神薬、トランキライザーは、1950-60年代、市販され広範に流通していた。ノイローゼに効く薬として、新聞・受験雑誌などに広告が多数掲載されており、製薬会社にとっては「売れる」商品であったという。製薬会社はこれらの薬のどのような薬効の宣伝を展開したのか、精神に効く薬としての位置付けはどのようなものだったのか。また、どのような経緯によって市販薬から保険薬へと移行したのかを明らかにする。

【2.方 法】
1950-60年代に発行された新聞・雑誌の記事・広告、行政資料の言説分析によって検討する。

【3.トランキライザーの流行】
トランキライザーとは、「抗精神病作用のあるものをメジャー・トランキライザー、神経症不安に有効なものをマイナー・トランキライザーという呼称が広まり、現在では単にトランキライザーといえば「抗不安薬」に相当する薬物を指す」(風祭 2006)という。
欧米でのトランキライザーの位置付けは以下のようなものであった。「『ママの小さなお手伝いさん』とは錠剤である。ミルタウン、アンフェタミン、バルビタール、リブリウム、ヴァリウムは、50年代と60年代初頭にもっとも人気が高く、広く手に入った薬剤で、女性をつけあがらせないために、また不快であるべき状況でも女性が快適でいられるために、さらにはどうでもいい仕事に集中させるために使われた」。(Kramer 1993=1997)
では、日本国内においてトランキライザーの薬効はどのように紹介され、どのような向精神薬と見なされていたのか。
1950年代半ばに発売され、広く流通したトランキライザーに「アトラキシン」(代表的商品名、一般名はメプロバメート)がある。「アトラキシン」は、「ノイローゼ・不眠症・肩こりに」効くと売り出された。1950年代半ばから60年代初めにかけて、新聞・雑誌などに広告が多数掲載された。その際の広告コピーは「文化人病・都会人病の新しい薬」「日曜日を買う薬」「奥様は多忙」「赤ちゃんの夜泣きに」などである(配布資料、参照)。
「アトラキシン」とは薬剤の成分を異にするトランキライザーとして、1960年代初めには「コントール」「バランス」という商品が発売された。これらの薬はたいへん売れる商品となり、「アトラキシン」同様、60年代初めから半ばにかけて新聞に広告が掲載された。宣伝文句は「ノイローゼ 不眠に!」「バリバリ 仕事!」(以上、「バランス」広告コピー)、「気を楽にするクスリ」「気苦労の多い奥さま!」(以上、「コントール」広告コピー)などであった。
 また、当時の医薬評論家の新聞コラムからトランキライザーがどのような向精神薬として一般に認識され、服用されていたのかがわかる。「といっても、この新薬はいわゆる精神安定剤(トランキライザー)の一種。今までのこの種の製剤は人間の気持ちを安らかにするばかりでなく、ニワトリや乳牛、ヒツジなどに与えて不安な気分を安定させ、産卵数、乳量、羊毛をふやし、なかには競走馬にやって能率をあげるとか、それに結婚式の花嫁花婿、のぼせやすいスポーツマンや近く展開する入試地獄の受験生に落ち着きを与えるというので、精神衛生方面では、日本でも数年前からよく使われている」(橋爪檳榔子,1962)。

【4.トランキライザーの規制】
このように市販薬として広範に流通したトランキライザーが、なぜ保険薬へと移行したのだろうか。まず、トランキライザーの代名詞であった「アトラキシン」は、1961年頃に乱用が問題となり、依存性が強いということで、薬局での自由販売が規制された。それに代わる有力商品として、先に述べた「コントール」「バランス」が販売されたのだった。
また同年の1961年は、非行少年の睡眠薬遊びの流行が社会問題化した。その結果、政府は同じ年に、睡眠薬を安易に売買できないよう措置をとり、向精神薬を含む大衆薬に対する規制強化が始まった。1961年はまた、サリドマイド製剤に催奇形性のあることが報告された年でもあった。つまり、1960年代初めは、薬の乱用または副作用による被害が顕在化して社会問題になると同時に、政府は大衆薬の販売に対して何らかの対処を求められていたといえる。
1958から63年にかけては、薬店による薬の乱売合戦も問題化している。薬の乱売は1958年頃から大阪の薬問屋街で問屋が安売りをしたのをきっかけに急速に全国に広がったという。また1966から67年には、大衆薬の乱売、乱用といった記事が新聞などで頻繁に取り上げられるなか、「かぜ薬やビタミン剤などの大衆薬は効くのか、薬価は適正か」という議論が起こった。薬を取り巻く状況・行政への関心が高まったことへの対応として、政府は1967年に厚生省通知「医薬品の製造承認等に関する基本方針の取扱について」を通達した。内容は、医薬品を「医療用医薬品」と「その他の医薬品(一般用医薬品)」に分けるものであり、医療用医薬品は、医師の処方せんなしに薬局で販売することはできなくなった。これ以降、トランキライザーも市販されることはなくなった。

【5.まとめ】
 トランキライザーが市販されていた当初、ノイローゼや不眠に効くという宣伝文句の広告が新聞・雑誌に多数掲載されていた。受験生や多忙な人が気分を静めるものとして服用し、非常に売れる商品であった。しかし、幾度かの段階をへてトランキライザーの市販には規制がかかっていく。それは、トランキライザーの乱用が問題になったことが大きな要因ではある。それに加え、睡眠剤や風邪薬、ビタミン剤などの副作用や乱用、乱売といった大衆薬をとりまく状況が問題化していたことが背景にある。行政のそれらの対応への一つとしてトランキライザーも市販薬から保険薬へと切り替わっていったといえる。
 
<文 献>
橋爪檳榔子,1962,「精神安定剤の功罪」『讀賣新聞』2月6日夕刊:5.
風祭元,2006,「日本近代向精神薬療法史(4)――最初のトランキライザー・メプロバメートとその後のataractica」『臨床精神医学』35(4):425-31.
厚生省五十年史編集委員会編,1988,『厚生省五十年史(記述偏)』財団法人厚生問題研究所.
Kramer,Peter D., 1993,Listening to Prozac.Viking Penguin Inc.(=1997,渋谷直樹監修,掘たほ子訳『驚異の脳内薬品――鬱に勝つ「超」特効薬』同朋舎.)



*作成:松枝 亜希子
UP: 20090602
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