立命館大学生存学研究センター グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 生存学研究センター報告 3 不和に就て ―― 医療裁判×性同一性障害/身体×社会 まえがき  第一部に収録されたシンポジウムが行われてから長い時間が経ってしまった。早くにその記録をなおしていただいたり、第二部に収録された論文の再掲を許可してくださったにもかかわらず、刊行が遅れてしまったことについて、報告者・執筆者の皆様にお詫びするとともに、深く感謝申し上げる。  この冊子がどのようにして編まれたのかについては、編者による第一部・第二部の序を読んでいただきたい。その全体を構想し、再録するべき文章の筆者に依頼し、また新たに文章を執筆し、執筆を依頼したのは、編者たちである。  結果この冊子は、内容の豊富な、高い密度のものになったのだが、これをいったいどう受け止めたらよいのだろうと思った。刊行の遅延にはそんな事情もある。それでも結局、まとまったことは書けそうにない。もう一度お詫びする。  さてそれでもなにか言ってみることにしよう。と書き始めたら、すこし長くなってしまった。それらは素人として書くものであって、すべて既に論じられていることであるとは思うのだが、それでも、読んで考えたことを書いてみるのもまったく意味のないことではないとも思えた。ただそれは、挨拶が長引いて人に迷惑をかけるようなものだから、巻末に、2つの私の文章を置かせてもらうことにした。  この冊子は、立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点の成果として、2008年2月発行の『PTSDと「記憶の歴史」──アラン・ヤング教授を迎えて』、3月発行の『時空から/へ──水俣/アフリカ……を語る栗原彬・稲場雅紀』に続く立命館大学生存学研究センター発行のセンター報告3として刊行されるものである。3冊のいずれも、送料を負担していただけるならお送りすることができる。問い合わせ等は事務局ars-vive@st.ritsumei.ac.jp。また本拠点のウェブサイトにも関連する様々な情報を掲載している。合わせてご覧いただければ幸いである。 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/ars_vivendi/index.html 2008年8月 立岩真也 目次 まえがき  立岩真也 3 第一部 シンポジウム      性同一性障害×患者の権利──現代医療の責任の範域      序 山本崇記 9 報告?医療過誤裁判における情報偏差と情報開示運動    ──患者の権利とは何か 勝村久司 10 報告?トランスジェンダー及び性同一性障害医療の現状 田中玲 24   ?パネルディスカッション  33 高橋慎一(コーディネーター)、勝村久司、田中玲 ヨシノユギ、上瀧浩子 第二部 身体をえぐる〈痛み〉の分断と錯綜 ──医療・法・メディア・運動 序 北村健太郎 69 第1章 輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察 西田恭治・福武勝幸 71 第2章 輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察(承前)     ──ジャーナリズムおよび和解所見の功罪 西田恭治 75 *再録にあたって 北村健太郎 87 第3章 C型肝炎特別措置法に引き裂かれる人たち 北村健太郎 90 第4章 診療情報の開示に関わる論点 伊藤実知子 114 第5章 性同一性障害医療と身体の在り処     ──ガイドライン・特例法とトランスジェンダリズムの分析から    高橋慎一 133 第6章 GIDという経験──「患者」としての3年間 ヨシノユギ 156 争いと争いの研究について 立岩真也 163 性同一性障害についてのメモ 立岩真也 178 あとがきにかえて──運動/研究をめぐる断想 山本崇記 194 第一部 シンポジウム 性同一性障害×患者の権利 ──現代医療の責任の範域 序  第一部は、2007年12月8日に行われた研究シンポジウム「性同一性障害×患者の権利──現代医療の責任の範域」の記録である。同シンポジウムは、立命館大学グローバルCOE「生存学」創成拠点の研究活動の一環として実施した。2007年3月、GID(性同一性障害)における医療過誤を問う国内初の裁判が京都地方裁判所に提訴されたことを受けて、法・患者の権利・ジェンダー/セクシュアリティなどといった多角的な視野から、現代医療のあり方について考えることがシンポジウムの主要な狙いであった。  シンポジストには、医療機関・従事者の責任を法廷で実際に問い、カルテ開示の市民運動を実践されてきた勝村久司氏(高校教諭/中央社会保険医療協議会委員)、『トランスジェンダー・フェミニズム』の実践者でありGID医療などにも詳しい田中玲氏(フリーランスライター)をお迎えした。勝村氏には、医療過誤裁判や医療のあり方をめぐる全般的な状況についてお話していただき、田中氏には、トランスジェンダーやGID医療についてお話していただいた。  それを受けて、上述した裁判の原告であるヨシノユギ(立命館大学院生)と訴訟代理人である上瀧浩子氏(弁護士)を交えたディスカッションを行い、多様な論点について議論を深めていただいた。シンポジストを引き受けて下さった方々にはこの場を借りて改めて御礼申し上げたい。また、シンポジウム開催の機会を与えていただいた「生存学」創成拠点及び立岩真也氏(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)に感謝の意を表したい。 山本崇記(立命館大学大学院先端総合学術研究科) 報告@ 医療過誤裁判における情報偏差と情報開示運動 ──患者の権利とは何か  勝村久司 (高校教諭/厚生労働省中央社会保険医療協議会委員) 山本崇記(司会):本日はシンポジウム「性同一性障害×患者の権利──現代医療の責任の範域」にお集まりくださり誠にありがとうございます。2007年3月、日本初の性同一性障害(Gender Identity Disorder)医療における過誤を問う裁判が、京都地方裁判所で提訴されました。それと時期を同じくして、これまでGID医療を担っていた医科大系病院が新規の患者受入をストップするなどの事態が起こり(*1)、さらに、「性同一障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)の改訂議論も始まり(*2)、GID医療をめぐる状況が大きく揺れ動いています。このような中で、同裁判は、性同一性障害医療というマイノリティ医療の構造を照射する重要な試みになりつつあります。また、患者の権利運動という文脈からは、薬害エイズ、C型肝炎などが社会的にクローズアップされるようになってきました。  患者の権利にはどのような歴史があるのか、医療過誤裁判とはどのような実態をもつのか、マイノリティ医療──とりわけ性同一性障害医療──の構造とはどのようなものか。本日は、このような現状と問いを踏まえて、二人の報告者にお話していただきます。  まず、カルテ開示活動やご自身が医療過誤裁判を闘ってこられた経験をお持ちの勝村久司さんに、「医療被害と裁判」というテーマでお話していただきます。次に、「GIDと医療」というテーマで、トランスジェンダーの活動家として活躍されている田中玲さんにお話をしていただきます。そして、お二人のお話を受けて、GID医療過誤裁判を提訴した原告のヨシノユギさんと弁護士の上瀧浩子さんを交えて、パネルディスカッションを行ないたいと思っております。どうぞ、最後までお付き合い下さい。  それでは早速、勝村さんからよろしくお願い致します。  勝村久司(報告者):ご紹介いただきました勝村です。先ほどお話があったように、自分自身が子どもを医療被害で亡くして医療裁判を経験しました。僕たちの長女が事故に遭ったのは1990年の12月だったのですが、1991年に歴史的と言っても良いと思いますが、初めて全国の医療過誤裁判をする被害者が一同に集まって「医療過誤原告の会」という大きな組織ができ、そのことが新聞各社に取り上げられたということがありました(*3)。加えて今から10年ほど前には薬害の被害者団体が一つに集まるということがあったりして、自分たちのやらなければいけないと思っていたこととのタイミングが合って、それらの動きと関わってきました。  それらを通じて、自分の裁判の経験以外に色んな医療被害の裁判や薬害被害の裁判に取り組んだり、また行政と話をするようになったり、当事者としての被害者運動という立場で市民運動をやってきた人に随分知り合いもできて、色々と考えることも多くなってきました。今回のヨシノさんの裁判も、少し状況をお聞きした程度で裁判の経過や内容については詳しく知っているわけではないのですが、これまでの裁判との関連という意味で、一般に医療被害というものや裁判というものがどういうものだと自分が感じているのかということをお話したいと思います。 医療裁判とは何か?──偽証との闘い  まず、医療裁判とは何かということについての僕の考えですが、一言で言えば、医療裁判というものは医学的に難しいものでも何でもない。もう少しアカデミックな話もしたいところですがとてもできない。ただただカルテ改竄や偽証との闘いにすぎないというのが僕の印象です。僕の場合は産科医療での裁判でしたが、弁護士さんたちが調査をするとカルテの改竄はかなりあるという結果が出ます。何よりそのことは実感するし、被害者はみんなそれを言います。本当に偽証するし、それをかばう学問的にはとてもまともなものとはいえない鑑定書が出される。そういうものと闘っているのが医療裁判だというふうに感じています。  こういうことを言うと、全ての医者が改竄していると言うのかという反論が出てきます。まじめに頑張っていると自認している医師たちがよく反論してくるのですが、全ての医師がカルテ改竄をしているから裁判になるという理屈ではなくて、改竄をするようなことをするから裁判になるのだというのが僕の実感なんです。事故や被害が起こっても、全て何もかも見せましょう、話をしましょうという姿勢、テーブルに着くという姿勢が病院にあればいい。弁護士を間に挟んで示談交渉が始まることがあるかもしれないが、お互いにテーブルに着けば裁判所までいく必要がないという感じがします。ところが、テーブルに着かないという冷たい対応がある。そのことを最も強く認識する瞬間は何かというと、相手方が明らかな嘘を言い始めたときです。  明らかに嘘をつきはじめていることに対し、被害者はどんな対応ができるか。テーブルに着いてもらえないので、その瞬間に患者側というか被害者側は、二つに一つの選択を迫られるわけです。一つは泣き寝入りする。もう一つ残っているのが裁判をするということ、社会の中で司法に訴えるということです。裁判所にいけば相手方はテーブルに着かざるを得なくなる。それでも一定の条件をクリアできるケースしか裁判はできません。だから泣き寝入りをするしかないところに追い込まれることが数多くあった。その中の何人かが裁判をしていますが、追い込まれてから裁判を決意しているわけです。  しかも追い込む手口がそもそも嘘をつくということなので、裁判では、最初から嘘と闘うということになるんですね。   何が医療裁判では争点となるのか?    それでも医療者側はそうではないと言うのです。医療裁判というのは高度な医学的知識が必要で、過失や因果関係の有無の特定が非常に難しいし、証明ができないと言い訳をするのです。過失があるかないか、医療の標準が何かということを議論しているように思われることが多いし、医療裁判はとても難しいことのように言われるのですが、実はすごく簡単なんです。一審では敗訴、二審では逆転勝訴という感じでコロコロ変わることがよくあります。医学についての議論のあり方が変わったからだと思われがちですが、僕が知っている裁判は、大概事実経過においてどっちの事実を認定するかということで差がついていて、本当はそうだと考えています。  たとえば、僕の妻子の陣痛促進剤による被害の裁判では、感受性の個人差が100倍以上もあって非常に大きいから、人によっては強すぎる陣痛が来てしまってとても危険だから慎重に投与すべきとされていた陣痛促進剤を筋肉注射で入れられたというのが妻の記憶ですが、裁判になると病院側はカルテを改竄して、ゆっくりと点滴で入れたと言うわけです。その後、一人でほったらかしにされて何度呼んでも相手にしてもらえなかったというのが妻の記憶ですが、病院側はずっとそばにいましたと言うわけです。物凄くきつい陣痛に苦しんで、気絶しそうなのを必死に耐え続けた、苦しみを訴えて叫んだというのが妻の記憶ですが、病院側は患者はずっとにやにやと笑っていたという嘘のストーリーで、口裏合わせをするわけです。事実経過の主張が全然違っているわけで、どっちの事実経過が正しいかということを争っているのが医療裁判なんです(*4)。  僕たちは一審では完全敗訴しました。判決文では、最初に事実経過が書かれますが、全部病院側が主張していた事実経過が採用されました。最後に、なお原告側の妻が病院の主張と違う事実経過を訴えているけれども、「それについてはにわかに信じ難い」という一言で排除されました。それでも、二審では逆転勝訴するんです。妻が本当に苦しんでいたと言えるような明白な証拠が残っているわけではありません。本当の事実はそうだし、裁判官の判決を左右しているのも事実経過ですが、そういう書き方は裁判官もできない。だから、過失の有無を争っているように見えますが、実は事実経過を争っていた。  それから、何らかの事実経過が認定されて、過失があるとわかっても、因果関係の有無ということで負けてしまう裁判というものが若干あると考えています。たとえば、明らかに車に跳ね飛ばされたんだけれども、交通事故に遭っていなくても、たまたまその瞬間にその人が心臓発作をする時間と一致していたということで、その人の死は交通事故とは無関係な心臓発作だったんだと、そんな理屈っぽいことを最後まで病院側が言い続ける。これに対して、何を言っているんだと裁判官が相手にしない場合もありますし、一方で確かに分からないことを言っていた裁判もありました。  10年ほど前になりますが、最高裁が、本当に因果関係があるかどうかは神様しか分からないのだから、時間的に因果関係があるように見える場合は、逆に因果関係がないことを医療側が証明できない限りは、認めるべきだという判決を出しました。そのようなこともあって、たとえば僕たちのような陣痛促進剤被害の裁判なども負けなくなりました。医療裁判というのは本当はレベルの低い争いがされているのであって、決して難しい論争をしているわけではないのです。   被害者への誹謗中傷    結局、嘘との闘いなので、嘘をついている人から、嘘つきだと言われてしまうわけです。被害者を嘘つきにすることが彼らの戦略になってくるので、私の妻は嘘つきだと、彼らは裁判でずっと主張することになって、妻が真実をいくら訴えても嘘つきだと言われてしまう。そのことが偏見や差別や誹謗中傷といったものとなります。病院側は、裁判の中で被害者に対しむちゃくちゃひどいことを言うわけです。裁判はそれと闘っているということなんです。裁判の中だけではなく、日常から、病院の医療スタッフ全員にそう言い回る。  僕の妻子の事故は枚方市民病院というところで起きたのですが、裁判に勝った後、病院で講演をする機会がありました。300人くらいの看護師さんとスタッフたちの前で、実はこんな事故だったんですよ、こういうことがあったんですよという話をしたわけなんです。看護師さんたちも涙を流して聞いてくれました。その中のお一人が、妻の話が終わると立ち上がって、妻に謝りたいと大きな声で叫ぶように話したんです。その人は別に事故に関わっていないし、医療に関わっていたわけではありません。けれども病院の中では、裁判をしている僕たち夫婦というのは、とんでもない変な奴だし、嘘はつくしというふうに、誰かれとなく偏見に満ちた噂が広まっていた。何の批判もなくそれを信じていて、ひどい奴がいるものだと自分も思っていたし、きっと病院のみんなもそう思っていたんじゃないか、そういうふうにその人は自分たちが間違った偏見を持っていたことを正直に僕たちに言って、謝りたいと、発言されたわけですね。  病院の中だけではなく、医療界全体や一般社会もまた被害者をバッシングしています。自分たちの嘘を逆に肯定するために、そういうことをやるわけです。結局、裁判はそれと闘っているだけという感じがします。医療裁判で何をやっているかというと、嘘つきと呼ばれるのをやめさせたいということです。裁判に勝つということで何が得られるのかというと、被害者になれるということ。負けていたら被害者になれない。勝ったら被害者になれる。嘘つきと言われるのは非常に屈辱ですが、被害者と言われるのも非常に惨めなもので、屈辱から惨めになる闘いをずっとしているというのが医療裁判だと思います。  それでは何故訴えるのかというと、裁判をしなければならないと考える人たちというのは、どこかで泣き寝入りを強いられて、すごく不安を感じつつも、それでも頑張ろうと思う人たちです。被害を受け、さらに泥沼にはまるかもしれない危険を前にしながら、それでもやらなければならないと確信する人たちがどこでそんな決意をするかというと、あまりにひどい不誠実な対応が度重なったからです。被害者に対して、事故前もそうだし、事故の際もそうだし、事故後もそうだし、やはりこれは放っておいたらいかんだろうと。これを放っておくのは、自分の人としての問題もあるし、プロの医療者として同じ被害を繰り返してほしくないというのもあります。あまりにひどい不誠実な対応の連続の中で、これは放っておいてはいけないと確信していくわけです。  たまたま結果が悪かったというだけで裁判していると見る人もいますが、全くそうではない。裁判を頑張っている人というのは、社会に対して意味があることであり、自分が経験したことを生かしてもらわなければならないと感じます。それが最低限であると。僕の子どもの場合、君が死んでしまったことで、それ以降の子どもが君のような形で死ぬことがなくなったよと言えるなら、すごく意味のあることになります。被害の体験や経験を生かすというのはやっぱり経験した人たちにとっては願いであり、それを目指しているのが医療裁判ではないかと思います。   マイノリティ医療と患者の権利    医療裁判というと医療との関わり、司法との関わりがありますが、被害者も患者も弱者です。まず少数者としての問題がどうしてもある。患者からすれば、どの医療者にあたるかについてほとんど選択の余地がない。その人に任せるしかないというか、選べる領域というのは、まだ微々たるものです。選びようがないのが一般的なので、担任の先生を選べないといったことと同じことがあります。少数者の医療では、たとえば血友病(*5)。地域で血友病の治療をしてくれる医師がいますが、選ぶことができないので、その医師が絶対的な存在になるらしく、医師に逆らえない形になっていく。たまたまその人がよければいいけれど、だめだったらという危うさもあるんです。  悪い人だったら傲慢になって、やってあげているのにとか、自分がいなくなってもいいのかみたいなことを言えてしまう。嫌ならやめてしまえばいいと開き直ることもあるだろうし、そういうものが医療者側にあるので、少数者に対する医療というのはすごく難しい問題が確かにある。血友病の人たちには、お医者さんたちによって、一部ですがHIVに感染させられて、彼らに罪があるという意識があるのですが、その医師を訴えられない心理状態になっているわけです。裁判が終わり、薬害エイズの被害者になってから、「拠点病院を作ってきちんとやってほしい」、「少数者に対する医療はこうあるべき」ということをまとめていって、それが実践されるいい例になりました。いかに少数者の患者の立場が危ういのか、歴史的な例だと思います。   原告という立場    もう一つは患者の立場ではなく、原告の立場についてです。原告という立場にしても、裁判官が絶対的な存在になって、裁判官に委ねられるわけです。僕たちの裁判では一審の時、結審の直前に裁判官が3人いっぺんに代わりました。そのすぐ直前に同じような裁判をしている人たちがいたのですけど、その人の裁判も3人一度に変わると言うことがありました。裁判官は一人当たり100件以上くらい裁判を抱えていて、何件処理したかということを最高裁に報告して自分の出世が決まるということのようです。  早く処理するためには和解。和解をしろ、和解をしろと言うのです。僕たちの場合は自分の子どもはもう亡くなっているので、金銭的補償よりも、こんな医療はいけないんだということを判決でしっかり書いて欲しいと、和解を断り続けました。最後の和解勧告のようなものを断った時、原告は出て行ってくれと裁判官に言われました。裁判官は、弁護士に対して、和解を断ったら敗訴にするぞということをにおわせ、原告たちを説得しなさいと言ったとのことでした。  けれども、弁護士は僕たちを説得しようとしませんでしたし、僕たちもそのつもりはありませんでした。一審は完全敗訴しましたけど、この先も本当に敗訴にできるのかなと思って――そういうことがありました。  僕たちは事故直後に刑事裁判をすぐしたかったのですけど、「富士見産婦人科事件」というのがあって、病気でないと分っているのに、病気だと嘘をついて子宮をとるとか、子宮が腐っているとかいってやっていた。そういった犯罪に対して、最終的に原告たちが頑張って、ほんの2年前だったか民事訴訟での最高裁で「医療とは呼べない犯罪行為」だと、しっかり判決文に書かれました。  しかし、当時、刑事の方では不起訴になりました。刑事で不起訴にされたら、民事で勝ってから刑事訴訟に行くしかない。ところが刑事の時効は五年で、民事を五年で終わらせないといけない。つまり、医療では刑事はできないみたいな感じになっていたんですね。刑事だと検察に捜査権があるかもしれませんが、嘘を相手にしているのに、民事では原告側に立証責任が課せられる。カルテを改竄しているといっても、証拠はと言われたらないわけです。民事裁判で真実を認めさせようとすると、非常に無理を強いられるわけです。だから妥協するということもせざるを得ず、僕たちもいくつも妥協しました。  たとえば、本当は筋肉注射でやられたんですけど、点滴だと嘘をつかれたままでもいいじゃないかということになってしまいました。点滴だということにしても、別に裁判で勝てるから、他にあまりにひどい対応が続く事例だからということで、点滴でも良いということにしました。あまりに対立点が多すぎると、裁判官からするとどちらが本当か分からない水掛け論になってしまう。どちらか本当か分からないと裁判官が言ってしまうと、立証責任を課せられている原告が結局負けになってしまう。  裁判官が、だいたいこういうストーリーで両者いいですね、事実認定である程度は両者納得という上で、裁判をやっていきましょうということになるので、少しは妥協しないといけない。裁判というのは必ずそういう側面がある。かなり犯罪的なものを相手に民事で闘っているということで、なかなか大変なのが医療裁判ではないかと、今はそういうふうに思っています。  これは薬害も一緒で、隠蔽と闘っているだけではなくて、肝炎も地下の倉庫から資料が出てきたと言っていましたけれど、薬害エイズの裁判も僕たちの裁判と平行して続けられていました。最後は嘘と闘うのが難しくなってきて、原告団は、あるはずのものがないと国が言うのはおかしいという理由で、国を敗訴にすべきというような主張を、原告団がしなければならないところに追い込まれてしまいました。その後、厚労大臣が代わって、実は証拠資料があったというようなことがありました。それで一気に和解となっていく。それを民事でやっているというばからしさみたいなものがあります。   消費者としての患者    その弱さをひっさげているわけですが、患者はあくまでも消費者という立場なので、消費者保護の観点からどんな問題があるのかということですが、基本的にやはり弱いんですね。患者は医療を消費者の立場で受け、他の消費者問題と同じ問題を抱えています。加えて医療を受けたということは一種健康ではないと自覚している面もあるわけで、たいていしんどい状態にある。本当に深刻な場合は少数者になります。メジャーが中心になって動いている社会の中で極めて弱くなってくるし、経済的にも不安定で弱者の声は無視されやすい。患者であるということ、不健康であるということだけでも、偏見と誹謗中傷の対象になりやすいし、まして被害を受ける患者となると、社会的な弱さをもっている人をどのように助けていくのかという福祉などにも共通する、本質的な問題になってきます。  医療や司法という時に、一番この弱さというのが深刻になってしまう。社会自体の弱さみたいなものがある。医療裁判は他の裁判とは大きく違う点があって、普通に考えれば交通事故並みにまずすべきだと思うんです。交通事故は事故が起こってもひき逃げだけはしたら駄目だし、それを守っている運転手が多いのですが、医療事故の場合は本当のことを言わない方がいいと思っている。医学部を出るときに事故が起こっても患者に本当のことは言うなと教えられるということがあると聞きます。  交通事故だと誠意を見せなきゃと思っている人が多いのですが、医療ではそれがスタンダードになっていない。結局そういうものとの闘いになってしまう。運転免許を更新する時に、事故などを起こしていたら被害者の視点にたったビデオくらい見ておくべきだという講習があるのですが、医師には免許更新制もなければ何にもない。被害の情報すらおそらく入らないから、被害をなくしていくにはどうしていくかという手立てすらないんです。  さっきの民事と刑事の話ですが、これまで、あまりにひどいカルテ改竄を2件だけ刑事事件にしています。頑張っている検察官が1、2人いますけど、その検察官が仕事でいじめられている。そもそも刑事事件のあり方に関しては一般的に色々問題があります。もちろん日本から刑事事件をなくすという話にはなりませんが、医療だけ刑事事件が馴染まないとされ、あまりにひどい犯罪行為が野放しにされている。  民事はカルテの改竄に甘い。僕たちは嘘との闘いだからカルテ改竄を一生懸命言うんですね。改竄の証拠さえはっきりと示せば、それで勝てると思ってしまうんです。ところが、なかなか勝てません。僕もその一人でしたけれど、カルテ改竄を明らかにした被害者というのはけっこう多いんです。僕の裁判では、カルテの改竄が隠し切れなくなったとき、カルテ改竄は事務が勝手にやったと主治医が言いました。それで勝ったと思ったんですが、ほとんどの場合、カルテ改竄が明らかになっても「カルテ改竄と事故との因果関係はない」という判決が出されてきた。そうやってカルテ改竄を許して、証拠をいい加減にして、甘くしていると正しい判決が出せなくなってくる。結局、裁判所は自分で自分のクビをしめているんです。それにもかかわらず、医療裁判だけ特殊だから第三者的なものを作ってという流れができて、ほぼそうなりそうなんですが、それが司法の代わりにされる。本来、司法を健全にして司法の分野でやるべきことなんです。  医療というのは経済社会と同じでお金で動いている。そのお金の価値観がやっぱりおかしくて、普通の市民感覚的にはこういう医療にこそ価値があるという医療に価値がついていないので、やろうとする人が少ない。医療機器や製薬メーカー、お医者さんといった一部の領域を楽にという発想で、不健全な単価がつけられていく。医療者がやろうとしている医療と、患者側がやってほしいと考えている医療の価値観がどうしてもあわない。それが不本意な医療をつくっているということであって、そのあたりを糾していかないと医療被害はなくならないだろうと思います。   被害から学ばない医学医療    医学教育の中に被害から学ぶという発想が全くない。医療する側、それから医療消費者側に対する教育を施す立場にもその発想がない。子供たちを将来医療の加害者にも被害者にもしてはいけないという思いが全くないという感じでした。そうは言っても、この10年、15年、医療安全対策というのが随分進んできたということもあり、被害者運動も一定の成果を挙げているのではないかと思います。  今年春からの医療法改正の中で、医療安全対策について盛り込まれて、三つの柱といわれるものができたりもしました。このワーキンググループの委員に僕も入っていたのですけれど、医療被害者、医療原告だった僕が委員に入ることになって、ある意味画期的だと言われました。僕は言いたいことを遠慮なく発言し、こういう柱を作ったんですが、当時言われていたリスクマネージメントというのは全部、ヒヤリ・ハットとかインシデントレポートとか、もう少しで事故になりそうだったというものを集めて、それをフィードバックする、ということだけだったんですね。だから、本当のアクシデント、つまり実際に事故になってしまった事例を知らない。だから同じ事故を繰り返してしまうんです。  たとえば、枚方市民病院に、裁判が終わってから僕たちが要望書を持っていった時に、院長がこう言いました。「星子ちゃんには非常に申し訳ないことをしました。この事故を教訓に事故防止を進めていきたい」。裁判に負けたからそう言わざるを得なくなったんですね。僕は子どもからもらった宿題を一つ終えたと思いかけたんですが、その時妻は何と言ったか。院長、副院長、薬剤師長などがいたのですが、「私たちの事故を教訓にするということは、みなさんは私たちの事故がどういうものか知ってくれてはるんですね」と聞いたんですね。そしたら誰も何にも言えなかった。僕たちの裁判資料が残っているわけでもないし、残っていても見ているわけでもないし、いったいどうやって教訓にするのかということになったわけです。  医療者たちは、非常に大きく報道されている医療事故でも、自分の病院で起こっている事故でも、本当に全然知らない。だから繰り返されてしまうということがずっと言われてきていて、それを何とか止めたいという意味を込めた報告書になったんですけど、その流れを汲んでなされたはずの医療法改正が、そういう方向に医療が変わって行くきっかけになるのかどうかというと難しい。この2年間ずっと感じていたことで、去年の春ぐらいからとくに聞くようになりましたが、「精一杯やっても結果が悪かったら裁判される」という偏見をマスコミがひろげ始めた。患者が過度な期待をして完璧になるものだと思っているとか、医療なんて完璧じゃないのにクレーマーがいて医療崩壊させているとか。それは被害者にとっては違うわけです。  けれども、これがかなり信用されていて、インターネットを介してひろがっています。最近特に問題となっているのはソニーが経営している「m3」という掲示板です。お医者さんだけしか入れなくて、日本には何十万人というお医者さんがいるのですが、そのうち十何万人かが入っている。お医者さんしか絶対に入れない厳密な審査をしている。  人気をあげるために掲示板を自由に書かせて、そこでの被害者への誹謗中傷が非常に面白いということで、その面白かった掲示板がどこかということで面白がっている。つまり「2ちゃんねる」みたいなことを商売にしているということがあって、そこで一番ひどいことを書いていた人は、これはあかんということで最近略式起訴され、罰金を支払い、遺族にも謝罪しました。結果として井の中の蛙みたいな人間をとことん増やして興奮させてしまうような状況がインターネットの医師専用の掲示板にあって、2ちゃんねるじゃなくてソニーが経営していたりします。つまり、情報が隔離されて変な進化をするというのが進んでいます。  たとえば、「福島県立大野病院事件」で、お医者さんが逮捕されました(*6)。そして、被害者への誹謗中傷というのがあった。地方の産科で一生懸命やってるお医者さんを逮捕するなんておかしい、患者に原因があり、患者がものわかりが悪いからだとか、逮捕されてこの産科でお産ができなくなって、多くの「産科難民」ができたらどうするんだとか、この事件で、何がいけないかというと、病院は事故報告書というのを出しているんですが、一切、遺族から事情を聞いてないんです。遺族が知らない間に勝手に報告書を出している。  亡くなった妊婦のお父さんと最近会ったのですが、ものすごく分厚いファイルを持っていました。裁判の資料なのかと思ったら、インターネットで自分や自分の娘を誹謗中傷しているページを全部印刷して、自分の記憶と比べて事実ではないことを、全部赤で書き直しているんです。奈良の「大淀病院事件」というのは救急車をすぐに呼ばなかった(*7)。呼んでも行き先がなかったという事件です。これは事故を繰り返しているリピーターだったということですが、この事件でその人はやめた。それで、お産する場所がなくなったということで、この被害者に対する誹謗中傷がソニーの掲示板で盛り上がって、特にひどいことを書いた医師が起訴されたわけです(*8)。   医学医療に望んでいること    最後に「医学医療に望んでいること」ですが、望んでいることは、全然難しいことではなくて、極めて当たり前のことなんです。世の中捨てたものではないはずと思ってやることが大事です。僕たちも一審で完全敗訴しましたけれど、そのとき裁判なんてやっても駄目なんだと、司法なんて意味がないと思ってしまうと、やることが無くなってしまうので、世の中捨てたものではないはずだと思って行動することです。やっぱりレクチャーが下手だったんじゃないか。裁判官がちゃんと理解できていると思っていたが、できていなかったんじゃないか。僕は実は高校の教員もしていますが、生徒が点数を取れなかったら、生徒が勉強をしていないんじゃなくて、僕の教え方が悪いんじゃないかとまず考えてみる。ちゃんとレクチャーする努力をし続けること。そうすればわかってもらえるんじゃないかと僕は思っています。  15年ほど前に、年3回の厚労省交渉に初めて参加したとき、交渉しても無理だよと言われました。そういう気持ちも分るのですが、そう言ってしまうとやることが無くなってしまう。こう言えば分かるんじゃないかと、少しずつ情報交換しながらでもやっていく。結局「世の中捨てたもんじゃないな」と思える仲間とか理解者を増やす努力をし続けるということです。どんな職業でも日々精一杯仕事しつづけることが大事なのと同じように、被害者運動も日々精一杯努力しつづけるということ、どっかで楽になろうとしても楽になれないんですが、だからって諦めてしまうと駄目なので、やり続けていくということ、拡がっていくことが大切なんじゃないかと思っています。  以上で、「医療被害と裁判」についてのお話を終わりたいと思います。ありがとうございました。   報告A トランスジェンダー及び性同一性障害医療の現状    田中 玲  (フリーランスライター)     トランスジェンダーとの出会い     まず、自己紹介も兼ねて、私がどのような経緯で、トランスジェンダーとしての活動を始めたか、トランスジェンダーとしてどのような問題に出会ってきたかをお話しします。  先ほどポリガミーでパンセクシャルのFTM(Female to Male)TXジェンダークイアと紹介されましたけど、それだけ言われても、全然わかんない人が多いんじゃないかと思います(*9)。私は幼稚園に上がる前から、女じゃないという意識があって、でも自分が男だという確信はなかったんですね。幼稚園がカトリック系で、紺色のスカートに白いタイツ、ピンクのスモックという制服でした。それで自分が女と決定付けられるんだと思って、「僕」という一人称をそれまで使っていたんですけど、使えなくなりました。小学生のときに、たまたまインターセックスのマンガを読んで、インターセックスは半陰陽、身体的に男と女の中間にいる人のことですが、直感的に自分はインターセックスなんだと思いました。それで、インターセックスと思っていたんですけど、初潮が高校一年生の時に来て、本当に女ということが決定付けられて、ショックでした。  それで、25歳のときに、MTF(Male to Female)TS(男から女に性転換する人)レズビアンの麻姑仙女さんという人と、たまたま会いました。その時、私はバイセクシャルの彼女と一緒にいたんですが、麻姑仙女さんは襟にレズビアンマークのバッチをつけていて、私に「あなたこちらの人ですか」と聞いてこられたので、「いちおうそうです」と答えたんです。女の子も好きだったんで、レズビアングループに参加するようになって、でも自分がレズビアンとは思えなかったんですね。  20代後半のとき、KENNさんという、MTFになりたいけど、でもゲイとして24時間男装をして生活しているという人がいて、その人の影響もすごく受けました。それでこういう人たちがいるなら、とトランスを始めました。   ドメスティック・バイオレンス    ちょうどその時に、同居していた元恋人から酷いドメスティック・バイオレンスを受けたんですね。殴ったり蹴ったり足を引きずりまわしたりとか。その上、バイセクシャル女性の彼女は、私にクリニックとトランスジェンダーの自助グループを紹介しろと脅してきました。そして男性ホルモンを打ち始めたんです。男性ホルモンを打ったら、筋肉がつくに決まっているじゃないですか。自助グループも行き始めたんですけど、2、3回で飽きてやめてしまって、どうするのかなと思っていました。その時ちょうど大家さんから建替えるから引っ越してって言われたんですね。引っ越すのがちょうどいいチャンスやと思って、別れたいと思ったんです。  そしたら、「もう絶対殴らんへんから許して」と言って、「ほんまか、絶対嘘やろ」と言ったんですけど、「ほんまに殴らへんから」と言うから、一緒に部屋を探したんです。それで今の家に移るんですけど、落ち着いたらまた暴力。冬に裸足で逃げるほどひどい暴力を振るわれて、近所の新しい恋人の家をシェルター代わりにして2、3ヶ月逃げました。そしたらお昼でも晩でも何十回も携帯に電話が入って、飼い犬を殺すとか、家に火をつけるとか、ずっと留守番電話に入っていて、でも気が済んだのか、家から出てくれました。私の家が大阪の中ア町で、その人の会社と自宅の通過点なんですよ。ストーカーみたいにごく最近までうろうろされていました。  例えばカフェに入っていたら、自転車で通りかかってぱっと入ってきたんです。私は友だちといたんで、お茶を飲み終わっていたからすぐに出たんですけど、その友だちがあの子おかしかったねと言っていました。私が運営しているFTMとFTX自助グループにも、厚顔無恥にもずっと来ていました。私がやっとの思いでドメスティック・バイオレンスのことをメールで指摘すると、謝りのメールが来たんですけど、信用できないからもうネットに会議の日時を表示しないようにして、メールでみんなにお知らせするようにし、やっと完全に排除しました。   病院体験    このような度重なる頭部への暴力が原因になって、4年前に私はクモ膜下出血と脳梗塞と水頭症で倒れました。天の橋立の方に今のパートナーと友だちと3人で旅行に行っていて、パートナーが、いびきがおかしいって言ってすぐに救急車で運んでくれたんですけど、救急車で運ばれた先でもう意識がないんですね。それで、パートナーが私の好きな音楽を耳元でずっとかけてくれていたんです。他にも体操やマッサージをしてくれたり。1ヶ月半経った時にちょっと動いたんです。救急で入った病院は、リハビリの機能がちゃんとしていなかったので、大阪市内に転院したいと言って、友だちが代わりに電話をかけてくれました。そしたら何十件も断られて、なぜかというと、トランスジェンダーの入院というのは、「前例がないから受けられません」「会議にかけないと」「院長に聞かないと」と言われ断られました。電話をかけてくれた友だちはあまりのことに泣いたと言っていました。  それでも、一つだけ受け入れてくれた病院があって、「ボバース記念病院」といって、京橋の近くにある病院なんですが、リハビリ施設がすごくちゃんとしていて、3人の療法士がついてくれた。それでここまで回復することができて、医療側から排除されたことを中心に『トランスジェンダー・フェミニズム』(インパクト出版会、2006年)を書きました。   QWRC(クィア・アンド・ウィメンズ・リソース・センター)    また、私は、「QWRC」という大阪市北区中ア町にある団体に設立から関わることになりました(*10)。QWRCというのはクィア・ウィメンズ・リソース・センターといって、クイアと女性のためのセンターです。クィアというのは直訳すると「変態」ですが、LGBTI(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー・インターセックス)をすべて括る意味で使っています。最初の立ち上げに関わったのがレズビアンとかゲイとかトランスジェンダーで、他のグループで活発に活動していたんですけど、場所がない。だから、立ち上げようという話になって、立ち上げました。なぜ、ウーマンをつけたかというと、ウーマンリブの影響を受けたくて、クィアとフェミニスト女性でお互いに影響を与えたかったんでそういうふうにつけました。でもなかなか資金がうまく行かなくて。だから今会費を3万円にしているんですね、高いですけど。それで年間予算120万円をなんとかしています。   GID医療の現状    今日のテーマに入っていきたいと思いますが、日本のGID医療、ジェンダークリニックっていうのは技術的にまだまだ遅れているという印象をもちます。私は倒れるまでの3年間の記憶が真っ白になったんですけど、でも一つだけはっきり覚えていることがあって、五年前に岡山であった「GID研究会」、性同一性障害研究会(*11)です。そのときにジェンダークリニックを日本で最初に始めた埼玉医科大のリーダーの原科さんという人が壇上に立っていて、会場の産婦人科医から質問があったんです。どんな質問かというと、「FTMが手術をした場合、液がでて危ないからすぐに膣を閉鎖したらいけないのではないでしょうか」と。そしたら「そんなこと考えていませんでした」と言うんですよ。そのときは、すごい衝撃でした。その記憶だけ残っているくらいの衝撃で、日本の医療水準に驚いてしまったのです。  実際に、私は埼玉医科大で失敗したという当事者の話をいっぱい聞いています。死にかけた当事者ももちろんいます。でもなぜ訴えないかというと、訴えたらその病院で診てもらえないし、通院が不可能になるからです。「お医者様」扱いなんです。性同一性障害が強い基盤になって運動が動いているのは日本の特殊性で、諸外国はトランスジェンダーが強い力をもっています。だからそれだけ日本は医療にべったりってことなんです。たとえば、1年前に子宮を取るために岡山大学に予約していたFTM当事者の人がいて、子宮筋腫ができていて、救急車で運ばれたんです。そしたら400グラムの筋腫が発見されて、多発性卵巣脳腫と診断されました。そこでジェンダークリニック、倫理委員会を通してサポートできるかと聞いたんですけど、性同一性障害治療では保険が効きませんので、「無理」と回答されました。だけど泌尿器科では保険で160万円返って来たそうです。つまり性同一性障害治療は全額自己負担しなければならないのです。  あるFTMの人が胸と下半身の手術を岡山大でして、戸籍変更のために病院で診断書を発行してもらおうとしたら、どの人が担当か分らなかったので、ある医者が担当して今申請中ということなんです。いいかげんですよね。けっこう怖い話がいっぱいあって、岡山大の胸の手術は60万円らしいですけど、右胸と左胸を違う医者が担当して、片方は乳腺を取っているけど、片方は取っていないという人が、個人的に聞いただけでも3人はいます。さらに4人は血栓ができ、壊死して乳首が落ちた人もいます。その場合もう一回自己負担で手術です。医者の責任は追及されずに、再度60万いるんです。  では、海外だったらいいかというと、タイのヤンヒー病院を紹介してくれる「アクアビューティ」という斡旋会社があるんです。大阪のアパレル会社の子会社なんですが、そこは美容整形とか性転換手術が売りなんですね。ネットで性転換+アクアビューティと検索したらすぐヒットします。なんでも簡単に請け負うんですけど、病院の滞在費を倍近く取り、入院前に危険だからといって現金とパスポートを渡すように言ってくるんです。でも病院に入ったら金庫があり、すごく安全なんです。通訳を付けるといって付けないことも多くて、手術できずに帰る当事者もたくさんいるんです。私のパートナーもFTMで、アメリカ人なんですが、現地で英語でサポートしたときの話を聞かせてくれました。自分もしんどいのに朝から晩まで通訳しつづけたそうです。3年前に私のパートナーが現状を病院に伝えたんですね。アクアビューティがひどいのを知っていますかと。すると病院の人は何も知らなくて、なぜか、いい業者やと思われていたんです。   「性同一障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)」 について    先ほども触れましたが、性同一性障害が基盤になって運動しているのは日本に特殊な状況です。性同一性障害者の特例法というのができましたけど、20歳以上であること、子どもがいないこと、結婚していないこと、生殖機能がないこと、外性器が異性のものに似ていること、とひどい要件なんです。イギリスはホルモンを打っているだけでパスポートの性別変更ができます。なんでそんなひどいのをつくったのかなと思ったら、東京の方でいわゆる「中核群」と呼ばれる人たちがいて、中核群とはどういう人たちかというと、男は「自分は生まれたときから女やと思っていた」、女は「自分は生まれたときから男やと思っていた」と主張する人たちで、結婚するとか子どもを産むとか、そんなん考えられない。生殖機能もなくすのは当たり前、性器も変えるのが当たり前と言っている人たちです。私は、そういうものは優生思想に繋がる部分があると強く思っています。  かつて、障害者は介護のために不妊手術を受けさせられた、ハンセン氏病の人は、生殖機能を無くさなければ結婚できなかったと当事者から直接聞いています。性同一性障害特例法は、こういった優生の感覚と通底していると思うんです。現に、性同一性障害の人の中にも結婚したり、子どもを産んだりしている人たちがいて、その人たちは制度的には排除されることになるんです。  私の友だちにも子宮と卵巣はとったけれど性別変更できないFTMの人がいて、パートナーとお互いそれぞれ3人の子どもを産んでいます。その人は、パートナーが子どもを産んだ病院の産婦人科に紹介してもらって、保険を使って子宮と卵巣を取りました。それでも性別変更ができない。別のFTMの友だちを紹介したんですが、そのFTMの子は、子宮と卵巣をとってスムーズに性別変更できたんですね。そしたらその人が恨んでね、俺ができないのになんでだと。毎日酔っ払って飲んだくれて、電話とかメールとかいっぱい来るんです。私が引き合わせたFTMの子はすごく悩んでいました。  中核群と周辺群という区別はおかしいと思います。当事者の間で分け隔てられてとても厳しい状態になる。そんなのはなくして欲しいと思います。だいたい戸籍制度とかおかしいと思いませんか。住民票があったら行政のサービスは充分でしょう。戸籍が日本にはある。戦争に勝って押し付けたから、韓国と台湾にもあるんですけど、2008年に韓国は廃止するらしいです。戸籍制度は天皇制とも連動していますし、根が深い話です。大変ですね、ほんとに(笑)。   山本:ガイドラインに基づく正規医療とそうではない非正規医療がありますが、後者の現状はどのようなものでしょうか。   田中:闇の医療の方がこなしている件数は多いですね。私も闇の医者でホルモン治療したんです。8年前かな。すごく簡単なんです。1回診察を受けて受付にいったら何本ですかと聞かれて、男性ホルモン1本ですと言うと、そのまま奥で打たれるから5分で済む。  手術の件数が違うというのはありますね、圧倒的に。普通のジェンダークリニックが一桁のところを、二桁三桁。日本や諸外国からいっぱい行っているので、タイとかならたぶん三桁くらいある。性同一性障害という診断がいらなかったら別にジェンダークリニックに通わなくてもいいんですけどという感じです。   高橋慎一:性同一性障害、トランスジェンダーの特殊性に関して、たとえば就労問題などに顕著にあらわれますが、性に関連した外見の特徴が変化していき、それが社会的に受容され難いということがあるように思います。被差別部落で生まれ育ったという人、同性愛者である人などは、ぱっと見て識別されることがありません。しかし、パス(望む性別の外見で周囲に受容されること)、リード(望む性別の外見で周囲に受容されないこと)という語が規範的意味合いをもって語られているように、トランスの場合は、ぱっと見られて違和感をもたれるところからスタートし、美容外科や、女性らしい身体所作の講座などを利用して、違和感に満ちた視線を回避することに力が注がれています。この性別移行に関連して、カミングアウトが必要になったり、医療との接点で色々と不具合、不利益、不満が出てくるようにも思うのですが、いかがでしょうか。   田中:カミングアウトについて言えば、戸籍上の性別変更してしまったらカミングアウトしないのが普通になります。そうでなくても、日常で、カミングアウトが必要にならない場合ももちろん多くあります。たとえば、パスポートセンターに行ったとき、私は髭が生えているのですが、すごく丁寧でした。戸籍の上では女なので、「女」と書いた大きな紙を見せられて「あなたこっちですか」って言われて、「はいそうです」って言ったらそのまま通ったしね。ところが、私の入院のときには事情が複雑になって、両親がお見舞いに来てくれたとき、病院に事情を話して男性部屋に入れてもらっていたんです。ホルモンとか打って外見がこんなんで、女性部屋にいるわけにもいかないじゃないですか。いちおう髭は剃ってはいたんですけど、周りが気にするかなと思って、あえて男性部屋に入っていたら、父親は何も気がつかなかったんですけど、母親だけがそれに気づいて、実は男性ホルモンを打ってると言ったら、うわーっと泣かれて、「打たんといて」と言われて、カミングアウトすることになってしまいました。   上瀧浩子:トランスだから入院できないとか、うちでは経験がないとか、トランスだから拒否されるということはそのとき予測されておられたんですか?   田中:全然していませんでした。そういった条件が当事者への圧力になって、自分から医者にかからず癌になって死んだ人も知っています。   上瀧:医療関係者にトランスだと言いにくいというのが加わって、医療関係者の間でどう扱ったらいいのか分らないということでしょうか?   田中:そうですね。たぶん不勉強なんです。私が窓口で保険証を出したら女性と書いているじゃないですか。元の性別が戸籍票に書いてあるんで、避けることができません。病院側は、どういうふうに対応したらいいか分からないということが問題でしょう。病院の設備としては、障害者用トイレはあるし、介護の人と二人が入れる風呂とかはあるんです。ただ単に分からないもの、ややこしいのは嫌ということだと思います。 Bパネルディスカッション  高橋慎一(コーディネーター)  勝村久司  田中 玲  ヨシノユギ  上瀧浩子       高橋(コーディネーター):それでは、パネルディスカッションのほうに入ろうと思います。進行役を務める立命館大学の高橋です。よろしくお願いします。  冒頭にも司会から話がありましたように、現在、性同一性障害医療とそこにアクセスしようとする当事者の状況が変わろうとしています。この変化の要因として、一つには、「性同一障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(通称、特例法)の改正があり、もう一つは国内各医科大学で行われていた医療の一時停止があります。特例法は見直しの年度に入ろうとしていて、とくに「現に子がいないこと」要件を削除する当事者の運動が起こり、たとえば、「GID特例法『現に子がいないこと』削除全国連絡会」などが活動しています。また、埼玉医科大で性別適合手術を担ってきた原科医師たちが、2007年度に退職したことで、新規患者の受け入れができない状況になっています。  ガイドラインと特例法の連動とその変化は、当事者をどのような状況に置いているのでしょうか。1997年、日本精神神経学会の性同一性障害に関する特別委員会が「性同一性障害に関する答申と提言」(通称、ガイドライン)を発表して、1998年には原科医師の執刀で、国内初のガイドラインに基づいた外科手術が行われました。そして、2003年には自民党の議員立法で、ガイドラインにそった手術後に、戸籍上の性別を「男性から女性」、「女性から男性」に変更できる特例法が成立しました。ガイドラインの「性同一性障害」概念と、法律の「性同一障害」概念には多少のズレはありますが、ガイドラインも版を重ねて特例法に言及する箇所が加えられ、特例法もガイドラインに準じた診断を前提に戸籍変更を認めているなど、両者の連動は明らかです。  特例法の適用には、婚姻していないこと、子がいないこと、生殖腺がないこと、性器が望む性別の性器の外見に似通っていること等の厳しい要件があります。この特例法の要件から逆に、医療の枠付けをさせ、医療を受ける当事者のニーズに圧力として働きかねない可能性が、すでに幾度となく指摘されているところです。  田中さんのお話は、特例法に、ある意味オーソライズされた医療ガイドラインによって、性同一性障害の中で「中核群」と「周縁群」の区分が設定されるということを示唆してくれました。そして、その区分を当事者が内面化して、望まない手術を選択したり、性別変更ができた当事者にそうでない当事者が負の感情を抱いたりという悪循環を作る可能性が実際にあるのだと。これは「当事者間に持ち込まれた分断」と表現されることもあります。また、日本の運動が性同一性障害、つまり医療との関係で進展しているために、患者の医師に対する従属関係がより強く運動にも反映されるというお話もありました。このため、医療に対して不正を訴える作業はきわめて困難な状況にあるといえます。  勝村さんからは、患者の権利を訴える医療過誤裁判は、専門知が必要な高度な裁判というよりは、ひたすらに医師の偽証との闘いなのであり、患者は非常に困難な立場に立たされているのだと示唆していただきました。とくに、m3の事例などで示していただきましたが、医療過誤裁判を訴える患者へのバッシングがあり、「患者の理不尽な訴えが医師の労働環境を強化している」というような医師と患者の対立状況がメディアで強調されています。ただでさえ、医師との従属関係が強くなるマイノリティ医療において、このようなメディアの喧伝は、患者の状況を著しく制約しかねないと思います。  お二人の話を踏まえると、特例法見直しと医療の一時停止は、ますます患者としての性同一性障害当事者の立場にかかる圧力を強化させかねないのではないか、という危惧を抱きました。  さて、このような中で、京都ではヨシノユギさんが大阪医科大、正規医療を相手どって、初の性同一性障害医療過誤裁判を闘っています。この裁判でもやはり、マイノリティ医療に特有の困難が反映しており、医師や、ときには他の性同一性障害当事者と対立する場面さえあると伺っています。ヨシノさんの裁判をめぐる困難な状況を解消するヒントが、講師のお二人の話にはあったように思います。また、ヨシノさんの裁判が、現在の性同一性障害当事者と医療との関係を考え直すヒントを与えてくれるとして、それはどのようなものなのか。ヨシノユギさんの裁判の弁護人をしておられる上瀧浩子先生から、コメントをいただきたいと思います。   GID医療過誤裁判の代理人として   上瀧:ご紹介にあずかりました弁護士の上瀧です。できれば「先生」というのはやめていただきたいんですけれども(笑)。ヨシノさんの裁判を引き受けて、私自身もGIDのことがよく分からない、というような段階から訴訟を始めました。GIDについて色々勉強し、ヨシノさんとディスカッションを重ねながら、今回の裁判は一体何が争点なんだろうかということを手探りで、お医者さんの話を聞き、ヨシノさんの話を聞き、文献を読み学習してきたわけです。  司法を教育するというお話がありましたけれども、弁護士自身も相当教育されないと当事者のことはなかなか分からない。少なくとも私はそうです。当事者のことをどのように理解して、どういうふうに裁判所に伝え、かつ説得し、裁判所を味方につけていくのかということが一つの大きな課題だと考えております。  ヨシノさんの裁判については、いくつかの争点があります。ヨシノさんが受けたのは正規医療です。大阪医科大学で初の乳房切除手術を受けたということですけれども、これが本当にガイドラインに沿った正規医療の質を備えていたのかということが、一つの争点だと思います。  確かに勝村さんのお話では、少数者の医療の特殊性というものがある。性同一性障害というのは、医療に携わる人が少ないという意味では、非常に限られた選択肢しかないんです。しかし、性同一性障害の医療については、いちおうガイドラインという医師がよって立つべき基準がある。その意味では医師によっての個人差はあるとしても、少なくともガイドラインに沿った最低限の基準はあるんです。しかし、ヨシノさんの場合には、そのガイドラインに沿った医療がなされていなかったではないかということが一つの争点です。  たとえば、ガイドラインには、手術方法について事前によく打ち合わせをして、どういう手術方法にするのか、この点は患者に対するきちんとしたインフォームド・コンセントを前提にして、その患者が自己決定をする、そういうプロセスを経ないといけないと書いてある。しかし実際にはそういう説明がなされていなかったのではないか。事前には大きく切る手術だとずっと言われていて、前日になってやっぱり小さく切る手術でもできるかもしれない。リスクは変わりませんがどうしますか、と提案されているんです。きちんとした情報を与えられないまま自己決定をさせられているという状況が生まれています。  また、執刀医はGIDの心性についてはよく理解をしているとガイドラインには書いてあるんですが、ヨシノさんの執刀医は性同一性障害という病名すら正しく書けないくらい──病名という言い方もちょっと抵抗があると思うんですけれども──GIDの理解がなかった。乳房切除の手術をする技術だけを埼玉医科大学で学んできたので、心性に配慮するなどのガイドラインに沿った医療はできなかった。大阪医科大では担当の精神科医がいましたが、精神的に一番動揺する手術の前後の時に担当の精神科医に連絡を取っていない。手術の前後というのは誰でもそうだと思うんですけれども、不安とか悩みとかを抱えながらそれでも目的に向かって一所懸命自分を支えています。そんなときにも、ヨシノさんは、何ら精神的ケアを受けずに放っておかれた。  ヨシノさんの乳輪はその後壊死してしまうわけですけれども、その間もずっと、もしかして壊死したのかもしれない、そうでないのかもしれない、3週間くらいずっと苦しい気持ちでいるわけです。そういうときにもやはり精神的ケアを受けられない。  そういうことを色々と考えていくと、GID医療があちこちでたくさんできあがりつつあった中で、その先鞭をつけて、医療のドル箱を作りたい、そういう観点があったのではないかと思わざるを得ない。GID医療をする準備も十分にできあがっていないのに、です。  それからもう一つは、GID当事者の「生活の質」をどういうふうに考えていくのかということが争点だと考えております。私自身も、はじめはよく分からなかったのですけれども、ヨシノさん自身が、自分の日常生活を快適に過ごせるかということが自分の手術の目的だということを、しつこく、しつこく言っていました。私にはその時にはよく分からなかったんですが、今回のシンポジウムではそうではありませんが、アンケート用紙をみるにつけ、申請用紙をみるにつけ、男・女と書いてある。  また、男女どちらのトイレに入るのか、それが自分の気分感情と合うのかどうなのか。あるいはお風呂をどうするのか。人前で上半身裸になるのかどうなのか。そういう日常生活における細やかな選択のあれこれが積み重なって、その人の日常生活が快適に送れるかどうかが決まってくる。いつも意に反することを自分の選択とさせられるということは、毎日を快適に送れない。これがやはり、手術の大きな動機だったというふうに考えているんです。そういう快適な生活の質ということを期待したのに──本当は手術でできるはずだったんです──手術の失敗によってできなくなったということが、もう一つの問題だと思います。  どういった形でこれについて損害賠償請求をするのか。いわゆる典型的なGIDの人たち──田中さんの言葉を借りれば中核的な人たち──からは、乳房がなくなりさえすればそれでいい、女性的な特徴を備えた外形がなくなってしまっているから、それで満足するべきじゃないのかという話もありました。でも、そうではないでしょう。自分の生活の質を改善するために手術を受けたのだから、その期待を裏切ったということはやはり損害賠償の額として反映されるべきだろうということを一つの争点にしています。  そういう意味では、GIDの中でも色々な人たちがいるのだということ、GIDの中の多様性、性的な多様性を認めさせるという一つの契機になると思うんです。そういう多様性を社会のなかで認めさせていくということが、裁判での大きな目的だと考えています。  最後になりましたが、これが本当は一番大事なんですけれども、手術の失敗例が多いというお話を田中さんがしておられましたね。闇医療でもそうだし、正規医療でも失敗数は非常に多いと。しかし、やっぱり訴訟にまでは至らないんだと。その理由は、一つは勝村さんも言われたとおり選択の余地がないということもあると思うんです。ただ、やっぱり誰かが声を上げなければこの失敗が埋もれてしまうと思うんです。誰かが声を上げなければ、何が行われているのかが世の中に明らかにならない。そういうことが続くとずっと事実が埋もれたままになってしまって、その医療が改善されないということが起こるのではないかと思っています。  やはり、これを顕在化させて社会の問題として提起していくということがGID医療を支え、進歩させていくということの大きな意味だと思います。社会を教育するということですかね。マスコミにも今回の件はけっこう取り上げられているんですけれども、社会を教育すること、社会へのレクチャーと勝村さんがおっしゃいましたけれども、この一助となればいいと思います。  患者は弱者だとずっと言われてきましたけれども、それは少しずつであるけれども変わりつつあるし、変えていかなければならないと思っています。弱者というよりむしろ適切な医療を受ける権利者であるというように、その立場を転換していかなければならない。それは司法の場でもできるし、運動の場でもできるのではないかと。私は司法の場で、原告と一緒にやりたいと思っているわけですけれども、みなさんともご一緒に支援活動を通してやっていきたいなと思っています。   高橋:どうもありがとうございます。それでは引き続き、ヨシノさんからお願いします。   GID医療裁判の原告として   ヨシノユギ:今回のシンポジウムは性同一性障害と患者の権利ということで、私はいちおう国内で初めての性同一性障害に関する医療の裁判を提訴した原告として今日出ています、ヨシノユギといいます。よろしくおねがいします。  私はGIDらしく見えないでしょ、ということを最初に言っておきたいんです。これは最初から言い続けてきていることなんですが、私にとってGIDという診断名は一つのツールでしかなくて、それを使って自分の体と折り合いのつかない部分をいかに快適にしていくかという上で、たまたまそのGIDというところにはまりました。  安全に、ガイドラインに沿った医療を提供しますという標榜だったので、大阪医科大で治療を受けたというのが大きな経緯なんですね。だから私は、GID、性同一性障害のヨシノということには抵抗がありますし、あんまり自分でもそういうふうに思っていない。一般的に言われているGID的な規範というのがあって、生まれつき女性だったらいかに男性らしく見えるかとか、生まれつき男性だったらいかに女性らしく見えるかとかいったことですが、そういうところには全然興味がないですね。さっきの田中さんのお話にも出ましたが、よくパスするとか、リードされるとか言いますけれど、もともとの性がバレてしまうこととか、いかにもともとの性を隠して通用するかとか、そういうことも、私にとっては意味のないこと、価値のないことというふうに思っています。  GID医療という枠の中で医療を受けたので、GID医療ミスの裁判ということになっているんですけれども、もうちょっとわかりやすい例だったら、理解が得られやすかったのかもしれません。男性ホルモンを打って、すごく男性っぽい感じの外見になって、その上で胸が変になったなら可哀相だなって言ってもらいやすいのかもしれない。けれど、私の場合は全然そういうところにこだわりがなかったので、広く混乱がもたらされたというか。  そもそもGID医療ミス裁判という枠組みの中で、自分がいかに矛盾を起こさないでそこに乗っていくか、なおかつこの問題をどのように世の中に提起していくのかということをすごく悩みました。最初に弁護士さんと打ち合わせをしたときも、「性同一性障害っていうのがあってですね」みたいなところから、「でも私は、診断されながらそこには当てはまってなくて」と、そういうところから始める必要があった。そういう意味では、かえって、よく分からんような人がこういう裁判をやっているってことで言えば、個人的には面白くていいんじゃないかなと思います。  私の身に起こったことというのは、結果的には左側の乳輪部がすべて壊死し、腐って落ちるということがありました。乳首が落ちるって話は、割とよくあるんですけど、乳輪部、つまり縫合したところがすべて腐って落ちたので、左胸は今ケロイド状になっていて、何もない状態。右胸も一部が壊死して、そこに関しては再縫合したので、いびつだけども、何とか元の皮膚が保てている部分もある、という状態です。  乳房切除手術は大阪医科大の1例目ということでしたので、もちろん私は、主治医にすべてのことを質問しました。術式はどうなのか、時間はどうなのか、出血量はどのくらいなのか、どういうふうにメスを入れるのか、全部図を描いてくれ、と。また、あなたの経験はどれくらいあるのか、そのなかでどれくらい失敗したのか、すべてをメモしたり、必要だと思ったら録音したりして、万全の体制で臨みました。そしてGIDというものに対する考え方を、執刀医に対して伝えるように努力したんですね。胸さえ平らになればいいと思っているかもしれないけど、そうじゃないんだよ、と。  その中に個人の望む生活というのがあって、一概にGIDという枠で括れないような多様な思いがある。医療の限界は承知しつつも、私という、ヨシノユギという個人が、生活の質をいかに上げていけるかというところが大事なので、間違っても「胸さえ平らになればいい」というような姿勢で手術をされては困る、と伝えていました。だけど結果的には、残念ながら、言葉を尽くしていても、医療側にはよく伝わっていなかったんですね。なぜなら、壊死した後、「皮膚移植すればいいから深刻になる話じゃない」という言葉がすぐに医師の口から出てきた。これっていうのは、身体は代替可能であると、本人にとってかけがえないものじゃなくて、他のところから皮膚を拾ってきて移植すれば済むと考えている医師の見解が、端的に現れた言葉だったんじゃないかなと思っています。   田中:手術費用はヨシノさん持ちですか?   ヨシノ:もちろん。その後の手術費用に関しても、その後のケアに関しても、再縫合に関しても、もちろん全部自己負担ですし、医師から謝罪の言葉、うまくいかなかったということに対する遺憾の言葉というのは一切聞くことができなかった。なぜ壊死が起こったのかということについても、「分からない」の一点張り。なぜ壊死が起こったのか分からない、こんなこと想定もしていなかったというのにも関わらず、その原因をつきとめることなしに、私の後にも何人か大阪医科大で同じ手術が行われている。これは無責任であると言わざるを得ないと思うんですね。非常に怖いことです。  さまざまなバッシングもありましたけれども、やはり私の身に起こったことは厳然たる事実ですから、これを世の中に言っていくことがどうしても必要であろうと思って提訴したわけです。しかし最初に言ったように、私は「GIDらしく見えない」とか色々な要素を持っていますから、そういったものもひっくるめて、男性/女性という二元的な枠の中で捉えきれない、表現しきれない(生の)在り方がある。そして、そういう人がいるということを、いかに社会に認めさせていくかという点が重要なんじゃないかなと考えながら、講演や勉強会に呼んでいただいたり、そういう活動をやっているわけです。  裁判自体はまだまだ序盤で時間がかかると思いますけれども、今回こういうイベントをやって、ある程度の方に関心をもっていただいているんだなぁということが分かったので、私としては嬉しいなと思っています。   高橋:それでは、ディスカッションのほうに入っていこうと思います。ヨシノさんと上瀧さんから、勝村さん田中さんの側に、質問をご自由に投げてもらいます。あらためて上瀧さんからお願いします。先ほどの話のなかに、すでに質問がちりばめられていたと思うんですけれども、コンパクトに幾つかの論点を出していただけませんでしょうか。   少数者医療の特殊性   上瀧:一つはですね、少数者医療の特殊性というのを勝村さんが言われたんですけれども、選択の余地がないという、医療が患者を支配する構造についてです。その支配の結果、どういう精神的構造が患者の側にできあがるのかということは、少しお伺いしたい。それから、偽証とカルテ偽造との闘いだと言っておられたんですね。さらに批判しない鑑定というのも言っておられました。カルテについてはちょっとよく分からないですけれども、偽証というのはこれから大いに予想されるところです。それに対してその批判しない鑑定が出てくる社会的な条件としては、一体どのようなものが考えられるのか。  それから、事例の原因究明分析に基づく再発防止対策の徹底ということを最後のところで言われていたと思うんですけれども、裁判の中でもう既にそういう問題が起き上がっていまして、こういうふうにしたら壊死したっていう論文はないって言われているんですね。セカンドオピニオン先の先生に、壊死に関する論文はありませんかとお聞きしました。そしたら、「そういう失敗事例はなかなか論文になりにくいからない」と言われました。それで、非常に困っています。やはり失敗をどういうふうに事例研究に載せていくかということ、そのためにどういうシステムが必要なのかということについて少し具体的にお聞きしたいなと思いました。   勝村:少数者の医療について僕の知っている限りでは、血友病の患者だった子どもたちが薬害エイズの被害者になっていったという事例があります。それぞれの主治医が地域にいて、血友病というのはきわめて少数の子どもたちに限られています。主治医との関係というのは、絶対的なものだったという感じの話は彼らから聞いたことがあります。血友病の子どもたちがみんな薬害エイズの被害者になっていくわけです。それで今度はHIVの治療を受けなきゃいけないということになり、国とやりとりしていく時には、そういうふうにならないように、地域、各都道府県に、拠点を複数設置してもらう。  それから先ほどの話にもありましたけれども、ガイドライン的な、標準的なものも作る。海外も含めて、少しでも、患者の立場にたって受けたい医療であればどんどん受けられるようにしていく。ある種、弱者で何も言えなかったという感じとは全く逆の患者として、こういう医療が受けたい、こういう医療提供体制を求めるという形を、一定程度実現していく経緯もあったわけです。実は、その中で、相当被害者が出て、たくさん亡くなっているということもあったんですけれども、最終的にはそういう動きもあった。そんな経緯があるんです。  たとえば、僕たちの産科の陣痛促進剤の被害でも、色々相談を受けますが、きわめて裁判がしにくい。泣き寝入りか裁判かのどちらかを迫られて、結局裁判まで行けないということもある。一番多いのは田舎だからという話もありますよね。つまり、そこの村には一個しか病院がないため、村八分になるみたいな。そういうある種少数・マイナーというか、そのような意味でも、地域のお医者様を訴えるというようなことはしにくいということもありました。与えられている、担任の先生を決められないのと似ているのかなと思うんですけれども、そういうプレッシャーが常にある。  偽証に関しては、これまでかなり指摘してきました。偽証や改竄は、今の時代、けっこうバレるんですね。僕たちの裁判でも、裁判官自体が、一番露骨な偽証をした助産師に対しては、最初に言っていることと、最後に言っていることと全然違っているじゃないんですかと、その嘘を指摘するぐらいのことがある。偽証とか改竄に悩まされるんですけど、それを証明できたら勝てるかといったら、そうじゃない。難しいんですね、やっぱり。  鑑定書の件は、アメリカでは、裁判に医療側が負けないための論文みたいなものが露骨にあるんです。明らかにそうなんですよ。そういう論文を書いているところがけっこうあってね。日本もそれを10年ほど前から真似しはじめている。脳性麻痺と陣痛促進剤は関係ないというような論文を急に出してきたりするんです。本当は、アメリカの医学界自体が内々で、陣痛促進剤で脳性麻痺が起こるから気をつけろというのは、30何年前に書いていて、やっているんですけど、いざ脳性麻痺が増えてきますと、それとは絡んでないんだというような論文を、わざとハワイ大学かなんかに行っている日本の医師が書いて出してくる。  そういう手法は、アメリカの裁判ではよくやられています。一方、アメリカというのはけっこうNPOとかがしっかりしていて、お金を持っています。だからまともな人にたのんで、それがいかにおかしいかっていう論文もけっこう書いてやっていたりします。日本では、原告なり弁護士が必死で、そんな鑑定書はおかしいと書いてくれる鑑定医はいないかと探している状況で、なかなか難しい面もあったりします。  だから、医学という学問の問題なんですね。僕の裁判の鑑定書は、合わせて5、6通出ています。明らかに医者のストーリーに合わせて、非がないと書くのが3人もいるかと思うと、こんなおかしいことはないと、良心に従って書いてくれる人もいます。結局、五分五分で終わってしまうのが鑑定書ですね。そういうものと闘うといっても、自分たちがずっと黙っていると、偽の鑑定書を書く鑑定医と偽証と改竄の前に敗れてしまうわけで、それに対抗する努力をしてはじめて闘うことができる。  それから、再発防止策なんですけど、患者に一番権利がなかったのは情報なんです。情報の格差があった。17年前に日本にインフォームド・コンセントという言葉が初めて入ってきたんです。ヨシノさんもある意味でインフォームド・コンセントを、非常にきちんとやってきたんだと思います。インフォームド・コンセントという言葉が入ってきたときに、お医者さんにまかせきりにせずに、患者が色々聞きましょう、賢い患者になりましょう、被害を受けるような馬鹿な患者にならないようにしましょうといった流れがすごく新聞に載っていました。  当時、被害者団体が一堂に会し始めた時期ですが、インフォームド・コンセントなんて全く意味がないって言っていたんです。なぜ意味がないと言っていたかというと、17年前は、カルテとかレセプトとか、患者が情報を絶対に見ることができなかったんです。それに関しては、厚労省に──医師会に言われてでしょうけど──患者本人には見せるなという指導の頃があり、裁判所から見せてくれという要請があっても見せるなという形で、なんのために保管しているか分からないぐらいに医療情報が患者に伝わらなかった。  被害者運動は、17年前から、レセプト開示に集中してやってきました。ちょうど10年前の1997年にレセプトは開示されるように変わりました。その後、個人情報保護に合わせて、厚労省が初めてカルテ開示の検討会を始めるということになりました。それまでは自分がどのような医療行為を受けているのか、どんな薬が点滴で入ったのかということを知るのは本当に至難の業でした。そういう意味で権利というのは、今はとりあえず得られるようになってきているわけです。それでも改竄との闘いはあるので、日常的に見られるようにしないといけない。  もう一つは、事故の情報です。事故の情報というのは全然蓄積されてない。覆い隠すからです。ただ一つだけ事故の情報が残っている場所があって、それは医療者側が使う医事紛争処理の保険、医師が入っている保険です。つまり車でいうと、運転手が入っている保険の保険会社。そこは医師たちが、裁判で負けた時や、和解や示談をした時に、お金を支払っている保険会社です。その部分の蓄積はあるんですけれど、それを公開しないのです。あるとしたらそこにあります。たとえば20年ほど前ですが、大阪の産科で医事紛争処理を5年やっていた医師が、自分が経験した事例を全部本にしています。その中で、陣痛促進剤で子どもが死んで、自分はいかに安い示談金で解決したかを、手柄のように書いているわけです。  そういう蓄積があるからこそ、産科の医師会は30年ほど前に、陣痛促進剤の被害で脳性麻痺の子どもがたくさん生まれているから気をつけろと、内々に冊子を出していたりしています。けれどもいざ裁判となると、学会をあげて、関係ないということを論文で書いていくような動きもあれば、それに反発する良心的な医師もいる。そういうやりとりになってくると思うんですよね。  今、医療安全対策とか、医事、医療の保険制度の部分にも僕なんかも入れてもらっているし、色々な被害者が入ってその人たちが言っている安全をある程度確保しないと、保険会社としても問題になる。本当にこんな被害を漫然と繰り返していると国がもたないということで、医師会べったりの厚労省や保険会社も、さすがに被害者をちょっとは入れて、色んな人のことを考えなくてはいかんという雰囲気にはなってきている。情報公開もある程度しなきゃいけないということになってきている。厚労省の中にも良心的な人はある程度いるという感じもあって、少しずつ動きはじめてはいます。   高橋:ありがとうございます。医療過誤などの裁判だけに留まらない、裁判以外の要素、裁判を難しくさせてしまう医師会や保険制度の現状、また被害者救済制度の不十分さもふくめて、医師が謝罪しにくい状況ができているのはなぜなのか、という点に踏み込んでいただけました。今のようなお話は、医療の外にある政治──狭い意味での政治はなくて、当事者の日常生活におけるポリティクスも含めて──の話にも関わりますが、この話をもう少しだけ展開できたらと思います。田中さん、ヨシノさんからお願いします。   GID医療の特殊性   ヨシノ:勝村さんがご説明してくださった産科医療の話と、このGID医療の話は、条件的に近いところが多くて、絶対数が少ないからそこに頼らざるを得ない。そもそも、GID医療そのものが医師の慈善で始まっているという部分があるので、それに対して患者側が感謝するような立場になりやすい。あと、一昔前であれば「変態」とかで終わらされていたものが、治療してもらえるだけありがたいとか、そういうふうな状況になりやすいですよね。先ほど、村に一人しかお医者さんがいないから、訴えたら村八分にされるという話がありましたけど、まさに私の裁判でも、様々な状況が絡んでいます。提訴して以降は、大阪医科大が手術をストップしている状況なので、そのことについて私に批判がきます。  また、これはタイミングがたまたま重なっただけだったんですけど、私が提訴して1週間後くらいに、埼玉医科大でGID医療の受け入れを当面ストップするという記事が出たんですね。内実は学閥争いと待遇面で医師との折り合いがつかなかったという話らしいんですけれども、すさまじく紛糾したらしいです。ほらみろ、ヨシノが裁判したから埼玉医科大でも医療が止まったと、別に壊死したくらい黙っといたらいいのに、あいつのせいで医療が受けられなくなったと、そういう話があったんです。でも、私はそこがどうしても理解できません。正規医療でも死にかけた人がいるし、自分の身体を、受け入れがたいような形状にされてしまった人もたくさんいるにもかかわらず、なぜ黙っていなければいけないのか。  本来であれば患者側が「これはこうなんじゃないの」と意見を言って、医師が知って、そういうふうに事例が蓄積して、ベースアップが図られなければいけない。だけど、このGID医療とか産科医療とか少数の医療に関しては、患者側が首根っこをつかまれたような状態になっていて、医療を持ち上げなければいけないとか、そういう圧力を私自身は感じました。提訴をやめろ、というメールもきましたし、また、古典的なジェンダー観によって、「男だったら別に体に傷が残ってもいいはず」「胸に傷が残ったくらいで提訴するっていうことは、やっぱりこいつは男じゃないんだな」とか、そういう様々なジェンダー観や、私がいわゆるGIDらしく見えないことであるとか、国内の医療状況によって複合的なバッシングを受けた。今回の提訴というのは、そうでしたね。難しさを実感しています。   高橋:田中さんからもコメントをいただいてもよろしいですか。   田中:埼玉医科大は権力闘争で原科さんが負けたそうなんで、退官してジェンダークリニックをサポートすると言っていたんですけど、それがもうなしになったんですよ。だから埼玉医科大が悪いんです、あれは。それを分からずにヨシノさんのせいにする人の神経が分からないですね。   高橋:その点は、後ほどフロアとのやりとりで展開できればと思います。次はヨシノさん上瀧さんから、田中さんのお話に対するご質問をお願いします。   GID当事者の多様性   ヨシノ:手術が上手くいかなかった人の事例を調べたりしていると、かなりひどい例に陥った人がいたり、死にかけた人がいたりっていう話があるんですけど、問題が顕在化しない理由はいくつかあると思っています。私のように、男女の枠組みから逸脱したいから別にどう見られてもいいっていう人もいるけど、暮らしている状況とか就労環境によって、医療ミスにあったとしても、それを言い出しづらい人とか、色々な状況があると思うんです。私はGID関連の自助グループにほとんど関わってきた経験がないので、ぜひ伺いたいところなんですけど、自助グループ間でも、医療に対する意見というのがなかなか揃わないということがありますか?   田中:全然バラバラですね、みんな。大阪は特に。   ヨシノ:バラバラというと?   田中:バラバラというのは、もうGID医療にまっしぐらみたいな感じで全部条件を呑んでやっていく人もいるし、私みたいに、ジェンダークリニックには足を踏み入れず、ずっと治療する人間もいるし。戸籍上の性別変更をしたいから、自分ではしたいと思ってないのに正規の治療を受けるという人が、3割以上いますね。それはESTO(「性は人権ネットワーク」)の調査に現れています。   ヨシノ:そうですよね。私もそのデータは拝見しているんですけども、自分がこうありたい、自分が快適な身体はどこかというのは、すごくグラデーションがある。中核群の人たちや医療側は、「男性から女性へ、女性から男性へ」という極めて単純化したところをイメージしているがために、本当は性器形成手術までしなくていいと思っているのに、特例法の要件などによって、本人が望む以上の手術に差し向けてしまう、身体に介入してしまうというのが、ものすごく重大な問題じゃないかなと思います。   高橋:上瀧先生お願いします。   上瀧:自助グループの中でも、医療に関する要望がすごく多様だと今お聞きしたんですけれども、その多様な自助グループ、要求を持っている自助グループの中で、性的マイノリティはこうあるべきだとか、むしろ多様性を認めない意識が育っていく、その理由はなんなのでしょう。 田中:私のグループではそれはないですけどね。私たちはバラバラやったら、バラバラのまま。一つの筋道をたてて押し込めようとはしませんから。 上瀧:ただ、中核者と、それ以外っていう形で、色分けみたいなのができるような素地みたいなのはあるんですか? 田中:それは関東のほうが大きいと思いますよ。 上瀧:地域差があるんですか。 田中:関西はバラバラでいいやんかって感じ。関東のGID研究会とか行ったら、FTMはみんなネクタイにスーツ、MTFはみんなミニスカートか女性用のドレスなんですよ。なんでかしらんけど。MTFのほうは体が大きいし、FTMは体小さいのに、なんか不思議な感じですよ。スーツする仕事あんたしてへんやん、みたいな子がね、いっぱいスーツ着ている。なんかそういう憧れがあんのかな、とも思うけど。   上瀧:コード化しているんですかね。 田中:そうですね。関西はそんなことないですけど。   GID医療の困難さ   高橋:先ほど出た話の中から一つだけ質問なんですけども、ヨシノさんのお話は、男になりたい女になりたいという、典型的な、中核的な、性同一性障害の事例ではないわけですね。あえて伺いたいのですが、そのような主張を何の条件付けもなく行うと、医療を否定しかねないのではないかな、と私は思います。  医療自体がかなり厳密なガイドラインに沿って、不可逆性の高い外科手術を合法化するために、事前に高度な合意を調達する必要があります。そこでガイドラインの作成過程における議論から分かるように、「男性になりたい女性」、「女性になりたい男性」が、その他の周縁群と区分されました。ヨシノさんのような主張は、ガイドラインに準じた医療の否定ないし、それをゆるがすようなものになるのではないかと。そもそも性同一性障害の医療自体が、医療かどうかという根本的な部分を問うています。性同一性障害医療は、美容整形なのかあるいは医療なのかが揺らいでいる領域です。  この点に関して、田中さんとヨシノさんからコメントをいただけませんでしょうか。   ヨシノ:そうですね。私のような性の表わし方をしている人間が、こういう裁判をやることで正規医療の根底が揺るがされる、正規医療を崩壊させるんじゃないか、という懸念は多く聞きましたね。埼玉の問題とか、色んなタイミングが重なったっていう状況もあったと思うんですけど。私は私の身体に対して違和がある、これを大前提として、ジェンダーとかに縛られない生き方を模索していくうちに、だいぶ楽になった。それでもやっぱり胸の存在とは折り合いがつかないな、という時期に、ちょうどGID医療が噛み合ったという感じですね。だから、私ははじめから精神科医に対してライフヒストリーを偽ったり、それらしいストーリーを語ったりもしていませんし、服装も男性らしさをアピールするような服を着ずに、まったくこのままで通って、GIDという診断が出たんです。  だから、診断現場そのものが非常にあいまいだということは感じていて、タイミングによっては、私にGID診断が出なかったかもしれないというのは十分考えられると思います。しかし私は、自分の乳房に対しての違和感はすごくあって、壊死したこと以外に関しては、胸という存在が無くなって楽になった部分はあるんです。でもそれは、性別に対する違和なのか、身体そのものに対する違和なのかっていうのを突き詰めていくと、GID医療なのか、美容整形の領域なのかは、簡単に分けられない問題だなというふうに感じています。でもたぶんGIDの正規医療とか、特例法の要件、あの枠を限りなく緩めて、オーダーメイドで体の色んなところを作り変えられるっていうふうになったとしても、それはそれでまた新しい圧力っていうのが生まれる状況が常にあると思うんですよね。  いわゆる当事者という枠でくくられる人たちの間での相剋、「おまえのここが変だ」「わたしの方がいい」というやりあいも、GID医療という形態がなかったとしても、別のベクトルからかかってくる圧力や、規範があるだろうと。それって何なのだろうなというのを研究したいと思っているわけなんですけれども。   田中:私は男に見えますけど、でも基本的にはヨシノさんと同じですね。性別二元制に違和があって、性別違和はなかった。だから、ホルモンを打って、自分の体が変わっていくのは楽しかったです。旅みたいで。他の人と経験が違うんですね、やっぱり。生まれたときから男だと思ってなかったし、女とも思ってなかったし、だから人造インターセックスです。 高橋:上瀧さんからもお願いします。 上瀧:今、ヨシノさんのあり方が正規医療の中でどのような位置にあるのか、あるいは、後退させるような役割に一見みえるのかもしれないというお話があったけれども、私は決してそんなふうに思っていません。そもそも二元論に属さないということそれ自体に、インパクトがあるんですが、属さない中でも多様なんだということで、ガイドラインも変わってきて、最初のうちはホルモン注射をうけて、それでだめだったら手術なんだと、第2版までのガイドラインはそういうふうになっていた。それが、性同一性障害の多様な形態の中で、色んなメニューを選択できるという形に変わってきているということがある。GIDの中でも色んなあり方があるんだ、その多様性の中でヨシノさんのあり方も一つのあり方なんだということは、正規医療をより豊富化するような形でこそあれ、後退させるだとか、ストップさせるものではないと、私は確信を持っているんです。  それから、もう一つ、GIDをどのように捉えるかという問題が、ヨシノさんから言われました。ヨシノさんは、戦略的にGIDという形をとっているのだと、それは乳房に対する違和感を除去するために戦略的なものとしてとったのだ、という話がありました。生物学的な性というのはやはり連続性があり、男と女とその間の人たちはいっぱいいるわけで、それがGIDとひとくくりにされてしまうという違和感もあるんです。それでも、私自身はですね、GIDという概念が社会的に出てきたということについては、ある意味では積極面があるんじゃないかと思っているんです。  どういう形で認知されるかということが問題なのではなくて、そういう人たちがいるんだということが、社会的に認知されることが非常に大事だと思っています。たとえば、女性が社会的に認知された大きな契機の一つは、「軍国の母」だったわけです。日本ではそういう形で女性の社会的認知が高まっていったわけです。そういう認知が正しいかどうかは別として、それを基礎にまた次のステップがあるだろうと私は思っているので、GIDという位置については限界はあるものだけれども、それを基礎にまた次のステップに歩むことができるのではないか、という印象を持っています。   高橋:上瀧さんのお話は、性同一性障害という概念の限界はありながらも、それは戦略的に利用しうるものであり、その積極的側面は評価できるということですね。  それでは最後に、勝村さんにお話を伺います。今までみなさんの話を聞いていて思ったことを自由に話していただくというのでもよいのですが、私の方から一つ質問をさせてください。なぜ多くの人たちが正規医療というかたちで医療を成立させることにこだわっているのかというと、性同一性障害医療に保険適用への道を開きたいという目的が、一つにはあるんじゃないかなと思います。もしそうだとするならば、性別違和をもつ人の医療に対する保険の適用は、今までの話に出てきたような医科大を通じた正規医療化以外の道があるのか、どういう条件で保険適応が可能になるのかということを、よろしければ伺いたいのですが。   勝村:良いか悪いかという話ではなく、実務的にどういう状況、どういう制度なのかというとですね。厚生労働省の中医協(中央社会保険医療協議会)というところが全部決めることになっているんです。今僕が、中医協の委員をしています。2年に1回、診療報酬を改定するというもので、今もまた、非常にばたばたしています。毎日どこかの新聞に載っているんですが、ついていけないくらい、様々な日本の医療のすべての診療報酬、つまり医療費の単価を決めている状況です。その中医協の下で先進医療という分野があって、従来ほとんどやられていない医療をはじめていかないといけないというものに対して、一定の安全性とか倫理性とかを判断した上でいけるかどうかを検討する専門家による下部組織があります。  どんな制度かというと、それぞれの大学が手あげ方式で、うちでこんな先進医療をやりたいから認めてくれということを、先進会議か専門家会議に出します。それを審査し、原案を作って中医協に上げて、中医協のほうで「認める、認めない」という話になります。先進医療が認められたら、混合診療を許すという感じです。実質、混合診療は禁止ということになっているので、混合診療という言葉は使わずに先進医療という言葉を使っています。まだ保険で認められてない部分も、一定保険の中でやりましょう。特に先進医療と認めたものに関しては、保険の点数つけて、こういう点数でやっていきましょうと実験的にやっていく。  大学が手がけていくやりかた自体がよくないので、やるって決めるのだったら拠点病院を地域に密に置くべきです。一定数は置ききれないだろうけれど、地域拠点は置くということをしていく。最近、混合診療問題で裁判があって、診療を認める判決が出て、大きく報道されました。これは、実は先進医療の話で、ある大学ではそれを先進医療として認めているのに、自分の近くの病院でやっているのは保険が効かないじゃないかということで、裁判をして、勝ったという形になっています。先進医療が認められるには、安全策として施設基準があって、それを一定クリアしているところからOKさせていこうということです。同じ治療法なんですけど、そのへんの病院でまだやられたら困るということになっています。  安全性を担保する意味からは、もうちょっと数を増やすべきだということがある一方で、どこでもOKだというのはやばい、危ないだろうとなる。ある人たちにとって必要な医療が先進医療として認められていないという問題があるならば、それを認めていくということをしていくべきだし、先進医療として認めても日本中で1個とか2個という形からはじまるから、あまりに遠い。せめて近畿圏に一つぐらいは最低なければならない。都道府県に一つを前提に、拠点病院みたいなのになっていかなければならないだろうし、そういう動きもしていかなきゃいけないと思います。希少疾患とか、そういう形で進んでいくと思います。   高橋:よろしければ、今日の全体の話に対するコメントをお願いします。   勝村:ヨシノさんが言われているこだわりみたいなのは、精一杯本当に親身になってやってくれたのかっていうのを問うているんだと思うんです。なぜ自分たちは訴えているのかというと、自分の気持ちっていうのを全く考えてもらえていないのではないか、そういう意味で本当に自分と同じような形で精一杯やってくれなかったんじゃないかということが大事なんだと思うんですよね。  そういう部分が、裁判すべきなのか、すべきでないのかに関わる当事者の実感なんだと思います。それは表面的な部分の言動ではなくて、前後の文脈や不誠実な対応の繰り返しだったりします。そういうことは他の人は分からないから、バッシングになってしまう面がある。相手の立場になって考えられる、人権感覚的な発想というのがやっぱり医療に欠けている面があるのではないか。ちゃんと言っていくことが結局質の底上げに繋がっていくし、ほっておいたほうがいいのか、糾していったほうがいいのかってことですよね。動いていくことですね。  たとえば、さっきの奈良の大淀病院の事件も同じようなバッシングがされて、裁判をするからそこの地域の産科医が一人もいなくなったって言われたんだけど、そのことを受けて奈良県が初めて本気で、産科の医師を統廃合していくということに着手するわけですよ。福島県立大野病院もそれでなくなったと言うんですけど、割と大きな病院に一人ずついた産科医を、病院を二つ閉鎖して一つの病院に三人集めようということになりました。少し遠くなるけどそのほうがいいでしょう。それは実はずっと被害者が求めていたことで、そうしたほうが安全だし、質も高まる。  あまりに遠くなっては困るけど、別に小学校みたいに歩いていけるところに専門病院がなくても、安全性が高まるんだったら別にいいというのは、当事者たちの主張です。初めてその方向に動いたということがあるわけです。目先のことだけではなくて、本気で動かしていくには視野を広げていかなければならない。先ほどの大阪と東京の違いは、他の色んな被害者運動でもすごく感じましたね。一緒なんだなと思いました。       ■会場からの質問 質問?:かつてトランスジェンダーの人は医療を受けること自体、たぶん医療側が拒絶する向きがあったのではないかと感じています。アカー(動くゲイとレズビアンの会)が都内の施設利用を拒否され闘っていたころから20年くらいたったと思いますが、現在当事者の人は医療にかかることに拒否感、拒絶感が薄れてきたのでしょうか。   田中:それは性同一性障害医療ってことですか? 高橋:質問用紙にはトランスジェンダーと書かれていますね。もし当事者のトランスジェンダーなり、性同一性障害の人なりの医療にかかりにくいっていう思いが軽減されているとしたら、それは運動の成果があったんでしょうか。そのあたりの経緯を含めて聞かせてもらえたらと思います。   田中:性同一性障害という疾患名がついたことで、流通しやすくなりますよね。トランスジェンダーじゃないけど、これまでは、当事者が全然医療を受けられなかったんですよ。保険証の性別が女性とか男性とか生まれたままの性別だったじゃないですか。だから、特例法で救われた人もいます。けれども特例法で救われなかった人たち、子どもがいたり、結婚したり、性器が変わってなかったり、内性器をとってなかったりすると、変な目で見られたりしますね。私も病院行ったら、保険証は女性じゃないですか、女性ですよとか看護婦さんに言われたりして、いらんこと言うなと思うんやけど、そうなんです。そういうことあります。女ですって言いますけど、そんときは。すみませんでしたって言われます。   高橋:関連してなんですが、田中さんがやっておられる運動といいますか、運営に関わっておられる団体について、幾つかお話を伺えたらと思います。 田中:Tジャンクション(*12)というのがあって、それはFTMとFTXのための自助グループなんですね。月に一回集まってまして、三時間くらいかな、色んな話をします。それと、QWRC(クィア・ウーマンズ・リソース・センター)で、資料センターですから、セクシュアリティやジェンダー関連の資料を集めてるんですよ、寄付ばっかりで。マンションの一室を借りてそこでミーティングとかできるようにしてます。だから、色んなレズビアン団体、ゲイ団体、トランスジェンダーの団体がそこを利用してくれてます。あと、ESTO(「性は人権ネットワーク(*13)」)という秋田に本部があって、東京と大阪に支部があるグループに関わってるんですけど、そこでは、年に一回だけ関西交流会がありまして、色んな当事者と交流してます。     質問?:クレーマー患者、モンスター患者と呼ばれる人たち、この人たちは、なぜ生まれるのだと思いますか。勝村さんの『ぼくの「星の王子様」へ』の第4章に、ハーバード大学の医師のコメント部分があります(*14)。それが日本の医療界の現状をあらわしていると思いました。ご説明をお願いします。 勝村:僕は、大阪で高校の教員をしています。教員に対するクレーマーも非常に多いということを、NHKとかが報道してるんですけど、僕はあれもちょっと納得できなくてですね。職員室には色んな先生がいまして、あの保護者はたまらんとかですね、色々保護者への文句を言っているのが聞こえてきます。けれどもやっぱり言われている教師というのは限られている感じがしますし、ある程度的を射てるんじゃないかと思う時があります。僕たちもときどき一方的に意見を言われることはあるけど、それを単にクレーマーだとか思ったことはあんまりないです。  クレーマーだと言っている教師というのはどうなのかなっていうのが一つあるんです。僕たちも自分の子どもが行っていた学校で、ちょっとこれは意見を言ったほうがいいのではという先生もやっぱりいるわけです。そういうことも含めて全部クレーマーと言っている風潮があるんじゃないか。医療においてもそういうのがあって、もう少し謙虚であるべきなんじゃないか。  もう一つ、クレーマーは裁判をするのかという問題があります。クレーマーって、たとえば「やーさん」とか言われてる人たちをイメージしているのではないと思うんですよね。そんな人は昔からおるとか、そういうことを言っているわけでもないと思うし、何をみてクレーマーと言っているのかなというのが確かにあります。少なくとも言えるのは、お金目的の暴力団のようなクレーマーは、裁判をするのかというと、僕はしないと思いますね。裁判は儲からないですよね。示談とか和解の方が儲かるし、世の中よくできたもんで示談とか和解のほうがたくさんお金を払うよと司法が常識を作っているわけで、だから和解を一生懸命すすめて、みんな和解にのるわけです。弁護士も和解にのった方がいいし、色んな意味で和解はうまく作られているんですよね。  僕たちのように和解にのらないというのは、非常にこだわりがあるケースで、ある種非常識なのかも知れないんですよね。裁判や判決にこだわると、賠償される金額も明らかに減ります。しかも裁判をしたとしても、大変だし、なかなか勝てないし。むしろプロは示談を求めてくるでしょう。裁判する人のほうがおかしいということになる。学校相手に裁判をしている知り合いなんかもいて、学校のいじめや学校のプールの事故で死んだといった被害者の立場の人から相談を受けたりします。  職員室では、何で裁判までするんやとか、クレーマーだとか、やっぱり言う人が多いんですけど、みんな実情を知らないんですね、情報が入ってこないから。実は被害者と会って話を聞いてみると学校側のものすごい隠蔽工作があったりして、結局、事実を知りたいのに教えてもらえないから裁判をせざるを得ないところに追いこまれているような感じでこれはひどいなというようなことを学校側がしているんですね。  けっこう、医療も教育も似ているなと思います。ちょっと上品さにかける言葉遣いで文句を言ってくる人たちが増えてきたみたいな感じだったら、あるのかもしれません。けれども文句を言ってくる人たちが全く的外れだということでもなくて、言われる側と言っている側の中間ぐらいのグラデーションのところで色んな事例があるという認識でいいんじゃないかなと思います。それと、裁判の原告とは全然レベルが違うということがあります。そこはもうテーブルにつかないんだから。相当な不誠実や隠蔽などの問題があるのではないかと思います。  それから、『ぼくの「星の王子様」へ』という本の中の4章で、李啓充さんという『アメリカ医療の光と影』(医学書院、2000年)を書いた、医療事故に関しての第一人者がでてきます。当時、この人に僕たちの医療事故をどう思いますかと聞いたら、これはアメリカでいうところの医療事故ではない、こんなのは犯罪だということを言ったわけですね。本当のことを言わずに薬を使っているとか、嘘ばっかり言ったとか、患者の命や健康よりも完全にお金のことに意識が向いているとか、色んな面を捉えて言っているのかもしれないですけど、「これは医療事故ではない」と言った。アメリカは医療訴訟社会だと言ってますけど、日本と違っているのは、犯罪は犯罪だという面がもっとはっきりしているんですね。  一生懸命やってるけど結果が悪かったで済ますのではなくて、これはちょっとほっといたらあかんということに関しては、反省を求めているんであって、反省してくれるってことが一番嬉しいんですよね。  僕たちの時も、枚方市民病院が潰れそうになるんですけど、潰れるというのでは勝った気にはならない。僕たちの事故を受けて枚方市民病院がすごくいい病院になったと言えたら、嬉しいと思う。反省を迫っているわけで、厳罰を求めているんじゃないという証しなんですよね。そういうごく普通の素直な感覚みたいなものが、なかなか伝わらないというもどかしさがあります。日本では医療事故は医療事故の枠で扱われてきました。それに対してパッと一言、これは事故じゃないと言ってくれる発想を、僕は本当に嬉しく思いました。そういうふうに自然な感覚で見てくれる人がいるというのも大事なんじゃないかなと思いました。     質問?:裁判ではなくて、調停、和解を勧める裁判外制度を利用することについてはどう思っておられますか。 勝村:僕が一つ考えているのはADR(裁判外紛争解決)です。今こういう動きが出てきているのですが、これはあったらいいと思います。精一杯やっても結果が悪かった場合に、きちんと被害者に支援をする。一生懸命運転したって、事故するときはあるじゃないか、それは略式でやればいいじゃないかと。  でも、ひき逃げをしたり、めちゃくちゃな運転をして何回も事故を起こしているのはちょっと反省してもらった方がいい。そういうケースを僕たちは裁判にしているから、それを裁判外で紛争解決だというのはやっぱりおかしいと思います。  僕は、ADRはあったほうがいいと思っているんだけれど、一つ間違ってもらったら困るのは、これまでやってきた医療裁判の代わりになるというのは大きな勘違い。これまでやってきたのは本当だったら刑事裁判になるべきものです。富士見産婦人科病院事件と同じ。医療とは呼べない犯罪行為だということで刑事事件です。やっぱり民事というのは被害者を救済し生活を保障するものであって、刑事は、やってしまった側に反省をせまるものです。だからこそ、反省をきちんとしたら、もう一回社会で頑張ってくださいというのが、本来の刑事のシステムだと思うんですよね。これまで刑事で扱われるべきものを代わりに民事でやらざるを得なかったということが言えると思います。  今までの医療裁判のようなケースはADRではなくならないと思うし、ADRの制度ができてもこれまでと同じ事例が出てくるのだったら、それをADRでやろうとすることは非常によくない。でも、ADRの制度を作ることをきっかけにして、簡単に改竄できていたものをなくしていく、情報がきちんと共有されて改竄をやりにくくするとか、医療事故の情報の蓄積の中から、同じ事故が繰り返されないようなシステムを作っていくとか、ADRも制度としてそのように動いていけばいいなと思って、そういうことに関連した委員会にも出ています。  今までの医療裁判は、医師が精一杯やっているのに、たまたま結果が悪かったら患者が訴えるというような裁判だ、だから、医療者たちはとてもやっていられない、医療が崩壊するなどと思われてきました。だからADRを作れという主張が出てきます。でも、本当はそうじゃないということをきちっと伝えながら、同じような事故をなくすという視点とか、事故情報をきちんと蓄積するとか、医療犯罪的なものをなくしていくとか、情報をしっかり共有させていくとかいうことを、きちんとなされるようにしていきたい。ADRがあってもいいけど、だめなことはだめときちんと言えるという形に、このADRの議論がなっていかなければいけないと思って関わっていますが、非常に難しい感じがあります。   高橋:ありがとうございました。会場のみなさんも質問用紙を書いてくださった方もありがとうございました。最後に、ヨシノさんと上瀧さんのほうから一言ずつお願いします。 ヨシノ:今日のところでも様々な文脈があって、捉えきれない、考えきれない論点がたくさん出ていると思います。GIDという存在が、今出てきた。しかし既に、GIDというものが、何か規範のようなものになってしまっていて、そこからはみ出すような、私のような表現の仕方をする人間に対しては圧力がかかってくる。だから、そこから抜け出ようとする。でも、そこからはみ出した組に名付けをして、層をつくると、そこにさらに新しい規範が出てきてしまうと思うんですよ。だから、そこから逸脱を繰り返しながら、最終的には俺の人生勝ちだぜ、と言えるようなやりかた、生き方っていうのを、色んな人がしてくれたらいいだろうなとも思う。  私に関しては、今こういう闘い方をしていることが一つの挑戦であると思っています。希望は持っていますよ。難しいし、時間もかかる問題だと思いますし、GID医療っていうのをどこに位置づけるかという大きな問題もありますけど、いずれ良い形で、色んな医師同士がちゃんと交流して、経験を蓄積していくことを働きかけたりもしたいなと思います。この裁判をやるということに関する意義は、私の中で揺らぐことはないと思っています。   上瀧:まず、先ほど勝村さんが少し述べられましたADRのことなんですけれども、やはり民事裁判というと公開ということが非常に大きい特徴になります。社会的に一つの事実を明らかにしていくという裁判の意義というのはやはりなくならないのかなと思っています。ADRはそれを望んだ人が利用すればいいし、そういうオプションはたくさんあるほうがいいと思っています。けれどもそれで裁判というものがすべて代替できるということはないかなと思います。  それから、最後ですけれども、弁護士と原告というのは車の両輪みたいなところがありまして、裁判に勝つという目的でお互い不可欠の存在で、相補い合って、教えてもらいながら、私なんかもそういうかたちでGIDの医療、あるいはトランスの方のありかたを学習しながら、進めていきます。  私はそもそも世の中が多様な生き方を承認できるようになることを目指して弁護士になったようなところがあります。そういう中で、ヨシノさんの裁判をたまたま受けられたのは非常に幸運だったなというふうに思っております。こういう形でみなさんとお会いできて、色んな意見を伺えるのは私にとって非常に勉強になりますし、ヨシノさんには失礼ですけれども、天はそういう立場に耐えられて、かつそれを切り開いていける人にそういう立場を与えたんだ、というふうに感じております。私自身もこの裁判を、やりがいをもってやっています。みなさんも支援を、長いことかかるかもしれませんけど、よろしくお願いします。   高橋:これでパネルディスカッションを終わりたいと思います。長時間お疲れさまでした。講師・パネラーのみなさんから伝えていただいた知恵や技術を、それぞれの場所に持ち帰って活用していただければと思います。    山本:本当に長いことお付き合いいただいてありがとうございました。今日は、勝村さん、田中さん、そして、上瀧さん、ヨシノさんと長いことお話していただいて、本当にありがとうございました。以上を持ちまして、「性同一性障害×患者の権利──現代医療の責任の範域」シンポジウムを終わりたいと思います。 ■註 *1 国内の性同一性障害医療は、1997年に日本精神神経学会が作成した「性同一性障害に関する答申と提言」(ガイドライン)に準じた治療として、1998年から埼玉医科大学で始まる。以降、関西医科大学、岡山大学、札幌医科大学、大阪医科大学などに、性同一性障害医療の専門外来ジェンダークリニックが設置される。ガイドラインでは、精神療法、ホルモン療法、外科手術の手続きが定められている。2007年度に報じられた国内医療の一時停止は、埼玉医科大内での人事の問題が大きく作用しているということである(その経緯については、鳥集徹「なぜ、手術は休止されたのか:自壊した医療体制」『論座』2007年10月号)。 *2 「性同一障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)とは、性同一性障害医療を受けた当事者の戸籍の性別記載事項の変更に関して定めた法律である。同法律は、当事者団体からの働きかけに応じて、2003年に、自民党、公明党、保守新党によるプロジェクトチームができ、国会に提起され、衆参両院の全会一致をもって可決された。同法律には、「一 20歳以上であること。/二 現に婚姻していないこと。/三 現に子がいないこと。/四 生殖腺がないことまたは生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。/五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」という要件がある。また、附則第二項には、「施行後3年を目として」の再検討と「所要の措置」が記載されている。現在のところ、子なし要件の削除が運動の主要な目標になっている。そのような運動として、「GID特例法『現に子がいないこと』削除全国連絡会」などがある。 *3 1991年に結成された医療事故にあった患者と家族の会。同団体は、医療被害者の裁判の支援、医療の情報公開の運動などに精力的に取り組んでいる。HPの詳細な活動報告を参照。http://www.genkoku.com/(2008年5月3日アクセス) *4 勝村氏の裁判の記録は、勝村久司『ぼくの「星の王子さま」──医療裁判10年の記録』幻冬舎文庫、2004年、長尾クニ子『医療裁判』さいろ社、2001年、石川寛俊『医療と裁判──弁護士として、同伴者として』岩波書店、2004年などに記録されている。 *5 血友病医療の状況については、第二部の西田・福武論文[p71]や西田論文[p78]、北村[2006]を参照(編集:北村)。  北村健太郎「血液利用の制度と技術――戦後日本の血友病者と血液凝固因子製剤」『コア・エシックス』vol.2、75-87、立命館大学大学院先端総合学術研究科、2006  http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2006/kk01a.pdf *6 2006年2月18日、帝王切開中の大量出血によって患者が死亡した医療事故(2004年12月17日)で福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕され、業務上過失致死罪及び、異状死の届出義務違反で刑事事件として逮捕された事件。 *7 2006年8月7日、奈良県にある大淀病院に入院中の女性が容体急変後、搬送先探しに手間取り大阪府内の転送先で男児を出産後、脳内出血のため亡くなった事件。2007年5月23日に、遺族が損害賠償を求めて提訴。 *8 なお、このシンポジウムの後、2008年4月19日大阪弁護士会館にて、勝村氏らが中心となり「ネット上の誹謗中傷問題等に関する検討会議」という場がもたれた。内容は、「M3・ウィキペディア・匿名ブログなどのインターネット上で医師による医療被害者への誹謗中傷が頻発している問題について、その状況報告と、背景の分析、今後の対応等について検討する」というものである。 *9 セクシャル・アイデンティティ、あるいは性に関する類型には、大別すると、性自認と性指向によるものとがある。性自認は、自分の認識する性別にかかわる類型であり、性指向は、自分の性対象の性別にかかわる類型である。性指向による分類としては、同性愛、異性愛、両性愛などがある。性自認による分類としては、男性、女性、トランスジェンダー、トランスセクシャルなどがある。トランスジェンダーとは、生まれながらの性の身体と性自認とに齟齬がある人を広くさし、トランスセクシャルは、その中でも医療行為のニーズをもつ人である、という定義が一般的である。また、インターセックスは、男女両方の身体的特徴を備えている人である。 *10 「QWRC」のHPは、http://www.qwrc.org/(2008年5月3日アクセス)。「QWRC(くぉーく)は、2003年4月、大阪市北区にオープンした、LGBTI(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、インターセックス)等、多様な性を生きる人々のためのリソースセンターです。フェミニズムの視点を重視しながら、セクシュアリティを自由に表現できる社会の実現をめざし、講座の開催や電話相談などを実施しています。同時に、セクシュアリティやジェンダーをテーマとして活動する個人や団体の活動をサポートするよう、事務所やミーティングのスペースを提供しています。」 *11 1998年に第一回「GID研究会」が開催され、後に2007年「GID学会」と名称を変更し、回を重ねている。このほかにも運動を推進する領域横断的な学術と当事者の交流の場としては、「性同一性障害と法研究会」(石原明、大島俊之、森野ほのほ、針間克己ほか参加)、「第六回アジア性科学会議」(山内俊雄、東優子、針間克己ほか参加)などがある。 *12 「TジャンクションのHP」は、http://www.geocities.jp/ gotjunction/(2008年5月3日アクセス)。「T-junction(ティー・ジャンクション)は、FTM(female to man)のための交流の場です。現在身体の男性化のためにホルモン投与や外科手術を行っている人、これからホルモン投与や外科手術をしたいと考えている人、何らかの理由でトランスができない人など、性別違和を持つFTMが集まり、大阪市内のプライバシーが守られる場所でミーティングを開いています。ミーティングのテーマは特に設定しておらず、話題はその日の参加者次第。ホルモンや手術のこと以外にも、仕事、家族、恋愛についてなど、色んな話が出ます。近い立場の仲間からアドバイスを受けたり情報交換をしたりなどができ、気楽な雰囲気です。T-junctionが大切にしているのは、FTMゲイやFTMバイセクシュアル、Transfagの人たちが居心地良く過ごすことができる雰囲気。同性愛嫌悪や女性嫌悪のない場所作りを目指しています。」 *13 「ESTO」のHPは、http://akita.cool.ne.jp/esto/(2008年5月3日アクセス)。「ESTOは、すべての人がその性の在り様に関わらず存在(Est)を尊重(Esteem)されることを願い、人と情報の交流によるネットワークを目指しています。自覚する性別と身体や書類上の性別に違和感がある人、生まれつき身体の性別が曖昧な人、同性を好きになる人などへの支援活動を通して、自分の「性」を考える活動をしています。“多様な性”への理解を進めるために、交流会・講演会の開催やニュースレター・メールマガジンの発行、行政への要望書の提出などを行っています。」 *14 同書pp.246-247。枚方市民病院のシンポジウムに李啓充氏が寄せたコメントが転載されている。 ※第一部の注は高橋慎一・北村健太郎が作成した。 第二部 身体をえぐる〈痛み〉の分断と錯綜 ──医療・法・メディア・運動 序  第二部は、第一部の研究シンポジウム「性同一性障害×患者の権利――現代医療の責任の範域」のテーマに関連する諸論文を収録した。各稿の論点は、医療・法・メディア・運動など様々に広がっているが、複雑に絡み合ってもいる。関心のある論稿から読んでいただければと思う。以下、まことに簡単ながら、各稿の紹介をする。  西田・福武論文は、医療者の立場から「薬害HIV訴訟」和解を受け、HIV感染の実態が徐々に明らかになっていく1980年代当時の臨床現場で「医療者がいかなる判断をしたのか」を述べる。西田・福武は、医療とは「予想しうる長所と短所が共存し、それらの推測される確率と重要性を掛け合わせて比較検討」して行われる営みであるという冷厳な事実を、私たちの眼前に改めて突き付ける。  これを受けた西田論文は、医療者の視点から「薬害HIV訴訟」運動時のジャーナリズムの「行き過ぎ」を指摘する。第一部のシンポジウムでも、医療の論理と提訴者による訴訟運動の論理が厳しく対立する局面について議論された。ジャーナリズムは提訴者による訴訟運動に力を与え、それを後押しできる。しかし、西田は、当時のジャーナリズムの功績を認めながらも、安易な図式化を批判する。  北村拙稿は、「薬害C型肝炎訴訟」の終結にあたって成立したC型肝炎特別措置法の問題点と薬害C型肝炎原告団以外の様々な立場の人たちの意見を提示する。拙稿では、C型肝炎特別措置法をめぐる日本肝臓病患者団体協議会、先天性凝固異常症の患者たち、21世紀の会、B型肝炎訴訟原告団、難病患者たちの言動を整理した上で、C型肝炎特別措置法の「二重構造」を明らかにした。  伊藤論文は、医事法学の立場から診療情報の開示を論じる書き下ろし論文である。私たちは意外と気軽に「カルテ開示」などというが、改めて医療に関する情報「診療情報」を考えてみると捉えがたい概念である。第一部に関わる医療裁判でも、診療情報の開示は偽証と関わって重要な論点である。伊藤は、その学説類型、医師の説明義務、関連する判例から「診療情報」概念が明確化される過程を示す。  高橋論文は、トランスジェンダリズムの視角から「性同一性障害医療」が「医療」として確立される過程を確認し、「性同一性障害」本人たちの様々な運動と「医療」の枠組みでは捉えきれない微妙な身体へのニーズを論じる。医療者は「性同一性障害」本人たちの身体改変のニーズを「性同一性障害医療」として受け止め、「性同一性障害」本人たちの運動を通じて「ガイドライン」「特例法」が成立した。しかし、高橋は「医療」行為だけで問題が解決しないことを指摘し、トランスジェンダリズムのさらなる可能性を拓こうとする。  ヨシノ論稿は、「性同一性障害」本人として「性同一性障害医療」を論じ、男女二元論に当てはまらない在り方への可能性を問う。何がしかの「フィットしていないという感覚」を説明する一つの方法として「障害」や「疾病」がある。それに馴染んで安心できる人もいれば、そうでない人もいる。ヨシノは、自身が「医療」では片付かない問題を意識するまでの過程を追思惟する。  いずれの論稿も、医療・法・メディア・運動などの一つのカテゴリーに収まることのできない論点を内包している。それぞれの立場で、各稿が投げかける問いを受け止め、今後に続く議論に参加してくれることを希望する。    北村健太郎  (立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー) 第1章 輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察  (『日本医事新報』平成 8年 8月 31日 No,3775、p53-5)    西田恭治  福武勝幸  (東京医大臨床病理学教室)       はじめに    エイズの原因ウイルスであるHIVは、感染力が比較的弱く、また、その感染ルートも限られているにもかかわらず、最初の患者が1981年に報告されて以来、瞬く間に世界中に伝播した。日本においても、輸入された血液凝固因子製剤、あるいは、輸入血漿(けっしょう)を原料とする国内製造血液凝固因子製剤により、主に血友病患者に被害がもたらされた。その被害は血友病患者全体の約4割に及び、総数は1800名を越える。1989年から提訴された東京・大阪のHIV訴訟は、この3月、全員救済を目指す和解という決着を迎えたが、それによっても、被害者やその家族、遺族の深い怒りと悲しみが癒されることはないであろう。  本来は、出血による苦痛を取り除き、血友病性関節症などの後遺症を減少させ、また時には致命的な出血から生命を守るはずの血液凝固因子製剤が、HIV感染を惹き起こし、その結果、血友病患者の死亡原因の多くが、出血からエイズに移行するという悲惨な現状を招いている。その原因がどこにあったのかを合理的に検証する作業が、同様の被害を繰り返さないためにも、今後の医療全体のためにも必要である。我々は、当時、血友病治療に携わった一員として、それを行っていきたい。  輸入血液製剤によるHIV感染に関しては、検証すべき幾つもの問題点が存在するが、本稿では、まず、その発生当初──厚生省エイズ研究班の発足を筆頭に、日本でHIVの伝播が初めて本格的に論議の対象となり、しかも、その後の展開を大きく左右したと考えられる1983年当時──の状況を中心に見直してみたい。   1 血友病とエイズの接点    当時の状況については、これまでにいくつもの見解が出てきたが、そこには二つの重要な認識が欠けていたと思われる。第一は、「医療行為の比較衡量」を用いること。つまり、医療行為は、すべからく長所と短所を併せ持っており、ある時点における科学的知見に基づいて推測される両者の確率と重要性を掛け合わせて、その取捨を比較検討しなければならない。第二は、「現在(後年)の知識による過去の現象の判断」を避けること。即ち、困難な作業となるものの、あくまでも“当時”の視点を再現して、物事を捉えなければならないのである。  まず、血友病とエイズにとって、1983年がどのような年だったのか検討する。1981年度の疫学的資料の最初の報告以来、エイズ患者の多くは、同性愛者あるいは両性愛者の男性、および静脈注射による麻薬中毒患者と考えられていた。これらの集団は、(血液を通じての感染が多いことで知られる)B型肝炎ウイルスに感染する頻度の高い集団と等しかった。このため、エイズの発生もB型肝炎と同様に血液のルートで伝播するのではないかとの仮説が立てられた。1982年の血友病患者に発生したエイズ患者の報告はこの仮説の信憑性を増すものではあったが、疑問点も残っていた(*1*2)。  一方で、米国のトラベノール社は、肝炎ウイルスを不活化する目的で、凝固第[因子製剤を加熱処理する方法の開発を進めており、これによる製品(加熱凝固第[因子製剤)は、1983年3月に米国で認可を受けている。しかし、同社(他社も含めて)の非加熱製剤は、この時点で使用(製造)が打ち切られたわけではなく、その後も加熱製剤とともに使われつづけた。1984年9月には、HIVに対する加熱処理の効果が確認された(*3)。それでもなお、1985年2月に「加熱処理製剤のみを使用した患者にはHIV抗体陽性例がない」と文献報告(*4)が行われる前後までは、非加熱製剤と加熱製剤は並行的に販売されていた(米国のトラベノール社は、1985年6月の時点で、非加熱製剤の製造中止と市場からの回収を医療施設に通知した)。こうして、米国においても多くの血友病HIV感染者(血友病患者全体の7割弱)が発生するに至った(*5)。   2 なぜアメリカで非加熱製剤が継続使用されたか    どうしてこのような事態となったのかを推測すると、米国の血友病専門医の意思決定には、以下のような要因が働いたと思われる。 ?米国では、加熱製剤は非加熱製剤と比べて高価で、患者への負担が大きい場合もあり、また、供給量も不十分であった(加熱製剤が高価であった主な理由は、加熱によって[因子活性が低下するため、必然的に、より多量の原料血漿が必要となるから)。 ?当時まだ正体が明らかでなかったエイズの病因に対して、加熱処理の有効性は“期待”に過ぎず、確証はなかった。事実、不十分な加熱条件の製剤では、HIV感染がその後も報告された(*6)。また、当初の目的だったB型肝炎ウイルスの不活化には有効だったが、非A非B型肝炎については、無効と判明した(*7)。 ?血友病患者のエイズ発症の増加が報告されていたものの、米国の血友病患者の0.1%以下にとどまっていた(米国における血友病患者1万5000?2万人中、1982年には7人、1983年に11人、計18人の発症報告例(*8))。このように、当時の血友病患者におけるエイズ発症の頻度は極めて低かったため、たとえ非加熱製剤に推測されるエイズ伝播の危険性が皆無ではないとしても、止血治療による総合的な患者個人のQOL(Quality of Life)維持・向上のためには、使用を継続するほうがメリットが大きいと考えた。 ?1983年(*9)、および1984年(*10)にNHF(全米血友病基金)とCDC(米国防疫センター)の共同で示された「ヘモフィリアインフォメーションイクスチェンジ」や、1983年7月にストックホルムで開かれたWFH(World Federation of Hemophilia)会議は、一定の条件を設けながらも、「非加熱製剤の継続使用は必要」との決定を下した(なお、隔年に開かれるWFH会議は、現在に至るまで、HIV問題を含め血友病に関する諸問題が討議される場であり、国際的な情報と影響を提供し続けている)。   3 見かけは低かった感染率    次に、当時の日本の状況を振り返る。前述の通り、加熱製剤のHIV不活化効果に関しては、未だ証明はなされていなかったものの、血友病専門医も、その効力に対して期待を抱き、その期待は、加熱製剤に起こり得る短所(タンパク変性など)への危惧を上回っていた。ただし、国産の加熱製剤はまだ無かったのだから、これを使用する場合は、必然的に輸入に頼らざるを得なかった。  しかし、1982年の日本の第[因子製剤の生産販売量の約9500万単位(この使用量については、多すぎるとの議論もあるが、患者一人当たりの使用量を欧米と比較するとまだまだ少ない量であった)を、トラベノール社の加熱製剤を緊急輸入することで速やかに補えたか否かは、大いに疑問が残る。したがって、国産加熱製剤の開発も急がれるべきだった。実際には、トラベノール社の治験までもが、国内メーカーと同じ1984年まで遅れたことの原因については、我々の反省も含めて、なお解明されなければならない。  臨床現場では、日本国内での公式に認定された発症報告がなく、米国からの情報も前述のごとく0.1%以下という発症率の低さであったため、非加熱製剤を使いつづけることによるエイズの危険性と非加熱製剤を使わないことによる出血の危険性・QOLの低下を比較衡量した結果、大半の医師たちが“当面、十分な止血のためには、非加熱製剤でも使い続けることのほうがメリットが大きい”と判断した。患者に対しても、「安全だ」「心配ない」と説明し、非加熱製剤の使用を継続した。  長期の潜伏期間が確認されれば発症率の低さは感染率の低さを意味しない。しかし、1983年当時は、エイズの原因がウイルスであるとしても、その潜伏期間は数ヶ月から2年程度と推測されており(*11)、長期(数年単位)におよぶ未発症の感染者──即ち「無症候性キャリア」の存在を想定させるに足るデータは乏しかった(その後も、エイズの一般的な潜伏期間は、症例が増すにつれて5年、7年、10年と変動し、より以上の長期未発症者も多数確認されるに至った)。いずれにせよ、この時期には、「発症例が無いあるいは少ない」ということは、「感染例が無いあるいは少ない」ということを意味するに近いと考えられていた(日本では、一部の病院に保存されていた血友病患者の血清のHIV抗体検査を後年、行ったところ、すでに1979年にHIVに感染していた例も確認されたが、43人の検査結果に基づく限り、HIV抗体陽性となった時期の平均は1983年と推測されている(*12))。   4 周知されなかったクリオプレシピテート治療への部分的変更    既述のように、総ての医療行為には予想し得る長所と短所が共存し、それらの推測される確率と重要性を掛け合わせて比較検討する。個々の医師が全く独自の判断で選択を行い、それが結果的には正しい決定として裏付けられる場合もあり得るだろう。けれども、より確率的に失敗の少ない選択を行うためには、医学的に広く認められた見解に基づいて判断することのほうが一般には望ましい。  その意味で、1983年における我々が臨床現場で決定のよりどころとしたのは、一人の血友病の“権威者”ではなく、海外の疫学的資料や文献、また、CDCやNHF、WFHの打ち出す方針であった。そして、大部分の日本の医師たちは、日本でも発症の可能性のあるエイズの危険性を考慮して非加熱製剤の使用を中止するよりも、当時の方針に基づく継続治療の方が、患者のQOLの維持・向上に貢献するとの選択肢を選んだのである。  確かに、それらの政府機関や組織は、「非加熱製剤の使用を変更すべき確実な証拠はない。非加熱製剤による治療を放棄してはならない」としており、その使用禁止を勧めはしなかった。けれども同時に、少ない第[因子投与量でも十分に止血可能な体重の軽い新生児や4歳以下の小児、軽症者、また、それまで血液製剤の投与を受けたことのない患者らに対しては、クリオプレシピテートでの治療を勧めていた。  つまり、米国においては、比較衡量の観点から、一般の血友病患者は非加熱製剤の使用を続けるとしても、一定の条件枠に属する患者については、クリオプレシピテートを使うことのほうがより安全とされていたのである。  我々を含めて日本の血友病専門医も、以上の認識は持っていたと考えられるが、それを一般医に知らせる努力を怠ったことは否定しがたい。もし、この趣旨の勧告が何らかの方法で日本中に伝えられていたならば、当時、クリオプレシピテートの投与で十分な止血治療の可能だった乳幼児や軽症者の多くが、より安全な選択肢をとることができたであろう。  わが国において、成年や重症の血友病患者も総じてクリオプレシピテートへ即座に変換することが可能だったか否かについては、供給量との関係などを含め議論の分かれるところとはいえ、少量の製剤使用で十分な“一定の患者”に対するクリオプレシピテート移行の勧告を行うことは、当時の血友病専門医が一致して成し得た、数少ない選択肢だった。   5 国・メーカー・医師の失敗    とにかく大部分の臨床現場では治験開始までは非加熱製剤が使用され続け、1984年の治験開始後は、血友病患者の約1割が加熱製剤に移行した。1984年後半から1985年にかけて、研究的HTLV-V(現在のHIV)抗体検査の実施などにより、血友病患者のHIV感染が多くの予想を越えて広範囲であることが明らかになり、1985年7月、加熱製剤は認可される。その認可は、他薬剤と比べて異例の早さだったとはいえ、事態の深刻さを思えば、加熱製剤の効果が実証された時点で速やかに治験を終了し、より早期に認可が下されるべきであり、血友病専門医は、自らそれを提唱すること、また、他分野の医学者あるいはマスコミ等を動かすことも可能なはずだった。  しかし、加熱製剤の供給が始まってからも、旧非加熱製剤の使用禁止ないしは回収の命令がなく、遂にその使用中止に至らなかった医療機関もあった。また、一部で行われた自主回収自体、医療機関止まりで、在宅療養中の患者の自宅冷蔵庫まで及ばなかった場合もあった。  これらは、既に非加熱製剤の危険性を十分理解していた国、製薬メーカー、医師らの明らかな失敗であり、その後の非加熱製剤使用による新たなHIV感染については弁解の余地は全くない。また、短時日で認可されたとはいえ、1985年8月以降に実施された加熱濃縮\因子製剤の治験は、当時の比較衡量からも全く不適切であった。    おわりに    冒頭に述べた通り、輸入血液製剤によるHIV感染については、なお多くの検証すべき問題点がある。例えば総論としてインフォームド・コンセントの問題、また、各論として告知の問題、非加熱製剤の回収措置の問題、非血友病患者の感染(いわゆる“第四ルート”)の問題、等々。  今後、以上の問題点についても、本稿と同様に検証を行っていきたい。現在もHIV感染と闘っておられる血友病感染者の方々のみならず、既に亡くなられた被害者や幸いにしてHIV感染を免れた血友病患者の方々のためにも、なお検証を続けられなければならないと考えている。   ■註 *1 Davis KC, et al.: Ann Intern Med, 3: 284,1 983. *2 White GC, et al. : Ann Intern Med, 3: 403, 1983. *3 Levy JA et al. : Lancet, 2: 722, 1984. *4 Rouzioux C, et al. : Flancet,T: 271, 1985 *5 Dennis H, et al. : AIDS Clinical Review, 3, 1989. *6 CDC. MMWR, 37: 441, 1988. *7 Colombo M, et al. : Lancet, 2: 1, 1985. *8 CDC.MMWR, 33: 661, 1984. *9 NHF. AIDS and hemophilia: Questions & answers, Hemophilia in-formation exchange. August 23, 1983. *10 NHF. AIDS and hemophilia: Questions & answers, Hemophilia information exchange. September 1984. *11 CDC. MMWR 1983; 32: 101. *12 三間屋純一他: Natural History委員会研究報告、平成2年度HIV感染者発症予防・治療に関する研究班研究報告書, p9: 16. 第2章   輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察(承前)  ──ジャーナリズムおよび和解所見の功罪   (『日本医事新報』平成9年 3月 8日 No,3802、p57-60)    西田恭治  (東京医大臨床病理学教室)       はじめに    前稿「輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察」は、主として、1983年時の状況に基づく医療上の判断を検証したものであったが、当時血友病治療に携わっていた医師は、私を含めて大半が、自らとった行動に関して、これまで多くを語ってこなかったように思われる。他の医師の真意はさておき、自身を振り返ると、私が発言を避けてきた最大の理由は、血友病患者のHIV感染の検証が、この間に係争中だった民事(損害賠償請求)裁判において、原告(患者)側に不利益をもたらすのではないかと考えた点にあった。  1980年代後半においては、HIV感染者は、エイズ・パニック報道による大きな社会的圧迫をも被っていた。彼らの就業が忌避されたり、過剰な報道に動揺した無理解な病院経営者により、不必要な個室入院──高額な差額ベッド代の負担──が強要されたりした。経済的支援なくしては、彼らが治療を受けつづけることは非常に困難であると考えられた。  大阪HIV訴訟の中心的存在であった故・石田吉明氏が提訴を検討されていた時期、そのための相談を私も受けたが、当初より、以下の二点について、共通の認識を持っていたものと思う。第一は、血友病患者のHIV感染は、そのほとんどが1984年までに成立したと推測されるが、これに先立つ感染の責任を追及するには、かなりの困難が予想されるということ。第二は、1985年以降の感染が立証されるようなごく一部の事例に限れば、損害賠償が実現するとしても、それだけでは被害者全体にとって十分な成果とはならないこと。  すなわち、この提訴は、感染時期に関わらない全員救済が最大の目標だった。ところが、私の中には、厳密な検証を実行することは、むしろ現象的には被害者を感染時期によって分断し、全員救済への流れを疎外する結果となるのではないか、との懸念が生まれ、発言を控えるに至ったのである。しかし、全員救済を前提とした和解が成立した現在、当時の医療現場を経てきた医師の一人として、今からでも当時の状況を説明し、また、客観的な検証を行なうことにより、今後も起こり得る同様の事態に対処するための材料としておかねばならないと考える。  前稿でも述べたように、検証すべき事項は多い。しかし、検証作業の一翼を担っているメディアの捉えかたには、今までのみならず現在も多くの課題があり、検証作業の障害になっている側面さえある。そこで、本稿ではメディアの姿勢に検証の重点をおいて述べたい。   1 「血友病患者は薬価差益の犠牲者」という図式    1985年以降に血友病治療に従事するようになった医師から、「『医者の金儲けのために感染させられた』と恨みを抱いたまま亡くなっていく患者がいる。当時の治療医は、少なくとも患者の生前に、以前の状況を説明する義務がある」と意見されたことがある。正しい指摘であり、私自身、今年までは、前述のごとく訴訟への配慮があったとはいえ、事実、患者さんへの説明を避けてきた。  『医者の金儲けのために非加熱製剤が処方された・多用された』という因果関係は、医師の診療行為に個人的な利害関係を仮構し、ことさらな動機を付与する誤ったシナリオである。たしかに、薬価差益が医療機関本体に利益をもたらすことは考えられても、大半の血友病専門医は大学病院など比較的大規模な総合病院の「勤務医」──給与生活者である。したがって、診療報酬の多寡は、医師個々人の財布の中身に反映しはしない。つまり、彼らが処方箋を書く時、薬価差益の多寡は、薬剤選択の要因とはならないのである。  また、医療機関にとっても、利益に比して多額な薬剤購入費を必要とし、また、多量に使うと保険審査機関の査定により減額されるおそれ──大きな赤字を産むおそれ──のある凝固因子製剤は、必ずしも歓迎すべき薬剤ではなかった(ただし、加熱製剤販売が迫った一時期に、低価格で納入を受けていた小規模な病院はあったかもしれない)。  しかし、たとえば、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した櫻井よしこ氏の『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』の中には、「大学病院の医師たちの多くが血液製剤の危険が海外で指摘され始めた後も自分の患者に、その大量投与を続けていたのはなぜか。その背景には、薬価基準のからくりから生じる利益が大きな要因としてあったと推測される。(中略)5000人の患者の治療をめぐって病院や医師の側に、この差益のうまみを求める心理が働いていたと推測することは十分に可能である」との記述がある。  そういう例が日本中に皆無だったとまでは言い切れないかもしれない。しかし、当時の治療医を粗雑に断罪しようとするこのような推測は、当時の治療医が読むと全く見当はずれである。けれども、この種の「からくり」の推測は、櫻井氏の報道番組の中でも、“患者に死をもたらすことが明らかな危険な薬剤を処方しつづけた医師の動機”として繰り返し強調された。  また、広河隆一氏の『薬害エイズの真相』の中にも、「大量に血友病患者を抱えた病院ほど、多量の製剤を患者に使わせる治療法によって、利益をあげようとしていた」「血友病患者たちは、薬価差益の犠牲者でもあったのである」など、同様の誤解に基づく指摘が再三登場する。  広河氏は、家庭治療(自己注射)による出血早期の──時に予防的な──輸注、あるいは、関節内出血の頻繁な反復期に行う定期輸注をとらえ、「多量の製剤を患者に使わせる治療法」と見做しているのであろう。しかし、このような治療法は、早期であれば1回だけの輸注で止血を完結させたり、関節内出血の悪循環を断ち切ることで出血頻度を減らすなど、結果的に製剤輸注の総量を抑制すると考えられていたのである。  金が絡むシナリオは分かりやすいが、それを医師全般に共通の動機とするのは理不尽かつ無理な話だ。ところが、一部のメディアは、「『金のなる木』非加熱製剤」(1986年8月23日付『毎日新聞』)という具合に、未だにこの種のシナリオに則った報道を続けている。  いやしくも報道の立場から“ノンフィクション”“真相”などと称して事実を伝えようとするのならば、緻密な裏付けの必要は当然のはずだが、これらの報道については、単純明快な図式化と、それに沿った形での関係者の「証言」によって作り上げられている感は否めない。患者の誤解にもつながるそのような図式化を招くに至った経緯については、内外への十分な説明を行ってこなかった医師の側にも責任がある。   2 当時の視点に基づく医療行為の比較衡量    前稿で私は、事実分析のために二つの手法、すなわち「医療行為の比較衡量」と「当時の視点での検証」の必要性を訴えたが、ここで、クリオ製剤と濃縮(非加熱)製剤との当時の視点における比較衡量を再現してみたい。  血友病A患者の血液中には、凝固第[因子が欠乏している。健常者のEQ 血漿(けっしょう)成分から取り出したクリオに第[因子が豊富に含まれており、この輸注が一般的になった時点(米国では1968年頃、日本では1972年頃)から、ようやく血友病の治療らしい治療が始まった。濃縮製剤は、このクリオを高純度に精製したものであり、米国では1970年代初期、日本では1979年から普及しはじめた。クリオは精製度が低いため夾雑タンパクを有し、第[因子レベルを十分に上げることは難しかったが、濃縮製剤は少量の輸注により、必要な第[因子レベルまで容易に到達させることができた。  本邦の訴訟では、血友病患者の日常の止血管理や手術がクリオによって可能であったか否かが争点の一つとなった。当然、一般的な関節内出血の止血──疼痛の緩和には有効だったし、大きな手術の成功例もあったであろう。しかしながら、後遺症を残さない程度に完全な関節内出血の止血や、手術時のより安全な止血管理を目指すとすれば、クリオと濃縮製剤との効力の差異は明らかだった。言うまでもなく、後の視点から見れば、ウイルス対策が不十分だった濃縮製剤は、感染症の危険性という大きな短所をはらんでいた。けれども、HIVの発見に先立つ当時は、(これも後の視点からみれば異論もあろうが)血友病患者にとって、ウイルス肝炎への感染に代表される感染症は、濃縮製剤の効果を第一義とする限り、受け入れざるを得ないリスクとも考えられていた(*1)。  よって、濃縮製剤は普及していった。米国における血友病A患者死亡例949例の分析では、死亡年齢の「中央値」は、クリオ製剤が主流の1968年には33歳であったが、濃縮製剤が主流となった1979年には55歳へと著しく変化した(*2)。英国でも、同様の現象が認められていた(*3)。こうして、1980年代初期には、出血は血友病患者の主要な死亡原因ではなくなった。また、平均余命の延長だけではなく、関節障害などの後遺症も少なくなり、外見的には健常人と変わらないほどの患者が増えた(*1)。日本においても、濃縮製剤による家庭治療が普及し、多くの患者の社会進出が促進された。濃縮製剤には、これらの実績が確実に存在したのである。  再び櫻井氏の著書に戻ると、そこでは、濃縮製剤が血友病患者に与えた恩恵は、全くといっていいほど無視されている。濃縮製剤とは、患者にはHIVを、そして医者・病院には経済的利益をもたらす代物に過ぎなかったかのようである。  また、広河氏の著書には、元血液製剤小委員会委員長・風間睦美氏の法廷での発言が収められている。「血友病治療をクリオ主体のものにすることはできない」という委員会の一致した結論の理由を尋ねられた風間氏は、「クリオと濃縮製剤を比べた場合の治療効果、安全性、そういうものを総合した最終的な製剤の有用性は、濃縮因子製剤が絶対優位である、そういう結論でございます」と答えている。  この「医療行為の比較衡量」を踏まえた見解に対して、広河氏は、「『国産製剤』と『輸入製剤』の『安全性』を比較検討すべきだったのに、『クリオ』と『濃縮製剤』の『有用性』を比較するという、問題のすりかえが行われたのである」と切って捨てている。「問題のすりかえ」は、いずれにありや。   3 和解所見への疑問    ジャーナリズムのみならず、本年3月に東京地裁が出した「和解勧告にあたっての所見」においても、「医療行為の比較衡量」の観点は全く見当たらない。「医師の勧めに従い、ひたすら有効な薬剤であると信じて投与を受けた非加熱濃縮製剤」とするだけで、治療方法の効果には触れず、「代替血液製剤(クリオ製剤や輸入加熱製剤など)確保のための緊急措置」「米国由来の原料血漿による非加熱製剤の販売の一時停止」等の措置が期待されたとしている。  この文脈には、濃縮製剤の出現が血友病患者の平均余命を延長させ、QOLを著明に向上させたという比較衡量のための分銅はカケラもない(なお、大阪地裁の和解所見では、そのような各論を裁断することは避けられており、「英知を集め救済の手を差し伸べなければならない。そしてその時は、今をおいて外にはない」と救済の緊急性・必要性が的確に強調されている)。  米国では、1984年に次のような事例があった。ある血友病専門医は、患者に対して、可能な限り濃縮製剤の使用を控えるように指示していた。そして、一人の10代の血友病患者が、自宅で偶然頭部を打撲したが、濃縮製剤の投与を控えたために頭蓋内出血で死亡した。結果、主治医は「濃縮製剤の使用を控えるように告げることは、総ての血友病患者にとって壊滅的なことだ」と考えを変えるに至る(*1)。  また、東京地裁の和解所見では、クリオ製剤や輸入加熱製剤の供給に限界があった1983年当時について、非加熱製剤販売停止によるリスクの分銅は全く考慮されず、後年の知見によって示されたHIV感染のリスクの分銅のみが用意されていることにも同意しがたい(当時のクリオ製剤への転換について、「いかようにもいたしました」との日赤関係者の一言をもって“実現可能”だったと定義するのは、あまりにも乱暴かつ非現実的である)。  なお、本論からは外れるが、血友病患者は「何らの落ち度もないのに」HIVに感染してしまったという和解所見の表現は、まさに同所見自身の「社会一般にエイズについての無理解と強い偏見が根強く存在する」との危惧を助長する。「何らの落ち度もないのに」という言葉は、血友病被害者については事実としても、一方、性交渉等を原因とする他のHIV感染者には「落ち度」があるかのような物言いとなり、彼らに対する偏見をまさに拡大しかねない。このような偏見こそ、引いては、「血友病HIV感染者は診察するが、それ以外の感染者は“自業自得”なのだから診ない」というような一部医療機関による部分的医療拒否の原因となっているのである。   4 メディアとジャーナリストの功罪    メディアとジャーナリストが和解成立のための世論形成に果たした「功」の部分は、たしかに大きい。従来の厚生行政に疑問を投げかけ、血友病HIV感染者に対する経済的支援の実現に力を貸した。しかしながら、同時に多くの不手際による「罪」の部分もあり、その自己検証はほとんどなされていない。  1982年7月20日付毎日新聞の「『免疫性』壊す奇病、米で広がる」との最初の新聞報道以来、各紙は、「AIDS国内上陸の疑い」(1983年7月12日付朝日新聞)、「真正エイズと認定せず、日本は患者ゼロ」(同年7月19日付毎日新聞)、「類似二例は“シロ”」(同日付読売新聞)などと、後のエイズ・パニック報道の布石とも考えられるような社会防衛的な報道に終始した。その一方、「国内献血による濃縮製剤生産のための国内企業への委託、加熱製剤承認の簡略化」など、血友病患者にとって本当に重要だったはずの治療の選択肢に関する議論を展開することはなかった。  1987年には、前年の「松本事件」を踏まえて、エイズ・パニック報道が沸騰する。当時、厚生省は、エイズに対して無為無策ではないことの「アリバイ作り」のごときエイズ予防法制定を目指しており、マスコミ対策を中心に周到な準備をしていた。  1月17日の厚生省エイズサーベランス委員会は、エイズに罹患した女性が神戸市内の病院に入院中と発表。各紙は、このニュースを極めてセンセーショナルにこぞって報道した。「エイズ、初の女性患者──神戸で売春の独身29歳」(1月18日付毎日新聞)、「初の日本女性エイズ患者──100人以上と交渉」(同日付読売新聞)、いわゆる「神戸事件」の始まりである。3日後に女性は死亡、「エイズの女性死ぬ──感染経路は不明に」(1月21日付朝日新聞)と報じられる。その2日後、兵庫県知事は、現在のエイズ予防法の骨格を含む「後天性免疫不全症候群(エイズ)対策に関する緊急要望」を厚生大臣に提出した。  この時期、女性セブン(小学館)は女性の実名、顔写真、中学時代の写真、家庭の様子などを掲載(後に遺族が起こした人権侵害を訴える裁判において、同誌側は、「エイズ患者が誰かという公共の利害に関わる事実を報道した」と反論する)。フォーカス(新潮社)やフラッシュ(光文社)は、通夜の席に紛れ、遺影を盗み撮りして公表した。  2月3日には、法務大臣がエイズを法定伝染病とするよう厚生大臣に要請。2月17日には、「エイズ感染主婦、来月出産(高知)──拡大、エイズ禍」(毎日新聞)、「四国の主婦、中絶ならず」(朝日新聞)として、「高知事件」がメディアを賑わせる。また、「エイズ、看護婦も感染(高知)──男性と交際、今も勤務」(2月19日付読売新聞)と感染者のプライバシーが第一面で暴かれた。こうして、厚生省とメディアとの連携に基づき、病者のプライバシーが次々と切り売り、暴露されることによって、エイズ予防法制定へと世論は誘導された。  一方、この百害あって一利ないザル法に対して、反対の声を上げた人々も少なくない。日本輸血学会、小児科学会、衛生学会などは、学術的見地に立っての反対声明を出した。また、朝日新聞の『論壇』では、故・石田氏が感染者の立場から危機感を表明。都立駒込病院の根岸昌功医師も、「感染者を規制、排除するような法律で、この疾患の拡大は防止できないことを認識すべきである」との警告を発した(実際、予防法の法案が報道されはじめた時点で、既に受診者は著明に減少し、患者は潜在化する傾向となった)。  けれども、マス・メディアは、これらの警告を広め、予防法の問題点を追及する努力を怠り、結果、エイズ予防法は反対を押し切って成立。臨床現場は、魔女狩りのようなマスコミの論調にさらされ、周囲の医療従事者の理解さえ得られない状況の下でのHIV診療を余儀なくされた。  1989年5月、大阪HIV薬害訴訟が提起。故・石田氏にとっては、「血友病=エイズという図式が報道されることにより、血友病患者への偏見・差別が助長されるのではないか」と悩んだ末の結論であった。同年10月には、東京HIV薬害訴訟も提起。その後、原告を支援すべく、熱心なジャーナリストたちが事態の分析、責任の追及に携わってきたが、世論の喚起を第一義的とするあまり、惜しむらくは、その大半に前述の通り「医療行為の比較衡量」と「当時の視点での検証」が欠けていた。このため、せっかくの作業が、本来あるべき「真相究明」に達せず、また、事実関係の誤り──時に恣意的とも思われる誤り──も多い。   おわりに    目下、日本では、いわゆる「薬害エイズ」の主要原因を『医』・『官』・『産』三者の癒着構造に帰する報道がほぼ定着している。しかし、このような単純化・図式化された「真相」によってHIV被害の全体像の解明とするのは、そもそも被害者となった血友病患者にとっても、真に有益な結果ではありえない。  米国では、14人の委員による「輸血及び血液製剤によるHIV感染研究委員会」が組織され、約2年の歳月をかけ、1995年に「HIVと血液供給──危機時の意思決定の分析」と題する報告書を発刊した。同書は、当時の論文や700件以上の資料および76人の専門家への取材などにより、政府機関、民間機関、製薬会社、医師、患者会などの情報、行動、責任、それらの背景などを細密に検証している。これにより、今後血液供給が直面する問題に対して、より良い公衆衛生対策がとられるものと期待されている。  日本においても、このような検証作業を実現し、被害者はもちろん、将来の医療全般にも少しでも益する結果を導き出すべく議論を続けていかねばならないと考える。 ■参考文献 National Academy of Science :HIV and the blood supply.  National Academy Press, 1995 Aronson DL :Am J Hematol 27 :7,1988 Rizza CR Sponcer RJD :Br Med J 280; 929, 1983 再録にあたって 北村健太郎 (立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー)  第1章、第2章には、西田恭治・福武勝幸「輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察」『日本医事新報』1996年8月31日No.3775(pp.53-55)、西田恭治「輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察(承前)──ジャーナリズムおよび和解所見の功罪」『日本医事新報』1997年3月8日No.3802(pp.57-60)を再録した。1996年3月29日に「薬害HIV訴訟」が和解した直後に、医療者の立場から非加熱輸入血液製剤を媒介としたHIV感染について論じている。  これらの論文を再録する理由は、本報告書の母体となったシンポジウム「性同一性障害×患者の権利──現代医療の責任の範域」では、医療事故等に遭った本人や家族の発言が主であり、医療者の意見が少なかった。そこで、一概に比較はできないが、医療事故等における医療者の意見の一例として掲載することにした。  西田・福武論文は、医療行為を論じる際に考慮すべき二つの要点を提起する。 第一に、医療行為を考えるときに「医療行為の比較衡量」を用いることであり、第二に、医療行為の適否を判断するときは「現在(後年)の知識による過去の現象の判断」を避けることである。これらは、「薬害HIV訴訟」の訴訟戦略において「封印」された視座であった。なぜ医療者はこれらの視座から医療行為を決定するのか、なぜ訴訟戦略においてこれらの視座が「封印」されたのかは、ぜひ論文を直接読んでいただきたい。    医療事故等が明らかになるとき、その被害に遭った本人や家族に注目が集まる。その一方で、加害者とされる医療者の意見が顧みられることは少ない。医療者が意図的に医療事故を起こすことはまずあり得ない。医療者には医療者としての考えがあって、医療行為を行なっている。何も問題が起こらないときは、医療者の判断を吟味することなく「お任せ」にする場合も多々あるが、ひとたび問題が起これば医療者の決定を問い直すことになる。そのとき、あまりの身体的/精神的苦痛のために医療者の決定を全面的に否定することも少なくない。  しかし、医療とは不確実な営みである。「100%安全な医療」は存在し得ない。 私たちは、意識のどこかで「医療を受ければ問題が必ず解決する」「医療者が何とかしてくれる」と必要以上に思っていないだろうか。作家の大西赤人は、ウェブサイトのコラムで以下のようなたとえ話を紹介している。    知人の医師と『医療崩壊』〔小松秀樹の著書・引用者注〕について話していて、こんなふうなたとえ話になった。患者は、野球で言えば必ず“生存・健康”という勝ちゲームを確信し、味方プレーヤー(医療者)にその実現を期待している。しかも、その勝ちゲームは、限りなく完勝に近い形であるべきと信じている。即ち、完封どころか完全試合が当たり前、従って、たとえ1点でも取られたらプレーヤーに何かしらミスがあったからだと受け止め、その責任を追及すべきと考える。しかし、そもそも人間には寿命が備わっているのだから、究極的な意味での“勝利=永続的な生存と健康の維持”はあり得ない。つまり、生きている以上は、言わば最低でも毎イニング1点ずつを失なっているようなもので、放っておけば自然に9回を終えて敗戦=死亡を迎える。しかも、時には1回表から3点取られたり、7回表に一挙6点取られたりすることもある。医療とは、その必然的な負けゲームを闘いながら、懸命に同点にする、点差をつけられても何とか7回コールド・ゲームにはならないようにする、あわよくば同じ負けるにしても延長戦まで持ち込もうとするというようなものなのではないか……。    「医療は必然的な負けゲームである」という命題は、ある種の核心を突いている。この命題と、シンポジウムのテーマ「性同一性障害×患者の権利」との間に齟齬があるとすれば、それは私たちが考えるべき問題の在り処を示している。 ■参考ウェブサイト 大西赤人 2006「医療崩壊」(2006年9月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/colum324.htm 2008-04-30 第3章   C型肝炎特別措置法に引き裂かれる人たち    北村健太郎  (立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー)       1 議員立法に至るまでの経緯    「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第IX因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法」(以下、C型肝炎特別措置法)が、2008年1月8日に衆議院本会議で、1月11日に参議院本会議で可決成立した。本法の成立によって、いわゆる薬害C型肝炎訴訟は一定の決着をみた。しかし、本法が急ごしらえの法律であることは否めない。本稿の目的は、第一に、同法が1月7日に衆議院に提出されて11日に参議院で可決されるまでの経過を述べること。第二に、本法及び立法による訴訟終結の問題点を析出することである。なお、C型肝炎特別措置法、ひいては薬害C型肝炎訴訟の論点を考察するとき、「全員」「一律」「一括」「救済」「全面解決」「切り捨て」「線引き」等々、その含意の吟味が必要な用語が多数あるが、本稿では用語の吟味は保留しておく。  2007年11月7日、大阪高等裁判所(以下、大阪高裁)は薬害C型肝炎訴訟の和解勧告を行なった。これを受けた薬害C型肝炎原告団・弁護団は、薬害肝炎訴訟全国弁護団ホームページで「国は、薬害肝炎問題の全面解決を契機として、直ちに350万人のB・C型肝炎患者の治療費助成などの対策を踏み出すべき」という声明を発表。22日、薬害C型肝炎原告団・弁護団は大阪で緊急抗議集会を開催し、「薬害肝炎の全面解決のためには、全員救済、すなわち、血液製剤の種類や投与の時期によって、救済から切り捨てられる被害者を出すことは許されません」と強い決意を表明した。12月10日の総理政治決断要請行動では「薬害肝炎被害者の全員救済に向けて、今こそ総理大臣の正義にかなう政治決断が必要」と訴えた。15日、政府は13億円の基金で全員救済を図る和解案を提示するが、原告団・弁護団は拒否。20日、政府は30億円を基金とした和解修正案を大阪高裁に提出したが、原告団・弁護団が拒否し、和解協議は暗礁に乗り上げた。21日、大阪高裁は第二次和解案の検討に着手。23日、福田康夫総理大臣は、議員立法による「全員一律救済」を表明した。福田総理の意向を受けた自由民主党(以下、自民党)・公明党の肝炎対策プロジェクトチームは、議員立法の骨子策定に取り掛かった。28日、弁護団と与党プロジェクトチームの間で合意に達した。この時点では、原告団に本法案の趣旨説明はされていない。  後に、本法が「限定的な給付金の手続き法」であることが明らかになるが、2007年末の時点では「全員一律救済」という含みが多分にあった。これは合意に至るまでの過程で、「全員救済」という原告団・弁護団の主張がマスメディアによって喧伝された影響である。そのため、法案の内容をめぐって、年明けに多数の人たちが関わることになる。以下、1月7日の法案提出から1月11日の可決成立までの経過を述べる。   2 C型肝炎特別措置法案をめぐる長い一日    2008年1月7日、C型肝炎特別措置法案(衆法23号)が自民党の「谷垣禎一君外17名」の与党議員によって衆議院厚生労働委員会に提出された。  同日午後2時、「民主党B型・C型肝炎総合対策推進本部第24回会合」(以下、民主党肝炎対策本部)が開かれ、「与党提出肝炎被害者救済法案及び今後の肝炎対策についてヒアリング」が行われた。このヒアリングには、薬害C型肝炎訴訟原告の出田妙子と福田衣里子、日本肝臓病患者団体協議会(以下、日肝協)事務局長の高畠譲二、血友病や先天性フィブリノゲン欠乏症など先天性凝固異常症の患者10数名、血液製剤投与記録のカルテを持たないC型肝炎患者でつくる21世紀の会代表の尾上悦子が出席した。尾上は、民主党肝炎対策本部に対して、以下に示す「「薬害肝炎救済法」などについての要望書」を提出した。    1万人とも言われるフィブリノゲン製剤によるC型肝炎ウイルス性肝炎患者の期待の中、昨年12月28日、与党の「薬害肝炎救済法(骨子)」が公表され、今国会中に成立する見通となっています。  私どもは、薬害肝炎被害者の救済のための法整備を心から歓迎しています。成立する法は、血液製剤「フィブリノゲン」危険性を知らされることなく投与された者すべてに対し、命と健康の犠牲に対する保障と、今後の生活と治療を約束するものにしていただきたいと思っています。  昨年末の薬害肝炎訴訟の原告と政府・厚労省との和解へ向けた折衝、同法の議員立法成立への動きが報道される中、これまで感染に対する保障と治療をあきらめていた患者・家族の中には、同法に期待を高めると同時に、「投与を証明するカルテが入手できない」、「医療機関の協力が得られない」ことから、「裁判所で私は被害者として認定されるのだろうか」という不安も広まっています。  私ども、21世紀の会などの患者団体や薬害肝炎訴訟弁護団には、同様の相談が殺到していますし、現に「救済は約千人、救済されない被害者は1万人」との報道もあります。  「薬害肝炎救済法」案前文に記されたように、政府が「感染被害の方々に甚大な被害が生じ、その被害を防止し得なかったことについての責任を認め、感染被害者の方々に心からおわび」するのであるならば、その責任とおわびの心にふさわしく、フィブリノゲン製剤による感染被害者全員の救済が保障されなければなりません。  つきましては、薬害肝炎救済法に以下の内容が盛り込まれるよう、心からお願いするものです。  民主党として法に盛り込むようご努力いただきたいこと  1 裁判所による、「投与の事実」、「因果関係」、「症状」の認定に際しては、保存義務が5年とされているカルテの有無だけを元に判断するのではなく、手術記録、投薬指示書などのその他の書面や医師や看護師、薬剤師などによる投与事実の証明、また、本人や家族、第三者による記録、証言なども認定の根拠として認めること。  2 フィブリノゲン製剤の製薬企業と使用した医療機関に対し、被害者の申し立てを受けた場合、投与事実を証明する資料、証言の確保につくさなければならないことを、義務として明記すること。  3 フィブリノゲン製剤納入医療機関で治療を受けた患者の追跡調査を行う義務を明記すること。  4 被害者に最良の治療体制と、安心して暮らせる環境を保障する肝炎対策恒久法を早期に策定すること。    B型肝炎訴訟原告団代表の木村伸一は会合に出席できなかったため、ファクシミリでメッセージを寄せた。    昨年6月16日の最高裁判決により、B型肝炎患者の多くは国の行なった集団予防接種に因り感染をさせられた被害者であります。/にも関わらず、国の対応は薬害C型肝炎患者に限り、B型肝炎患者には関わる事を避け、我々からの訴えや申入れに対しても無視ともとれる対応しかされていません。/これは極めて異例、遺憾な対応です。/我々は現状を変えるべく、更なる集団予防接種が感染原因であるB型肝炎患者を集め、早急に提訴を行います。/厚生労働省、国は速かに我々に対する対応、対策に取組み、実現すべき義務、責任があり、又我々はそれらを受ける権利があります。/騒がれ無い状況を都合よく考え、関わる事を避け、逃げている厚生労働省、国の対応は非常識極まり無い、許され無い事です。/今正に肝臓癌と闘っている原告、患者や今はこの世に居ない原告や患者の方々に私は顔向けできません。  2008年1月7日  B型肝炎訴訟原告 木村伸一    午後3時、本訴訟弁護団から原告団へ本法案の趣旨説明がなされ、午後4時ごろ、本訴訟原告団の記者会見が行われた。それが終わった午後5時過ぎ、先天性凝固異常症の患者らが記者発表を行ない、河野洋平衆議院議長及び江田五月参議院議長に対して「「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第IX因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法」案に対する意見書」を提出したことを報告し、意見書の趣旨説明がなされた。以下、意見書の全文である。    このたび、いわゆる「薬害C型肝炎訴訟」の解決(全面和解)を目指し、表記法案が与党(自民党・公明党)によって議員立法され、野党各党も概ね賛意を表明する中、迅速な成立の見込みと伝えられております。本訴訟においては、フィブリノゲン製剤、第IX因子製剤をはじめとする血液製剤(血漿分画製剤)によるC型肝炎感染が焦点となっております。  私たちは、血友病、先天性フィブリノゲン欠乏症など先天性凝固異常症の患者として、本訴訟に直接容喙するところではありません。しかしながら、長年に渡り、今般問題となっている当該製剤及びそれに準じる製剤を凝固因子補充治療のために使用してきた者として、強い関心とともにその経緯を見守ってまいりました。  これらの血液製剤(血漿分画製剤)は、現在ではさまざまな対策の実行により安全の確保が図られておりますが、1975年以来、正式な政府の検討会等において、安全な献血による国内自給の実現が繰り返し求められていながら、よりリスクの高い買血プール血漿、あるいは輸入血漿が原料として使用されるなど、不十分な血液事業、血液行政によってもたらされた弊害により、多くの患者達は HIV、HCV、HBV等々の病原体に暴露・感染し、原疾患に加えての闘病を余儀なくされています。  しかるに、本法案においては、当該製剤投与によってC型肝炎に感染した人々が「感染被害者」──救済の対象とされてはいるものの、その被害範囲は「後天性の傷病に係る投与」によってC型肝炎に感染した者及びその遺族に「特定」されています。従来、私たちは、自らの血液製剤使用によるC型感染をいわゆる「被害」として訴え出てはおりませんが、このような法案の条文において、私たち先天性凝固異常症患者の感染事実を容認すべき当然の結果と位置づけるがごとき内容が規定されることは、由々しき事態と考えております。  少なくともこれまで、フィブリノゲン製剤によって HCVに感染した先天性無フィブリノゲン血症患者をはじめとする血友病類縁疾患患者63名、第IX因子製剤によって HCVに感染した血友病B患者443名、加えて、それらに準じる第VIII因子製剤によって HCVに感染したフォンウィルブランド病患者120名、同じく血友病A患者2042名の(投与の事実確認も容易な)存在は、明白かつ厳然たる事実です(※1)。これらの感染者をもとより排除するような法律の策定により、「薬害肝炎訴訟」をもって代表される肝炎問題の全面的解決とすることは、前文に述べられた「人道的観点から、早急に感染被害者の方々を投与の時期を問わず一律に救済する」との目的とは著しく離反しており、法の下における公平性にも悖るものであります。また、同時に、これまでの行政と患者との関係性をも大きく覆す内容であり、私たちとして、到底看過し得るところではありません。  「薬害C型肝炎訴訟」の解決を目指すために迅速な成立が期待される法律であるとはいえ、併せて、先天性凝固異常症の患者の存在・尊厳を踏みにじるにも等しい内容の法律となるような事態は、絶対に避けられなければなりません。「国民病」「医原病」とも呼ばれる肝炎と闘うあらゆる人々に対する分け隔てのない手厚い支援の招来をも期すべく、本法案の審議に当たりましては、血液製剤等々による総てのC型肝炎感染者に対する実質的な救済及び支援を国民に約束する国会決議の実行などの対応を強く要望致します。  以上    ※1 血液凝固異常症全国調査運営委員会による「血液凝固異常症全国調査」平成18年度報告書から(生存者のみ)    この先天性凝固異常症の患者たちの記者発表を境に、「全面解決」「全員救済」一辺倒だったマスメディアの論調が微妙に変化する。そして、本法で「救済」されない人たちがいることが報道され始めた。   3 両院の厚生労働委員会の質疑及び決議    1月8日、午前8時30分から衆議院厚生労働委員会が開かれた。次第は、法案の趣旨説明、参考人意見陳述、参考人に対する質疑、法案提出者及び政府に対する質疑。出席した参考人は、薬害肝炎全国原告団代表の山口美智子、日肝協事務局長の高畠、B型肝炎原告団代表の木村、京都ヘモフィリア友の会(以下、洛友会)会長の佐野竜介の4名である。  4人への質疑の後、法案は提案者の与党議員が法案を撤回し、衆議院厚生労働委員長の茂木敏光(自民党)による委員長提案となった。先天性凝固異常症の患者たちが意見書で指摘した与党議員法案の「後天性の傷病に係る投与」は、委員長提案では「獲得性の傷病に係る投与」に差し替えられた。この文言の変更は、先天性凝固異常症の患者たちの追及をかわそうという意図からと思われる。文言の相違があっても、同義であることに違いはない。その後、全会一致で可決された。その際、衆議院厚生労働委員会において「ウイルス性肝炎問題の全面解決に関する件」という付帯決議がなされた。    特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第IX因子製剤によるC型肝炎ウイルスの感染という薬害事件は、多くの被害者を生んだが、これ以外の要因によるウイルス性肝炎感染者も多数おり、それらの方々は症状の重篤化に対する不安を抱えながら生活を営んでいる。このような状況を踏まえ、政府は、「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第IX因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法」の施行及び今後の肝炎対策の実施に当たり、次の事項について適切な措置を講ずるべきである。  一 「投与の事実」、「因果関係」及び「症状」の認否に当たっては、カルテのみを根拠とすることなく、手術記録、投薬指示書等の書面又は医師、看護師、薬剤師等による投与事実の証明又は本人、家族等による記録、証言等も考慮すること。  二 法律の施行の日から五年に限られている給付金の支給の請求については、施行後における請求状況を勘案し、必要があると認めるときは、その期限の延長を検討すること。  三 約三百五十万人と推計されているウイルス性肝炎患者・感染者が最良の治療体制と安心して暮らせる環境を確保するため、医療費助成措置等の早期実現を図ること。  四 先天性の傷病の治療に際して血液製剤を投与されウイルス性肝炎に感染した者への必要な措置について、早急に検討すること。  五 特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第IX因子製剤以外の血液製剤の投与によるウイルス性肝炎の症例報告等を調査し、その結果を踏まえて受診勧奨等必要な措置について、早急に検討すること。  右決議する。    法案は同日午後の衆議院本会議に送付され、全会一致で可決成立した。その日のうちに茂木を提出者として、参議院に送付された。  1月10日、午前10時から参議院厚生労働委員会が開かれた。次第は、衆議院と同様である。出席した参考人は、薬害肝炎原告団代表の山口、長野赤十字病院院長の清澤研道、B型肝炎原告団代表の木村、洛友会会長の佐野の4名である。木村は、委員会質疑にあたって「「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第IX因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法」案に対する意見」を作成した。    B型肝炎患者については、ご承知のように、2006年6月16日、最高裁判決において、B型肝炎感染に関して、集団予防接種における国の責任を明確に認めました。  しかし、私たちは、判決後、厚生労働大臣と直接面談を求め、国として、謝罪していただくこと。また全国のB型肝炎患者の救済を求めて、数回にわたって、厚生労働省健康局との交渉を重ねてきましたが、未だ厚生労働大臣との面談は実現していません。しかもその都度の厚生労働省の回答は、国の責任は5名の原告のみにかかわるもので、それ以外は関知しないとい〔ママ〕ものです。  最高裁判決が指摘した過去の予防接種行政に対する過ちについて、その後の諸対策は示されたのでしょうか。是非、大臣に直接面談しお話しをさせていただきたい。  今、全国に約350万人いると思われるB型・C型ウイルス肝炎患者のその多くは、国の杜撰な医療行政の犠牲者であると推定されます。先進国にまれな大量のウイルス性肝炎患者を生んだ責任が国にある以上、国は患者救済のための政策を施行することは当然であります。  しかし、今回の法律案は、特定の血液製剤によるC型肝炎感染を薬害とし、特定の感染被害者とその遺族への救済法となっています。これではウイルス性肝炎被害のすべてを対象とするものにはなっておりません。  是非、今国会で審議されている与野党の「肝炎法案」の審議を進めていただきたいと考えます。インターフェロンが適応にならない患者も多数存在するなか、他の治療薬や治療法も含め、すべてのB型・C型感染患者に対する医療費助成及び肝炎総合対策の推進を切にお願いする次第です。    4人目の参考人に立った佐野は、以下のような意見陳述をした。    裁判の和解とは、いったいどんなものでしょうか。「当事者間に存在する法律関係の争いについて、互いに譲歩し、争いを止めることである」と定義されているようです。薬害肝炎訴訟において、このような「和解」を目指し、今回この法案が提案されたと理解しております。ところが、この法案の条項には、この訴訟の全く当事者でない者が、なぜか極めて不利益を被る内容が含まれています。  当事者でないものとは、私たちです。  法案の前文には「フィブリノゲン製剤及び血液凝固第IX因子製剤を投与されたことで、C型肝炎ウイルスに感染するという薬害事件が発生し」とあります。しかし、条文では「獲得性の傷病に限る」とされています。  これは裏返しますと、先天性疾患の患者は、今回の原告の方と同じ製剤を使い、同じようにウイルスに感染し、同じように苦しんできたのにも関わらず、その感染被害を甘んじて受け入れるべきである、つまり薬害ではないと否定されてしまうことになるのです。血友病Aとフォン・ヴィルブラント病の治療に使われる第VIII因子製剤も、条文にないのですから、同じ扱いになります。  私たちは、自分たちの感染被害が薬害であると、そもそもまだ世に問うておりません。  私たちは常に血液の問題にさらされており、とりわけHIV感染禍があったなかで、C型肝炎の被害問題に立ち向かうことは、色々な意味で極めて難しい状況であります。また、先天性無フィブリノゲン血症の患者は、HIV感染はなかったようですが、患者数が全国で50名弱と極めて少数、しかもその7割近くが女性、組織的活動もできず、孤立している状態です。  このような中、声も上げられないのに、「お前たちのは薬害ではない」と宣告する、これは何とも不条理です。後ろから包丁で見ず知らずの人間から突然刺されるような、もっと正確な例えをすれば、戦場にまだ出ていないのに、流れ弾が雨あられと飛んでくるような、そんな想いがいたします。  また、今回の法案をめぐって、「救済」という言葉が山のように使われました。「一律一括救済」とも言われました。その結果、その意味が訴訟を経た損害賠償としての「救済」なのか、医療費の公的助成としての「救済」なのか、そしてその対象が誰なのか、全くはっきりしなくなったのではないかと感じられます。  もし、今回語られる「救済」「一括救済」が前者の「訴訟を経た賠償」であれば、今回の法案の対象は限定的なので、全ての肝炎患者は次々に提訴せよ、ということになってしまいます。まさかそんな勧めを皆様がされているのではないと思います。  つまり、今回の法案が出てきたことで、全体の肝炎対策としては、極めてバランスが悪くなってしまうのです。  何が原因で感染したかに関わらず、深刻な病状に苦しむ患者の立場に違いはありません。賠償としての給付金が出ない患者さんについて、どのように救済しようというのか、それをお示しいただくことが必要と存じます。また、その場合、肝硬変、肝がんへという病状の進行への配慮も必要だと思います。  参議院は「良識の府」といわれます。委員の皆様方には慎重な上にも慎重なご審議をお願いしたいと存じます。    4人への質疑が終わった後、全会一致で可決された。そして、C型肝炎特別措置法案と別個に、委員会決議として「肝炎対策における総合的施策の推進に関する決議」が全会一致で決議された。    我が国では、国民があまねく近代的な医療の恩恵を享受し得るよう社会環境の整備が進められ、これまで先端技術に基づく医薬品・医療機器によって多くの患者の生命が救われ、また予後の改善がもたらされてきた。  その一方で、サリドマイド、スモン、薬害HIV感染、医原性クロイツフェルト・ヤコブ病感染という医薬品・医療機器による悲惨な事件も経験し、そのたびに薬害根絶及び被害防止が訴えられ、これを受けて感染症予防医療法をはじめ諸施策が実施されてきた。それにもかかわらず、B型肝炎ウイルス感染・C型肝炎ウイルス感染という重大な事件に直面することになった。多数のウイルス性肝炎患者・感染者は、多様な症状に苦しみあるいは症状の重篤化に対する不安を抱えながらの生活を余儀なくされている。  我々は、血液製剤フィブリノゲン等により、C型肝炎ウイルスに感染した被害者やその家族の肉体的・精神的苦痛を取り除くために、一日も早く対応策を講ずるとともに、これらを含めたウイルス性肝炎患者・感染者の健康回復等の対策に最善の努力を行う必要があると考える。  今般、いわゆる薬害C型肝炎訴訟については、「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第IX因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法」を制定することによって一応の解決をみることができるが、これはウイルス性肝炎被害のすべてを対象にするものではなく、本法の施行によって肝炎問題が終了するわけではない。  政府においては、これまでの薬事行政の反省に立って、速やかに次の事項について措置を講ずるべきである。  一、薬害C型肝炎訴訟の全面解決に向け、血液製剤に起因するウイルス性肝炎患者・感染者を含め、すべてのウイルス性肝炎患者等に対する総合的な肝炎対策に政府を挙げて取り組むこと。  二、過去における血液製剤に対する調査を速やかに実施するとともに、投与事実の証明に関するカルテその他の記録確保等のために必要な措置を実施すること。  三、肝炎ウイルス検査の質の向上と普及を促進するとともに、肝炎医療に係る専門知識・技能を有する医師等の育成及び専門的な肝炎医療を提供する医療機関の整備・拡充を図ること。  四、約三百五十万人と推計されているウイルス性肝炎患者・感染者が最良の治療体制と安心して暮らせる環境を確保するため、医療費助成等の早期実現を図ること。  五、肝炎に関する治療方法の充実・普及を図るとともに、治療薬等の研究開発の促進を図ること。  六、独立行政法人医薬品医療機器総合機構の体制の点検を行い、健康被害救済、審査、安全対策等のための整備・強化に努めること。  七、特別措置法の施行の日から五年に限られている給付金の支給の請求については、施行後における請求状況を勘案し、必要があると認めるときは、その期限の延長を検討すること。  八、先天性の傷病の治療に際して血液製剤を投与されウイルス性肝炎に感染した者への必要な措置について、早急に検討すること。  九、特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第IX因子製剤以外の血液製剤の投与によるウイルス性肝炎の症例報告等を調査し、その結果を踏まえて受診勧奨等必要な措置について、早急に検討すること。  十、肝炎に関する総合的な対策を推進するため、早急に「肝炎対策推進協議会」(仮称)を設立すること。  右決議する。    1月11日、午前10時から参議院本会議が開かれて、C型肝炎特別措置法案が審議され、全会一致で可決成立した。   4 C型肝炎特別措置法の問題点    C型肝炎特別措置法は成立したが、多くの問題点を内包している。第一に、本法前文と本文の甚だしい乖離がある。これは先天性凝固異常症の患者たちの意見書でも指摘された。まず、本法前文をすべて引用する。    フィブリノゲン製剤及び血液凝固第IX因子製剤にC型肝炎ウイルスが混入し、多くの方々が感染するという薬害事件が起き、感染被害者及びその遺族の方々は、長期にわたり、肉体的、精神的苦痛を強いられている。  政府は、感染被害者の方々に甚大な被害が生じ、その被害の拡大を防止し得なかったことについての責任を認め、感染被害者及びその遺族の方々に心からおわびすべきである。さらに、今回の事件の反省を踏まえ、命の尊さを再認識し、医薬品による健康被害の再発防止に最善かつ最大の努力をしなければならない。  もとより、医薬品を供給する企業には、製品の安全性の確保等について最善の努力を尽くす責任があり、本件においては、そのような企業の責任が問われるものである。  C型肝炎ウイルスの感染被害を受けた方々からフィブリノゲン製剤及び血液凝固第IX因子製剤の製造等を行った企業及び国に対し、損害賠償を求める訴訟が提起されたが、これまでの五つの地方裁判所の判決においては、企業及び国が責任を負うべき期間等について判断が分かれ、現行法制の下で法的責任の存否を争う訴訟による解決を図ろうとすれば、さらに長期間を要することが見込まれている。  一般に、血液製剤は適切に使用されれば人命を救うために不可欠の製剤であるが、フィブリノゲン製剤及び血液凝固第\因子製剤によってC型肝炎ウイルスに感染した方々が、日々、症状の重篤化に対する不安を抱えながら生活を営んでいるという困難な状況に思いをいたすと、我らは、人道的観点から、早急に感染被害者の方々を投与の時期を問わず一律に救済しなければならないと考える。しかしながら、現行法制の下でこれらの製剤による感染被害者の方々の一律救済の要請にこたえるには、司法上も行政上も限界があることから、立法による解決を図ることとし、この法律を制定する。    本法前文は「フィブリノゲン製剤及び血液凝固第IX因子製剤によってC型肝炎ウイルスに感染した方々が、日々、症状の重篤化に対する不安を抱えながら生活を営んでいるという困難な状況に思いをいたすと、我らは、人道的観点から、早急に感染被害者の方々を投与の時期を問わず一律に救済しなければならない」という普遍的な内容になっている。しかし、本法本文冒頭を読むだけで「限定的な給付金の手続き法」であることが分かる。    (趣旨)  第一条 この法律は、特定C型肝炎ウイルス感染者及びその相続人に対する給付金の支給に関し必要な事項を定めるものとする。  (定義)  第二条 この法律において「特定フィブリノゲン製剤」とは、乾燥人フィブリノゲンのみを有効成分とする製剤であって、次に掲げるものをいう。(中略)  2 この法律において「特定血液凝固第IX因子製剤」とは、乾燥人血液凝固第\因子複合体を有効成分とする製剤であって、次に掲げるものをいう。(中略)  3 この法律において「特定C型肝炎ウイルス感染者」とは、特定フィブリノゲン製剤又は特定血液凝固第IX因子製剤の投与(獲得性の傷病に係る投与に限る。第五条第二号において同じ。)を受けたことによってC型肝炎ウイルスに感染した者及びその者の胎内又は産道においてC型肝炎ウイルスに感染した者をいう。    2007年末の時点では「全面解決」「全員救済」などが新聞紙上の見出しになり、空疎な文言だけが一人歩きした。「限定的な給付金の手続き法」が明確に伝えられなかったために、21世紀の会代表の尾上のところに全国各地から問い合わせが殺到したという。民主党第24回会合に、原告以外の多数の人たちが詰め掛けたのも、同様の理由である。  第二に、三権分立の問題がある。本法前文の結語では「感染被害者の方々の一律救済の要請にこたえるには、司法上も行政上も限界があることから、立法による解決を図る」と述べている。しかし他方で、本法前文に「政府は、感染被害者の方々に甚大な被害が生じ、その被害の拡大を防止し得なかったことについての責任を認め、感染被害者及びその遺族の方々に心からおわびすべき」と明記した。「責任」の認否や「おわび」は、司法で決着すべき事柄であり、それらを法律前文の中に「ねじ込んだ」と指摘せざるを得ない。「法律専門家」を自負する自民党の早川忠孝は、本法前文と本文の乖離を含む問題点を指摘している。    国会議員は決して文字が読めなかったり、物が分からない人間ではないから、法案の問題点を挙げ始めると議論が噴出し、きりがなくなる。  はじめて昨日の厚生労働部会で法案3点セットを見せられ、短時間であるが検討した結果、いくつか疑問点が出てきた。/しかし、この段階でいかにも法律家らしい観点からの問題提起をしてしまえば、今日中に与野党の協議を終えて国会に提出したい、という関係者の努力に水を注す結果になる。  ここは、法律専門家としての見解を表明するよりも、政治家としてのセンスを示すとき。/そう思って、法案の曖昧な部分や表現の問題点について疑問を封印し、賛成の討論をすることにした。(中略)  法律案の要綱に明記されている部分は、80点は与えられるであろう。/しかし、別紙として別に記された前文は、どう見ても法制局の文章ではない。  制度の根幹に関わるものではないから、その文章は政治家の皆さんでお決めください、そんなやりとりがあり、原告団に丸投げしたのがこの部分ではなかったか、そんなことを推測させるような書き振りである。    前文を「原告団に丸投げ」したのかは定かではない。しかし、早川がそのような憶測をするほど、前文と本文の乖離が大きいのである。  第三に、平等・公平の問題がある。本訴訟が司法で、原告団・弁護団と政府・製薬企業との間で決着していれば、日肝協、21世紀の会、B型肝炎原告団、先天性凝固異常症の患者代表が意見を言う権利はなかった。しかし、本法前文で肝炎患者全員を含むような普遍的な内容を謳い、本文で本訴訟原告に限定する二重構造であるために、それぞれの立場から意見を言う必要が生じた。特に、先天性凝固異常症の患者たちは「先天性凝固異常症の患者の存在・尊厳を踏みにじるにも等しい」法律だと強い懸念を表明した。また、難病患者や医療従事者から、公平な医療政策の観点から著しくバランスを欠くのではないかと疑義が表明されている。たとえば、ハンドルネームkazmaximumは、本法成立以前の2007年12月24日時点で、自身のブログに「薬害訴訟について、難病認定患者を持つ家族からの雑感」というエントリを書いた。kazmaximumは、「難病認定を受けた家族を持つ者の一視点から書きます」と断った上で以下のように言う。    最近、C型薬害肝炎訴訟の問題が大きく動き出している。ニュースで原告の人たちの顔を見ない日はないといったぐらいに。そして、自分たちの考えをメディアに訴えている姿を見ると、「この人たちは、確かに自分たちのせいではなくC型肝炎にかかってしまい、大変お気の毒だ。しかし、こうやってメディアに取り上げられ、司法の判断をそっちのけにして政治判断を迫り、政府がそのように動き、立法措置が何らかの形で取られるのは、幸せな方だ……。」と自分の妻の姿を見ると、そう思ってしまう(ひがみ意識もあるでしょう。否定しません。)自分の妻は、難病指定されている特定疾患の膠原病(SLE)を中学2年生の時から患っている。今は、その薬(ステロイド)の副作用で、骨粗鬆症から背骨を3か所圧迫骨折しており、痛むに堪え、いや、それよりも普通の母親ができる「娘を抱きかかえること」もできない辛さにも耐えている。同じような病気による辛さを抱えている人はたくさんいるだろう。そういう人たちは、あの人たちが立法措置で「一律救済」されそうなことを聴いて、どう思っているのだろう…。特定疾患者の医療費の救済は年々少なくなってきている。膠原病だけではなく、その他の難病認定者の医療費もそうだろう。「国の責任」で病気になったかならなかったのかの違いはあるが、「なりたくてなったわけではないこと」は同じである。それなのに、辛い思いは同じであるのにも関わらず、C型肝炎患者は「救済への道」が少しでも開けてきたのに、自分の妻のような「特定疾患」患者には明るい未来が見えないのはどういうことなのだろう……。国の予算は有限だ。救済できる・援助できる患者の数は限られている。もしかすると、「自分の考えは穿った見方」なのかもしれないが、C型肝炎患者の人たちに救済のお金が行けば、特定患者への援助は少なくなる・遅れるかも知れない……。妻や同じ思いをしている人たちはどう思っているのか……。メディアでは、今、旬の問題しか扱わない。辛い思いをしている患者はいっぱいいる。あえて言えば、あの原告の人たちは「C型肝炎の自分たちが救済されれば、それでよい」と考えているのか。メディアで号泣すれば、自分の妻たちのような人たちは国に助けてもらえるのか……。泣けば、司法の判断も無視して、首相が政治決断してくれるというのか……。特定疾患患者を家族に持つ自分としては、そういう見方しかできない。これは、そういう立場でない人には分からないのかも知れない。「何、考えているんだよ」と。でも、C型肝炎の原告の人たちには頭のどこかに入れておいて欲しい。「あなた方の救済はあなた方にとっては勝利だろう。でも、その結果、他の特定疾患を代表とする『自分のせいで病気になったわけではない』人たちの救済は遅れる、または不可能になるかもしれない」ことを。原告団はそのような「十字架」を背負っていることを忘れないで、活動して欲しい。  反論はたくさんあるかもしれません(その前に、このブログを見る人がそんなに多いとは思いませんが)。けれど、助けてもらいたい患者はたくさんいます。限られた予算の中で、救済・補償費を獲得するある種の「ゲーム」(言葉は悪いですが)に、自分の妻のような特定疾患者は「負け続けている」のです……。大きいニュースに隠されている小さな事実にも目を向けてあげて下さい。    Kazmaximumの「救済・補償費を獲得するある種の「ゲーム」」という指摘は、部分的に当たっている。原告団が国・製薬企業が責任を認めて詫びてほしいと願っている一方で、弁護団は決して無報酬のボランティアではないから、これまでの「活動資金」「弁護士報酬」の回収をしなければならない。そのためには、原告団の求める「責任」「お詫び」の徹底追及をある程度で収め、和解金を勝ち取る必要がある。和解協議が決裂した後、代案として出された苦肉の策がC型肝炎特別措置法なのである。   5 議員立法という「奇策」    薬害C型肝炎訴訟は、議員立法という「奇策」によって終結を迎えたが、訴訟終結のあり方という観点から、問題点を指摘する。  第一に、当然のことながら、訴訟は司法での争いであるから、あくまでも司法で決着をつけるべきである。行政が手詰まり云々と言って、解決を立法に丸投げすることは「奇策」であり、本来の訴訟終結のあり方ではない。与謝野馨前官房長官が議員立法による訴訟終結を主導したと報道されている。これを、朝日新聞社コラムニストの早野透は「自民党という政党の意外な懐の深さ」、毎日新聞専門編集委員の山田孝男は「袋小路の政治を救った」と評した。しかし、本当に懐が深いならば、司法で決着をつけるべく、もっと知恵を絞って手を尽くしたはずである。前出の早川は自民党議員であるが、「法律専門家」の自負から「救済法案はそうそう簡単には成立しない代物」「このような手法がいつも通用していいはずがない」と本法成立の異常性を明言する。    実に不思議だ。/昨日の厚生労働部会で議員立法にかかる薬害C型肝炎被害者救済法案を承認したと思ったら、もう今日の衆議院本会議で採決するという運びになった。  何たる早業、何たる荒業。/こんなことができるなどとは、つい1ヶ月前までは想像もできなかった。  民主党の山岡国対委員長は、与党の提案に対して、原告の皆さんがそれでいいということでしたら、民主党として法案に反対致しません、と述べている。  それだったら与野党の共同提案に持っていったら良さそうなものだが、「連立を組んでいるわけではないから、立案作業は与党の責任でやってください。いいものだったら賛成します。」とのスタンス。/なんとまあ、おおらかなこと。/なんとまあ、無責任なこと。/これは、原告団に判断を丸投げ、ということだ。  しかし、こんなにもおおらかに対応されると、細かいことに目くじら立てて法案の細部についての検討などする気も失せてくる。/皆がそれでいいと言っているから、まあ、これでいいか。(中略)細部に拘ればこの救済法案はそうそう簡単には成立しない代物である。/とにかく、大変な法律がこの臨時国会で成立することになった。(中略)  しかし、このような手法がいつも通用していいはずがない。  これでは、立法府の国会議員は法律案の審議権を放棄しているようなもの。/単に一部の幹部で決めた方針を役人が内心の疑問を封印しながら条文化し、国会議員はその法律案に対して賛成の投票をするだけの単なる投票マシーンに成り下がる、ということである。(中略)  どうやら深いところで与野党の協議のルールができ上がったようだ。/そうでなければ、この異常なほどスムーズな法案策定のスケジュールは理解できない。    このような「奇策」は後に様々な禍根を残すことが強く危惧される。決して繰り返してはならない。前出のKazmaximumのブログのコメント欄に、ハンドルネームLTが医療関係者の立場として、2007年12月25日に「辛口ですが」と題して、懸念される問題を列挙している。    医療関係者です。(肝臓や膠原病に詳しいわけではありませんが。)奥様や薬害肝炎の方には、今後よりよい治療とよい経過が得られることを願っています。/その上で辛口のコメントになるかも知れませんが、こういう見方もあるということで書かせてください。  1 和解案のように線引きは仕方がない。なぜならば、その時代に不明だったことまで現代の常識で責任追及をしてはいけない。(不遡及の原則)  2 マスコミの問題。放送法第3条にあるように議論のある問題については両者の言い分を公平に出す必要がある。いつものように原告=被害者=善としており、片方の言い分を垂れ流している。  3 財源の問題。これを皮切りにC型、B型肝炎など次々と出てくるかもしれません。その時に情に流されたこのような結果があると認めざる得なくなります。  4 医療費削減を含めて医療崩壊が進行している中で、他の医療に対する財源的しわ寄せが顕著になる恐れがあります。膠原病も含めてそうではないでしょうか。  5 薬の問題。今後さらに国が新薬を認めるのに躊躇するようになる恐れがあります。  ちょっと考えただけでもこれだけの問題はあるように思います。日本の医療、そして将来の患者さんにとって不利益が生じる恐れのほうが強いように思えます。単に「お気の毒だから国が補償すべき」という考えで良いのでしょうか? そういったことをマスコミは国民に議論を呼びかける必要があると思うのですが、現実のマスコミの状況は嘆かわしいばかりです。長文失礼致しました。    第二に、マスメディア報道の問題がある。マスメディアは、原告団・弁護団追従の報道を繰り返し、本訴訟の多面的分析や検証を怠った。本法で問題が生じた場合、マスメディアは議員立法を出さざるを得ない状況に政府を追い込んだ一端があることを免れない。司法において「原告以外」を含む「全員救済」は不可能である。「全員救済」はマスメディア向けのパフォーマンスに過ぎない。にもかかわらず、マスメディアは原告団・弁護団のパフォーマンスを真に受けた報道を続けた。今回の決着は、内閣支持率が急落した政府と戦略に失敗した弁護団が大慌てで手を握った「政局」決断である。それをマスメディアが後押しした。  第三に、残念ながら、原告団・弁護団の戦略の失敗を指摘せざるを得ない。特に責任が重大なのは、訴訟戦略を立てる弁護団である。当初そして現在も、訴訟を有利に進める戦略として、わざわざ「血友病あるいは先天性フィブリノゲン欠乏症などの疾患にかかっておられる方につきましては、原告となることを控えていただいて」いながら、徐々に「全員救済」という矛盾したスローガンを強力に打ち出した。結果として、自ら打ち出した「全員救済」というスローガンの自縄自縛に陥ったといえる。前述したように、原告団が「責任」「お詫び」「全員救済」の徹底追及をどんなに求めようとも、弁護団の「活動資金」「弁護士報酬」の回収も必要となる。原告団と弁護団は訴訟の最終局面において常に引き裂かれ、原告団の指導者たちは苦渋の決断を迫られる。薬害C型肝炎訴訟では、弁護団が原告団の代わりに意思決定をして訴訟をしてきた。今回のC型肝炎特別措置法による訴訟の終結は、典型的な「代行政治」の帰結である。    3月1日、21世紀の会交流会が京都のひと・まち交流館で開かれた。当日は、会場の会議室から溢れるほどの多数のC型肝炎患者が、本法の詳細の説明を聞こうと遠くは関東から詰め掛けた。マスメディアで取り上げられることは減ったが、今後もC型肝炎をめぐる混乱と「認定の悲劇」が続くだろう。   ■本稿は、『現代思想』2008年2月号(特集・医療崩壊──生命をめぐるエコノミー)に掲載された「C型肝炎特別措置法の功罪」をもとに加筆修正したものである。筆者のホームページ(http://www.livingroom.ne.jp/)の「C型肝炎特別措置法」全文等の関連資料を「C型肝炎特別措置法アーカイヴ」(http://www.livingroom.ne.jp/h/080111.htm)として掲載している。本稿のスラッシュは原文の改行、一字下げの改行は原文のスペースを示す。引用文はすべて原文通りである。 ■参考文献 Askari, Fred K. 1990 Hepatitis C, The Silent Epidemic: The Authori-tative Guide, Perseus Publishing=2002、安田宏訳『C型肝炎──沈黙の感染症』青土社 早川忠孝 2008「不思議なメッセージ/深いところでで〔ママ〕与野党の協議のルールができたのか」 http://ameblo.jp/gusya-h/day-20080108.html 2008-04-30 早野透 2008「ポリティカにっぽん 急転劇生んだ自民の奥行き 薬害肝炎の救済」『朝日新聞』朝刊 2008-01-07 宝月誠編 1986『薬害の社会学』世界思想社 梶本洋子 2006「梶本洋子のつぶやき2」 http://kajimotoyoko.cocolog-nifty.com/blog/ 2008-04-30 kazmaximum 2007「薬害訴訟について、難病認定患者を持つ家族からの雑感」 http://blog.goo.ne.jp/kazmaximum/e/5c0e5540d30406ceabc87776abe10dd7 2008-04-30 北村健太郎 2005「社会学の視点から──第18回日本エイズ学会会長シンポジウム記録〈HIV感染症と血友病?回顧と展望?〉」『日本エイズ学会誌』vol.7 No.2,pp .69-70 日本エイズ学会 ──── 2006「血液利用の制度と技術──戦後日本の血友病者と血液凝固因子製剤」『コア・エシックス』vol.2, pp.75-87 立命館大学大学院先端総合学術研究科 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2005/kk01.pdf 栗原彬 2005『「存在の現れ」の政治──水俣病という思想』以文社 栗原千絵子 2008「論点 薬害C型肝炎訴訟の意味」『女性展望』2月号,pp.16-17 民主党 2008「民主党B型・C型肝炎総合対策推進本部第24回会合」資料 民主党 西田恭治・福武勝幸「輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察」『日本医事新報』No.3775,pp.53-55 1996-8-31 西田恭治「輸入血液製剤によるHIV感染に関する一考察(承前)──ジャーナリズムおよび和解所見の功罪」『日本医事新報』No.3802,pp.57-60 1997-3-8 大西赤人 2007a「薬害C型肝炎(その1)」 http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/colum354.htm 2008-04-30 ──── 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診療情報の開示問題を考える上で、診療情報の法的構成、開示問題の議論・学説の展開を把握することは重要である。  本稿では、第1節で診療情報の定義を確認した後、診療情報が持つ独特の性質を説明する。第2節では、医事法学の学説類型を整理し、第3節で医師の説明義務の根拠について述べる。第4節では、診療記録等の開示・閲覧そのものを求めた訴訟を紹介する。   1 診療情報の性質    診療情報は、広義には「医療機関についての情報」をも含む情報であり、狭義では「診療録情報」のことを指す。診療情報の開示で問題になる診療情報は基本的に「診療録情報」を指している。1998年に提出された厚生省の「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書(*1)」では、診療情報を「医療の提供の必要性を判断し、又は医療の提供を行うために、診療等を通じて得た患者の健康状態やそれらに対する評価及び医療の経過に関する情報(*2)」と定義している。  診療記録は、「医療の経過を記した記録であるとともに、患者の心身の状況と受けた医療の内容を保管する個人情報として、医療従事者および患者がその内容に接近し管理しうる記録媒体」のことで、法律上は、医師が作成する「診療録」と、検査結果や手術の所見、看護記録、レントゲン写真など医療に付随する記録の「その他の診療に関する諸記録」が区別されている。  診療録は「医師は診療したときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならず、この記録は5年間保管されなければならない」(医師法24条)とされる。診療録の内容には、「患者の住所、氏名、性別及び年齢、病名及び主要症状、治療内容、診療録の年月日」が記載されなければならない(医師法施行規則23条)としている。また、社会保険診療では、様式一号またはこれに準ずる形式の診療録に必要な事項を記載しなければならない(保険医療機関及び保健医療養担当規則22条、8条)。ほかに歯科医師法(23条)、保健助産師看護師法(42条)、薬剤師法(26条)なども、同様に診療録の記載と保管について直接に規定している。  また、病院等の開設や管理に関する事項を定める医療法は、病院等に「診療に関する諸記録」を備え、体系的に管理することを命じている(16条の2他)。これには過去2年間の病院日誌、各科診療日誌、処方箋、手術記録、看護記録、検査所見記録、X線写真、入院患者および外来患者の数を明らかにする帳簿並びに入院診療計画書が該当するとされる(医療法施行規則20条10項)。これらの諸記録もまた「診療録」に該当し、診療情報としての価値を有する。診療録の形式は、基本的に医師や病院ごとに異なり、統一されたものはない。媒体も、これまでは紙媒体のものが多かったが、昨今のIT化に伴い電子化された診療録も多くなってきている(*3)。  診療情報は診療録情報とも呼ばれるが、必ずしも診療記録に記載されている必要はなく、医師の診療に関連して発生する情報や治療のために把握しておくべき情報、実施した治療の内容とその結果など、個人の医療に関するあらゆる情報が該当する。診療情報は個人の状態によって異なることは言うに及ばず、治療を施した医師・医療関係者および病院の診療録の形式等も異なるので、統一された形式や内容はない。  診療情報は概念的にいくつかのグループに分けることができるとされる。開原成允・樋口範雄らは、財団法人医療情報システム開発センターが開発した「電子保存された診療録情報の交換のためのデータ項目セット」を要約し、グループ分けをしている。以下にそれを引用する(*4)。    @患者基本情報。患者の氏名、年齢、生年月日、住所、電話番号などの個人識別情報、連絡先、勤務先、戸籍登録、世帯登録、配偶者、職業など。  A健康保険・福祉情報。健康保険情報、公費医療情報、障害者手帳情報、療育手帳情報など。  B診療管理用情報。受診診療科情報、適用保健情報、受診日、入退院日など。  C生活背景情報。喫煙歴、飲酒歴、生活歴など。  D医学的背景情報。出生児体重、妊娠分娩歴、予防接種歴、既往歴、輸血歴、アレルギー、家族歴など。  E診療記録情報。問診記録、現病歴、身体所見、経過記録、診断、診療計画など。  F指示実施記録情報。検査実施及び結果、処方実施記録、手術実施記録、処置実施記録、各種指導記録など。  G診療情報交換情報。診療情報提供書など。  H診療説明・同意情報。各種説明情報、各種同意情報など。  I死亡記録情報。死亡診断書、剖検記録など。    これらの情報のほかに、看護記録や他の診療部門による記録、特別な診療を行った際の記録、その他の管理情報なども診療情報に該当する。診療情報には、実際には診療録に記載されているよりもずっと膨大な量の情報が含まれている。  診療情報のほとんどは個人から発生するため、個人情報保護法が規定する個人情報に該当する。同時に、診療情報は医療を構成する情報の一部でもあり、その情報主体(=患者)の治療上の必要性から適性で迅速な流通の必要性も強調される性質を持つ(*5)。治療が終了した後も、それらの診療情報は他の患者の病気の治療のために参照され、医師の研究のデータとして医師の間で情報交換・活用もされる。公衆衛生や医学の観点から見れば、患者(とそれに付随する病気等)の情報=診療情報は有効活用すべき情報であり、医師が共有すべき知識の一端を構築するものでもある。つまり、診療情報は極めて私的な情報であると同時に、極めて公的な性質を持つ情報と言うことができる。  診療情報が他の情報と異なるのは、他の分野に比べてはるかに多く系統だった個人に関する情報を扱い、集積し続けていることにある。この集積は複数の人間を介して行われ、その過程で新たに作成・共有、連絡が行われる。その共有の範囲は医療従事者だけに留まらないこともある。また、診療情報が診療の記録を含んでいる以上、記録を参照しながら患者や医療従事者の行為を追跡することができるため、裁判上の証拠としての価値も高く、医療裁判においては診療録およびその他の診療に関する諸記録の保全が重要になる。しかし、個人情報保護法が成立するまで、患者が自分の診療情報にアクセスすることは極めて難しかった。患者が診療情報にアクセスする形は医師による口頭での説明、サマリーの配布など多々あったものの、医師の手元にある診療録自体の開示および患者自身による診療記録の閲覧は、個人情報保護法が成立するまでは、原則として証拠保全によるしか方法がなかった。診療録は医師の所有物であり、それに記載される情報をどのように患者に伝達するかは個々の医師の裁量に任されていたのである。    2 医事法学における診療情報開示の学説類型    診療録の開示に関する議論が医事法学分野で始まったのは、おおよそ1970年代の初め頃であるが、その頃はまだ日本では「診療録の法的性格について法律家が一般的に論じたものは見当たらない(*6)」ため、特にドイツにおける医事訴訟での診療録の取り扱いを参照しながら議論が形成されてきた(*7)。その議論の中で、診療録の開示・閲覧権に関する法律上の学説は、大きく分けて四つの説が唱えられてきた。以下、その説と唱えられてきた時期の動きを交えて簡単に説明する。    (1)消極説(1973年)  消極説は1973?74年にかけて発表された伊藤瑩子の論文「診療録の医務上の取り扱いと法律上の取り扱いをめぐって」による。診療情報に対する患者の閲覧請求権における従来の通説であり、判例では主にこの説が採用されてきた。医師または医療機関と患者との間の契約を準委任契約と捉え、その基盤の上で民法上の顛末報告義務は認められるとしつつも、診療録そのものの所有権や管理権が医療者側にあること、診療録が医師等の備忘録に過ぎないこと、法律上閲覧させるべき特定の規定のないこと、受任者の報告義務を定めた民法645条は診療録の閲覧・引渡という特定の形式での報告を義務づけたものではなく、報告形式の選択は受任者たる医師の裁量に委ねられている等の理由から、診療行為の実施前・中・後のいずれの場面においても患者の開示請求権を否定する(*8)。特に1970年?80年代後半にかけては、消極説の影響が強い。診療情報ではないが、レセプト(診療報酬明細書)の開示について、厚生省が1979年に出した行政指導「国民健康保険質疑応答集」に、「レセプトには病名、診療内容など秘密に属することが記載されており、治療に悪影響を及ぼす恐れもあるのでたとえ本人であっても閲覧させることはできない」との記載がある。    (2)積極説(1978年)  民事訴訟法学者の新堂幸司は、1978年の講演「訴訟提起前におけるカルテ等の閲覧・謄写について」で消極説への疑問を呈し、実体法上、患者の医師に対する診療録等の閲覧請求権を認めるべきだと積極説を主張している。診療行為実施前および実施中の説明義務と診療行為終了後の説明義務とを区別し、診療関係にある間は治療上の配慮の必要性から医師の裁量を認めるものの、診療終了後は、患者にとっては不都合な結果の真の原因を知ることが最大の関心事となることから、民法645条の報告義務を根拠に、診療行為についての客観的資料である診療録等を閲覧する権利が患者側に認められるとするものである(*9)。新堂の論に対して、同じく民事訴訟法学者の中野貞一郎が消極説の立場から反論を加えている。診療契約における債務のとらえ方について、新堂と中野は1980年代前半にかけて論争を行っている(*10)。  (3)折衷説(1984年)  ドイツの判例を参照し、患者の自己決定権および人間としての尊厳を根拠に、患者の閲覧権を「客観化しうる身体的所見および投薬、または手術のような治療処置に関する記録等」に限って承認する。医師の主観的、個人的評価および判断については、患者の閲覧権は否定される(*11)。この説は、吉野正三郎「西ドイツにおける医療過誤訴訟の現状と課題(上)──診療録に対する患者の閲覧請求権」(1984年)に詳しい。こちらも積極説と同じく異議が唱えられている。  1980年代の前半から、患者の権利概念が注目され始める。1981年に「患者の権利に関するリスボン宣言」、1984年には患者の権利宣言全国起草委員会が「患者の権利宣言案」を発表している。また、日本医事法学会も1984年、1985年と相次いで診療記録の閲覧に関するシンポジウムを開催し、診療記録の取り扱いについて議論している。  また、1986年に、いわゆる「診療録閲覧請求事件」の判決が出ている。判決では消極説に基づき原告の診療録の閲覧は認められないとしたものの、医療事故が既に発生している場合など、診療録閲覧の具体的必要性がある場合には閲覧請求権を認める余地を残しており、積極説への親近感を示すものとの評価もある(*12)。    (4)自己情報コントロール権説(1995年ごろ?)  1990年代に入ると、政府の方でも診療情報開示の議論がされるようになってくる。1993年のソリブジン事件、1995年の薬害エイズ事件では、患者が自分の投薬情報などの診療情報を知っていれば事前に防げた可能性があり、それを受けて厚生省が診療情報の在り方について検討している。  厚生省がこの時期に開催した検討会で診療録のアクセスについて関与するものは、「インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会」(1993?95年)、「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会」(1997?98年)がある。また、上記二つの薬害事件の反省に立った1996年7月の報告書「医薬品による健康被害の再発防止対策について(*13)」において、カルテ等の診療記録の開示の問題などの検討の場を設けることが明記されている。さらに、旧厚生省事務次官の諮問機関である国民医療総合政策会議では、「時代の流れは消費者の立場に立った情報公開であり、医療機関も積極的に情報公開することが必要である(*14)」と診療情報開示の方針を定めている。また、この時期にはレセプト(診療報酬明細書)開示についても大きな動きがあり、1997年に厚生省は老人保健福祉局長、保険局長、社会保険庁運営部長通知「診療報酬明細書等の被保険者への開示について」において、原則として被保険者本人に対し診療報酬明細書等を開示すべきであるとの方針を示している。また、レセプトの開示への市民運動は、診療情報の開示についても強い影響を与えている。  これらの検討の中で提唱されてきたのが、自己情報コントロール権説である。これは現代的プライバシー権と言われる自己情報コントロール権の一側面として、患者の自己情報である診療記録の開示請求権を承認するもので、患者の診療録の閲覧を、説明義務の手段として捉えるのではなく、診療録(に記載される情報)自体が個人情報に該当することから、原則としてすべての患者の医療記録が患者の閲覧請求権の対象になるとする(*15)ものである。  1998年に提出された「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書」(以降、カルテ等検討会報告書)では、診療情報の提供・開示を推進する必要性があり、その理由として、患者と医師の信頼関係の強化と医療の質の向上、自己情報コントロール権を挙げている。この報告書が出された後、議論は厚生大臣の諮問機関である医療審議会に移り、診療情報開示の法制化について検討をはじめている。1999年7月の医療審議会の中間報告を受け、厚生省は「3年を目途に環境整備を推進する」との文言に従って、2000年度から2002年度を環境整備の期間と位置付け、いくつかの事業を行っている。そして2003年から2004年にかけて、厚労省は「診療情報の提供に関する指針(*16)」をはじめ、医療機関と医学研究を行う機関に対して開示を含む個人情報保護について記載のある指針・ガイドラインを次々に発表している。これらのガイドラインでは、すべてで診療情報=患者の個人情報と位置づけ、医療機関等は患者の要請があった場合、原則として開示に応じることを認めている。また、日本医師会でもカルテ等検討会報告書発表直後に「診療情報提供に関するガイドライン検討委員会」を発足させ、医師会独自のガイドラインを実施することを決定し、2001年から「診療情報の提供に関する指針」を発表・実施している。  これらのガイドラインは法的義務を課すものではなかったが、2005年に施行された「個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)」(平成15年法律第58号)で、情報主体本人の請求に応じて保有する個人データを開示することが義務づけられた(個人情報保護法25条)。これにより、ほとんどの医療機関は患者の求めにより診療情報を開示する法的義務を負うことになった。ここで初めて、診療情報の開示に一つの法的根拠ができたのである。   3 診療情報開示に関する医師の説明義務    個人情報保護法制定まで、診療記録の開示・閲覧とこれに応じる義務を法律上の権利として認める理論は、患者=医師の契約関係を基に考えられてきた。この契約関係から契約上の報告義務を導くのが、診療録および診療情報開示において基礎となる考え方である。  医師と患者の間で結ばれる診療契約は、現行民法では準委任契約であるとするのが通説である。このことから、医師の患者に対する説明義務が構成される。すなわち、準委任契約においては、「受任者は、委任者の請求があるときは、いつでも委任事務の処理の状況を報告し、委任が終了した後は、遅滞なくその経過及び結果を報告しなければならない」(民法645条)。診療契約においては、この民法における受任者の顛末報告義務が医師の説明義務の根拠のひとつとなる。また、民法上の報告義務だけではなく、医師法などからも医師の報告・説明義務は導かれる。医師の患者に対する説明義務は、さらに「治療上の説明義務」と「医的侵襲に対する患者の承諾の前提としての説明義務」に大別され、個人情報保護法成立以降は「患者の自己情報コントロール権に基づく説明義務」が追加されるとする(*17)。以下、医師の説明義務について、個別に見ていく。    (1)民法645条に基づく説明義務  これは医師と患者の準委任契約から導き出される。契約上、受任者である医師は委任者である患者に治療の状況を報告する義務があると解される(顛末報告義務、民法656条、645条)。  この契約上の説明義務が、診療情報の開示の際にも認められるかどうかが争われた判例が、前述の「診療録閲覧請求事件(*18)」(東京高裁昭和61年8月28日判決)である。これは慢性肝障害のためにインターフェロンを使用して治療を受けた患者が、自身の病状を知るために担当医らに自身の医療記録の閲覧を求めたが拒否され、退院後に改めて自身の医療記録の閲覧を求めて訴えを提起したものである。この訴えは、損害賠償請求の訴訟ではなく、診療録開示の請求そのものの可否が争われたものである。判決は、「基本的には民法645条の法意により、医師は少なくとも本人の請求があるときは、その時期に説明・報告をすることが相当でない特段の事情のない限り、本人に対し、診断の結果、治療の方法、その結果等について説明・報告等をしなければならないと解すべきである」として、契約法上の説明・報告の義務を肯定した。しかし、説明・報告義務の履行として、医療記録そのものを患者本人に示し、これを閲覧させなければならないということはできないとし、医療事故の発生が疑われる等、特段の事情が存しないかぎり認められないとした。  つまり、ここでは民法645条に基づけば、患者に対し医師は説明・報告の義務を持つが、その方法は受任者である医師の判断に任されるということになる。この判決で示されている考え方は、消極説に基づく当時の通説的な見解であった。    (2)治療上の説明義務  根拠となるのは医師法23条「医師は、診療をしたときは、本人又はその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない」という規定で、このことから患者の求めに応じて診療を行い、療養に関して適切な指導をして助言を与えることが、医師の義務として求められる。  この治療上の説明義務は予見される危険を防止するために役立つもので、通常の医療行為においては直接的行動をとって危険発生を回避する義務が医師の側にあるが、患者の生活態度・行動等から危険が生じる場合や、患者が医師の支配のもとをはなれる場合、医師がそこにおいて危険を回避・除去できないため、危険が具体的に予見され、防止する必要性があるときには、医師は患者に説明して間接的に危険を防止することとなる(*19)。  つまり、治療上の説明義務とは、「そのおかれている具体的状況を配慮して患者の治療時の生活ないし行動指針となる情報を伝達するもの(*20)」と言うことができる。この場合の説明義務の履行は、患者が日常生活に戻った場合における患者の生活上の注意を具体的に患者自身が判断できる形で提供することによって果たされる。また、医師は患者に対し、患者自身の病状・現状などを説明した上で治療に専念させる義務があることがこの条文から導き出されるため、特に病名を告知していない患者等の場合、治療上の説明義務が訴訟上問題として取り上げられることがある(*21)。    (3)医的侵襲に対する患者の承諾の前提としての説明義務  いわゆるインフォームド・コンセントの原則として説明されているもので、特に医事法学ないし医療過誤訴訟の中で、主に医師の患者に対する説明義務の存否と患者の承諾の要否という問題として議論されてきた(*22)。この説明義務についての議論は古くからあるものの、「インフォームド・コンセント」という形で問題が議論されるようになってくるのは、おおよそ1980年代の半ば頃から90年代半ばにかけてである。1997年の医療法改正において、インフォームド・コンセントは医療従事者の努力義務規定として明記された。  この説明義務は、医療がそもそも他者の人体への侵襲行為であるという前提に立ち、それが正当行為となるのは、患者の承諾があるからであり、患者の承諾を得るためには、医師は患者に対して患者の状態、とるべき治療法とその危険性などを患者に対して説明しなければならないとする。この説明と患者の承諾がない場合、医師の治療は違法とされる。  患者の承諾なき医的侵襲が違法だとする判例は、古いものでは下級審においては長崎地裁佐世保支部昭和5年5月28日判決(『司法研究』18輯246頁)で、患者の承諾のない腫瘍の摘出は違法だとした例がある(*23)ものの、戦後では東京地裁昭和46年5月19日判決(*24)が最初である。これは乳腺がんと判明した患者の右乳腺全摘手術において、医師が左乳房の腫瘍はがんではないと診断したにもかかわらず、将来がんになるおそれがあると判断して左乳房についても手術を行ったところ、患者から左乳房に対する手術は必要が無く、かつ承諾を得ずに行われた違法な手術であるとして損害賠償が請求された事例である。裁判所はここで「十分説明したうえでその承諾を得て手術をなすべき」であるとしている。この判決は、医学的に正当な治療行為も、患者の意思を無視して行われた場合は違法なものとなることを結論的に肯定し、この解釈はそれ以降も維持されている。医師は、治療に際し、患者の有効な承諾を得るために、適切な説明をする義務を負い、その説明は、個別の医的侵襲行為ごとに行われる必要がある。皮膚移植の前の皮膚の採取など、治療の前の治療として行われる医療行為で、身体に対して危険が発生する可能性がある場合には、その危険性について医師は十分に説明する必要があるとされる。   昨今では、患者の承諾なき医的侵襲はすなわち違法であるというよりも、そのことで患者の人格権が侵害されたということが問題とされることが多い(*25)。    (4)自己情報コントロール権に基づく説明義務  これは医師がいかなる患者の個人情報を保有しているかについて患者自身が確認・閲覧できる権利を根拠にする説明義務である。この説明義務では、説明を受けなかったこと、情報を提供されなかったことそれ自体を損害と把握しうる。自己情報コントロール権自体は明文規定ではないが、個人情報保護法はこの概念を踏まえている。個人情報保護法では、個人情報を「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む)」(2条)としている。従って、診療記録の記載事項は患者自身の個人情報であるため、十分な理由がないかぎり、患者の診療記録の開示閲覧権は認められることになる。患者の自己情報コントロール権に基づく説明義務における限界は、説明しないことに優越する利益があるか否かということになる(*27)。  民法645条に基づく説明義務、治療上の説明義務、医的侵襲に対する患者の承諾の前提としての説明義務は、主に契約上発生する説明義務である。自己情報コントロール権に基づく説明義務は、この三者とは少し性質が異なり、情報主体と情報管理者との間に発生する説明義務である。従って、医師が患者の情報を管理している限り、自己情報コントロール権に基づく説明義務は継続する。   4 診療記録等の開示・閲覧に関する訴訟    医療従事者の説明不足等の問題を扱った訴訟に比べ、診療記録等の開示・閲覧そのものを求めた訴訟は少ない。診療記録あるいは診療情報の開示・閲覧そのものを求めた重要な訴訟には、以下のものがある。    (1)東京高裁昭和61年8月28日判決「診療録閲覧請求事件」  この訴えは、損害賠償請求の訴訟ではなく、診療録開示の請求そのものの可否が争われた初めての訴訟である。慢性肝障害のためにインターフェロンを使用して治療を受けた患者が、自身の病状を知るために担当医らに自身の医療記録の閲覧を求めたが拒否され、退院後に改めて自身の医療記録の閲覧を求めて訴えを提起した事件で、判決は、「基本的には民法645条の法意により、医師は少なくとも本人の請求があるときは、その時期に説明・報告をすることが相当でない特段の事情のない限り、本人に対し、診断の結果、治療の方法、その結果等について説明・報告等をしなければならないと解すべきである」として、契約法上の説明・報告の義務を肯定した。しかし、説明・報告義務の履行として、医療記録そのものを患者本人に示し、これを閲覧させなければならないということはできないとし、医療事故の発生が疑われる等、特段の事情が存しないかぎり認められないとした(*28)。    (2)大坂高裁平成8年9月27日判決  生まれた直後に子供をなくした兵庫県内の夫婦が、兵庫県の公文書公開条例に基づいて公開請求した産婦人科医院のレセプトを非公開決定したのは違法だとして兵庫県知事に処分の取り消しを求めていた訴訟の控訴審判決である。その後のレセプト開示の流れを決定的にした点で、診療情報開示の問題でも重要な判例と言える(*29)。一審ではプライバシー保護を理由に原告の訴えを棄却したが、二審では本人自らの公開請求の場合、プライバシー侵害のおそれはなく非公開は違法とし、公文書について個人のプライバシー保護の要請が存在しない限り、たとえ個人情報が記載されていても公開しなければならないとした上で、請求者が自分の個人情報を知りたい場合、非公開とすべきではないとした。この判決を受け、厚生省は翌年の6月に「診療報酬明細書等の被保険者への開示について」を出してレセプトの原則開示の方針を示している。ここでは「被保険者に対する保険者サービスの充実を図る一環として」開示を行うことが適当であるとしている(*30)。    (3)東京高裁判決平成14年9月26日判決「要介護者の生活指導記録表閲覧請求事件(*31)」  埼玉県北本市のホームヘルパー派遣申請に際して同市所属のケースワーカーが作成した申請者に関する生活指導記録表の閲覧を申請者自身が請求した事例である。一審では生活指導記録表は非開示とされたが、二審では生活指導記録表は同市の個人情報保護条例の定める非開示事由に該当しないとして、非開示処分を取り消した。  この判決では、裁判所が「ワーカーと対象者の関係は、協働して対象者の問題を解決する対等な関係」であることを認め、主観的判断の含まれる所見でも開示することが原則であるとしている(*32)。   おわりに    医療過誤訴訟等の際に、診療記録が重要になることは先に述べたが、その際、しばしば提出された「診療記録の改竄」が問題になる。改竄を認定した判例はいくつかあるが、改竄・証明妨害行為の法的効果について、詳しく論じた文献は少ない。診療記録の改竄と処罰のあり方については検討会が報告書案を出してはいるが(平成15年4月28日)、今後診療記録の開示が一般化していくことを考えると、虚偽記載や患者本人からの内容訂正の請求の際にどうするかなど、診療記録の記載・管理のあり方なども含め、議論していくべき課題だと思われる。  (書き下ろし) ■註 *1 カルテ等の診療情報の活用に関する検討会「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書」ジュリスト1142号(1998年)64頁以下。 http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1006/h0618-2.html(概要、アクセス日2008/5/13)。 *2 カルテ等の診療情報の活用に関する検討会・前掲注165頁以下。 *3 「診療録等の電子媒体による保存について」(http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1104/h0423-1_10.html)また、厚生労働省は、2001年に発表した「保健医療分野の情報化にむけてのグランドデザイン(第一次提言)について」(http://www.mhlw.go.jp/houdou/ 0108/h0808-4.html)で、電子カルテの利点を挙げ、推奨している。(アクセス日5/13) *4 開原・樋口編[2005:28] *5 増成[2004] *6 伊藤[1973:41] *7 村山[2001:183] *8 伊藤[1973:41][1974] *9 新堂[1979] *10 吉野[1984]が新堂・中野論争を簡潔にまとめている。中野は診療契約における診療債務のとらえ方について通説的立場に立ち、診療債務は「結果債務」ではなく「手段債務」であるから、医師は善管注意義務をもって適正と認められる措置をとるべく努力することが債務の内容とする。それに対し、新堂は診療債務には最善を尽くす努力義務の他に、「意外な結果に至らせない」という結果債務も同時に含んでいるとする。 *11 吉野[1984] *12 竜嵜[1989:226-227]、山下[1996:204-205]、増成[2006:32-33]など。 *13 旧厚生省大臣官房政策課資料 http://www1.mhlw.go.jp/houdou/0807/0701-2.html(概要、5/13) *14 旧厚生省国民医療総合政策会議議事要旨 http://www1.mhlw.go.jp/shingi/1119-1.html(5/13)  また、国民医療総合政策会議が1996年11月に提出した「国民医療総合政策会議中間報告書」は、医療情報の開示の流れを決定的にするものになったと言われている。 *15 増成[2004:203-205] *16 この時期に厚労省が発表した個人情報に関する主なガイドラインは以下の通り。(以下、アクセス日はすべて5/13)  「診療情報の提供に関する指針」(2003年9月)http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/06/s0623-15m.html  「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドライン」(平成16年12月24日通達)http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/12/dl/s1224-11a.pdf  「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドラインに関するQ&A」http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/170805iryou-kaigoqa.pdf  「健康保険組合等における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドライン」(平成16年12月27日通達)http://www.mhlw.go.jp/ topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161227kenpo.pdf  「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(平成16年12月28日告示改定http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161228genomu.pdf  「疫学研究に関する倫理指針」(平成16年12月28日告示改定)http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161228 ekigaku.pdf 「遺伝子治療臨床研究に関する指針」(平成16年12月28日告示改定)http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161228 idennsi.pdf  「臨床研究に関する倫理指針」(平成16年12月28日告示改定)http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/161228 rinsyou.pdf  なお、厚生労働省法令等データベースシステムによれば、厚生労働省が発表してきた法令・通知等のうち、診療録について記載がある法令が65件、通知が172件である。診療情報については、法令12件、通知等66件の内容中に記載がある。このうち、法令に関しては、診療録および診療情報のアクセスに関する項目が内容に含まれてくるのは、2004(平成16)年の「臨床研究に関する指針」からで、それ以前の法令に関しては、診療録については管理と行政機関による検査に関する規定がほとんどを占めている。 *17 増成[2004:197] *18 診療録閲覧請求事件『判例時報』1208号85頁。他に『医事法判例百選』32?33頁など。 *19 浦川[1983:125] *20 浦川[1983:125] *21 丸山[2006:122-123]など。 *22 清水[1992]など。 *23 新美[1976] *24 『判例時報』660号、62頁。 *25 医師による手術や治療の説明がなかったことで患者の人格権が侵害されたとする判例に、エホバの証人輸血拒否事件(最高裁判所平成12年2月29日判決『判例時報』1011号55頁)がある。 *26 増成[2004:203] *27 増成[2004:205] *28 前掲注18 *29 『毎日新聞』東京夕刊、1996年9月28日。 *30 込山[1998:62-63] *31 要介護者の生活指導記録表閲覧請求事件(東京高裁平成14年9月26日判決)『判例時報』1809号12頁。 *32 増成[2006:33] ■参考文献 莇昭三 1986「診療記録」の閲覧権をめぐって」『年報医事法学』1 石川寛俊監修・医療情報の公開・開示を求める市民の会編 2004『カルテ改竄』さいろ社 ──── 2006『カルテ改竄Part II──「密室の不正」との闘い方』さいろ社 石川寛俊・カルテ改竄問題研究会 2006『カルテ改竄はなぜ起きる──検証:日本と海外』日本評論社 伊藤瑩子 1973「診療録の医務上の取り扱いと法律上の取り扱いをめぐって(上)」『判例タイムズ』294号 ──── 1974「診療録の医務上の取り扱いと法律上の取り扱いをめぐって(下)」『判例タイムズ』302号 植木哲 2003『医療の法律学〔第2版〕』有斐閣 ──── 2007『医療の法律学〔第3版〕』有斐閣 浦川道太郎 1983「民法判例レビュー 民事責任」『判例タイムズ』493号 大谷實 1999『医療行為と法〔新版補正第2版〕』弘文堂 岡島光治 1995「患者の自己診療録へのアクセス(閲覧)」『診療録管理』vol.7. No.3 開原成允・樋口範雄 2005『医療の個人情報保護とセキュリティ──個人情報保護法とHIPAA法』有斐閣 患者の権利法をつくる会編 1997『カルテ開示──自分の医療記録を見るために』明石書店 患者の権利オンブズマン編 2001『医療事故・カルテ開示・患者の権利』明石書店 ──── 2002『Q&A医療・福祉と患者の権利』明石書店 ──── 2006『医療事故・カルテ開示・患者の権利〔第2版〕』明石書店 込山愛郎 1998「診療報酬明細等の被保険者への開示について」『ジュリスト』1142号 厚生労働省法令等データベースシステム http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/(アクセス日2008/5/13) 新堂幸司 1979「訴訟提起前におけるカルテ等の閲覧・謄写について」『判例タイムズ』382号 杉田聡 1999「診療報酬明細書(レセプト)に対する患者の意識」『年報医事法学』14 鈴木利廣 2006「診療録の改竄」『医事法判例百選』別冊ジュリスト183号 中野貞一郎 1973「医療裁判における証明責任──立証の困難さをどう解決するか」『ジュリスト』548号 ──── 1976 「医療過誤訴訟の手続的課題」『法学セミナー』258号 ──── 1982 「医療過誤訴訟について」『法学教室』26号 新美育文 1976「承諾なき乳腺摘出手術」『医事判例百選』有斐閣 日本医事法学会 1985「討論・医療上の諸記録をめぐる諸問題」『法律時報』57巻4号 ──── 1986「討論 シンポジウム「医療記録 再論」」『年報医事法学』1 ──── 1997「総合討論 シンポジウム 医療情報と患者の人権」『年報医事法学』12 ──── 1999「総合討論 シンポジウム 医療情報開示──カルテを中心として」『年報医事法学』14 ──── 2007「シンポジウム医療情報 総合討論」『年報医事法学』22 樋口範雄 1999「カルテ等開示──諸外国の状況」『年報医事法学』14 日比野守男 1998「「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書」を読んで──法制化に際しての注文」『ジュリスト』1142号 前田達明・稲垣喬・手嶋豊 2000『医事法』有斐閣 前田雅英 2006「カルテの改竄と証拠隠滅罪──東京女子医大事件」『医事法判例百選』別冊ジュリスト183号 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トランスジェンダリズムと医療の関係を考察する人々の理論的背景としては、1980年代から1990年代にかけての、フェミニズム研究、ゲイ・レズビアン研究、トランスジェンダー研究、クイア研究における、性的な身体をめぐっての構築主義/本質主義論争の活性化があった(Dean 2000; Stryker and Whittle 2006)。ここでいう身体とは、男女という性別によって分離されて、セックス、出産、育児、介護等に携わる社会的役割を付された身体である。本質主義とは、自然とされる生物学的基盤から、社会編成における性役割を派生的に導き出す議論であり、構築主義とは、実は男女という性別を割り振る社会編成こそが、生物学的に決定されているとされる身体を構築しているという議論である。  本質主義は、歴史的に特殊なニーズを、身体の自然な欲求であると考える。ここには問題がある。この見方では、社会的に過酷な状態に置かれてそれに慣らされてしまった人──被抑圧マイノリティ──のニーズ、当人の主体性が当人に不利益をなす形で構築された場合の不当さが見過ごされてしまうからである。これに対して、構築主義は、本質主義を批判し、身体の自然な欲求とされたニーズの中に社会的強制を見出している。ところが、構築主義にもまた問題がある。構築主義の身体観は、生物学的身体が社会編成によって産出されていると考えるので、論理的には、身体やニーズを社会編成による強制状況と同一視して抹消してしまう。このような、「あなたのニーズは強制状況によるもので存在しない」という言明は、当事者の主体性を深く損いかねない。性同一性障害医療は本質主義の立場であり、「トランスジェンダリズム」は構築主義の立場である、とひとまずは言えるかもしれない。だが、後に見ていくように、日本の「トランスジェンダリズム」には、医療の選択に社会的強制状況を見出すと同時に医療を肯定する、一見矛盾した語りがある。  本稿は、構築主義の身体観を受け継ぐ一方で、そこから距離をとる。本稿の視点では、性同一性障害当事者の身体改変のニーズは、その原因を、生物学的基盤とも社会的不利益とも決めることができない。したがって、そのニーズ──構築主義の抹消する身体──は、社会的強制が解除された後の時間にしか、存在するか否かを確証できない。ここに、存在を確証できないが否定できないという形で、現に存在する身体を、論理的に設定できる(Butler 2004; Dean 2000)。  この視座をもって、本稿は、日本の性同一性障害医療と「トランスジェンダリズム」を分析する。性同一性障害医療は、当事者のニーズの原因を生物学的基盤をもつ身体違和に置いた。その結果、性別適合手術の選択に圧力として働く社会的不利益を看過することで、医療を成立させた側面がある(2節)。現在の医療は、社会的不利益の解除を先延ばしにする傾向をはらんでいる。また、「トランスジェンダリズム」は、この同じ身体改変のニーズの原因を、社会的不利益と認識し消去してしまっている。「トランスジェンダリズム」には、当事者の主体性を損ないかねない危うさがある。医療と「トランスジェンダリズム」は一見したところ両立不可能である(3節)。ところが、「トランスジェンダリズム」には、実際には医療を肯定する人々が多い。これはなぜか。ここで本稿は、先の身体に関する視座──生物学的基盤と社会的不利益の間にある身体──を導入して、「トランスジェンダリズム」を再考する。それによって、「トランスジェンダリズム」が、当事者の身体改変のニーズを取り囲む社会的強制状況を見過ごすことなく、自由な医療の選択を肯定する論理をもっているのだと示したい(4節)。  まず、本稿で使う基本的な用語を定義する。「性同一性障害Gender Identity Disorder(GID)」とは、日本精神神経学会によると「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に所属しているかをはっきり認知していながら、その反面で、人格的には自分が別の性に属していると確信している状態」をさす医学上の診断名である(日本精神神経学会 1997: 533)。性同一性障害という分類の中には、様々なニーズをもった人々が括られている。一般には、以下のような下位分類がある。外見や服装を身体の性別とは別の性にしようとする人は、「トランスヴェスタイト」。身体の性別に身体改変でしか解消できない違和感をもっている人は、「トランスセクシュアル(TS)」。この二つの中間で身体とは別の性自認があるが手術を必要としない人は、「トランスジェンダー(TG)」。トランスセクシャルとトランスジェンダーのうち、男性から女性に身体上の性を移行している人は「Male to Female(MTF)」。女性から男性に身体上の性を移行している人は「Female to Male(FTM)」と表記される。これらの分類は、「性指向」(何・誰を性の対象にするか)により規定される同性愛者・異性愛者という分類とは異なり、「性自認(gender identity)」(自分の性に対する認識)によって規定されている。また、性同一性障害医療においては、「性自認」は生物学的基盤をもつとされ、社会的に付与される「性役割(gender role)」(男女という性別に付された役割)から区別されている。  性同一性障害をめぐる情勢として、日本では1998年に日本精神神経学会による「性同一性障害者に関する診療と治療のガイドライン」に基づいた治療(第一段階/精神療法、第二段階/ホルモン療法、第三段階/性器切除及び性器形成等)が、埼玉医科大学で始まる(*1)。2003年にはこの「ガイドライン」による正規医療を受けた後の、戸籍上の性別の変更を可能にする「性同一障害の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下、特例法)が成立した。本稿では、この流れに批判的な距離をとりながら形成されてきた運動という限定を付けて、日本の「トランスジェンダリズム」を検討する。これは、性同一性障害という医学上の疾病分類に依拠することなく、性別を越境する経験を肯定的に捉えて、個人の身体改変よりも社会的条件の整備に力点を置いた運動である。医療との関係では、この意味でのトランスジェンダーは、望む性別を獲得するために身体改変を希望するトランスセクシュアル・性同一性障害に対して、男女に分類できない身体改変を肯定する人々であるといえる。本稿は、このような意味でのトランスジェンダーの立場──上に書いた一般的なトランスジェンダーの分類からずれる──をとった一群の論考を扱うものである(*2)。   2 性同一性障害医療の成立──医療行為の正当性    (1)ガイドライン策定と当事者団体  この節では、医療従事者が性同一性障害医療を正当化した論理を検討し、当事者のニーズの原因から、性役割を演じきれないことで受ける社会的不利益が除外されていく過程を分析する。まず、ガイドライン策定の過程と当事者団体の果たした役割を概観する。「性同一性障害に関する診療と治療のガイドライン」は、当事者団体の働きかけと、埼玉医科大学倫理委員会(以下埼玉医大委)の答申を受けて、日本精神神経学会の取り組みによって1997年に第1版が作成された。以降、2002年に第2版、2006年に第3版が発表されている。第1版策定までには、以下のような経緯があった(野宮 2005; 南野 2004)。  1992年7月、埼玉医科大学の原科孝雄の診療をFTMが受診したことをきっかけに、95年5月、原科が同大学倫理委員会に「性転換治療の臨床的研究」として「男性?女性の性転換」の施術を申請するはこびとなる。原科は、1995年8月横浜で「第12回世界性科学会議」が行われたさい、関連プログラムとして開催されたシンポジウム「日本におけるトランスジェンダリズム」に参加した。このシンポジウムには、ミニコミ誌『FTM日本』の創刊者虎井まさ衛も出席し、当事者と医師、性科学の専門家が一同に向かい合う、象徴的な場となる。1996年7月、埼玉医大委が条件付きで「外科的性転換術」の実施を認める答申を発表し、同年12月、「ジェンダークリニック委員会」が設置された。同月、記者会見の席でジャーナリスト森野ほのほが委員長の山内俊雄に講演を依頼し、以降、医療従事者と当事者が研究の場をもちはじめる。1997年3月には、森野の呼びかけを受けて「TSとTGを支える人々の会Trans-Net-Japan(TNJ)」が発足、集会や勉強会を行い、各方面に影響を与えていった。そして1997年5月、ついに日本精神神経学会「性同一性障害に関する特別委員会」により、「性同一性障害に関する答申と提言」が発表され、診療と治療のガイドラインが作成されたのである。これを受け1998年10月に、原科の執刀で性別適合手術が実施されるにいたった。  「ガイドライン」と後に法制化される「特例法」の流れには、当事者団体の動きが大きく関与し、あまた催された勉強会や研究会が、医療従事者の学習の場となった。森野によると、医療従事者の中には、生々しい当事者の痛みを聞き取ることで、ガイドライン作成の必要性を理解していく人が多かった(森野 1999)。原科も「性転換手術」の申請が承認されて施術をひかえた時期に、「その人は、自分の女の声が嫌で、金串を喉に突っ込んだというんです。喉を潰そうとしたんですね(中略)そこまでやるのかと思って、それで私、この道に引き込まれたという感じです」と述べている(原科 1998: 262)。またこの策定の中で、埼玉医大委と日本精神神経学会特別委員会の両方で委員長を務めた山内俊雄によると、議論に関わった医師たちに、「この問題を真正面から捉え、積極的に関わろうとする意識の変化が起こった理由の一つは、性転換を望む人たちの苦痛、悩みを知ったこと」であったという(*3)(山内 1999: 49)。  当事者団体からの働きかけを受けて「性転換を望む人たちの苦痛、悩み」に動かされた医療従事者たちは、ガイドラインを整えていくためにクリアしなくてはならない条件を前にしていた。ひとつは、「ブルーボーイ事件」判決に示された優生保護法と傷害罪への抵触であり、もうひとつは、医療が身体に介入するときの根拠となる病因の特定である。以下に、埼玉医科大学と日本精神神経学会の両委員会が、性同一性障害医療を成立させるさいにもちいた手続き──違法性阻却事由、病因論──を検討したい。    (2)優生保護法と傷害罪に関する違法性阻却事由  性同一性障害と診断された人の身体への介入を医療行為として正当化するさいに、ガイドライン策定過程の中で繰り返し言及されたのが、「ブルーボーイ事件」である。この事件は、3名の男性「性転向症者」である「男娼」に対して睾丸摘出、陰茎切除、造膣などの「性転換手術」を行った産婦人科医が1969年に告発されたものである。この手術は旧優生保護法28条「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行ってはならない」という規定に抵触し、医師は同年に有罪とされた。  山内は、埼玉医大委の答申作成の時にはこの「ブルーボーイ事件」の存在を知らなかった。後にこの判決文をとりあげて山内は、違法という結果が下されたのは、単純に当時の「性転向症者」や「男娼」に対する偏見のせいではないと分析している。以下は、東京地方裁判所1969年2月15日判決の一部である。    性転向症者に対する性転換手術は次第に医学的にも治療行為としての意義を認められつつあるが、性転換手術は異常な精神的欲求にあわせるために正常な肉体を外科的に変更しようとするものであり、生物学的には男女いずれでもない人間を現出させる不可逆的な手術であるというその性格上それはある一定の厳しい前提条件ないし適応基準が設定されていなければならないはずであって、こうした基準を逸脱している場合には現段階においてやはり治療行為としての正当性を持ち得ないと考える。(山内 1999: 87-88)    その条件として挙げられたのは、精神・心理面の検査と観察、家族関係・生活環境の調査、複数の医師による手術の決定、診療記録の作成・保存、本人の同意である。この条件は、山内たちが旧優生保護法に照らして「故なく」と判断された状況を乗り越え、性別適合手術を正当化するために立てた基準とほとんど同じものだった。  法学者たちによると違法性を回避するための事由とは、「性別適合手術について患者の同意・承認がある」、「性別適合手術は性同一性障害に対する治療を目的としている」、「性別適合手術は医学的に承認された方法に依拠して行われる」である(大島 2002; 石原 2004; 澤田 2000)。医療行為は、病気の原因があり、治療効果が見込め、医師に治療意思があり、治療内容に関する患者の同意が得られ、適切な方法で行われる場合に正当化される。医師が当人の同意をとらず患者の身体に介入することや、治療効果のない場合でもコストのかかる医療行為を行うこと等を規制して、患者の生命、身体、自由を保護するために、患者の自己決定権が形成されたのだという。したがって、原理的には、医学的理由がなかったり、社会的強制状況に左右されたりして、医療が選択されてはならないというのである。  さて、性別適合手術は、「生殖を不能にする」、また、機能的には「正常な器官」に、不可逆で侵襲性(身体への介入の度合い)の高い外科的処置をもって介入する。医療行為として同定されなければ、それらは取り返しのつかない傷害行為になってしまう。医療従事者たちは、これらの行為を医療行為として正当化するために、旧優生保護法第28条と刑法上の傷害罪について、違法性阻却事由を提示しなければならない。そこで医療従事者たちは、前節でみた「性転換を望む人たちの苦痛、悩み」が性同一性障害を原因とするものか否かをチェックし、厳格なインフォームド・コンセントで患者の合意を真摯に取りつけ、一連の行為を医療として正当化しなくてはならない。  ガイドラインによる治療の第一段階(精神療法)から、医師が患者に確認するのは、身体違和による深い悩みと、自らの望む性での生活に対するゆるぎない安定感である。国際診断基準として採用されている世界保健機構ICD-10とアメリカ精神医学会DSM-IV等を参照して、治療の適用範囲外となる除外診断が作られる。とくに注意すべきは、「精神分裂病、人格障害などの精神障害のために自己の性意識(gender)を否認するもの」、「文化的、社会的理由による性役割の忌避、商業的利得のため」である。診断と治療を組み立てる作業の中で、「中核的性同一性障害」からその「周辺群」が削り取られていったのである(日本精神神経学学会 1997; 山内 1997a, 1997b; 山内ほか 1999)。  このように、性別適合手術を医療行為として正当化するには、患者の真の苦痛や悩みの存在が前提とされ、さらにそれが性同一性障害を原因にするものである、と証明されなければならなかった。しかし、次節で検討するように、医療側の語りは、性同一性障害に該当しない「文化的、社会的理由による性役割の忌避」を除外しようとしながら、性役割を配分する社会編成が当事者に与える苦痛を対象にし続けていくのである。    (3)病因論と性役割  性同一性障害医療は、しばしば美容整形術と対比される(石原 2004)。美容整形術は、その緊急性の低さや、患者の主観的な状況改善が治療の主な判断基準であること等を理由に、医療行為の境界線上にあるとされてきた。医療行為には、病気の発生の原因そのものを治療する根治治療と、原因に技術的に介入できないが患者の苦痛を軽減する救済治療がある。さらに後者のなかでも正当な医療とは、病気といえる原因がないのに医療技術を用いるような便宜的利用(技術の濫用)であってはならない(山内 1999: 62)。性同一性障害医療における外科的措置の一切、咽頭切除、乳房切除、性器切除、性器形成等は、救済治療か技術の濫用なのか。それは治療行為なのか美容整形術なのか。この境界線が揺らいでいる。  したがって、医療従事者たちは患者の苦痛について疾病の原因を特定して、それが便宜的利用ではないことを示さなくてはならない。前節でみたように日本精神神経学会特別委員会は、患者の真正な悩みを受取りながら、その悩みを疾病からくるものと特定しなければならない。疾病の名は「性同一性障害」である。さらに特別委員会は、この疾病の原因を特定しなくてはならない。日本精神神経学会から埼玉医科大委にさかのぼろう。埼玉医科大委のメンバーが、「きわものあつかい」されてきたこの問題に対して姿勢を変化させた理由を、山内は次のように言っている。第2節(1)で引用した「性転換を望む人たちの苦痛、悩み」にくわえて、もう一つの理由として挙げられたのが、病因の発見である。    もう一つの理由は、生物学的性と性の自己意識の不一致の背景に生物学的な成因が考えられるという事実であった。(中略)性同一性障害を疾患と位置づけることは、医学的には、この疾患の原因を究明し、治療の方策を考え、苦痛を軽減する努力をすることができる医学的対象であると位置づけすることをも意味している。そのことによる“患者”への恩恵は限りないものである。(山内 1999: 71、尚、“ ”は原文のママ)    疾病の原因がある限りで、医療は疾病がもたらす苦痛を医学的対象として取り扱うことができる。委員会は、「自分が男であるか女であるか」という「性自認」が、「胎生期からの生物学的機序」によって形成されると仮説を立てた。さらに「文化・風習・社会のあり方」により形成される「性役割」を切り離し、性同一性障害の原因を、性分化過程でのホルモン異常という「生物学的機序」に求めたのである。  ところが、性同一性障害当事者の負担の原因は、「生物学的機序」ではない場所に移動していく。性別適合手術を正当化しようとする医師も法学者も、「性役割」を配分する社会編成からくる不利益をしっかりと見定めている。医療従事者が当事者から聞き取る典型的な苦悩として、たとえば原科による以下のようなものがある。    女性から男性への転換症の場合には、皆さん女の声が嫌で、あまり喋らなくなる。男の格好をしているのに、声を出したとたん、パッと顔を見られてしまうわけですから。(中略)女子校に通っている場合は、スカートの制服が嫌さに不登校になって、退学してしまう。フリーターになったり肉体労働に従事するんですけど、夏に薄着になると胸の存在が気づかれてしまう。(中略)男性から女性への性転換症の人では、ペニスの存在が、とくに勃起が不愉快で、医療従事者ですがペニスを切ろうとして大出血した話もあります。あるいは、一流大学を出て一流企業に勤めたけれども、男でいるのに耐えられない。どうしても髪を長く伸ばしちゃうんですが、職場で「その髪を切れ」と年中言われてついに退職してしまう。(原科 1998: 267)    性同一性障害当事者のライフヒストリーでは、「第二次性徴」での身体変化への違和感がしばしばクローズアップされる(針間・相馬 2004)。たしかに、声、胸、ペニス、体つき、これらの変化は身体違和を理解しやすい。しかしその負担を語るさいに、「パッと顔を見られてしまう」や「胸の存在が気づかれてしまう」という視線、性役割という規律を課される職場環境を実例として挙げていることからも、当事者の負担は社会的不利益であると明かされている(鶴田 2004; 竹村 2005)。それでも医療従事者たちは、あえて便宜的利用ではない性同一性障害医療の成立に賭けた。その理由は答申の中で、「性役割」の当面の改革は望めないので「性転換を望む人たちの苦痛、悩み」を鑑みて医学的処置を行う、と説明されているのである。  以上、この節ではガイドライン策定のさいにメルクマールとなった違法性阻却事由と病因論をみてきた。そこで、医療側が「性役割の忌避」による苦悩を「中核的性同一性障害」の「周辺群」へと切り離していったことを確認した。だが、当事者の負担には、身体違和と社会的不利益が区別し難い仕方で存在したのだった。このため後に検討するように、性同一性障害医療の正当性は、原理的には不安定な状態にあるのである。   3 性同一性障害性別取扱特例法と トランスジェンダリズムによる批判    (1)ガイドラインと性同一性障害性別取扱特例法の連動  この節では、性役割を割り振る社会編成に起因する当事者の強制状況に重点を置いて、トランスジェンダーの医療化を批判する、日本の「トランスジェンダリズム」を見ていきたい。以下、まずはガイドライン以降の動向を概観する。  山内は、性同一性障害医療の延長として、法的条件に言及している。「性転換手術をするにあたって、法的整備が十分でなく戸籍の性別を変えることができないことが、最後まで残った問題であった。たとえ、性を転換したとしても、パスポートの性別が変わらず、保険証や履歴書の性別が元のままであれば、本人の社会生活に種々の問題が生じ、生活の質が損なわれることは明らかである」(山内 1999: 199)。性同一性障害医療が取り組もうとした「性転換を望む人たちの苦痛、悩み」は、必然的に法整備を要請していった。  2000年8月、第6回アジア性科学学会のシンポジウム「性転換の法と医学」に、行政側のキーパーソンとなる南野知恵子参議院議員が出席した。南野は、この問題の重要さを認識し、同年10月、自民党内で「性同一性障害勉強会」を発足させる。2001年5月には、日本精神神経学会「性同一性障害に関する第二次特別委員会」が設置され、ガイドライン改訂作業が開始された。同学会は、「性同一性障害の法的性別に関する緊急要望書」を採択することになった。この間、前述の虎井を中心に、戸籍の性別変更に関する家庭裁判所への一斉申し立てが行われていた。さらに、2002年7月には改訂版ガイドラインが発表された。これは、FTMの乳房切除術をホルモン療法と同じ段階で実施可能にし、ガイドライン診療を受けてこなかった人たちへの対応等、指摘されてきた主要問題を調整するものとなった。この数年間で、当事者団体による厚生労働省での陳述、各政党の勉強会、ヒアリングへの対応、国会議員への陳情が行われることになる。2003年1月、「性同一性障害をかかえる人々が、普通に暮らせる社会をめざす会(gid.jp)」が国会や地方自治体への陳情を行い、地方自治体の公的文書から性別欄を削除させ、情勢に大きな影響を与えた。同年5月には、与党内にこの問題を扱うプロジェクトチームが発足、同年7月に「性同一性障害の性別の取り扱いの特例に関する法律(性同一性障害特例法)」を参議院法務委員会に提出した。この結果、与野党全会一致で同法案は可決されたのだった(野宮 2005; 南野2004)。  法制化とガイドラインとの連動は、2006年に発表されたガイドライン第3版に明らかである。第3版では、性別変更の審判がなされるには、特例法第3条の「一、二〇歳以上であること。二、現に婚姻をしていないこと。三、現に子がいないこと。四、生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。五、その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外見を備えていること」が満たされなければならず、とくに「四」と「五」の事項の充足が、ガイドラインに則した性別適合手術の正当化にとって重要である、と強調されている。  しかし、このガイドラインから特例法にいたる流れを、懐疑的に論じる人々がいた。    (2)トランスジェンダリズム  「特例法」推進派の当事者団体としては、「性同一性障害についての法的整備を求める当事者団体連絡協議会」があり、また「子なし要件」の削除を求めた当事者団体には、「性同一性障害をかかえる人々が、普通に暮せる社会をめざす会」「家族と共に生きるGIDの会」があったように、当事者の間にも法案成立をめぐって立場の対立がみられるようになった(『東京新聞』2003.7.17朝刊)。  以下では、性別変更の厳しい要件やその背景を批判しているトランスジェンダリズムの語りを検討する。ここで日本のトランスジェンダリズムとして取り上げるのは、筒井真樹子のエッセイ及び『情況』に掲載されたリレー連載「逆風に立つ」(2003年10月号から2004年7月号まで、全8回)である。これは特例法成立の最中に田原牧、三橋順子、土肥いつき、田中玲らトランスジェンダー当事者が書いた連載エッセイである。  まず、トランスジェンダリズムは、この法案に付された要件を批判した。「子なし要件」のせいで、子をもつ当事者の利益がこの法案では看過されている(筒井 2003; 田原 2003; 田中 2003)。審議の中で、「子の福祉」を理由にこの要件は加えられたが、親の性別移行が子どもに与える影響は説得的に示されなかった。子をもつ当事者は、現行制度に異議を申し立てるために、性別変更の申請を行いはじめている(『朝日新聞』2004.12.25朝刊)。また、この法案は、「生殖腺がないこと」という要件で、ガイドライン第三段階の治療(性器形成)を条件にしている。これによって、医療措置を望まない者の性別変更が除外され、性別記載を変更するために、望まないにも関わらず条件とされた医療措置を受けざるをえないケースが増えることが危惧される(筒井2003)。  さらに、法案における条件の制約よりも根本的なところで、法律上の性別変更は、トランスジェンダーを性的マジョリティである典型的な男性や女性に同化させる方向に働きかねない、という批判がある(三橋 2003; 田原2003)。彼らは、医療と特例法の連動や要件の厳しさに反対するばかりか、医療と特例法の根幹にある発想が、トランスジェンダーのライフスタイルを否定すると考えたのである。   ここで、性同一性障害とトランスジェンダーは、トランスジェンダー自身によって明確に区別されることになる。性同一性障害という疾病分類は、自らの身体を男か女かに振り分けて現在の社会編成に同化させていくが、トランスジェンダリズムは、性を越境している自らを肯定し、性役割を強制する社会を変化させようとする(三橋 2003; 田中2003; 田原2003)。  当事者の「性転換を望む人たちの苦痛、悩み」を前に、医療従事者は、その負担の原因である性役割には「当面の変革が望めない」と立ち止まる。トランスジェンダーという生き方を肯定する運動であるトランスジェンダリズムは、同じものを前にして、「当面の変革が望めない」それに着手していこうとするのである。    (3)トランスジェンダリズムが消し去るもの  しかしながら、本稿の視点からみれば、トランスジェンダリズムは、性同一性障害当事者の身体改変のニーズを社会的強制状況の下で把握しているため、結果としてそのニーズを否定してしまいかねない。  以下には、トランスジェンダリズムの立場がよく現れている。    当事者にとって、生まれ持っての生物学的な性はいかに外見をホルモン療法や性再指定手術など医療行為で変化させようとも変えることはできない。(中略)身体的違和の緩和(中略)に役立つ側面はあれ、性再指定手術も当事者にとっては美容整形と全くかけ離れたものではない。  そうであればこそ、いかに希望する性で社会生活を営むか、というジェンダー(社会的性)への「トランス(越境)」こそが問われねばならない。(田原 2003: 198)    自らを性同一性障害と規定する人たちは、[心の性と身体の性の不一致を病と考える]こうした偏った医学的認識をそのままアイデンティティにしました。言わば医学に囲い込まれた人たちです。(三橋 2003: 209)([ ]は原文のママ)    このように、「身体違和の緩和」には役立つが「美容整形と全くかけ離れたものではない」と述べることで、田原が強調するのは、社会的不利益に立ち向かう性別越境(トランス)の経験である。トランスジェンダリズムは、生活上の不利益が、生物学的基盤という自己の内で完結する原因によるのではなく、性役割を割り振る社会編成が原因である、という認識の転換を行う。三橋は、性別越境の経験を肯定しないで、男女という二つの性別に自らを押し込もうとする人々は、「医学に囲い込まれた人たち」であると表現する。このようにトランスジェンダリズムは、医療に対して、当事者が性別適合手術を選択する自己決定の過程に、性役割を割り振る社会編成の強制状況を読み取る。  性役割を割り振る社会編成に従って、「男になりたい女になりたい」という典型的なニーズ、「早く好きな女の子とセックスしたいです。『できるよ』って先生には言われましたけど、僕としてはちゃんと下半身の手術を済ませてから、やりたいですね」(針間・相馬 2004: 16-17)というニーズがある。これに対して、トランスジェンダリズムは、社会的強制状況を指摘することで、「それを強制する社会を変えよ」と、結果的には答えていることになる。  この強制状況の存在と性同一性障害医療とは、単純に両立させることはできない。社会的強制状況の存在は、医療行為の正当性を揺るがすからである。トランスジェンダリズムは、生活上の不利益が当事者に手術による同化をせまっていると看破することで、第2節(3)で確認した医療の救済的利用(「性同一性障害」を理由とした身体への侵襲)と便宜的利用(「性役割の忌避」を理由とした身体への侵襲)との区別を不安定にする。このため、原理的には、身体に不可逆な仕方で深く介入する範囲での性同一性障害医療、外科的治療が否定される可能性がある。咽頭切除や乳房切除等は比較的可逆性が見込まれるので、治療から除外されても美容整形術の枠で施術ができるが、不可逆な侵襲である子宮摘出や性器切除等は傷害行為と同定され、医療から除外されて施術ができなくなってしまう可能性が出てくる。  トランスジェンダリズムは、社会的不利益をすぐに全面的に解除することはできないので、当事者は代わりに身体改変をしている側面がある、というハードな状況認識をもつ。確かに、社会的利益を得るために、ホルモン投与後に一生続く身体のメンテナンス、膨大な金銭的負担、手術による身体の負担等を選択するという光景は、強制状況に見える。また、かりに美容整形術の枠内で一部の施術が行われるにしても、その選択に強制状況が作用しているとしたら、それは問題である。トランスジェンダリズムからすれば、医療は社会的不利益への取り組みを先延ばしにさせるのである。  このようにトランスジェンダリズムの主張は、当事者の性別適合手術へのニーズに社会的強制状況を見て取ることで、自由な手術の選択を不安定にしてしまい、その結果、治療行為としての正当性を困難にしてしまう。強制状況の存在と医療とは両立不可能である。   4 性同一性障害医療とトランスジェンダリズムのあいだで 希望されるもの    (1)トランスジェンダリズムの揺らぎ  トランスジェンダリズムは、2節で検討した性同一性障害医療を擁護する側が、当事者の身体に性別適合手術をもって応じることで、社会的強制状況への取り組みを先延ばしにしていると考えていた。他方で、3節で見たように本稿は、トランスジェンダリズムが、性別適合手術の自由な選択には強制状況が含まれていると認識することで、当事者の身体改変のニーズを不安定にしてしまうのだと考える。  ところが、トランスジェンダリズムは、一見すると矛盾とも思える形で医療を選択している。もう一度、先ほどの田原と三橋の引用を見てみよう。田原の引用は、性別適合手術の治療効果の限界について語っている。だが、「美容整形と全くかけはなれたものではない」という表現は、「美容整形と同じである」という表現とは異なる。この言い方は、医療行為としての可能性や、「身体的違和」という生物学的基盤を否定し切らない形をとっている。また、三橋の引用は、「医学に囲い込まれ」るトランスジェンダーの医療化に対しては批判的である。しかし、この引用もまた、医療行為そのものは否定していない。トランスジェンダーの語りの中でもやはり、身体改変のニーズの原因については、社会的不利益からくる負担を強調しようとしながらも、生物学的基盤からくる身体違和を切り離すことができない。    たとえば、私は性別越境をしているトランスジェンダーだが、性別違和を「障害」とは思っていない。現在、男性ホルモンを定期的に投与し、「男性」と社会的には見られるファッションを楽しんでいる。(田中 2003: 173)    田中は、「性別違和を『障害』とは思っていない」のであるが、身体違和(「性別違和」)は現にあり、「性別越境」(乳房切除手術とホルモン療法)を選択する。  このように、トランスジェンダリズムは、選択に働く強制力を示唆すると同時に、なぜか、身体への医学的介入を自己決定できるものとして挙げて、当事者が自由に医療を選択する可能性を示すにいたる。    (2)トランスジェンダリズムが消し去らないもの  ここでは、医療従事者とトランスジェンダリズムの両方が不明瞭にしか位置付けてこなかった、当事者の身体改変のニーズに、明確な位置付けを与える。それによって、トランスジェンダリズムにおいては両立不可能に見えた、社会的強制状況の批判と医療の選択とを、両立可能なものとして読み解いていきたい。  本稿の視点では、当事者の身体改変のニーズは、現状では、生物学的基盤による身体違和と、望む性役割を演じきれないことで受ける社会的不利益の両方である、と言わなければならない。「自分自身のジェンダーに感じる苦痛とセックス・ジェンダー社会編成に感じる苦痛とを(中略)区別することは不可能」である(Dean 2000: 64)。論理的に考えるならば、その人の身体改変のニーズが、生物学的基盤をもつ身体違和を原因として自由な選択の下に現れるのは、社会的不利益が解除された後に他ならない。  このことは、現在、生物学的基盤をもつ身体違和を原因にするニーズが存在しない、ということを意味するのではない。社会的不利益の解除の後まで、このニーズの存在は確証できないのである。この解除の後に明らかになるニーズは、確証もできないが否定もできないという形で、現に存在している。「男になりたい女になりたい」という典型的なニーズの存在もまた、否定できない形で存在している。このようなニーズの地位を前提にした上で、当事者の社会的強制状況が問題であるとしたら、論理的帰結として、自由な身体改変の選択を可能にする条件である、社会的不利益の解除が導かれることになる。  トランスジェンダリズムが不安定に捉えていた、性同一性障害当事者の医療へのニーズは、このような形で表現することができる。この表現は、当事者のニーズを否定も肯定もしないで存在するものとして取り扱い、社会的強制状況の解除を実現するようにと要請するのである。    (3)社会的強制状況の解除と医療の選択  身体改変のニーズに強制状況を看破するトランスジェンダリズムの論理と、身体改変を選択するという行為が、両立不可能にみえる一方で、トランスジェンダリズムの議論の中に、実際には身体改変の選択を肯定するものがある。だが、これは前項で位置付け直したニーズを通して見ると、両立可能なものとして読み解くことができる。  すでに見たように、性同一障害当事者の身体改変へのニーズの原因については、生物学的基盤と社会的不利益とが分けがたい。したがって、論理的に、生物学的基盤をもつニーズの存在と自由な選択は、社会的不利益が除去される後までは、確証できず否定できない。この社会的強制状況の存在と医療の選択を、現に両立させるとしたら、医療の選択の際に、自らの周囲にある社会的強制状況を部分的にではあるにせよ解除する他ない。  中村(2005)は、社会的強制状況の解除と医療選択を両立させる人たちのライフヒストリーを、聞き取っている。L(30台半ばMTF)は、ホルモンを摂取している。他人から女性と思われることに力を注いでいた頃には、性別適合手術も受けようとしていた。しかし、パートナー、仕事先でのカミングアウトを重ねることで、「そうは思わなくな」っていったと言う。    Lは郵便局で新しい仕事を見つけた。Lの上司は、履歴書の性別に従い、Lに男性用ロッカーを割り当てた。ところが数日後、Lは仕事仲間から、「あんたは男なんか、女なんか」とたずねられた。Lが素直に説明すると、「書類上は何でもいいから、女のロッカーを使いなさい」と言って、女性用のロッカーを与えてくれた。(中略)Lはただ自分らしく振舞っていただけである。しかし、まわりの人たちはLに理解を示し、Lが快適に働ける環境を用意した。このことも、Lに自分らしくしていればいいという、大きな自信を与えてくれた。(中村 2005: 66)    中村が聞き取る当事者のライフヒストリーからは、社会的強制状況の解除は、条件の改善(「女性用のロッカー」「快適に働ける環境」)という客観的な形と同時に、自己受容の感覚(「大きな自信」)として、きわめて主観的な形でも現れる。その上で、Lのように医療(ホルモン摂取)を選択する人がいる。  田中もまた、そのようなトランスジェンダーの一人である。    私は大雑把にいうとFTMだが、「本物の男」になろうとは思っていない。乳房は手術して取る予定だが、女性器を解体して子宮と卵巣を取り除き、人造男性器を付けるために性器の手術を受ける予定も今のところない。(中略)自分が「女」から「女ではないもの」になるには、別に「男」である必要は全くない。男性ホルモンを定期的に投与し、一見「男」に見える外見にはなったが、女性器はついたまま。乳房は取るので乳なし、女性器あり、の一般常識からすると不思議な身体だ。しかし、私はこの身体となら仲良くしていけるだろうと思う。(田中 2006: 91)    このように、きわめて即物的な身体部位の描写を積み重ねることで(「男性ホルモンを定期的に投与」「乳房は取るので乳なし、女性器あり」)、田中は、身体の性別移行には多様なグラデーションがあると述べる。このグラデーションの間に置かれた身体は、社会編成が強制する外見・性ではない(「一般常識からすると不思議な身体だ」)。だが、これに続けて、「私はこの身体となら仲良くしていけるだろうと思う」という表現には、自らが自己の身体に向ける選択の自由さがあらわれている。  むろん社会的強制状況から完全に自由な選択などありえないだろう。だが、トランスジェンダーたちは、社会的条件を整備し、自らの身体を自由に扱えるスペースを部分的にせよ作り出し、性を割り振る社会編成を揺るがしている。トランスジェンダーの選択は、現在、社会的強制状況が作用していることを前提とした上で、完全ではないにしても、強制状況が解除された後の身体の状態やニーズを、現在に引き寄せる試みなのである。  強制状況を示唆すると同時に、医療において自由な選択を行うことは、この場合は両立する可能性がある。なぜならば、強制状況の下でなされる場合は自由な選択と両立できないが、強制状況の下にあるとしても、部分的にせよ自由な選択の先取りという形でなされる場合は、論理的には整合する。ただし、ここで両立しているのは、強制状況と自由な医療の選択ではない。強制状況にあるのか強制状況が解除されているのかが未確定な状態と、自由な医療の選択が両立しているのである。これはトランスジェンダーの試みによって示唆された論理ではあるが、男女の区分に収まる形での性別移行を希望する当事者にも妥当するだろう(*4)。    (4)結論  性同一性障害当事者のニーズの原因が、生物学的基盤による身体違和とも決められず、社会的不利益とも決められないということをはっきり肯定するならば、未来にありうる当事者の自由な選択を可能にするために、社会的強制の解除に取り組むほかない。  医療従事者は、性同一性障害の身体改変のニーズの原因を、生物学的基盤に見出そうとした。だが、その語りから見たように、現状では生物学的基盤からくる身体違和と社会的不利益からくる苦痛を切り離すことができない。また、これは外科的措置等の治療を選ぶことで、社会的強制への取り組みを先延ばしにさせる点に危うさがある。  他方で、トランスジェンダリズムは、原因を社会的不利益に特定し、身体改変のニーズを不安定にしてしまう。しかし、本稿の視点では、この身体改変のニーズが、身体違和と社会的不利益からくる苦痛とを切り離せない限り、つまり社会的強制状況を解除しない限り、存在を否定することはできない。その上でなお、当事者の自発的な選択による身体改変が可能になるには、社会的強制状況が取り除かれるほかない。その一つの形として、本稿が最後にみたように、トランスジェンダーの未来の身体を先取りした自由な選択、強制状況の解除を深く問う試みがある。トランスジェンダリズムは医療を否定する可能性をもちながらも、医療との両立を探っている。この論理は、トランスジェンダリズムの立場をとらない当事者にも妥当するものである。  トランスジェンダリズムは問うていた。私たちは何度でも、性同一性障害が医療の対象とされる疾病であるか、あるいは社会的な問題であるかという境界線に立ち戻るべきなのではないかと。医療とトランスジェンダリズムの間を考察することで、医療の自由な選択と社会的強制状況の批判を両立させようとした本稿は、トランスジェンダリズムから引き出したこの問いを結論に置くものである。  (初出:『現代社会学理論研究』(2)、113-127、2008) ■註 *1 Sex Reassignment Surgery(SRS)は、「性転換手術」「性別適合手術」「性再指定手術」等様々に訳出されてきたが、本稿では引用を除き同ガイドラインで使用されている「性別適合手術」を用いる。 *2 また米沢(2003)も同じ系列の議論を紹介している。なお、本稿は、政治的な配慮を繊細に行う、トランスジェンダーたちの文章を扱っている。そのような状況即応的な文章が、揺らぎをもつことは自明であり、この揺らぎは批判の対象ではない。本稿にとっては、トランスジェンダリズムにおける揺らぎ──両立不可能なものを両立させる──を明確に把握し積極的に読解することが、重要な課題なのである。 *3 引用部分への傍点は引用者によるものである。以下同様。 *4 この選択が自由な選択であるか否かは、きわめて不安定な状態にある。自由な選択が可能になるには、どのような形でどの程度、社会的強制状況が解除されればよいのか。この度合いを測る実践的な尺度については、次の課題として残したい。 ■参考文献 Butler, Judith, 2004, Undoing Gender, New York: Routledge. Dean, Tim, 2000, Beyond Sexuality, Chicago: University of Chicago Press. 原科孝雄・立花隆,1998,「性転換最前線を行く」『中央公論』113(12): 260-279. 針間克己・相馬佐江子,2004,『性同一性障害30人のカミングアウト』双葉社. 石原明,2004,『法と生命倫理20講〔第4版〕』日本評論社. 三橋順子,2003,「性別を越えて生きることは『病』なのか?」『情況』4(19): 206-211. 南野知恵子,2004,「性同一性障害性別取扱特例法に関する取組と経緯」南野知恵子監修『【解説】性同一性障害性別取扱特例法』日本加除出版,2-12. 森野ほのほ,1999,「手をつなぎはじめたトランスジェンダーたち」『創』29(10): 144-147. 中村美亜,2005,『心に性はあるのか?──性同一性障害のよりよい理解とケアのために』医療文化社. 日本精神神経学会,1997,「性同一性障害に関する答申と提言」『日本精神神経学雑誌』99(7): 533-540. 日本精神神経学会,2006,「性同一性障害に関する診療と治療のガイドライン(第三版)」http://www.jspn.or.jp/04opinion/2006_02_20pdf/guideline-no3.pd 2008.2.20 野宮亜紀,2005,「日本における『性同一性障害』をめぐる動きとトランスジェンダーの当事者運動」パトリック・カリフィア/サンディー・ストーン他『セックス・チェンジズ』作品社,542-569. 大島俊之,2002,『性同一性障害と法』日本評論社. 澤田省三,2000,「『性転換』をめぐる若干の法的課題(上)──埼玉医科大における性転換手術の実施を機縁として」『判例時報』(1692): 28-35. Stryker, Susan, and Stephen Whittle, eds., 2006, The Transgender Studies Reader, New York and London: Routledge. 田原牧,2003,「見失ったプライドと寛容性──『性同一性障害特例法批判』」『情況』4(9): 149-200. 竹村和子,2005,「『セックス・チェンジズ』は性転換でも性別適合でもない」パトリック・カリフィア/サンディー・ストーン他『セックス・チェンジズ』作品社,542-593. 田中玲,2003,「トランスジェンダーという選択」『情況』5(4): 173-179. ────, 2006,『トランスジェンダー・フェミニズム』インパクト出版会. 鶴田幸恵,2004,「トランスジェンダーのパッシング実践と社会学的説明の齟齬」『ソシオロジ』49(2): 21-36. 筒井真樹子,2003,「消し去られたジェンダーの視点──『性同一性障害特例法』の問題点」『インパクション』(137): 174-181. 山内俊雄,1997a,「私たち倫理委員会はなぜ性転換を求めたのか」『論座』(32): 96-103. ────,1997b,「性同一性障害・性嗜好障害」『臨床精神医学』(26): 141-146. ────,1999,『性転換手術は許されるのか──性同一性障害と性のあり方』明石書店. 山内俊雄・加澤鉄士・森秀樹,1999,「性同一性障害の診断・治療とその問題点」『日本精神神経学雑誌』101(1): 65-70. 米沢泉美編,2003,『トランスジェンダリズム宣言』社会批評社. 第6章 GIDという経験 ──「患者」としての3年間    ヨシノユギ  (立命館大学大学院先端総合学術研究科)       はじめに    ここでは、性同一性障害──GID医療を受けてきた当事者として、その経験や違和感について述べようと思います。  私自身、自分が「患者」であるのかどうかということについて、ずっと考えてきました。私は13、4歳のころに、自分の身体がしっくりこないなと感じ始め、20歳で「性同一性障害」という診断を受けました。それ以降、性同一性障害という言葉によって、何らかの疾病であるとか、患者であると位置づけられるようになったわけです。ただ、患者とか、障害当事者とか、疾病というカテゴリについては、常に腑に落ちない思いがありましたし、アイデンティティを構成する要素にはなり得ないなと感じてきました。   1 GIDとは何か    はじめに、GIDが何なのかということについて、簡単に説明したいと思います 。まず、「性」には三つの要素があるというふうに考えてみて下さい。一つ目は、生物学的な性。これは生まれ持ってきた体の性、「セックス」のことです。二つ目は、性自認と呼ばれるもので、自分がどの性別に属していると考えるか、ということです。体の性に対して、心の性と言われる場合もあります。最後に、性的指向です。これは誰を好きになるかという対象の性です。体の性や心の性に関わらず、どの性別の人に性的魅力を感じるか、あるいは感じないかということです。  しかし、この三つの性の要素を、別々に考え分けることはそれほど一般的ではありません。おおよそ、性は固定的なワンセットだと思われています。たとえば、体が女性であれば心の性も女性であるはず。そして好きになるのは男性であるはず、という考え方です。このように性を一括りにしてしまうと、そうでない人に対して、「その性のあり方はおかしい」「普通と違う」という気持ちを抱いてしまうことがあります。でも実は、性の要素というのはバラバラであって、決して組み合わせ方が決まっているわけではない。固定的な形があるわけではなく、人によって組み合わせが異なるし、人生を過ごすにつれて組み合わせが変わることも起こり得ます。  ではGIDについて簡単にいうと、それは「体の性」と「心の性」が食い違ってしまうことです。多くの人は、体と心の性はパズルのように一致します。心身の性に同一性を持っている状態です。しかしそれが食い違ってしまうと、生物学的な性と、自分の考える心の性が一致しないということになります。すると、自分の状態に対して不都合な感じや、ちぐはぐな感じ、また体に対する違和感や嫌悪感が出てくる。この状態が、「性別違和」といわれ、その不一致の状態につけられた医学的な名称が「性同一性障害」ということになります。これは極めて単純に説明をした例で、実際はグラデーションが当然ありますが、ごく基礎的な理解としては、これをGIDと呼んでいるわけです。   2 身体への違和    少し、私自身の経験を話しましょう。私は第二次性徴が始まったころに、自分の体が自分の心にフィットしていないという感覚を抱くようになりました。体が「大人」の「女性」として成長していくことについて、先行きが見えないし、そのように生きていくということが思い描けませんでした。公式な性別適合手術は、1998年に埼玉医科大学で初めて行われましたが、当時はまだその報道にふれる前でしたし、インターネットも普及していません。性同一性障害という言葉はもちろん、性に違和感を持つ人の存在も広く知られていないころでした。そのため当時は、自分の心に何らかの問題があるのではないか、自分の心の中に女性ではない人格があるのではないかと考えたりもしました。  体に対する不安な気持ちと同時に、中学生時代は、社会的な性、つまりジェンダーに対する違和感も常に突きつけられていました。私の地元では、性別による持ち物の色分けは公然と行われていました。女子は赤い縁取り、男子は黒の縁取りのバッグを使わなくてはならなかったし、制服もセーラー服と学ランでした。つまり、男子か女子か、どちらかに帰属しているということを常に表明させられてしまうわけです。そのような生活は快適ではありませんでした。人間関係においても、中学生の頃は男子と女子のグループに分かれがちです。私はどちらのグループにも距離を感じてしまい、「同性」同士で仲良くするものだという不文律にも馴染むことはできませんでした。  ここには二つの大きな問題があったと思います。一つは、体の性についての違和感とどう付き合い、どう解消していくか。ずっと我慢する人もいますし、落としどころを見つけられる人もいますし、積極的にホルモン注射や手術を選択する人もいます。もう一つは、自分の性に対する違和感を、自分自身がどう捉えていくのか、それを周りにどのように伝えるか、もしくは伝えないのか。家族、友人、コミュニティなどに対して、自分のスタンスをどう表明していけばいいのか。自分自身に向けられた問題と、社会との関わりの中で生まれた問題、二つの悩みと向き合った思春期であったように思います。  やがて公式医療の開始が報じられ、「性同一性障害」という言葉がメディアに取り上げられるようになってきました。率直な感想としては、「なるほど」という思いでした。体の性や心の性という概念が存在していて、そこに病名までついている。とりあえず「あっていい」状態なんだな、と単純に思ったのです。それまでは、自分の性の感覚をうまく表現できず、自分が何者なのかを模索していたので、GIDを知ったときには、一瞬の安心を感じました。そして、しばらくGID という枠に沿って人生を考える時期が始まりました。京都の立命館大学に進学したことで、最も近くにある正規医療の拠点、大阪医科大学で「治療」を始めることにしたのです。   3 GIDという診断    GIDの医療にはガイドラインがあります。GIDの治療にあたっては、このようにカウンセリングし、このように医療行為を進めることが望ましいという指針です。ガイドラインに沿って治療を進めていくことは、正規医療、公式ルートなどと呼ばれます。現在は大学病院を中心に行われています。ガイドラインとは関係なく、個人病院で医療を受けるケースもあります。これは「闇ルート」などと言われています。数で言えば、こちらの方が断然多いでしょう。GIDに関する答申が学会レベルで認知されるより以前から、美容整形の領域として、乳房切除手術や精巣除去手術が行われてきました。  そういった状況の中で、私は敢えて正規医療にかかる道を選びました。なぜかというと、いきなり手術に飛び込むことへの恐さもあったかもしれませんし、麻酔科医がいて、入院できる施設があるなど、より安心して医療が受けられる条件を考えたとき、大学病院の環境の方がよいだろうという判断もありました。期待していたのは、正規医療の売りであるチーム医療です。ジェンダークリニックという形で、精神科や形成外科、泌尿器科や産婦人科などの科が集まって、総合的に患者のケアにあたるという方法を標榜していたので、大阪医科大学で正規医療を受ける道を選びました。  しかし、正規医療の枠の中で新たな違和感が生まれました。問診では、生育歴、家族構成、趣味嗜好はもとより、性的な経験の有無まで詳細に答える必要があります。それが実際の診断にどの程度影響するのかははなはだ曖昧です。薬にアレルギーがあるなどの情報は伝えておかねば危険ですが、性的経験の情報が診断に必須だとは思えません。極めて個人的なことまで語らせる医療側に疑問を感じざるをえませんでした。そもそも問診の項目も、誰がどのようにして精査したものか否か、分からないのです。またGIDの診断では、「生まれ持った性と逆の性に対する持続的な違和感を持っている」ことが中心になります。それを確認するためには、ときに、医師に対して「自分がいかに女/男でないか」を示さなくてはなりません。生まれ持った体は女性だが男性として生きたいと思った人がいるとして、精神科医に対して「男性らしさ」を服装や言動でアピールすることもあります。ライフヒストリーに関しても、いかに女性の体を嫌悪しており、いかに苦しんで生きてきたかを強調すればするほど、診断を得やすいという戦略があるのです。  私はそのルートに乗り切れませんでした。私は男女どちらとも言えないようなファッションを好みますし、髪の長さなどにもこだわりはありません。肌の手入れも非常に気にします。しかし胸が膨らんでいることには我慢ができませんでしたし、スタイルを褒められても苦痛でした。このように、一般的に「女性らしさ」「男性らしさ」と呼ばれる要素が様々な形で同居し、折り重なり、または混在しているのです。それは人間として当然なことと言えます。中学校生活で感じた「色分け」などに対する違和感が、今度は逆の形で、私にのしかかってきたのです。「“男”になりたいんでしょ?」という単純化された問いかけの前で、GIDであり続けることに馴染めなかったのです。  このように正規医療の中でズレを感じ、私はGIDとの距離を次第にとるようになりました。「GIDです」とは言えなくなり、「便宜的にGIDです」、「GIDという診断は受けています」、などの表現を使うようになりました。そして、医療はただのツールでしかない、そこに自分を投影することはやめようと考えるようになりました。曖昧で言語化できないけど大切なものとか、ひとりひとりが持っている好みや個性を回収し、削ぎ落として枠の中にはめ込んでいく。それがGID診断の現場の状況ではないかと私は思っています。   4 性別二元化に抗する    私は、心身ともに男女二元論に当てはまらないという気持ちを持っています。私は手術をして胸は取っていますが、今のところ男性ホルモンを打とうという気持ちはありませんし、性器の形成手術をしてペニスを付けようという気持ちもありません。しかしGID診断基準にのっとると、「普通はペニスも付けたいよね」という話になります。事実、医師から言われたこともありますし、単純な質問として受けることもあります。「胸の手術をしたら、次はホルモンでしょ?」とか、「いずれ下も手術するんでしょ?」と。「胸を取った、じゃあ次はホルモンを打ってペニスをつけて『男』というものになっていくのだよね」ということです。つまり、「女性として生まれたけれども違和感を持っている人は男性に着地しなければならない」、「男性として生まれたけれども違和感を持っている人は女性に着地しなければならない」というように、抜きがたい男女二元論が作用しているように思います。  例えば、戸籍上の性別を変更できる特例法というものがあります。しかも、そのためにクリアすべき要件は多く、簡単にいうと〈1〉20 歳以上であること、〈2〉結婚していないこと、〈3〉20歳以下の子どもを持っていないこと、〈4〉生殖機能を廃絶していること、〈5〉逆の性に近似する外見の性器を持っていること、となっています。この法律の要件を鑑みると、自分の体や性に対して何らかの違和感を持つ人を、いかに男女という制度に振り分けようとしている圧力があるか、おわかりいただけると思います。人によって、性別移行のレベルや望む体のあり方はグラデーションがあるのに、この法律では絶対的に男女に二元化されていなければいけないのです。心身に複合的な抑圧が降りかかっている状況です。  私は、GID という診断名を受けつつ、しかも正規医療にのっとって手術までしたにもかかわらず、GID という状態に何らかの価値、そこに依拠する気持ちが持てません。最近では「“GID” ID」、つまり、一周してしまって、性同一性障害と言われることに同一性を感じられない状況になっていると冗談を言ったりします。でも、そうではない人も当然います。女性の体として生まれたけれど、男性として見られたい人、それをとことん追求したい人も当然いる。そういう人から見たとき、私の選んだ立ち位置が中途半端であるとか、「あんな奴がいるとこっちが迷惑する」とか、言われることもあります。あるスタンスの人が、違うスタンスの人に対して抑圧的な言動をとってしまっていたり、規範の中に回収しようとする力が、当事者と呼ばれる人たちの間でも働いている状況があると思います。   5 GID医療を問い直す    私は大阪医科大で胸を取る手術をして、結果的に壊死してしまいました。事前の説明や、術後のケアの中に納得できない点があったので、様々な方法で理由を訊き、歩み寄りを期待しましたが、うまくいきませんでした。そのため、2007年3月に病院を提訴しました。裁判に関わる作業を進めていく過程で、標榜していたはずのチーム医療の不在や、医師の持つ体への認識不足──胸が平らになりさえすれば目的は果たされるというような──、術式の問題などが次第に浮かび上がってきました。これらの点は、裁判の進行に伴って次第に明らかにしていけると思います。ただ、大きな問いに向き合うと、やはり出発点に戻ってしまうのです。どうして、多様な性を持つ人たちが「GID」という「患者」でなければならなかったのか。健康な体に、合法的にメスをいれるための手段ということは自明ですが、それだけでは説明のつかない問題も孕んでいるように思えます。正規医療は保険適用ではありませんし、「闇ルート」よりも技術的に優れているというわけでもありません。にも関わらず、GID診断やGID医療が求められるのは何故か。医療はその求めに応答可能なのか。「ある特定の人々」をGIDと名づけて医療の対象としてきたこの10年、そこに向き合い、新たな歩みを進める時期に差し掛かっているのではないでしょうか。 ■本稿は、2007年11月3日に「ネットワーク医療と人権・MERS」が開催したイベント「患者とは何者か? 患者─医療者間の『せつなさ』と『幸福な関係』」で行った講演に、加筆修正を加えたものです。データのご提供をいただいたMERSの皆様に御礼申し上げます。 争いと争いの研究について  立岩真也  (立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)   加担することは肯定される  これまで多くの事件・裁判に、学者・研究者・学識経験者たちが、総体としてはとてもとても十分にということではなかったにしても、そして──ときにはずいぶんと入れ込む人がいたにはいたのだが──ほとんどの場合に「専門的知識の提供」というぐらいのことであり、いずれにせよ個人としての協力ということではあったのだが、関わってきた。争っている一方の側に付くことがあってきた。そのある部分は、問題を見えなくさせ、事態を悪化させ、事態の解決を遅らせるものであることもあった。他方、そうでない方向のものであることもあった。すくなくともそのある部分は、価値があり意義のあるものだったし、幾人か、幾人も、その活動が記憶されるべき人たちがいる。  学問のための学問の意義を否定しないが、他方、人々のためにも学はあり、それはときに一方の側に付いて他方の側を批判することであることが、当然にある。それは自明のことである。であるならば、共同的な研究のプロジェクト自体がそのような部分に参加することもまた当然、原理的に正当である。例えば自然科学の分野でも、ある技術の開発・研究を他に優先して行なうことがあるだろう。常に選択はある。選択とは、あるものを取り、別のものを取らないことだ。もちろん、そのある選択について、一方への加担と他方の否定に対して、それは間違っている、別の選択をすべきであるという反論はありうるし、あってよい。そして時には、たんに反論は自由だ、かまわないというだけでなく、反論の場所の提供も含め、双方に対等な条件を設定するぐらいのことをしてよい。自信があるなら、あるいは確信がもてないがゆえに、そんなことをした上で、自らの立場を主張することがあってよい。 調べることがある  ただ実際の私たちについていえば、堅固な意思をもって、計画性をもって、この「生存学」なる研究の活動をしているのではない。裁判での争いに自らが関わってしまっている私たちの研究科の大学院生が、この冊子にその記録が収録された昨年のシンポジウムに参加し発言してくれているし、別の講演の記録も収録されている。そんなことが他でなされたことがあるのかどうかは知らない。私は、本人から幾度かそのことに関わる話を聞いて、その主張はもっともだと考えている。ただそれはそれとして、まず、その人(たち)が置かれている位置について、様々なことが考えられたり調べられたりするべきだと思うし、そのことを知ってもらうのがよいと思っている。  既にいくつも重要な調査・研究がなされてはいる。しかし全体としてはやはり少ない。人手がいない。そしてその少ない人たちの多くは、正当にも、加害・被害がどのようにして生じたのかを研究する。当然のことである。次に、代わりにどのようであればよいのかについて。もちろんそのことについても、すでに様々な方策が提案されていたり、そのいくつかは実現したりしている。それらもまた重要ではある。ただ、実際に争いが、その対立する二者の間において、そしてその各々の陣営の内部においてどうであったのか。そのことはそう明らかにされていないと思う。また、基本的にどのようであったらよいのか、このことについてもまだ考えてよいことが残っているように私は思う。 わかること、わかりきらないこと  むろん、そこには、事実認識に関わる部分も含め、食い違い、対立がある。それがはっきりしないから、双方の当事者ではない人たちがそこに立ち入りにくいと思うのもまたもっともなことではある。だが、それこそが争いの当人にとって悔しいことでもある。  だから、一つには、シンポジウムに参加してくださった勝村さんが、年来主張し、またその実現に尽力してきたことでもあるのだが、情報が知らされることである(*1)。本人以外の場合にはどうするか──例えば子どもについての情報を親や親でない人がどれだけ知ることができるのかできないのか──といった問題、命に関わる悪い知らせの場合にどうするかといった問題はあるけれども、基本的には、当人に当人のことが知らされない理由はない。知らせないことの理由として、とくに後者があげられることがあり、それはそれとして考えるべきことではあると思う。しかし、それはしばしば、別の理由、知らせることで都合のわるいことが起こることを避けたいという理由を表に出さずに、知らせないことをせずにすませるために言われるにすぎない。  知らせずにすむのであれば、隠すことができるのであれば、自らに都合のよいように振舞ってしまうことはいくらでもある。よくないことであるとわかっても、そのように振舞ってしまう。それは医療にとってもよくない。隠匿・虚言ができないようにしてしまうことは、医療を供給する側にとってもよいことである。だがそうはなっていないのが過去から今までのことであり、そして、このわからない部分、そのことに関わって争いが生ずる部分を大幅に少なくすることはできるし、またするべきだ。  ただ、例えば公害・薬害といったもののある場合には、その人の今の状態が何に由来するのか、なんとも確定できない場合は残ることがあるだろう。とすると、どう考えるか。これはたんに事実判断の問題というだけでない。 贔屓してよい理由  まず、しかじかの要因によってある人の今の身体の(苦しい、不安な)状態が引き起こされた「可能性」があるというだけで、その要因を生じさせた、そして/あるいは除去しなかった人・組織には非があり、苦しませた人に詫びなければならないと言える。その人はたとえば肝炎になった。そして肝炎を誘発するしかじかの要因が人為的にもたらされた、あるいは人為的に除去可能であるにもかかわらず除去されなかった。その人が今肝炎であることについて、その要因が関わったかどうか、確証はできないとしよう。しかしその可能性はある。その人は、そんなことで自分が今こうなっているのかもしれないと思わなければならないだけで、すでに十分被害を蒙っている。誰もが病にかかる可能性はあるだろうが、それは仕方がない。しかし生じさせないことができたことを人・組織が生じさせた、あるいは除去することができたものを除去しなかった。このことがその人の苦痛や死に関わっているかもしれない。そのことによってその人・組織は咎められる。  次に、次項に述べること、理由のいかんにかかわらず、身体の不具合に関わって必要な費用は社会的に賄われるべきであるという原則から考えても、そのようになっていない現行の制度・法は不備である。本来は、別途の医療・福祉制度からの対応がなされねばならないのだが、なされておらず、それが当面変更できないのであれば、仕方なく、補償として受け取らざるをえないことになる。そうして例えば国家から受け取れたとして、それは、すくなくともその大部分は、本来は他の制度から受け取ることができてよかったはずのものである。  以上いずれの理由からも、被害を示すものとして求められる因果関係は緩いものでかまわない。実際にそうでないとすれば、その基準の方が間違っている。それを今は動かせないのであれば、その基準の運用において、緩くとることの方が義に適っている。他にもあげられる幾つかの理由によって、多く──すべてではない──被害を訴えざるをえない側の不利はあり、かなりうまく制度・仕組みを作っても残る。とりわけこの社会の制度、現行の法・司法においては、今使われている言葉の意味で事実関係・因果関係が明確でない場合にも、そちらの側の肩を持ってよい合理的な理由がある。 後でよいから調べること  次に、このことと同時に、すくなくとも多くの場合に、事後であったとしても、何が起こったのかの検証の必要・意義はある。それが、結局は事態を前進させるはずだとも考える。傍観者でいるべきでない場面があるとともに、そのことと矛盾せず、冷静に解析するべき場面があるということだ。  どうしてか。何をしてしまったのか、そこにどんな計算が働いていたのか、その計算は、いかなる意味で妥当なものだったのか、あるいはそうでなかったのか、それらを確認しておくことの意味がある。また、様々な「当事者」がいて、被害を訴える側、裁判の原告側とされる方にしても一様ではない。そして「解決法」もまた多様である。これらの複雑な様相を解析することが、これからどのようにしたらよいか、その仕組みを作っていくことにつながると考えるからである。  弁護士として「現実的」な解を求める人もいるだろう。あるいは、時には、その弁護士たちも含め、支援する側の人たちの方があくまで「原理原則」を貫くべきだと考えるかもしれない。また原告側の思いもときに一様でない。自分に残された時間を考えるなら、また差し迫った生活のことを考えるなら、早期の解決を望み、また金銭的な補償を求めることになることもある。ただそれと同時に、多くはその人とまったく同一の人が、何が起こったのかをはっきりさせたい、謝罪を求めたいと思うことがある。そんなことが様々あって、また他の要因も絡んで、本人に葛藤が生じ、告発する人たちの内部に対立が生じることがある。  その時点において、そうしたもろもろを調べ、そして公表することは実際に難しくもあるだろうし、またなすべきでないことがあると思う。その理由はさきに述べたとおりだ。多くの場合にその人たちは支援されるべきである。その時に内部での対立を明らかにすることは争いを不利にすることがある。ただ、その後でよいから、検証の作業がなされてよいと考える(*2)。  事後であっても、語りたくないもっともな事情があったりして、困難なことがあるだろうし、また、時間が経ってからのことであるがゆえに、忘れられたり、亡くなられたりして、困難なこともあるだろう。しかしそれでもなにもできないわけではない。それなりに知られている事件について、複数の立場から、それぞれ自らの見方でものを見て書かれたものがある。まず簡単にできることとして、それを読むことはできる(*3)。そしてそれぞれの立場からということになろうが、話を聞くこともできるかもしれない。そうして調べて、ではどのようであったらよかったのか、またこれから、どのようにしたらよいのかを考えることができるはずだ。 離すこと  ただ、実際のところがみな明らかにならなければ次を考えることができないわけではない。加害があった場合にどうしたらよいのか。様々に当然なすべきこと、しかし実際になされていないことがある。それを列挙することをここではしない。ただ一つ、大きな一つの問題が、さきにも触れたこと、「補償」の問題であると考えている。私は、害を受けた側の経済のこと、生活のことと、加害者を批難し謝罪させることとを、可能な限り引き離した方がよいと考える。  たしかに、加害者の側は、謝るだけですべてすむということであるなら、マニュアル通りに詫びるぐらいのことはするだろうとも思うから、それ以上のなにがしかが課されるべきだと思うのももっともではある。その一つとして補償金を払わせるというかたちがある。ただ、今般は医療事故を起こした場合に対応する保険があったりするから、毎月の保険料は払わねばならないにしても、自らが起こしたことについて実質的な負担を免れることもできるから、その実効性はあまりないといったことがある。  次に、医療過誤の裁判では、原告は多く真相が明らかになることと謝罪が行われることを求めている。金銭的な補償は第二義的なことであることがある。けれども、経済的な困難が生じている場合もある。公害、薬害に関わる訴訟では、その害のために生活が苦しくなっていることが多い。その場合には補償はやはり大きな意味をもつ。  民事裁判であれば、生活をしていくために当座の金が必要で、そのために不本意な和解に応じざるをえないといったこともある。また「救済」をうたう法においても、救済の範囲をどこまでにするのかといったことが議論され、そして基準が作られ、ある人たちは除外されるといったことが出てくる。薬害にしても、結局は、その人の今の状態がその害に起因するものであるのかどうか、そうした問題になってくる。しかし同時に、証明しきれない部分がでてくる。  現行の機構のもとでは、私は、疑わしい場合には救済するという方向でよいだろうと考える。そのことは先に述べた。ただ本来は、どのような理由によって病気になったにせよ、障害を有するようになったにせよ、医療や介助等の社会サービスを受けられ、そして基本的な所得が得られ、生活が可能であれば、それはそれでよい。  それがどうして正当であるのかについては、幾度も述べてきたから、ここでは説明しない。ただ、一つに、被害者であること、またその被害が甚大であることを──生活がかかっているがゆえに──言う必要がなくなるということはあるはずだ。救済されるために、自分たちがいかに大きな被害を受けてきたのかを語らねばならない。それはたしかな事実ではある。ただ、たとえば自分の子の被害をそのように語ることがよいのか。ためらわれることがある。そして周囲のけちな人々から、あの人(たち)は悲惨と苦痛を大袈裟に言っているとか、さらにはあの人(たち)は偽っているなどと言われる。そんなことではないのだ、と言っても、聞いてもらえない。そんなこともある。そしてそんなことを言う人たちの中には、代わってもよいとは思わないまでも、うらやましいと思う人がいる。その思いにはもっともなところがあることがある。そんな悲しい世界から抜けるためにも、医療や福祉のサービスを受け取られること、暮らせるだけの所得が得られることは、そうしたサービスの必要や稼ぎのないことが被害に関わっているとしても、それと別に、得られるようにした方がよい(*4)。  これに対して、当然そのような制度は現実的でないという批判はあるだろう。そうでないから苦労している。たしかにそれは──現実的な案であると私は考えるが──現実ではない。しかし、基本的にはそのように考えていった方がよいという視点を確保しておくことに意味がないわけではないと思う。つまり、個別の疾病・障害、それをもたらした個別の要因を特定し、その害への補償として生活が可能になることは本筋でない、それを要求せざるをえないことは仕方のないことだと位置づけた上で、争いを構想し構築する場合と、そのようには考えない場合と、いくらか違ってくると思う。  人による害の場合には、その害をもたらしたことについて、いくらか支払わせることはよいことだろう。ただそれは、障害を得なかったら稼げた一生分の所得(「逸失利益」)といったものである必要はない。そしてそうした方がかえって、きちんと謝罪を求めることができる。また、払わねばならないために偽りを言う必要がなくなって、謝罪を引き出すことができることもある(*5)。 ■註 *1 著書として勝村[2001][2002a][2002b]、編書に勝村編[1998][1999]。そして、勝村が関わってきた「医療情報の公開・開示を求める市民の会」「全国薬害被害者団体連絡協議会(薬被連)」といった組織の活動を記録することがなされてよいと思う。実践的な書物は、実践的に作られる。それは当然のことである。それととともに、それと別に、その実践を作りだす運動が、研究というかたちで記述されてよい。 *2 このCOEの企画で2007年12月23日に小児科医の山田真にインタビューした。(その記録の一部が山田・立岩[2008]。日本アフリカ協議会の稲場雅紀へのインタビュー――その一部は稲場・立岩[2007]として、そしてその全体は稲場・立岩[2008]として公刊された――と合わせ、稲場の論文等を加え、稲場・山田・立岩[2008]として公刊予定。)その中での立岩の発言。なお、発言内の「山田さんの本」は山田[2005]。   「何が語りにくいかっていうと、たとえば同じ原告っていうか告発する側の内部における意見の対立であったり齟齬であったり、そういったものは確かに裁判において原告の利になりませんからね。内輪もめとか内部対立みたいなものですから。それを表に出さないのは当然のことだと思うんです。戦術としてね。ただいつまでもそうであってよいことはない。森永の事件・裁判においても、ずいぶんいろいろあったんだけれどもっていうお話、お聞きしたこともありますし、この山田さんの本の中でも一部分取り上げられてる。」 *3 同じインタビューから。   「山田:裁判でもね、スモンの裁判最後までやった古賀さんっていう人がいて、古賀さんなんかがやった裁判っていうのは、ほんとに、自分の意見を押し通してやる人だったから、あれは被害者自身の裁判だったと思うけれども。ほとんどそういうものはやっぱりなかったし、それぞれが、要するに弁護士が自分の利害も含めて、引くべきか進むべきか考えて、それでやめたり、進めたりしてたようなところがあるっていうか。それは今もC型肝炎でもなんとなく垣間見れるところがあるよね。なんか被害者の思いと弁護士はなんとなく取引してるような感じがあるんだけれども。」   「立岩:[……]けっこう個別に違うと思うんだけど。確かに医者は一本気にこれは正しいんだろうと言う傾向ってあるのかなって気はする。弁護士は、落としどころっていうか、取るもんとらにゃって思う。そこまではわかるんですよ。そうすると、医療サイドにしても法律サイドにしても、あるいはそうじゃなくて、患者というか本人の側が主導権っていうか、持つ場合とね、一般論で語れないことなのかもしれないけれども、どういうふうに裁判なら裁判、あるいは裁判の闘い方の形態っていうのが変わってくるものなのだろうか。それどうなんですか?   当事者にとっては、裁判ずっとやってるの待ってたら「俺死ぬかもしれない」っていうのあるじゃないですか。でも適当なとこで和解になったら悔しいっていうのもあるじゃないですか。本人自身が裂かれているっていうか、両方の望みがあると思うんですね。で、そうしたときにね、その本人の中でも、和解でいくのか、最後までいくのかって、分かれる部分がある。で、いろんな人たちが引っ張っていく中で、どっちの方に傾きがちっていうか、傾いちゃうことになるのか。そういうことっていうのは、今までのことでいかがですか?   山田:僕が関わった範囲で言えば、大きな社会的な事故じゃなくて、医療事故なんかによる個別の事故っていえば、被害者は、実際は、金を請求するっていうかたちでしか裁判できないから、金で請求してるけど、金いくらもらったってすむ話じゃなくて、要するに、手をついて謝ってほしいとかなんかっていうことで始まるわけだよね。でもほとんど手をついて謝ってもらえる光景には出会えない。示談である程度のお金が出ることはあっても。   だからほんとに裁判なんて悲惨なもんで、僕らが証言で出ててもそうだけども、被告だってほとんど出てこない。全部代理人で、代理人同士で終わってしまって、それで、原告出てきても被告にもいっぺんも会えないままで終わってしまうとかっていうことがよくあって。そこらへんがやっぱりなかなかで。そうするとね、たとえば、弁護士の利害から言えば、謝ってもらったってしょうがないっていうか、実質的に取るもの取らないとしょうがないわけだから。確かに、お金を払わないでただ謝るっていうふうなかたちになることも、まぁありえないといえばありえないから、しょうがないんだけれども。とにかくやっぱりその患者さんの思いっていうのが、その裁判やなんかやってると早い段階で抑えられてしまって、裁判はこういうもんだからこういうふうになるんだよって言われて、なんとなく納得できないまんまに裁判が終わるっていうことが多いという感じはする。それはやっぱり、僕らがその証人として出たりしてみててもそういうところがあるよね。やっぱり食い足らないっていうか、もっとやっぱり本質的に問わなきゃならない問題があったりするのに、やっぱりそこを弁護士がきちんと掘り下げるってことをしてないから。   Aさん:ちょっといいですか。その医療者と弁護士が主導するかたちでの告発っていうか運動を見て、その、ある意味で、積極的な意味でその主導権を被害者の方に譲り渡していくようなプランというか、案っていうのは考えられたことはありますか?   山田:患者さんが非常に強くてっていう。強くて、弁護士や医者はついていくしかないみたいなかたちになったことっていうのが、それが滅多にないけれども、たとえば、そのスモンの古賀さんなんかはそうだったと。   Aさん:ある意味強い患者さんっていうのがいないと、そういうことにはあんまりなりがたいってことですよね。   山田:そうだよね。水俣なんかはかなり患者さんが前面に出られる運動だったと思う。それはやっぱり、最初にチッソで出てきたときに、その裁判が主たる運動はなくて直接行動を一緒にするっていうことにして、裁判を後ろにやったわけだから、そこからやっぱり患者さんがある程度主導権をにぎって運動をやれるっていうことになった。   立岩:近ごろ出ている話としては、裁判ってのはそもそもそういうもんで、いろいろ工夫してもそうでしかないから、裁判外のプロセスっていうか仕掛けっていうのを作りましょうかみたいな話はボツボツとあります。僕もそれもありかなと思いつつ、でも裁判は裁判でやらざるをえない……。   山田:水俣ぐらいに直接行動強いものをやればね、それと平行するかたちで裁判が意味を持つことはあると思うよね。だけど裁判だけということだったら、裁判よりも直接行動の方が。たとえばひどい医者に医療ミスさせられたなんていうんだったら、裁判しても、被告出てこないからなんともないけど、病院の前で毎日ビラまきをしたりする方が有効だって感じだよね。」   「ボツボツとあります」に註を置いて、文献として和田・前田[2001]をあげた。     山田の発言に出てくる古賀は古賀照男。いずれも短い文章だが古賀[1986][1999]、高山俊雄のインタビューに答えた古賀・高山[2000]が残されている。山田の著書における言及は以下。   「被害者のなかで、ぼくたち「支援する医者」にも鋭く批判をするのは古賀照男さんくらいでした。古賀さんはスモンの患者さんでしたが、病気になる前は労働者で、病気になった後で加害者である「田辺製薬」を追求(ママ)するときも作業衣のままだったりしました。二〇〇三年に亡くなられましたが、最後まで製薬会社の追求(ママ)をやめず、その姿勢にぼくは深く感動し、また多くのものを教えられたと思っています。[……]   古賀さんの闘いでは古賀さんが主役で、医者も黒衣にすぎませんでしたから、スッキリした気持ちでかかわることができましたし、古賀さんの言葉からあらためて日本の医療の問題点を見直すことにもなったりしました。   しかし、被害者の人たちと医者とがこんな関係になれるのはめずらしいことで、医者が医療被害者運動の先頭に立ってしまうこともしばしばあったのです。」(山田[2005:242-243])   他に田中[2005:93-98]に言及がある(その引用他、資料をHPhttp://www.arsvi.comに掲載)。和解に応じた人たちよりも古賀が正しかったといったことを言いたいのではない。幾つかあった路線の差異についての分析・考察がなされていないということを言いたいのだ。主流は、批判されているし、またその批判は小さなものでもあるから無視する──例えばスモンについて多くの本があるが、そこに出てくることと出てこないこととがある。他方はもちろん言及する。ただそれは限られた人しか知らない。それはよくない。容易に集められるところから情報を集め、私たちのCOEのウェブサイトに掲載していくこと、これは少しずつ始めている。それを文章・論文にまとめることのできる人がいたら、それをしていってもらう。 *4  「死や苦痛や不便をもたらした者たちは、それだけで十分  に糾弾されるに値する。その者たちを追及するのはよい。ただ、第一に、そのことを言うために、その不幸をつりあげる必要が出てくることがあるとしたら、それはなにかその人たちに対して失礼なことであるように思えるということだ。だから、それはしない方がよいと思うようになったということだ。」(立岩[2008])   ここにユージン・スミスが胎児性水俣病の女性を撮った写真が「封印」されることになった経緯に関わる幾つかの引用を連ねた註を置いた。   また『自由の平等』では以下のように記した。   「平等の定義にさほどの意味はないし、何が平等であるかを正確に測ることのできる尺度はない。他方でここまでは譲れないという(健康で文化的な)最低限を保障するというときの最低限も、設定することはできるかもしれないが、設定しなければならないと決まってはいない──こうした議論は、たしかにときに必要なのだが、必要な理由を忘れてのめり込んでしまと、人々がある状態のときにいかに不幸であるかを言わねばならないかのようになってしまい、そしてその真剣な主張が誇張であると受け取られてしまい、さらにそれに反論しなければならないといった嘆かわしい事態が生じてしまうのである。そしてこうした基準が存在しないことは、平等の主張が成立しないことを意味しないし、ましてや分配の主張が無効であることを意味しない。」(立岩[2004]) *5 この短文に述べたことにいくらかを加え、『みすず』での連載(立岩[2008-])の第4回(2008年10月号)からしばらく、考えたことを書いてみようと思う。 ■文献 *HP(http://www.arsvi.com)にこの文章・文献表が掲載され、人や文献にリンクされている。 稲場雅紀・立岩真也(聞き手) 2007 「アフリカの貧困と向き合う」『現代思想』35-11(2007-9): 131-155 ──── 2008 「アフリカ/世界に向かう──稲場雅紀さんから」(インタビュー),立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点[2008: 75-154] 稲場雅紀・山田真・立岩真也 2008 『流儀(仮題)』生活書院(近刊) 浜六郎・坂口啓子・別府宏圀 編 1999 『くすりのチェックは命のチェック──第1回医薬ビジランスセミナー報告集』医薬ビジランスセンターJIP,発売:日本評論社 勝村久司 2001 『ぼくの「星の王子さま」へ──医療裁判10年の記録』メディアワークス,発売:角川書店 ──── 2002a 『レセプト開示で不正医療を見破ろう!──医療費3割負担時代の自己防衛術』小学館文庫 ──── 2002b 『カルテ開示Q&A──患者と医療者のための』岩波書店,岩波ブックレット 勝村久司 編 1998 『払いすぎた医療費を取り戻せ!──レセプト開示&チェックのための完全マニュアル』,メディアワークス ──── 1999 『レセプトを見れば医療がわかる』メディアワークス,発売:主婦の友社 古賀照男 1986 「薬の神話の被害者として」東大PRC企画委員会編[1986] 古賀照男 1999 「スモン被害者として」浜・坂口・別府編[1999: 66-67] http://www.npojip.org/jip_semina/semina_no1/pdf/068-069.pdf 古賀照男・高山俊雄(聞き手) 2000 「孤独と連帯──古賀照男・闘いの記」(インタビュー),『労働者住民医療』2000-3,4,5 http://park12.wakwak.com/~tity/shadow/koga.htm 古賀照男 2000 「孤独と連帯──古賀照男・闘いの記」『労働者住民医療』2000-3, 4, 5 http://park12.wakwak.com/~tity/shadow/koga.htm 立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 2008 『時空から/へ──水俣/アフリカ…を語る栗原彬・稲場雅紀』立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告2 立岩真也 2004 『自由の平等──簡単で別な姿の世界』岩波書店 ──── 2008 『良い死』筑摩書房 ──── 「身体の現代」,『みすず』2008-7(562):32-41?(連載) 東大PRC企画委員会 編 1986 『脳死──脳死とは何か? 何が問題か?』技術と人間 和田仁孝・前田正一 2001 『医療紛争──メディカル・コンフリクト・マネジメントの提案』医学書院 山田真 2005 『闘う小児科医──ワハハ先生の青春』ジャパンマシニスト社 山田真・立岩真也(聞き手) 2008 「告発の流儀──療と患者の間」(インタビュー),『現代思想』36-2(2008-2): 120-142 性同一性障害についてのメモ    立岩真也 迷惑を蒙りやすい事情  もう一つこの冊子に描かれているのは性同一性障害のことだ。シンポジウムで2人が報告をし、また高橋の論文が再掲され、またヨシノの講演の記録が掲載された。  まず、それと「事故」「過誤」「犯罪」とはどう関わるのか。他の様々な身体の状態をめぐることごとがあり、その一部に事故等がある。身体の状態とそれを巡る認識の一つに性同一性障害と呼ばれるものがあり、その状態をめぐることごとの一つに、事故等もある。二つは常に一緒にあるわけではない。ただその上で、やはりシンポジウムで語られているように、両者が近づいてしまう要因はある。  第一に、それを利用しようとする人たちがすくなくとも今のところ少ないということがある。そしてそのことにも関係して、対応する医療者や医療機関もまた少ない。すると、シンポジウムでも指摘されているように、特定の、ときには唯一の医療機関、ただ一人の医療者に依存せざるをえず、それだけ、関係において利用者は劣位に置かれがちになる。  第二に、医療を受けていること、手術を受けるといったことを、本人そして/あるいは関係者があまり表に出したくないといった場合がある。すると問題が起こった場合にもそれが知らされにくくなる。共有されるべき問題があったとして、それが共有されることが難しくなる。過誤が過誤として知られず、事態の改善が遅れることになる。  そして第三に、何がなされればよいのか、何が求められているのか、ときには本人においても定かでない、定かであってもうまく伝えられないことがある。それ以上に、うまく伝えているのだが、受け取り側がうまく受け取ることができないといったことがある。  こうして、問題が起こりそうであり、また起こってしまった問題が表に現れることが少ない。性同一障害とそれを巡って医療が置かれている現況はそんな現況であり、ヨシノが巻き込まれたのもそんな状況である。  とすれば、実際のところがどうなのか。それを調べたり、今よりはよい状態にもっていくためにどうするかを考えて言うことだ。ヨシノ(吉野)はその研究に着手している。それはとても大切なことだと思う(*1)。一方が適切な医療を必要とするなら、そして医療を提供する側にとってもその相手から非難を受けるようなものを提供するのはよいことでなく望んでもいないことだから、医療者・医療機関にとっても、本来、そうした改善の営み、そのための研究は歓迎されるはずだ。 「社会」  性同一性障害であることに関わってその人が経験する不都合がある。一つに、それを「社会的」に除去すくなくとも軽減できるのであれば、それをすればよいという主張がある。問題を個人のことにせず、社会の側が対応できるのだし、すべきであるといったことが言われる。もう一つのやり方が、手術などして身体を変えることである。そしてこの二つの路線の間に対立が起こることがある。このことについて考えてみたい。  なぜ前者の方がよい、それを先行させるべきだという主張があるのか。二つの契機があると思う。  一つに、その不都合を社会が「作っている」からだという言い方がある。ここにはいくらかの──例えば社会学的な思考がときに自覚しない──誤解が介在することもあるのだが(*2)、しかしもっともな部分もある。説明しよう。  解決すべき問題が起こっているとして、それについて何かが原因であるということと、その原因を除去すべきであることとは常にはつながらない。他の様々な対応が可能であるし、またそうするしかない場合がある。例えば地震がもたらす害があるとして、地震そのものをなくすることはできず、別のことをするしかない、した方がよい場合がある。しかし他方、人間的なものが関わっている場合には、まず、それが原因である以上は、その人間が変わることによって、人間に対して働きかけることによって事態を変えることができるはずだ、問題を解決することができるはずだということがある。地震が起こることをなくすことはできないとしても、人による災いについては、人に気をつけさせるならどうにかなるだろうというのである。人が起こした問題は人が解決できるはずだというのである。  次に、身体に対して行なうことが、社会の側が対応することに比して、当人にとって益がないことがある。まず、たいしてあるいはまったく効果がないことがある。そして、いくらか効果があるとしても、それを得るための多くを失うことがある。支払うものがある。それは痛みであったり疲労であったりする。それよりも、人を使うにせよものを使うにせよ、別の手段を使った方がよいということがある。それなのに、いくつか理由・事情があって、本人にとって損なことを本人がしてしまうこと、させられてしまうことがある。その一つは、周囲は、本人に負担がかかるのは周囲は気にならないが、自分たちが負担するのは面倒だということだ。しかしそれでは本人に負荷がかかる(*3)。それでその傾きに抗しようとする。それが「社会モデル」といった言葉を使って言われることがある。  ただ、このことはそのまま、社会の側が対応すべきであることを意味するものではない。本人の得失、本人以外の得失を評価する基準から、その本人に課せられる負担が不当に大きな場合に、その是正が支持されることになる。そしてそのような道筋で考えていくと、多くの場合に、本人はそうがんばる必要はない、社会の側がすべきだということになる。  以上は、要するに得失についての平等、負担の公平というところから言えることだ。そしてもう一つは、この冊子に掲載させたもらったもう一つの私の文で述べたことに関係する。つまり責任に関わる。例えばある身体の状態の人に対する人々の加害的な態度・言葉があったとしよう。そしてその状態がなにかの手段で容易になくすることのできるものであるとして、ならばなくしてしまえばそれでよいということになるか。ならないように思える。不当な扱いは、それとして指弾されるべきだとされるだろう。既になされてしまい、そのこと自体は取り返しがつかない場合でも、そのことについて謝罪は求められる。差別の「もと」になっているものをなんらかの方法で除去することができたとしても、しかしその行ないはやはりよくない行ないなのだから、それはそれとしてなくすべきであり、行なってしまった時にはその責任を問われるべきであるということである。 両立する  ではそれで終わるか。そうなるとは限らない。一つ、高橋も言うように、いまみたことがもっともであることは、他方が無効あるいは有害であることを意味しない。まず、社会の側の対応だけですむ、あるいはそれだけですませる方がよい場合は、比べて、負担が大きく、得るところが少ない場合だった。だから、するべきことはするべきだということにはなるのだが、そのことは、身体を改変することが有益である場合があることを否定するものではない。また、人々にある悪意、人々がなす悪事についても、それはそれとして指摘し改善を求めるべきであるとしても、それの解決法が人の身体を変えてしまうことであるというのは本末転倒であるとたしかに言えるとしても、しかし、そのことは身体を変更することによいことがある可能性を否定するものではない。  みな社会の側の対応でまにあうものなのか。そうとは限らない。自分の身体を動かす代わりの他人による介助といった即物的な行ないにしても、それでまにあわせることができなさそうな部分がある。ここで主題になっている性同一性障害については、さらに多く残る部分がありそうだ。どの部分にか。それを知るにあたっては、現実に社会的障壁をなくすことが条件になるというわけでは必ずしもない。何をすることによってどのような場面での不利益が解消できるのか、その不利益がなくなってなお残るものがどこにあるのか、おおよその見当がつくこともある。性同一性障害の場合にはたしかにそんな部分があるように思われる。手術をしないと満たされることのないニーズがあると思われ、言われる。社会の理解が得られたり、様々な不便が解消されたとしてもなお変更が望まれるのだというのである。「誤解」や「悪意」、あるいは「不便」がなくなったとしても、やはり私の身体に対する違和、そのことに関わる自身にとっての不便は残るように思われる。  するとさらに言われることはある。つまり、その心性が形成されているのだとされる。「心」が問題にされる。この社会において、さまざまにきまりのわるい思いをしたり、不当な扱いをされてきために、今の自分を否定的に見ているという部分はたしかにあるように思える。そんな部分があることは否定できないようだ。しかしやはり、それだけでもないように思える。この場面に来るとたしかに証明はより難しくなる。どうして私にはそう思えるのか、「内省」としてもなかなかわからないように思える。さらに伝えるのがむずしい。「普通の病気」の場合であっても、身体の苦痛を伝えることは難しく、その訴えが信用されない場合もある。それでもまだわかってもらえそうだ。それに比べて、性に関わる違和感を伝えるのは難しい。  ただ、それをどのように説明したらよいのかよくはわからず、自分でも確証はできないにしても、やはりあると当人に思われる。そのことがこの冊子に収録されたヨシノの講演でも言われている。よくはわからないが、それ以上説明のしようがないということなのかもしれないが、そんなことはあると思う、  次に、両方のことを同時に行うことは、高橋もまた述べていることなのだが、矛盾するものではない。むしろ、第一に、社会的障壁の様々を除去したうえで、除去しながらなお、残るものがあれば、それは手術といった手段によって対応してよい、すればよいということになる。第二に、身体に対する負荷のことを考えるなら、またリスクをなくすことはできず一般には身体への大きな侵襲は望ましくないということになるのであれば、画一化された性同一性障害像を除去するその他のことがなされれば、人によっては、あまり大きなことはせずにすむ、それはよいことだということになる。 残るかもしれない論点  このようにして、すくなくとも理屈としては、話は収まるように見える。ただ現実にはそうはなっていない。その存在やそれへの医療的な対応が「公的には」何も認められない時期が長くあった後に変化はあったのだが、それは「明確に」「典型的に」性同一性障害でないと、認められないといったことになっている。  ヨシノにしても、しっかりと男・女の身体になりたいという人がいることを否定しているのではない。しかし自分は、どうしてだかわからないのだが、そうではない。けれども、前者のような人たちだけが真性の性同一性障害の人として認められ、法もそのような人を想定する法として作られてしまう(吉野[2008b])。とすると、自分(たち)──性同一性障害同一性障害=GIDID(吉野[2008c])の自分(たち)──は迷惑をこうむる。だからそれには抗議する。そんな場から逃げ出そうとする(吉野[2008a])。しかし人々はそのような、自分(たち)のような人たちかいることも知らないようなのだ。それは困る。まずは知ってもらわねばならない。だから、求められれば話をしにも行く。文章も書く。それもまたまったく正しいと思う(*4)。  ではそのような具合に現実がなってしまっているのは、ただ「ジェンダー規範」がなせることなのだろうか。男と女とをはっきり分けておきたいという、そして性同一性障害は認めるが、ならばはっきり男・女の身体になる人になってもらおうという、多数派の欲望によるものなのだろうか。この要因はそれとしてたしかにあるだろうと思う。ただそれだけで説明することができるか。あるいは、現に社会にある説明はどんなことになっているのか。これは──法の制定過程で何が言われたのかの検証も含め──もうすこし見ておいてよいことであるように思う。  基本的にどのように変えようとそれは自由であるということになれば、それはそれですっきりはするかもしれない。しかし、この手術の相当部分について侵襲性・不可逆性は高いかもしれない。そしてそこに、述べたように「社会的なもの」が絡んでいるなら、本人がその時に言うことをそのままに受け取り、言われた通りに手術をすればよい、ということにはならない、かもしれない。一つ、それを行なうか否か、どの程度のことを行なうのかについて、「社会」の側に口を出す相応の理由があると言えるのかもしれない。むろん既存の法律とのかねあいも現実にはあるのだが、そのことをいったんはずしてもこの論点は残るように思われる。  もう一つ、それがかなり費用のかかる行ないであるとして、その費用を誰がもつのがよいのかという論点がある。手術を行なうのはかまわないが、それは自己負担で行なうべきだという考え方がある。私たちは様々な趣味をもっている。なかにはまじめに取り組めばばずいぶんと金のかかるものもある。しかし、それは各自の予算の範囲内でやってもらうということになってくるものがあり、それはそれとして認めてよいかもしれない(*5)。  すると、行なうことが正当であることを人々にわかってもらうために、さらに──いまは自己負担でということになっているのだが──例えば社会保険の適用を求めるのであれば、また医療体制の拡充・整備を求めるなら、身体の改変がたんなる「趣味」「贅沢」ではなく、「切実なニード」であることを証明しなければならないということになるかもしれない。となるとその切実さを証明しなければならないことになり、そして、自分自身では変更できない強固なものであるということになる。「としか思えない」ことが語られ、強調される。するとどうしても、はっきりしたもの、まったくの苦痛でしかないもの、はっきりと変えたいもの、典型的なものに偏ることになり、ヨシノのような、半端なものが前に出てくるのはよくないということにもされかなねない。  これは、やはり、前の私の文章に書いたことと相同の構造をもつ問いでもある。つまり、何かを受け取ろうとする時、とても深刻なことが起こっていることを言わねばならないことになってしまうということだ。すると、それにどう対するのかという問題は残るかもしれない。どういう返し方があるだろうか。  たとえば、いずれともはっきり定まらないようなものも含めた「性的アイデンティティ」の保持・獲得を、基本的人権の一部であるとし、人が得られてよい基本財であるとして、その費用についても、社会的に負担してよいのだという言い方もあるかもしれない。また、そのことまでは主張せず、趣味は趣味であるとした上で、費用の負担ぐらいは自前でということを受け入れ、しかしそこに生じうるリスクについては、それは人の健康・生命に関わることなのであるから、他の医療行為と同様に、問題が生じることの少ない仕組み、問題が生じた時に、それに対応することができるような仕組みを作っていくべきだと主張することもできるかもしれない。このようにまとめようと思えばまとめられるかもしれない。ただ、ここにあるのは、存在はするもの、しかしそれをそう人にわかりやすく、そしてことさらに深刻なこととして言いたくはないが、しかし存在はするものを、どのようにこの社会に位置づけさせるのかという、わりあいに微妙な、しかしそこそこに大きな問題であるのかもしれない。これらのことがさらに考えるべきこととしてあるのかもしれない(*6)。 ■註 *1 以下はその研究計画書に対する教員としての評価書の一部。  「性同一性障害は、例えば社会学の研究対象としてありそうな主題となり、実際、研究も幾つか出てきているようだ。そしてときにはよいものもある。そしてそれらは、「語り」を集めるという、昨今常套的に用いられる研究手法で押していくだけでは足りないことをわかっているようだ。しかし、ではどのように進めていくのか。なかなか難しい。   申請者もまたそのことを思っている。ただ、同時に「問題意識」は鮮明である。「勝手に二つに分けるな」、ということだ。すると、いずれかへの変容を押し付け、身体を変えようとする「社会」その他と、それを拒む「私」、ということになるか。そう単純でないところが、難しいが、おもしろくもある。つまり当人も、そのままでなく、(いくらかあるいはたくさん)身体を変えたいと思っているのだ。   とすると、申請者が医療という場を調査研究の一つの主要な場所に選んだことの意義は明らかである。それは一つに、医療において不適切さらに加害的なことが多くなされてしまっているからということでもあるのだが、それと大きく関係して、身体という同じ場に、その当人と医療あるいは医療に関わる様々の力が集まるからである。   医療を押し付ける社会とそれを拒む私という図式はここでは成立しない。問題はより微妙で複雑である。だから、その場面を選んで、それを社会がどのように規定し、当人たちはどのように思い、実際何が起きているのかを記述することの意義は大きい。そこから、なんでもどちらかに決めたがる側──ただこちら側についてはある程度のことは知られている──について、そして、そうは思わない側──こちらをうまく言い表わすことの難しさはどのようにしても残るだろうが──について、「実感としてどうもわからない」という人たちをも「そうかもしれない」と思わせる、精緻で厚い記述が生まれる。[……]」 *2 「社会的なものだから(社会的に)除去すべき」という短絡がときに起こる。短絡であることが自覚さえされていればよいのだが、時にそうでもないように思える。最低限つけ足せば、まず、あるものが、しかじかの理由で除去すべきであるという価値判断があり──だからそこには判断の相違がありうる──その上で、社会の側に義務・責任があるから、そして/あるいは対応が可能であるから、そのことについて社会が応じる、応じるべきであるということになる。cf.立岩[2004b] *3 私がこれまでに立岩[2001][2002]等で書いてきたのは、本人にとっての得失を考えてみた場合に、自分の身体をなおすこと、自分の身体から障害をなくすことの方が、他よりもよいとは、つねには言えないということ、他方、他人(たち)から見た場合には、その人の身体の水準でどうかなってもらった方が、その水準で努力していてもらった方が得なことがあるということだった。立岩[2008](第3章「有限でもあるから控えることについて──その時代に起こったこと」3節「確認」1「なおす/とどまる:本人において」2「なおす/とどめる:援助者他において」)でも、これらを引きながら、いくらかを加えて述べている。  「自分で動ける状態を維持するための、あるいはその状態に戻るための自らにおける負荷を算入しても、訓練でいささか痛い思いをしても、自分で動けるようになった方がよいということはありそうだ。例えば加齢にも関係し脳血管に関わる身体の不随意の場合、早期の(狭義の)リハビリテーションに効果があることがあるのは事実であり、もろもろの代償を払っても、その方がよいということはありうる。そして、この場合にはそれを始めるのは早い方がよいともいえる。   他方の医療やリハビリテーションに対する批判は何を言ってきたのか。まず、効果がないこと、支払うものに得られるものが釣り合わないことが問題にされた。例えば脳性麻痺について言えば、すくなくともこれまでなされてきたことのすべてに顕著な効果があったのではない。しかしそれは行なわれた。そして早期の治療・療育がよいなどと言われて、子供のころ、何をされているかもよくわからないまま、苦痛の中で無駄なことをされてきた。ただそれはまた、本人が支払い失うものが多くないのであれば、また受け取るものが本当にあるのであれば、肯定されてよいことがあるということでもある。   両者は基本的には矛盾しない。ただ考えておくべき点は残る。その人の損得をどのように評定するか、今その人にある損得の計算をそのまま認めてよいのか。これから述べる他人たちの損得を合わせて考えるなら、さらに複雑になるのだが、当人のことだけ考えても、これはときに難しい。はたからみても、この人はなまけすぎだと思えることがあり、がんばりすぎだと思えることもある。そんなことをどう考えるかである。」(「なおす/とどまる:本人において」)   「もちろん当人にとっての利害と周囲にとっての利害とそう大きくは違わないこともある。つまり、なおすことは自分のためにであり、それが同時に他人たちのためでもあることがある。またしかじかの身体の状況を自らが受け入れ、そのことで周囲も手間がかからずに助かるということもある。いつもそうならそれでよいかもしれない。ただそんなことばかりではない。ずれることがあるのだ。それは、知らないということではなく、すくなくとも知らないというだけのことではない。むしろ場の構成による。   1)まず、周囲の人たちは、負担、すくなくともその人の身体に関わる負担を自分たちで引き受けるわけではない。だから、その部分を軽く見る傾向がある。本人は痛くて辛いのだが、それでもがんばれと痛くない人は言えるし、実際言ってしまうことがあり、その方向に人を向かわせる傾きがある。   2)次に、なおるためのことを行なうことが仕事である人たちがいる。その人たちはそれを大切なことだと思う傾向がある。そこで多くのことをし、多くのことをさせようとすることがある。「近代医療」と「過剰」とをつないで批判する人たちが見ているのは多くここの場面だ。その人たちは自らの信じること、自らの流儀をどこまでも押し通してしまう、そこがいけない。そう批判者は言う。   3)そして、それが収入につながるとなれば、なお行なおうということになる。そして、ここでは成果があがることが期待されてはいるのだが、とくに医療の場合には、何がどれだけ効くのかわかりがたいことがある等の事情で、不要で過剰な供給がなされることがある。ここではなおすこと自体が目指されているというよりは、それを行なっている(とされる)ことに伴って得られる利益が目指されている。前節で老人医療の無料化がなされた時に示された懸念を紹介したが、それもこのことに関わっている。  直接の供給者だけを見ても以上の要因が関係している。   4)さらに、その周囲にとっての得失がある。早めになおってくれれば、あるいは病気にかからないでくれれば、その人のためにかかる費用は全体として安くなるかもしれず、その人は働けるようになるかもしれず、また伝染する病気であれば他の人たちがかからずにすんで、それもまたよい。   以上は、促進する要因、なおすため、あるいは予防するために多くのことをなしてしまう側の要因ということになる。すると、痛い目に会うのは自分たちなのだから、このことについて、あなた方に決めさせるわけにはいかないと主張することになる。これはまったくもっともなことだ。けれども、以上だけ、あるいは以上の一部だけを取り出し、「過剰」だけを言うと、現実のもう半分が落とされてしまうことになる。実際には、たしかに一方では医療はなおそうするのだが、他方で、それが不可能なことがあること、そのことを「受容」することを奨めもするのである。また、さらに広くにいる周囲の人々も、ある時には押しつけがましいのだが、ある時には同じ理由から逃げていきもするのだ。   5)まず、治療やリハビリテーションに伴う苦痛を周囲の人たちは直接には感じないと述べたが、同時に、それがもたらすよいこともまた直接に受け取るわけではない。   6)その人たちが自分の仕事を貫き押し通そうとする傾向があることを2)で述べた。ただ、それはその仕事をしてうまくいく場合、うまくいく可能性がある場合のことである。自らの技が有効でない場合には、むしろ、その同じ「本性」からして、そこから手を引こうとすることも考えられる。仕事のしがいがないからしない、あるいはやめる。こんなことがまたいくらもあることも私たちは知っている。効果的な手段、すくなくとも決定的な手段はないことがある。また、加齢に伴う様々な症状はあまりに多くの人のものであり凡庸な状態であり、自らの腕を振るう仕事の対象としておもしろくはないといったこともある。   そこでまったく撤退してしまう場合もある。医師の多くはそれができる。たださらにつきあわねばならない職種の人たちもいる。いる場によっていてほしい人間の類型も異なってはくるが、おおむね、適度になおるつもり・意志があり、しかし同時に、あるいはその営みが終わった後では、適度にあきらめられる人が扱いやすいということになる。こうして「受容」が推奨される。それがうまくできないと「受容ができていない」ということになる。うまくいったときにはそれは治療者の手柄でもあるのだが、うまくいかなかったら、それはその人に受け入れてもらう。受け入れられないのは、そしてそのために援助する側を攻撃したりするのは、その人の「受容の失敗」ということになる。なかなかうまくできている。   7)そして、患者/障害者のために働くのはそれ自体としては面倒で辛いことでもある。だから、その人たちは、仕事をしたくない人たち、手を抜けるなら抜いた方がよい人たちでもある。これは仕事を控える方向に作用する。そこで3)対価を払う、払うしかないということにもなるのだが、それは、収益とは言わないまでも収入が得られない仕事であれば撤退する、撤退せざるをえないということでもある。また支払いを受け取りつつ手を抜けるのであれば、手を抜こうとするといったこともある。   8)手間がかかったり生産が妨げられたりするから病気に罹ったり障害を負わないでほしい、罹ったら手早くなおってほしいと思うと4)で述べた。それとまったく同じ理由で、医療やその他の様々が控えられるということがある。この社会では、直接の仕事の担い手と、その人たちの仕事に金を支払う人たちが分かれている。その支払いを少なくしたいと思う、とくに支払ったとしてもさほどの益が期待できない場合には少なくしたいと思うとしよう。そこで金がかけられなくなったとしよう。すると7)を経由して、なされることが控えられることになる。   すくなくとも──と言うのは、以上のいずれからも説明されない、その人になおってほしいとか、助かってほしいとか、痛みが減ってほしいといった思いもまたあるからだ──以上のような要因が関係して、行なうこと/行なわないことの線が引かれること、変更されることは見ておく必要がある。」(「なおす/とどめる:援助者他において」) *4 ただ、「学問」においては多様であり流動的であることの方が受けがよい傾向はある。それに対し、少数派本人たちの中の多数派は、より確固としたものを支持し保持しようとするところがある。それをたんに多数派の抑圧に対する反動と考えてよいものなのか。それはそれとして考えてよい。片山知哉の論文で、ゲイや聾者の「ナショナリズム」が記述され論じられてようとしている。(ただ、性同一障害に起こることはこれとはまた異なっていて、典型的に存在するのは、ナショナリズム、分離主義……ではなく、同化主義的なものである。) *5 なんの関係もない本のように思えるかもしれないが、立岩[2004]で「慎ましやかな欲求」「贅沢な欲求」について検討してみている。そこで述べたのは、その欲求が慎ましやかにすぎると、あるいは贅沢にすぎると言える場合には、その欲求をそのままに受け入れることはないということだった。しかしこの場面での欲求を不当な欲求とすることはできない。このことまでは言えよう。 *6 こんなことについても立岩[2008-]のなかで考えることができたらと思う。そして、知ること、知ってよいことを集め並べることが、ここでも必要だ。その必要なことが高橋[2008-]等で始められている。 ■文献 *HP(http://www.arsvi.com)にこの文章・文献表が掲載され、人や文献にリンクされている。 石川准・倉本智明 編 2002 『障害学の主張』明石書店 片山知哉 2008 「教育における正義──言語・文化選択におけるこどもの権利」立命館大学大学院先端総合学術研究科2007年度博士予備論文 野口裕二・大村英昭 編 2001 『臨床社会学の実践』有斐閣 高橋慎一 2008- 「トランスジェンダー/トランスセクシャル/性同一性障害/インターセックス」http://www.arsvi.com/d/t05.htm 立岩真也 2001 「なおすことについて」野口・大村編[2002: 171-196] ──── 2002 「ないにこしたことはない、か・1」石川・倉本編[2002: 47-87] ──── 2004a 『自由の平等──簡単で別な姿の世界』岩波書店 ──── 2004b 「社会的──言葉の誤用について」『社会学評論』55-3(219): 331-347→立岩[2006: 256-281] ──── 2008 『唯の生』,筑摩書房 ──── 2008- 「身体の現代」『みすず』(連載) 吉野靫 2008a 「GID規範からの逃走線」『現代思想』36-3(2008-3): 126-137 ──── 2008b 「性同一性障害特例法は「多様な身体」に応答しうるか」『Core Ethics』4:383-393(立命館大学大学院先端総合学術研究科) ──── 2008c 「GIDID」『現代思想』36-5(2008-5): 222 あとがきにかえて──運動/研究をめぐる断想   経緯    本報告書を終えるにあたり、末筆ながら「あとがき」にかえて、本報告書の成り立ちにかかわること、また、本報告書を貫く主題について若干のことを記したいと思う。グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点報告書第3号として発行された本報告書は、2007年12月8日に実施した「性同一性障害×患者の権利――現代医療の責任の範域」と題した研究シンポジウムに端を発している。その記録をかたちにするにあたり、関連する諸テーマについて書かれた論文も集めて構成しようと考え、北村健太郎氏と相談のうえ、医療従事者の視点、診療情報・カルテ開示、C型肝炎特別措置法にかかわる諸論文とGID医療にかかわる論文などで第二部を構成にすることになった。そのため、発行までに予想以上の時間がかかった。この場を借りて関係者に改めてお詫びをしたい。  同シンポジウムは、2007年3月に京都地方裁判所に提訴されたGID医療過誤裁判が投げかけた諸問題を考えるために実施したものである。当日は60名近い参加者を得ることができ、この裁判のことをひろく知ってもらうだけでなく、第一部を読んでいただいたら分かるように、GID医療と医療過誤裁判に加えて、医療と身体を取り囲み様々な分断を書き込む制度の問題と、それに抗する諸実践の課題が提出された。それはいまだ十分に消化しきれていないものでもあるが、それらの論点をさらに深めるため本報告書を公にしたところもある。本報告書を通じて、さらに、問題意識を深化させる必要がある。   争点    さて、本報告書の各論文を読んでいて改めて考えさせられたのは患者運動や医療被害を受けた人たちの当事者グループがことごとく法や医療などの制度によって「分断」させられていくということである。薬害エイズ(西田・福武論文、西田論文)、C型肝炎(北村論文)、GID医療(高橋論文)、どれをとっても当事者間や当事者運動に分断線が入らないということはないように思われる。もちろん、あるマイノリティ集団がすべてまとまってグループを形成したり、統一された団体を通じて運動すべきだというのではないし、それは事実上不可能でもある。また、そのことが目的実現にとって効果的であるという保証もない。  ところで、制度の分断、当事者の主体形成、それぞれにとって基準になるのは差異である。その差異によって属性が形成され、カテゴリーがつくられる。しかし、同じ属性、同じ集団のなかにも差異がある。個々人のなかにさえ差異やその変容があるのだから、それを集合性に練り上げた段階にあっても決してその差異はなくなるわけではない。しかし、制度は差異や属性を同定し、それに基づいて政策を立案し、法案をつくり、執行する。時に、それを通じて、差異は様々なかたちで歪められていく。一度つくられたカテゴリーは、すでにあるものとして、制度による土俵のうえに当事者を囲い込む。それによる分断が事態を再生産させていく。  ただでさえ困難を抱えたマイノリティ・当事者たちに、分断を対象化し、乗り越えていくという困難が課される。これは不当な配分である。第1部でも議論されている医療被害を受けた側が医療のミスを証明しなくてはならないという法廷の力学と同じ構図が、マイノリティ・当事者のなかを貫いている。運動とはそういうものに向き合うことを要求される。この不均等なあり様が是正されるために争いが起こるのである。   研究    マイノリティや当事者の運動はしばしばバッシングにさらされることがある。それは、第一部の勝村報告でも指摘されている。そして、それをメディアが助長する。また、あるグループに肩入れして、当事者間に分断を入れるメディアもある。そして、このような複雑な事情を抱える運動に加担することに対する忌避感が研究者にはある。立岩氏が「学問のための学問の意義を否定しないが、他方、人々のためにも学はあり、それはときに一方の側に付いて他方の側を批判することであることが、当然にある。それは自明のことである。であるならば、共同的な研究のプロジェクト自体がそのような部分に参加することもまた当然、原理的に正当である」(本報告書p.163)とするような研究は十分に進んでいない。なぜか。  一概にはいえないのだが、今の研究者は運動に「亡霊」もしくは「幻想」のようなものを見ているのではないか。かつて、運動に加担し共に歩むことが当たり前だった研究者の影を陰に陽に見せられるとき、その圧力に屈しないでいようとし、また、加担しないでいようとすることが、それぞれの距離の取り方に反映し、研究の動機になっていたりもする。しかし、「傍観者でいるべきでない場面があるとともに、そのことと矛盾せず、冷静に解析するべき場面があるということ」(本報告書p.167)を両立させることがなんであるかはあくまで考えようとはしない。  それ以前に、今の研究者は、運動それ自体に何かしらの違和感を(正当にも)持っているのかもしれない。ミルズの「新しい権力者」ではないが、確かに、運動内部の権力性が批判にされて既に数十年が経ち、運動の限界や抑圧性は明らかにされている。運動を研究することの意味・意義は総じて換骨奪胎されてしまったかのようにも見える。そこから何を始めることができるのか。一方で、少しずつ着手され始めてもいる運動・実践にかかわる研究とは、このような(歴史的)文脈を看過したところから始まっている。そのことがよいことなのか、そうでないことなのかは判断が難しい。  マイノリティや当事者は研究(しばしば研究・教育機関の制度であるところの大学)の材料であり、「ネタ」化されてしまうこともある。現在進行中の「研究倫理」のための綱領づくりなどは、研究される者を守るものなのか、研究する者(あるいはその者が属する機関)を守るものなのかいまいち判然としない。ただ、当事者や運動団体も常に受け身の立場ではなく、研究者を利用することもある。両者に幸福な関係性が成立することはもちろんあるし、不和が生じることもある。たいてい研究する側は不信の目で見られる。それは当たり前のことでもある。研究がなくても実践は進まざるを得ない。向き合っているものが違うからである。研究が主である場合のかかわり方については不十分ながら最近論じる機会があったが(山本2008)、運動への(もしくはそれを研究することに対する)違和感はこのような事態に向き合うことで生じる「何か」に対する直観的な忌避へと繋がっているのかもしれない。   運動    研究が運動・実践を記述することについて考えること以外に、研究それ自身の存立条件を運動の射程に置くことを考える必要がある。本報告書がグローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点の研究活動の一環であることはすでに述べた。1990年代以降の急激な大学改革の流れのなかで、「トップ30」から「COE」、さらに21世紀COEからグローバルCOEという研究・教育機関を選別する国の科学技術政策に対して、かつて旺盛になされていた批判はほとんど聞かれなくなった。与えられた環境のなかでやっていくしかないという諦めか、利用できるものは利用するという開き直りか、それはそれぞれの事情にもよるのだろう。「生存学」に関していえば、その問いはまったく霧消しているかに見える。ただ、様々な歪みを露呈させ不協和音を伴いながらも調達され続ける合意システムである立命館大学のなかにあっては、その存在は孤軍奮闘の感もある。  「逆利用」や「内破」など威勢のいい言葉は久しく聞かない。一方で、「学問運動」や「研究アクティヴィズム」などという言葉が一部で聞かれ、大学を特集する雑誌もあるが、状況が見えているとは思えない楽観論が多い。大学付きの研究者と言った方が分かりやすいかもしれないが、そこには三つのタイプがあり、一つ目は物言わぬ者、二つ目は良心的な者、三つ目は実践的な者である。三つ目こそが、制度の境界線を行き来することで自らの存立条件を問うという重要な課題を見えなくさせる一番厄介な存在でもある。  大学という制度にこだわらない研究者は世間にはたくさんいる。実践者が研究者であることもしばしばあり、その逆の場合もある。私が研究している部落問題や在日朝鮮人問題に関していえば、刺激的な作品や成果をあげる人はこのタイプの研究者に多い。本人の自覚の問題でもあるが、制度のどこに自分が位置付けられているのかを考えることは、個々の心構えや生き方の問題と済まされるものでもない。  「生存学」もまたそのような制約のなかにあり、制度に対する批判性を帯びつつも、年間3000万円近くの税金が投入され、研究成果を刻々と出していかなければならない。果たして本報告書はその構造のどこに位置付くのか。決して明確に考えて編んだ訳ではない。それは制度のなかにいるものとしての怠慢でもある。ここ数年間にいくつかの文章を通じて、大学という制度のなかで、何が問われ、何ができるのか。それなりに考えてきたつもりではあった(山本[2006][2007b])。ただ、それより先に行こうとして行くことができていない。頭の中で考えるだけでは何も解決されないことは分かっているのだが、という感じもしている。制度のなかに10年近くもいることになるが、考えられるのはこの程度のことで、この場を簡単な整理の機会にさせてもらうかたちになった。この文章はそれ以上ではない。   謝辞    最後に。本報告書を作成するうえで、同じ研究科に属する宇野善幸氏に原稿チェック・校正などで尽力していただいた。感謝したい。また、編集の際には生活書院の橋淳さんにお世話になった。大学における研究報告書はしばしば必要以上の時間がかかり消耗させられるが、今回は編集者の仕事の早さに大変救われたように思う。橋さんには改めて感謝したい。    山本崇記  (立命館大学大学院先端総合学術研究科)   ■文献 山本崇記2006「『大学解体』の現在形――問いの地平はどこにあるのか」『現代思想』第34巻第5号、青土社 ――――2007a「差別/被差別関係の論争史――現代(反)差別論を切り開く地点」『コア・エシックス』第3号、立命館大学大学院先端総合学術研究科 ――――2007b「現代労働運動試論(二)――社会的学生/労働運動のための覚書」『PACE』第3号 ――――2008「戦後日本における社会運動研究と反差別解放運動――部落解放運動をめぐる問いを通して」、<社会運動>研究会編『社会運動研究の現代的課題』 生存学研究センター報告 3 不和に就て――医療裁判×性同一性障害/身体×社会 発行日 2008年10月10日 編 者 山本崇記・北村健太郎 発行者 立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点 発行所 立命館大学生存学研究センター  TEL.075-466-3335 製 作 株式会社生活書院