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「Oliver報告に対するコメント」

青木 郁夫(阪南大学経済学部教授)
松田 亮三棟居 徳子 編 20090220 『健康・公平・人権――健康格差対策の根拠を探る』
立命館大学生存学研究センター 生存学研究センター報告7, pp. 114-126.

last update:20100618

はじめに

 阪南大学経済学部の青木と申します。
 お手元に「イングランドにおける健康不平等に関する取り組み〜アチソン報告以後」というものが配られていると思いますが、実はその論文を書くにあたってもオリバー先生の本を参考にしていますので、質問という意味でのコメントにはならないのではないかなと思います。オリバー先生にはアチソンリポートの評価、それからその後にイギリスで展開されている健康の不平等に対する取り組みとその結果・帰結について報告していただきました。わたしのコメントは先生の報告の内容を超えてしまうかもしれませんけれども、それ以降のイギリスにおける健康の不平等の取り組みについて、どういうふうに私が見ているかという点を中心にコメントしていきたいと思います。

1.概念整理から

 最初にいくつかの概念について、公平なアクセスだとか、公平な利用だといった概念について整理をしてみたいと思います。お手元に今日のコメントのために私が少し用意したものがございます。概念を整理したものです。実はこの本(“Why Care about Health Inequality ?”, Office of Health Economy, 2001)の中でオリバー先生もニーズについていろいろな概念が存在をしていて、それらについて整理をされているものを、おそらくこういうことだろうということで、第1図に表したものです。
 人びとの健康はさまざまな社会経済的な要因によって影響をされている。もちろんそれは、人びとの遺伝的な要因であるとか、性による違いとかという固定的な要因から、雇用やその人の所得という社会経済的な要因であるとか、あるいは社会的なサーヴィスの利用状況であるとか、こういうさまざまな要因によってその人の健康状態が決定されてくるということです。その中から、不健康な状態に陥った人びとが、自らを健康/不健康だと思う、これをwant、医療サーヴィスに対する欲求、主観的なニーズというふうに考えます。このwantのすべてが医療医学的にみたニーズになるかどうかは分からない。そのwantのうち客観的なニーズという意味で、医療医学的に測定しうるニーズが医療サーヴィスの対象になるという意味でニーズ(need)といいます。この未だ医療の場にあらわれてはいないという意味で潜在的なニーズのすべてが医療保障制度において医療の場にあらわれてくるかどうかということが、ある意味では医療保障制度の大きな課題であるといえます。つまり医療サーヴィスへのアクセスが問題です。そして、医療の場にアクセスし、顕在化したneedが、需要demandです。そのアクセスをどのようなかたちで公平なものにしていくか、それが医療保障制度の課題になっていると思います。この図はDixon, A. , Le Grand, J., Henderson, J., Murray, R., and Poteliakhoff, E., “Is the NHS equitable? A Review of the Evidence”, LSE Health and Social Care Discussion Paper Number 11.(2003)などを参考にして作成したものです。この論文においても、Needがdemandとして顕在化する、ことばをかえれば、医療にアクセスできるためには、人々の経済的な支払い能力、健康・疾病についての認識能力、健康行動、社会関係資本(social capital)、医療資源の配分状況、そして交通手段などが関係していることが指摘されています。Needに応じて公平な医療へのアクセスを保障するためには、さまざまな諸条件が整備されていなければならないということです。
 さて、イギリスの医療保障制度であるNational Health Service(NHS)の場合には、人々の支払い能力によるアクセスの格差はほとんど存在しない。さきほどのオリバー先生の報告の中でも利用者の医療費負担については2.6%でした。ですから経済的な負担能力の違いが、医療サーヴィスにアクセスする点での障害になってはいないという報告があったのですが、この点については一点だけ質問があります。イギリスの場合では、実際にはすぐに医療サーヴィスを受けられるのではなくて、さまざまなかたちで待機時間waiting timeというものが存在しています。いいかたはおかしいのですが、そのwaiting timeの状況が社会階層に公平なかたちであらわれているのか。waiting timeの状況に人々の社会経済的な格差や階層の違いが影響しているのかどうかということです。
 なぜこのようなことを言うのかといいますと、イギリスにおいては、NHSと同時に、Private Practiceいわゆる私費診療というものが存在しています。NHSの中にもいわゆるPay-bedというかたちでPrivate Practiceが存在しています(これが最大の私費診療部門だともいわれています)。経済的負担能力の高い人は、私費診療を選択することで待機リストから逃れる、自ら離れていくということも可能なわけであって、もしそういう事態が広範に存在しているとするならば、オリバー先生のご報告にはありませんでしたけれども、waiting listにおける不公平、不平等という問題が存在をしていることになります(第2図参照)。これは経済的な支払い能力に関連をしている可能性があるわけです。NHS改革において「患者の選択権の拡大」が強調される際に、これまで選択権のなかった人々にもそれを保障するということには、そうした事態が反映しているのではないでしょうか。こうしたことは、特に、歯科医療Dental Careの分野では、イギリスの公正取引委員会の報告でも指摘をされていることです。若干この点についてお答えいただければと思います。ご報告に直接かかわる質問はこの点だけです。

2.「健康の不平等」対策が意図していること

 ここからは、健康の不平等対策にかかわる質問です。健康の不平等対策ということが、今日のシンポジウムの中心的なテーマですけれども、イギリスにおける健康対策には二つ大きな目標があるわけです。ひとつは国民の全般的な健康水準を高めるということ、もうひとつは社会階層間および地域間での健康格差を是正するということです。今日のテーマは健康格差の是正に対する取り組みということですので、そこに焦点があたってしまうわけですけれども、この二つの目標をどのようなかたちで追求していくのかということが、健康対策あるいは健康政策にとって大きな課題になっているのだというように私は考えています。場合によっては、オリバー先生もご報告されましたように、全体的な健康水準の上昇が、実は健康格差を拡大させているという側面がある、結果としてそうなっているという、二つの政策目標の実現が同時にはなかなか理念通りにはできていないというのが現実だと思います。
 さて、オリバー先生の報告の中で、こういう健康不平等対策を進めるにあたって、倫理的な枠組み、特に不平等が不公正であるかどうかということについて、明確な倫理的な枠組み、判断基準というものを明示すべきだということがありました。私もその通りだと思います。オリバー先生もこの本の中で議論されていますので、その点にはここではもう触れません。
 むしろ、ここで議論してみたいことは、現実に行なわれているイギリスにおける健康の不平等対策が、どのような政策的な意図を持っているのだろうか、政策をどう動かしていけばいいのかということです。ブレア政権が誕生したときに、教育政策を非常に重視したわけですけれども、このことの意味は、人間的な能力が現代のイギリス資本主義社会の中においてもっとも無駄にされている資源である、この人的能力を発達させ、活発化させ、社会がそれを有用に利用できる、あるいは人々が自らの能力を、生きがいのある生活に向けて利用できることが望ましいことであるし、それが求められている、ということであったと思います。教育政策を重視した背後にはこうした大きな考え方があったと思います。こうした文脈で考えますと、この健康政策、健康格差の縮小という政策は、どうも人的資源に対する社会的な保健投資としての意味合いが大きいのではないか、と思うわけです。健康の不平等対策においてさまざまなかたちでより具体的な政策目標が掲げられていますけれども、特に子どもたちの健康は親たちの健康状態や社会的状況に非常に影響されている、そのサイクルをいかに切断するかということが大きなテーマとして掲げられています。また、人生における健全で、確固とした基礎をもったスタート(Healthy Start、Sure Start)が目指されています。つまり、将来の人的資源となりうる子どもたちや青年層に対して、ある意味では重点的に保健投資をしながら、言い方は悪いですが、より健康な人的資源をどのように社会が担保するのかということだろうと思います。社会経済的な不平等の是正、格差の縮小、公平性の実現という社会民主主義的な政策目標と同時に、こうした保健投資的思考がそこにはあるように思います。
 このことは近年の報告書「Choosing Health」、健康を選択するという報告書ですが、この報告書の中では、人々がどういうかたちで健康管理能力を持つのか、あるいは健康行動を選択するのか、ということに焦点があてられていることにも示されています。そして、もしこのことにうまく成功するならば、その後のワンレス・レポート(Wanless Report)にも出てきますように、人々が健康に対して大きな関心をはらい、健康行動をするようになれば、結果として、将来的な医療費支出を抑制しうると考えられています。人々が健康行動を取らない場合のシナリオ、それから、現状と変わらないシナリオ、人々がより健康行動を取るようなシナリオ、そういう人々の健康行動との関連で将来的な医療費を予測する三つのシナリオを描いていまして、ワンレス・レポートでは人々が全面的に自らの健康管理能力を高めるような、健康行動を取るような方向で保健政策を進め、将来的な医療費の抑制につながるような方向性というものを示しています(fully engaged scenario)。そうしますと、保健投資が将来的な医療費の抑制という一種の社会的なコストを抑制しうるという可能性をもつ、これが主要な政策の意図だとは思いませんけれども、そういう側面も存在しているのではないかというふうに考えられます。
 あるいはまた、健康不平等対策は省庁間連携にもとづく包括的な健康戦略であり、それが行政の連携(joined up)による継ぎ目のないあるいは隙間のない社会サーヴィスを可能にすることで行政コストを削減ないしは抑制しうるかもしれない。また、行政と民間との連携(public-private-partnership)によって、非営利であるか営利であるかを問わず、民間の諸力を利用あるいは参加させることで、行政コストを削減ないしは抑制できるかもしれない。このことは新たな行政経営管理(new public management)という点でも注目すべきことだろうと思います。
 

3.「健康の不平等」対策のガヴァナンス構造

 さて次は、こういう政策を行なうにあたってのガヴァナンス構造についてです(第3図参照)。これはオリバー先生のご報告の中でも十分に触れられていなかった点ですので、私が勝手に補足するということになってしまいますけれども。人々の健康がさまざまな社会経済的な要因によって影響されているとするならば、当然その健康戦略は保健省、あるいはNHSの課題というだけではなくて、そこに関わる多くの、雇用政策であり教育政策であり、あるいは食料政策であり、さまざまな事柄が関係してくるわけであります。ですから、中央政府レベルにおいて省庁間の連携が必要であると同時に、それぞれの地域社会レベルにおいてもさまざまなかたちでの協働、つまりパートナーシップあるいはコラボレーション(collaboration)が必要にならざるを得ないと考えられます。
 そこで、Nationalな(全国的な中央)レベルでの省庁間の連携、そしてRegional(広域レベル)、Local(地方レベル)、そして近年はさらにNeighbourhood(近隣住区レベル――このNeighbourhoodは選挙区、あるいは統計局におけるSuper Output Areaという非常に狭域なレベル)でのパートナーシップというものを求めています。こういうかたちでNationalなレベルからNeighbourhoodなレベルまでさまざまなかたちでパートナーシップを組んで、そして健康戦略および健康の不平等に対応する施策が行われています。地方自治体のレベルにおいてはLocal Strategic Partnership(LSP)が形作られています。近年、地方当局は「福祉の権限(Power of Well-being)」を与えられ、地域社会における経済、社会、環境についての「福祉(well-being)」に関してかなり強い自律的な権限をもつようになってきており、LSPにおいて包括的なコミュニティ戦略(community strategy)を策定し、national な医療保障制度であるNHSに関しても当該地域におけるNHS末端機関であるPrimary Care Trust(PCT)の地域供給計画を承認することになっています。
 健康戦略に関しては、特に地方当局、それからPCTが非常に大きな役割を持っています。この行政と民間、民間の場合にはVoluntary SectorとIndependent Sectorがありますけれども、これら全体を含んだパートナーシップで地域の健康戦略の具体的な内容を設定するということになっていて、このパートナーシップが非常に大きな役割を持つようになってきています。LSP自体が行政と民間とのパートナーシップであるわけですが、このLSPという最上位の包括的な傘のもとに、多くの場合、Local Area Agreement(地方地区協約)の領域別の実行計画とサーヴィス供給に係わる専門部会がおかれ、これもまた、行政と民間の連携を構成している。こうしてパートナーシップ、しばしばネットワークともいわれるが、これ自体が階層制をもつようになっているように思います。
 一般的に、ブレア政権のこうした保健戦略、あるいはNHSのガヴァナンス構造についても、サッチャーおよびメージャー保守党政権期の市場的なガヴァナンス構造に対して、ネットワークというガヴァナンス構造があるのだということで評価されるわけですけれども、それはかなり階層的な構造をもったネットワーク・ガヴァナンスになっているように思います(Exworthy, M., Powell, M. and Mohan J. “The NHS; Quasi-market, Quasi-hierarchy and Quasi-network?”, Public Money & Management, 2003, Oct-Dec、参照)。そのために、こうしたパートナーシップのあり方が、行政と民間とが自律性を持って連携し、住民組織が参画しうるガヴァナンス構造になっているとは単純にはいえず、行政サーヴィスの計画策定とその実施に地域社会を動員し、統合する機能をもっているようにも思われます。いわば、マイクロレベルのコーポラティズムといってもいいような、そういった側面を持った構造になっているのではないかと思います(Lowndes V., Sullivan H.は、 Like a House and Carriage or a Fish on a Bicycle: How Well do Local Partnerships and Public Participation go Together?, Local Government Studies, Vol.30, No.1, 2004において、こうした問題情況を「new corporatism」ということばで言い表している)。
 中央省庁レベルでの省庁間の連携といったときに、先ほどのCross Cutting Reviewにも出てきましたけれども、この場合でも大蔵省と当該政策を行うたとえば保健省との間にPublic Service Agreement(公共サーヴィス協約)が結ばれて、そして政策評価が行われるかたちになっています。つまり大蔵省による予算統制というものがそこで行われるという可能性が高くあるのではないか。だから単純な意味での省庁間の連携ではなくて、大蔵省の財政統制というものがそこで貫徹をされていく、そういった状況になっているのではないかと思います。
 先ほども触れましたが、イギリスにおいては人々のより身近な生活レベルに向かって「権限のバランスを変える」分権化がすすめられています。「全国的な標準と地域での行動(National Standards, Local Action)」といわれていますが、全国レベル、広域レベル、地方レベル、そして近隣住区レベルでさまざまに優先順位(priority)が設定されます。「健康の不平等」についても、全国レベルでの健康の階層間格差や地域間格差だけでなく、狭域レベル内でのその格差が問題とされ始めています。これらの各レベルでの「格差構造」の是正が、全国民的レベルでの階層間および地域間での健康不平等を是正することにうまくつながるのであろうか。「健康格差」是正のための全国的視点からの資源配分、プライオリティにもとづく傾斜的資源配分がより重要なのではないかとも思われるが、いかがであろうか。
 

4.「健康の不平等」対策の評価、帰結

 そして三番目は、この政策の評価・帰結の問題についてです。これはオリバー先生の報告の中にもありましたように、人々の全般的な健康を改善することと階層間および地域間での健康格差を是正するという健康戦略の二つの実現目標を両々相まって現実のものとしうるのか、どのようにすればよいのかということが、まず検討されるべきです。たしかに、最も健康水準の悪い人々に対してより多くの医療資源あるいは社会的な資源を投下することによって、その人々の健康状態が改善され、それによって全体的な健康水準も上昇するであろうことが期待されます。しかしながら、現実的には、国民の全般的な健康度には改善がみられるものの、すでにより健康な人々の健康改善がより大きく、先ほどのご報告の最後のところにもありましたように、平均余命でみた健康格差はむしろ拡大をしているということでした。これは政府のどの文書の中でも、男性の平均余命の格差が拡大している、女性についても拡大している、という状況になっていまして、全般的な健康改善を進めるという保健政策の目的と健康格差を縮小するという、この二つの政策目標を同時に追求するということは現実的にはなかなか難しいところがあります。
 なぜそうなっていくか、さまざまな要因があるとは思うのですけれども、現実の政治的な判断として、施策の結果つまりパフォーマンスをマネジメントするときに、どうしても短期間的な視点で施策を評価してしまうという状況が存在しています。健康の格差を縮小するときの政策目標として階層間および地域間での平均余命格差の縮小であったり、あるいは乳児死亡率の格差の是正ということが最上位に掲げられています。もちろんその下位には特定の疾患ごとの死亡率格差を縮小するという問題もありますけれども、最終的に平均余命や乳児死亡率の格差の縮小ということが具体的に現れてくるためにはやはりそれなりの時間の経過が必要であると思います。なぜなら、平均余命や乳児死亡率という健康度指標は、健康および疾病についての総括的でかつある意味で最終的な指標でもあるからです。したがって、健康に影響する社会経済的な諸要因それぞれについて、たとえば喫煙率を減らすだとか、母乳栄養率を増やすだとか、あるいは5 a day(一日に5種類以上の新鮮な野菜や果物を摂る)だとか、そういう個々の健康に影響する要因については短期的に格差が縮小していく可能性はあり、またそれがより重視をされて評価される可能性はありますが、長期的に現れてくる効果についての評価というものは非常に難しいのではないかと思います。
 こういうことを言うのは、政府の文書を見ていまして、どういう施策が最も効果を持っているかということが非常に重視をされてきています。何に効果があるかというときに、どうしても政治的な判断としては、政権に就いている者としては、全ての人々により大きな効果が生まれるような事柄について、そしてより短期的な成果が上がるようなところに重点的に資源を投下せざるを得ない。政治的な支持を調達するためにも。つまり、財政資源が制限をされていたり、あるいは経済的な資源が制限をされているときに、より短期的に政策効果が上がるところに資源を配分せざるを得ない状況があるのではないか。この長期と短期との時間的な政策評価の問題がここに絡んできているのではないかと思います。
 これは政策文書の表題にもかかわって、「What counts is what works(大事なことはちゃんと機能し役立つことだ)」だということです。しかもその際、短期的に政策効果があらわれることがらが重視される傾向にあり、さらに地方行政が「監査委員会(audit commission)」による財政効率を重んじる「Best Value for Money」監査をうけることから、一層短期的な成果を選好することになっていくように思われます。
 NHSのPrimary Care Trust(PCT)は地域社会で健康格差の問題に取り組んでいる組織です。NHSにかかわる政策文書においても、NHSを「治療の文化」から「健康の文化」に転換するとともに、健康の不平等を是正することを重要な政策項目のひとつにしています。保守党政権のもとで、膨大な待機時間に象徴されるような人々の健康・医療ニーズを充足するためにはあまりに過少投資(underinvestment)状態にあったNHSに対して、労働党政権は大幅に医療資源投資、医療費支出を増大させてきています。このことは、日本などのように相も変わらず医療費抑制策を継続し、「医療危機」情況をつくりだしているのとは好対照です。このことが国民の全般的な健康改善と健康の不平等是正に大いに資することを期待したいのですが、どうでしょうか。PCTは「地域供給計画(local delivery plan)」を作成するにあたって、Health Equity Audit(健康の公平性審査)というものを行い、それぞれのPCTの管轄地域における健康格差の問題に取り組み、人々の健康増進(health promotion)を行うことになっています。政策文書(Tackling Health Inequalities : What Works)の中に出てきますが、このHealth Equity Auditをプラグマティカルに使ったらいい。これは必ずしも厳格な科学ではない。Evidence-based Policy(根拠に基づく政策)というふうに言われるけれども、厳格なかたちでエビデンスが存在していて、それに基づいて施策が展開されるというようには必ずしもならないよと。むしろプラグマティックに、具体的に効果があるところに資源の配分をしていけばいいんだよ、という言い方にもなっています。そうであるならば、短期的視点での政策形成、そして短期的な視点での政策評価というものが中心になってしまうのではないかと考えられます。
 日本の社会からみれば、健康格差の問題を正面から政策課題にして、それに取り組んでいるイギリスの「健康の不平等」対策はたしかに評価すべき事柄も多いと思います。しかも、その政策は着実に「進化し続けている」と思います。これらの点を確認したうえで、ただ現実的には、「すでに相対的に健康な人々の健康改善がもっとも進む」という状況からすれば、全般的な健康水準を上昇させるということと、健康格差を是正するということがうまく対応して実現しないのではないか。しかしながら、健康格差を是正する、つまり社会的格差を是正するということは社会民主主義的な課題として非常にアピールしやすいという側面も持っているわけです。そうしますと、政治としては、「健康の不平等」対策は、健康格差の縮小を現実的にもたらすよりも、ある意味でシンボリックなポリティクス(象徴政治)に終わってしまう可能性もあるのではないかと思っております。
 オリバー先生に対するコメントにならず、私の一方的な考え方を述べただけのところもあるかと思いますが、よろしくお願いします。以上です。

第1図
第2図
第3図
第4図
第5図
(出所)Office of the Dupty Prime Minister, Creating Healthier Communities : a resource pack for local partnership, 2005.



UP: 20100618 REV:
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