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『日本における「死刑執行人」の歴史社会学』

櫻井 悟史 20090131 立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文,125569字.


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■目次

序章 死刑制度問題と死刑執行問題 3
 0-1 合法的な「死に至らしめる身体に介入する行為」──関心の所在・本稿の目的 3
 0-2 死刑研究の二つの側面──本稿の射程 5
 0-3 「死刑執行人」の問題点──本稿の社会的意義 7
 0-4 歴史社会学──研究方法・学問的意義 10

第一部 「死刑執行人」言説の変遷 12
1章 明治終わりの「死刑執行人」言説 12
1-1 刑務官=「死刑執行人」の自明性/非自明性──イギリスの死刑執行人との比較から 12
 1-2 監獄からの訴え──小河滋次郎の「死刑執行人」配置論を中心に 13
2章 日本国憲法施行後の「死刑執行人」言説 16
 2-1 死刑執行方法をめぐる裁判――向江璋悦「絞首刑違憲論」T 16
 2-2 残虐性測定装置としての「死刑執行人」――向江璋悦「絞首刑違憲論」U 19
 2-3 正木亮の「死刑執行人」配置論──江戸時代の「死刑執行人」に関する言説 22
3章 死刑制度論に組み込まれる「死刑執行人」言説 25
 3-1 死刑廃止論に組み込まれる「死刑執行人」──大塚公子『死刑執行人の苦悩』 25
 3-2 菊田幸一の「死刑執行人」配置論 30
 3-3 坂本敏夫の「死刑執行人」配置論──死刑制度存置かつ死刑執行廃止論 33
 3-4 第一部の論点整理 35

第二部 「死刑執行人」の社会史 36
4章 斬首を伴う死刑における「死刑執行人」の配置――公事方御定書から旧刑法にいたるまで 36
 4-1 江戸時代の刑罰・死刑観と身分観 36
 4-2 牢役人≠「死刑執行人」 37
 4-3 江戸後期から旧刑法施行までの山田浅右衛門の立場の変遷 39
5章 牢屋と監獄の断絶/接続──「死刑執行人」=看守の誕生 41
 5-1 獄丁=「死刑執行人」の誕生――絞首刑の登場 41
 5-2 獄丁=「死刑執行人」から押丁=「死刑執行人」へ 44
 5-3 1882(明治15)年から1908(明治41)年までの死刑執行詳細 47
 5-4 1909(明治42)年、押丁の消滅──「死刑執行人」=看守の誕生 49
6章 「死刑執行人」不在状況の誕生──日本の「死刑執行人」問題の核心 50
 6-1 日本国憲法の影響と国家公務員法の制定と改正 50
 6-2 法文書における死刑執行現場の消滅──「死刑執行人」不在状況の誕生 52
 6-3 殺せから「殺すために生かし、殺せ」へ──日本の「死刑執行人」問題の核心 55

終章 合法的な殺人の配置と近代社会──死刑執行人について残された課題 57
脚註 61
図 76
参考文献 80

■要約

 人の死の決定と人を殺すことは全く別の問題である。死刑に則して述べるなら、前者は判決の問題であり、後者は執行の問題である。これまで前者について、主に刑法学の分野から議論されることは多々あった。しかし、後者についての議論はそれほどなされていない。そのため、現在の日本において、われわれが「死刑執行人」をどこに、どのような条件で配置することにより、どのような事態が生じているのかについては、詳細に検討されてこなかった。本稿は、社会構築主義の「歴史的」立場から、分析型歴史社会学の手法を用いて、これを明らかにするものである。
 本稿は二部構成で成り立っている。
 1章から3章で構成される第一部では、「死刑執行人」の言説の変遷を記述することで、「死に至らしめる身体に介入する行為」についての言説=「死刑執行人」の言説が、死の決定=死刑制度についての言説にいかに回収されてしまっているかを明らかにする。1章では、比較史的視点から「死刑執行人」=刑務官の自明性を崩し、刑務官に「死刑執行人」を配置してはならないとする、小川滋次郎を筆頭とする明治終わりの監獄からの訴えを取り上げる。2章では、日本国憲法施行後になされた向江璋悦による絞首刑違憲訴訟を取り上げ、「死刑執行人」の苦悩が残虐性を測定する装置とみなされるようになったことを明らかにする。また、その訴訟の鑑定を行なった正木亮の「死刑執行人」配置論を見ることで、監獄からの訴えが、死刑制度の言説に回収される端緒も明らかにする。3章では、まず、大塚公子の『死刑執行人の苦悩』の登場により、刑務官であるがゆえの苦悩が明らかにされたものの、その苦悩をもたらす死刑制度をなくすべきであるとする言説が登場したことを記述する。次に死刑廃止論の大家である菊田幸一が、「死刑執行人」の人権問題として、「死刑執行人」の苦悩を死刑制度存廃論に組み込んだことを確認する。最後に、元「死刑執行人」である坂本敏夫が主張する、死刑制度をのこしつつ、死刑執行を廃止する説を検討し、やはり「死刑執行人」の言説が死刑制度存廃の言説に回収されてしまっていることを明らかにする。
 4章から6章で構成される第二部では、そもそも第一部で確認した監獄からの訴えがなぜ登場することとなったのか、すなわち、なぜ監獄の職員のうえに「死刑執行人」が配置されているのかを歴史的に──江戸時代後期から現在にいたるまで──記述する。4章では、江戸時代において、「死刑執行人」は牢屋内部で調達されるのではなく、牢屋外部に発注されていたことを明らかにする。ところが、明治に入り監獄が登場すると、監獄内部で「死刑執行人」が調達されるようになり、江戸時代に「死刑執行人」として有名を馳せた山田浅衛門も、刀の様切りの副業として「死刑執行人」をするのではなく、監獄職員として斬首を行なう専門の死刑執行人として配置されるようになった。5章では、絞首刑の登場により、獄丁・押丁といった監獄の中の最下等の職掌にあたる者が「死刑執行人」と配置されることになったのだが、実際に「死に至らしめる身体に介入する行為」が求められたのは器械であり、獄丁・押丁は死刑の介添人として配置されていたことを明らかにする。そこでは、江戸時代に存在した、死刑囚の身体に触れることへの忌避感が働いていたため、監獄の中の最下等の人間が死刑の介添人とされたのである。しかし、器械による「死刑執行人」の代替は成功しておらず、そのため死刑の介添人たる獄丁・押丁が「死刑執行人」として配置されてしまった。明治の終りに押丁は消滅するが、ここで生まれた慣習により、監獄の最下等の職掌たる看守=刑務官=国家公務員=「死刑執行人」の図式が誕生するに至る。6章では、まず、日本国憲法施行後に制定された国家公務員法により、職務に関する争議行為を封じられたことを明らかにする。次に、1991(平成3)年に刑務官の職務規定から死刑執行に関する文言が削除されながらも、国家公務員法によって刑務官=「死刑執行人」であることが担保されていることを明らかにする。以上のことから、現在、刑務官が「死刑執行人」となっているのは、偶然の歴史的・社会的要因に支えられた慣習にすぎず、なぜ人が人を殺してもよいのか、誰が「死刑執行人」となるのがよいのか、などの問いには何も答えず、その問いを不可視化し、「死に至らしめる身体に介入する行為」に関する問題を、死を決定する行為に関する問題に回収できるかのように見せかけることで、死刑執行を稼働させている。その結果、われわれは単に「殺せ」と述べるのではなく、「殺すために、生かし、殺せ」と刑務官に述べることになっているのである。


*作成:櫻井 悟史
UP:20090406 REV:
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