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「在宅ALS療養者における非侵襲的人工呼吸療法の導入と限界に関する課題
――患者・家族・ヘルパーの立場から」

平成20年度厚生労働科学研究費補助金(難治性疾患克服研究事業)研究分担報告書:**-**
200901**
研究協力者 特定非営利活動法人ALS/MNDサポートセンターさくら会
川口 有美子


研究要旨
 現在、日本のALS患者は、非侵襲的人工呼吸療法(NPPV)の導入時から、介護保険のほかに障害者自立支援法の重度訪問介護を利用すれば、長時間の介護給付を受けることができる。 NPPVからTPPVに至るこの時期は、介護ニーズも増すので制度による長時間介護の導入時期とも考えられる。ところが、その給付量や医療的ケアの地域間格差は甚だしく、患者や家族の社会参加や就労機会などにも格差が生じている。ALSを取り巻く地域社会の支援の遅れから、家族介護者の承認を得ることができなければ、患者の希望だけではTPPVに移行できない状況もある。これはTPPVに移行すると療養も長期化し、家族や地域の負担が膨大になるため、終末期が早められている状況とも考えられる。NPPVを終末期の緩和ケアとすることが、真に患者の自己決定の結果なのかを調査する必要がある。

A.研究目的と背景
【目的】
 非侵襲的人工呼吸療法(以下NPPV)から気管切開による長期人工呼吸療法(以下TPPV)へ移行する際と移行しない際の課題を、療養者、家族、ヘルパーの立場から明らかにする。
 また、この時期、自宅で療養する際にあれば望ましいと思われるサービスについて提案する。

【背景】
(1)医療、特に看護介入の不足
 ここ数年の間に、ALS療養者へのNPPV装着が急速に普及しているが、非侵襲的な呼吸療法は取り外しができるので、安易に考えがちである。
 しかし、球麻痺は確実に悪化し、胃ろう増設や気管切開の意思決定が次々に折り重なるように求められる時期と重なるだけに、患者と家族の心身の疲労はピークに達している。そのため、難病ケアに精通した者によるサポートは、導入時よりもっとも重要な意味をなす時期であるが、そのニーズが顕在化していない。
 これは、地域の医療従事者や保健師、ケアマネージャーにALSの疾患進行上必要なケアが理解されていないことや、この時期をALSの終末期と捉える者が少なくないことから、適切なアドバイスが適切な時期に行われていない状況を物語っている。
 また、介護面においても家族がいない時間帯や深夜帯のマスクの着脱や排泄に手助けが必要になってくる。患者のみならず家族が不安に思う時もあり、そんな時には看護師による滞在型看護が望まれるが、そのようなサービスはなく、現在は長時間滞在のヘルパーがマスクの着脱等を手伝っている。ヘルパーによる長時間の「見守り」介護はこの時期、転倒防止なども含めて有効になってくるが、その枠組みである障害者自立支援法の重度訪問介護の普及も、医療と介護の連携も遅れている地域が少なくない。

(2)「見守り」介護の不足
NPPV導入時のALS療養者は、たいていは、まだ短時間の身体介護(1〜2時間)を細切れに利用しているにすぎない。しかし、排泄に介助が必要になり、嚥下障害や言語障害から不安も強くなり、途切れのない「見守り」が必要になる療養者も少なくない。そこで、同居家族を休ませるためにも、この時期は滞在型介護制度(サービス名は重度訪問介護)の開始が望まれるのである。
 重度訪問介護とは、4時間以上の長時間の見守り介護を必要とする重度の身体障害者のための、障害者自立支援法のサービス類型で、障害程度区分4以上の者は利用できる。
 在宅人工呼吸ケアの先進地域では、ヘルパーによる長時間の「見守り」介護は、医療の有効性を高めるためにも不可欠な要素と看做されている。看護と介護の連携は常識になっており、吸引のみならず経管栄養もヘルパーによって安全に行われている。

(3)医療的ケアの停滞
 他方、ヘルパーに対する医療的ケアの禁止が制度利用を抑制している面は否めない。たとえば、国が容認した吸引でさえ、県レベルで厳しく取り締まられることもある。このような地域では、自費で看護師や家政婦を雇い入れて、家族の代わりに吸引してもらうのに月100万円を超す出費が続いている家族もいる。多額の出費が毎月続くと、家族は経済的に苦しめられるばかりか、将来にわたって地域で必要な支援が受けられない孤立無援の状況を想像して不安になってしまう。そのような状況の中で、家族は患者に長期の呼吸器装着を促す気力もなくしてしまっている。家族が介護できなくても、長期療養できる場所があればよいが、全国的にもそのような場所は少ない。
 介護職による医療的ケアの普及が遅れている地域では、家族の介護負担を軽減することができず、結局は病院に長期的に依存してしまうか、あるいは他人による介護力を補充できないので、結果としてTPPVに進めない状況を作り出してしまっている。

(3)NPPV導入による介護派遣事業者の減収
 NPPVの開始時期になると、重度訪問介護の利用が望まれることを述べたが、重度訪問介護の標準単価(1600円)は、介護保険や自立支援法居宅介護の身体介護単価(4020円)より、かなり安く設定されている。そのため、身体介護から重度訪問介護サービスへの変更は、介護派遣事業所にとっては減収か、撤退のタイミングを意味する。
 また、ヘルパーの研修という側面からみても、NPPV導入の頃にケアの内容も増え、言語によるコミュニケーションも難しくなるので、ヘルパーがほぼ一人で所定のケアを担当できる、いわゆる「独り立ち」までには平均でほぼ半年、長くなると1年相当かかってしまう。
 しかし、その間の研修費は制度を使って請求できないので、実質的には事業所の持ち出し(当社で一人のヘルパーを養成するのに平均15万円かかる)か、患者の個人負担になっている。
 こうして、事業所は収益の上でも損失を覚悟しなければ、NPPVの患者を受け入れることができない。
現在、重度訪問介護の標準単価に加算する形で上記のリスク調整が行われているが、その加算率は、障害程度区分6のNPPVで7.5%、TPPV(気管切開による人工呼吸療法)では、重度包括支援の対象者になり15%加算である。
 TPPVの15%加算で、どうにか収支バランスが取れることもあるが、NPPVが7.5%加算では採算がとれない(注1)。

(4)自立支援法障害程度区分の判定
 自立支援法の判定方法をすこし説明しておくと、各利用者のサービス利用量の基準を図るために、平成18年度自立支援法施行時から障害程度区分の判定が開始された。区分は1から最重度の6まで。市区町村が指名した判定委員が最初に利用者の自宅を訪問し、106項目の質問に回答してもらい、その後、コンピューターで分類し、次に二次審査として、医師の意見書、特記事項などの参考資料を元に審査し、最終的に障害程度区分を認定される。
 ALSでは身体障害者手帳1級が発行されていると、最初から区分4か5に認定される場合が多い。
 NPPVを利用しだしたALS療養者の障害程度区分は5か6である。区分6の中でも、気管切開部から人工呼吸器を装着し、さらにコミュニケーションが困難な者は、最重度の障害者として、重度障害者等包括支援サービスの対象になり、重度訪問介護の報酬単価にも15%加算がつく。
 単身独居や介護者の高齢化などの生活状況は、勘案事項として、サービス利用意向といっしょに調査される。この障害程度区分は平成16年に支援費制度から障害者自立支援法に移行する際に導入されたが、障害者団体から強く批判された仕組みのひとつである。
 身体、知的、精神の三障害を一律に同じ判定基準で審査する方法では、身体障害に偏り重く判定され、発達障害に対する判定が軽くなる点、給付の公平性透明性を重視するあまり、利用者の個別性に応じられない点などである。そのため、二次判定をする九分判定にかかわらず、非定型という区分認定がおこなわれるなど、個々の利用者の状況も審査できるように工夫されている。しかし、自治体によっては、審査会が行政職員のみで構成されているなど、審査会の運営自体は自治体の裁量に任されている。
 また、実際の給付量は、障害程度区分を参考にして、必要があれば自治体の全額負担で給付を上乗せをすることになっているが、障害福祉の予算規模が小さい市町村では、各区分に定められた国庫負担基準額以上の持ち出し負担は避ける傾向がある。
 これにより、前制度であった支援費制度(平成15年度施行)では利用者の申告にしたがって、必要なだけ給付が行われていたのが、自立支援法では障害程度区分により、一人当たりの国庫負担基準額が定められたので、実質的に給付に上限が設けられることになっている。
 国庫負担基準をオーバーした分は全額市町村の負担になったことから、自治体の財政負担も重くなった。そして、自治体によっては、それでも必要なだけ給付を行う自治体と、そうでない自治体とが出てきたため、サービスの地域間格差につながる給付格差が広がり、特にALS療養者の介護量の地域間格差は歴然としたものになった。(0時間から900時間)そこで、来年度の自立支援法改定では、財政規模の小さい市町村に対して基金(障害者自立支援対策臨時特例交付金による特別対策事業「重度訪問介護の利用促進に係る市町村支援事業」)が設けられた。独居で24時間公的介護が必要なALS療養者が発生した場合、国庫負担基準を超過して給付する必要が生じるが、この基金を利用すれば市町村は全給付額の4分の1の負担で済むようになる。この基金による救済策が今後、ALS療養者にとってどのような影響を及ぼすかは定かではないが、全国のALS療養者に対して、NPPVの導入時から重度訪問介護の利用が進めば、単身者も自宅で安心して療養でき、同居家族も深夜早朝も自分の布団で眠ることができるようになるだろう。ALS療養者と家族のそれぞれが、就労や余暇のための外出もできるようになるだろう。
(図表省略)

(注1)実際にTPPVのほうがケアは楽だという意見も多い。医学的にはTPPVのほうが介護負担は増すといわれてきたが、中島孝[2007:10]によると「NPPVの導入の不成功自体がTPPVへの移行をためらわせる大きな理由になると思われる。」参考文献 (7)

B.方法、倫理的配慮
 NPPV療養者の生活はAで述べたように、医療ニーズが見えないにくいまま、長時間介護サービスも利用しにくいため、家族の介護負担が増大するという不安定な状況におかれていることがわかってきた。
 NPPVの療養に関する相談内容も増えたことから、昨年度、電話やメール等で相談を受けた療養初期の患者家族やヘルパーの中から、インタビューの対象者を決めて、改めて聞きとりを行った。相談者ならびに事例の当事者、地域は特定できないようにした。聞き取った結果はCに箇条書きし、Dで考察する。

C.結果
1、家族介護者からの問い合わせ
 @ TPPV移行に関するインフォームド・コンセントがきちんと行われていない。いつ切開するのか、わからない。
 A 地元ではパルスオキシメーターの給付がない。パルスオキシメーターは医療なのかわからない。
2、  ヘルパーからの問い合わせ
 @ 一人暮らしの療養者なのに深夜帯の見守りが利用できない。
 A 鼻マスクやカフマシーンの操作は医療行為なのか。
 B ミニトラックからの吸引はしたくない。
 C 微熱が続くが異常なのではないか。
3、  患者からの問い合わせ
 @ カフマシーンは保険適用にならないのか。
 A そろそろ重度訪問介護を利用したいが、ヘルパーを派遣してくれる事業者がいない。

D.考察
1、インフォームド・コンセントに係る問題
 調査を進めるうちに、NPPV導入時に必要が生じれば気管切開をすること、そして次の段階では長期人工呼吸療法に進むこと、NPPVには限界があること、そんなに長くは利用できないことなどの説明が十分になされているのだろうかという疑問が生じた。NPPV導入時点では、患者に意思決定を迫るべきではなく、また不安にさせないほうがいいと判断した医師が、先々の治療についての説明を控えていると考えることも、患者や家族が医師の説明を忘れてしまうとも解釈できるが、日ごろから気管切開を行うタイミングについて話し合っておく必要があるだろう。
 このままでは、ALS療養者にはNPPVの使用は厳しい印象である。嚥下障害を伴う進行性疾患ゆえ、その有効性には限度があるが、誰がどのようにして限度を予想し、次の段階へ進むための準備と見極めをおこなうのかが、患者や家族に明確な説明はされていないケースもあった。
 特に、NPPVの装着時間が長くなっても、訪問看護が毎日おこなわれていないケース、診療所医師の訪問が月一度あるかないかというケース、家族が介護記録をつけていないケース、医師が治療の継続に消極的なケース、医師看護師にALS支援の経験がないケースなどでは、気管切開のタイミングの見極めが遅れてしまい、死亡に至っていた。
 この時期にどこかで、改めて治療の継続に関するインフォームド・コンセントが行われなければならないが、そのタイミングも難しい。それは患者にとっても、もっとも避けたい話題であるからだ。しかし、たとえ本人が話し合いを拒み、気管切開を渋っても、NPPVの限界を患者の自己決定に委ねることも疑問である。2007年QOL班研究報告書においても、「根治できない疾患のインフォームド・コンセントでは「死」か「延命処置」を患者がチョイスするインフォームド・チョイスではない」とある(注2)。
 NPPVと併せてTPPVの必要性について医学的に説明し、並行して保健師や行政福祉職が訪問し、家族を安心させ、家族以外の者の介護力の充当を積極的におこなえば、将来の不安も幾分解消され、施術に納得する患者も大勢いる。これは病院スタッフだけではなく、地域医療チームとの連携によって行われるべきことである。
 ここで大切なのは、完全看護の入院患者のケースと違って、在宅療養では福祉職のサポートが停滞したまま、医療関係者だけで施術の話を進めては、家族の負担は極めて重いままTPPVに移行してしまう点である。だから公的支援の導入を約束せずに、患者家族に治療のさらなる継続を納得させることは難しいと考えるべきである。
 この頃の患者は、家族の負担を気に病み、また同時に家族にこそ励まして欲しいと望みながら、治療を受けたいとは言い出しにくい状況に置かれている。また、家族も疲労困憊で生来の希望が持てず、治る可能性も社会的支援の可能性もないままでは、次のステップに積極的に進む気持ちになれないでいる。
 患者本人が長期人工呼吸療法を希望していない時は、NPPVが最終的な治療となるが、ここでは呼吸苦緩和の方法が問題になる。療養者がはっきりした意思表示をしないために、呼吸困難が始まってもTPPVに進むこともできず、かといってモルヒネによる緩和ケアも開始できず、24時間NPPVで、呼吸苦も長く続いているケースもある。
 聞き取りによると、つい最近も24時間のNPPVに加えて胸を押して換気を手伝う介護を家族とヘルパーで交代しながら、24時間休むことなく3か月以上も続けていた患者もいた。このようなケースでは、まず医師が家族を説得し、気管切開を施すべきであったとも思われるが、どうしても拒む場合はオピオイドの投薬で、このような事態は事前に避けることができたとも考えられる。
 結局、本人の覚悟が決まらないこの時期、それでも在宅療養を希望するALS療養者と家族の「最善の利益」を総合的に判断し、治療を決定するのは診療所の医師以外にはありえないと考えられる。
 ところが、その医師がALSへの加療に対してネガティブであったり、よい情報を持っていなかったり、外部の資源を大して使わずに家族のQOLを優先したりすると、「治らないのに治療を重ねても患者もご家族も不幸になるだけ」という独善的判断で、長期療養に向けて必要な福祉の説明も資源投入の手配もせずに、治療の差し控えが行われてしまっている。
 過去の在宅介護を振り返れば、確かに家族だけで長年介護を行わなければならないような状況であったが、2003年度の支援費制度(後の自立支援法)の開始やヘルパーによる気管吸引の容認により、国もようやくALSの介護支援に乗り出している。
 それらの制度を利用して、患者家族のそれぞれが、互いに束縛されない療養形体が実現している地域もあるので、他の地域でも同じように実施できるように、先に述べた制度を活性化できるよう、地元の人々が協力して推進すればよい。
 介護に関する有用な情報は、本人よりむしろ家族の前向きな意思決定を支えるので、情報提供は必要に応じて確実に行うことが重要である。
 家族が介護負担を憂慮することなく、「生きてほしい」という思いを患者にぶつけることができれば、たとえ患者が治療を選ばずに亡くなったとしても、残された家族の悲嘆は幾分軽くて済むはずである。家族を見捨てたという思いに苛まれずに済むためには、ALSの家族のグリーフケアも、告知の瞬間から行われなければならない。
 地域によっては、介護事業者がいないなどの理由で、満足な情報提供がなされていないようであるが、通常は患者会のアドボカシーから、有用な情報提供できるので、医療機関と患者会との連携も重要である。
 このように、異なる領域の支援が重層的に行われ、家族の負担を軽くした結果として、ALS療養者に新しい選択肢を開くことになる。

2、「呼吸緩和」の真意
 呼吸不全に陥っても、どうしても呼吸器装着の希望がない場合、医師は終末期と考えて緩和ケアを開始することになる。日本ではALSにモルヒネを処方する診療所は少ないと言われているが、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」にもあるように、緩和ケアの必要性は合意形成されつつある(注3)。
 気管切開をしないと決定している者に対して、呼吸苦をそのまま放置することは、人権を無視した行いであるかもしれないが、ここで注意すべき点は、ALSのQOLを向上させるつもりで、緩和ケアを導入するのでなければ、終末期の呼吸緩和と安楽死との境界が曖昧になってしまっている点である。
 昨年、協会会員から報告されたいくつかの事例では、医師と家族の同意の上でオピオイドが開始されたが、患者には最終的な意思確認がおこなわれてはいなかった。患者は意識が鮮明なうちは、長期人工呼吸療法を望んでいたという。しかし、治療する意味を見出せなかった家族が、治療開始に同意しなかったため、呼吸困難の兆候があった頃からモルヒネが開始され、気管切開も差し控えられた。
 また、別の事例では、本人は治療を希望していたにもかかわらず、医師と家族が内々に相談をして救急搬送せずに亡くなっていた。前者は新聞記者、後者は亡くなった患者の弟からの通報であった。綿密な調査を行ったわけではないが、このように家族が治療に同意せず、患者は長期療養に至らなかったという事例が他所からも報告されている。これまで、在宅療養中の患者が不審な死に方をしても、詳細が明らかにされることはほとんどなかった。地域医療と他の患者との関係を壊したくないため、患者会が間に入り、表沙汰にしなかったということもある。
 しかし、密室での呼吸緩和ケアと安楽死あるいは殺人と紛うような事例が混雑している状況をみて、問題事例の調査と集積、場合によっては公表も必要な時期と筆者は考える。患者の意思確認が地域や家庭でどのように行われているのか。家族と患者の合意がない場合、どちらの希望が尊重されているのだろうか。
 また、モルヒネ投与に関するインフォームド・コンセントの実態はどのようなものなのか。家族にだけおこなわれていないだろうか。意識が鮮明であるはずの患者の意思確認なく、家族の同意だけで呼吸苦の緩和が行われたという事例はあるのではないだろうか。
 ALSの終末期緩和ケアと家族の介護負担、言いかえれば、ALSの緩和ケアと公的介護制度の利用状況との関連性についても、広範かつ継続的な調査が大変に重要な時期にきている。

3、安楽死と緩和ケア
 従来、ALSでは呼吸苦から病院に搬送、そして気管切開からTPPVへと進み、呼吸器の取り外しができないことから覚悟が決まり、長期療養へと自然に導かれていった。しかし、NPPVが利用されるようになると、かえって在宅での呼吸管理や身体介護が難しくなり、不安定な時期も長く続くので、その間に死を選ぶ患者も増えてきた。
 この間のALSの緩和ケアについて、海外には興味深い文献が多数あるが、Brasio GDらの調査によると、ドイツ国内の神経内科医長411人のうち回答を寄せた152人中、32%は呼吸緩和のための投薬を違法と考え、45%はモルヒネの使用は安楽死と同様と信じているという(注4)。
 また、2008年のALS/MND国際シンポジウムでのオランダのMassenらの報告では、94年から98年の間に、オランダのALS患者のおよそ20%が、2000年から05年の間では、16.3%が安楽死、14.5%が長期セデーションによる死を選択し、医師による自殺幇助や安楽死は定着しつつある。調査者はALS患者が安楽死を希望する主要因は、ケアの質や失意、宗教上の理由などよりも、窒息死を恐れていることを挙げていた(注5)。
 この報告からは、オピオイドによる緩和ケアは、患者から窒息死の恐怖感を遠ざけ、安楽死を避けるためにも重要な処置であることはわかるが、ドイツでの調査のように、安楽死と緩和ケアの境界は曖昧であるという見方もある。
 日本でもNPPVの取り外しはおこなわれているが、非侵襲的なので訴追されることはない。しかし、NPPVの中止も一方には長期生存という選択肢を残して行われるだけに、医師をはじめ周囲の人たちの心理的負担は大きいと考えられる。家族も同様であろう。
 イギリス人緩和ケア医、D.Oliverによれば、ALSの長期緩和ケアプログラムで、安楽死はもとより、緊急避難的な呼吸器装着も避けられている。またこれにより緩和ケアと安楽死との境界は厳密に隔てられている。このプログラムではスピリチュアルケアも実施され、多専門職種によりさまざまなケアが行われていくが、最終的な段階での、たとえば鼻マスクの取り外しにも、患者は事前に備えるべきであるとされる。その処置を非倫理的であるとか、安楽死、医師による自殺幇助などといっしょにすべきではないとも言う(Oliver.D[2006:78])。

4、医療社会学的視点からみた呼吸ケア
 一方、日本におけるALSのケアは難病ケアに包摂されてきた。行政的な難病の定義に基づく難病者のためのケアは、TPPVでの長期生存を前提とした一連の呼吸緩和ケアと、各種制度保障による社会心理的ケアの両面から成立した政策事業によるケアである。このことから、市民の寄付に財源の多くを求めるコミュニティ型ホスピスを舞台にするイギリスの緩和ケアとは伝統的に異なる成立過程と特徴をもつと考える。
 こう考えると、ALSに対する緩和ケアは、社会文化的影響を非常に受けやすい(Oliver.D[2006:262])。医療社会学視点からみた緩和ケアについて、ここではこれ以上の言及は控えるが、日本においても、ALSの緩和ケアと安楽死との曖昧さが報告されるだけに、難病緩和ケア概念の確立と地域医療への普及が待たれる。

5、カフマシーン、カフアシスト(MAC)の医療保険点数化
 NPPVからTPPVへと連なる呼吸ケアプログラムをスムーズに行うためにも、カフマシーンの導入と保険点数化が望ましい。現在は自費購入かレンタルでしかカフマシーンは利用できないので、利用者も限られている。
 カフマシーンとは、鼻マスクから陽圧の空気を肺に送り込み、次に急激に陰圧にして人工的に咳を誘発する機械である。その有効性は小児呼吸疾分野に前向きなエビデンスが多数見られるが、最近ようやくALS療養者の間でも利用が広がり、自己負担でメーカーに月2万5千円を支払っても利用している人が増えている。彼らによれば、月2万5千円のレンタル費用は家計に厳しいが、その有効性は計り知れないから続けているという。習慣になっていた肺炎もおさまり、1日の吸引の回数も減り、特に寝る前にカフマシーンをかけると深夜の吸引が減るという。早急に実態調査をおこない、国に対して患者会からも医療保険化を要望したい。

3、医療的ケアの問題
 気管切開部からの吸引は、現在ヘルパーにも容認され、省の定めた方法によって安全に行われている。しかし、NPPV使用中の痰の吸引(特に気管に流れ込んだ唾液を口腔から吸引する技術)は、マスクを外して口腔から行うがかえって難しく、介助の必要がある場合は、指導が必要である(注6)。
 また、気管切開はしない人の窒息死を回避するために、気管に極細のカニューレを差し込んで、そこから痰の吸引をする方法もおこなわれている。「ミニトラック」というもので、癌の末期でおこなわれることもある方法だが、ここからの吸引を求められた事業所の管理者とヘルパーから相談を受けた。(その事業所は一般的なALSの気管切開部からの吸引には多数の経験がある。)そのヘルパーは「吸引の効果が見られない」「安全性が担保されていないので不安」「いつ患者の容体が急変するかわからない」と訴える。
 筆者はその事業所に対して、患者の家族に依頼されても、ヘルパーに処置させなくてもよいと伝え、ご家族に対しては気管切開をしないミニトラックからの吸引はヘルパーではアセスメントができないため、終末期医療なので看護職を中心にした療養体制に切り替えていくよう、メールと電話でアドバイスした。
 モルヒネとミニトラックを併用したALS療養者の終末期ケアは自立支援とは言いがたい。終末期を意識した患者は精神状況も不安定で、他者への指示も難しい状況である。オピオイドによる副作用に戸惑うヘルパーもいる。このようなステージの療養者への介護は、現行の介護保険や自立支援法のヘルパーの業務ではなく、専門的なアセスメントに基づいて、看護によって行われるべきであるが、制度化されていない。
 あえて救命のための医療をおこなわないことが「自然」と呼ばれ、福祉施設や自宅での福祉職による看取りが称揚される風潮もあり、確かにそれがよいこともあるのかもしれないが、ALSの終末期の在り方に「自然に近い」方法が応用されると実質的には「医療の差し控え」になり、不自然に苦しませることになる。
 また他の患者の家族からは、カフマシーンの操作はヘルパーで行えるのか、パルスオキシメーターは医療なのかという問い合わせもあった。ひとつひとつのケアについて、医療か否かを問い正すことになると、すべて医療だからヘルパーには実施できないと言うしかないが、 介護で疲弊した家族を放置できないという倫理的見地から、医師の指導のもとに、看護もヘルパーも医療的ケアをおこなっているのである。そして、その際に重要なのは、責任の所在であるが、これはいくら医師に医療上の責務があるといっても、患者の自宅に24時間待機しているわけではないので、実際の在宅療養では患者家族の自己責任に負うしかないのが現実である。従って、制度を利用する患者への教育は非常に重要である。
 医療的ケアの安全性を高めるためには、ヘルパーには必要が生じるたびに実地で研修と相談を継続し、24時間訪問診療を行える地域医療の仕組みを用意し、療養者と家族には、制度を利用する上でのモラルを徹底することである。
 TPPV移行時にはどうしても生か死かが問われることになるが、技術的にも精神的にも負担の大きいこの時期にケアに携わる者に対しては、その責任の所在を明確にするよりも、むしろできうる限りの彼らのストレスを回避するための工夫と、ひとつひとつのケアに対する正当な評価、地域医療全体で個人を支え励ます体制が望まれる。

4、地域間格差の解消
 研究の背景でも述べたように、NPPV導入による介護量の増加に際して、介護制度の地域間格差の問題が横たわっている。
 自立支援法のように、地方財源の負担による介護制度は今もって実質的には申請主義であって、請求に対して給付が行われる。つまり、その地域の人々のニーズを顕在化させることにより、利用できるようになる部分もかなりあるので、患者にも当事者性が問われているのである。
 したがって、地域で長時間滞在型介護が実施されていないからといって、ただ不平不満を持ちながら待っているだけでは何も変わらないし、サービスも行われない。まずは、その地域に暮らす患者当事者のニーズを顕在化させ、地域の福祉行政に反映させる政治的な働きが必要であるが、その働きかけも最初は地域の医療従事者によって、自分のニーズが明確ではない患者や家族当事者に対して、啓発的に行われる必要があるだろう。
 「患者は自分のことを「資源」と思わなければいけない」とは、長く地域で療養をしてきた橋本操の言葉である。呼吸療法が必要な人を長く地域で支える仕組み作りは、ケアの領域に雇用を創出し地域の医療技術の向上に貢献する。ALS患者の生存はその地域の医療と福祉の資源になるということである。

(注2)参考文献(2)
(注3)平成19年5月「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン解説編」*注5、注6
(注4)Brasio GD et al :Palliative care in amytorophic later clerosis,J.Neurol 244(suppl):11-17,1997.
(注5)Massen et al :END-OF-LIFE PRACTICES IN ALS IN THE NETHERLANDS,ALS/MND International Symposium.
(注6)中島孝[2007:10]「TPPVでの実際の吸引回数はNPPVの終末期より多いとは言えず、この不安感を解消することが重要である」参考文献(6)

E.最後に
 今はまだ日本ではNPPVを最終的な呼吸緩和ケアとする終末期ケアは、患者の「死ぬ権利」のために必要不可欠な医療ではなく、選択肢のひとつに過ぎない。ALSの長期療養を認める社会では、死を回避し、長期療養につなげるためにこそ、NPPVが選択できるのである。
 しかし、もしALS療養者の長期療養を認めない社会的状況になれば、長期生存に必要な侵襲的なケアは停滞し、反対に安楽死や治療停止を望む声が増すので、積極的安楽死を回避するためにこそ、取り外しができるNPPVは呼吸療法の主流になるだろう。そのような社会が到来すれば、NPPVの限界を緩和するモルヒネの保険適応の要望が強くなり、患者組織も安楽に死ぬ権利のために動かなければならなくなる。
 しかし、日本ではまだNPPVからTPPVへの移行期間は、生存のために必要な技法を学び、資源や支援者を集める貴重な期間と考えることができる。難病研究を志す私たちは、後者のほう、すなわち、NPPV開始を糸口とする長期療養への導入技術を極めていきたいものである。

参考文献
1)石川悠加編、『JJNスペシャル No.83 NPPV(非侵襲的陽圧換気療法)のすべて これからの人工呼吸』、2008年 医学書院
2)「筋委縮性側索硬化症の包括的呼吸ケア指針
呼吸理学療法と非侵襲的陽圧換気療法(NPPV)第一部」研究報告書分冊、厚生労働省難治性疾患克服研究事業平成17〜19年度『特定疾患患者のQOL向上に関する研究』報告書、主任研究者 中島孝、ALSにおける呼吸管理ガイドライン作成小委員会、小森哲夫
3)David Oliver, Gian Domenico Borasio and Declan Walsh "Palliative Care in Amyotrophic Lateral Sclerosis From Diagnosis to Bereavement Second Edition" 2006
4)川口有美子、古和久和「在宅重度障害者に対する効果的な支援の在り方に関する研究」「ALS療養者と介護者、双方の生活を支援するサービスの在り方に関する研究」「在宅重度障害者としてのALS療養者のための「自律生活プログラム」の検討」厚生労働科学研究費補助金障害保険福祉総合研究事業、平成17-19年度総合研究報告書『在宅重度障害者としてのALS患者の実態とニーズに関する研究』p189-302、主任研究者、川村佐和子
5)障害保健福祉関係主管課長会議資料(平成20年12月25日開催)資料5−1:障害者自立支援対策臨時特例交付金の概要(案)
*WAMNETからダウンロードできる。
5)中島 孝・川口 有美子「QOLと緩和ケアの奪還――医療カタストロフィ下の知的戦略」『現代思想』36-2(2008-2):p148-173(特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー 2008年2月号)
6)中島孝、「特定疾患患者の生活の質(QOL)の向上に関する研究」厚生労働省難治性疾患克服研究事業平成19年度『特定疾患患者のQOL向上に関する研究』報告書、主任研究者 中島孝、p3-15
7)難波玲子、「神経難病におけるNPPVの意義と問題点」厚生労働省難治性疾患克服研究事業平成19年度『特定疾患患者のQOL向上に関する研究』報告書、主任研究者 中島孝、p166-168

G.研究発表
1.雑誌発表
1)川村佐和子、川口有美子(聞き手)「難病ケアの系譜――スモンから在宅人工呼吸療法まで」(インタビュー)『現代思想』Vol36-3, 171-191、青土社
2)「看護の「自律」」川村佐和子、川口有美子、『看護学雑誌』P4-23、2009年1月号、医学書院
3)「難病ALSの療養にみる日本独自のケアと共に創るケアへの期待」、難病と在宅ケア特集『保健の科学』2009年2月号51巻、杏林書院

2.学会発表
「医療依存度の高い高齢者の暮らしの支援」3月15日、第12回日本在宅ケア学会学術集会シンポジウム
「日本におけるALS療養支援の現状と課題」8月9日、第13回日本難病看護学会シンポジウム「難病ケアのこれからを考える」


*作成:石田 智恵
UP: 20090311 REV:
ALS  ◇さくら会  ◇日本ALS協会
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