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感情労働がとくに看護職において強調されるのはなぜか
有馬 斉
2009/03/19
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 20090319
安部 彰
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有馬 斉
『ケアと感情労働――異なる学知の交流から考える』
立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告8,248p. ISSN 1882-6539 pp.67-70
はじめまして。有馬と申します。
今日の研究会のためにパム・スミス先生のThe Emotional Labour of Nursing を安部さんと一緒に読んできました。今日は本の内容にかかわる質問を用意してきました。なので、スミス先生やヘレン・カウイ先生が今日ここで発表されたこととは関わりがあまりないかもしれません。そのことをあらかじめお断りしておきます。
スミス先生は、看護師の仕事は、感情労働として理解できるという。同時に、看護師がする感情労働を良いものと理解している。看護師は感情管理の技術をきちんと身につけるべきだし、看護学校でもそのための体系的な訓練がしっかりなされるべきだという。僕は、なんとなくこれは正しいと思うんですが、どうしてそういえるのか。ちょっと疑問がある。看護師の感情労働はどうして良いものだといえるのか。看護師が感情労働をすると具体的にいってどんな良いことがおこるのか。これを今日はお聞きしたい。
こういう質問をするのは、ひとつには、他の文脈では感情労働は必ずしも必要だとは思われていないみたいだからです。それどころか、あまり良いものとも思われていないように思うからです。
飛行機の客室乗務員を考えてみたい。客室乗務員の場合、感情労働は必ずしも必要ではないかもしれない。
これはまず、僕が飛行機を使って旅行したときの経験から感じることです。たとえば、僕はいつも安いのでノースウェスト航空(North West Airline;NW)を使う。NWのフライト・アテンダントは本当に愛想がない。これはもしかしたらホクシールド(Arlie Russell Hochschild)が研究していた頃とはサービスが変わったということなのかもしれませんが、とにかく今は本当に愛想がない。たとえば客が「コーヒーが欲しい」と注文すると、「コーヒーは客室乗務員の控え室にあるから、自分で取りに行ってくれ」と応える。客がガッカリしてみせると、客室乗務員も「それくらいでガッカリするなよ」みたいに呆れてみせる。それ以上、客のことを取り合わない。そういうことがあるみたいです。
つまり、客室乗務員の仕事は、感情労働を抜きにしても、とりあえず成り立つようだ。しかも、では客室乗務員は感情労働をした方が良いか、というと、必ずしもそうともいえない。そんな気がする。たとえば、今いったような具合に客と対等に感情のやりとりをする客室乗務員をみて、問題があると感じない人もいるのではないか。むしろ「ガッカリするなよ」という言い分の方が正しいかもしれない。はじめから客室乗務員に過剰な期待をしなければ、客もガッカリしなくて済むし、乗務員の仕事も精神的に健康なものになるかもしれない。事実、ノースウェスト航空は、乗務員の無愛想が原因で人気が落ちたり経営に困ったりしている様子もない。
今のは僕の経験からいったことです。しかし、客室乗務員の感情労働については、ホクシールドも批判的なコメントを残している。ホクシールドは、感情労働という概念をはじめに提唱した人です。ホクシールド自身は、客室乗務員の感情労働を良いものとは考えていない。少なくともそういう印象がある。
会社の定めた規則に従って感情を管理したり管理させられたりすると、客室乗務員は、アイデンティティが混乱する。たとえば、乗務員として会社の定める通りに提供したサービスに文句を言われると、それを自分への個人的な批判として受け止めてしまう。あるいは、そうなることを避けるために仕事中の自分とプライヴェイトの自分を区別しようとすると、今度は、客にたいしてできるだけ誠実に微笑みかける自分を、ほんとうの自分とは思えなくなる。自分が詐欺をしているような気分になって、自分のことを道徳的に責めてしまう。客室乗務員の感情労働については、ホクシールドはこんなふうに書いています。
こんな具合に、他の職種では、感情労働は必ずしも必要とは思われていない気がする。また良いものとも思われていない気がする。
しかし、スミス先生は、看護師の仕事は、感情労働抜きにはありえないかのように論じておられる。あるいは、感情管理をまったく抜きにした看護やケアも可能性としてはありえるかもしれないが、それでも、看護師は感情管理をした方が良い、という。看護師は感情管理の技術を身につけるべきだし、看護学校でもそのための体系的な訓練がしっかりなされるべきだという。
そこで質問はこうです。二つあります。
第一に、スミス先生は、看護師が感情労働をすることによって、ホクシールドのいうような悪いことは起こらないと考えておられますか?ホクシールドは、感情労働をする客室乗務員は、アイデンティティが混乱する。自分を道徳的に責める。だから感情労働をするのは良いことではないと述べていた。こうしたホクシールドの感情労働批判を、スミス先生はどう考えておられるのか。これをお聞きしたい。看護師の感情労働の場合には、ホクシールドが指摘するような問題は起こらないと考えておられますか?それともそういう問題はたしかに起こるが、それにもかかわらず看護師は感情労働をしなければならないと考えていますか?
もう一つの質問はこうです。スミス先生は、看護師が感情労働をすることによって、具体的にどんな良いことが起こると考えておられますか?
もちろん、看護師と客室乗務員とのちがいは、ある程度ははっきりしている。たとえば、看護師が相手にしているのは患者です。ケガや病気のために痛みや不安などを抱えて苦しんでいる人たちだ。この点で、看護師の仕事に現れる対人関係は他とはちがうかもしれない。看護師と患者とのあいだの関係は、飛行機の客室乗務員と客とのあいだの関係とはちがう。やっぱり、看護師に感情労働が必要とされるのは、このためでしょうか。
僕は、ここをもっと具体的に教えていただきたい。スミス先生は、本の中で感情管理に長けた師長を描いている。師長は、患者の容態が急変したというような非常事態においても、落ち着いている。医療従事者の指示に従わない患者にたいしても、怒りを覚えない。あるいは怒りをこらえることができる。同僚が失敗したときもせせら笑ったりしない。かえって優しく励ましてやる。
しかし、ここに描かれた具体例からは、看護師の感情労働の特別さが見えてこないような気もする。非常事態に落ち着いていられることは、確かに大事だけれども、それは対人関係を含まない仕事でも要求される。同僚の失敗をせせら笑わないことは、同僚を必要とする仕事でありさえすれば、どんな仕事でも必要なことのような気がする。スミス先生の研究や、経験を交えて、看護師の仕事にとって必然的に必要になってくる感情管理の内容を、具体的に教えていただけたらありがたいと思います。看護師が感情を管理できるようになると、具体的にいってこんな良いことがある、というのを例を挙げて教えていただきたい。
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崎山:どうも、有馬さんありがとうございました。特に感情労働ということについて、「なぜ、いかに感情労働を、うまくなすべきか」ということにかんする質問で、一番原理的な問題だと思います。
では続きまして、的場さんのほうから、現場からの観点ということでお願いします。
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有馬 斉
20090319 「感情労働がとくに看護職において強調されるのはなぜか」
安部 彰
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有馬 斉
『ケアと感情労働――異なる学知の交流から考える』
,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告8,pp.67-70.
UP:20090911 REV:
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