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「まとめ・リハビリテーション従事者とメンタルヘルス従事者 1」
リハビリテーションとメンタルヘルス(11)

『地域リハビリテーション』三輪書店 2009/07
片山 知哉


リハビリテーションとメンタルヘルス 第11回
「まとめ・リハビリテーション従事者とメンタルヘルス従事者 1」

片山知哉(横浜市総合リハビリテーションセンター発達精神科医師/立命館大学大学院先端総合学術研究科博士後期課程)

三輪書店『地域リハビリテーション』2009年7月号に掲載
https://ssl.miwapubl.com/index.php
https://ssl.miwapubl.com/products/list/27

■ “専門家”の役割

 「専門家とは,非専門家に対して自分の仕事を明快に説明できなければならない」。
 この言葉を僕は,医学部に入学して間もなくの頃,一般教養の社会学の授業で聞いた。まだこどもだった当時の僕には,その意味は到底実感にまで至らなかったのだが,どこか気になって頭の片隅で反芻していた。
 医学部を卒業し,初期研修を終え,本格的に精神科医として働き出すようになってから,俄然この言葉が重みを持って感じられるようになってきた。本稿では,そのことについて少し書き記していこうと思う。

■ “業界”の壁,ホーム仕事とアウェイ仕事

 若干砕けた表現になるが,精神科医として働いていて感じるのは,自分が「精神医療業界」の人間であるということだ。そして,どの世界でもそうなのだろうが,業界と業界の間の壁は厚い。言葉さえ,通じない。
 狭義の精神医療業界,つまり,精神科の外来や病棟にいる限りは,自分がその業界の人間であることをそれほど意識しなくて済む。意識させられるのはそうした「ホーム」ではない「アウェイ」で,仕事を求められる時だ。
 そうした「アウェイ」仕事には,二種類ある。一つ目は,病院内他科であり,通常これを「コンサルテーション・リエゾン精神医療」と呼ぶ。二つ目は院外他機関であり,企業・学校・福祉施設・相談機関等が含まれる。こちらは,「コミュニティ精神医療」の範疇になろうか。
 そこでは,精神医療業界の言葉や文化は,ほぼ共有されない。勿論,先方もオトナであるから,こちらがホーム感覚で説明しても,分かった振りぐらいはしてくれるだろう。しかし,本当の理解をさせたいなら,相手の言葉を探ることが先決だ。元来不器用な僕は,そのことを体当たりの経験で実感した。

■ “精神医療に何が出来るか?”という問い掛け

 そして,これもまた経験から学んだことだが,「アウェイ」において先方がまず知りたいと思っていることは,「精神医療には何が出来るか」ということである。時に当たり前すぎて,暗黙の了解の海に沈みそうな疑問だが,ここを外すと先に進めない。
 「何が出来るか?」という時,一般論と個別論との二重の問い掛けになっていることに注意が必要だ。
 一般論というのは,精神医療全般についての教科書的知識を指す。例えば,精神疾患の概念や鑑別点,予後予測,診断法とその限界,治療法とその限界,当該治療の利得と損失,精神力動とその調整,治療の場ごとの可能性と限界,関連諸制度,現状の一般的精神医療水準,……等である。
 個別論というのは,現在進行形で直面している事態についての判断を指す。ユーザー本人の精神医学的アセスメントは勿論だが,その家族など私的に身近な人間や,関わるスタッフのアセスメントも欠かすことは出来ない。通時的かつ共時的に,いま・ここで展開する場のアセスメントが求められている。
 そして,現場を感じ取りながら同時に鳥瞰的視座に立って,この場においてと共にこの社会において,できることとできないことを伝える。その境界線を伝える。伝えるという介入によって,場に変化を起こすことを企図する。それが,僕らの仕事である。

■ 病相性の疾患

 ところで,一般論として精神医療にできることとできないこととは何か。精神科臨床現場で相談を受けるものには,単純化してしまえば「病相性の疾患」と「発達性の問題」の二つに凡そ分類できると僕は思う。これについても説明してみたい。
 「病相性の疾患」とは,人生の途中から起こる「病気」のことだ。原因は疾患ごとに様々である。内科・外科的な病気もあれば,疲労・ストレスなど非特異的要因,生活における劇的な事件もあり得る。生まれつきの体質も関係する部分もある。これらが組み合わさり,最終的には「脳の変調」が症状を引き起こす。うつ病やパニック障害などはこちらに含まれる。
 治療は薬物療法による「脳の変調」の修正,認知行動療法による不適切な思考・行動の修正,充分な休息など体調管理と,背景となった生活上の要因などの分析と可能ならば解決,再発防止策の立案などが挙げられる。疾患心理教育も,当然含まれる。こうして眺めてみると,内科など他の科と同様の,ある程度スタンダードな診断・治療法があることが分かるだろう。

■ 発達性の問題

 だが,「発達性の問題」は,これとは大分趣を異にする。これは病気というよりも,生まれ持った特徴や育ってきた環境によって生じる「生き難さ」のことと呼んだ方が相応しいものだ。僕自身が頻繁に相談を受ける,境界性と自己愛性の二つのパーソナリティ障害を例に挙げよう。
 些か乱暴な整理になるが,次のようなイメージを頭に描いてもらいたい。ひとのこころは,生まれた時には自分と他人の区別もつかない世界に生きている。しかし,自分自身を肯定的に受け止め,抱えてくれる重要他者とのつながりの中で成長していくうちに,それを内在化していく。すると,自分で自分のこころをきちんと抱えられるようになる。
 けれども,ひとによってはこの過程がうまくいかないことがある。その背景は様々だろう。いずれにせよ,こころという容器の壁が充分に育っていないと,こころを自分ひとりで抱えることが出来ず,常に不安定な状態に置かれてしまうことになる。そこから逃れようと,ひとは何がしかの対処をする。
 自傷・ドラッグ・セックスなどで自分のこころを紛らわしたり,誰かを常に傍に置いておこうとして形振り構わぬ努力をする。こうした対処をする場合に僕らはそれを,境界性パーソナリティ障害と呼ぶ。
 自分の中の空虚感・未熟性を徹底して隠し,自分の本質を暴かれることを極度に恐怖し,代償的に学歴・地位などを基に誇大的に振る舞い,他者を搾取し嫉妬し攻撃し,真の意味では自分も他者も愛することが出来ない。こうした対処をする場合に僕らはそれを,自己愛性パーソナリティ障害と呼ぶ。そして,境界性と自己愛性は,その人が置かれた状況によって行き来もする。
 これらは,人生の途中から起こってきた「病気」ではなく,その人がこれまで生きてきた歴史に基づいた「生き難さ」と呼ぶべきものだ。従って,例えば薬物療法等で簡単に「治療」出来るものではない。自分の生き方について振り返り,より居心地の良い生き方と関係を身につけていくことが,何よりも必要となろう。

■ 精神医療にできることとできないこと

 ここまでの記述から,精神医療ができることとできないこととを,凡そ御理解頂けたのではないかと思う。
 換言し整理しよう。精神医療とは,内科など他の医療分野と同様に,治療的に関わることができるのは病相性の疾患,即ち「病気」だけである。無論,病気は治ったり治らなかったりするし,そもそも医療が治せる病気など高が知れているとも言えるのだが,治療に取り組むことは可能だ。
 しかし,発達性の問題はそうはいかない。その背景にあるものは,大抵医療では手も足も出せない。生まれつきの身体状況は変えられない。生きてきた歴史も変えられない。現にあるこの社会も変えられない。つまり,現実の困難と,そこから来る苦悩は,医療では変えられない。出来るのは,その困難を指摘することだけである。
 そんなことは精神科医に言われなくても分かっている,という声が聞こえてきそうだ。しかし,冷静に考えれば分かりそうなことであっても,常に慌ただしく動いている現場では意外に分からなくなってしまうということを,僕は経験から知っている。できることとできないこととの境界線を言葉にして伝えることが,感情に圧迫され思考不全となり息苦しいほどの現場の空気に,風穴を開け展望を示す力を持っていることを,僕は経験している。

■ “境界線”を伝えること

 「リハビリテーションとメンタルヘルス」と題したこのリレー連載も,今回で11回目になった。リハビリテーション業界とメンタルヘルス業界双方の実践家が,非常に多岐に渡るテーマを扱っていることに読者の皆さんは気付かれたはずだ。間違いなく,この二つの業界の「あいだ」には,莫大な潜在的ニーズがある。
 にも拘らず,病院内他科との連携であるコンサルテーション・リエゾン精神医療以上に,院外他機関との連携において精神医療は為すべきことをしていないというのが現状であろう。精神医療業界の外部では,精神医療に対する過信と不信という両極端が混在しているが,その背景には精神医療の実践家が本稿で述べた「境界線」を一般的・個別的に伝えてこなかったことも大きな要因だろうと僕は思う。
 業界の壁を越えて,相手の言葉で自分の仕事を伝えること。それは,専門家の責務の筈である。この連載は,そのための試みの一つだ。

*作成:片山 知哉
UP: 20090630
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