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「1970年代〜1980年代の高齢者医療と透析医療」

第7回福祉社会学会報告要旨
於:日本福祉大学 2009/06/06
有吉 玲子仲口 路子野崎 泰伸


1970年代〜1980年代の高齢者医療と透析医療
○有吉玲子(立命館大学大学院)・仲口路子(立命館大学大学院/京都橘大学)・野崎泰伸(立命館大学非常勤講師)

1.報告の目的
 筆者らは昨年の本学会において、1990年代〜2000年代における「寝たきり老人」言説と医療費抑制政策の接合について概括し報告を行った。1990年代〜2000年代はあらゆる手段で医療費抑制が行われ、抑制に向かわせるスキームは1970年代〜1980年代を中心に形成されていったと考えられる。このプロセスにおいて、1972年の老人医療費支給制度(老人医療費無料化)・難病対策・人工透析への更生医療適用、1973年の高額療養費制度の創設は、医療費の自己負担無料化・軽減化を目指した政策である。その後、医療費抑制が国家的基本路線に位置づけられ、1980年代の政策が決定されていくことになるため、その背景を歴史的に整理しておく必要があるだろう。
 1970年代〜1980年代を通じて、高齢者医療がどのように変遷したのかを論考するにあたり、本報告では、1972年の老人医療費支給制度が、医療保険制度の自己負担などの問題から採用された政策であることを明らかにしたうえで、このとき採用された「保険+公費負担」という枠組みがその後の供給体制のあり方を変え、その変化に対する現状認識から老人保健法という政策に結びついていったことを明らかにする。また、高齢者への医療政策をより明示するために、あわせて人工透析への政策を論証していくこととする。

2.クローズアップされた「悲惨さ」に対する手立てとしての政策
 1960年代〜1970年代にかけて、高齢者が「寝たきりの状態」で「放ったらかしにされている」、あるいは家族介護の負担、家族であっても「放置せざるを得ない」という現実、また寝たきりではなくても、自力生活困難で子や孫の世話になっている、病気がちである、年金のうち医療費の占める割合が多いなど、老いてゆくこと=「悲惨な状況」とが一致することとなりクローズアップされた。悲惨さがクローズアップされ、また、老いてゆくことは誰しも避けることができないことであるがため、その状況を改善する手立てを講じる必要がうまれた。高齢者の置かれている立場への手立てを概括すると@「寝たきり」の原因究明と介入方法、A生活保障、の二つにわけられるだろう。そして、Aに関連して医療費の自己負担という問題があり、本報告ではこの点を中心に報告を行う。
 一方、透析医療では、保険診療による医療行為となるが、当時では先端医療技術であることから、1か月の自己負担額がおよそ7〜12万円となり、この頃の1カ月の平均収入7〜11万円とほぼ同額になるという自己負担額の多さであった。そのため、「お金の切れ目が命の切れ目」いわれ、治療を受けたくても断念せざるを得ないという人が各地で生じ、その悲惨さが訴えられるようになった。こうして、透析医療においても、悲惨さがクローズアップされ、手立てが必要とされた。これら悲惨さに対する手立ての一つとして行われたのが老人医療費支給制度(老人医療費無料化)であり人工透析への更生医療適用と考えられる。

3.手立てとしての政策――なぜ「無料化」だったのか
 なぜ老人医療費支給制度や更生医療適用という無料化・軽減化であったのであろうか。
 当時は、健康保険本人のみ自己負担額なし(10割給付)でそのほかは自己負担があった。つまり、同じ制度に包含されているにもかかわらず、同じ医療行為を受けた場合、健康保険の本人であれば自己負担はなく、そうでなければ自己負担があった。しかも給付率にも違いがあったため、入院や高額医療など多額の医療費が必要となった時や所得が少ない状況下では、給付率の違い=自己負担額の違いは大きく影響することになった。高齢者の場合、医療を必要とする年齢にありながら、所得が少なくなる年齢でもあるため、医療を必要としても自己負担額が払えずそのため受療を控えるという傾向になりがちであった。当時の高齢者の生活状況をみると、年金制度が整備されたとはいえ、その給付額は当初1万円にも満たない額であったため、1966年に夫婦あわせて月額1万円に引き上げられたが、実際にはそれよりも低い支給額であった。このような少ない年金で生活をする高齢者にとっては、医療費の自己負担額は大きくなり受療を控えざるを得ないという状況となった。透析医療の場合は、自己負担額そのものが高額になるため透析を受けられないという状況であった。
 保険料を払いながらも、医療を必要とする時に自己負担が生じることで必要な医療が受けられないという保険制度の不備な点が明示されたのである。この問題に対する政策の議論は、まず高齢者医療を全額医療保険による負担とするか公費負担とするかという議論となった。また制度の一元化や老齢保険制度の創設も提示され、誰がどのように負担するのか、負担のあり方をめぐっての議論がなされもした。他方、生活保障であるはずの年金の給付水準引き上げについても議論がなされるが、制度そのものが厚生年金・国民年金ほか多数に分立していることや給付水準に伴う保険料負担などの問題があり解決策はすぐには見出されない状況であった。このような状況のなかで、各自治体が国に先駆けて高齢者の医療費自己負担分を自治体が負担して軽減しはじめたため、これに追随する形で、1972年老人福祉法で老人医療費支給制度(老人医療費無料化、保険+公費負担)が創設されたのである。保険+公費負担という方向性が見出されたことで、人工透析へも身体障害者福祉法で更生医療が適用された。保険制度の不備な点に対して、自己負担分を公費負担で軽減することで必要な医療がうけられるように手立てを講じたのである。さらに、自己負担が生じることで必要な医療が受けられないという保険制度の不備な点は、高齢者や透析医療に限ることではないため、1973年、自己負担額に上限を設け上限額以上については医療保険の負担という高額療養費制度が創設されたのである。

4.負担の変化――誰がどのように負担するのかをめぐって
 これらの制度は高齢者や患者側の負担減になったが、国と医療保険側の負担増につながった。加えて、高齢者など自己負担がない人には、過剰供給しても患者には自己負担が生じることがなく、医療機関側には収入になるという診療報酬体系が、「検査づけ」「薬づけ」といわれる過剰医療をうむ役割を担った。こうして、自然増も含めた医療費の増加は、すなわち国および医療保険側の負担の増加につながることとなった。
 1980年にはいると、高齢者医療は医療費保障に偏重していること、老人医療費の負担に不均衡があること、医療資源が効率的合理的に配分されていないとし、高齢者医療を医療保険のなかで対応するのか、別枠で対応するのか、別枠であればその費用負担をどうするのか、という議論が提示され、最終的に1982年老人保健法が制定され有料化された。これは高齢者である当事者にも負担させるとともに、国および地方自治体の負担、医療保険制度内の各保険者支払い側が共同拠出して負担するという制度であった。しかし、次第に国の負担減、当事者の負担増、医療保険側の負担増に変化していく。透析医療の場合は、1970年代後半の1ヵ月の医療費用は一人当たりおよそ130万円で患者に自己負担を強いることは、治療の断念=死という悲惨な状況が再びクローズアップされることになるため、患者への自己負担化という手段ではなく、診療報酬点数操作による供給側への抑制=医療保険側の負担の支出の軽減という手段がとられることとなる。
 「保険」という制度内で、誰がどのように負担するのか、さらにはどの程度給付するのか、そのあり方が問われることになったのが1980年代ではないだろうか。


*作成:有吉 玲子・仲口 路子・野崎 泰伸
UP: 20090604
全文掲載  ◇第7回日本福祉学会
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