HOME > 全文掲載 >

「植民地都市大連からグローバル都市大連へ」

佐藤 量 20090225「国際研究調査報告」『生存学』vol.1


 先端総合学術研究科公共領域の佐藤量です。私はこれまで、日本の植民地都市だった中国の大連を調査してきました。
 大連は中国東北部の沿岸地区に位置し関空から二時間で到着します。三方を海で囲まれており、中国大陸と海外を結ぶ貿易中継地として発展してきました。近年の中国経済の成長を支える沿岸都市のひとつです。大連は日本との関係が深く、一九〇五年から一九四五年まで植民地統治しました。多くの日本人が大連に住み、終戦当時には二〇万人の日本人が生活していました。戦後しばらく国交が断絶していましたが、一九八〇年代以降、中国の経済発展にともなってふたたび大連と日本は密接に関係してゆきます。
日本統治時代から現在にいたるまで大連がどのように変容してきたのかを、大連を生きてきた人々の側からとらえるために現地調査を繰り返してきました。

 大連の町を歩くと、日本統治時代の古い建物と現代の高層ビルのコントラストが印象的です。これらの古い建物がどのように利用されているか観察することからもさまざまな出来事がみえてくるでしょう。
 たとえば大連中心部にある中山広場には多くの古い建物が保存されています。ここは日本時代に大広場と呼ばれた円形広場です。広場を取り囲むように旧大連市役所、旧大連警察署、旧ヤマトホテルがぐるりと立ち並んでいます。建物の保存活動は大連市政府主導で行われ、各建物には「歴史を忘れない」と刻まれたプレートが付けられており、中山広場は歴史的な場所として機能しています。
 同時にこの広場は住民たちの憩いの場であり、昼どきには弁当を広げる人々も目につきます。観光客もたくさん訪れ、休日ともなると人々であふれかえり、夜には建物がライトアップされます。
 このように中山広場には「屈辱の歴史を忘れない」という意味ももちろんありますが、一方で「文化資源」や「観光資源」としてもとらえているような二重の価値観が見て取れます。この場所は植民地主義批判の装置としても、大連の文化資源装置としても機能しており、状況に応じてどちらの要素も主張できるような場所として保存されているのです。

 保存されているのは行政の建物だけではありません。住宅もまた再利用されています。かつて日本人たちが生活していた住宅は、戦後低所得者層の中国人に分配されたため、彼らが現在まで住み続けたことで残されてきました。しかしここでは、昨今の都市再開発をめぐる問題が生じていました。
 たとえば大連駅前にはかつて連鎖街とよばれた住宅兼商店街がありました。一九三〇年に設立されたこの商店街は三階建ての集合建築で、鎖のように商店が連なっていることからこの名前が付けられています。二〇〇ほどの店舗には、ブティックや雑貨、食堂のほかにも、映画館、ホテル、ダンスホールなどがありました。現在では青泥橋街に町名がかわっていますが、建物はそのまま利用されています。この地区は戦後日本人がいなくなったあとに低所得者層や移住者に分配されたため、現在でも住居兼商店として利用されているのです。
 しかし現在連鎖街の住民は、駅前地区の都市再開発にともなって移住を迫られています。二〇〇八年二月に、私は連鎖街の住人である知人の中国人に連鎖街を案内してもらいました。建物の裏側にある入口は狭くて、強烈な生活臭が鼻をつきます。玄関からすぐに急勾配の階段が伸びていて、内部は暗くて小さな白熱灯だけで足元がよく見えません。しかし日本語で書かれた配電盤が六〇年前とかわらないことを物語っています。みしみしときしむ階段を上ると部屋の入口がいくつも並んでいて、そのひとつが友人の家でした。
 部屋はとても狭くて分厚い窓と高い天井が印象的でした。知人は孫と二人で暮らしています。孫は今年小学校に入ったばかりの一年生で、学校は歩いて一〇分ほどです。
「仕事場が駅前商店街だし、買い物をするにもこの場所はとても便利だよ。でも来年立ち退かなければいけないんだ」。再開発による立ち退き料は1uあたり七〇〇〇元〜一万元ほどで、25uほどのこの部屋は、多くても二五万元程度。そこからさらに税金等が引かれ、大連駅周辺の家の相場は安くても七〇万元だから、郊外へ行かざるを得ません。
「だから開発区の向こうに引っ越さなければいけないんだ。あそこには安い家がある。でもここから遠くてとても不便だ。そりゃこの場所から離れたくないよ」。友人は淡々と語っていました。仕事場のこと、生活費のこと、孫の学校のこと、問題はたくさんあります。知人は「また来てね」と言ってくれたが、次に来ることができるでしょうか。彼女たちが立ち退いたあとの場所には、清潔で近代的な街が広がっていることでしょう。
 日本統治時代の建物が保存されたり壊されたりすることは、都市再開発の一環として実施されることで古い建物に新たに価値が付与される一方で、昔からの生活者の生活を脅かす危険性をはらんでいます。大連に刻まれた歴史が現在どのように形をかえているのか、現地に立って考えてゆくことが大切だと考えています。
 本報告は、二〇〇八年度立命館大学大学院博士課程後期課程国際的研究活動促進研究費の受給によって実施した大連調査に基づいています。




大連



大連



大連

UP:20091107(篠木 涼) REV:
全文掲載  ◇佐藤 量
TOP HOME (http://www.arsvi.com)