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「国境と国交のあいだで」

寺下 浩徳 2009/02/25 「国際研究調査報告」 『生存学』1: 401-402



 私は本学の「大学院博士課程後期課程国際的研究活動促進研究費」を利用し、現在、韓国中部の大田市にある国立HANBAT大学校に拠点を置きながら、植民地時代の朝鮮半島ならびに解放後の共和国で創作活動を行った表現者である李北鳴※ルビ:リプンミョン※(1908-?)の作品研究を行っています。
 李北鳴の創作活動は、第二次世界大戦下の帝国主義国日本と切り離すことができず、何よりもその創作が、植民地下朝鮮の興南※ルビ:コウナン※地域にあった「朝鮮窒素肥料工場」での職工体験を描くことからはじまったということです。この「朝鮮窒素肥料工場」とは、 戦後日本の公害である水俣病の原因企業である「新日本窒素肥料株式会社」が植民地時代の朝鮮半島に有していた前身企業でもあります。
 李は朝鮮語で書いた処女作である「窒素肥料工場」(1932)において、日本人が管理する劣悪な工場内で勤務する朝鮮人同士が、当初は相互に反目、分裂しつつも次第に連帯していく過程を描きます。本作品は、先に述べたように職工であった自身の体験とその職場環境を描いたものですが、発表当時、非常に大きな衝撃を文壇にもたらします。それは、職業作家が労働者たちを描いたものが全てであった朝鮮半島のプロレタリア文学の状況において、「労働者が自らペンを持ち、自分たちを描き出した」という点で「当事者の文学」だったからでした。
  一九四五年の解放以後は、共和国で創作活動を行い、朝鮮作家同盟中央委員会副委員長などの政府機関の要職にも就き、文壇の主流に位置しながら活躍します。解放後の作風に関していうならば、継続してプロレタリア文学の観点から社会に存在する不正義やそれに杭する人びとの連帯莚主題として取り上げるのですが、一方でその描写はあくまで共和国の体制理念に沿うものでしかないという両義性を抱え込んだものに なっています。
 しかし、このように社会のなかで困難な生を生きる人びとの様子やそのつながりを描こうとする文学的な試みは、戦後の韓国や日本の文学にも見られるものです。戦後の日本に関していえば、九州地方で起こった文学運動である「サークル村」のメンバーや、『苦海浄土』(1969)な描いた石牟礼道子(1927‐)の作風とは、「コミュニズム」という点で相通じるものがあります。このような点で、私は李の創作活動を東アジアの同時代のヨミュニズム」に連なる文学思想/運動の文脈に置き直して理解したいと思いました。その際に、日本では李の作品を詳細に取り扱う先行研究が存在しないため、今回の現地研究に至りました。
 しかし、李は一九四五年の解放以後に共和国で創作活動を行ったということで、韓国国内では、反共政策の関係から長らくその作品に出版禁止措置がとられていました。一九七八年から段階的に禁止措置に対する解除がなされるのですが、今でも国内では植民地期の作品の出版に限定されている状況です。解放以後の創作活動に関して、国内で所蔵している作品はごく一部であり、共和国関係の資料転最も所蔵しているといわれる政府機関である統一部傘下の「北韓資料センター」(ソウル特別市、光化門)や「国立中央図書館」(同市、瑞草区)でもわずか数点あるだけです。そのため、李の創作活動の全貌を見渡し、その意義を見定めるということは非常に困難な作業だと言わねばなりません。
 以上のような諸事情を踏まえて、李に対する先行研究の状況を概観すると以下のとおりです。
 一点目。一九八八年の解禁措置を受けて各出版社から『解禁文学全集』が出版され、それと同時期に先行研究が始まるため、解放後の韓国に居住して活動していた他の作家に対する研究論文に比べて、その数が圧倒的に少ない。
 二点目。「越北作家」二九四五年の解放後に共和国に越境し創作活動転行った作家を指す)たちの作品を集めた前述の『解禁文学全集』に関しても、それは植民地期の作品に限定されたものであり、解放後の李の全ての作品が出版されているわけではない。そのため解放以後の作品に対する研究もほとんどなされてないに等しい。
 三点目。解禁された越北作家のなかでも李は、日本留学をはじめとした海外渡航歴があるわけでもなく、他の越北作家に比べてもあまり研究面で取り上げられていない。
 以上の事情をとおして私が痛感することとは、国境や国交というものが束縛し拘束するものとは、なにも人の往来だけでなく、書籍(資料)に関しても同様なのだということです。しかし、その一方でこのようにも思うのです。それは、所蔵されているわずかな書籍に関して、それらもやはり脱北や越境とは異なるにしても、何らかのかたちで人の手を介して国境や国交というものを越えてやって来たのだということです。このように共和国と韓国は、現在も休戦状態であり国交がないわけですが、その韓国で、これまた共和国とは国交のない日本から来た人間がその書籍を手に取るわけです。李にとっての「宛て先」、書籍にとっての「行き先」といったものに思いを致さないわけにはいきません。
 共和国に自由に渡航ができない今の状況が、果たして「現地研究」といえるのかわかりませんが、生存も確認できない李も同じ半島にいる(いた?)のだと思いを馳せながら作品転今も読み解いています。

*作成:永田 貴聖
UP:20100207 
全文掲載  ◇『生存学』1  ◇寺下 浩徳 
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