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「エピキュリアスなエンド・オブ・ライフケアを実現する
ALS「人工呼吸器による緩和ケア」にむけて」

川口有美子 2009/06/20 第14回日本緩和医療学会学術大会 発表要旨


エピキュリアスなエンド・オブ・ライフケアを実現する
ALS「人工呼吸器による緩和ケア」にむけて
                
NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会
                                 日本ALS協会 川口有美子


「「安楽死」を回避するエンド・オブ・ライフケア」
 1、人工呼吸器により長期生存を実現し、病状の悪化とは関係なく高いQOLを示し続けるALS患者が日本には大勢いる。(患者さんたちのスライド)

 2、「患者の意見」
 2005年に橋本操(ALS患者)と報告者がおこなったTPPVによる人工呼吸療法中の患者31名に対するインタビュー調査の結果、回答を寄せた20名の患者は全員が意思伝達装置を使いこなし、高いQOLを実現していた。彼らは呼吸不全を解決するTPPVによる人工呼吸の機能も高く評価し、使って初めてその価値や効果が分かるものとして、有効性を率直に認めていた。医師の積極的な姿勢も呼吸器装着を決定する重要な因子であったと肯定的に捉える意見は少なくなかった。
 欧米では、パターナリズムにさえ位置づけられるTPPVの装着であるが、日本では最初は神経内科医が、対症療法的に呼吸器を用いたとしても、躊躇いながらも治療を受け入れ病院から自宅に戻ることができたALS患者が、療養が安定するに従って人工呼吸器を経験的に肯定し、後続の患者に良さを伝えてきた。患者主体の運動の結果、国の支援を継続的に引き出せるようになったとも言える。(スライド)

 3、患者のおよそ3割が呼吸器を装着している日本でも、人工呼吸器という侵襲的な治療による苦痛の長期化や家族の負担を恐れるあまり、安楽死を望みかねないという状況はある。もし、安楽死や医師による自殺ほう助が日本においても法制化されれば、医師の説明次第で安楽死を希望する患者が出てくるだろう。治療や障害、生活に対する不安を取り除くことは、複数の専門職、非専門職が多方面から支援を行う緩和ケアにおいてできるが、家族の負担を取り除くには、介護保障の確立という政治的介入が必要になってくる。患者が万が一の時、呼吸器を外せればと願うのは自分のためだけではない。家族が疲れ切った時に外すという選択も考えているのである。

 4、海外に目を移してみよう。ALSの安楽死とは、医師の処方による薬物を用いて安楽に死に至らす方法のことであるが、オランダではALS患者の20〜25%が安楽死により亡くなっている。(昨年のALS/MND国際シンポジウムのオランダの報告スライド)。その理由は、「窒息死を恐れるため」がもっとも多く、なぜ緩和ケアは行われていないのだろうかという疑問を報告者は持った。

 5、最近、ワシントン州で可決された「尊厳死法」Death with Dignity Act (58.68% (yes) to 41.32% (no))では、医師による自殺幇助を認めている。法律施行後の第一例は膵臓がん末期の患者であった。元SWの彼女は障害で働けなくなり破産。障害者手当を受けて生活をしていた。最後まで法制化に反対していたのはALS患者であった。二人は奇しくも同じ日に亡くなっている。この法律が医師による自殺幇助や安楽死を容認していることに、注意を払う必要があるだろう。(スライド)
 
 6、多くの患者が呼吸器を装着しない欧米では、安楽死という事態を避ける意味あいにおいて、緩和ケアの提供が必要とされることは否定できない(D.Oliver,画像)。日本においても、呼吸器を選ばない者の終末における苦痛の緩和は、呼吸器装着へと進み、長期生存を選ぶプロセスと同様に重要であるという意見もある。
 
 7、「ALSの呼吸筋麻痺までを「終末期」に規定しかねない」
 しかし、たとえばALSに罹患しても「終末期(エンド・オブ・ライフ)」ではない。WHOにおいても「終末期」の定義は一定しない。だから、治らないから「末期」とは、いえないのである。  呼吸筋麻痺をALSのターミナルとし、死にいたる苦痛緩和を「緩和ケア」として位置づける解釈は、安楽死に対抗するケア概念として、長期呼吸療法をほとんどおこなわない欧米では推奨されているが、考えようによれば、人工呼吸器が必要になる状態を「終末期」と規定しかねない。(スライド)

 8、「エンド・オブ・ライフケアを呼吸不全におかない緩和ケアとは」  従来の「緩和ケア」概念は、主として終末期のがん患者を対象とするエンド・オブ・ライフケアを指す概念として了解されてきた。この概念を他の疾患、ことにALSに適用する場合には、人工呼吸器の装着の意味つけをめぐる混乱が生じてこざるをえなかった。  なぜなら、人工呼吸器による長期療養を前提としたケアは、癌等では考えられてこなかったからである。では、終末期を呼吸筋麻痺による呼吸不全におかないという前提で、私たちの考えるALSの「緩和ケア」とは何か。

 9、「難病における緩和ケアの可能性」
 ALS患者および家族のQOLの向上をひたすら目指す緩和ケアの在り方を提案したい。  これを達成させるために必要不可欠な社会的条件について、日本の状況に即して確認してみる。
 
10、@ 難病対策事業
 日本の在宅人工呼吸療法の歴史が始まった昭和30年代後半以来、患者の長期生存は可能になり普遍性をもつに至った。戦争の惨禍を体験して日本では青年運動、労働運動、消費者運動、婦人運動などの盛んな民主主義運動が起き、その中に患者会運動があった。30年代に水俣、森永ヒ素ミルク中毒などの発生とともに、公害病患者や難病患者の運動が活発化した。難治性疾患患者は1972年(昭和47年)に「難病」と定義され、行政は特に医学研究と医療面に関して重点的に支援してきた経緯がある。(スライド)  「難病」は日本独自の概念で、原因不明、根治療法がなく慢性的で介護に著しく人手を要する解決しがたい問題を抱える特徴を持つとされてきた。その後1996年には、難病ケアに関する研究班も国の特定疾患研究事業の一部に設置されている。  患者に対する保障は、1979年(昭和54年)の前橋地裁判決におけるスモン訴訟敗訴から始まったが、その後は専門医や患者会活動の成果により、スモン以外の神経難病にも広がりをみせ、難病研究は国家的プロジェクトとして現在も継続している。(1967年、イギリスではシシリー ・ソーンダースのホスピス運動が開始されたのに対して、日本では社会運動から保障という形で難病患者への支援がはじまっている。)  患者は特定疾患患者と診断された後は、研究費から医療費のほぼ全額に近い助成を受けることができている。こうして在宅人工呼吸の社会的基盤も整備された。具体的には治療費軽減など医療保険上の優遇措置。1996年の在宅人工呼吸器の医療保険適用によるレンタル開始。
1998年の在宅人工呼吸器使用特定疾患患者訪問看護治療研究事業スタート。2000年以降は介護保険、2003年には障害福祉制度である支援費制度の適応など、在宅介護保障も次第に整備され始めた。(スライド)
 在宅療養に必要な医療も保険適応になったことから、全患者のおよそ3割が気管切開を伴う人工呼吸療法に進んでいる。平成15年時点で800名ほどが長期在宅療養をおこなっていた。現在はもっと増加しているはずである。(ALS人口の増加、TPPV人口のスライド)
 
11、A 在宅移行 家族の負担増
 難病政策のおかげで、日本のALS療養システムは、多額の自費請求が生じる米国やNHSで全額カバーされるとしても人工呼吸器をつけたら病院で一生を終える英国と異なる発展をした。(スライド) ゴールドプラン以来、在宅療養が推進され自宅療養に移った患者のQOLは予想を上回り高く保たれることになった。家族同居、家族介護が規範とされる文化圏では当然のことでもあった。患者は自宅療養を強く望みここでも国の政策と合致した。 しかし、介護者の問題は取り残された。一部の国立病院をのぞき、長期入院先の確保は困難になり、家族はさらなる介護負担を担った。
 
12、B 社会で支える仕組みへ
 2000年介護保険、2003年支援費制度、2006年(平成18年)10月から障害者自立支援法が正式に施行され、在宅のALS患者もこれらの介護制度を利用することになった。ただし、現実はたやすくない。在宅療養に関する介護制度はいくつできても、吸引や経管栄養の医療的ケアや、介護事業所やヘルパーの圧倒的不足がネックになり、公費のヘルパーでは十分に支援しづらい面がある。また、自立支援法の考え方を反映する自立支援法の給付量には自治体格差があり、ヘルパーがいない地域では依然として家族に多大な負担が課せられ、在宅療養の継続も家族の暗黙の決定による状況は変わらない。(スライド)
 
13、終末期の決定プロセス
 後期高齢者の人口増加により終末期医療費の急激な増大が懸念される中、射水市民病院での呼吸器取り外しの事実が判明した。これを受けて、平成18年「終末期医療の決定プロセスのあり方に関するガイドライン」が公表されたが、検討すべき課題は以下のように生じている。
 1)病院や家族の意向による「治療の不開始」
 2)人工呼吸器の停止
 3)ALSの緩和ケアと安楽死の接近
 障害がさらに進んだ時には事前指示書により呼吸器を停止して欲しいというALS患者も現れた。「一度着けたら外せない」ために、最初から呼吸器を断念する患者もいると言われてきたが、法が整備されればこのような患者には、第三番目の選択肢(試しに着けてみても、いやだったら外すことができる)を用意できるといわれる。
 だが、一方で諸所の理由(家族の負担や家計の困窮などの病気以外の理由)から、不本意にもせっかく馴染んだ人工呼吸器も外さねばならない状況に追いやられる患者がでるのではないかとも懸念されている。すでに呼吸器の取り外しができる海外では、患者の命はますます軽くなり、生存権で戦えなくなり呼吸器を付けにくい環境に傾斜した点に注意を払うべきである。
 患者の生活(家族関係や家計)の改善も考慮せずに、治療を開始しなかったり、停止したりすることは倫理的に問題である。安定期にあるALS当事者からの呼吸療法停止は、「生の崩壊」(川島孝一郎)。積極的安楽死とする見方も少なくない。
 ワシントンDCで最期まで尊厳死法に反対したALS患者の懸念も、障害や貧困が理由で、安易に死を選択する末期患者が増えることにあった。(スライド、緩和医療が陥りやすい罠)

14、共約不可能性を乗り越える 
 末期がんや欧米諸国で完成されているNPPVまでを終末期とするALSの終末期の緩和ケアとは、まったく異なる側面から日本のALS医療は独自に発展してきた。
 ALSのEnd-of life care の議論は、価値の対立のようであるが、重要な議論の多くは取り残されている。個々の価値観を超えた普遍的な支援の在り方が求められている。  「ラムジーは求められているのは、死に行く者を「治療」から解放して死なせるとともに、医学的適応がある治療や緩和療法を怠らないという「誠実な実践」のみであるという。」この香川[2006:258]の指摘は当たっている。「二者択一ではなく必要なのは調停である」(ラムジ−)。
さまざまなALSの人々の「生きる実践」を通して、「人工呼吸療法による緩和ケア」と「エンド・オブ・ライフの可能性」を発信していくことには意味がある。(スライド)


*作成:川口有美子
UP:20090621 
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