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Can Multiculturalism Be Extended to Non-Ethnic Groups? Kymlicka, Will 抄訳 

片山 知哉 2009/4/13



■■ Can Multiculturalism Be Extended to Non-Ethnic Groups?
Kymlicka, Will, 1998, "Finding Our Way: Rethinking Ethnocultural Relations in Canada", Chapter 6, Oxford University Press.

 以下は,この文献の抄訳である。短く纏めているため,記述内容のカットや,表現などの大幅な意訳などを行っているが,論述の骨子は逆に読みやすくなっていると思う。
 キムリッカはカナダ多文化主義論の重鎮の一人であるが,彼が(文字通りの意味ではnon-ethnic groupsである)DeafやGayについて自身の理論の応用を試みているという点で,この論文は注目される。しかし思いの外(ろう文化やゲイ理論を扱った文献でも。中にはキムリッカの他の文献を引いているものでさえ!),この論文は参照されていない。"Multicultural Citizenship"での主張の意味(その限界を含め)を知るためにも,この論文の議論は参照されて良いと思う。
 また,ゲイ・レズビアンについての議論と,デフコミュニティについての議論の相互参照は,お互いにとって有益だと思われるのだが,現実にはあまり為されていない。その端緒としても,この論文は活用できると思う。
(2009年4月13日 先端総合学術研究科 片山知哉)

■ 導入

 エスニック集団が行う多文化主義への要求は,「アイデンティティの政治」を求めるより大きな運動の一部である。
 「アイデンティティの政治」には,女性,ゲイ・レズビアン,宗教的マイノリティ,障害者が含まれる。共通の権利だけでなく,集団に独自の権利・承認を求めている。ここにはエスニック文化集団との明らかな類似点がある。
 では,多文化主義は非エスニックな他のアイデンティティ集団に拡張できるのか?

■ アイデンティティ集団としての新しい社会運動

 元来カナダで多文化主義と言う時は,エスニック文化集団に焦点があてられていたが,近年ゲイ・レズビアンやろう者たちは,自分たちの「コミュニティ」をしばしば語っている。
 エスニック文化集団と,ゲイ・レズビアンやろう者の運動との間には,多くの共通点がある。両者とも,「文化」の用語で自分たちを定義している。ゲイ・レズビアンやろう者は,自分たちは医学・生物学的状態だけでなく,アイデンティティ・コミュニティ・歴史・生活様式を共有していると考えている。エスニック集団もやはり,人種や祖先ではなく文化によって自らを定義している。さらに両者とも,自分たちの集団と文化アイデンティティの承認を求めている。

 ゲイ・レズビアンやろう者は,「新しい社会運動」として記述される。「新しい社会運動」とは,旧来の経済的利害による運動(=階級闘争)ではなく,共通のアイデンティティに基づく運動である。
 これは,特にゲイ・レズビアンやろう者において顕著である。今日我々はゲイアイデンティティやゲイコミュニティを当たり前なものと見做しているが,ここまでの歴史は劇的なものだった。フーコーは,「かつてそれは一時的な逸脱だった。いまやそれはひとつの種族である」と述べた。
 もともとゲイは,かつて病気と見做されていた。そして,いまでもそれをコミュニティと見做す人は少ない。だが,ゲイの集団が大都市で発展するにつれ,彼らは自分たちを単なる統計的集団ではなくコミュニティのメンバーと見做すようになっていった。そこで使われるようになったのが「エスニック」タームである(そこでは,単に「同性愛行為をする人」と区別した意味で「ゲイネス」が用いられる)。今ではニューヨークやトロントなどの大都市では,ゲイは他の移民集団と同等以上に集まっている。

 これとよく似た動きをしたのがろう者である。かつてそれは統計学的集団でしかなく,医学的な状態として定義されていた。しかし今や彼らは自分たちのことを,独自の言語と文化を持つ集団である,と「エスニック」タームで語る(この場合,Deafと大文字のDで示す。単なる医学的状態を表す時は小文字である)。確かに彼らは,独自の言語をもっているという点で,ゲイ以上にエスニック概念が当てはまる。
 さらに手話言語は,他のマイノリティ言語と同様の運命をたどってきた。手話は1770年代にフランスで形式が整えられ,ろう者の言語として使われてきた。しかし,1880年のミラノ会議以降,手話は抑圧され,ろう児には口話が強制されるようになる。手話は言語とはみなされず,学校では手話は音声コミュニケーションを阻害するものと考えられ禁止された。これは,民族的マイノリティが母語による教育を禁止されたのと同じ議論である。
 しかしその中でも,ろう者たちは手話にコミットし続けた。そして,手話はろう者の文化を形成する知識・信念・実践を伝える役割を保ち続けたのである。ここではろう学校が重要な役割を果たした。そこでろう者は他のろう者と出会い,その言語と文化は伝承され発展されたのである。近年ではろう者は,学校や行政機関において,もっと手話を使用し認めるようにと要求するようになっている。
 こうした動きはゲイのそれとよく似ている。つまり,徐々に文化やコミュニティが形成されてきた。ろう者の学校もクラブも演劇グループもサービス団体もある。大都市,特にろう学校があるまわりに集住している。ろう学校は,彼らが単なる個人ではなく,ひとつの民族であるのだという感覚をもたらすのだ。今や彼らは,自分たちを障害の用語では語らない。
 聞こえない人のすべてが,ろうというアイデンティティを持つわけではない。中途失聴の人は,自分たちを障害を持つ人と考えている。しかし,文化集団であるろう者にとっては,手話は単なる母語であるだけでなく,自分たちの文化の絆でもあるのだ。

■ 多文化主義はすべての文化集団を包摂すべきか?

 彼らは民族的祖先を持っているわけではないから「エスニック」ではないが,確かに「文化」を持っている。では多文化主義とその政策は,彼らにも適応されるべきなのだろうか?
 この問いは,重要である。なぜなら(ウォーカーが記しているように),文化エスニック集団に対してもっと配慮すべきであるとする傾向がリベラル理論の中に現在あるが,その論拠は共通の祖先を持つこと(=人種)ではなく,共通の文化を持つことに向けられているからである。文化こそが,人に有意味な選択肢を与え,所属とアイデンティティの感覚を提供するからだ。
 ウォーカーは,この人種主義から文化主義へというシフトを,明らかな道徳的進歩と見做し,これこそが文化エスニック集団の要求が自由・民主主義の原理と必ずしも両立不可能ではない理由を説明するとしている。人種ではなく文化こそが承認の価値があるのだとしたら,ゲイやろう者のような共通の文化を持つ集団も多文化主義は包摂すべきなのではないか?
 これは重要なポイントだが,しかしここで,文化エスニック集団には「民族的マイノリティ」と「移民集団」という二つがあったことを思い出そう。ゲイやろう者が文化エスニック集団だとすれば,彼らはこのどちらに当てはまるのだろうか?

 ゲイ・レズビアンは「ネイション」としてのアイデンティティを持つとする論者がいる。彼らは「クィア・ネイション」を掲げ,自治を主張する。また,サンフランシスコへの集住は,ネイションの領土的特徴を示すものだとする。  だが,このナショナリズム的主張は実現可能でもないし,魅力的でもない。クレイマーはサンフランシスコを,ゲイにとってのイスラエルとなぞらえたが,ゲイ全員がサンフランシスコに移住できるわけではない。ゲイ・シオニズムは,世界にある憎悪からの救いの地を語るが,実際に可能なのはいまある社会の中でホモフォビアと闘うためのコミュニティを点々と作ることでしかない。
 これは単に,領土がないという問題ではない。より根本的なのは,世代間伝承の問題だ。ゲイのほとんどはストレートの両親の下に生まれ,ゲイの親が持つこどももたいていはストレートである。また実際,ゲイの多くはゲイコミュニティに20-30代になってから入るので,それまでに既に社会化がなされてしまっている。つまりゲイの場合,ゲイコミュニティで為されるのは「二次社会化」であり,家庭内で行われるような「一次社会化」と異なって充分な構造化が為しえない。ゲイは一次社会化によって,既に多くのもの(民族,人種,階級,ジェンダー,宗教,職業などなど)を身につけてしまっており,それが二次社会化の過程を阻害するのだ。
 そう考えると,大多数のゲイが望むのは,新たなネイションを作ることではなくて,いまいるコミュニティをゲイにとって開かれたものにすることだろう。つまり,ネイションのモデルではなく,移民のモデル(=開かれた統合を求めるモデル)が当てはまる。論者によっては,現存の社会ではホモフォビアが強すぎるので,そこにゲイが統合されることは無理であると考えるものもいる。たしかに,アフリカン・アメリカンと同様,彼らもまた,主流社会に統合されるためにどれだけ努力したとしても,故なき差別に直面し続けてしまっている。それゆえ,移民のモデル(統合モデル)が実効性がないのではないかという疑問が起こるのもわかる。
 だが,ほかに方法はあるのだろうか? ゲイ分離主義は実現不可能だ。たしかにゲイゲットーは大都市にいくつかあるだろうが,ほとんどのゲイはそこに住んでいない。ゲイの文化は充分制度化されていない。ゲイの大学もゲイの政府もない。ゲイが高いステイタスの職業に就こうと思ったら,主流社会の学校に行くしかなく,ゲイがそれをあきらめてゲイゲットーに留まるとも思えない。更に,ほとんどのゲイは,自分の生まれ育った地を離れたくない,家族や友人や同僚との関係を断ち切りたくないと思っている。分離主義は,こうした関係を断ち切って移住することなのであり,あくまでも第二の選択肢でしかない。
 ゲイの統合を考えるときは,それを同化とは区別することが重要である。1950年代においては,ゲイの権利運動は同化モデルを採用し,セクシュアリティをプライベートなこととしていた。つまり,公的には異性愛が中心であり続けていた。このモデルは,今日では受け入れられない。ゲイたちは現在では,同性婚の承認や,ゲイの生き方が学校の教科書で肯定的に描かれることを求めている。つまり移民たちと同様に,主流社会の人々の姿勢を変えようとしているのだ。

 ろう者の場合は事情が異なっている。ろう児の多くは,ろう文化の中で生まれ育つため,そこで一次社会化が起こり,手話言語は彼らにとっての第一言語になる。これは,民族的マイノリティと同じ構図である。話すことを学んだとしても,それでは聞こえる社会とは結局ごく限られた範囲でしかコミュニケートできない。彼らが社会に参加しようとするなら,それは手話を通じて行われる。だからろう者たちは,手話に基づいた制度的に完成された社会構成的文化を創ろうとするのである。
 これは彼らが,重要な点で分離主義であることを示している。19世紀には,デフ・シオニズムつまり,ろう者の街や国を作るという夢にまで至った。これは現実的なものではなかった。何故なら彼らは数が少なく,点在していたからである。それにその夢は,世代間伝承という困難にすぐ直面しただろう。ろう児のほとんどは聞こえる親の下で生まれ,ろう者からは聞こえるこどもが生まれることがほとんどなのだ。
 にもかかわらずろう文化を残そうとすれば,ある程度領土的集住と制度化が必要である。そのための努力はこれまで,ろう寄宿生学校の設立と支援として為されてきた。1850年には,後のギャローデッド大学も作られた。不幸なことに,近年のメインストリーミング法は,ろう児をろう学校ではなく,地元の学校へ行かせるように勧めている。この結果,彼らは他のろう児・大人のろう者とほとんど出会えなくなり,手話を学べなくなってしまった。これは,彼らのろう社会へのアクセスを減少させたに留まらず,全体的な知的発達を遅らせることになった。
 この点でろう者は,他の障害者と大きく異なっている。他の障害者は,そのほとんどが自らが生まれ育った主流社会への統合を求めている。だがろう者にとっては,聞こえないということは社会文化的な孤立を意味するのではない。むしろ,自分たちの社会構成的文化の特徴なのだ。それゆえ彼らは,主流社会へのアクセス獲得ではなく,自らの分離された制度の保護を求めるのだ。
 ここに,ゲイとろう者との重要な違いがある。前者は移民の統合モデルに近いが,後者はネイションの文化的分離モデルに近い。この理由は,数の問題ではない(ろう者のほうがゲイよりもずっと少ない)。そうではなく,ろう者はろう社会の中で育ったのであり,またろう社会はろう者にとって実質的に参加可能な唯一の文化だからである。ろう者は,真の民族的マイノリティには決してなれないだろう。常に,良くて「一見」ネイション集団であるに留まり,社会構成的文化の発展と維持のためには困難な時間が必要だろう。しかしそれでも,ろう者の文化的ナショナリズムの望みは重視されねばならない。それは彼らの文化や言語のためだけでなく,主流社会への統合があまりにも困難であるためでもあるのだ。

■ 結論

 本章では,いくつかのアイデンティティ集団の例を挙げて,彼らが文化エスニック集団と類似の集団的アイデンティティと集団的文化を発展させてきたことを示した。彼らは文化エスニック集団と同じ承認へのニーズを持っており,多文化主義に多くの挑戦を投げかけている。
 こうした類似点は,多文化主義は一時の流行に過ぎないという神話を一掃するだろう。多文化主義によって提起された根本的問題は,あらゆる自由民主主義国家にとっての問題なのだ。とはいえ何でも多文化主義の下に語っても混乱を招く。個別的に見ていかねばならず,例えばゲイとろう者の場合でも異なる政策が必要であろう。が,カナダでは多文化主義政策は主に移民の問題に向けられているにせよ,その語彙はより広く文化集団にも適応できるということは重要である。多文化主義は,より寛容でインクルーシヴな社会を作る闘争の努力の一部でなければならない。



*ファイル作成:片山 知哉
UP:20090415
全文掲載Kymlicka, Will[ウィル・キムリッカ]  ◇聴覚障害・ろう関連文献   ◇ゲイ・レズビアン
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