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「〈異なる身体〉の交感可能性――
コンテンポラリー・ダンスをてがかりに」

報告要旨
渡邉 あい子
 20081214 アートミーツケア学会
 於:アートエリアB1(京阪中之島線なにわ橋駅地下1階コンコース内)


◆要旨

□ボディランゲージという言葉があるように,私たちは身体でも会話をする.言葉だけで伝わりにくい時には自然と身体が補うように動き,身振りをしている.言葉のコミュニケーションだけでは,言葉の意味において取りこぼされてしまいがちなところを身体は分かりやすく呈示することができる.私たちは普段はこれを当然のこととして生きている(補いとしての身体).
 しかし,筆者が勤めていた知的障害者の施設では,利用者間の言葉の齟齬はそのまま身体のそれとなり,喧嘩すら成り立っていなかった.つまり,同じ感受の土俵に乗りきれていないということになる.そうして「わかってもらえない」というフラストレーションは高まり,感情の爆発などがあった.また,すれちがうときによける,といった相手の位置や動きを想定できないこともある.
 このようなことから,本報告では「補いとしての身体」を疑い,コミュニケーションの土台を「存在としての身体」に置き直して考えてみたい.
 具体的には,〈相手を知ると同時に自分にも気づいていくような契機となりうる身体の交感や呼応の経験〉を用意する場所としてのワークショップ,とりわけコンテンポラリー・ダンスのそれに注目する.身体表現は身体ひとつでできる.その意味では,全ての人が表現者になれる可能性を持っていると言える.それは身体を動かせないこと,不自由さも含めてのことだ.
 ダンスの歴史を追うと,ながらく「きれいな身体/動き」が中心に据えられていた.しかし,現在広がっているのは,ごくふつうの人々や障害をもった人とのパフォーマンスである.
 本報告では,こうした限られた人々の「きれいな身体/動き」でないものを肯定する動きがどのような過程を経てきたのか,また障害と結びついていく過程と仕組みを明らかにする.欧米のダンス展開を概観したうえで,舞踏,とくに土方巽の思想に含まれてあった「衰弱体」に着目する.その後発生した日本のコンテンポラリー・ダンスの性質とあわせて,「交感」を志向する現場として「異なる身体」へのコミットがどのように始まり,またそれが私たちに受け入れられる意味を呈示する.
 障害者の身体に対するあり方というのはとかく,リハビリテーションのように既に欠如しているものへの充足,または回復の「医学モデル」に重きがおかれがちである.しかし,パフォーミング・アーツという土台に乗ったとき,「効果」というスケールは中心から外れ,障害への「配慮(ケア)」ではなく,障害をもって生きる身体:「存在としての身体」との「出会い」になるのである.またそのやりとり〈交感〉により,共同の場を生成しながら同時にパフォーマンスもうまれてくる.つまり,そこには身体というコミュニケーションの土台があると言うことができるのではないだろうか.


*作成: 渡邉 あい子
UP:20081201 REV:
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