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「意思伝達不可能性は人を死なせる理由になるのか」

『福祉労働』123: pp. 28-35 2009/06/25
川口 有美子
[korean]


意思伝達不可能性は人を死なせる理由になるのか
患者会  川口有美子

コミュニケーションが困難な人 その1
 NさんはALSを発症して2年目に気管切開し、今年で人工呼吸器を装着して7年目という患者さん。同居は奥さん一人。お子さんはいない。元気だった頃は、奥さんとお店を経営していた。職人だから昔から口数は少なかったと奥さんは言う。
 その無口なNさん、なぜかヘルパーの定着率が悪くて療養生活は常に不安定である。某事業所では平成16年からNさんにヘルパーを派遣してきたが、21年4月までの5年間に33人のヘルパーが自主的に辞めるか、Nさん夫妻にクビを言い渡されて事業所も辞めてしまっている。介護派遣業ではヘルパーが資本だ。それを利用者が勝手にクビにしてしまうのでは堪らない。
 それではなんでこのNさんのヘルパーの離職率が高いのかというと、患者がヘルパーに何もさせないからだ。ヘルパーが初心者のうちは奥さんの介護をみて覚える。そうして1、2か月経ったところで、そろそろ自分でやってみる、というプロセスは他の患者宅と同じ。しかし、Nさん、ちょっとしたことでも気に入らないと鬼瓦のような顔になり、頬に張り付けているナースコールをビービー鳴らしつづける。妻は穏やかではない。「また呼ばれた」、「いつまでも役に立たないヘルパーだね」と言いながら、おっかない顔で「どけ」「貸せ」「邪魔だ」。それで、ヘルパーは委縮して何もできなくなってしまう。
 それだけではない。Nさんは「伝の心」という意思伝達装置を内蔵したパソコンを常にサイドテーブル上で起動させているにもかかわらず、「口形を読む」ことを要求する。これが難しい。本人は「あ」と言っているつもりが、「え」にしか見えないからだ。しかし奥さんはいとも簡単に「あ」と読み取ってしまうので、二人の間では読めるのがフツウなのである。でもそんな風には決して読み取れないヘルパーは、またしても二人に叱られるが、その時初めてNさんは意思伝達装置を起動して、「ばか」「かえれ」の文字を打ち出す。
 Nさんはこうして、罵詈雑言にだけ意思伝達装置を使う。決して平和な用途では使わない。それで33人ものヘルパーが去って行った。
 私たちは、吸引や経管注入などもしてくれる介護人を増やす活動をしてきたが、ALS介護の真髄は「医療的ケア」なんかではなくて、コミュニケーションのほうなのだ。多くの患者は意思伝達技術云々の前に心を開いてくれない。ほんの少数に伝われば用が足りるから、不特定多数には「伝えたくない」人である。なのに、やたらに要求が細かく頻繁だ。これでは介護給付をいくら増やしてヘルパーを導入してもほとんどのヘルパーは役に立たないから、家族の負担はなかなか減らない。

コミュニケーションが困難な人 その2
 もうひとつ、コミュニケーションの困難事例として独居ALS患者の話をしよう。Sさん(55歳)は呼吸筋麻痺で病院のベッドで危うく死ぬ寸前だったところを、地元CILが経営する事業所所長のHさんが、採算度外視で彼女の在宅療養を全面的に請け負うことにして助けた。でもやはりここでもコミュニケーションの難しさからヘルパーがどんどん辞めることになり、在宅3年目にしてHさんの事業所もSさんのための支援がかさんで倒産寸前になってしまった。
 それで、この事態を見かねたある著名な神経内科医が、Hさんの肩代わりをしてSさんの主治医になり、県境をまたいで彼の勤め先の難病病床に長期入院できるよう手はずを整えて迎えてくれた。しかし入院後もSさんの言動は変わらなかった。病院の看護体制や主治医に対する不平不満をインターネットで世界に流し続けたのである。
 それを知った主治医は怒ってSさんを難病病棟から一般病棟に移し、インターネットからも遮断した。だから、ある日を境にSさんの消息はこちらからは知ることができなくなっていたのである。しかし、こないだ久しぶりにSさんから私のもとに手紙が届いた。それは、「時間が在り余っているので立岩さんの本を送ってほしい」という文面だった。この手紙の真の要件は「独房に閉じ込められメールもできない。ここから出たいが何とかできないか」というSOSである。Sさんが看護師に代筆させた手紙を病院はたぶんチェックしているから、正直に「助けて」とは書けなかったのだ。
 さすがに気の毒になり、すぐに協会県支部の人に様子を見に行ってもらったが、わざと患者のQOLを下げるお仕置きのような仕打ちは問題なのではないか、という噂もあるそうだ。しかし、Sさんの主治医に対して反対意見を言える職員がいない。
 Sさんを再びITに繋げば、また何をするかわからないので、病院側も今はこのまま彼女を幽閉するしかない。でも、生きている限りは彼女が別の手段に出る可能性は残っている。ということで、まずはコミュニケーションというか、良好な人間関係が築けないALSのケースを2つ紹介した。

NHK「クローズアップ現代」

 「意思伝達ができなくなったら呼吸器を外してほしい。」
 千葉県ALS患者、照川貞喜氏がNHK「クローズアップ現代」(2月2日放送)の番組中でそう発言したことから、にわかにALS患者からの呼吸器外しがクローズアップされている。NHKの取材に対して同氏は意思疎通ができなくなった時点で呼吸器を外すことを、人生からの「栄光ある撤退」と表現し、死ぬ権利を主張した。
 また、彼の主治医のいる亀田総合病院の倫理委員会は、全員一致で照川さんの意思を尊重して、もし意思伝達ができなくなったら呼吸器を外すことに同意したことから、大きなニュースになったのである。病院の倫理委員会は院長に対して、このケースに限っては倫理的にも問題ないと提言したが、院長は我が国の現行法では殺人罪に問われる恐れがあるので、GOサインは出せないとした。そして、共同通信社の取材に対して、国民的な議論にして欲しいと訴えた。
 亀田総合病院の主治医も家族も、彼の要求を普遍化することはできないので、ALSから呼吸器を外せるよう法制化を要請するつもりもないと言うのだが、テレビを見てショックを受けた初期のALS患者は、呼吸器拒否へと傾斜しだしている。また、一般市民には劣悪なQOLに耐えかねても延命措置を外せない哀れな末期患者を強く印象づけてしまった。番組のタイトルが「私の呼吸器を外してください」であったことからも誤解は生じている。照川氏の希望はあくまでも、これ以上意思伝達障害が悪化した場合の一種の「リビングウィル」であるものが、即座の治療停止の希望という風に差し替えられてしまっているのである。
 照川氏の発言には、たとえ片頬がぴくぴくとしか動かない身体でも、現状を維持したいという願いも込められていた。現在のケアに不満はないから、いま直ぐ死にたいというのではない。患者の不安は常に仮定形で、「もし(・・)万が一(・・・)、そうなったらどうしよう」というものなのだ。意思伝達が不可能になるかも(・・)しれない(・・・・)患者らの不安を解消しようと、ITサポーターや光学系の研究者らは以前から、在宅でのBMI(ブレインマシーンインターフェース)の導入を試みてきた。しかし、NHKの放映が一般庶民に与えたインパクトは、終末期の議論から「最期まで読み取る」という要素を欠落させてしまった。その証拠に国のおける終末期の議論でも、進行性患者の抱える恐怖に対して死なせて解決する方法ばかりが議論されていくことになる。


「終末期の在り方に関する懇談会」

 平成20年10月27日に開催された舛添要一厚生労働大臣の「終末期医療の在り方に関する懇談会」に、日本ALS協会会長、橋本操も参考人として召集され、第二回目委員会では大臣の前で発言の機会をいただいた。筆者も橋本参考人の同伴者として第二回目から毎回出席している。そして、ここでもNHKの「クローズアップ現代」の影響力の大きさを思い知ることになった。5月1日現在までに四回開催された会議のうち、第三回目と第四回目でALS患者からの呼吸器外しが取り上げられたからだ。
 2月24日、第三回目では二名の医師、国立病院機構南九州病院(鹿児島県加治木町)の福永秀敏院長(神経内科医)と聖ヨハネ会桜町病院(東京都小金井市)の石島武一名誉院長(脳外科医)がヒアリングを受けたが、その後のやりとりでTLSが話題に上った。
TLSとはTotally Locked -in State. 意識があるのに全身麻痺でどこも動かせないため、意思の発信ができなくなる病状のことである。しかし聴覚視覚は保たれているから受信はできる。

 福永委員「ALSでは事前に意思を確認できていたら、例えばTLSの場合ですけれども、治療の中止という選択肢もあっていいのではないかと思います。言うまでもないことですが、人間はみんな等しく死を免れない運命にあります。超高齢社会を迎えた今、ALSに限らず死を迎える人も、残された人も悔いのないように、健康なときにこそ「人生の終幕」への想像力を働かせることも必要ではないでしょうか。」
(中略)
 石島委員「実はこの前NHKでやりました、福永先生が先ほど言われたALSの患者の話ですが、完全にロックド・インになったらレスピレーターを外してくれという話がありました。あのとき最後の参考人というか、お客様として柳田邦男さんが出て話をしていました。彼は、こういうことは法律には馴染まない、一人ひとり違うのだ、だから患者と家族と医療者と十分話し合った上でやるべきであるということを言っていました。私も誠にそのとおりだと思います。」
 中川委員 「わかります。もう1つ、よろしいですか。先ほど出たALSの患者さんに関するNHKテレビの『クローズアップ現代』での柳田邦男さんの発言は、私も番組を見ましたけれども、あまりに曖昧ではないかと思いました。あのぐらい経験があって息子さんも外傷で苦労されたという経過があるのであれば、もう少しそういう意思を尊重すべき時には尊重するとか、そういう発言があるのかと思ったら、何か非常に情緒的なことを言われたように私は思ったのです。私も脳神経外科をやっていましたから、石島先生は昔からよく存じ上げている大先輩です。石島先生も言われたようにいろいろな考え方がある。そして個人によって違う。だからこそ、まさに本人の意思を尊重することが大切であると思います。意思表示を後方で支える緩やかな法整備も必要ではないかと、石島先生のお話を聞いて逆に思ってしまうのです。」(以上、第三回目の議事から。厚生労働省のサイトに公開されている)注: 医療法人渓仁会定山渓病院の中川 翼院長

 コミュニケーション困難なALS患者のQOL向上に関する他者の責任については、第三回目に南九州国立病院機構の福永医師が講演の中で少しだけ触れたが、議論が深まることはなかった。
 第四回目には、林章敏委員(聖路加国際病院緩和ケア科医長)と樋口範雄委員(東大大学院法学政治学研究科教授)がリビングウィルについての報告を行った。
 樋口範雄委員はリビングウィルの法制化は不要。しかし「いかに死ぬか、いかに生きるかの問題は、法律ではなく、医療倫理と個人の問題意識の在り方で、それは変化していくもの」と、病院の倫理委員会で治療停止の決定も可能という趣旨を述べた。樋口委員はヘルパーの医療行為も現場の倫理でできると主張してきた人だ。
 筆者は「患者の権利」は重要だが、死よりも生存のための倫理と制度の確立が先と考え、参考人席から手を挙げて、「コミュニケ―ションができる/できないの判断は患者本人ではなく、読み取る側が決めるのである。医療現場で多くの患者は無視され、家族や病院の都合のよいようにされている。まずは患者のその時々の気持ちを敏感に読み取ることが重要である」との趣旨で発言した。
 日本難病・疾病団体協議会の伊藤たてお委員や社団法人全国老人福祉施設協議会の櫻井紀子委員も続いて、医師の説明不足について意見を述べたが、時間が限られていたため他の委員に十分に伝わっているとは思われない。

 たぶん、多くの委員は医療や介護の場で、コミュニケーションが困難にもかかわらず注文の多い患者が疎まれていることなどご存じない。しかし今の法律では、いったん呼吸器を使い出せば、患者は生死の選択から解放され、自死に追いやられずに済んでいるのである。もし、後から呼吸器を外せるのであれば、とりあえずは呼吸器を着けるだろうという人もいるし、外せないことを「法の欠缺」と言う法律家や倫理学者もいるが、前に述べた二つのケースを思い起こしてほしい。ケアしきれない(性悪と思われている)患者が自死したいと言うのなら誰も止めないかもしれない。呼吸器を着けない時のように公共的に患者を死なせても罪にならないなら、介護する側からコミュニケーションを絶つだろう。
 おかしなことに、呼吸不全に対して何もしなければ患者は死ぬが、そのような不作為の行為は「自然死」ともいわれ法に触れない。だから、「治療の不開始」は合意が形成されていると思われてしまっているが、まさにその不作為の行為における倫理の欠如を、第四回目で伊藤たてお委員は、「患者や家族が「人工呼吸器を付けてくれ」ということを病院に懇願しているにもかかわらず、「うちの病院では付けません」と言って付けてくれないというのは、これは(延命の)中止になるのか、法律的にどうなるのか」と指摘した。
 嘘だと思われるかもしれないが、患者が呼吸器装着を迷っていても、家族と医者が相談をして、患者にさしたる説明もせずに呼吸器ではなくオピオイド(モルヒネ)で呼吸苦を緩和し、安らかに死なせるなどということもできるのである。

さいごに
 今一度、意思伝達不可能性が人を死なせる理由になるのか考えてみたいが、意思伝達困難な人は介護人にさえ伝わればよく、万人に伝えようなどとはしていないのだ。その要求を感受した者は驚くべき精密さで期待に応えようとするので疲れてしまう。このようなコミュニケーションの本質は、互いの存在を確かめあうことであり、双方ともが他者を排除する性質を持っているから、受け止めた者に過剰な負担が生じるのである。
 この場合、私たちは彼らに何をして欲しいかを聞きださなければならないが、個人あての手紙を盗み読むようなものなので厄介者になるだけである。しかし「勝手にしろ」と放っておくわけにはいかない。うまい方法を考えなければならないが、そこに生存のための倫理が立ち上がるのである。そう考えると、意思伝達不可能性は死にはつながらず、いかに介入し、いかに「読み取る」かにつながっていく。違法性なく死なせられるかという議論の前に「伝えたくない人」との信頼を築くための介護技術と支援を確立しなければならない。

*作成:川口 有美子
UP: 20090624
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