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「フィールドの極意―調査地、資金調達、苦しい時の対処法」

小杉 麻李亜 2009/02/25 「国際研究調査報告」 『生存学』1: 392-394


1どこへ、どうやって行くのか?―調査地と資金調達
 これまでいろいろなところへ行ってまいりました。イスラームの聖典の実態・形態の人類学的研究をしておりますので、ムスリム社会であれ非ムスリム社会のムスリム・コミュニティであれ、どこへでも調査に行きたいと常にチャンスを狙っています。現在のメインのフィールドは中東と東南アジアの各地ですが、調査と研究交流を兼ねて欧米に行くこともあります。一昨年(二○○六年)は国際学会で韓国に行き、初めて北東アジアの国を訪れることができ感動しました。
 資金の調達のルールは「獲得できたお金は全部フィールドにつぎ込む」です。学部時代には大学からいただいていた西園寺育英奨学金を全部つぎ込んでいましたし、一貫制博士課程の「二回生時には応募できる外部資金が限られているので苦労しましたが 1)、斎藤稜兒イスラム研究助成基金(二○○五年)をいただいて調査費の半分を補うことができました。三、四、五回生時には科研費でかなりの額をいただいたので、それと学術振興会からいただいた特別研究員としての手当ての一部を割いてフィールド調査費に充てました。今思えば、貯金も全部切り崩してもう一、二回調査に行けばよかったと後悔しています。
 ここからはオフレコですが、私はヒモ付き資金が苦手なので、身近な師匠や研究科に甘えることはできるだけしないように気を付けました。同情や学生として甘えに頼らず、私の可能性に投資してくれそうな外部の競争的資金にガンガン応募して、いくつも落とされる中でお金をいただいてきました。それから、私的なところでは、ふたりの祖母が最大の理解者でありサポーターでした。現地で祖母からの送金の知らせを受け取って、買えなかったアラビア語の本を買えるようになった時は、安堵感とありがたさ、身内とはいえ私の研究の意義を理解してくれる人がいるうれしさに涙が出ました。

2フィールドで大事なこと―苦しい時の対処法
 フィールドに居る最中は、感覚器官が最大限に開かれ切っているので、喜びも苦しみも過度です。その分過ごし方には入念な注意が必要です。  私が海外へはじめてひとりで行ったのは、大学二回生の冬のニューヨークで(州立大学の先生方と研究交流)、その翌年二○○二年の夏にはじめてのフィールドワークをエジプト(カイロ、アレキサンドリアほか)で開始しました。それ以降、ヨルダン、パレスチナ、インドネシアなどへ調査地を広げましたが、二○○七年までのフィールドワークはフィールドでの過ごし方がまだ未熟で 浴びた集中豪雨を消化する術を十分に持たずに 帰国後のアウトプットにも十分につなげることができない、苦々しさに満ちたものでした。
 その間にした苦労には、たとえばこんなものがあります。少しでも調査期間を延ばそうとして 大学の試験終了日の翌日を出発日にして無理な日程をこなしたら、自律神経を失調して倒れました。極寒のパレスチナで水がないことを知らずに、便利グッズの準備がなく、日に日に増す自分の身体の臭さに死にたい気持ちになりました。ヨルダンの保守的な村で、「外部から来た単身の未婚女性」という存在自体が逸脱的であったため人間以下の扱いを受け、その事実自体を客観的に見つめる術をまだ十分身に付けていなかったため、背中に激痛が起こり、その後数年間治らないほど悪化しました。通常フィールドでの半分程度の期間 は、いつも発熱し体調を崩しています。
 しかし、こういった苦しさは、和らげることができます。私自身の経験と、それから同門下のフィールドワーカーの仲間たち、フィールドに行かない研究科の友人たちからのアドバイスの中から体得していった極意のいくつかをここに紹介したいと思います。
 @現地の空気に身をゆだねること―まずは日本に居る時の自分と同じように動けるなどと驕らないことです。ペースも予定の詰め方も、無理をしない。それから、生活のサイクルや食べ物、服装、髪型、化粧なども現地に溶け込ませていく。私は日本に居る時の五、六割動けたら上等と自分に言い聞かせています。
 A現地に入ったら日本との通信手段は断つ―ネット、メールはもってのほか(あ、これは個人差がとてもあるので、あくまで私個人の黄金律ということで)。ただし、緊急の場合が怖いので3Gの携帯電話を待っておくことが私の場合は命綱。
 B毎日記録を必ず付けること―文字記録を残す意味と 2)、精神の均衡を保つ意味があります。毎晩ノートに向かうことは、日中調査をしてきた自分(向こうに行ってしまったひと)と、記録を取る自分(日本に帰って伝えるひと)を向かい合わせてあげることです。ノートの大きさ、紙質、冊数、併用など、回数潅重ねる中から自分に合った黄金律に到達することが大事です 3)。試行錯誤の末、私はコクヨのキャンパス5ミリ罫線のB5(目的別にやや分けて三〜五冊)とB7(常に携帯する雑記用)、A4のクリアホルダーを併用しています。日誌を付ける際のポイントは、見開き頁の左と右でオンとオフを完全に分けて記述することです。「オン」は実際におこなったこと、観察したことなどの客観的な記述、「オフ」は自分が感じたこと、違和感、内面の葛藤などの主観的な記述です(これはクリスティーナ・ネルソン博士から伝授されたスペシャルな極意)。
 C毎日マルチビタミンとビタミンCの錠剤を摂取する―モンゴル研究の冨田敬大君が教えてくれた本当にありがたい極意。これのおかげで、「自分の体調を毎日気遣ってあげる」方法を身に付け、発熱で半分以上の日程が潰れるということがなくなりました。
 D「日本人である自分」を慰撫するための持ち物―長いフィールドの最中、もっともないがしろにされるのは「日本人である自分」です。普段の日本での暮らしを取り上げられ、カフェにも行けない買い物にも行けないお洒落もできない読書もできない映画も観られない。しかし、体調が悪い時や精神的にグロッキーになった時のために、何か日本の生活を瞬間的に取り戻させるものは少し持っていた方がいいです。私は二○○八年のフィールドワークではたとえば、mihimaruGTのCD、中村中のライブと『チャーリーズエンジェル』のDVD、有栖川有栖の解説集『迷宮逍遥』を持って行ってヘビロテしていました。エンドレスで読めるギャグ漫画を一冊鞄に突っ込んで行く時もあります。梅干しとインスタント味噌汁は昔は必ず持って行っていましたが、最近はそれほど使いません。あと、実際に行くことは少ないですが、各国の都市のスターバックスの場所は緊急避難シェルターとしてチェックしておきます。


1) 毎年刊行される『研究者のための助成金応募ガイド』(助成財団センター)がおすすめですよ。
2) ノートを付ける上での書き方の注意点は、「長々と書かない」「考えに至ったプロセスや根拠もしっかりと書き留めておく」「未来の自分は他人。だから他人に向けて書くように書く(現在の自分にしか了解されない言葉で書いた記録は意味がない)」など。佐藤郁哉『フィールドワークの技法』(新曜社、二○○二年)やサトルズ「フィールドワークの手引き」(『フィールドワークの経験』せりか書房、二○○○年)がおすすめ。厳しいことをたくさん言ってくれています。
3) 先人たちのノートやペンのノウハウを幅広く知るには『フィールドワークを歩―文科系研究者の知識と経験』(須藤健一編、嵯峨野書院、一九九六年)がピカイチです。

*作成:永田 貴聖
UP:20100207 
全文掲載  ◇『生存学』1  ◇小杉 麻李亜
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