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作業療法の現代史・1965〜1975

−医療職化と独自性のはざまで−

田島明子(吉備国際大学保健科学部作業療法学科、立命館大学大学院先端総合学術研究科)

2009/05/16-17 第35回日本保健医療社会学会大会 報告要旨 於:熊本大学黒髭北地区 (ポスター報告)


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1.研究の目的
 本研究の目的は、1965年から現代までの作業療法学の構築の歩みのなかでも、ごく初期の、法制度成立の1965年から1975年までの10年間を、学の内部構造、関連職種との力学、対象者への介入の際の問題把握から捉え、学的発展の萌芽の様相を明らかにすることである。

2.対象と方法
 対象:創刊(1967年)から1975年までの『理学療法と作業療法』誌と、第1回(1966年)〜第9回(1975年)までの『日本作業療法士協会学会抄録集』である。なかでも座談会・シンポジウムなどの討論会の記録に着目し、各論的ではない作業療法に関連するテーマのものを対象とした。分析方法:1)各文献のカテゴリ化:対象とした25文献に番号を振り、タイトル名と討論会内容の類似性で12のカテゴリに分類した。2)基礎データ化の作業:各文献のテーマにおいて重要な論点であると判断された文章を抽出し、基礎データ化を行った。3)文章化の作業にあたって:12のカテゴリのなかから「評価」「患者とセラピスト」「医師の関係」「理学療法との関係」」「作業療法とは何か」について詳細な検討を行った。

3.結果と考察
 評価:この時期、評価の必要性は認識されつつも臨床では定着していなかった。セラピストは納得できる評価を行う理由を求めた。それは作業療法をいかに医療として根付かせるかの具体的な検討でもあった。治療的領域に含みづらいADL・心理・職能領域は周囲から科学性を疑問視されたが、それなくして作業療法は成り立ち得ないと作業療法士らに認識される部分でもあった。一見統合困難な治療的領域とADL・心理・職能領域を自らが担う領域群と認識したことは、後の作業療法学の構築に影響を与えたと考える。患者とセラピスト:機能回復の限界後には患者に積極的に社会復帰に目を向けさせ、自立性に価値を置くよう患者の価値転換を図ることがセラピストの重要な役割とされた。筆者は「回復アプローチ」−「障害受容」−「代償アプローチ」という(治療者にとって都合のよい)「訓練の流れ図」の存在を指摘したが、それには作業療法の担うべき領域が先にあり、「訓練の流れ図」はそれら支援の正当化から導き出された構図だったのではないかと考えた。医師との関係:作業療法士らは、医師の行う「処方」行為について、処方後の過程も目的も作業療法士の専門性に委ねられるべきことが多く、医師が全般的な治療方針を決定することはできないはずだと主張した。つまり作業療法士側の言い分は、法制度上、作業療法士を管轄する位置にある医師との専門職としての対等性であった。専門性には、作業療法の領域、治療種目、介入方法等の独自性があげられる。理学療法との関係:法制度上、理学療法と作業療法の職務内容の差異は明記されているが、基本動作能力、早期治療は重なり合う部分であった。法制度上の規定では基本動作能力は理学療法とされるが、「評価」を見ても作業療法士らはすべてを理学療法に委ねるとは考えていない。確認できることは、治療的領域をめぐる1つの力学の存在だ。つまり治療化という方向性の内にも理学療法とは異なる作業療法の独自性を求める必要があった。作業療法とは何か:1975年に行われたシンポジウム「私の考えるOT」を検討した。シンポジウムでは医療職として独自性を表していくための2つの重要な視座―1)治療的領域における理学療法との差異化、2)作業療法の領域の広さをいかに医療職としての独自性として表していくか―が提示されていた。


UP: 20090614
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