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「イギリス健康格差対策に関する省察」 *)

アダム・ジェームズ・オリバー(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスRCUK研究員)
  Reflections on the Development of UK Health Inequalities Policy
  Oliver,Adam James
日本語訳:松田 亮三(立命館大学大学院社会学研究科教授)
松田 亮三棟居 徳子 編 20090220 『健康・公平・人権――健康格差対策の根拠を探る』
立命館大学生存学研究センター 生存学研究センター報告7, pp. 85-113.

last update:20100618

要 約

 要約は、本文についてまとめ、読者の関心を引き、もっと読みたくなるように書かれているものだ。残念なことに、読者の多くは要約を論文全体のかわりにしてしまうが、短くしたものが要約なのだから、それは多少とも間違った印象を与える可能性がある。この要約を読み終えても、みなさんが引き続き読んでくれることを願っている。そうすれば、イギリスの健康格差をめぐる事柄に関心が高まっていった歴史―私自身の個人的な歴史と私個人をはなれた歴史―について述べていることが分かるであろう。次に、最近の労働党政権の政策対応について要約し、この対応の効果について簡潔に述べ、最後に、非常に対処が困難な健康の不平等に対して、3方面から攻めていくという政策を提案する。
   
「道徳上の真実を希求した、未熟ではあるが明確な意図をもった精神の放浪を短く書き連ねることは、おそらく、このような機会でも無用なものではなかろう。一人の精神の歴史が、あまたの人々の歴史となるのであるから。」─────ジェレミー・ベンタム『政府についての断章』

はじめに

 進行中の公的な意見集約(consultation)に示されているように(House of Commons Health Committee, 2008)、医療政策の関係者の間で社会経済的な不平等に関する言説は流行し続けている。ただし、歴史的にみても、地球上の他の多くの国々と比べても、イギリスのほとんどの人々は非常に高い生活水準を享受している。確かに、近年ではこうしたことの多くは過剰に膨張している信用バブルに基づいているもしれないし、また貧民地域が残っていることも確かである。だが、ハロルド・マクミラン1)が今日生きているなら、これほどよい境遇にいたことは一度もないとおそらく言うだろう。これは、物質的な面だけでなく、健康についてもいえる。しかし、この意味での「よい境遇」の相対的な向上は、ある人々については、他の人々の経験を上回る速度で進んでいるようにみえる。
 いつからか、私は社会的公正の問題一般に興味をもっており、最近では、特に健康格差に興味を持っている。この関心がどこから来ているのかについては、はっきりしていない。おそらく、その一部は私自身の家族史に由来している。たとえば、私の父方の曾祖母は恵まれず夫もいなかったので、私の祖母は19世紀末のビクトリア時代のワークハウス2)で育てられたようである。彼女のおかれた状態というのが本当にひどかったので、人生の終わりが近づいてきた時に、同じ建物―すでにナーシング・ホームに改築されて長く経っていた―に彼女が送り返されることになっていると、誰もあえて彼女に言わなかったほどである。また、子供の時に、父は病気のために早く引退しなければならなかったが、その病気はひょっとしたら葉巻への依存―私は箱の中の収集用カードを楽しんでいた―と、そして彼が25年間以上鋳造所で働いていたということによるのかもしれない。私は、2回ほど土曜日にそこを訪れたことがあり、ヒトの健康に対して明らかに理想的とはいえない何かで大気が満ちていたのを覚えている。そのころはよく分かっていなかったが、父が病気で仕事ができないということは、おそらく私自身の性格に、良かれ悪しかれ、甚大な影響を与えてきた。
 父の病気が出現する2、3年前に、マーガレット・サッチャーが最初の総選挙で勝利した。もちろん、サッチャーは健康格差をさほど気にかけたわけではない。実際、サッチャー政権は健康格差の存在をほとんど認めなかった。しかし、1997年に最初のトニー・ブレア政権が成立し、健康格差の縮小を真剣に受け止める方向に政策は向かった。実際、新政府が最初に行ったことの1つが、健康格差について独自の調査を任命することであった。これは、後で言及するが、よく知られる「アチソン報告」として結実した(Department of Health, 1998)。独立委員会の報告が公表されてしばらくしてから、リチャード・クックソン3)と私は、イギリス健康公平ネットワーク(UK Health Equity Network, HEN)4)を設立する可能性に関して話すために、ドナルド・アチソン卿に会った。ドナルド卿の激励を得て、リチャードと私はネットワークを設立した。現在、約700人のメンバーを擁し、ネットワークは順調である。ただ、メーリングリストでの議論の後で、左翼系の人々にとっての最大の障壁は、他の左翼系の人々であると、時々考え込むことがあるが。ドナルド卿とのその会合から、また数年間にわたって他の様々な人々から私が学んだ教訓は、だいたいにおいて、追求する価値があると本当に思う考えがある場合には、激励してくれる人々の言うことだけを聞くようにすべきだ、ということである。
 あまりに多くの個人的経過を漏らしてしまったが、論文の残りの部分は、おおまかには以下のような構成となっている。まず、健康格差の問題がイギリスでどのようにして研究課題となったかについての小史、そしてどのようにしてこれまでのイギリスの政権によって、無視され、そして迎え入れられてきたかについて述べる―もちろん、これはより進歩的な政権か、あるいはより保守的な政権が成立したかどうかによっている。次に、健康格差縮小に向けた最近の政府の対応を概説し、これらの政策イニシアチブの成功あるいはそうでないものをまとめる試みを行う。そして、既存の業績をふまえ、私は健康格差縮減に向けて3つの方向から政策を提案する。その中軸は、保健専門家に対する非金銭的な競争的インセンティブ、個人の健康をより良くするための金銭的インセンティブ、およびリバタリアン・パターナリズムにある。そして最後に結論を述べて締めくくる。
 

小 史

 「健康格差」、または「比較的貧しい人々の健康条件」への関心は、イギリスで長い伝統があり、おそらく19世紀中頃(ワークハウスにおける私の祖母の経験の数10年前)の功利主義的社会改良者エドウィン・チャドウィックの仕事に最もよく示されている。1830年代に、ロンドンのホワイト・チャペルでインフルエンザと腸チフスが流行したのに対応するため、チャドウィックは、衛生状態について独立した調査を行うよう当時の政府によって要請された。1842年に、彼の『大英帝国における労働人口の衛生状態に関する報告書』は、自らの資金を用いて約7,000部発行された。主な結論は、社会のより貧しい集団の疾病は、概して、湿気た、汚れた、そして過密化した生活水準によって引き起こされている、ということであった。しかも、これらの要因によって、通常男性は45歳―スウェーデン人口の寿命より13年短い―に至る前に死亡し、生産的労働年数の平均損失が8〜10年に達している、と結論づけた。さらに、彼は、「有害な物的条件」の下で育てられた若年層の健康がひどく害されたと論じ、これらの事情によって、短命で、先見の明に欠き、無謀で、不摂生、そして官能の満足のための習癖を持つ大人達が生み出されている、と主張した。
 おそらく、上記のことからすれば当然だが、チャドウィックは、下水、換気、および給水の改良を支持し、各家屋に水洗便所を要求した。彼は、これが病気と夭逝を減少させ、全労働階級に、スウェーデンでみられるような寿命の延伸を約束するものだ、と主張した。私にとって興味深いのは、提案した改革案が金銭的節約をもたらすと、チャドウィックが強く信じていたことである。彼は、功利主義に深く傾倒し、たいそう規範を説く性質であった(そのため極端に人気がなかった)。これら両者により、彼は世界で最初の―広い意味での―医療経済学者と称される資格がある5)。また、その徳を説く傾向によって、彼は公衆衛生の専門家、社会学者、そして、その他のありとあらゆる専門家集団の一員にも列することができる資格を備えている。
 チャドウィックが報告を提出したとき、ロバート・ピール卿によって率いられていた保守党政権がその勧告を支持する気がないことは、明白であった。しかし、バートランド・ラッセルの祖父であり貧者に同情的であったジョン・ラッセル卿によって率いられた1847年のホイッグ党(あるいは自由党)政権の選出によって、議会は1848年公衆衛生法を成立させた。この法律はチャドウィックの関心事を多く含んだものであり、道路清掃・廃物回収について定め、給水・下水の施設・設備体系を確立・改良した。
 したがって、公衆衛生についてはかなりの進歩が19世紀末になされたが、保健医療の供給について、どうなるかわからない篤志・慈恵的部門から貧乏人が抜け出すには、次の世紀の中頃まで待たなければならなかった。1948年に、イギリスは、有力な保健大臣アニューリン・ベヴァンによる強力な支持により、国民保健サービス(NHS)を導入した。初めて普遍的な医療を、利用の場面で無料とし、資金によってではなく必要によって、提供したのである。こうした表現は、サッチャーリズムの遺産によって、このところ書くことに恥ずかしさを覚えるような、ロマンティックな社会主義者のスローガンになっている。
 NHSを導入する機会は、いろいろな状況が普通あり得ないほど同時に発生することによりもたらされた。たとえば、第二次世界大戦中、イギリスは共通の敵との戦いを通して数年間にわたり結束した。医師の動員も首尾よく行われ、彼/彼女らが共に協力して働くことができることを示した。1945年に、ウィンストン・チャーチルの連立政権は、総選挙で英国史において最も社会主義的な政府によって打ち破られ、新政府は大々的な社会改革・産業改革を導入する強い権限を得たi)。そのうえ、影響力のある製薬会社のような、普遍的な健康保険の導入に反対する強力な金銭的利害関係者はほとんどいなかった。人口の大多数は包括的な医療保障を受けることを切望していた。多くの人にとってはそうした保障は人生で初めてのことであった。イギリスのNHSの導入は、人類史上における偉大な社会改革の一つであり、今もそうあり続けている。ただ、それから20〜30年間、健康格差の問題は保健・医療政策をめぐる議論からほぼ欠落することとなった(Webster, 2002)。残存する健康格差はNHSが消散させるだろうと、単純に決め込まれたのである。
 しかし、1970年代初頭までに健康に関連した格差の問題は、ふたたび厄介な問題として研究者の間で、最終的には医療政策関係者の間でも、台頭してきた。1971年に、テュードア・ハートが有名なケアの逆転法則について書き、医療の利用と必要は負の相関があると主張した。このことは、相対的貧困者が直面しているNHSへのアクセス障壁が不均衡であることを含意していた。そして、1970年代の半ばには、ある若い学生(後の社会疫学者リチャード・ウィルキンソン)が、社会保障相デヴィッド・エナルス宛の公開書状を『新しい社会』誌6)に投稿した。そこでは、投稿時点において、社会階級による死亡率の格差が、正確な記録収集がなされて以来、最大となっていることが述べられた。ウィルキンソンは、エナルスがこの状況に対処するだろうと思い、健康格差を調べ、改善措置を勧告するための調査を委任するよう促した。エナルスは書状を読んだが、初めのうちは緊急の調査の必要性があると確信していなかった。しかし、後に考えを変えた。1977年3月、エナルスは、社会主義医師協会7)での演説(この草稿は、偶然にも公務員諸氏にこの問題の重要性を説き伏せたエイベル-スミスが作成した)で、福祉国家導入後も健康における社会経済的な差異が大きくなっていることを指摘し、その問題についての独立委員会を、当時保健社会保障省の首席科学官であったダグラス・ブラック卿を主査として、設立することを表明した。
 最終的に「ブラック報告」は3年後の1980年に公表された(Department of Health and Social Security, 1980)。それは1970年代半ば以前の数十年についての証拠に焦点をあて、人生のすべての段階で、低位の職業群で健康状態がより悪いことが明白であり、低位と高位の職業群間の格差が拡大していることを示した。格差の拡大は、たとえば、所得、労働条件、失業率、教育水準と教育段階、居住状況、運送設備、喫煙、食事、およびアルコール摂取、などにおける社会階層間の差異の結果と考えられた。つまり、ほとんど何もかもが異なっていたのである。もっとも、「ブラック報告」は、医療サービスそのものは健康格差の原因としては限定的な役割を果たしているのにすぎないことを強調したii)。かくして、「ブラック報告」は、最もひどい状況にある人々の物的環境を改良するための多数の勧告を行った。これには、児童手当の拡充、妊娠時の補助、乳児手当、障がい手当、一時避難住宅、および住居改良補助、などが含まれていた。報告はまた予防とプライマリ・ヘルス・ケアに重点が置かれることを要請した。
 報告作成者には残念なことだが、この勧告を行う前に、政権が変わってしまい、マーガレット・サッチャー政権がその1年前に選出されていた。チャドウィックの『労働者人口の衛生状態』と同じ歴史を繰り返すように、政権を務めていた保守党政府は、「ブラック報告」の結果の実施に関心を払わなかっただけでなく、その普及を抑えようとした。これは、後に裏目に出た戦略であった。これについて思い返されるべきなのは、1980年の夏にはサッチャー政権は非常に人気がなく、特に、世界大恐慌以来最大規模の失業の増大を引き起こしたとされる経済政策のために、攻撃されていたということである。そのため、政府にとって、貧乏人の苦況を目立たせるのは政治的に不利であり、また偽善めいていると思われたであろう。多分その結果、報告書の公表は夏のバンク・ホリデー8)に予定され、ほんの260部の資料が配布されただけだった。おそらく、これは結果への関心をできるだけ少なくすることが望まれていたためであろう。
 報告書の著者らは、仕方がなく、自分たちで記者会見を行うことにした。メディアの関心はこれによって沸騰し、特に医学雑誌はその後10年間あるいはそれ以上、健康格差の問題を―少なくとも研究課題としては―論じ続けた。政策場面では、労働党―その頃であれば、まだ真剣に「社会主義」という標語を主張できただろうが―は、次に政権を担う場合には、勧告を優先的に実施するという決議を行った。そういうわけで、やや皮肉なことだが、当時の政府が「ブラック報告」を取り扱った仕方によって、サッチャーに理念上対抗した人々は健康格差研究を広げるよう刺激されたのである。また、ここ10年間政権を維持している労働党政権の政策課題の形成に、少なくともある程度寄与したであろう。
 しかしながら、いまや明らかなように、報告書には、発表当時、直接的な政策への影響は存在しなかった。当時の社会保障相、パトリック・ジェンキンズは、勧告の実施は、費用面からして、当座または予見できる将来の経済環境では不可能だと結論を下した。その頃の経済環境を前提とした場合、ジェンキンスは核心をついていた。もっとも、活動を展開しないということをそのように正当化することについては、なぜ戦争を遂行する公財政はしばしば見いだされるのか、という疑問をもたれる人もいるであろう。1983年の選挙でサッチャーが得た圧倒的勝利を、最終的に手助けすることとなったフォークランド紛争が適例である。いろいろと考え合わせると、純粋に見込まれた費用の点からいっても、勧告がなぜ全体として受け入れられなかったのかは理解できる。とはいえ、開店休業となる理由があったようには思われない。労働党がまだ政権を握っていたなら、少なくとも勧告のいくつかが実施に移されたということはありそうである。
 上述したことからすれば、報告書を作成するのに時間がかかった理由を問わなければならない。そのため、政治的機会という扉が、目前でピシャリと閉まってしまったのである。ここで、左翼系の人達が、自身の最大の敵である、と前に述べたことが関わってくる。報告書の著者のうち、社会学者のピーター・タウンゼンドと疫学者のジュリー・モーリスの2人は、報告書の内容に同意することが非常に難しいことに気づいた。手短に言えば、タウンゼンドは勧告の費用を捻出するため病院の消費を削減するよう提案したがっていた。そしてモーリスはこれが医学の修練を受けた学者である彼の信条に反すると考え、むしろ病院の実収入を維持しつつ、将来の支出増加を相対的により多く地域保健・医療に投下することを望ましいとした(Berridge, 2003)。この点については、おそらく両者とも何らかの意味で正しかった。経済環境を考えるならば、勧告に関する財源の由来を指示することがおそらく賢明だが、しかし一般大衆とメディアが病院消費の削減案についていかなければ、そのような行為は政治的に無謀となる。しかしながら、本当のところは、この諍いはむしろ小さな問題でしかなく、報告公表の遅れの主な理由は、政府事務官の妨害であり、これと1978年半ばに準備された草稿を公表するには十分でないとタウンゼンドとモリスが一致して判断したこととが結びついたのである。
 政府事務官の妨害はさておき、「ブラック報告」に関する歴史が示しているのは、政策に影響を与えるためには、「理想」のようなものに近づいて遅れるより、「素早いが明確にする余地のある」勧告を出す方がいいのかもしれない―これは私を含めて多くの研究者にとっては呪うべき事実だが―ということであるiii)。というのは、政治的な機会の扉は通常短い期間しか開かず、それから何年間も、おそらく数十年もきつくまた閉ざされてしまうiv)。このことは、イギリスにおける健康格差政策に関する実情を示している。つまり、実際、労働党は、再び与党になった際に、健康格差の問題に従事するという決議を尊重したが、それまで17年間保守党政権下の野党であった。最初に述べたように、新しい労働党(ニューレーバー)政権が最初に行ったことの1つが、健康格差について、独自の検討を新たに任命することであった。この検討の主査には、元主席医務官(Chief Medical Officer)9)のドナルド・アチソン卿が就いた。
 「アチソン報告」公表の数年後、私は医療経済学者の立場から、報告書の内容とその作成過程についてかなり批判的なモノグラフを書いた。以下に、引用しておこう。
  「アチソン報告」に対する批判の一つは、費用効果による勧告の優先順位づけが行われていない、ということである。資源は常に限られており、それらができるだけ良い方法で利用されるようにするのは、政府の責務である。費用効率に従って健康格差縮減のための政策に優先順位をつけるのは、健康格差の議論を進捗させる上で重要な方法である(Oliver, 2001, p.49)。
 また、私は当時、検討チームが医療経済学者を含んでいなかったことに、やや困惑した。なぜなら、政府は、アチソンにこの検討を依頼する際に、どのような勧告であれ、その費用効果に関する証拠をはっきりと要求したからである。
 しかしながら、この論文を書いている2008年6月になってみると、「アチソン報告」の執筆者たちへの批判を急ぎすぎたことが分かった。行われた勧告の数が多数にのぼったこと―概括的な39の勧告がなされ、さらにより詳細な勧告が数多くなされた―を考慮したとしても、もっとも効果のあるものがどれかを強調し、少なくとも費用についてのおおよその見当を示すべきであったと思われる。しかし、今考えると、標準的な費用効果分析がもつ還元主義的性質、すなわち与えられた保健・医療資源のもとで健康を単純に最大化する勧告を示すというようなことは、限られた状況でのみ適切となるやり方であって、それ自体が明らかに「良い」政策を支持するために具体的な証拠を俟つのは、時として不要かつ自滅的である。ただ、私は、報告書についての私の他の批判のいくつか―たとえば、勧告の多くは、健康格差の縮減それ自体よりむしろ一般的な健康の最大化に集中しているということ―は、正当なものであるとも信じている。特に、住民の健康を改良する手段は、比較的暮らし向きが良い人々が、それらの手段をもっとも利用できるとすれば、健康格差を拡大する可能性があるからである。この点は、アチソン委員会によっても実際に認められていたが、勧告には十分反映されていない。しかし、引用した文献や他の論文そして発表での私の当時の批判の論調をみると、おそらく私は、がん・エイズ専門医であるジェローム・グループマンが、「無経験ゆえの傲慢」と呼ぶものに取りつかれていたようだv)。
 「アチソン報告」は「ブラック報告」ほど練られたものではなかったが、これはおそらくアチソンのチームが教訓を得ていたからであろう。つまり、彼らは、政治の窓から暖かい風がくるのは一瞬であることを、ブラック(報告の経緯)から確実に学んでいた。そして、「素早いが明確にする余地があり」、効果がありそうな勧告リストの方が、完全な形で提出され、十分に正当化された―しかし遅れた―直接的政策効果を全くもたない優先順位リストより、おそらく良いと考えたのであろう。そのうえ、幸か不幸か完結までに1年間しかなかった。したがって、おそらく政府もブラック(報告の経緯)から教訓を得ていた。私は、これが医療経済学者がチームの一員でなかった主な理由ではないかと思う。実際にチームに加わっていたと思われる人から聞いたことだが、医療経済学者を含めると報告書の作成が遅れるという危惧があったそうだ。この心配は、私が個人として見てきた、医療経済学者と公衆衛生の専門家にある手に負えないほどの合意の不在、特に年輩世代でのそれを考慮すれば、不合理なものではない。
 1970年代から1990年代の期間に集中することにより、「アチソン報告」は「ブラック報告」を引き継ぐものとなっている。密度は低いとしても、多くの点で前者は後者を更新したものである。「アチソン報告」は、健康における社会経済的不平等がかなり残っており、実のところ近年になるほど増加していると結論づけ、NHSの領域をはるかに越えた多くの勧告を打ち出した。また、報告は、社会階層と所得による健康格差を越えて、それらを横切る―たとえば、教育水準、ジェンダー、および人種などで定義された集団を見ていた。全体として、3つの勧告が重要なものとして強調された。最初に、健康に影響を与えそうな政策はすべて、健康格差への影響という視点から評価されるべきである、ということである。次に、子どものいる世帯の健康を最優先にすべきである、ということである。これは、小児期の健康がライフ・コースのすべての段階に大きな影響力を持つことを認めたためである。また、どんな政策提言にも子どもを含めたことによって、異議が出そうなところを中立化している。というのは、一般的に子どもは健康問題について責めることができないと認められているからである。3番目に、所得の不均衡を減らし、貧困世帯の生活水準を向上するために、さらなる手段がとられるべきである、ということである。このように、勧告は明らかに一般的なものであった。
 次に、検討委員会を任命した政府の報告書への政策対応はどのようなものであったかをみていく。
政策対応
 「アチソン報告」によって具体的に示された新たな政策が何かを確定するのは難しい。なぜなら、仮に報告書が書かれなかったとしても、政府が報告と合致する新たな政策を導入したかもしれないからである。いくつかの場合において、報告は既存の政策や差し迫った政策の正当性を増すのに役立った。それにもかかわらず、「アチソン報告」の影響を否定するのは難しい。健康格差への取り組みは、政府の保健政策についてのレトリックの中心的位置をしめるようになった。報告とその3つの重要な勧告は、いくつかの公式の施策方針文書で用いられた。さらに、当時の保健省公衆衛生局長のドナルド・ナットビームは、政府はがんと虚血性心疾患という「主要な死因(big killers)」―これらは比較的低い所得の人々に特に影響している―に対する取り組みを重視すると書き、私の「アチソン報告」への批判の1つに共鳴して、健康格差を減少させるには、健康状態の全体的な向上だけでなく、健康の分布に焦点をあてる必要があることを明確に認めた(Nutbeam, 2003)。
 2001年2月、当時の保健大臣(Alan Milburn)は、2つの健康格差縮小目標―イギリスにおいてこの政策領域で最初に設定された目標―を発表した(Milburn, 2001)。目標の内容は以下の通りである。
  (1) 2010年までに、ルーチン業務従事者・肉体労働従事者と人口全体との間での幼児死亡率の格差を少なくとも10%減少させる。この目標が、たとえば、十代の妊娠を抑える、良好な出産前ケアへのアクセスを向上させる、妊娠中の栄養を改良する、といった努力を促すことが望まれていた。また、この最初の目標を達成するための改良が、2番目の目標を達成することにもつながることが望まれていた。
  (2) 2010年までに、最も平均寿命の低い5分の1の地域と人口全体との格差を少なくとも10%減少させる。この目標が、「主な死因」に取り組むこと―たとえば、喫煙率の減少、栄養とライフスタイルの改善、高血圧の発見と管理の改善、効果的な検診(スクリーニング)の実施―によって達成されることが望まれる。(Nutbeam, 2003)。
 上記に加え、政府は健康格差を狭めることに貢献すると思われる政策を数多く実施した。これらに含まれたのは、最低賃金、若年長期失業者の就労援助に向けた「ニューディール」、荒れた貧困地域での‘近隣再生戦略'、貧困に生きる子どもに早期学習を提供する「シュア・スタート」、人々、特に年金受給者、が暖房費用を賄えることを支援する燃料貧困戦略、中央省庁間を横断し連携のとれた健康格差縮小の努力を促進する省庁横断実施計画、である。これほど多くの政策が同時になされる場合には、何が原因かということは難しく、それぞれの政策が健康格差にもたらした効果を分離するのはおそらく不可能である。もっとも、このことは、計量経済学者の誰かがいつか試みるだろうが。そのうえ、省庁横断実施施策(時に「統合政府(joined-up government)」と呼ばれている)は、おそらく実質よりも言葉の上で輝くものである。これは、主に、各省庁にはそれぞれの課題があり、自分たちを中心にして活動する傾向があることによる。たとえば、当時の社会保障大臣であったアリステア・ダーリングを健康公平ネットワークの最初の会合に招待した際、私は、たぶん彼の秘書の一人からだと思うが、社会保障大臣ではなく保健大臣に招待状を書くべきであったという回答を受け取った。こうしたこともあったが、総じてみると第1期ブレア政権は実に活発であった。
 最近の健康格差対策の試みは、焦点をより絞り込んだものとなっている。具体的には、政府は、上記の目標(2)と関連して、健康指標が最も不十分と考えられる5分の1の地方自治体所管の地域を特定し、その自治体を「先頭グループ(spearhead group)」と区分した。地方自治体が先頭グループ―イギリスの人口の28%を含んでいる―になるには、以下の5つの基準のうち3つの基準で全国の中で5分の1以下である必要がある。
 (a)男性の平均寿命
 (b)女性の平均寿命
 (c)75才未満のがん死亡率
 (d)75才未満の心血管疾患死亡率
 (e)多重剥奪指数10)
 先頭グループがその地域住民の寿命を向上し、目標(2)の実現を進めるため、保健省は、ロンドン健康状況把握機構(London Health Observatory)11)と連携し、「健康格差介入ツール」と呼ばれる対話的オンライン情報源を開発したvi)。たとえば、このツールでは、先頭グループ自治体について、現時点の寿命、それとイングランド平均および先頭グループ平均との差、それぞれの自治体における主要疾患の有病率、が示されている。このツールの目的は、それぞれの先頭グループ自治体が最も努力を集中しなければならない疾病を示すことにあると思われる。これは、たとえば、各先頭グループ自治体のさまざまな疾病による死亡率と、先頭グループの平均とを比べて表示することにより示される。
 過去10年間に健康格差政策は非常にたくさん導入されたが、全体的な効果はどうだったであろうか。目標(1)については、すべての集団で、乳児死亡率が史上最も低いものとなった。2004-06年では、単純労働従事者・肉体労働者層で5.6(人口千対)であり、イギリス・ウェールズ全体で4.8(人口千対)であった(比較のために挙げれば、1997-99年ではそれぞれ6.3と5.6であった)。しかしながら、単純労働従事者・肉体労働者層と人口平均との格差は、目標設定のためのベースラインからの期間(すなわち、1997-99年)では、狭まっていない。実は、格差は、13%(1997-99年)から17%(2004-06)へとわずかに拡大していた(Department of Health, 2007)。
 同様に、目標(2)についても、寿命はすべての集団で増加したが、先頭グループでの増加はやや遅れ、その結果格差は広がり続けた。表1は、目標ベースラインである1995-97年から2004-06年にかけての、性別寿命の変化を、イングランド平均および先頭グループ自治体平均でみたものである。

 これによると、乳児死亡率と寿命での格差を2010年までに10%減少させるという政府目標が達成されそうにない。しかし、だからといって、政府の健康格差政策の展開が完全に失敗したという結論を下すことには慎重であるべきである。粘り強く続けられるなら、その効果が遅れて現われ、将来何年も経ってから政策の成果を得ることができるかもしれないからだ。
 ただ、政府の健康格差政策の方向性をいささか紛らわしいものにしていることの一つに、目標における測定基準の選択の問題がある。より詳しく述べると、なぜ先頭グループの実績を比較する対照として、全国平均の健康指標を選んだかが、よく分からないのである。本当にかなり恵まれた人達が多く先頭グループ自治体で暮らしているというvii)、健康格差の構図をぼやけさせる事実はさておき、全国平均値を対照に用いると、全体として伝えたい内容がわかりにくくなる。たとえば、乳児死亡率は上述したようにすべての集団で歴史的に低い水準となっているが、寿命に関する先頭グループ自治体平均と全国平均との差は、男性では2年、女性では2年未満にすぎない。このような示し方は、こうした格差が本当にそれほど意味のあるものか、そしてその縮小に必要とされる資源と努力は他に向けられた方がよかったかもしれない、という疑念を残すことになる。政府がこのような比較に焦点を合わせたのは、おそらく、2010年までに実際に目標に達することができるようにしたかったためではないか。しかし、もしこの目標を打ちたてるとき、政府が健康格差の両端間の格差縮小に焦点を当てていたとしたら―たとえば、ケンジントンとチェルシーにおける寿命は、男女とも、リバプールとマンチェスターのそれより約10年間長いのである(Department of Health, 2007)―、目標達成に向けた手段を支援することは、もう少し喫緊の公的事項となっているかもしれないのである。
 しかしながら、健康格差が注意を払うべき問題であると確信を持ち続け、効果が遅れて出現するという議論があるにもかかわらず、2010年の目標は実現されそうにない。したがって、おそらく何か底上げするような政策が必要であろう。そろそろ、この永続的ともいえる厄介な問題に対処するための3方面からの対策の話に進もう。
いくつかの政策提言
 提案について子細に述べる前に、少しお断りしておかねばならないことがある。以下において、私は、しばしば個人の行為外の要因(たとえば、所得水準・分配、教育、住居、並びにその他の健康の社会経済的決定因など)が、健康と健康格差の主要原因ではないと決して言うつもりはない。実に、より広い健康の社会経済的決定要因の分配に取り組むのは、何よりももちろん「ブラック報告」の主要な総括的勧告であり、間違いなく、私がここで提案するものより健康格差縮小に幅広く多くの影響を及ぼすであろう。なので、私は、(健康格差という)現下の問題に取り組むために政策決定者が集中すべき主な分野が医療制度である、というつもりもない。また、私は医療についての具体的な政策提言の完全な一覧を示すものでもない。健康の社会経済的な意味での分布を狭くしていく試みにおいて、医療提供者に金銭的誘因を提供するのは、非常に効果的ということになるかもしれないが、本稿ではこの方向での政策論を行うつもりはない。ブラックとアチソンがかつてその多くを提案したように、健康格差に取り組む実行可能な政策はあり余るほどある。だが、私は議論の範囲を3つの取り組みに限定しておきたい。私の3方面の対策は、医療財政の支払者および供給者に焦点を当てたものであり、人々がより健康なライフスタイルを採用するよう奨励する方法に注目したものである。もっとも、私の提案のいくつかの基礎となっている基本的な考え方は、間違いなく他の分野でも適用できるはずである。それゆえ、私の提案は限定的なものであることは確かだが、どのようにして政策決定者が健康格差を少しでも狭めようとするかを考える上で、なにがしか有用であると思われる。
 私は、イギリス、オランダ、日本、および米国で、いろいろな職業の人達に囲まれて暮らし働いてきた。ほとんどの人達に共通であるように思えるのは、何かなすべきことを言われるのが好きではないということである。このことが特にあてはまるのは、タバコや、アルコール、ポテト・チップス、それに寝転がることやリモコンの利用のように、人々が人生のちょっとした喜びであると考えていることを止めるように言われる場合である。そこで、人々に自分自身で変わるよう奨励する方法を探す必要がある。これは、もちろん、彼らに何をするように、あるいはしないように言うとか命令するとかいうよりは、彼らの行動変化を是認することを想定しているのである。私の提案は、この奨励に該当するものであると望んでいるが、これを保健専門家に対する非金銭的・競争的インセンティブ、個人の健康を向上させる金銭的インセンティブ、リバタリアン的パターナリズム、と名付けることができる。
 

非金銭的・競争的インセンティブ

 考え得るあらゆる分野において、専門家のパフォーマンスというのは、自然の競争本能に訴えることにより、向上することができる。さらに、これを実現するのには、直接金銭的に人々に報酬を与える必要はない。『軽いひとつき(Nudge)』という最近の本で、リチャード・セイラとキャス・サステイン―それぞれ行動経済学と法学の著名な教授である―は、医療以外の分野でだが、非金銭的インセンティブをうまく適用したいくつかの例を論じている(Thaler and Sunstein, 2008)。たとえば、米国には、法定の有害化学物質排出目録(Toxic Release Inventory)があり、企業は排出した毒性化学物質の量を政府に報告し、健康に対する潜在的危害についての情報を開示しなければならない。この結果、これは政府が予想していなかったことだが、開示の要件が毒物排出の大幅削減につながったということである。セイラーとサステインによれば、この理由は、主な違反者は政府に目をつけられ、環境ブラックリストに載せられ、そのことで当該企業の評判が悪くなる、ということのためである。このため、企業はブラックリストから逃れるために、排出を減らす努力をすることとなる。というのは、目標をきちんと達成できないとは、誰もみなされたくないからだ。開示の要件は、環境と住民の健康に良い企業の業績一覧による競争の一つの型を作り出したということになる。セイラーとサステインは、他の分野における類似の結果を挙げている。たとえば、ロサンゼルスでは、衛生品質等級票を窓に表示することがレストランに対して要求されている。1998年にそれが導入されて以来、レストランの保健衛生評点は向上し、顧客はレストランの衛生をより気にするようになった。そして、食物を原因とする疾患による入院は減少している(Zhe Jin and Leslie, 2003)。
 このように、「競争する企業」間での情報開示、それによる実績一覧による競争によって、政府に対する金銭的負担がほとんどなくとも、パフォーマンスを向上することができる。実は医療分野での例もいくつかあり、既に試行、評価が行われている。たとえば、退役軍人健康庁―米軍の退役軍人のための公的財政・供給による医療制度―は、従来パフォーマンスがよくなかった。しかし、1990年代の半ばにさまざまな工程品質指標に関する開放的な病院実績の開示が導入されてから、5年の間に、米国医療で最もよいパフォーマンスをあげるようになった(Oliver, 2007)。この場合も、「推進力」は単純であった。目標をきちんと達成できないとは、誰もみなされたくない。2001年に取り入れられた星付けによる病院の評価は、このタイプの取り組みにおけるNHSでの先例となったものである。この評価は、実績によって3つまでの星(ゼロの場合もある)で病院を格付けるというものだが、待機時間、清潔度、治療に関連するデータ、および財務管理など多くの指標の年次評価を含んでおり、これにより救急車出動と入院患者待機についての指標が結果的に向上したという証拠がいくらか得られている(Bevan and Robinson, 2005)。
 では、このことは健康格差を狭めることと、どのように関連するのであろうか。ブラックリストや他の形式による「批判」で人々の動機を損ねないように注意すべきだが、前述の健康格差介入ツールは、様々な先頭グループ自治体の具体的なパフォーマンス指標を開示し、それによって競争を奨励することにより、大きな役割を果たすかもしれない。そのツールは、今よりももう少し想像力を働かせて、そして、いくらか具体的に用いることができるかもしれない。たとえば、安価ではあるが健康アウトカムと固く結びつき、それとの関連を示すことができる、それゆえ医療供給者が通常したがうべきである医療過程の質指標が数多くある。具体的には、心筋梗塞の患者が来院した直後に、アスピリンを処方することである。上述したように、退役軍人健康庁は、病院パフォーマンスが広範な審査にさらされて以来、標準的な医療上の手順について、大幅な改善を行ってきている。同様に、各先頭グループ自治体の中にある病院のパフォーマンスを、子宮頸部検診率や喫煙中止アドバイスの普及などの規準にもとづいて報告することは、類似の効果を持つであろう。先頭グループ自治体と各自治体の医療提供者が、簡単に対応できるような具体的な質指標を向上するための十分な動機を与えられるならば、全国的な健康格差について、最終的に格差が狭まることが期待できるであろう。

金銭的インセンティブ

 人々が行動を変えるのに対して支払いを行うという考えは、国際的な人口の健康向上のための努力を検討する際に、現在非常に関心がもたれている分野である。たとえば、より健康的な食事をし、薬物摂取や喫煙を止め、定期的な運動に従事するよう、人々にインセンティブを与えるべく、議論ないし試行がなされている。健康格差に取り組むため、こうしたインセンティブは比較的健康状態が悪い人々―すなわち比較的貧しい人々―を対象にするものでなければならない。これは、現在英国保健省によって考えられているやり方である。これは詳細な検討を行うべき一連の倫理的ジレンマを引き起こすこととなり、新規につくられる健康インセンティブ研究センター―私と健康心理士のテレサ・マルトー、そして生命倫理学者のリチャード・アシュクロフトが共同管理している―が、それらを分析することとなる。たとえば、金銭的インセンティブは、強制的であり、人々が本当にしたくないようなことをするよう奨励するのであろうか。これは、貧しい人々に焦点を合わせる時に、よりはっきりとしてくる潜在的問題の一つである。また、ほとんどの納税者が、どちらにしてもすべきと信じるようなことをするのに支払いを行うべきであろうか。
 生命倫理の問題はさておき、これらのインセンティブの効果はどうであろうか。既存の証拠によれば、答えは「場合による」ようだ。スコットランドのダンディーでは、地域の保健当局が最近、喫煙の中止に対して支払いを行うというパイロット事業が始められた(BBC, 2008)。喫煙は病気の主な原因であり、そして、ダンディーの最も貧しい地域の喫煙者は、12週間の事業で、タバコをやめるという条件―単純な呼気中一酸化炭素試験が行動の証明とされている―で、食料雑貨に費やすことのできるお金を1週間あたり12.50ポンド提供されている。しかしながら、喫煙行動への金銭的インセンティブの効果に関するコクラン・レビュー12)の結論は、金銭的な報酬は短期的な効果をいくらか持ちうるが、報酬が提供されなくなれば、これらの効果は消え失せるとしている(Hey and Perera, 2008)。肥満を減少させる金銭的インセンティブの利用についての検討でも同様の結論がえられた。そのようなインセンティブは総じて12カ月と18カ月後には効果がない。もっとも、報酬が可処分所得の1.2%以上である場合には、わずかなしかも有意でない効果があった(Paul-Ebhohimhen and Avenell, 2007)。
 こうした形式のインセンティブの実質的な効果が未だ示されていないとすれば、人々が価値を見いだす報酬が保たれるような方法を見つける必要があるように思える。すると、私たちが倫理的な反対で身動きがとれなくならないような方策を見定めることができるならば、報酬の選択について何か創造的に考えるのが有用かもしれない。たとえば、雇用者は月末に「禁煙」を続けている人に半日休暇を余分に提供するということが多分できるであろう。もっとも、もちろんこれは雇用されている人にしか関わらず、健康格差縮減への効果を弱めるかもしれない。ある場合においては、わずかな金銭的支払いより、奨励と正の強化が効果的な報酬である場合があるということが明らかになるかもしれない。「ブタもおだてりゃ木に登る」という言い方が日本にあるが、まさにお世辞によって何でもできるかもしれないのだ。このことを念頭において考えると、先に進む方法の1つは、貧しいコミュニティで、訪問看護師による健康状態についての簡単な定期点検を、そのサービスを受けたがっている人のために勧めるということであろう。たとえば、パフォーマンス・チャートを患者に提供し、「正しい」方向への動きに強力な正の強化を与えた上で、看護師は体重と喫煙率の変化を調べることができよう。全体的に見て、個人的な健康を改良する金銭的(そして非金銭的)インセンティブの便益、適切さ、費用の手頃さについての判定はもちろん未だ下りていない。ただ、この領域での詳細な研究には価値がある。それが健康格差への取り組みを試みていく上で、潜在的に成果のあがる研究の幹であるかもしれないからである。
リバタリアン・パターナリズム
 セイラーとサステイン(2008)は、リバタリアン・パターナリズムの考えに最も関連した学者である。基本的な考え方は、様々な理由で、人間は、少しの助けがあるならば、理念上避けることを欲し、また避けることのできる判断を、しばしばまったく間違えてしまうということである。ただし、政策決定者がこれらの間違いと偏見に気づいているのであれば、なお選ぶ自由を人々に与えることができ―リバタリアン・パターナリズムのリバタリアン側面―、「より良い」決定をするのを助けることができる―パターナリスティックな側面―かもしれない。これは、さまざまな方法で行いうる。たとえば、「指定がない場合の選択(default option)」を変えることができ、これは深い意味を持つことがある。例をあげれば、人々が(臓器の)提供を「選んでやめる(opt out)」国では、「選んで行う(opt in)」に比べて、臓器提供について、非常に高度に「表出された」意志がある。フレーミング効果、すなわち選択肢とその結果がどのように説明されるかは、人々の選択に大きく影響を与えうる。たとえば、継続した喫煙の否定的な効果について喫煙者に知らせるのは、喫煙中止の肯定的効果について知らせるのより多くの注意を引くかもしれない。というのは、人々は同じ程度であれば、獲得するものより損なうものに関して注意する傾向があるからである。たとえば、5年を失って75歳から70歳(までの寿命)となることは、70歳から75歳までの5年間を得ることより、人々に影響するかもしれない。さらに、選択肢がたくさんある時、人々が自身の特定の事情に最も有益な選択肢を選べるような諸条件―たとえば、ウエブでの簡単な意志決定ツールを提供することにより―がたやすくつくれるかもしれない。古典的な例は、米国のメディケアPart Dであり、65歳以上の人は、当惑するようなオプションから薬剤保険プランを選ぶことを要求される。前項で述べた、英国で提案された訪問看護師なら、患者自身が希望している結果をよりもたらせるよう患者に選択肢を提示できるように、心理学の効果的研修を受けているだろう。
 イギリスの社会政策の論者、ジュリアン・ル・グランも、リバタリアン・パターナリズムを迎え入れ、喫煙者(大部分が喫煙をやめたがっているとル・グランは言っている)がタバコを購入するには、そのための免許の取得を必要とするようにすべきと提案した。ル・グランは、免許を取得するのに要する時間と不便さは、多くの喫煙者が彼らの習慣をあきらめるのに必要であり、行動を妨げるものとなると主張した。もっとも、彼の提案では、喫煙者はそうしたいならもちろん喫煙し続けることができる。私にとっては、この手段はリバタリアン・パターナリズムのパターナリスティックな方にあまりに向かいすぎているように思われる。この手段が、個人のライフスタイル行動への政府干渉に対する抵抗に直面した場合、本当に強制実施されうるかどうかははっきりしない。しかし、この種の手段のメリット・デメリットは、考慮と議論の対象とする価値がある。
 リバタリアン・パターナリズムから、健康格差への取り組みに使えるさらなる対策が思い浮かんでくる。たとえば、訪問看護師は比較的貧しい地域に住んでいる人々に、彼らのライフスタイルの選択―たとえば、喫煙や食事についての―が、全国平均に比べて相対的に悪いことを示すデータを伝えることができる。これは、「より良いことをする」ことを鼓舞するかもしれない。先に紹介した保健専門家にとっての非金銭的競争的インセンティブと類似の手段である。そのうえ、意図が尋ねられた場合、人々はよりその意図に従って行動することが示されてきている。なので、たとえば、来週少ない脂肪性食品の消費をより少なくすると言えば、実際に来週には少ない脂肪性食品を消費するのである。人々の意図が健康を高めるようなものであると想定できるなら、訪問看護師はその意図を尋ねると良いということになる。
 

結 論

 イギリスにおける健康格差の問題の背景には長い歴史がある。(時々の)政府は、それらを気に掛けたり、そうでなかったりということを繰り返しており、それは時の権力が誰の手にあるかによるのである。健康格差についての大方の関心とそれに対する最近の取り組みの試みにもかかわらず、健康格差は依然として拡大し続けているように思われ、広範な健康の社会経済決定要因の大幅な再配置が生じないとすれば、その縮小はおそらくやや空想的である。
 人々が自ら望む人生を送ることを認め、たとえば、先天的な健康障がいがあることを前提とすれば、何らかの健康格差が生じるのはもちろん必然である。問題は、特定のグループの間にどの程度の格差があれば、容認できないとするかである。健康の主な決定要因の1つ、たとえば所得が、完全に公正であるとしても、他に人を嫉妬させるものがあるかもしれない。マイケル・マーモット卿と彼の共同研究者によってなされたイギリス公務員についての古典的研究では、物質的な面で快適な人々でも、職場の階層構造での位置によって、重要な不健康の決定要因―すなわち、ストレス―の水準が異なっていることがわかった(Marmot, 1991)。このことは、上記の推察を支持するように思われる。人間は単に高等な獣であって、私たちの本質には、権力欲、ねたみ、そねみ、他のあまり賞賛に値しない本能がある、ということを覚えておいて損はしない。
 友人であり、健康公平ネットワークの共同設立者でもあるリチャード・クックソンが、健康格差に対する私の関心が弱くなっていると思って―と私が考えたのだが―、健康格差をまだ問題だと思っているかどうかを私に最近尋ねてきた。そう思っている。導入部で述べたように、その理由は分からない。おそらく、私はそのように社会化されたのである。社会的公正を心配する私たちは、おそらく利他主義的な遺伝子またはミームを持っている。おそらく、私たちは、意識下または潜在意識下で、他のものからよく見られたいと思っているだけかもしれない。あるいは、たぶん自分達よりも恵まれていない人々に起こっていることに関わることは、全く孤独だと感じることに対する私たちの防衛かもしれない。ただし、今日イギリスに存在する健康格差については、文脈の中に位置づけてみなければならない。ロンドン大学政治・経済学院は1895年に設立されたが、それは私の祖母がワークハウスで苦しんでいた時代である。その頃、LSEの学者たち、そして学者たちが話していたこと、移り住んだ区画、住んでいた家、食べていた食物からすれば、おそらく私の祖母には、その学者たちは別の惑星から来た生物のように見えたであろう。そして、私は、祖母と同じ社会階級に生まれたが、この10年間の大半をLSEの学者として働いてきた。チャドウィックが労働者階級の衛生状態を観察したのは、LSEが設立されるほんの20〜30年前のことである。当時、マンチェスターの工場労働者の平均寿命は17年であり(Johnson, 2008)、煙突を掃除している最中に子どもが死ぬのは珍しいことではなかった。イギリスでは、ここ150年間、おそらくその時期を除いたすべての時期を合わせたよりも多くの社会改良が行われてきた。私が思うに、それこそが進歩というものだ。
 

〈参考文献〉

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*)本稿は、シンポジウム当日の報告をふまえて新たに書き起こされたものである。翻訳にあたり訳注を加えた。原注はローマ数字で、訳注はアラビア数字で示した。

1)ハロルド・マクミラン(1894‐1986)は1957年から1963年まで首相を務めた英国の保守党政治家。
2)ワークハウス(労役場とも訳される)は、1601年エリザベス救貧法の下で労働能力があるとされた貧民を収容して就労を強制した施設。
3)リチャード・クックソンは医療政策・医療経済学の研究者。
4)本文中の「イギリス」はUnited Kingdomのことを指す。
5)日本では通常医療経済学者と呼ばれるのが、学問体系としては「健康」が基軸である。またhealth economicsのかなりの部分が医療サービスに関する分析を行っているのも事実である。「健康経済学」という訳を用いている用法については、大日康史編著(2003)『健康経済学』(東京:東洋経済新報社)、を参照。
6) New Societyは社会科学・政治学をとりあげている英国の週刊誌。1962年に発刊され、1988年にNew Statesman誌に吸収合併された。
7) 社会主義医師協会(Socialist Medical Association)は1930年に設立された組織で、NHSの設立に向けた取り組みを行っていた。
8)バンク・ホリデーは英国の公休日。
9)主席医務官(Chief Medical Officer)は、政府の役職であり、公衆衛生上の課題に専門的立場から責任を持つ医師が任命される。
10) 剥奪(deprivation)は、必要に欠ける状態を差し、英国では各地域における剥奪の程度を指標化するため、所得、雇用、健康と障がい、教育、技能と訓練、住宅および諸サービスへの利用障壁、住環境、犯罪などについての状況を総合した多重剥奪指標が整備されている。
11) 健康状況把握機構(Health Observatories)は、住民の健康実態を把握し報告するための行政機関であり、イングランドで9カ所設置されている。我が国の都道府県衛生研究所に類似しているが、より広域でデータを処理し、またそれぞれの機構で重点分野を定めて分析を深めている。
12)コクラン・レビュー(Cochrane reviews)は、診療に関する医学研究の知見を総合するために、ある治療行為について出版された多数の学術論文を検討し、それに関する知見を総合して提示するものである。コクラン共同計画(http://www.cochrane.org/)によって組織されている。コクランの名称は、疫学者アーチー・コクラン(Archie Cochrane)にちなんだものである。

i)これは余談だが、最近では史上最も偉大な英国人としてしばしば評価されるチャーチルだが、彼はどんな総選挙でも一般投票の過半数を決して得ることはなかった。私の母は、戦争の末期、近くの映画館のニュースに彼が登場した時は、いつも徹底的にきびしい嘲笑を浴びていたのを覚えている。
ii) これに関連して、医療サービスが住民の健康に与える影響はわずかであり、「健康に関する」努力の大部分は、より広い健康の決定要因に向けられるべきである、と主張するのが流行っている。この線で議論する際には注意深くある必要がある。私たちがどれほどの努力を予防活動に置くかに関係なく、病気はいつも訪れるし、病気になれば人は誰もが治療を受けたいと思うであろう。おそらく私の父の病気は、彼の鋳造所がもっと清浄であり、煙草を吸わなければ、予防できたかもしれないが、そうでないかもしれない。しかし、明確なことは、NHSは、過去30年間彼の命を数多くの機会に救い、父は今でも生きており、何度もなんども昔話を語っているということである。別の時代や場所に住んでいたなら、彼は何10年も前に死んでいただろう。
iii) 個人的な連絡によるのだが、根本的な変化というのは、権威ある証拠・勧告とその勧告が妥当性なものだと科学の専門家および政治の専門家を説き伏せる能力との両方によっている、というピーター・タウンゼンドの議論は非常に説得力がある。こうしたことには時間がかかり、1978年に報告作成委員らに提示された(タウンゼンドによれば)「ばかにしたような」草稿では、政治に対する影響はなかったであろう。すでに述べたが、彼が強調しているのは、政府の報告書の扱いが実際には長期的な影響を強めたということである。多くの論者続いて政治家の健康格差への関心に火をつけ、それが今日まで続いている。
iv) ただ、政治の扉は、後からみると簡単に分かるものである。従って、他の人が何をなすべきであった、あるいはなかったということについて、したり顔で指摘することには、少し慎重であるべきだ。
v)グループマンは、医師がこの病に取りつかれた場合、この病がどう死亡を引き起こすかを記述している(Groopman、2000)。幸いにも、医療経済学者の「無経験ゆえの傲慢」は、せいぜい(と望んでいるのだが)我慢のならない不快な思いをもたらすぐらいであろう。また、それは慢性的なものかもしれない―驚くべきことに、経験豊富な医療経済学者でさえ傲慢は珍しくないが、一方で、これはもちろん医療経済学者だけのことではない。これに関連していることで、私が過去10年間で学んだ別の教訓は、考えを変えるのは決して恥ずかしいことではないということである。実のところ、バートランド・ラッセルはこれが知恵の徴だと考えた。
vi) http://www.lho.org.uk/HEALTH_INEQUALITIES/Health_Inequalities_Tool.aspx
vii) 私自身もルイシャムという、少なくとも男性の寿命については順調に目標を達成しそうな―これは最近私が引っ越していったからからかもしれないが―地域で暮らしている。

表1 平均寿命

出典:Department of Health, 2007



UP: 20100618 REV:
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